Пікірлер
@奥澤千鶴子
@奥澤千鶴子 7 күн бұрын
花嫁修行役に立っていますよ。 茶道、華道。多少のお金はかけましたが日常の生活に潤いを与えてくれています。 美味しいお菓子をいただいた時友人が来た時抹茶を立てます。 季節の花を家の中に生けておくのもいいものです。78歳婆❤ 四季のある日本ならではの文化。世界に通用すると思います。❤ 古典も面白い❤ 楽しいと思えばいいのになあ❤
@白石天文台
@白石天文台 10 күн бұрын
はじめまして。 読み始め時期、きっかけ、京都通いなど私と良く似ています。 思わず、私、KZbin始めたかな?と思っちゃいました。
@西尾英樹-q5m
@西尾英樹-q5m 24 күн бұрын
若者の夢遊病と年配者の徘徊は同じですかまた治療はあるの?
@奥澤千鶴子
@奥澤千鶴子 25 күн бұрын
ドナルドキーンさんの住んだ北区に住む者です。薔薇の綺麗な古河庭園に行く度にキーンさんのマンションはどこかな?と辺りを見上げます。きっと何処かの窓から見ていたに違いないと思いを馳せます。買い物に出かけた商店街、眠っているお寺も近隣です。 懐かしいお顔と声が聞こえてくる動画ありがとうございました。 源氏物語面白いです。❤
@山田まさる-c9j
@山田まさる-c9j 26 күн бұрын
この対談で言っていることは素敵だが今の世の中はスピードが速すぎて置いて行かれてしまう 人間的な生き方考え方をすることが出来ない時代なのかもしれない
@渡辺良治-h5d
@渡辺良治-h5d Ай бұрын
説明解説は残念、不要。受験講座なのね!
@tube7541
@tube7541 Ай бұрын
50年前高校生の時以来、お二人とも読ませていただいております👍 獺祭を飲んだら お二人はどう評価されるでしょうか🤣
@Macomin
@Macomin Ай бұрын
素敵なお話を聞きながら… ふと、小澤さんの背後の棚の一冊の本が気になり、拡大して見ました。 「こども音楽館」というクラシックのレコードとお話の本と楽譜がセットになったシリーズの1巻目が見えました。私が子供の頃、家にセットであり、このシリーズでレコードを聴き、本を読んでクラシック音楽が好きになりました。懐かしい!他にも昭和の香りがする懐かしい感じの本がそこここにあって素晴らしい本棚ですね。 全く関係ないお話をして失礼いたしました。 でも、小津さんの声とお話を聞いていると、シューマンの「トロイメライ」を聴いているように温かく、懐かしい気持ちになりました。
@徳廣義男
@徳廣義男 Ай бұрын
昔、ある国家試験の受験生だったころ、水道橋の丸沼書店によく行きました。新刊、定価の1割引き。
@ぽにお-c3r
@ぽにお-c3r 2 ай бұрын
物を頂点とした今に至ってはひどくドキリとするお話ですが… 自然をつぶさに見て親しみそれを頼りに日々を生きる…今を生きる すべては繋がりすべては移り変わりとする事は安堵の最たるものでエネルギーそのものだと暗闇を照らしますね
@rishimonlinetv8831
@rishimonlinetv8831 2 ай бұрын
まちたかわらさんと 話したいので メルアデレソ、電話番号 どうやってもらうのは できますか?
@yoshitomurai2545
@yoshitomurai2545 2 ай бұрын
チョコレート革命の解説は違うな。 チョコレートのようなコンドーム、或いは逆にコンドームのようなチョコレートが実際にあるのでは。 知らんけど
@喜楽-f2o
@喜楽-f2o 2 ай бұрын
久しぶりの投稿ありがとうございます!
@yuuyakeojisan
@yuuyakeojisan 3 ай бұрын
小林秀雄と言えば、座談会「近代の超克」で、彼がぶち上げたという「精神が物質に負けるわけがない!!日本は絶対勝つ!!」という言葉を思い出してしまう(ついでに言えば、たかが座談に「近代の超克」とか「人間の建設」とか、勿体ぶったタイトルを付ける精神も嫌いなのだが) 従って、私の中の小林秀雄は、古典に通暁しセンスとレトリックは抜きん出ているが、目の前や足元の現実認識が出来ない無責任な放言家である。 呆れるのは、日本のメディアや知識人たちが、その無知無責任を見なかった事にして、彼を戦後も神として崇め続けた事である。赤信号皆で渡れば怖くない・・・天才?・・・ 馬鹿じゃないの?
@htdsa000
@htdsa000 3 ай бұрын
幼い子供の頃親にルービックキューブを買って貰って色を揃えたい一心で何度も何度も回していました、いつの日か頭ではなく感覚で揃えれるようになりました。 キューブとかむかふ身交ったのですね。良いお話しありがとうございます。
@舩矢朴郎
@舩矢朴郎 3 ай бұрын
今の「世間一般の個性」という概念は、岡潔が生きていた時代のものとは違うもので、自分のウリのことで新自由主義の時代独特のものだと思う。個性は、遺伝や育ちによって自分が気づかないうちに否が応でも持ってしまうものでしょう。
@user-en6nd2li5i
@user-en6nd2li5i 3 ай бұрын
ためになりました。
@オクタン-l6u
@オクタン-l6u 3 ай бұрын
入眠後5時間後に起きて、漫画を1時間見てダラダラしてから寝たら明晰夢みれた
@yok_sunrise1
@yok_sunrise1 3 ай бұрын
映画の仕事に対してモヤモヤと悩み始めた頃に、スケザネさんの岡潔さんの動画から小津安二郎さんまでこんなに細かく解説を聴けるとは! この動画に出会えて感謝します😊 小津安二郎さんの映画はまだちゃんと観たことがなかったので、これを機に小津作品を楽しみます。 寅さんの第一作目の色合いがなんとなく小津作品の影響を感じるのは、松竹だからなのかしらとも思いました。
@gigkz5132
@gigkz5132 3 ай бұрын
芸術は、人間の磨き上げた神眼で人々の精神進化向上の為、伝える術だ。 神眼を磨くには、人間の情が大事だ。仏心は慈悲と言われるが、 近年のブッタの教えは、、自我をなくすなどおそらく誰かが間違えて 伝えてしまっているんだろう。何故なら自我が神から与えられたものなのに何故なくす? 私欲の自我、我欲にまみれている自我を治せならわかる。正しい自我は利他幸福の為に磨き義に生き誠に尽くす、勇気の為に自我がなきゃコンニャクだ。正しい自我は人間の道に生きる原動力であり真我を呼び覚ます魂だ。鬼は神だ。前世、後悔した鬼の云う言葉が魂だ。君我々自身は霊だ。貧弱な霊にあの世もこの世も教えてくれているのに、私欲まみれの世に 生き世も冥界も怒り嘆き哀しみの霊、魂、だらけだ。正しい自我を持たない自主がない生物に成り下がっているからだろう。人間天才数人いたってしょうがない。我々人間が社会を良くしていこうと利己のみを捨て、利他のすえに利己の幸福を創造進化させようという人間らしい人間に戻る決意と信念を持った凡人が沢山いる方が一気に良くなる。
@rk6de9gu9u
@rk6de9gu9u 3 ай бұрын
当時〜’70年初頭?ぐらいまではパチンコ屋で軍艦マーチはフツーにかかっていましたよ
@五十嵐匠海-o5t
@五十嵐匠海-o5t 3 ай бұрын
「丸暗記させる素読だけがはっきりした教育だ」と言う部分が印象的でした
@繁植草
@繁植草 3 ай бұрын
不思議でしょう? 行き着くところ迄行くと同じ場所に、。既に、未来にいる人 より 😮
@fun-q5o
@fun-q5o 3 ай бұрын
この動画に意見です。 この動画の③の最後の岡清の言葉は 理性では知らない物を知る事はできないが 触れて見て、情緒では、フィーリングでは、 飛躍的に知ることが出来るというニュアンスな気がします。 それが岡清の言う、 「問題を出すときに、その答えがこうであると直観するところまではできます。できていなければよい問題でないかもしれません。」という事と繋がるではないでしょうか? 理性=人間そのもの ではないと思います。
@松澤智子-g8m
@松澤智子-g8m 3 ай бұрын
幼い頃から怖い夢をコントロール出来ていましたが、誰にも共感してもらえなくてこれまで蓋をしていました。それが、まさか、明晰夢と言う名前がついているとは!初めて知り、ただただ驚いてます。
@うさぎいぬねこ
@うさぎいぬねこ 3 ай бұрын
芸術とは普遍的なものを自分の個性を最大限にいかして表現することではないのか,?
@Pikotan901
@Pikotan901 3 ай бұрын
「そもさん」 「せっぱ」 天才同士の禅問答は確かに面白い。 紹介有り難う。
@user-jn9ee7cg9cryuju
@user-jn9ee7cg9cryuju 3 ай бұрын
恣意的ではなくて、直感ですかね
@木原-b7g
@木原-b7g 4 ай бұрын
君は急いで答えを出そうとする試験中の学生気分で言っているから 岡潔の言うことがピンとこないのだ。受験生だった過去の自分を捨てて本当の自分に 戻ることだ。生まれたばかりの自分に戻ることだ。岡潔は物事の芯の中心を言おうと しているだけだ。そう、多くの事実から得られた真実の中心を彼は言っているだけだ。 また、知らぬ間に身につけている固定概念を捨てる第一歩になるよ。 そう、知らぬ間にかけられたマインドコントロールや洗脳から解放されるためには 経験による確認を積み重ねていけば良いだけのことだ。 何も急ぐことはない。一歩一歩、進んで行けばいいだけだよ。
@kan-u6g
@kan-u6g 4 ай бұрын
世界文学全集大好きです😂🎉 価値ある文学談義、ありがとうございます。プロの方々は、とんでもないくらい読書して知識が高いのが分かります。これからも沢山、文学談義、 文学全集のお話を聞きたいです。😊
@tmtm-y5i9b
@tmtm-y5i9b 4 ай бұрын
15歳です。読んでみたいと思いました。早いですかね。
@osibe
@osibe 4 ай бұрын
興味がありつつも難しそうで敬遠していたのですが、この動画を見てやはり読んでみようと思いました!
@cat-mv8ey
@cat-mv8ey 4 ай бұрын
ありがとうございました。
@秋吉久美子-e3w
@秋吉久美子-e3w 4 ай бұрын
百人一首の歌が何かの思い入れを込めたものなのか山の衣替えなどの情景なのか、特にこの歌は分析者が男性か女性かで意見が分かれるのが面白い。田辺聖子の本にも谷先生のおっしゃてるみたいなことが書いてあったような気がする。持統天皇は女帝だから谷先生のような思い入れがあったのではないか、と「妄想」 しちゃいますね。
@kbeatnik6285
@kbeatnik6285 5 ай бұрын
ブラッドベリの短編が大好き❣️
@von_Aschenbach
@von_Aschenbach 5 ай бұрын
西洋美術に限っても時代によって概念、様式は当然変化していきました。で、いずれの時代にも美や本質、真理の追求、それに加え近現代では問題提起などといった、すべての芸術家が取り組むべきテーゼが存在するという意識があるようですが、私はその認識がしゃらくさいと思うわけです。 批評家であるからにはある価値基準をもって優劣を判断せねばならないし、それで結構なんですが、例えば19世紀フランスアカデミズム絵画とか近代日本画とかいった特定の芸術ではまた話は変わりますが、美術一般で言えば自由、好き勝手に思い思いにやるのが唯一のルールであるべきだと私は考えます。 つまり、なにもすべての画家が批評家先生の眼鏡に適う美や思考、制作プロセスなんぞを目指してはいないですし、また目指す必要もありません。ただ自己の哲学に従うのみです。そこんトコロを勘違いしなさんなと思いますね。
@user-sm2he8gl5b
@user-sm2he8gl5b 6 ай бұрын
慶應で坂井先生の授業取ってたことありますが、異様なほど論理的で恐ろしく教えるのが上手い方ですよ 人間的にも魅力の溢れる素晴らしい方だと思います
@nathumori59
@nathumori59 6 ай бұрын
お二人共とても良いお顔です。あの岡潔さんのジャンプする写真は最高です。小林秀雄さんは直接講演をお聴きしました。お声も素敵でした。
@あら-z1f
@あら-z1f 6 ай бұрын
音声がクリア
@kanazawa_yuzen
@kanazawa_yuzen 6 ай бұрын
67歳の高齢者です。25年前に岡潔の著書に接し、この本も購入しました。たくさん線を引きながら何度も読み返しました。座右の書です。2年前に老眼のため細かい字が読みにくくなりました。今は Kindie本で読み続けています。本当に素晴らしい著書です。人生と仕事の羅針盤です
@佐々木寿子-y2u
@佐々木寿子-y2u 2 ай бұрын
ちょうど、昨夜この本を読み終えました。感動、目からウロコ。
@平尾隆弘-e8b
@平尾隆弘-e8b 6 ай бұрын
解説は分かりやすくためになる。日本語の字幕があまりにひどいのが残念です。
@水口栄一
@水口栄一 7 ай бұрын
大宅壮一さんは私の母方の遠戚にあたります。それだけにとても興味深く、拝見しました。ありがとうございました。
@RivusVirtutis
@RivusVirtutis 7 ай бұрын
十代の頃にこれを読んで、フェイエルバッハの疎外論のレベルを超えるものではないなと思った記憶があります。そして近代の超克と同じくその素朴な疎外論に対して突然その解決を東洋思想に求めます。 学生運動を憂うにあたって100年以上前のフォイエルバッハと変わらない水準のものを持って来て何がしたかったのか凡庸な私の知性では未だに理解できません。 安吾の言っていた教祖とはまさにこの事だとしか言えません。小林ならば岡の議論の水準が国際的な知識人相手に到底通用するレベルでないことくらい当然わかったはずですが、数学界の圧倒的権威にただ対して同調するのみです。 ただしフォイエルバッハの時代から全く進歩しない疎外論と、東洋思想の無節操な接続という意味で、ある意味でニューエイジ思想を先取りしていたと言えなくもないかもしれません。
@funcarp3426
@funcarp3426 7 ай бұрын
小林秀雄は、戦時中は思い切り軍隊を賛美し、戦後は軍部批判に転向しました。こういう人間は、一番信用がおけません。おまけに、中原中也の恋人、長谷川泰子を奪っています。ろくな人間ではありませんよ。中也愛好者の間では、小林秀雄は蛇蝎のごとく嫌われています。
@korokekorosuke
@korokekorosuke 7 ай бұрын
伊藤先生はデジタル時代ならではの分析だと思います。掛け軸を見せる為に東野英治郎が帽子を探していたのかと衝撃でした。小津さんがグラスの位置など1日かけて調整するのは異常と捉えられるかもしれないのですが、1cm動かすと大スクリーン上では50cmは動くんですよね。なので異常ではない。自分でも小津さんの画面作りにおける発見が最近ありました。今のところ世界中で自分だけですかね気づいているのは。そういう楽しみも小津作品にはあります。
@korokekorosuke
@korokekorosuke 7 ай бұрын
今はデジタルで繰り返し作品を見れる、静止もできる。伊藤さんの撮影やアングルに関しての分析は斬新です。昔の評論家はフィルム上映で見るしかなく、繰り返し見れないし静止など出来ないので、意外に思い込みや嘘が多いです。特にイマジナリーラインの誤解が激しい。自分も小津に関してとんでもない発見を最近しました。
@ちなつ-k7m
@ちなつ-k7m 7 ай бұрын
森見登美彦さんの俊逸すぎる言葉や文章に出会うと、その部分を何度も読み返し、ニヤニヤしたりうっとりしたりで、なかなか次へ進めない事よくあります。
@r.ikokomo4004
@r.ikokomo4004 8 ай бұрын
③のところの「知るために捨てよ」とは、 知らないモノを知ろうとする時は、頭の中にある理性、固定観念を捨てよ 理性では知識からの類推しかできない 新しいものを本当の意味において知るには 一度理性を捨て、そばによって時間をかけて観察するしかない ということですね そして、理性にとらわれている者は、 自分が理性でなんでも理解できると錯覚しており、 故に自分が理性という狭い井戸の中を泳いでいることを理解できない そこから出られない 故に素読となる
@-shiga1445
@-shiga1445 8 ай бұрын
駒場での蓮實氏とのやりとりはよく覚えております 大根が運転は、岸恵子で戦後になります
@-shiga1445
@-shiga1445 8 ай бұрын
たのしみながらも、解説、蘊蓄はどこまでも作品には近づけない。 とは言っても、視線の中心化をはかりながら見続けるしかないのかな