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Пікірлер
@chip855
3 ай бұрын
手のひらと手のひらを合わせて 幸せーー
@湯浅龍太郎-q3z
4 ай бұрын
常用して居る言葉が変わる切っ掛けが知りたいですね。❤📝
@才蔵-n3l
10 ай бұрын
昔小津作品を見ても、特別の感情は湧かなかったんですが、年取って良さが解ってきました。すると、当時の他の作品も思い出します。三益愛子の麦とか思い出します。
@nekonekonekonote
10 ай бұрын
「いただきます」に方言がない なるほど〜。何かすごく納得してしまいました。
@nanami-773
Жыл бұрын
「麦秋」ですが、物語は年増の原節子が40過ぎの男との見合い結婚を断って、子持ちの幼馴染を選んで秋田に飛ばされるというもので、冒頭のGHQ推奨なセリフに対して「女性の進出というけれど、現実はそんなもんじゃないんだよ」というのが映画の主題だと思います。
@りかはにゅう
Жыл бұрын
赤いヤカンだけは、気づいていましたけど、場面場面、ひとことひとこと、その奥があって深いんですね。「お早よう」という映画も奥が深そうですね。これからは、そういうことを頭に入れて鑑賞します。ありがとうございました。勉強になりました。
@今泰子-i1p
Жыл бұрын
赤や黄色のヤカンは画面が締まり目を引きますね。。 まるで、シリーズで観てる小津ファンに、スパイス的な謎解きを、コソッとオマケに入れてくれているようです。。 秋刀魚の味の岩下志麻さんの着物と同じ柄のものが、小津映画のなんという映画だったかに、原節子さんの帯に登場したりも、しますね💕 今回のオマケシーンは、なんだったか、さぁ、あなたは、分かりましたか? と、問題を投げかけてくれる小津さん!! どことなく、オシャレで、チヤーミングです!!
@安全高齢どらいばー
Жыл бұрын
「いただきます」はどちらかといえば、他家で食事などを「いただく」時の「挨拶」習慣から転化したものでしょう。「命を頂く」は後付けと思います。
@河野良平-f2z
Жыл бұрын
今は良い監督も良い俳優もいません。若い人に迎合するような顔だけの演技力も無い役者ばかりで、今後の邦画の将来が思いやられます。
@塚田将史-y8y
Жыл бұрын
男の方が、女よりも美味しいとか美味しそうって使う人多い。頼むから男言葉使って欲しい。逆に女が、旨いとかうまっ!、とか旨そうって言うのやめて欲しい
@jun4506
Жыл бұрын
初めてコメントさせて頂きます❗ 小津監督大好き人間です❕ 素晴らしい観点と観察力に、敬服致します❕昨日も、初期の無声映画「突貫小僧」「出来心」を、見ました‼️本作でも、小津ワールド満載でした‼️後期の「三部作」も、「フェルメール」と同じです❕びっくりしました‼️改めてアップして頂きまして感謝申し上げます☀️
@jun4506
Жыл бұрын
アップして頂きまして有り難う御座います❗旧作日本映画大好き人間です❕ 成瀬監督、小津監督、溝口監督、清水宏監督の作品を、良く見ています🎵 昨日、「秋日和」を二度観しました‼️ 貴氏の素晴らしい観点と観察力に、改めて、敬服致します❕ 有り難う御座いました。
@rekishi-kansoku
Жыл бұрын
旅人JUNさん、コメントをまことにありがとうございます。 単純すぎることをひとつ申し上げれば、60年代くらいまでの日本映画は。やはりお金をたくさん使っています。溝口監督作品なではお金のかかりかたが明らかですが、成瀬監督作品など、地味なテーマなのにすごくお金がかかっている。旧作日本映画がおもしろい背景のひとつだと思います。なお、秋日和のオカダマリコは超絶かわいいと思います。
@kotarouk
Жыл бұрын
何を言い出すのかと思ったら、しょうもない。 小説が明治時代に生まれた言葉だからとか、読み聞かせや貴族子女の教育本だとか、理由それですか、という印象。くだらない。 言葉が生まれる前から小説は小説です。
@naosato1244
Жыл бұрын
”丁寧に、きりもなく、しつこくやっていいという自由がある”・・なるほど。「自由」と括るところが面白いです。そして、”無意識に入れてしまった縁語があるかも知れない”・・って部分が更に面白いです。1000年の時を経て受け継がれて来た趣向、好み、感覚、遊び心、その「無意識」。深いですね日本文化は。
@rekishi-kansoku
Жыл бұрын
nao satoさん、コメントを誠にありがとうございます。 対してキリスト教文化圏では、畏れ多い(絶対神に対して)という意識が働く、とおっしゃっている学者、研究者の方もいらっしゃったかと思います。
@naosato1244
Жыл бұрын
@@rekishi-kansoku なるほど、、例えばハリウッドや欧州映画の中ではこういう趣向は少ないのでしょうか。 ここで語られてる”ヤカン”や”一升瓶”などの「縁語」表現とはニュアンスが違うかもしれませんが、”異なる世界を縫い針のように繋ぐ趣向”として、現在の日本では例えばアニメや漫画などサブカルに割と多くあるのかなと思いました。 有名所で言えば映画「君の名は」「天気の子」などで国民的作家となった新海誠作品。隠し味や遊び心として同一キャラクターがパラレル世界のように他作品にもこっそり登場してたりします。 宮崎駿作品や手塚治虫作品にもそれがありますが、作品の世界設定を超えて繰り返し使われるアイコンやキャラクターがあり、それらが異なる世界を”縫い針”のように繋ぐ役目をしてるようにも感じます。さりげなく使われてる表現に気付くと嬉しくもなったりします。 小津映画の中の”小道具”とはまた意味が違うのでしょうが、「世界は関係で出来ている」としてふと思い当たりました。
@rekishi-kansoku
Жыл бұрын
nao satoさん、興味深いお話をありがとうございます。 ”異なる世界を縫い針のように繋ぐ趣向”として、洋画でおそらくいちばん有名なのは、スタンリー・キューブリック監督作品「2001年宇宙の旅」の冒頭、類人猿が投げ上げた骨が宇宙ステーションに映り変わるシーンだと思います。ただし、ここには「意味」と「主張」がありますよね。わけのわからない小道具がおびただしく登場するということではデヴィッド・リンチの映画はその代表的なものかと思いますけれども、わけのわからなさと奇妙さということはあっても、それらが登場する意味というものが歴然とあるわけです。意味(ないし教訓)とその理解を追い求める、そうでないと納得しない、という傾向が海外作品にはあるのだろうと思います。 一方、nao satoさんご指摘のように、日本の表現には(映画には限りませんけれども)、きれいなもの、かわいいもの、美しいもの、おもしろいと思われるものを添加・追加していくことに何のてらいも抵抗もない、何か心が動く感じがあるだけのことでよくて、意味だとか主張だとかはどうでもいい、というところがあって、案外、こういうところが、日本のもの(古いものから新しいものまで)が海外から盛んにカワイイ、キレイと言われる理由なのかもしれません。
@naosato1244
Жыл бұрын
@@rekishi-kansoku そういうことなんですね。納得できます。 海外映画に関しては確かに一見意味不明なカット割りや小道具が多く使われてますが、解説等で確認すると必ずそこに何らかの「意味」や「主張」があったりしますね。感覚よりも理屈が重視されており、単にシュールに見えるものも何かのメタファーや遠い伏線となっていたりで、とにかく「意味」の担保があります。逆にそういう作品の見せ方に慣れれば、「意味」がないと物足りなく感じる自分もいます。 一方日本の作品(日本的作風)にもそういう部分はありますが、仰るような「縁語」表現の多くは単に”遊び心”であり、無駄と言えば無駄だけどその無駄さ加減にホッとしたりにんまりしたりもできる。ここらは一神教と多神教の違いということでもあるんでしょうか・・
@伊東敏明-j2v
Жыл бұрын
そもそも三十一文字などというと、千早花魁が竜田川を振る噺と、五右衛門辞世の句しか知らないが、他人の観た昨夜の夢を他人が解釈·詮索するあたりなんともつかみどころがない話しではないか。そもそも、金木の田舎者が選者たる所以がわからん。
@伊東敏明-j2v
Жыл бұрын
天台の十界論の中で神は人間の上の天界の住人であり、その上に声聞·縁覚·菩薩·仏が存在するから、最高の存在は如来だろう。9:50 以降言ってることは如来の説く「空」ではないか。神が「空」を説いたと日本書紀に出ているのか?真理を説かぬ神は淫祠邪教の神とどう違うのか?単なる伝説を歴史として政府が公式見解としている?天皇制を持ち出すまでもなく、それだけでニッポンがカルト国家であることが明らかだな。
@伊東敏明-j2v
Жыл бұрын
今思いついて、「東京物語」の最初と最後を観てるけど、冒頭の造り酒屋風の建物の前を歩く小学生の手前の二本の瓶の構図は、寺の境内の2基の常夜灯の間に立つ、笠智衆と原節子の構図のおそらく伏線ではないか? 映画全体での、縦横線の強調や小津制作といわれる酒屋の看板提灯のこだわりや、葬儀の場のその他大勢の中に小林十九二を配する不思議や、旅仕度をする夫婦の背後に香川京子が座る構図と、スチールになってる原節子のアパートでの三人の構図の類似性など、その気になって観ていると小津の思う壺にはまりそうではあるけど、そんな小津の偏執狂的趣味や趣向に付きあう見物が公開時にどれだけいたか?そのほうが大事だろう。黒沢の「天国と地獄」では季節が夏の設定なので、冬にもかかわらず江ノ電の窓を全部開けて、扇子まで使う芸の細かさをみせるが、これをリアリズムとすれば小津のそれは衒学趣味にすぎないと思う。途中まで観て気がついたけど、笠智衆が旧知二人と料亭の二階で飲むシーン、十朱久雄の「戦争はもう懲りごりですわ」と、一同しんみりする後ろで軍艦マーチが聞こえる不思議と、9年後の「秋刀魚の味」では軍艦マーチのレコードをかけさせて、加藤大介が戦争を回顧してしんみりどころか、笠智衆と岸田今日子と海軍式の敬礼をしあって盛り上がる、という不思議は、じつはテーマとして繋がっている?……、おっと危ない、小津の衒学趣味に付き合っているときりがない……といってるうちに、原節子の会社に義母危篤の電話がかかるシーンで無造作とみせて、計算づくで置かれたタイヤのわざとらしい配置が目について……これはきりがないな。
@伊東敏明-j2v
Жыл бұрын
「証明されてない」という事実と「不明」という事実から展開しても、それは空想·妄想の類でしかないね。ひとつの相似から、論を逞しくするのは戯論·暴論、あるいは針小棒大というものである。この映画のメインはもちろん原節子。老夫婦を親身になって真心を持って接したのも、嫁の原節子。となれば、スチール写真はアパートの原節子の部屋が最適。三人並べば自ずと構図は決まるし、構図家としての監督と画家の一致点の範囲もせばまってくる。要するに、構図として不自然でない範囲で相似が観られるという、ただそれだけの話しであろう。
@伊東敏明-j2v
Жыл бұрын
GHQの押し付け憲法の第一条で天皇制を残して、なにが民主主義であろうか。GHQの占領政策上の都合と日本国民の民度にあわせた、単なる舵取り·方向づけが、戦後のいわゆる民主主義なるものである。映画では、家父長制や男尊女卑などの封建制を批判しても、実はそれらは天皇制を温存するうえで不可欠なものであった。「晩春」や「麦秋」がキネ旬ベストテンの上位を占めるのは、高峰三枝子などに代わる原節子の、時代を反映した魅力によるものだろう。北鎌倉に住んでけっこうな暮らしの家庭の娘の縁談がどうの婚期がこうのと、どうぞ御勝手にというようなパターンの映画で、觀切るのが苦痛な愚作としかいいようがない、
@伊東敏明-j2v
Жыл бұрын
ひとくちで言えば、小津個人の風変わりな趣味·こだわりだろうから、そんなもの詮索したりこだわっても意味は無いだろうね。 「淑女は何を忘れたか」では、スタンドバーのセットにドンキ·ホーテと横文字で書いた次に花押が書いてある不思議。芝居小屋でのおかしな長いショット(小津自身、六代目の鏡獅子を撮っているし、松竹であるにもかかわらず舞台のシーンを入れない不思議)や料亭の掛け軸に、絵でなく押し隈を使っている不思議。「東京暮色」で、サセレシアの他には、「安里家ユンタ」と「ヨイトマケ」と「明大校歌」くらいしか使ってない不思議、とまあ、ちょっと思いつくだけでも意味不明な、小津本人しかわからない意図に基づく「?」が出てくるわけで、件のヤカンもその延長に過ぎないだろうね。不思議といえば(仮に小津が完全主義者として)、素人の菅原通済を平気で使う不思議や、「小早川家の秋」の最後で、訛りが周囲と全く違う笠智衆を突然登場させる不思議、「浮草」で鴈治郎の河内山をセリフだけにして舞台は映さず、しかもそのセリフもワザと下手に言わせている不思議etc その他にも「しこたま」あるだろけど、見物が気がつかなければそれで終わりの趣向ばかり。それを演出というかこだわりというか趣味というか悪ふざけというかは、気がついた人の勝手だけと、そんな小津にしかわからない、つまり昨夜観た夢みたいなことを詮索したり評価の材料にしても、好事家の満足というか同好の士の点数稼ぎというか、だからなんなので終わっちゃうようなことに、あえて能書きをこくのはおよそ愚というもんだろうね。
@伊東敏明-j2v
Жыл бұрын
かあやんの「いただきます」は、ご祝儀の振る舞い酒を「ご馳走んなるよ」の意味だから食前の「いただきます」とはニャアンスが違う。33:01で、配給のお知らせに来た為吉に、かあやんが「夕べはご馳走さん」と言うのとセットになってるけど、これも昭和以前からある「ご馳走頂戴つかまつる」が「頂くよ」と「ご馳走さん」に分かれたものだから、食前食後には関係なかろう。56:11には大工の伜という設定の子供が「いただきます」と言っているから、生活水準の低い家庭でも、おそらく戦前戦中から「いただきます」を言う習慣があったのかもしれない。中流家庭をあつかった小津の愚作の「麦秋」を持ち出しても、当時全国的に「いただきます·ごちそうさま」が普及していたとはいえまい。キネ旬ベストワンといっても、それは選考委員が選ぶサロン的な順位付けであって、観客動員数で決まるものではない。同年の今井正の「どっこい生きてる」のように、満足に仕事も金も寝る所もない社会の底辺に生きる人びともまだ大勢いたのである。この映画の貧しい食事では、子供から「いただきます」という言葉は出てこない。
@伊東敏明-j2v
Жыл бұрын
言葉は生きもんだから、話し相手(身分)や生活環境や地域や年代によっていくらもかわるだろ。たしかに「うまい」は男言葉で「おいしい」は女言葉かもしれないが」、それはいはゆる標準語的な中央から見た捉え方じゃないのか。「美味い」は津軽弁じゃ「め」、うちなーぐちじゃ「まーさん」で男女の区別はないはずだ。野田高梧と井手俊郎の脚本上のセリフなんか比べても、あまり意味ないだろ。
@美江-e6z
Жыл бұрын
むかしの映画ではこうふく。 今はしあわせと。いつからなんでしょう。これも調べてほしいです。
@user-xqe3tap7rx
Жыл бұрын
戦後間もない頃の映画には民主主義や男女格差を問題にした作品がありますが、底が浅いというか余り好きではありませんでした。 でも1952年度の「本日休診」という映画では、(G〇〇仕込みの)民主主義とか人権蹂躙批判などの風潮を揶揄するようなシーンが出て来て興味深かったです。反発を覚える知識人も居たんだなと思いました。 当時から随分時間が経って、結局この思潮は米国自身を蝕み、今日の国家分断の危機を惹起して、今なお世界中を混乱に陥れているのだと思うこの頃です。
@rekishi-kansoku
Жыл бұрын
ResonantBlue様、興味深いコメントを誠にありがとうございます。 「本日休診」は井伏鱒二原作・渋谷実監督で、渋谷実監督は松竹で小津安二郎と並ぶドル箱監督であり、どちらかといえば、今で言う保守路線・伝統路線の作風ではなかったかと思います。 松竹はその後、まもなくして吉田喜重や大島渚のヌーベルバーグ派つまり反体制・反伝統派を抱えることになります。上流中産階級の生活ばかりを舞台にしてますよね、という彼らの批判に対して小津安二郎が、誰が食わせてやっていると思っているんだ、と言ったとか言わなかったとか。 その一方で、今井正や山本薩夫といった監督の社会派映画が全盛します。 そして、そこに、溝口健二という大物がいるわけですが、モチーフは時代物であってもテーマは必ず階級闘争、という溝口監督の映画があって、1960年代くらいまでの日本映画の世界は、なかなかに何物かの縮図となっているような気がします。
@user-xqe3tap7rx
Жыл бұрын
@@rekishi-kansoku 様 丁寧なご返答ありがとうございます。私は映画にさして詳しい者ではございませんので大変参考になりました。
@hatohuihui9552
Жыл бұрын
『フォークダンス』という謎の踊りを体育の時間にする不思議の所以を、半世紀も経って知ることになりました。手を繋いで踊る習慣など無いので、生徒たちは恥ずかしがったり嫌がったり、担任の先生方も「真面目にやれ!」と怒りだしたり‥。 地元の神社で習うお神楽の舞や能楽の謡いの方が皆楽しそうだったし、装束も余程似合っていて着付けてもらうのが嬉しかったと記憶しています。
@rekishi-kansoku
Жыл бұрын
hato huhuiさん、コメントをありがとうございます。 舟木一夫の高校三年生という歌に、フォークダンスの手をとれば、という歌詞が出てきますが、この曲は1963年の曲。この高校三年生がたぶん、フォークダンス第一世代くらいにあたるのかもしれません。
@広沢亜津木
Жыл бұрын
柿澤さんのお声のバージョン聴きたいですね🌊
@rekishi-kansoku
Жыл бұрын
おっしゃる通り、聴きたいですね。鎌倉殿の13人での詠歌幾首か、とてもきれいでした。 コメントをありがとうございます。
@茂成田-o7g
Жыл бұрын
映画【寅さん】の中で(吉永小百合さん出演)おいちゃんの団子屋に訪ねて来た二人の女性が団子を出されて、食べる前に「いただきます」とは言わずに「ごちそうさま」と言うのを観て、そういうのもありなんだと初めて知りました。
@rekishi-kansoku
Жыл бұрын
成田さん、コメントを誠にありがとうございます。 おっしゃる通り、食品のおみやげを受け取るときなども、ごちそうさま、と言う場合があるかと思います。
@茂成田-o7g
Жыл бұрын
@@rekishi-kansoku さん、わざわざご返事ありがとうございます、歴史観測さんの素敵なお人柄がわかります。 チャンネル登録させて頂いたので、色々と見させていただきます、これへのご返事はお手数をおかけしますので結構ですよ。益々のご活躍をお祈り致します。
@白石勝義-j8l
Жыл бұрын
1942年生まれ、「いただきます」、「ごちそうさま」は言わなかった。戦後学校給食から始まったという説納得します。というのも給食の経験が全くないので自宅でも言わなかった。お婆さん達は言ってたけど宗教的な所作だと思っていた。最近は赤ちゃんでも手を合わせて可愛い。
@rekishi-kansoku
Жыл бұрын
白石勝義さん、コメントを誠にありがとうございます。貴重なお話かと思います。
@MeikoEgloff
2 жыл бұрын
一升瓶が子供達の往来を見ているような気がしてくる。不思議。
@rekishi-kansoku
2 жыл бұрын
MeikoEgloffさん、コメントを誠にありがとうございます。 言われてみれば、おっしゃる通り、不思議な感じですね。
@toushirouarai7258
2 жыл бұрын
うまいは「甘い(んまい)」の方言が元です。 昔の日本人(西暦1000年くらいには既に)は、単糖類、多糖類、脂と油(アミノ酸、グルタミン酸)を甘いと感じる感性だったので、味の良い物をウマイと言ってました。
@toushirouarai7258
2 жыл бұрын
いただきますは、尋常小学校で広めた挨拶で、浄土宗(浄土真宗?)で行われてた礼の採用だよ
@rekishi-kansoku
2 жыл бұрын
Toshiro Araiさん、ご指摘をまことにありがとうございます。
@やまとのヒメなでしこ
2 жыл бұрын
ひーかるげんじのよあそびはいみじゅうおかしというけれど おいらにゃいみじゅうわからねえ いやーなこてんはやめまえ こんな歌があった普通科生徒の学校出身です。アハハハハ・・・・。こんな歌を各教科で作った亜英とは、明治か大正時代の生徒でしたよ。おそらくは、東大でもストレートに入学できたのでは?🌍🏜🏡🏢🏰⛺💈🚋🚙🕑🕣🌖🌟
@やまとのヒメなでしこ
2 жыл бұрын
😞👾⛩🗼🏢🏝🏔仏教は釈尊の教えですが、物語の中では、ごまかしているのは、小説だからです。
@やまとのヒメなでしこ
2 жыл бұрын
私は、あくまでも小説と見なすから、長編小説ですと
@rekishi-kansoku
2 жыл бұрын
やまとのヒメなでしこさん、コメントをまことにありがとうございます。
@山路浩和
2 жыл бұрын
1950年代はまだ戦後の名残が残っていて仕方なかったと思います。70〜80年代子供だった自分もおいしいとか丁寧な言葉を使っていると女か、といじられた記憶があります。
@rekishi-kansoku
2 жыл бұрын
山路浩和さん、コメントをまことにありがとうございます。 貴重なお話に、重ねて御礼申し上げます。
@おが-e9t
2 жыл бұрын
女性が「うまい」と言うのは、いまだに違和感があります。
@kaiushijima7060
2 жыл бұрын
あと「やばい」、「めっちゃ」、「超(ちょう)~」もです。 私は1980年に日本を出て以来アメリカに住んでいますが、女性、30代ぐらいの男性、テレビの司会者などがこれらの言葉を多用し過ぎて、これって「公の場で使う言葉?」と思ってしまいます。
@山路浩和
2 жыл бұрын
最近の若い子はウケなのか、男言葉を使いたがります。 何年か前、北朝鮮から韓国に脱北した女性が韓国の男性は言葉が丁寧過ぎて気持ち悪い(本人の主観)と言っていたのを思い出した。 民主主義国家とはそうなっていくものなんだろうなぁ。
@茂成田-o7g
Жыл бұрын
その通りです。
@塚田将史-y8y
Жыл бұрын
@@山路浩和 女が男言葉使ってると殺意を感じる。あと、おばさんも旨いって言う人めちゃくちゃ多い。
@hiroki75
2 жыл бұрын
足音ですか?
@rekishi-kansoku
2 жыл бұрын
足音です。 hirokiさん、コメントを、まことにありがとうございます。
@dd9843
2 жыл бұрын
畿内では「ごちそうさま」には「よろしゅうおあがり」と返しています。この返しも昭和に入ってからだったのでしょうか?今はあまり聞きませんが、、
@rekishi-kansoku
2 жыл бұрын
DDさん、コメントをまことにありがとうございます。 「ごちそうさま」自体は江戸時代後半にはすでにあったとされているようですが、それへの返答句としての「よろしゅうおあがり」がいつから使われ始めたのかは未調査です。ただ、皆で食事を囲む「ちゃぶ台」ができたのが明治時代中頃、ちゃぶ台が広まったのが昭和初めで、「よろしゅうおあがり」は、こうした、皆で食事を囲む習慣ができて以降の返答句かもしれません。
@dd9843
2 жыл бұрын
@@rekishi-kansoku お返事ありがとうございます。同居していた祖父母はどちらも明治生まれで、私の一番古い記憶では、祖父だけは箱膳でご飯を食べていたと思います。祖母も箱膳を持っていましたが、それは使わず、ほかの家族と一緒にちゃぶ台を使っていました。懐かしい思い出です。
@hitoshitakabayashi6759
2 жыл бұрын
「ベストワン」という言葉には違和感を感じますね。
@rekishi-kansoku
2 жыл бұрын
Takabayashiさん、コメントをありがとうございます。ご指摘いただき、重ねて御礼申し上げます。
@ch4442
2 жыл бұрын
よく調べられましたね。 とても興味深く視聴させて頂きました。
@rekishi-kansoku
2 жыл бұрын
ボクの昭和CHさん、コメントをありがとうございます。まことに恐縮です。
@ヨコシマクロ-u5c
2 жыл бұрын
とても参考になりました、ありがとうございます。
@rekishi-kansoku
2 жыл бұрын
ヨコシマクロさん、コメントをまことに恐縮です。
@波風立子
2 жыл бұрын
邦画を通しての「いただきます」「ごちそうさま」の考察、たいへん面白く拝見しました😊 映画というのはもちろんフィクションなんですけど、時代の風景を切り取った貴重な記録でもありますね
@rekishi-kansoku
2 жыл бұрын
波風立子さん、コメントをまことにありがとうございます。 おっしゃる通りで、フィクションの映画であってもその当時の暮らしのリアルはわかる、というのは、源氏物語から平安貴族のリアルがわかる、というのと同じことかもしれません。
@naosato1244
2 жыл бұрын
現代社会の基礎の多くは、敗戦後ではなく戦時の動員体制において形作られたと聞きますが、この「いただきます」もそうだったのでしょうか。総力戦体制のもと、物資的にも質素や節度を要求される中、国民一丸となりそれを達成しようとする空気の中で普及し、その名残りとして戦後(豊かになった今も尚)定着したと思うと、戦争とは社会や人を倫理的にもするものなのか・・との不思議な思いがしました。
@rekishi-kansoku
2 жыл бұрын
satoさん、コメントをまことにありがとうございます。satoさんのおっしゃる通り、倫理と有事の関係には考えさせられるものがあると思います。 ちなみに、終戦を女学生時代に迎えた現在90歳を過ぎる女性から聞いた話ですが、戦後1950年代に結婚するまで「いただきます」と言った覚えはない、複数の人がいるところでは「食べよう!」と言って食べ始めていた、と言っていました。「いただきます」の挨拶は、少なくとも、強制的なものとして発したものではないようです。
@naosato1244
2 жыл бұрын
@@rekishi-kansoku なるほど。広く侵透したのは1950年代以降ということですね。戦後復興もようやく1段落着き、どん底の戦時体制や戦禍が過去となり、「衣食足りて礼節を」じゃないですが、”今食べられることへの感謝”も込めての「いただきます」の浸透なのかも知れませんね。
@azumamurakami7842
2 жыл бұрын
ありがとうございます。 たいへん参考になりました。登録しました。
@rekishi-kansoku
2 жыл бұрын
Murakamiさん、コメントをまことにありがとうございます。ご登録いただき、重ねて御礼申し上げます。
@則天ぶうこ
2 жыл бұрын
小堺一機と高島忠夫・寿美花代夫妻の話じゃないのね…… という戯れ言はさておき、 全国的に普及したのは太平洋戦争と戦後に復活した学校給食制度が関係してはいないでしょうか?
@rekishi-kansoku
2 жыл бұрын
北の国のぷうこさん、コメントをまことにありがとうございます。 篠賀大祐さんの研究書『日本人はいつから「いただきます」するようになったのか』によれば、1947年の1月から学校給食制度が始まり、1951年の学習指導要領の手引に、「食事の前後には挨拶をする」と書かれているが、その挨拶が「いただきます」「ごちそうさま」なのかは不明、ということです。おそらく、食事の前後の挨拶として「いただきます」「ごちそうさま」がすでに一般的になっていて、おっしゃる通り、この学校給食時の指導で全国的に普及したのでしょう。
@淳子恩田
2 жыл бұрын
戦争を経て穀物にも感謝する姿勢もあったかと思う、素晴らしき日本語ですね! 方言もなくこの言葉が全国に伝わるのはその当時のラジオやら映画のおかげです❤
@rekishi-kansoku
2 жыл бұрын
恩田さん、コメントをまことにありがとうございます。 おっしゃる通り、伝統というのは、新しく、自分たちの時代にも生まれるものなのだろうと思います。
@tanza8265
2 жыл бұрын
日本的とは、世界を関係認識する。仏教伝来は無我・縁起を説くので容易に受け入れた。 西洋でも最近、物理学で『世界は「関係」でできている(カルロ・ロヴェッリ著)』が出てきた。
@rekishi-kansoku
2 жыл бұрын
tanza様、コメントをまことにありがとうございます。ご教示に重ねて御礼申し上げます。
@underthemint
2 жыл бұрын
建暦という元号は、けんれきではなく「けんりゃく」と読みます。 また、実朝が明らかに22歳以降に詠んだ歌も残っています。 詞書に「建保五年」「建保六年」と記されていたり、鎌倉幕府の記録書『吾妻鏡』にも載っている歌もあります。決して22歳で和歌を捨ててはいないのです。
@rekishi-kansoku
2 жыл бұрын
underthemint様、ご指摘をまことにありがとうございます。歴史観測チャンネル管理人です。 誤認等ご指摘いただいておりますことを当動画の説明欄にて案内させていただきます。重ねて御礼を申し上げます。
@absolute5463
2 жыл бұрын
大洲は愛媛県です
@rekishi-kansoku
2 жыл бұрын
Terry Asano さん、ご指摘をまことにありがとうございます。終盤のナレーションで、ご指摘の通り、愛媛県とあるべきところを、愛知県としていました。深くお詫び申し上げます。ご指摘をいただき、重ねて御礼を申し上げます。
@user-eigas
2 жыл бұрын
秀吉はなんにでも五月蝿かったと思う 叱られた側が手紙を残さなかっただけで
@rekishi-kansoku
2 жыл бұрын
やーま やーま さん、コメントをまことにありがとうございます。歴史観測チャンネル管理人です。 おっしゃる通りで、脇坂家文書の貴重さも実にそこにあるようです。中には信長体制を、甘い、とはっきりと批判している一文も見受けられます。