KZ
bin
Негізгі бет
Қазірдің өзінде танымал
Тікелей эфир
Ұнаған бейнелер
Қайтадан қараңыз
Жазылымдар
Кіру
Тіркелу
Ең жақсы KZbin
Фильм және анимация
Автокөліктер мен көлік құралдары
Музыка
Үй жануарлары мен аңдар
Спорт
Ойындар
Комедия
Ойын-сауық
Тәжірибелік нұсқаулар және стиль
Ғылым және технология
Жазылу
大河から学ぶ日本史
このチャンネルでは大河ドラマで出てきた疑問や裏設定などを優しく解説するチャンネルです。
もしわからないことなどがあればお気軽にコメントしてください。
17:37
道長に疎まれていた…?定子の子供たちの末路とは
Ай бұрын
21:08
光る君へがより楽しめる!平安時代の働く女性の裏側とは
Ай бұрын
16:17
愛されたかった中宮…夫である一条天皇にはすでに最愛の妻・定子がいたなかでの結婚と激動の人生
Ай бұрын
23:00
一条天皇と定子にようやく訪れた幸せと突然の終わり…早すぎる定子の死とは
2 ай бұрын
24:06
【光る君へ】複雑すぎる人間関係 ざっくり解説前編
2 ай бұрын
26:49
なぜ源氏は藤原氏の中で生き残れた理由とは…!?
2 ай бұрын
14:31
もしも二人が結ばれていたら、物語はどうなるのか…?
2 ай бұрын
19:06
女性は穢れていた…?光る君へでよく耳にする『穢れ』とは何か?
2 ай бұрын
28:34
【光る君へ】ついに枕草子執筆開始…?!清少納言が書いた枕草子とは何か
3 ай бұрын
46:21
【まとめ】道長の闇落ちと勢力争い…16~18話振り返り【作業用】
3 ай бұрын
21:24
もしも藤原道隆が長生きをしていたら
3 ай бұрын
27:43
なぜ1000年前の物語が現代でも親しまれているのか…?源氏物語の魅力とは
3 ай бұрын
17:49
父の栄光を引き継げず…道長に敗北した藤原伊周とは
3 ай бұрын
16:35
そこに愛はあったのか?紫式部が選んだ夫とは
4 ай бұрын
18:56
家族思いの兄から一変…なぜ藤原道隆は変わってしまったのか
4 ай бұрын
17:34
愛を貫いた悲劇の夫婦
4 ай бұрын
16:07
道長が最も信頼されていた兄!?藤原道綱とは
4 ай бұрын
13:30
野心家の塊…?最高権力者まで上り詰めた藤原道長の父とは
4 ай бұрын
17:02
勝気な強い女性…?清少納言の本当の素顔とは
4 ай бұрын
10:13
「光る君へ」12話振り返り
4 ай бұрын
17:10
平安の女流文学が最も花開いた時代…一条天皇が行ったこととは
4 ай бұрын
15:54
家族との確執に悩まされ続けた道兼の生涯とは…
5 ай бұрын
21:05
平安時代のF4!?道長を支えた優秀すぎる男たち
5 ай бұрын
15:24
夫に愛されず皇后になれなかったが、皇太后になった藤原詮子とは
5 ай бұрын
16:37
ロバート秋山氏が演じている藤原実資とはどのような人物だったのか
5 ай бұрын
19:35
自分の欲に忠実だった天皇…花山天皇の生涯とは!?
5 ай бұрын
19:59
家族すらも信じられない…!?道長の家族事情とは
6 ай бұрын
19:52
世代交代が早すぎる…!?平安時代の天皇事情とは
6 ай бұрын
19:14
権謀術数の渦巻く平安貴族のトップになった男の生涯とは…?
6 ай бұрын
Пікірлер
@kaetzchenweiss5793
Күн бұрын
女性としては寂しい人生であった かも知れないが政治と家族の繁栄に 生涯を尽くした女性。 兼家の血を濃く受け継いだ娘と 存じます。 道長にとっても詮子にとっても お互いに必要な存在で大切に 思っていた存在ですね。 彼女なくして道長の栄華はなかったと 存じます。道長がそれを理解し 大切な姉上として手厚く信頼を していた事でしょう。
@sasaakih
Күн бұрын
かなりの美人である。 それだけでキャスティング成功と言えるが、史実上どう表現されているのだろうか? 天皇の孫なので見たくれは悪いはずはないとは思うが!!!!!
@user-wz2ou8ww6g
2 күн бұрын
あるタイピング練習サイトには源氏物語の内容を練習問題にしてるのがあるのですが 言葉が昔基準なので慣れないうちはかなりタイプミスしました
@武郎出居
3 күн бұрын
瀧内公美さんが美人だから、ドラマが成立する。 黒木華は平安絵巻顔。
@toyo-rex4899
3 күн бұрын
公任が出世できなかったのは、性格に難があったからでしょう。 円融天皇の中宮・遵子(公任の姉)と女御・詮子をめぐる「素腹の后」のエピソードはあまりに有名ですが、1歳年下の藤原斉信に位階を越されたのを不服として半年以上も宮中への出仕を止めたのも、出世に少なからず影響したと思います。
@20cen.66
3 күн бұрын
えー、京都では何をおっしゃられましても、それ、裏の意味がありました?と、気を使いますので、そういうことですね。
@user-xm1vs6zt3u
5 күн бұрын
母の元で父親も居なくなってしまったのに、無事育ち長生きして、そこそこ、そ幸せそうで、良かった…😅
@kurebase5468
5 күн бұрын
信長包囲網なんて元亀元年に始まってるし、上村合戦(武田対織田)も三方ヶ原の直後には起きてる(従来説では元亀元年)。長篠より前の岩村城の戦いも無視してるし。いくらなんでもペラすぎる。
@user-nj2fe9qk6o
7 күн бұрын
徳川家康の255万石、正二位内大臣って凄いね!
@ブーフ
7 күн бұрын
娘が母親と違う性格に育つのは、 母親を見て、不満も持ちながら育ったからですよ…お父さんに似てしまうは必然、母親を憎んでないなら、それもいいではないですか…?
@user-tgLj3mpgdjm
10 күн бұрын
唯一? 紫式部日記は?
@user-bm8mr1qv6p
10 күн бұрын
資金面で 信長に敵わない
@heavensdoor815
10 күн бұрын
当代随一公任
@user-rr5zw8gb9y
10 күн бұрын
紫式部を母に持ち、才能もあり、自由奔放の人生。最高ですね❤ 羨ましい😂
@kenichiokochi1233
11 күн бұрын
本能寺はかつては規模も小さく、川沿いではなかった。それを、信長はわざわざ川沿いの 川を挟んだ対岸のより広い敷地に新たに建てさせていたという。信長ほどの知恵ものであり、しかも京都での自らの宿泊所とする目的で、わざわざ建立した新本能寺には、当然秘密の地下道を作り隣接する川に抜けられる様な通路と、小舟が用意されていたと考えても不思議ではあるまい。光秀、秀吉の何もが信長の忠実なる家来であったことを思えば、全て、事前に謀議を重ねた策略であったという説を私は好む。比叡山の焼き討ち、雑賀衆や一向一揆打ち据え、本願寺を降伏させて1000年の長期に渡る僧兵勢力の一掃を成し遂げたの信長も、流石にこれだけの仏教勢力を敵に回してしまったことで、自らが天下をとったところで、浮かぶ瀬もなきと思い、自らを業火の元で消滅させる様に仕組むことで、自らの厄払いを演出すると同時に、下級浮浪民出身の秀吉に天下統一を任せたののであろう。光秀は此の一大悲劇の助演男優として働いたことで役職を纏うし、おそらくうまく逃げ延びたことであろう。一兵卒の竹藪から不意に突き出された竹槍に射抜かれて一命を落とすほど光秀も愚か者ではあるまい。いやー、こうしたダイナミックな策略のもとに身をくらませた信長は、まさに天才というべきであろう。もちろん推測の域を出るものにあらず、、、ではあるが。
@user-wg3py2fm5x
12 күн бұрын
結局、暗殺と策略の繰返しの闘争だったんでしょう😢子孫に、たたりがないといいけど、、
@user-lp7oy7pg3s
12 күн бұрын
いやぁ?信長は、スペインの甘言にそそのかされて、むざむざ、朝鮮半島や大陸中国にスペインの先兵として出兵していたでしょう。光秀を使って、信長を殺害させた秀吉は、その事を判っていたので、都から遠くの長崎の出島だけを、スペインその他の国々との交易口に絞り込んだ。
@mema4577
12 күн бұрын
上地さんの演技が良い
@user-rk8fv4uy6s
15 күн бұрын
豊臣家のしくじりは秀吉が甥の秀次を蔑ろにした事、そして淀殿が家康に反逆した事が原因ですね。
@user-rk8fv4uy6s
15 күн бұрын
秀長がそうですね、後20年生きていたら豊臣家は確実に安泰だった筈。😅
@user-rk8fv4uy6s
15 күн бұрын
勝頼は、三国志の袁紹や何進みたいに優柔不断な所があった事、自惚れてた事が原因だった。
@okeisan322
15 күн бұрын
呪詛してくださいまし!呪詛は殿の御実家の得手でございましょ。 怖い😅
@user-lw4co2xt3t
15 күн бұрын
夏目広次は
@20cen.66
15 күн бұрын
それでいいとおもう。政争の具に使われるより、穏やかな日を過ごせて、何が悪いか。
@user-xn3cv3hd6e
16 күн бұрын
テレビで首持ち出したとやっていたけど。
@hirofeatherfield
16 күн бұрын
豊臣政権の本質は領土利権による諸侯連合ですし、戦争がなくなれば軍人の失業問題が顕在化する。大陸への膨張政策は必然だった。制海権と兵站さえ維持できていれば明征服は不可能ではなかった。
@jm-hi9xk
17 күн бұрын
文武両道の人だね😂
@user_4655
17 күн бұрын
猫好き、猫好かれ夫は愛妻家が多い 一方的でもダメ
@user-bb7ej8zt1t
17 күн бұрын
ひもと、佑は品がいい色気があり❤ セクシーなイケメン俳優で道長役に ピッタリです。 ケチを付ける人は嫉妬しているのですよ。
@user-fm6vs3yp4g
19 күн бұрын
織田信長公という傑出した人物を生んだ背景、京都に近い地理的要因もある。尾張三国のひとつの守護代の家臣(家老)だったはず織田家、信長公は祖父が経済に長けていたようだ、津島という港を抑えその揚がりで得た潤沢な資金が織田家の礎になったと作家津本陽氏の確か外天は夢か、という著書で知った記憶がある、資金力と同時に信長公の発想力、知恵、決断力、洞察力、などその当時にはない異質な英雄だ、ただ残念なのは武田家を滅ぼした辺りから自分を神と崇めさせ傲岸さが顕著に現れてきたのか、俺に逆らう奴はいないだろうという驕りが本能寺行きの随伴護衛の数の少なさだ、それと信長公の狂気だ、信長公が一泊予定で出掛けたさい何名かの女中達はお寺か神社参りに出掛けた、ところがその日の内に帰ってきた信長公はこれに激怒して女中達を殺してしまう、女性達は鬼の居ぬまのなんとやらでいそいそと出掛けたのが運の尽きだ、この仕打ちには信長公ファンの私も怒りを覚えた、何も殺さなくてもいいではないか。この辺りも信長公に住む狂気に歯止めが掛からなくなってきたのかと思った。若い頃から屈折していた、幼少期から実母に愛されなかったみたいだ、乳母の乳首を噛みきったなどの逸話あり、生まれながらの癇癪持ちと思う。狂気も生来のものだろう、だから部下に殺されたのも仕方ない事なのだ、狂気の天才信長、しかし好きだな❤
@user-fm6vs3yp4g
19 күн бұрын
皆さんの仮説を読むと実に面白いですわ、信長公なら海外進出もシナに留まらず広範囲になっていただろう、主な目的は貿易だ、貿易で得た富で更に国内を発展させたのではと推測する。❤
@user-uv2om5mk3e
19 күн бұрын
浅い! こんな浅い話で動画作らないでー。
@user-ri5yo1rr6i
19 күн бұрын
定子も一条天皇も切ないですね😢
@user-rr5zw8gb9y
21 күн бұрын
兼家を呪詛したから、私の中では、恐ろしい女性としか思えません、 何食わない顔で、道中の愛を受け、子宝に恵まれた。 まひろを想うと.悲しくなります。😢
@KAERUKUNN3652
22 күн бұрын
天海の正体は明智左馬助秀満では。とも言われてますよね。 年齢的にも合うそうですし。 坂本城を脱出して以来、「光秀」と名乗りながら逃亡し、岸和田の本徳寺で肖像画を描いてもらいその後に剃髪して・・と言う運び。
@masa-9999
22 күн бұрын
音が小さくて聞き取りづらい。 アップする前にチェックしなかったの?
@user-gp9nv1fl8l
22 күн бұрын
道長の子供じゃないの?
@kurita1201
22 күн бұрын
光る君へではそうですけど 本当は宣高と紫式部の娘です。
@user-sb4cx5dd6r
23 күн бұрын
織田と喧嘩しない方法もある。
@tukemononozu3993
23 күн бұрын
もしも、何処にあるんだろう?タラは昔は北海道だったけどね。無い事は言わない。無意味。
@express-jp
21 күн бұрын
そんなことは誰でも分かっている。 そこを敢えてIFの世界を観てみようというのがこの動画。 最初からタイトルに「ifを考察」と書いてあるのだから嫌なら観なければいいだけのこと。
@tukemononozu3993
17 күн бұрын
@@express-jp どうでもいい
@user-sb4cx5dd6r
23 күн бұрын
勝頼も見栄はる必要があったのだろう。
@ypearlt
23 күн бұрын
彰子のことをちゃんと一条天皇は愛したから2人も子供が産まれたんだと思います、道長への体裁の為なら1人皇子を産んだ時点で放置しておけば良かったんです、実際円融帝と詮子さんがそんな感じでしたからね
@ypearlt
23 күн бұрын
もし、やたらればなんて歴史にはありませんのでこういうの意味あるんでしょうか、不快です
@user-he6io1yo8p
24 күн бұрын
😮😮🎉
@user-lb4uf5nz8v
24 күн бұрын
なるほど、イイ女=良い母の素晴らしい配役だなあ!
@user-lb4uf5nz8v
24 күн бұрын
忘れてたけど中村静香さんの十二単姿良かったなあ。そこもアップくださってありがとうございます!
@user-cc6zx9wi6w
24 күн бұрын
小右記読んでみようかなって思ってる
@Eii73489
24 күн бұрын
女房に性的関係を持つ奴隷仕えのようなこともあったんだろうなぁ?天皇も色々ゐたから?~~。道長でさえでもクイナのように戸を叩いたと書いてゐるから?~~。「尊卑文脈」も解から無いよ!?女性甲斐があったのだろうよ!?弟の敦道親王はも!?~~。チャラ男にはそう云う返歌もアリと想えますが?
@user-ll7wz8ew5c
24 күн бұрын
道綱母は美貌のみならず、当代屈指の和歌の名手だったのは有名な話ですが、彼女は和歌のみならず 縫い物、染め物の名手でもあり、兼家妻たちの中では美貌と教養、芸術分野担当だったみたいですね。正妻の時姫が子沢山、家庭的な妻だったのに対して
@user-jd6eo7cb6g
24 күн бұрын
信長は平氏だから天下は無理ですねww 信長の家臣団は8割は源氏ですから天皇家に対しての暴言や荘園の略奪が無ければ良かったんですが ちゃんと犯罪の記録に残ってるですよww ※それをリセッションしたのが秀吉ですよww
@lazy_poverty_god
25 күн бұрын
天皇の乳母が一番すごいことだとおもうけどなぁ おかけで女性ながら、そこまで良い出自じゃないながらも従三位なわけだし