Пікірлер
@user-bn5yx3gc7o
@user-bn5yx3gc7o 11 сағат бұрын
もうちょっと先まで行って欲しかったね。  そうー シンボリルドルフ ナリタブライアン ディープインパクト そしてアーモンドアイまでね。 ここでハッキリ言わせていただきたい。  クラッシック3冠を獲得してる競走馬は凄いよね。 どなたか書いておられたが シンザン! うーーん 全て連に絡む成績だしね 文句なしの成績だと思うが  正直アッシは 日本競馬史上最強馬は シンボリルドルフかディープインパクトとのどちらかと思う。  ジョッキーも あの岡部幸雄と武豊だし いい勝負じゃね。  一度 シンボリルドルフVSディープインパクトを見てみたいと思うのはアッシだけでしょうか?  JRAのCMで以前有ったが 是非!時代を超えた勝負をお願いしたい。
@hiromi195096
@hiromi195096 3 күн бұрын
何故、昭和天皇は統帥権を発動して停戦しなかったのでしょうか? 伏見野宮博康王(昭和天皇より25歳年上で海軍軍人)が、暗躍していたそうです。
@hiromi195096
@hiromi195096 3 күн бұрын
何故、昭和天皇は統帥権を発動して停戦しなかったのでしょうか? 伏見野宮博康王(昭和天皇より25歳年上で海軍軍人)が、暗躍していたそうです。
@user-rk2ml6eq6o
@user-rk2ml6eq6o 3 күн бұрын
兵学校は、上級生がやたらと下級生をぶん殴る!と言われていますが、それは大間違いです。クラス(期)によっては、殆ど殴られた事がないクラスも有れば、やたらと殴られたクラスもあったそうです。 68期の豊田さんは、下級生(四号生徒)時代、65期生の1号生徒にイヤというほど殴られたそうです。豊田さんの1期下の66期生は、余り殴られる事は無かったそうですね?豊田さんたちが最上級生になったときは、70期生を開校以来言われるほど殴ったそうです。従って豊田さんら68きせいは「土方クラス」と言われていたそうです。
@zerosen1868
@zerosen1868 4 күн бұрын
動画内の給与表の昭和初期の物価に誤りがありました。米60キロ60銭とありますが正しくは10円前後(豊作時)となります。お詫びして訂正致します
@user-lg8xl7xg9n
@user-lg8xl7xg9n 4 күн бұрын
陸幼・陸士・陸大出の秀才よりも日清、日露戦争を戦った高級指揮官の方が戦争の本質を知っていたようだ。
@user-uo4ld7rp1z
@user-uo4ld7rp1z 4 күн бұрын
慰●婦の方が高給取りだったよ
@brilliantfirst211
@brilliantfirst211 5 күн бұрын
米60kgの価格が安すぎる。地下鉄の初乗り運賃が米10kgと一緒なんて今の米不足から考えれば隔世の感。
@zerosen1868
@zerosen1868 4 күн бұрын
大変申し訳ございません。動画内の表記ミスで正しくは昭和初期の米価は60キロ10円前後となります。訂正してお詫びします
@dindon1969
@dindon1969 5 күн бұрын
避難小屋での宴会自体はどうでもいい、 遭難原因じゃないから。 あえて宴会に関連付けるなら それまでに無駄な過労と タイムロスを繰り返してたこと。 マイクロバスを降りるタイミングは 「このまま、リフト乗り場前まで引き返してください」 だったのに 誰ひとりそんなことにも気づかず、 路面凍結地点で下車して 全員で協議して 徒歩でリフト乗り場前まで行く バカ判断。 事前準備もしなければ その時々の適切な現場対応も出来ない人たちの集団など 大方遭難死して当然。
@gsan1135
@gsan1135 6 күн бұрын
子供の頃松本清張さんが優秀なので担任の先生が是非旧制中学に進学して欲しいと親に直訴する為に家庭訪問したら家の経済状態わかりますよね それで諦めたそうです。小倉だから旧制小倉中学、現在の小倉高校でしょうね。台湾の李登輝さん旧制台北高校から京都大学、同級生の作家、実業家の邱永漢さんは東大と植民地の人でも高等教育受けられた。その為台湾各地に学校建てられて現在の発展の基礎になった
@user-oo3ev6rt3x
@user-oo3ev6rt3x 6 күн бұрын
曽祖父が恩師の銀時計もらったとか どこいったんだろう…
@user-zf8gd5td5g
@user-zf8gd5td5g 7 күн бұрын
準備不足が何よりも悪いんだけど、白浜まで時間がかかっちゃった時点で引き返した方がいいよね
@schimitch3277
@schimitch3277 7 күн бұрын
母方大伯父が東京帝大の工学部だったなあ……理系でしかもエンジン工学?専攻だったから徴兵を免れたそうで。
@user-xd5fj9qm6r
@user-xd5fj9qm6r 8 күн бұрын
幹部自衛官を1尉で辞めたものです。 軍人だった祖父から「大尉、少佐は偉くない、大佐になってからが本物のエリート」と言われましたが、やはり、今もそうですね。 桃栗三年、柿八年、〇〇大尉(少佐)は〇〇年って万年大尉や少佐を揶揄する表現がありますが、日本だけでなく防大部屋対番だった韓国軍の知り合いも万年大尉なんで、ここが一つの凡人の限界です
@user-zi3hq2xe9v
@user-zi3hq2xe9v 8 күн бұрын
明治になって武士はいなくなったけど、いわゆる無職渡世(ぶしょくとせい)の人たちはずっと生き残っている🤔
@life77755
@life77755 8 күн бұрын
24:57 伏水修監督
@user-mm7cg8in6z
@user-mm7cg8in6z 9 күн бұрын
サザエさんのおフネさんは、どこに当てはまるんやろか。今でいう、お茶の水女子大学出身らしいが
@user-un6zp8de7m
@user-un6zp8de7m 10 күн бұрын
水兵から部内で搭乗員になるのは、当初は操縦と偵察に分かれていたが、後に丙飛予科練となり統合された。
@user-un6zp8de7m
@user-un6zp8de7m 10 күн бұрын
よびやくの読みは間違いで、正確にはよびえき。
@TheWashida20
@TheWashida20 10 күн бұрын
父方の祖父の叔父が職業軍人で開戦時に中佐で現在の換算で53万円か。最終的には少将になったみたいだけど、東日本大震災で母方の親戚(従軍経験者)の人が避難してた頃に父方の祖父の叔父を実際に閣下と呼んでたから、本当に閣下だったんだなぁと思いました(小並感
@huihui1842
@huihui1842 10 күн бұрын
ん、今の北朝鮮とか軍人じゃなきゃ高給のエリートになれたりはしないよな😂
@user-sr4xb2my3f
@user-sr4xb2my3f 11 күн бұрын
東京帝国大学の学生は全員パッパラーだったんですよ。  当時大学を志願する人なんて僅かで全ての大学は募集人員に受験者数が達していなかったので  金持ちなら誰でも大学に入学出来ました。  勿論勉強している者などほとんどいなかったみたいです
@user-gl5gs4nc9b
@user-gl5gs4nc9b 11 күн бұрын
大正16年て昭和2年の事かな?大正は15年迄の筈火傷。
@percy5665
@percy5665 12 күн бұрын
将校の制服が実費と言うのはヨーロッパの文化です。 ヨーロッパでは貴族や領主(騎士や大地主)が王から官位をもらっており自前で軍服を仕立ててました。 戦争が始まったら兵隊として領内の若い男を一時的に集めて戦争が終わったらそれぞれの仕事に戻っていました。 これを近代国家は徴兵による一律化により職業軍人の将校、任期制の兵、間が広がるので兵から昇任させた下士官の大きく3階層に分かれますが、職業軍人の将校は実費調達のままでした。
@user-rk2ml6eq6o
@user-rk2ml6eq6o 8 күн бұрын
それは日本も同じですよ。武士(士官)は鎧兜、槍、刀は自前でお上(殿様)が支給して呉れませんからね!
@percy5665
@percy5665 8 күн бұрын
@@user-rk2ml6eq6o あっ、確かに❗️
@user-xp3ej6be5w
@user-xp3ej6be5w 12 күн бұрын
今は帝大卒でもブラック企業短期退職→日雇い労働者→引きこもりがデフォだからな、、、って氷河期世代だけ?
@user-zi3hq2xe9v
@user-zi3hq2xe9v 12 күн бұрын
次はやはり海軍機関学校と海軍経理学校をお願いします⚓️∠(`・ω・´)
@user-zi3hq2xe9v
@user-zi3hq2xe9v 12 күн бұрын
大正16年はありませんよ😶
@giantszero6962
@giantszero6962 13 күн бұрын
戦後にも通じる大衆文化が広まってる反面軍部が台頭し農村は前近代的なままな時代。 アメリカ化と聞いて真っ先に浮かぶのが怪獣映画。 戦後のゴジラなどは輸入上映されたキングコングやターザンの影響をもろに受けてるし。
@user-zi3hq2xe9v
@user-zi3hq2xe9v 13 күн бұрын
戦前の大衆の娯楽の一番の人気ジャンルといえば、浪花節は絶対に外してはいけない❗️
@uxcq3963
@uxcq3963 13 күн бұрын
師範学校をお願いします🙏
@LaLaJun
@LaLaJun 14 күн бұрын
予備役の軍人が将校の軍服を着て保険の営業に家庭に来る事があったと本で読みましたよ。
@sak252
@sak252 14 күн бұрын
当時の帝大法学部では、卒論(今の東大法学部や京大法学部にはありません)を書くために、原書を何冊も読み込まなければならなかったそうです。 商社各社が帝大生に高給を提示していた一因には、その語学力への好評価があったのかもしれません。
@user-jy4fc2pm3m
@user-jy4fc2pm3m 15 күн бұрын
陸軍将校の養成のために造られた学校ですね。エリートですね。
@user-lb8vc8it6z
@user-lb8vc8it6z 15 күн бұрын
少尉で当時の帝大新卒くらいの収入だったハズだがこれで貧乏少尉と言うなら新人なんだからしょうがない
@user-bw8fx2tc5u
@user-bw8fx2tc5u 16 күн бұрын
ある海軍兵曹の飛行機搭乗員が、中国戦線に行ったら給料が倍になり、しかも使うところもなかったので、トランク一杯の猪🐗(10円札)を日本に持ち帰ったという話を聞いたことがあります😁
@user-jy4fc2pm3m
@user-jy4fc2pm3m 16 күн бұрын
陸士と並んで、海軍将校の養成機関。だから、エリート校ですね。
@user-su3ej6qg2h
@user-su3ej6qg2h 16 күн бұрын
「陸軍将校の敎育社会敎育社会史ー立身出世と天皇制(上・下)」(広田照幸)(ちくま学芸文庫)に陸軍将校の実態がよく述べられている。このシリーズの「陸軍幼年学校と陸軍士官学校」をさっき見てそこにもコメントしましたが、陸士出た亡き父が生前よく言っていたこと思いだしてコメントします。  概して、軍人は貧乏人がいく学校で割りに合わないという意識が世間、特に都会では強くそれは現代まで続いている。防衛大学は陸士、海兵時代に比べて難易度が低い(大体、地方国立かマーチぐらい。ただし、防衛医大医学科は別)こともあるが、任官拒否も多い。  だが、九州など地方では評価が高いとか。また、自衛隊という閉塞社会では階級が全てで、一尉以上の幹部は一般隊員からみると神様扱いである。(これは警察や旧国鉄や一部大手私鉄など現業が多い制服組織に見られる。会社の自衛隊体験で見た光景では一部の一般隊員は幹部の制服にさえ畏敬を込めていた) 一方で自衛隊は定年が早い。防衛大出た幹部でも多くはニ佐くらいで終わり、再就職先は自動車ディーラーぐらいとか。そのギャップが大きい。(自分の会社の運送系子会社に陸自二佐の人が部下なし付部長でいたが、現役時は部下が全部してくれてただ号令するだけだったのに、今は一人でセールスしていると嘆いていた)  その点は、前記の本に書かれている旧軍時代の将校の生活観、行く末と同じである。しかも、戦前の高級軍人は陸軍省課長は大佐だが、今は防衛省本庁課長は事務官僚の世界で微妙に差別されている  まあ、戦前でも本省や参謀本部は陸大卒が主流なので、難易度的には現代の国家公務員総合職(昔の高等文官、旧国家公務員上級職甲)と相当と考えれば、陸大=国公総合職、陸士=隊付将校と考えればいいのかもしれない。(もっとも、ランク的には 陸士>防衛大、陸軍省(一流)>防衛省(二流)なので軍人は自衛官より世評は圧倒的に高い。防衛省事務高級官僚が昔の真の高級軍人の地位にあたるのだろうがインパクトは弱い)  俸給的には、今と昔では物価以上に給金価値、社会敎育文化度が違うので単純比較はできないとも思います。昔は多くの国民が衣食住だけあれば良い世界。高等教育行く人も多くないし、文化サービス業も発達しない中後進国家(今のロシアぐらいのイメージ?)。だから多くの国民は農商工の現業従事で貧しくともそれなり生活に甘んじていたのではなかろうか。だから、官庁や財閥や一部基幹産業従事の高等職員以外の現業従事職員の給与が相対的に低く出るのは仕方ないとも思う。  旧軍の問題はやはり陸士の表向きの評価の異常な高さと、しかし陸大出以外の隊付大勢組の受ける処遇のギャップだっただろう。前記の本にも書かれていたが、陸士生徒は折々に触れて天皇のお目通りができるチャンスに恵まれており意図的に天皇親衛というエリート意識が植え付けられている。それなのに、平時では早々に予備に回され、不況時には学校小使やセールスマンなど意図しない境遇の者もいたらしい。その点は、現代はいくら高級自衛官の給料が本省幹部に見劣りするといってもそれほどの差はないだろう。
@user-su3ej6qg2h
@user-su3ej6qg2h 16 күн бұрын
亡き父は田舎の中学から陸士行った。実家が色々あって金銭的に余裕ないのと、田舎では軍人の評価高かったから。幼年学校は落ちたので中学から。幼年学校は当時は軍縮の影響で東京しかなく非常に少数だったとか。(受験の翌年から各地にもできて少し入りやすくなったとか)  中学は2番で入ってが少しサボって20番くらいまで落ちたが、最後は頑張って合格。入試問題、特に数学傾向研究したのが良かったとか。田舎のわりに学歴社会だったのか一高とか三高とか、高等師範とかよく言っていた。(海兵の方が陸士より難関。しかし、敗戦直前は陸士の方が上。海兵は軍艦沈められて陸戦隊になったが、大量入学。制服がナッパ服なり人気下落とか)  当時は、旧制高校がエリートで早慶はダメ。 特に早稲田は与太者という意識が庶民でもあったらしい。(実家が下宿屋やっていたが、下宿させていた女学校の先生では、広島高等師範出の先生はえらいが早稲田出の先生は偉くないと母親が言っていたとか。)  このように何故か学歴詳しい父の影響で、自分は一流半私立から国立目指し、急に成績伸びたので東大受けた。やはり最難関で失敗し早稲田入ったが、学風と世評の意外な低さで嫌になり東大再受験しやっと合格した。当時、東大には旧制高校出の教授がいた。ある人気教授はザックバランな人だったが、東京の中学では一高が別格。次に海兵で、陸士はその下で水戸高校や静岡高校、浦和高校と同じくらいと言っていた。(その教授は水戸高校から東大経済)  軍人は陸大出ないとダメ。そのため、陸士でもこっそりガリ弁するのが出世する。父の昔語りでは昔いた部隊の上官がよく、視察きた陸大出の上官の悪口と、後輩へのアドバイス(勉強しないと後悔するぞとの)をしていたとか。  父は結局勉強しなく成績ダメだったので、卒業後は朝鮮の部隊に行ったが、それでも戦争中だったので、数年で大尉になったが、近所の人がびっくりしたとか(平時には万年大尉で退職の人も多かったらしいので)その後、陸軍が特別に作った潜水艇(まるゆ部隊)部隊に入り隊長(艇長)で終戦。最後は広島近くの島に駐屯し広島へは一番救援隊で入った。原爆ドームあたりで女学生や中学生の悲惨な状況を見たらしい。(終戦後も放射能影響ないか結構心配したとか)  なお、軍人の評価は地域で異なる。旧制高校崇拝、私学蔑視は戦前の日本では共通のようだが、軍人の評価は都会では少し低かったとも思われる。概して貧乏人がいく学校で、規律厳しくその割に恵まれないという意識があったようだ。(昔の帝大行くには結構な金がかかった。それで、田舎の大地主階層も旧制高校から帝大コースが多かった)  また、意外なことだが、都会近郊の地主階層の一部には、長男は中学ぐらいで後継がせるのがいいという考えもあったようだ。自分の母は都会近郊出で、旧制女専まで行かせてもらえたらしいが、父の学歴全く評価していなかった。(自分の地元では最近までその名残があった。結構中学受験盛んな地域で東大や京大最上位クラスの私立がいくつもあるが、新興住宅地のサラリーマンの家庭だけでが行く。地元の家庭は土地持ちで裕福だが受験熱はない。そのため地元公立高校はどこもレベルが低い)
@user-jy4fc2pm3m
@user-jy4fc2pm3m 17 күн бұрын
ここを卒業して、高等文官試験に合格すると、キャリア官僚としての生活が始まるんですよね。そして、その出世の速度は、武官の速度よりも早く、5歳も早く、高等官一等位に慣れるとか言われていますが、本当に戦時の初級将校供給源になるようになっているんですかね?
@user-jy4fc2pm3m
@user-jy4fc2pm3m 17 күн бұрын
武官に比べて、文官のキャリア組の出世の速度は半端ではない。
@user-ps3hn3bq7m
@user-ps3hn3bq7m 17 күн бұрын
おれポンコツ平社員だけど少佐ぐらい給料貰ってるけど、会社の為に頑張った方がいいのかな?
@user-qi1dp6ce9m
@user-qi1dp6ce9m 17 күн бұрын
これは兵曹長に任じられた方の話ですが、通常軍装から礼装だけで千円、さらに私服の洋服や袴付きの和服(海軍士官には私服でもそれなりの格好が求められた)を揃えるのにさらに五百円かかったと言う話ですから、新米士官はかなり苦しかったと思います。
@anjing2728
@anjing2728 17 күн бұрын
これも歴史から鑑みれば小島の無常展開に過ぎない。
@yoshi-yu6sn
@yoshi-yu6sn 17 күн бұрын
若い少尉さんにゃ金がない〜♪ 女泣かせの中尉殿〜♪
@tsuchikadonarita9334
@tsuchikadonarita9334 17 күн бұрын
昭和70年(1995)の物価が,昭和100年(2025)の何%だったのか,是が非でも知りたいものですが…。 昭和50年頃の物価…"UFOコマンダー7"→約1/6 昭和60年頃の物価…"ブリタニア号" →約1/4 昭和70年頃の物価………………………→VHSの価格から,算出できんものか…。(※12月8日に,DVDの規格が発表される。)
@ku8687
@ku8687 18 күн бұрын
やるせない現実
@kahoru726
@kahoru726 18 күн бұрын
良い動画で感動しています。226事件の奴らも所詮は金ですよ。
@nuruosan4398
@nuruosan4398 18 күн бұрын
日本フォードの社長秘書は女性でありながら当時の東京都知事より高い給料をもらっていて、日本一の高収入の女性として新聞にも紹介され話題になった
@user-jq2yo9tc1c
@user-jq2yo9tc1c 18 күн бұрын
金は出せないけどお前らはお国の為に頑張ってるんだぞ偉いんだぞ尊い仕事なんだぞだから誇り持って働けよっていう誤魔化しが、次世代になると子供の頃から軍人は偉いって聞いていたのになんでこんなに金貰えないんだおかしいだろって加速度的に不満が蓄積し暴走していく事になるの本当に世の中ままならないというか。結局誤魔化しというのはどこかにしわ寄せがくるんですな。あまりにも大きなしわ寄せが。
@user-xz5he2kw4r
@user-xz5he2kw4r 18 күн бұрын
当時の大企業の月給を追記します。日本鋼管(現 JFE)の記念館に戦前の給与に関する記載がありました。課長(当時の課長は現在の部長に相当)で200円、技師長で300円でした。軍人で該当するのを探すと、陸士を出たら誰もがなれたという少佐194円、海兵を出たら皆がなれたという大佐345円に相当します。一般工員の給与が30~40円の時代でもあり、これは立派なものです。思わずため息が出ます。ちなみに当時の課長・月給200円は家には女中を置いていました。