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二代目 羽黒山
4 жыл бұрын
Пікірлер
@スズキコジロー
38 минут бұрын
優勝パレードの付き人って水戸泉かな?
@北林俊文
Күн бұрын
ファンでした。最大の優勝のチャンスは、昭和43年春場所!千秋楽で若浪にまさかの平幕優勝を許してしまいました。
@rcnbjjvmh
Күн бұрын
大分県の裕福な家庭に育った、上品さがありますね。源田さんも故郷の英雄を見習いましょう。
@関西の三重生まれ男9997
2 күн бұрын
愛知(中日)嫌い男より。北の湖勝て
@平井浩二-q5y
3 күн бұрын
いい時代でしたね 表 裏 人生いろいろ 付き人は大変 パワハラやりたい放題 殴る 蹴る 恐ろしいことが多くありましたね
@河﨑和夫
4 күн бұрын
明歩谷、千代の富士、さらに千代の山は顔立ちに共通点がありアイヌ人の血が入っていると言われたものだ。筋肉が付きやすいが脂肪が付きにくい体質も共通。明歩谷は114キロしかなく、そのままプロレスラーになれると来日したアメリカのプロレスラーも言ったくらい。ゼブラキッドと言う160キロのプロレスラーがぶつかり稽古を明歩谷に教わったが当たってもビクともせず、ヘロヘロになったそうだ。プロレスラーは足の筋肉に比べて上半身に肉も脂肪も付きやすく、瞬発力が必要な相撲には向いてない体でぶつかり稽古は負担。然し相撲が好きな来日レスラーも多い。明歩谷はソ連巡業に参加して列車の中で女性車掌を引っ張り込んでやってしまったという噂がある。銀座のホステスにも大人気。現在でも女性がキャーキャー騒ぐだろうな
@平井浩二-q5y
8 күн бұрын
性格はハッピーで最高に良かったですね 一度 稽古つけてもらいましたが 大きな壁でしたね ありがとうございました
@今年はちゃたろ
8 күн бұрын
南海の黒豹? K-1のレイセフォー? ソレで良いのか? 日本人を語るなら、 先ず凶戦士の類でしょう? でないと大関異常は無理さよ?
@great.hansen
10 күн бұрын
金城戦のとったりは、プロレス技の脇固めみたい。
@竜一-g3e
11 күн бұрын
大関になれなかったのが不思議。クールなカッコいい力士でした。
@センチュリオン-d6k
16 күн бұрын
78歳の私は初代若乃花の大ファンでした。 久しぶりに昔のよびもどしを見られて感無量です。
@ibar3793
17 күн бұрын
評判の良い力士でした。杉山アナウンサーがとある雑誌に「インタビューの対応がいつも丁寧で理路整然としていた。」「一昔前に、勝てば『まぐれ』負ければ『弱いから』の二通りの答え方しかしない横綱がいて、栃東関の鼻糞でも煎じて飲ませたかった。」と書いていました。
@江川利文
17 күн бұрын
北葉山関といえばやっぱりモミアゲですね。
@李建華-u9s
17 күн бұрын
我希望相撲手小錦在耳邊境外出席活動肝火旺盛一刻光輝一刻往往不知道巫術這家公司法定機構指澤❤❤😂😂🎉🎉😢😮😅😊😅😢❤❤❤❤❤😂😂🎉🎉
@成行脇本
18 күн бұрын
平幕優勝!勝負に勝って😮優勝!誰も何も口は出せない!佐田の山さんも若浪さんも!みんな!偉い!!
@成行脇本
18 күн бұрын
大好きな力士!麒麟児さんも!2人とも、取りやすかったと思う🎉
@成行脇本
18 күн бұрын
さ
@いちべぇ-s6c
19 күн бұрын
僕の中学生時代のヒーローです。今と違って相撲がめちゃくちゃ面白かった時代。魅力的な力士が軒並み居られ相撲シーズンになったら家族してテレビにかじりついて貴ノ花が勝ったら手を叩いて喜んで視聴していました。横綱輪島に憎たらしいくらい強かった横綱北の湖に小兵故に土俵を丸く丸く残して残して勝っても負けても大声援だった悲劇の大関貴ノ花。優勝決定戦で北の湖に勝って優勝した時は友達も喜びまくっていました。懐かしい映像涙が出ました。ありがとうございます。🥲😅
@中野智司-v5l
19 күн бұрын
50年相撲を見てきた中で最高に感動した力士。
@カール-c6d
19 күн бұрын
陸奥嵐の吊りは豪快でしたね。荒々しい感じの吊りでした。 いつもアゴを上げて胸を出しての立ち合いなんで、押し相撲には弱かった気がします。
@mamiz2203
19 күн бұрын
器用な力士ではなかつたけれど、大鵬、柏戸には力負けしなかった。
@mamiz2203
21 күн бұрын
当時は惜しくも横綱にはなれなかったが、琴ケ濵をはじめ、若羽黒、三根山、栃光、北葉山、松登、大内山等個性派力士がたくさんいました。
@海ゆかば-p1k
22 күн бұрын
子供の頃見てました。大内山よく知ってますよ。
@haruto51-x9q
22 күн бұрын
押し相撲の基本に徹した 富士錦 うっちゃり得意の怪力男 若浪 小兵の正統派 栃東 誰が言ったかホラ吹き 金剛 正攻法の四つ相撲 長谷川 外国人関取 高見山
@fumizuki6550
22 күн бұрын
豪快だなぁ!! この頃の人たちは、まったくと言って良いほど手を付かないのね😅
@ibar3793
22 күн бұрын
「お相撲さん、その世界」という本を読んだ。「富士桜は新弟子時代に泣きながらぶつかってきた。これは強くなると思ったね。」とある親方が言ったそうな。それと富士桜関は「四つ相撲」になったら序二段レベルだったとか。だから親方が「突っ張り」に専念させた、とよく書かれていた。
@チュンタイタン
24 күн бұрын
確かに若羽黒は角界の問題児やったけど、この当時の相撲界で自分の言いたいことをズバズバ言う、はっきりと自己主張する、そういう考えを持った若羽黒はある意味貴重な存在やと思うけどな❗
@ibar3793
24 күн бұрын
弟が富士桜関の贔屓で、私は黒姫山関のヒイキでした。雑誌「大相撲」では「インタビューで見たい顔」と書かれていて、どちらも赤子のようなハジケル笑顔が何とも可愛くて尚更応援していました。
@opus1009
24 күн бұрын
殊勲賞と敢闘賞を4回ずつ獲得しているのに 技能賞が一度もないところが栃赤城らしい。 彼のサーカス相撲は他の力士達の手本となる 技能ではなく、あくまで我流だった。 幕下に落ちても引退できなかったのは気の毒。 盛り上げてくれた功労者の一人なのにね。 協会は株が全てなのだろう。
@三羽の燕
24 күн бұрын
歌声はこ助平
@笠原哲郎
24 күн бұрын
当時でも明らかに小型の力士なのに、自分よりも大きな相手でも高々と吊り上げる。 自分が大相撲を見始めた昭和50年頃は既に現役晩年だったが、細身でも吊り出しを得意とした大関貴ノ花と同様、何であんなことができるのか、子供心に不思議だった。
@ibar3793
25 күн бұрын
大相撲ダイジェストの解説、歯切れがよく(1980年前後は皆上手かった)明快で格好良かった印象あります。雑誌に「琴桜ほどひた向きな努力をしなかった。長谷川はバカになりきれなかったのだ」とも書かれていた記憶があります。(けなしている気は全然ありません。)
@ibar3793
25 күн бұрын
優しい顔して怪力の持ち主(握力100㎏)でしたね。黒姫山を贔屓ヒイキとしてましたが、前みつをとられてよく負けてました。それと、この人の床山さん、ナンバーワンの腕前だったとか。
@ibar3793
25 күн бұрын
テレビで神風さんが「(二代目と)取り口が全然違いましたよ・・頭からブチかましてきて、四つに組んだらすぐに内掛けできました・・」とあの歯切れのよい名調子で語っていたのを覚えています。
@NN-sc7id
27 күн бұрын
大好きな力士で紳士的な相撲で好感を持てた!
@aribaba21
28 күн бұрын
抜群の運動神経とスピードで巨漢力士を圧倒する姿は、まるで闘牛士みたいな印象でした。 未だに大好きな力士の1人です。
@山口桂-f9l
28 күн бұрын
千代の富士関は昭和後期から平成初期の大横綱。時代としてもすごく良かったと思っています。千代の富士の土俵入りと言えば高く上げる足。大鵬親方が土俵入りで足を高く上げるのは意味無いと言ったことがありましたが、大鵬親方の言葉は正論ではあるけど、千代の富士関は観に来たお客さんやテレビ視聴者のことを考えている。もし、千代の富士関が高く上げることを止めた場合、大鵬親方はじめ親方は正常と思ったとしてもファンはがっかりする。つまり、千代の富士関はテレビが当たり前の時代の力士で見ている人のことを意識していた大横綱だと思います。大鵬親方をテレビ時代だけど、考え方はテレビ以前の時代の考え方。その違いはあったと思います。千代の富士がもし、テレビ以前の横綱だったなら、千代の富士の土俵入りは現在の私達ほどの評価はされなかかったと思います。
@austinstonecold5502
28 күн бұрын
襲名しなければよかったのに
@joemax6916
Ай бұрын
力士になりたくて、でもこれと言ったコネもなければアポもない。とにかく両国に行けば何とかなるだろうと電車に乗って両国駅へ。 駅から相撲部屋が見えたので、立浪部屋と時津風部屋だった、そこを訪ねて入門を直訴した。だけど今親方がいないからとかいう理由で両部屋で断られた。 どうしようかな、と公園で思案していると5,6人の力士たちがやってきた。彼らをつかまえ入門を話すと「じゃあ俺たちから親方に話してやるからついてきな」 連れていかれた先が二所ノ関部屋だった。 二所ノ関部屋もいい力士を得たものである。
@松浦初江-w9l
Ай бұрын
千代の富士の土俵入りは、ホントに足が高く上がりきれいで力強くて、毎回、かかさずに楽しみに見てました。死に急ぎました。
@harry88-d1o
Ай бұрын
ずっと前に亡くなった祖母が、昔、大内山が地元に巡業に来ていたとき、トイレから出てきたのと出くわし、化け物かと驚愕したそう。 NHKのインタビューでは、自分の身長は196~8です、と言っていたそうです。謙遜ですかね。プロレス全盛期なら必ずスカウトされてた でしょうね。
@バナザード
Ай бұрын
自分のお爺ちゃんが高見山の大ファンでその弟子の曙が大関横綱に昇進した時は本当に喜んでいたのを思い出した。
@江戸川てんやわんや
Ай бұрын
35:39 昭和相撲史の最高のクライマックス❗️
@joemax6916
Ай бұрын
彫の深い端正なマスクは女性ファンが多く、外人女性にも人気があったと聞いています。
@joemax6916
Ай бұрын
親方になってからテレビドラマやCMによく出ていた芸達者でした。 ドラマでは下手な俳優よりも演技力がありました。
@user-kz7ol6lh5d
Ай бұрын
小学生の頃、出羽の花のファンでした。
@しきしま-v6p
Ай бұрын
私は栃錦の大ファン。あの気魄、鋭い眼光、磐石不動の足腰。仕切っている時の気魄は尋常ではなかった。時間前に相手が何時立っても即応出来る態勢をとっていた。 相撲は、相手が誰だろうが一分の隙もない気魄相撲。寄られても土俵を割らず、投げられても倒れず、最後の最後迄勝負を諦める事のない、攻防火を吐く内容だった。。 又、初日から二連敗した後、桜の花が散るようにスパッと引退した。現代の横綱の様に、負け続けていながら、その地位にしがみつき、 中には、軍配があがったにも関わらず、土俵上に突っ立って行司軍配に抗議する等と言った<無作法、破廉恥>な姿等は微塵もなかった。 立ち居振舞い、挙措動作、出処進退全てに亘って『日本大相撲の精神―相撲道』を体現した、文字通りの『不世出の名横綱』だった❗
@たかのりだいらく
Ай бұрын
私にとって、大相撲の最強横綱は千代の富士です。強いしなにより格好いいの一言です。後は、個人の的に若隆景応援しています。
@ホーキングシュワシュワ
Ай бұрын
ウーン とても懐かしい みな見覚えがある 吉葉山 鏡里 千代の山 栃錦 大内山 安念山 羽島山・・・ ウーン懐かしい 一生懸命白黒テレビで応援した 場所けいこでは子供心に印象強かった ぶつかり稽古が凄かった ウーン 懐かしい ありがとうございました
@上原和人-i8m
Ай бұрын
豊山が大関に昇進して5大関になりましたが、横綱柏戸を含めた6人の中で、大鵬とガップリ四つになって対抗できるのは豊山だけといわれたものです。でも腰を痛めて未完に終わりました。私と同郷なのでとても残念に思ったことを覚えています。なお、あまり知られていませんが、この人以前にも「豊山」という同名の力士が昭和20年代に幕内にいました。たしか伊勢ノ海部屋所属だったように思います。