「みちのくの旅」No.1486_2
2:56
9 сағат бұрын
「安藤親分ついに逮捕」No.235_3
1:38
「帰ってきた密出国者」No.235_1
2:18
「お寺の発掘」No.0004_6
0:44
16 сағат бұрын
「タコの厄日」No.0004_5
0:34
16 сағат бұрын
「陸鷲大爆撃行」No.CFNH(C)-0078_8
1:37
Пікірлер
@ひろひろ-x9x
@ひろひろ-x9x 3 ай бұрын
占領地を独占するのではなく独立させていたら違う結末になっていた
@大野長八おおのちょうはち
@大野長八おおのちょうはち Жыл бұрын
いいね‼️
@学祭王
@学祭王 Жыл бұрын
水ダウから来ました。
@powerboss-c9s
@powerboss-c9s Жыл бұрын
赤っ恥の津軽選挙事件!
@radioclub9657
@radioclub9657 Жыл бұрын
この事件が、社会党・総評ブロック崩壊の引き金になりましたね。
@浩二山口-s8f
@浩二山口-s8f Жыл бұрын
西本さんの辞書に日本一という文字は無いんですかね📖
@浩二山口-s8f
@浩二山口-s8f Жыл бұрын
星野さん22番ですね⚾
@旅名人
@旅名人 Жыл бұрын
地元出身の陸軍伍長がニュージョージア島ムンダで戦死しているため、どんな戦争だったのか気になっていました。貴重な映像をありがとうございます
@原田寛-e3u
@原田寛-e3u Жыл бұрын
この翌年の参議院選挙で、新自由クラブは惨敗して 西岡幹事長は離党、社会党も江田三郎氏らが離党して 社会市民連合(後の社会民主連合)を結成して凋落の一途を辿る事になる。
@tomkoro
@tomkoro 2 жыл бұрын
当たり前だけどみんな若いし可愛いなぁ
@肝っ魂母ちゃん
@肝っ魂母ちゃん 2 жыл бұрын
因みに正寿ちゃん終演の地と成った渋谷区東三丁目公衆トイレはその後も長く現場に残っていたが、一昨年に改装が施され真っ赤で綺麗な公衆トイレに姿を変えている
@kenichiro_uesugi
@kenichiro_uesugi 2 жыл бұрын
「風船おじさん」の事、鈴木嘉和氏はこれをマネしようとしたのかな? こっちは杜撰な装備で行方不明になってしまったが・・・。
@feAt.tAkuyA
@feAt.tAkuyA 2 жыл бұрын
この頃の日本は、ただ英国に頼っただけでなく下瀬火薬という自国で画期的な最新の火薬を発明したり、また日露戦争が勃発する前から明石元二郎はロシアの動向を探る諜報活動を行い、戦争勃発後はロシア支配下の反ロシア勢力へ接触し、情報取集や様々なサボタージュを行うなどロシア国内の混乱をもたらす工作を仕掛けたり、アジアの小国ながら日本は最大限の努力を行った結果なんとかロシアに勝つ事ができた。日本人すべての努力なくしてあの勝利はなかった。 ところが日本海海戦でパーフェクト勝利で収めた連合艦隊はその有用性を常態化させるため大正時代に連合艦隊を正規の戦力とし、さらに資源のない日本で貴重な鉄鋼資源を海軍が貰う比率を上げるよう陸軍に要求しそれを陸軍に飲ませた。その結果、日本陸軍の近代化が遅れ、その負の皺寄せが後に大東亜戦争で露わとなってしまった。しかも連合艦隊の艦船の多くは海中に没し、回収不可能だから再利用できるわけも無く、また対日禁輸に遭い長期戦になればなるほど不利なのが判っていたはずなのに、石油も鉄鋼も一番浪費する連合艦隊は一番肝心なところで決戦を避け、さらに相手と自分たちの戦力を比較すれば絶対に負けるはずがないミッドウェー海戦で惨敗するという醜態をやらかした結果、日本を二度と立ち直れないほどの敗戦にまで追い込んだ原因を作ったのが日本海軍の愚かさ。 しかも陸軍と海軍が協議する大本営では、海軍はメンツを保つためそれら不都合な事実をひた隠しにし陸軍へ嘘をつき通した。陸軍は海の遥か向こうの出来事を確かめようがないので海軍の言ったことを鵜呑みにするしかない。こうして近代国家では稀なほど陸軍と海軍は協調性を欠き、すでに当時から陸海軍の不仲を揶揄する流行り言葉が生まれていたほど。帝国日本の失敗は朝鮮へのインフラ整備に日本の国家予算の多くを割いてまで投資してしまったことも小さくない。これは国民の血税で賄われる国費を海外へ垂れ流しにしてる現在の日本も変わらない。とにかく日露戦争までは日本はマトモな国だった。
@普通のおじさん-i1h
@普通のおじさん-i1h 2 жыл бұрын
波力発電、自給自足、海底牧場。アクアポリスの技術を本気で 継承研究してれば素晴らしい未来になったと思う。
@kagonaka
@kagonaka 3 жыл бұрын
東大OBの中日の井手が出場したので、辛くも六大学が揃った。
@yos-bm7ij
@yos-bm7ij 3 жыл бұрын
2021年と変わらないね・・・
@galaxy-bw4oh
@galaxy-bw4oh 3 жыл бұрын
この時はまだ白黒映像でしたか…時代を感じます。
@kamakura014
@kamakura014 3 жыл бұрын
懐かしい映像です、デイリー房州、滝口多美さん、立派な方で印刷工場の外で鍋でニカワとインクを煮ていました。
@小林照幸-r3z
@小林照幸-r3z 3 жыл бұрын
残念ながら映像は普通の水平爆撃しか見えず、反跳爆撃の様子は見えない。 秘密の新戦法だったということか。 しかし参加機がA-20、B-25、ボーファイターだったらしいことはわかる。 おそらく反跳爆撃の爆弾は後ろのフィンが取り払われていたのではないかと思うのだが。 このときは日本軍の反攻攻勢の試みで、上空にはかなりの直掩戦闘機がいた。 しかも攻撃時はちょうど直掩機の交代タイミングで、任務を終えて帰る直前の隊と到着したばかりの隊、通常の2倍の戦闘機がいた。 それをまず高高度水平爆撃を先行させて直掩機を高空に吊り上げ、低空を進む本命の反跳爆撃隊は先頭にボーファイターを立て、続く爆撃機もA-20G、B-25Jなど強力な前方火力を備えて対空砲火を制圧し、爆撃機としては比較的高速で運動性能も良い機を揃えた。 新戦法がきわめて巧妙な戦略を持って行なわれ、輸送船団は全滅、以後日本軍が攻勢に出る試みはできなくなった。 ミッドウェイ、第三次ソロモン海戦などに並ぶ決定的な戦闘。
@junjun4919
@junjun4919 3 жыл бұрын
①1842年の阿片戦争の後、中国(清)では英(インドの阿片)・米(トルコの阿片)・仏(インドシナの阿片)と阿片貿易を続けていた。米国はこれにより巨万の富を得ていた。例えば米NY Times、エール大学等の有名大学の創設ができた。 ②蒋介石。夫人の宋美齢が浙江財閥の娘(三女。次女慶齢は孫文夫人)であり、資産家や富裕な市民を支援した。 第一次国共合作(1924年1月。コミンテルンの指導)での共産党の真の目的が、国民党の内部に共産党員を潜入させ内部から国民党を倒すことであることが判明したため、蒋介石は共産党駆逐を開始した。後に蒋介石は「日本軍は皮膚病のようなものだが、共産党は心臓の病だ」と言っている。(*)(1927年~1937年。国共内戦) 国民党はナチス・ドイツの軍事支援(1933年5月~)を受け、近代兵器を持ち、近代的な軍事訓練を受けていた。ドイツは国内で武器製造ができないため、チェコで製造し、中国に輸出(製造費は米ウォール街からの投資)。 ③毛沢東・共産党はヤクザや暴力団のような集団で、近代兵器を持たないので、テロやスパイ工作(例えば、張治中による第二次上海事変 1937年8月)をした。コミンテルン(つまりソ連)の指示を受け、日本と国民党を交戦させる活動、反日感情を拡大させる活動をした。日本軍と正面衝突はしてはいない。国民党に敗れたため、江西省瑞金を放棄し、陝西省延安まで逃げた(長征。1934年~1936年) ④ソ連。国の両側にドイツと日本という敵国があり、挟み撃ちにされるのを危惧していた。毛沢東・共産党に対し、日本と国民党を戦闘させソ連から離すよう指示した。西安事件(1936年12月)では張学良が蒋介石を捕まえた。コミンテルンからの指令を受けた中国共産党代表・周恩来が仲介役となり、張学良らに対し、捕まえた蒋介石を殺さない代わりに共産党と共同して日本軍と戦闘させるよう指示した。蒋介石の妻、宋美齢が交渉役となり、その提案に合意した(第二次国共合作)。これにより国民党内に共産党員が入り込み、反日感情を拡大、日本と国民党との戦闘のきっかけ作り、戦線拡大などのスパイ工作をした。日中戦争の発端となった盧溝橋事件(1937年7月)は、共産党スパイの仕業とされている。 第二次国共合作とは言っても、中国共産党本体は山奥(ソ連に近い陝西省延安)に引っ込み、葉タバコの栽培などの農業や共産党員に教育をして力を温存した。 ⑤同時期に日本国内では、朝日新聞記者の尾崎秀実らのコミンテルンのスパイが日中戦争の開始工作をした。例えば尾崎秀実の場合、朝日新聞紙上で対中強硬論や戦況予測を展開した。彼は欧米・中国・ソ連各国のスパイから情報を得られたため、戦況予測は的中した。そこで予測の正確さから近衛内閣のブレーンに選ばれ朝飯会のメンバーとなった。この朝飯会で得られた日本政府・軍部の情報がコミンテルンに筒抜けとなった。 尾崎は1936年8月15日から29日、太平洋問題調査会ヨセミテ会議に列席、西園寺公一と知り合いになり「国民党と共産党が共同して日本と戦うようになるだろう」と発言している(つまりコミンテルンより1936年12月の西安事件のことをすでに知らされている。また12月12日に西安事件が起こった時、日本のマスコミは蒋介石は殺されるだろうと推測したが、尾崎は国民党と共産党の共闘を発表している) ⑥リヒャルト・ゾルゲ。尾崎秀実らと連絡をとったコミンテルンのスパイ(ドイツ人、駐日ドイツ大使館員)。自称新聞特派員として駐日ドイツ大使館に出入りし、大使館員となった。日本をソ連から離すため、日本軍を南進させる工作、独ソ戦開始時期の情報収集をした。日本がソ連国境付近の兵を削減する情報をソ連に送ったため、ソ連軍は極東軍をモスクワ防備に配備してドイツとの戦闘に備えた。米国はソ連を支援していた。日本の南進は米国や英国との対決に発展した。ロシアのプーチンが尊敬するスパイである。 ⑦南京(民間人虐殺)事件。蒋介石の国民党にはナチス・ドイツの武器提供、軍事訓練が行われたので、日本はドイツの国民党支援を止めさせるため、ドイツと結んだ。(⇒いわゆる南京事件の証人ラーベは、ジーメンス社員で、ヒトラーに「日本は残酷だから、武器輸出を続けさせて欲しい」と嘆願している。蒋介石は、ルーズベルト大統領に「日本は中国大陸で暴虐な行動をしているから、poor china を助けて欲しい」と嘆願を繰り返している。妻の宋美齢は米国内での講演で同様の嘆願をしている。つまりいわゆる南京事件(1937年12月)とは、poor china支援要請のための宣伝であるとわかる) ⑧その他のpoor china計画(米国で宣伝して中国を支援してほしいと訴える計画=「日本軍は残酷だ」と宣伝)には、 ・蒋介石による黄河堤防の爆破(1938年6月 犠牲者は数十万人)日本軍の仕業にしようとしたが、ヨーロッパの新聞記者に見破られた。日本軍は中国人避難民を救助し、食料を提供した。総水没は11都市と4000村。被害は、水死者100万人、被害者600万人と言われている。 ・蒋介石による揚子江堤防の爆破(1938年9月23日 武穴鎮の下流) ・蒋介石による長沙(人口50万の都市)の放火 (1938年11月 深夜) 日本軍の進軍を止める為と言われている。 ・重慶爆撃 (1938年12月から1941年9月) 蒋介石は都市の地下に軍需工場を作り、日本軍がその工場を爆撃。国際法上では、軍事施設と民間施設を区別し、民間施設への爆撃は禁止されているが、この場合は、重慶派遣の米国マスコミも問題にしなかった。 ⑨米ルーズベルト大統領はニューディール政策の失敗を対中国貿易で補おうとした(彼の先祖が阿片貿易で巨万の富を得たため、中国通だった)→満州国はアヘン専売。当初はAVGというボランティアの形で中国を支援した。 (American Volunteer Group, FLYING TIGERS) ⑩1941年7月23日には JB.NO.355 という日本本土爆撃計画に大統領が署名した。⇒11月にシンガポール基地から出発の予定だったが、フランスがドイツに敗れたため、イギリスを孤立させないため、爆撃機を欧州戦線に向かわせた。  1941年7月25日 在アメリカ日本資産の凍結  7月28日、日本軍の南部仏領インドシナ進駐   8月1日、対日石油輸出を全面的に禁止  1941年12月、真珠湾攻撃 ⑪東京裁判。米国にとっては米国が国際法を守ってきたかが問題だった、例えば南京事変のときも、真珠湾攻撃の時も日本は国際法を守り、民間施設、病院船等への爆撃は行わなかった。米国は日本国内の都市爆撃(原爆投下、無差別爆撃)及び、日本の病院船への攻撃、農民への飛行機からの銃撃など国際法を無視した民間人攻撃を行った。そのため戦争には勝っても裁判には負ける心配があり、この状況を打開するため「南京(民間人)虐殺」の話を持ち出した。重慶爆撃は軍事施設への爆撃であり、東京裁判に持ち出されなかった。 (*) China: The Roots of Madness (1967)
@タン塩-s5o
@タン塩-s5o 3 жыл бұрын
千葉みたいに学校群制度廃止を争点にすれば良かったのに
@junjun4919
@junjun4919 3 жыл бұрын
①1842年の阿片戦争の後、中国(清)では英(インドの阿片)・米(トルコの阿片)・仏(インドシナの阿片)と阿片貿易を続けていた。米国はこれにより巨万の富を得ていた。例えば米NY Times、エール大学等の有名大学の創設ができた。 ②蒋介石。夫人の宋美齢が浙江財閥の娘(三女。次女慶齢は孫文夫人)であり、資産家や富裕な市民を支援した。 第一次国共合作(1924年1月。コミンテルンの指導)での共産党の真の目的が、国民党の内部に共産党員を潜入させ内部から国民党を倒すことであることが判明したため、蒋介石は共産党駆逐を開始した。後に蒋介石は「日本軍は皮膚病のようなものだが、共産党は心臓の病だ」と言っている。(*)(1927年~1937年。国共内戦) 国民党はナチス・ドイツの軍事支援(1933年5月~)を受け、近代兵器を持ち、近代的な軍事訓練を受けていた。ドイツは国内で武器製造ができないため、チェコで製造し、中国に輸出(製造費は米ウォール街からの投資)。 ③毛沢東・共産党はヤクザや暴力団のような集団で、近代兵器を持たないので、テロやスパイ工作(例えば、張治中による第二次上海事変 1937年8月)をした。コミンテルン(つまりソ連)の指示を受け、日本と国民党を交戦させる活動、反日感情を拡大させる活動をした。日本軍と正面衝突はしてはいない。国民党に敗れたため、江西省瑞金を放棄し、陝西省延安まで逃げた(長征。1934年~1936年) ④ソ連。国の両側にドイツと日本という敵国があり、挟み撃ちにされるのを危惧していた。毛沢東・共産党に対し、日本と国民党を戦闘させソ連から離すよう指示した。西安事件(1936年12月)では張学良が蒋介石を捕まえた。コミンテルンからの指令を受けた中国共産党代表・周恩来が仲介役となり、張学良らに対し、捕まえた蒋介石を殺さない代わりに共産党と共同して日本軍と戦闘させるよう指示した。蒋介石の妻、宋美齢が交渉役となり、その提案に合意した(第二次国共合作)。これにより国民党内に共産党員が入り込み、反日感情を拡大、日本と国民党との戦闘のきっかけ作り、戦線拡大などのスパイ工作をした。日中戦争の発端となった盧溝橋事件(1937年7月)は、共産党スパイの仕業とされている。 第二次国共合作とは言っても、中国共産党本体は山奥(ソ連に近い陝西省延安)に引っ込み、葉タバコの栽培などの農業や共産党員に教育をして力を温存した。 ⑤同時期に日本国内では、朝日新聞記者の尾崎秀実らのコミンテルンのスパイが日中戦争の開始工作をした。例えば尾崎秀実の場合、朝日新聞紙上で対中強硬論や戦況予測を展開した。彼は欧米・中国・ソ連各国のスパイから情報を得られたため、戦況予測は的中した。そこで予測の正確さから近衛内閣のブレーンに選ばれ朝飯会のメンバーとなった。この朝飯会で得られた日本政府・軍部の情報がコミンテルンに筒抜けとなった。 ⑥リヒャルト・ゾルゲ。尾崎秀実らと連絡をとったコミンテルンのスパイ(ドイツ人、駐日ドイツ大使館員)。自称新聞特派員として駐日ドイツ大使館に出入りし、大使館員となった。日本をソ連から離すため、日本軍を南進させる工作、独ソ戦開始時期の情報収集をした。日本がソ連国境付近の兵を削減する情報をソ連に送ったため、ソ連軍は極東軍をモスクワ防備に配備してドイツとの戦闘に備えた。米国はソ連を支援していた。日本の南進は米国や英国との対決に発展した。ロシアのプーチンが尊敬するスパイである。 ⑦南京(民間人虐殺)事件。蒋介石の国民党にはナチス・ドイツの武器提供、軍事訓練が行われたので、日本はドイツの国民党支援を止めさせるため、ドイツと結んだ。(⇒いわゆる南京事件の証人ラーベは、ジーメンス社員で、ヒトラーに「日本は残酷だから、武器輸出を続けさせて欲しい」と嘆願している。蒋介石は、ルーズベルト大統領に「日本は中国大陸で暴虐な行動をしているから、poor china を助けて欲しい」と嘆願を繰り返している。妻の宋美齢は米国内での講演で同様の嘆願をしている。つまりいわゆる南京事件(1937年12月)とは、poor china支援要請のための宣伝であるとわかる) ⑧その他のpoor china計画(米国で宣伝して中国を支援してほしいと訴える計画=「日本軍は残酷だ」と宣伝)には、 ・蒋介石による黄河堤防の爆破(1938年6月 犠牲者は数十万人)日本軍の仕業にしようとしたが、ヨーロッパの新聞記者に見破られた。日本軍は中国人避難民を救助し、食料を提供した。総水没は11都市と4000村。被害は、水死者100万人、被害者600万人と言われている。 ・蒋介石による揚子江堤防の爆破(1938年9月23日 武穴鎮の下流) ・蒋介石による長沙(人口50万の都市)の放火 (1938年11月 深夜) 日本軍の進軍を止める為と言われている。 ・重慶爆撃 (1938年12月から1941年9月) 蒋介石は都市の地下に軍需工場を作り、日本軍がその工場を爆撃。国際法上では、軍事施設と民間施設を区別し、民間施設への爆撃は禁止されているが、この場合は、重慶派遣の米国マスコミも問題にしなかった。 ⑨米ルーズベルト大統領はニューディール政策の失敗を対中国貿易で補おうとした(彼の先祖が阿片貿易で巨万の富を得たため、中国通だった)→満州国はアヘン専売。当初はAVGというボランティアの形で中国を支援した。 (American Volunteer Group, FLYING TIGERS) ⑩1941年7月23日には JB.NO.355 という日本本土爆撃計画に大統領が署名した。⇒11月にシンガポール基地から出発の予定だったが、フランスがドイツに敗れたため、イギリスを孤立させないため、爆撃機を欧州戦線に向かわせた。  1941年7月25日 在アメリカ日本資産の凍結  7月28日、日本軍の南部仏領インドシナ進駐   8月1日、対日石油輸出を全面的に禁止  1941年12月、真珠湾攻撃 ⑪東京裁判。米国にとっては米国が国際法を守ってきたかが問題だった、例えば南京事変のときも、真珠湾攻撃の時も日本は国際法を守り、民間施設、病院船等への爆撃は行わなかった。米国は日本国内の都市爆撃(原爆投下、無差別爆撃)及び、日本の病院船への攻撃、農民への飛行機からの銃撃など国際法を無視した民間人攻撃を行った。そのため戦争には勝っても裁判には負ける心配があり、この状況を打開するため「南京(民間人)虐殺」の話を持ち出した。重慶爆撃は軍事施設への爆撃であり、東京裁判に持ち出されなかった。 (*) China: The Roots of Madness (1967)
@まつざきひでのり-k4l
@まつざきひでのり-k4l 3 жыл бұрын
この年が一気に戦後の高度成長からの転換点となったという印象。 テレビは既にカラー放送だと思いますが、まだ映画はカラー映像じゃないんでしょうか?
@HMikimoto
@HMikimoto 3 жыл бұрын
プレハブホテルとやらは来訪客向け? にしても時給200円の時代にあんな粗末な建物かつ6人相部屋で1人1500円とは… 単純に今の大阪の最低賃金と照らし合わせれば約5倍すれば今の水準と考えれば、相当暴利貪ってますなぁ
@jirohkaiohmata5801
@jirohkaiohmata5801 3 жыл бұрын
なんで白黒なの?もうこの時代はカラーの時代でしょ。
@あやちゃん-h6m
@あやちゃん-h6m 3 жыл бұрын
いつも皇室アルバムを見て居ますまさこ皇后もがんばつておられるのがうれしです
@長谷渡
@長谷渡 3 жыл бұрын
今現在コロナ過で江ノ電も密状態なのだろうか?
@ひろちゃん-d6g
@ひろちゃん-d6g 3 жыл бұрын
ストがあった頃が、まともな社会だったろう。今の自民党腐敗政治はまともと言えるのか?戦前社会、改憲をめざす経団連傀儡腐敗自民党打倒❗️
@大川さん-y1x
@大川さん-y1x 3 жыл бұрын
そりゃどのような形であれ 分割民営化するわなあ。 (正しかったのかはわからないけど) ちなみに家の親族は喜んでいた 学校が休みになるから。
@ポニーテール-p8w
@ポニーテール-p8w 3 жыл бұрын
お金のために罪もない子供を殺すなぁー! 今ご存命なら58歳です。
@七誌権兵衛-p3f
@七誌権兵衛-p3f 3 жыл бұрын
同盟国の戦車修理を妨害した人間の屑共のドキュメンタリー。見る価値は無い。戦車の修理を妨害すればベトナムの若者は助かり、変わりに米国の若者が死ぬ。 人の命に貴賤は無い。だからまず味方を優先するのがモラルある人間の道。ベトナム人の命か同盟国アメリカ人の命を取るか?安全な日本で馬鹿がファッション感覚で判断していい事じゃない。 ましてバックにいるのは敵国。深く考えず共産主義者の口車にのって祖国の妨害をした恥知らず。国家の命令だから、国民の義務として兵役や兵器修理に赴いた大人達の覚悟を露程も理解しない脳足りん。こんな屑共を称賛する連中も同じく屑で馬鹿なのだ。どうせバックも当時と変わらない。如何なる理由があれ、仲間を裏切る奴は屑だ。
@coocfreaks
@coocfreaks 3 жыл бұрын
関根さんが投げてる!!!!!! 凄すぎる映像です!!!!! ありがとう
@douga9996
@douga9996 3 жыл бұрын
タブレットは投げて渡し正確にキャッチ・・・昭和の職人技。
@岩田実-h2f
@岩田実-h2f 3 жыл бұрын
当時はアメリカと戦う為に中国からも支援を受けていた 今では中国と戦う為にアメリカから支援を受けている 政府は同じなのに
@nanalinn
@nanalinn 3 жыл бұрын
この年が手回し式のスコアボードの最後の年になったんですよね。この翌年からオール電光式のスコアボードになりました。(一部電光式は既に東京球場に導入されていました)
@たかすきじんさく
@たかすきじんさく 3 жыл бұрын
未来の海上都市のモデルという触れ込みも今現在、日本に海上都市なんて物はない もうこの当時からハコモノ作ってそれでおしまいのパターン
@ZeroZero-zu3wh
@ZeroZero-zu3wh 3 жыл бұрын
星野を育てた水原さんは偉大です。
@IM-kf1sw
@IM-kf1sw 3 жыл бұрын
日露戦争の間に、血の日曜日が帝政ロシアではあったのだから、軍隊の士気が下がっていたのだろうと思う。誇り高き白軍ロシア兵は市民に発砲した自軍に憂い、降伏した気もするよ。
@チェンリー-i4p
@チェンリー-i4p 3 жыл бұрын
昔は本当に水質汚染が酷かった。 あのディ○ニーランドも埋め立ててから建設されたが、それより昔はあの周囲一帯はドブのような悪臭が凄まじかった。 現在はだいぶマシになったほうか…。
@SOTETUモヤ
@SOTETUモヤ 3 жыл бұрын
国民の移動まで「スト」ップ!
@宴は終わったが
@宴は終わったが 3 жыл бұрын
2:37 からカオスです。
@宴は終わったが
@宴は終わったが 3 жыл бұрын
日本社会党は1人区では89年のマドンナブームによる26議席中23議席獲得を除けばこの71年の26議席中8議席獲得が一番獲得をしたんですよね。 しかし東京選挙区では社会党候補、市川房江が落選をしました。この年の都知事選では社共推薦の美濃部が360万票、自民推薦の秦野が190万票と圧倒的大差で当選をしたのですが、1969年の都議選、衆院選での社会党の惨敗から社会党が立ち直ることができなかったことがうかがえます。
@宴は終わったが
@宴は終わったが 3 жыл бұрын
社会党は総選挙惨敗の前に同じ年の東京都議会選挙では都議会第1党から一気に第3党まで転落をし、反面公明党は都議会第2党に躍進をしています。 その意味では、公明党が本格的に台頭をし始めた年であるとも言えるでしょう。
@sugizou2185
@sugizou2185 3 жыл бұрын
うわ~辛いですね~涙しながら見てました、私は最愛の息子、長男と三男を、失いました。
@foresse6323
@foresse6323 4 жыл бұрын
そんなに無法地帯だったのか!当時の東京は!!
@島斉
@島斉 4 жыл бұрын
高い評価ありがとうございます。
@足立知子-i3c
@足立知子-i3c 4 жыл бұрын
がけ崩れなんですが!
@ソースせんべいラムネ味
@ソースせんべいラムネ味 4 жыл бұрын
会津出身です。 貴重な映像ありがとうございます。
@髙木朗
@髙木朗 4 жыл бұрын
↓単なるシャレですよ。