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Пікірлер
@pansy0313
@pansy0313 9 сағат бұрын
ちょうど50年前になるのですね。私個人的には昭和50年はまだまだ最近のような気がしていたのですが、父20歳、母18歳の頃と考えると、随分と昔のことのようにも感じます。貴重な映像をありがとうございます。
@88番大窪寺
@88番大窪寺 Күн бұрын
今年は「昭和100年」
@kaorufrog
@kaorufrog Күн бұрын
マンガ釣りキチ三平で一平じいちゃんが亡くなった時、土葬が描かれてましたね。
@ちゃんトメ
@ちゃんトメ Күн бұрын
土葬は遺体の腐乱した体液とかが地下水に混ざらないか心配です。衛生的にどうなのかな?
@mitarashi899
@mitarashi899 Күн бұрын
この様な埋葬方法ができなくなるくらい、人間が増え過ぎたのですよ。
@user-girl1919
@user-girl1919 Күн бұрын
良くもまあこんな貴重な映像を残してくれましたね 後世まで残すべき記録ですね
@lightningfromjomon9219
@lightningfromjomon9219 Күн бұрын
@@user-girl1919 さん、ありがとうございます。
@ED81S
@ED81S 2 күн бұрын
死んでも焼かれるのは怖い、土葬にしてほしい
@ネコ人間-p7k
@ネコ人間-p7k 2 күн бұрын
仏式ですね。 神葬祭(神道での葬儀)は、様式が少し異なります。 額に三角巾はつけず、男性は首から胸にさらしで作った帷子、女性は手拭いを姉さん被りです。 棺は建屋無くそのまま板にのせ、男孫4人が担ぎ、棺から長く伸びた白い布に捕まって参列者が歩きます。
@lightningfromjomon9219
@lightningfromjomon9219 Күн бұрын
@@ネコ人間-p7k さん、この地方で神葬祭は見た事がないので参考になりました。ありがとうございます😊
@ognianeeh5684
@ognianeeh5684 2 күн бұрын
私は琉球諸島のある島の出身ですが、母から昔は風葬というものがあって遺体を砂浜に置きカラスやヤドカリに食べさせて自然に還ってから残った骨を壺に入れてお墓にしてたんだよ、と聞かされました。幼少期からそう聞かされていたので怖いとか不快だとは思わず、神秘的で素敵な文化だと思っています。今でも身元不明の骨が砂浜ぞいにある洞穴においてあったりして島外の方は驚きます。
@lightningfromjomon9219
@lightningfromjomon9219 2 күн бұрын
@@ognianeeh5684 さん、貴重な情報をありがとうございます😊
@kohei.kango2023
@kohei.kango2023 2 күн бұрын
子供のころ、お葬式があると旗を持って野辺送りに参列しました。お菓子がもらえるのが嬉しかったですね。 でも、まあ確かにこんな事今では不可能ですね。そもそも人がこんなに居ない。 自分は誰にも迷惑かけずにそーっといきたい。
@ぷよぷよみかん
@ぷよぷよみかん 4 күн бұрын
さすがに火葬ではあったけど、20数年前に私のおじいちゃんをお墓に入れる時に父親と伯父さんはあの白い三角巾を付けたらしい。話を聞いて本当にやってたんだ!てびっくりした。山奥の田舎だから昔の風習が残ってたのかな?今はそのお墓も綺麗な納骨堂に変わって管理する手間は省けたけどなんかちょっと寂しい。
@lightningfromjomon9219
@lightningfromjomon9219 3 күн бұрын
@@ぷよぷよみかん 寂しいですね😔
@urabe-b4p
@urabe-b4p 4 күн бұрын
立派なジャンポンですね!
@辻岡拓郎-k7h
@辻岡拓郎-k7h 4 күн бұрын
HNKのアーカイブに平成になってからの土葬の記録があるはずだけど 島根の山奥で捨て墓と祀り墓の記録が
@lightningfromjomon9219
@lightningfromjomon9219 4 күн бұрын
@@辻岡拓郎-k7h さん、情報をありがとうございます。探してみます。
@辻岡拓郎-k7h
@辻岡拓郎-k7h 4 күн бұрын
@lightningfromjomon9219 さん 1995年7月9日放送のふるさとの伝承です
@bhsu-f4g
@bhsu-f4g 6 күн бұрын
まるでプロのようなカット割り。最後の鳥が飛んで行くシーンも良い。
@nrakm-9865
@nrakm-9865 6 күн бұрын
いまたすもんやないやろ
@musiconly1383
@musiconly1383 7 күн бұрын
これ古関さんの曲だったんですね、、 とても好きでした。
@lightningfromjomon9219
@lightningfromjomon9219 7 күн бұрын
今日も、NHK-FMで流れていました。
@むら田ぱれたん
@むら田ぱれたん 7 күн бұрын
1979年に兵庫県の北摂の農村でもこのように家で葬礼をして、野辺送りののち山あいの墓地で土葬にしておりました。 私の曾祖母の葬礼がそのようなものであったことを覚えています。 私たちの田舎の場合は、土葬をする山の墓地とは別にお寺にも墓石のみの墓地があって、普段はそこにお参りします。 棺桶は現在と同じ長いものでしたが、担ぎ手はすべて白装束に着替えて白い天冠を着けました。 孫にあたる私の父がその装束を着けましたが、私は恐ろしさのせいで泣いてしまった記憶があります。 同時期に兵庫県の丹波の曾祖母も亡くなりましたが、棺桶ではなく甕におさめられたように思います。 担いでいった輿の形が「真四角」に近い形であったのを、うちの田舎と違うと感じたことを記憶しております。 その後80年代にそうした形での葬礼を行わなくなり、式場から車で火葬場へ運ぶようになりました。 これはたいへん貴重な民俗学的資料だと思います。
@lightningfromjomon9219
@lightningfromjomon9219 7 күн бұрын
@@むら田ぱれたん さん、ありがとうございます。又貴重な情報をありがとうございました。
@hisui117
@hisui117 7 күн бұрын
群馬県片品の尾瀬霊園はまだ土葬OK。 壺信者専用です。
@benotas6256
@benotas6256 7 күн бұрын
ランクルベース・サファリベースのBD-Ⅰポンプ車 現役ですね。レトロな小型動力ポンプ付き積載車も見受けられます
@lightningfromjomon9219
@lightningfromjomon9219 7 күн бұрын
@@benotas6256 さん、そうですね。この地区のはレトロですね。
@benotas6256
@benotas6256 7 күн бұрын
長野県北信の者です、雪の舞う中の村消防団出初式ご苦労さまでした。こちらは冬季積雪のため春4月下旬に町消防団出初式挙行。やはり幹部団員は法被、団員は活動服ですね。
@lightningfromjomon9219
@lightningfromjomon9219 7 күн бұрын
@@benotas6256 さん、ありがとうございます。私が現役の頃は四月に挙行していたのですが、、、
@jaymax3201
@jaymax3201 8 күн бұрын
ウチの家族が子供の頃に人魂を見た事あると言ってました
@lightningfromjomon9219
@lightningfromjomon9219 7 күн бұрын
@@jaymax3201 さん、火葬になってからは火の玉は見られなくなりましたね。
@kunibiki181
@kunibiki181 8 күн бұрын
そうですね…五十年程前か。奈良の針、都祁村に居た伯父が死去し葬式にいきました。土葬でした。良く覚えてます。
@aoMatsuMushi
@aoMatsuMushi 9 күн бұрын
谷中墓地は骨だらけだって墓石屋さんが言ってたな
@純喫茶-h6p
@純喫茶-h6p 9 күн бұрын
皮肉なことに現代では日本に住む一部の外国人たちが土葬をしようとしている。。
@みつ子小平
@みつ子小平 13 күн бұрын
この日雪ふりました?格好いいですね。毎朝早くから消防車の点検してますよ。
@lightningfromjomon9219
@lightningfromjomon9219 13 күн бұрын
時々雪が降る寒い日でした😂
@suwafire119channel3
@suwafire119channel3 14 күн бұрын
茅野市の出初式行きたかったんですけど、都合が合わなくて行けずにいたので助かります。ありがとうございました。
@lightningfromjomon9219
@lightningfromjomon9219 14 күн бұрын
お役にたてて、良かったです😂
@suwafire119channel3
@suwafire119channel3 14 күн бұрын
@lightningfromjomon9219泉野分団いつの間にポンプ車更新したんですね。元中大塩の積載も無地ながらまだ現役というのが凄いです。
@みつ子小平
@みつ子小平 14 күн бұрын
@@suwafire119channel3 駅前で行進したんですね。直来で呑んだお酒は美味しかったでしょう。お疲れさまでした。
@みつ子小平
@みつ子小平 14 күн бұрын
寒い中ご苦労さまでした。今火事のニュースを毎日聴いてます。
@lightningfromjomon9219
@lightningfromjomon9219 14 күн бұрын
いつもありがとうございます😊
@ときお-m6g
@ときお-m6g 14 күн бұрын
笏が寝てる。
@toyom4399
@toyom4399 Ай бұрын
30年程前、隣の村で住民総出で棺桶を担いでいる所に遭遇して衝撃を受けたのを覚えています。免許を取ったばかりで知らない方面を開拓してた時に、昔の映画のワンシーンに迷いこんだ錯覚に陥りました。
@nekogreen303
@nekogreen303 Ай бұрын
御利益が凄いです
@みつ子小平
@みつ子小平 Ай бұрын
まるやち湖って綺麗なんですね?昼間しか行かないので夜の風景も始めて見ました。いいですね。😮
@lightningfromjomon9219
@lightningfromjomon9219 Ай бұрын
@@みつ子小平 さん、ありがとうございます😊
@narubeman
@narubeman Ай бұрын
6歳で原泉野が本一になって里曳きは行った記憶がある あの冠落としで斧振るってたの桶屋の親父じゃねと思ったぐらい。 当時はメドは地区持ち寄りで無かったから現地調達だったのですね 川越しは競争??これも驚きだ。
@ヲダ-t9w
@ヲダ-t9w Ай бұрын
震災が起こる何年か前だったから、まだ20年も経ってないけど、福島の田舎で祖母の土葬に参列しました。東京に住んでいたので、その地のいろんなしきたり、儀式をやりとても新鮮というか、タイムスリップしたような気持ちでした。 村はものすごーーい山奥です。満天の星空が見える土地に、大正時代に建てられた家、納屋がありました。囲炉裏の横に電子レンジがあってちぐはぐで面白かったです。テレビの横で猫がネズミをもて遊び、天井には見たことのない大きさの蜘蛛がたくさんいました。土間で虻に刺されました。そんな古い家も、集落も、今は原発事故のせいでなくなってしまいました。
@hyotannonejiro4737
@hyotannonejiro4737 Ай бұрын
墓地の見える所に住んでいたけど子供の頃に火の玉を見たのをよく覚えてます 親父に話したら不思議でもなんでもないらしいです。 土葬だとよくあるらしいです
@lightningfromjomon9219
@lightningfromjomon9219 Ай бұрын
@@hyotannonejiro4737 さん、火葬になってからは、見られなくなりましたね。
@酒井良政-e4u
@酒井良政-e4u Ай бұрын
「映画 八つ墓村」で土葬らしきシーンが出て来ますね
@lightningfromjomon9219
@lightningfromjomon9219 Ай бұрын
@@酒井良政-e4u さん、怖いですね。
@k1kurokings
@k1kurokings Ай бұрын
最近では食品に防腐剤などが入ってるせいか遺体が腐りづらいそうです。特に日本人の遺体がスマトラ沖地震の時に多く残ったそうです
@みつ子小平
@みつ子小平 Ай бұрын
いつも素敵な動画ですね。
@lightningfromjomon9219
@lightningfromjomon9219 Ай бұрын
@@みつ子小平 さん、ありがとうございます。
@みつ子小平
@みつ子小平 Ай бұрын
イルミネーション以前見に行きました。
@宮本欽章-g8k
@宮本欽章-g8k Ай бұрын
誰?この人
@lightningfromjomon9219
@lightningfromjomon9219 Ай бұрын
@@宮本欽章-g8k イケイケね〜ちゃん?
@sssak-h6x
@sssak-h6x Ай бұрын
最近墓終いをしたら、曾曾祖母が土葬だったみたいで大腿骨がしっかり残った状態で出てきました。
@Narr05
@Narr05 Ай бұрын
まぁそうですよね何万年前の猿人の骨が残ってるぐらいですからね
@やまひこくん
@やまひこくん Ай бұрын
自分小学校4年の時中休みに葬儀見ました。リヤカー引いて喪服で位牌を持つた近くの方がグランドの横道通つて。行きました。その後クラスメートと近所の公園で野球やってたら、流れ星🌠見ました。あの光景今でも忘れません。
@鵜飼洋志
@鵜飼洋志 Ай бұрын
隣組の人達が手伝っていたという表記で自分も祖母が亡くなった時に町内会の人達に自宅の入り口から弔問の受付を手伝ってもらったことを思い出す。このような事は町内会などでお互い様なんだなと思った。現在の隣の人との接触が薄れた時代は葬式も難しくなるのかな。
@lightningfromjomon9219
@lightningfromjomon9219 Ай бұрын
@@鵜飼洋志 さん、この地区では、もはや隣人は参加せず、セレモニーホールでの家族葬が主流になりました。
@nasu36rai56
@nasu36rai56 Ай бұрын
日本の土葬率は1915年は64%、1950年では46%で 1割を下回ったのは1979年以降です 現在は0.03%で火葬151万2511件に対し、土葬はわずか462件です
@svy3177
@svy3177 Ай бұрын
あった!あった!小学生の時に田舎の葬式行ったらこんな感じで埋めてたわ… 多分昭和50年代終盤だった気がする。 爺ちゃんの葬式だったと思うんだけどさ、親戚のおじさんに『死んだ人が絡まって天国に行けなくなるから、降ろす時に使ったロープは必ず外さなきゃ駄目なんだよ。』って事前に教えてもらってたから子供心に興味津々で見てたんだよね。 そしたらロープがどうやっても外れ無くて暫く皆で悪戦苦闘してたんだよ。 そしたら誰かが『面倒くせぇ!そのままロープも埋めちめぇ!』って言ったら皆も『んだんだ!』ってロープ落っことして埋めちまいやがんの… 流石に『えっ?爺ちゃん天国行けなくなるじゃん!』って思っておじさんの方見たらさ、露骨に視線外して皆を労い始めたもんだから慌ててお袋に『爺ちゃん天国行けなくなるよ!』って言ったら『別に良いのよ!』って笑ってた… 俺が大人の汚さを覚えた瞬間だつたよ。
@MrSakumasan
@MrSakumasan Ай бұрын
ひいばあちゃんの時は、まさにこういう葬式、埋葬だった。昭和54年頃だったかな。 皆んなで墓まで2、3キロ歩いてさ。 何年後かに埋葬の法律が変わったせいか、棺桶を掘り起こして、埋葬し直した記憶。
@Taka18782
@Taka18782 Ай бұрын
激減はしたけど、今でも地方では土葬が行われているところもあるよ。火葬が正しく進歩的で、土葬が古く忌まわしい悪習というわけでもなし。 それはともあれ、貴重な映像には違いない。見ていて厳かな気持ちになりました。感謝。
@芝芝-t2j
@芝芝-t2j Ай бұрын
親父から、話だけは聞いたことはあります。墓参り行った時に、土葬はへこんでいくら土をもらないといけないと。 なんとも言えませんが、貴重な映像ありがとございます。
@あんず-d8y
@あんず-d8y Ай бұрын
昭和50年代の栃木県中心部でも土葬は残ってました。 お寺で遊んでいると墓場の一角に霊柩車に持ち手がついてお神輿になったような形の輿が複数あるエリアがあり、 何だろうと思って近づくと 「そのあたりは土葬だから入ったら足を踏み抜くよ❗️」と友達に注意されてびっくりした記憶があります。 1年くらいたったら掘り起こしてお墓に納めるのですが、場所がわからなくなるので、輿をその上に目印に置いているのだと言われました。 なんか提灯とか花の竹筒とかも土に挿してあった記憶があります。 墓場の土地に余裕がないと出来ないので、段々廃れていったのだと思います。
@lightningfromjomon9219
@lightningfromjomon9219 Ай бұрын
@@あんず-d8y さん、貴重な情報をありがとうございます😊
@schectertoschizo
@schectertoschizo Ай бұрын
ああ、そう。土葬はこうでした。大伯母が亡くなった時、桶型の棺に入れて村の人たちと一緒に墓地まで運んでいたのを思い出します。 余談ですが、私は大伯母に可愛がられていたので、未だに大伯母の着物を残してあります。この映像を見ると、とても感慨深いものがあります。
@lightningfromjomon9219
@lightningfromjomon9219 Ай бұрын
@@schectertoschizo さん、そうでしょうね。
@モタード人生
@モタード人生 Ай бұрын
「不衛生」もでしょうが、墓地の土地問題も関係あるのかなと😅
@あーーる
@あーーる Ай бұрын
東北の生まれです。曽祖父も土葬だったようで今も墓石の下に骨のまま眠っています。一度墓を起こして火で炙ったので黒いですが