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Пікірлер
@chihfeng1975
@chihfeng1975 Күн бұрын
我去ニコニコ的原作者那裡投稿了,把我LINE記事本的網址貼給他了😂
@ふくいみゆき
@ふくいみゆき Күн бұрын
上手い歌はもうダメか?うちの犬が迷子ですか?さようなら😠
@user-ox6cr6dn3y
@user-ox6cr6dn3y 2 күн бұрын
精鋭の軍艦も、航空機の餌食になることを、もう少し早く気付いて航空部隊の大増強に努めていれば、戦局は、かなり変わっていたかも。金剛級の戦艦一隻を建造する費用があれば、二千機の航空機を製造できたと言われている。
@user-ox6cr6dn3y
@user-ox6cr6dn3y 2 күн бұрын
国力に乏しい日本は、柔良く剛を制すとか、少数精鋭主義とかの文言を並べて兵士の士気を高めざるを得なかった。これでは、物量作戦を国是とする米軍には、勝てない。
@chihfeng1975
@chihfeng1975 3 күн бұрын
あれ?林さんは日本人ですか?😮
@v8yw
@v8yw 3 күн бұрын
台湾人です
@chihfeng1975
@chihfeng1975 3 күн бұрын
@@v8yw 原來如此😅
@chihfeng1975
@chihfeng1975 4 күн бұрын
第2番的「九州」少了島字,日語發音是「九州島」的發音。 第16番的「江頭」,其實是關渡的巴賽語Kantaw的發音,所以要發成「カンタウ」 第38番的「林投」,則是台語Nann-tau的音,所以是「ナアタウ」 另外還有很多假名上違和的地方喔😁
@chihfeng1975
@chihfeng1975 4 күн бұрын
第42番的歌詞有一句是錯的,「馘首の刃」才對…
@chihfeng1975
@chihfeng1975 4 күн бұрын
61~90番歷史假名遣歌詞 61. 義烈壯烈(ぎれつさうれつ) 母(はは)刀自(とじ)の 大和魂(やまとだましひ) うけつぎて 社稷(しやしよく)のために 竭(つく)したる 君(きみ)がほまれは 千代朽(ちよく)ちず 62. 魁斗山上(くわいとさんじやう) 五妃(ごひ)の墓(はか) 寧靖(ねいせい)王(わう)の きさきたち 操(みさを)まもりて この土地(とち)に 果(は)てぬと聞(き)くも あはれなり 63. 全臺首學(ぜんだいしゆがく)と 記(しる)したる 大成殿(たいせいでん)の 建物(たてもの)は 公學校(こうがくかう)に 充(あ)てられて 今猶(いまなほ)吚唔(いご)の 聲(こゑ)を聞(き)く 64. 僭(せん)してここに 臺灣(たいわん)の 王(わう)と名(な)のりし 朱一貴(しゆいつき)が 住(す)みし昔(むかし)の 宮居(みやゐ)あり 今法院(いまはふゐん)を 此處(ここ)に置(お)く 65. そぞろに淚(なみだ) そのかみを しのびまつるも かしこしや 北白川(きたしらかは)の 宮殿下(きゆうでんか) ここにみまかり 給(たま)ひけり 66. 君(きみ)の敕(みこと)を うけたまひ 近衛(このゑ)の兵(へい)を ひきつれて 島(しま)を平(たい)らげ 給(たま)ひたる 親王(みこ)のみいさを 忘(わす)るなよ 67. 名(な)は安平(アンピン)と 聞(き)こゆれど 港(みなと)次第(しだい)に 埋(うづ)もれて 大船(たいせん)岸(きし)に つながれず 風波(ふうは)を凌(しの)ぐ 便(たよ)りなし 68. 赤崁(せきかん)城趾(じやうし)の 大榕(だいようじゆ) 遙(はる)か沖(おき)より ながめらる 海(うみ)を行(ゆ)くひと この樹(き)をば  目當(めあ)てとなして 往來(わうらい)す 69. これより海路(かいろ) 五十二浬(ごじふにり)  澎湖島(ばうこたう)なる 媽宮港(まきゆうかう) みなとの内(うち)は 水深(みづふか)く  大艦巨舶(たいかんきよはく) 泊(とど)むべし 70. 更(さら)に汽車(きしや)にて 中洲庄(ちゆうしうしやう) 車路墘(しやろけん)過(す)ぎて 大湖街(たいこがい) 半路竹(はんろちく)經(へ)て 阿公店(あこうてん)  橋仔頭(けうしとう)より 楠仔坑(なんしかう) 71. 東北(とうほく)指(さ)して 行(ゆ)くときは 蕃薯(いも)に名(な)を得(え)し 蕃薯寮(ばんしよれう) 樟腦(しやうなう)出(い)だす 甲仙埔(かうせんほ) 急(いそ)ぐ旅(たび)とて 立(た)ち寄(よ)らず 72. 舊城(きうじやう)過(す)ぎて 打狗港(たかおかう) 縱貫(じゆうくわん)鐵道(てつだう) ここに盡(つ)く 商船(しやうせん)常(つね)に 輻輳(ふくそう)し  百貨(ひやくくわ)は日々(ひび)に 山(やま)を為(な)す 73. なほも支線(しせん)に 乘(の)りかへて 三塊厝(さんかいせき)を 通(とほ)り過(す)ぎ 鳳梨(ヲンライ)出(い)づる 鳳山(ほうざん)に  曹公圳(さうこうしゆう)を 探(さぐ)るべし 74. 後庄(こうしやう)越(こ)えて 九曲堂(きうきよくだう) 一里(いちり)東(ひがし)に 阿緱街(あこうがい) 下淡水(しもたんすい)の 河口(かはぐち)に  東港(とうかう)といふ 港(みなと)あり 75. これより五里(ごり)の 海上(かいじやう)に かすかに見(み)ゆる 小琉球(せうりうきう) 長(なが)さは一里(いちり) 幅(はば)半里(はんり) 何(いづ)れの家(いへ)も 鹿(しか)を畜(か)ふ 76. 枋寮(ばうれう) 枋山(ばうざん) 楓港(ふうかう)と 海邊(うみべ)の路(みち)を 辿(たど)り行(ゆ)く 山(やま)はせまりて 海(うみ)をせめ 波(なみ)は激(げき)して 岩(いは)を嚙(か)む 77. 車城(しやじやう)に注(そそ)ぐ 四重溪(しぢゆうけい)  その川上(かはかみ)の 石門(せきもん)は 兩岸(りやうがん)いはほ そば立(た)ちて 恰(あたか)も門(もん)の 狀(さま)をなす 78. 明治七年(めいじしちねん) 我(わ)が軍(ぐん)が  頑強(ぐわんきやう)なりし 牡丹社(ぼたんしや)を 劇(はげ)しく攻(せ)めし 所(ところ)なり 途(みち)に記念(きねん)の 碑(ひ)を探(さぐ)れ 79. 皇澤(くわうたく)日々(ひび)に 霑(うるほ)ひて 學(まな)びの庭(には)に 蕃童(ばんどう)が われ劣(おと)らじと 集(つど)ひ來(き)て  御國(みくに)言葉(ことば)の 花(はな)ぞ咲(さ)く 80. 氣候(きこう)はいつも 暖(あたた)かに 春(はる)の如(ごと)しと 聞(き)こへたる 恆春(こうしゆん)街(がい)に いたりなば 求(もと)めて來(き)たれ 蝴蝶蘭(こてふらん) 81. ここにて西部(せいぶ) はてぬれば 海路東岸(かいろとうがん) さぐらんと たよりを待(ま)ちて 海濱(かいひん)の  大板轆(だいはんろく)を 船出(ふなで)せり 82. バシイ海峽(かいけう) 隔(へだ)てたる ルソンと遙(はる)か 相(あひ)むかふ 最南端(さいなんたん)の 鵞鑾鼻(がらんび)に 大燈臺(だいとうだい)を 設(まう)けたり 83. 鼻(はな)をまはりて 北方(ほくはう)に  船路(ふなぢ)をかへて 進(すす)み行(ゆ)く 海上遠(かいじやうとほ)く 紅頭嶼(こうとうしよ)  雲(くも)か山(やま)かと 薄(うす)がすむ 84. 島(しま)のめぐりは 九里(くり)あまり  太古(たいこ)のさまを 見(み)る如(ごと)き いとあはれなる 蠻民(ばんみん)が 二千(にせん)ばかりも 住(す)むと聞(き)く 85. やがて卑南(ピナン)に 寄港(きかう)せり 臺東一帶(たいとういつたい) 未開(みかい)の地(ち) 天與(てんよ)の遺利(ゐり)は そのままに 人(ひと)の來(き)たりて 取(と)るを待(ま)つ 86. 黑潮(くろしほ)に沿(そ)ひ 進(すす)みつつ 次(つぎ)に立(た)ち寄(よ)る 花蓮港(くわれんかう) 移民(いみん)の計畫(けいくわく) 歩(ほ)を進(すす)め 開拓(かいたく)事業(じげふ) 起(お)こりたり 87. これより沿岸(えんがん) 二十餘里(にじふより) 幾千尺(いくせんしやく)の 斷崖(だんがい)が 海(うみ)にせまりて 聳(そび)え立(た)ち 船(ふね)を寄(よ)すべき 所(ところ)なし 88. 蘇澚(そおう)の港(みなと)に 船(ふね)をすて 宜蘭(ぎらん)の平野(へいや)を 橫(よこ)ぎりて それより山路(さんろ) 分(わ)け入(い)らば 深坑(しんかう)地方(ちはう)に 到(いた)るべし 89. 濱邊(はまべ)の路(みち)を 越(こ)え行(ゆ)けば 三貂角(さんしようかく)は 右(みぎ)に出(い)づ 領臺役(りやうだいえき) まつさきに 近衛(このゑ)の軍(ぐん)の 上陸地(じやうりくち) 90. これより元(もと)へ 歸(かへ)る道(みち) 黃金(こがね)掘(ほ)り出(だ)す 牡丹坑(ぼたんかう) 尚(なほ)も瑞芳(ずいはう) 金瓜石(きんくわせき) 寶(たから)の山(やま)は 連(つら)なれり 終於弄完了,有夠長,希望沒有錯誤要再修改😅
@chihfeng1975
@chihfeng1975 5 күн бұрын
31~60番歷史假名遣歌詞 31. 楊梅壢(やうばいれき)より 大湖口(たいここう) 紅毛田(こうもうでん)を 過(す)ぎ行(ゆ)けば はや著(つ)きにけり 新竹(しんちく)に  ここは昔(むかし)の 竹塹埔(ちくざんほ) 32. 清(しん)の雍正(ようせい)元年(ぐわんねん)に 淡水廳(たんすいちやう)を 置(お)かれけり 城壁(じやうへき)の跡(あと) 猶(なほ)殘(のこ)り 舊刹(きうさつ)古廟(こべう) 亦(また)存(そん)す 33. 市街(しがい)の西方(せいはう) 約半里(やくはんり) 尖筆山(せんぴつざん)の いただきに 北白川(きたしらかは)の 宮殿下(きゆうでんか) 御露營(ごろえい)ありし 遺跡(ゐせき)あり 34. 新埔(しんぽ)は蜜柑(みかん)の 本場(ほんば)にて 北埔(ほくぽ)に椎茸(しいたけ) 多(おほ)く出(い)づ 香山(かうざん)中港(ちゆうかう) 過(す)ぎぬれば 次(つぎ)は造橋(ざうけう) 後壟(こうろう)よ 35. 後壟溪(こうろうけい)の 鐵橋(てつけう)を 渡(わた)れば此處(ここ)は 苗栗(べうりつ)ぞ 石油(せきゆ)の產地(さんち) 出礦坑(しゆつくわうかう)  これより四里(より)の 奧(おく)にあり 36. 銅鑼灣(どらわん) 三叉河(さんさほ) 後里庄(こうりしやう) 米(こめ)の產地(さんち)と 名(な)も高(たか)き 葫蘆墩(コロトン)驛(えき)の 近傍(きんぱう)に 製麻(せいま)會社(ぐわいしや)を 見(み)て行(ゆ)かん 37. 此處(ここ)まで數里(すうり)の その間(あひだ) 地勢(ちせい)嶮岨(けんそ)の その上(うへ)に 大安(たいあん)大甲(たいかふ) 二溪(にけい)あり 箱根(はこね)のトンネル 想(おも)ひやる 38. 林投(ナアタウ)編(あ)みて 作(つく)るてふ 淡水帽(たんすいぼう)の 產地(さんち)なる 大甲(たいかふ) 通宵(つうせう) 宛里(ゑんり)など 海邊(うみべ)に近(ちか)き 土地(とち)にあり 39. 潭仔墘(たんしけん)經(へ)て その次(つぎ)は 中部一(ちゆうぶいち)なる 臺中(たいちゆう)よ 清朝(しんてう)かつて この土地(とち)に 臺灣府(たいわんふ)をば 置(お)きたりき 40. 明治四十一年(めいじよんじふいちねん)に はじめて成(な)りし 鐵道(てつだう)の 全通式(ぜんつうしき)を 擧(あ)げたりし 此處(ここ)の公園(こうゑん) 眺(なが)めよし 41. 陶器(たうき)を出(い)だす 南投(なんとう)へ 輕便(けいべん)鐵道(てつだう) 敷(し)かれたり 本島無二(ほんたうむに)の 別天地(べつてんち) 埔里(ほり)社(しや)はなほも 奧(おく)と聞(き)く 42. 流石(さすが)に猛(たけ)き 霧社蕃(むしやばん)も 馘首(くわくしゆ)の刃(やいば) うちすてて 厚(あつ)きめぐみを 慕(した)い來(く)る 蕃(ばん)產物(さんぶつ)の 交換所(かうくわんじよ) 43. 日月潭(じつげつたん)の 勝景(しようけい)は 蓬萊山(ほうらいさん)も よそならず 綠(みどり)のかげには 鳥歌(とりうた)ひ 瑠璃(るり)の水(みづ)には 魚躍(うをおど)る 44. 烏日(うじつ)過(す)ぐれば 大肚(たいと)なり 米(こめ)の集散(しふさん) おびただし ここに河(かは)あり 大肚溪(たいとけい) 水(みづ)に遊(あそ)ぶは 水牛(すいぎう)よ 45. 龍車(りゆうしや)に向(む)かふ 蟷螂(たうらう)が 斧(をの)を微塵(みじん)に 碎(くだ)かれし 彰化(しやうくわ)の東(ひがし) 八卦山(はつけさん) 中臺(ちゆうたい)平野(へいや) 一(ひと)ながめ 46. 茄苳脚(かとうきやく)の その次(つぎ)に  バナナ 朱欒(ザボン)の產地(さんち)なる 員林(ゐんりん)過(す)ぐれは 社頭(しやとう)なり 田中央(でんちゆうあう)經(へ)て 二八水(にはちすい) 47. 全島一(ぜんたういち)の 大河(たいが)とて 音(おと)に聞(き)こえし 濁水溪(だくすいけい) 大雨(だいう)至(いた)れば たちまちに 平野(へいや)變(へん)じて 海(うみ)となる 48. 林内(りんない)過(す)ぎて 車窗(しやさう)より かすかに見(み)ゆる 新高(にひたか)の 山(やま)の高(たか)きは 日本一(にほんいち) 明治(めいじ)の帝(みかど) 名(な)を賜(たま)ふ 49. 雲林(うんりん)今(いま)は 斗六街(とろくがい) 土匪(どひ)のさわぎに 大方(おほかた)は 兵火(へいくわ)の災(わざ)に 罹(かか)りにき  他里霧(たりむ)の次(つぎ)は 大莆林(たいほりん) 50. 打貓(ためう)の西方(せいはう) 三里(さんり)なる 北港街(ほくかうがい)の 媽祖宮(まそきゆう)は 四方(よも)の信仰(しんかう) 厚(あつ)きこと 本島一(ほんたういち)と 聞(き)こえたり 51. 林爽文(りんさうぶん)の 騷亂(さうらん)に 時(とき)の帝(みかど)が 住民(ぢゆうみん)の 義勇(ぎゆう)嘉(よ)みして つけられし  嘉義(かぎ)の譽(ほまれ)は 碑(ひ)に殘(のこ)る 52. 此處(ここ)に至(いた)らば 農會(のうくわい)の 苗圃(べうほ)に足(あし)を 運(はこ)ぶべし 小河(をがは)めぐれる 丘(をか)の上(うえ) 見渡(みわた)すかぎり 檳榔子(びんらうじ) 53. 大森林(だいしんりん)の 阿里山(ありさん)は これより數里(すうり) 奧(おく)にあり 枝(えだ)を交(まじ)ふる 木々(きぎ)の蔭(かげ) 晝(ひる)猶暗(なほくら)く ものすごし 54. 鐵道線路(てつだうせんろ)の 右側(みぎがは)に 立(た)つる目標(めじるし) 見(み)おとすな 北回歸線(きたくわいきせん) このあたり  はや熱帶(ねつたい)の 客(きやく)となる 55. これより南部(なんぶ) おしなべて 甘蔗(かんしや)の畑(はたけ) 打(う)ち続(つづ)き 製糖會社(せいたうぐわいしや) そこここに 煙突(えんとつ)高(たか)く 競(きそ)ひ立(た)つ 56. 水堀頭(すいくつとう)より 後壁寮(こうへきれう) 新營庄(しんえいしやう)の 西方(せいはう)に 鹽水港(えんすいかう)の 市街(しがい)あり 布袋嘴(ほていし)よりは 鹽產(しほさん)す 57. 林鳳營(りんほうえい)經(へ)て 蕃仔田(ばんしでん) 灣裡(わんり)を過(す)ぎて 新市街(しんしがい) 大目降(たいもくかう)は この東(ひがし) 糖業試驗所(たうげふしけんじよ) 設(まう)けらる 58. 南部(なんぶ)のみやこ 臺南(たいなん)は 本島中(ほんたうちゆう)に ふるくより 開(ひら)けし地(ち)とて 人多(ひとおほ)く 名所舊跡(めいしよきうせき) 亦多(またおほ)し 59. 陸軍(りくぐん)衛戍(ゑいじゆ)病院(びやうゐん)は オランダ人(じん)の 築(きづ)きたる 赤崁樓(せきかんろう)の ありし跡(あと) 三層樓閣(さんそうろうかく) 聳(そび)えたり 60. 鄭成功(ていせいこう)を 祀(まつ)りたる 延平王(えんぺいわう)の 祠(やしろ)あり 領臺以後(りやうたいいご)に 改(あらた)めて 開山(かいざん)神社(じんじや)と 稱(しよう)せらる
@chihfeng1975
@chihfeng1975 5 күн бұрын
這歌詞實在太長了,我校正了1~30番的歌詞,如下: 《臺灣周遊唱歌》(明治43年、1910年) 作詞:宇井 英 作曲:高橋 二三四 (漢字は旧字体で表示する、又、振り仮名や送り仮名等も歴史的仮名遣いで表示する) 1. 國光四海(こくくわうしかい)に かがやきて 東亞(とうあ)の空(そら)に 霸(は)をなせる 我(わ)が日(ひ)の本(もと)の 新領土(しんりやうど) 臺灣島(たいわんたう)を さぐり見(み)ん 2. 南北(なんぼく)長(なが)さ 一百里(いつぴやくり) めぐりは二百九十餘里(にひやくくじふより) 小島(こじま)あはせて その廣(ひろ)さ  九州島(きうしうたう)と ほぼひとし 3. 山(やま)に金銀(きんぎん) 海(うみ)に鹽(しほ) 製茶(せいちや)製糖(せいたう) 果實類(くわじつるい) 水田(みづた)に稻(いね)は 二度(にど)みのる げに帝國(ていこく)の 無盡藏(むじんざう) 4. 基隆港(きいるんかう)の あさぼらけ 登(のぼ)る朝日(あさひ)の てりそひて 輝(かがや)きわたる そのながめ フオルモサの名(な)も 徒(ただ)ならず 5. 最北門(さいほくもん)の 鎖鑰(さやく)にて 母國(ぼこく)に渡(わた)る 唯一(ゆいいつ)の 要津(えうしん)なれば 朝夕(てうせき)に 出船(でふね)入船(いりふね) 絕(た)え間(ま)なし 6. いざや西部(せいぶ)を めぐらんと 汽笛一聲(きてきいつせい) 進(すす)み行(ゆ)く 八堵(はつと)七堵(しちと)の 次(つぎ)は五堵(ごと) 水返脚(すいへんきやく)の 小市街(せうしがい) 7. 附近(ふきん)の山(やま)に 石炭(せきたん)の 多(おほ)く出(い)づるを 語(かた)りつつ 南港(なんかう)錫口(しやくこう) たちまちに はや臺北(たいほく)に 著(つ)きにけり 8. 四面(しめん)は山(やま)に かこまれて 地勢(ちせい)京都(きやうと)に さも似(に)たり おのづからなる 城壁(じやうへき)は げに萬世(ばんせい)の かためなり 9. 君(きみ)が御稜威(みいつ)に 高砂(たかさご)の 浦回(うらわ)の風(かぜ)も をさまりて ここに開(ひら)けし 總督府(そうとくふ) 文武(ぶんぶ)の機關(きかん) そなはれり 10. 市街(しがい)の規模(きぼ)は 宏大(くわうだい)に 道路(だうろ)平坦(へいたん) 砥(と)の如(ごと)く 下水工事(げすいこうじ)に 至(いた)るまで 水(みづ)ももらさぬ たくみなり 11. 幾百年後(いくひやくねんご)の 膨脹(ばうちやう)を  かねてはかりて 定(さだ)めたる 市區改正(しくかいせい)の 雄々(をを)しさよ 想(おも)ひやるだに たのもしや 12. 支線(しせん)に乘(の)りて 圓山(まるやま)の 臺灣神社(たいわんじんじや) をがみつつ 基隆川(きいるんがは)を うちわたり 昔(むかし)をしのぶ 劍潭寺(けんたんじ) 13. 夙(つと)に學者(がくしや)の 淵藪(えんそう)と 稱(とな)へられたる 士林(しりん)には 遭難(さうなん)六氏(ろくし)の 碑石(ひせき)あり 芝山巖頭(しざんがんとう) 香(か)をとどむ 14. 硫黃(いわう)を出(い)だす 北投(ほくとう)は 音(おと)に聞(きこ)ゆる 温泉場(をんせんば) 湯(ゆ)浴(あ)みする人(ひと) 遊(あそ)ぶひと 常(つね)に絕(た)えずと 聞(き)くぞかし 15. 左(ひだり)に高(たか)きは 大屯山(だいとんざん) 右(みぎ)に低(ひく)きは 紗帽山(しやぼうざん) 群(むら)がる山(やま)の その奧(おく)に 秀(ひい)でで見(み)ゆる 七星山(しちせいざん) 16. 江頭(カンタウ)過(す)ぎて 川岸(かはぎし)に 沿(そ)ひつつ行(ゆ)けば 淡水港(たんすいかう) 河畔(かはん)の丘(をか)に いかめしき 建物(たてもの)多(おほ)く 聳(そび)えたり 17. 屋上(をくじやう)高(たか)く ひるがへる 同盟國(どうめいこく)の 旗(はた)じるし 問(と)はぬ先(さき)にも 知(し)られたり 大英國(だいえいこく)の 領事館(りやうじくわん) 18. 三百年(さんびやくねん)の その昔(むかし) 萬里(ばんり)の波(なみ)を 凌(しの)ぎ來(き)て 武威(ぶゐ)を振(ふる)ひし イスパニヤ サンチヤゴ城(じやう) 此處(ここ)に建(た)つ 19. 後(のち)にオランダ 來(き)てりしが 鄭氏(ていし)代(か)はりて これに據(よ)る 榮枯(えいこ)はうつる 世(よ)のならひ 英雄(えいゆう)のあと 今(いま)いづこ 20. 樓(ろう)に登(のぼ)りて 見渡(みわた)せば 舳艪(じくろ)つらねて うち集(つど)ふ 唐船(もろこしぶね)の 數(かず)知(し)らず 觀音山下(くわんおんざんか) 畫(ゑ)の如(ごと)し 21. 此處(ここ)の港(みなと)を 船出(ふなで)して 海路(かいろ)僅(わずか)に 二百餘浬(にひやくより) その日(ひ)の中(うち)に 對岸(たいがん)の 廈門(アモイ)の港(みなと)に 著(つ)かるべし 22. 再(ふたた)び歸(かへ)りて 本線(ほんせん)に  うつれば忽(たちま)ち 艋舺(マンカ)驛(えき) 新店川(しんてんがは)の 鐵橋(てつけう)も またたくひまに うち渡(わた)る 23. 富豪(ふがう)林氏(りんし)の 邸宅(ていたく)の 甍(いらか)つらねて 構(かま)へたる 枋橋(ハンケウ)越(こ)ゆれば 樹林(じゆりん)なり  山仔脚(サンシキヤク)經(へ)て 鶯歌石(オウカセキ) 24. 鳥(とり)のかたちに よく似(に)たる 巨石(きよせき)はたてり 山腹(さんぷく)に 鄭軍(ていぐん)砲(はう)を うちし時(とき) 頭(かしら)缺(か)けぬと 言(い)ひ傳(つた)ふ 25. 三角湧(さんかくゆう)は この奧(おく)へ 一里(いちり)あまりの 小市街(せうしがい) 製腦(せいなう)事業(じげふ) 見(み)ん人(ひと)は さらに山路(やまぢ)を 辿(たど)るべし 26. 春桃園(はるたうゑん)の 樂鄉(らくきやう)に 遊(あそ)ぶもうれし 秋(あき)は又(また) 大嵙崁(だいこかん)なる 山奧(やまおく)に 奇巖(きがん)を見(み)るも おもしろし 27. 蕃界(ばんかい)近(ちか)く 踏(ふ)み入(い)れば 兩岸(りやうがん)險(けは)しき 谷川(たにがは)に 藤(とう)にて造(つく)れる 吊(つ)り橋(ばし)の あやふくかかる 所(ところ)あり 28. 北部諸山(ほくぶしよざん)の 生蕃(せいばん)を 防(ふせ)ぐためとて 要所(えうしよ)には 鐵條網(てつでうまう)を 張(は)り渡(わた)し 隘勇(あいゆう)線(せん)を 設(まう)けたり 29. 崁仔脚(かんしきやく)をば 後(あと)にして 中壢街(ちゆうれきがい)を 過(す)ぎ行(ゆ)けば 四面(しめん)の畑(はたけ)は みな茶(ちや)の樹(き)  安平鎮(あんぺいちん)の 製茶場(せいちやぢやう) 30. 本島特產(ほんたうとくさん) 烏龍(ううろん)茶(ちや) なほも紅茶(こうちや)の 實況(じつきやう)を 知(し)らんと想(おも)ふ 人(ひと)あらば 必(かなら)ずくぐれ この門(もん)を
@user-xs8dx4ry3w
@user-xs8dx4ry3w 5 күн бұрын
素晴らしい歌唱ですね。どなたが歌ってあるのかご存知のかた、コメントをぜひお願いいたします。
@user-sq8lw9wo8q
@user-sq8lw9wo8q 6 күн бұрын
エンジンの音だぁ馬鹿者!!英語じゃねぇか!!動力の音と言え!!この非国民が!!!😡
@chihfeng1975
@chihfeng1975 6 күн бұрын
這歌詞送假名用歷史假名遣,但振假名卻用現代假名遣? 有很多的ふ其實都是讀成現代的う… 反而覺得連振假名都用歷史假名遣的話還有一點時代感😂 不過用歷史假名遣對只懂現代日語的人可能會看不懂就是了,如後壁寮讀成「こうへきりょう」,但是歷史假名遣會變成「こうへきれう」😂
@user-ok6os5cv9h
@user-ok6os5cv9h 10 күн бұрын
祖父が唄ってました😂初めて本物聴きました、感激!
@user-ok6os5cv9h
@user-ok6os5cv9h 11 күн бұрын
本物初めて聴きました。お客様が歌うのは聴いたことありました。感激!
@AngeloIgnacio-k2o
@AngeloIgnacio-k2o 13 күн бұрын
非英雄: 高校船 ヒーロー: 英雄の槍 盾の勇者 弓術の英雄
@drawing_reichtangle
@drawing_reichtangle 16 күн бұрын
12:08 日本人完全沒有避諱雲林大屠殺這件歷史。
@user-ev8fn7fd1s
@user-ev8fn7fd1s 16 күн бұрын
靖国神社の前で歌いたい
@user-fe3cr2en6e
@user-fe3cr2en6e 17 күн бұрын
トルメキアのグライダーはドイツ軍のギカントそっくりでグライダーで戦車運ぶ運用方法も似ていますね。未来少年コナンでは本当にギガントという名前でした。 トルメキア軍の戦車は3号、4号突撃砲撃に似ていますね。