修猷館歌
2:23
11 ай бұрын
若鷲の歌予科練の歌
3:33
11 ай бұрын
惜別の歌(8.24)
6:17
遠い想い出(8.24)
3:11
奥飛騨慕情(8.23)
6:04
鐘の鳴る丘(8.23)
6:50
Пікірлер
@王子の狐
@王子の狐 Күн бұрын
渡り鳥ではなく流れ者シリーズ の主題歌。たまらない! 中学生のころ “追っかけ” のように観まくっていました。 少年の思いは果てることがありません。
@望月祥子-y8j
@望月祥子-y8j 8 күн бұрын
日活映画では裕次郎さんとルリ子さんの二人が一番でした❤
@SakiYama-fv4oy
@SakiYama-fv4oy 11 күн бұрын
死んだら終わりと言いながら、靖国神社への参拝をすべきだと主張してたり、石原家の法事などしてた矛盾。 自分の都合で仏教を解釈してただけの人。
@トラキチのやつ
@トラキチのやつ 14 күн бұрын
体格にも恵まれたのに寝技が得意って、努力家なんだろうなあ。
@ヌルマゴ兄弟
@ヌルマゴ兄弟 14 күн бұрын
MMA来い
@橋本満好-u8i
@橋本満好-u8i 20 күн бұрын
小林旭の映画は、若いころほとんど見に行きました。ルリチャンとの最後の別れは何時も定番で分かったいたが、涙して観たものです。懐かしいです   橋本 満好
@hefhfjwababababa9570
@hefhfjwababababa9570 23 күн бұрын
死ぬまで生きるって難しい
@みどり片岡
@みどり片岡 29 күн бұрын
旭、カッコ良かった❗️大好きでした❤若返ります😊78歳と高齢になりましたが胸が高鳴ります❗️有り難う🙇
@岡洋介-g3g
@岡洋介-g3g Ай бұрын
死というのは病気であろうと事故であろうとあるいは他人から殺されようと誰にでも必ず訪れるものである。マスコミもネタさがしに石原慎太郎氏に尋ねているが、一般の人に尋ねても理屈は同じことだ。人間死ぬんだと思うとこの世は虚しく感じるもので、宗教団体に入っている人はその教えられている教義によっても死生観は違う? 死のことを本気で考えたり口にするような人は1回宗教団体に話を聞くことをお勧めする。
@安部大輔-x6d
@安部大輔-x6d Ай бұрын
虚無なら靖国神社参拝なんかする必要がないだろ😅 霊もいないんだから😂
@生き続ける者
@生き続ける者 Ай бұрын
天国や地獄なんぞ人間が作った幻想 死んだら無になるだけ
@sushi-love
@sushi-love Ай бұрын
これだけの人の息子たちがなんでああなったんだ??
@篠原功-y4f
@篠原功-y4f Ай бұрын
葬式、戒名なし。海に散らせ!同じ思いです。
@この世は未熟者の祭典
@この世は未熟者の祭典 Ай бұрын
死んだ後続きがあると考えたら、この世の犯罪はだいぶ減ると思う
@eeeu-qd9nu
@eeeu-qd9nu Ай бұрын
死後の霊が存在すると信じてます
@ぽにお-c3r
@ぽにお-c3r Ай бұрын
初め物書き そして裕次郎の兄になり 都知事になり 自分を肥大させた人…ピントはズレていた人ですな。
@Modena3586
@Modena3586 Ай бұрын
石原さんの政治思想は嫌いな部分も多いけど、人情深いところや死生観は凄く好きだなあ
@マニアえぼだい
@マニアえぼだい Ай бұрын
葬式不要、戒名不要、骨は海にばらまけ。すごいね。
@DB-xi6in
@DB-xi6in Ай бұрын
これだから、素人はアホ。
@junabe7645
@junabe7645 Ай бұрын
唯一好きな政治家
@米米-j8p
@米米-j8p Ай бұрын
アインシュタインを勉強すると彼の世や生まれ変わり前世は全て否定されますからね😂 死んだら産まれる前の記憶が無いのと同じだし😅 俺は宗教は全否定😅 単なる金儲け団体が宗教
@ガメオベラ-r5q
@ガメオベラ-r5q Ай бұрын
死後? 生きてる人間のエゴ
@tb5943
@tb5943 Ай бұрын
ホントそう。 死んだらそれでおしまい。 それでいいんだよ。 だからこそ、今の命を全力で生きればいいだけ。
@ldtq8722
@ldtq8722 Ай бұрын
権力は空洞なり。
@react9711
@react9711 Ай бұрын
睡眠は死の予行練習だと思ってる。
@user-au7bc8il3ab
@user-au7bc8il3ab Ай бұрын
死後がないなら皆好き放題する。そして、死後が虚無ならなぜ子供を作る? 子供も必ずいつか死ぬ。それが分かっていながらする矛盾。
@kyou-i1l
@kyou-i1l Ай бұрын
死んだら生まれる前の状態に戻るだけ
@ジョンウィック-j3o
@ジョンウィック-j3o Ай бұрын
死んだら虚無というのは、死した個体の意識に過ぎない。人が死ぬと、そこには死体が残る。では、生命とはなにか?生命も宇宙そのものだというのが実装ではないだろうか。私の一部である炭素、水素、窒素、燐などの原子も、昨日まで私が食べた野菜や肉の一部だった可能性は大である。その前は、炭酸ガスなどの形でこのアジアの大気の一部だった。その前は宇宙の星屑だった。そして明日は、私の体を通り抜けて再び地球の大気へと帰ってゆく。生命は昔も今もこれからも、星屑そのものなのだ。生命の起源、厳密に言うなればそれはない。有機物だ無機物だなどとこだわるが、生命と宇宙を区別するものは実は何もない。生命は、そして我々は宇宙の一部でありそのプロセスの一端だ。 「まづもろともに かがやく宇宙の微塵となりて 無方の空に散らばらう」と宮沢賢治は言った。宇宙が生命を育むことが事実なら、生も死も本当のところはないのだと説く仏教の教えに通じるところがあるようにも思われる。
@養老の星幸
@養老の星幸 Ай бұрын
死んだら虚無 おいらも共感する
@貯金額が1億200万円の者
@貯金額が1億200万円の者 Ай бұрын
結局この強がりインテリは口だけだったね。どうせ尽きる命なら尖閣行けば良かったやん。お前本物なんやろ?
@ちいかわ-t6o
@ちいかわ-t6o Ай бұрын
言い返してこない相手にそんなイキイキしてるの草だっさいのぉ笑
@貯金額が1億200万円の者
@貯金額が1億200万円の者 Ай бұрын
@ちいかわ-t6o 俺のうぷみてみろミジンコ野郎笑
@株式会社暮らす輪ホーム
@株式会社暮らす輪ホーム Ай бұрын
魂の循環がなければ、今の我々の姿は無いと思うが、生きる事は苦しいものでもあるから無で終るならこんな楽なことはない
@taan9028
@taan9028 Ай бұрын
唯物主義は行き過ぎだ。何でも霊的な物に結び付けるのはダメだ。それで、どうするかの問題がある。
@joshinmizutani5528
@joshinmizutani5528 Ай бұрын
聖書によると死後に裁きがありますから神様との和解が生きている間に必要です。私はクリスチャンです。
@太郎-x8p
@太郎-x8p Ай бұрын
俺も死後の世界があるとは思わないな〜。あると思って生きた方が、死の恐怖を感じずらいから生きやすいのだろうけど。 元を辿れば生物の起源なんて、地球の初期に偶然生まれたタンパク質が合わさって、自己複製能力を持った細胞が生まれたこと。それが様々な環境に揉まれた結果、単細胞生物から多細胞生物が生まれたわけで。そこからさらに発展して猿が高度な知能を持つ人間になった。 何が言いたいかというと、私たちはただタンパク質の塊であり、死んだからといって意識だけが残るとは到底思えないこと。
@明美海老原
@明美海老原 Ай бұрын
イエスです 亡くなレば 無です 来世 無いですね!😅😅😅
@ジュードロウ
@ジュードロウ Ай бұрын
私も石原さんに同意です。 地球誕生当時はそもそも人間なんて存在しなかった訳で… てか生き物すらいなかった訳で… てかいずれ、何億年後かには太陽も地球も無くなって人間も絶滅するわけで… 人間はただの物質ですよ物質。 意識とかはただの脳の電気信号です。
@nuno.4n
@nuno.4n Ай бұрын
人生を全うするのが何より大変なことだと思う。冬のボーナスが出ないかもと目先の小さいことを考えずにもっと大きい心を持って生きていきたい。どんなに稼いでお金あっても人は必ず死ぬ。だからこそ今を1番大切にしたい。
@km3020
@km3020 Ай бұрын
来世なんてあってたまるかよw完全に死にたいだろwww
@Lol-cl2rx
@Lol-cl2rx Ай бұрын
来世に期待とか言う奴って、ろくな奴いないよね
@Twitter_Maria
@Twitter_Maria Ай бұрын
知らんけど碌でないから来世に期待するんだよ
@猫猫-z8z
@猫猫-z8z Ай бұрын
全くそのとおり同感です。死後の世界は人間が作った虚構です。
@もこたん-i8g
@もこたん-i8g Ай бұрын
貴方は、間違っている。
@cannot4953
@cannot4953 Ай бұрын
死んだら虚無っていうのは真実なんだろうけど 精神衛生的に天国があるって信じていたい
@江田島-j4m
@江田島-j4m Ай бұрын
死んだこともないのになぜわかるんですか?
@cannot4953
@cannot4953 Ай бұрын
@ では天国があることを証明してください
@江田島-j4m
@江田島-j4m Ай бұрын
@@cannot4953 いや、証明してください、じゃなくて「死んだこともないのになぜわかるの?」と質問してるんですが。今流行りの「悪魔の証明」とか持ち出さなくていいので。
@cannot4953
@cannot4953 Ай бұрын
@@江田島-j4m きもーw
@江田島-j4m
@江田島-j4m Ай бұрын
@@cannot4953 「では天国があることを証明してください!」ドヤ こっちの方が寒いでしょw
@salmon_history
@salmon_history Ай бұрын
だからこそ「現在」を最期まで大事に生きたんだろうな
@BuckheadVolvoS4
@BuckheadVolvoS4 Ай бұрын
石原慎太郎さん、大変尊敬しますが、ここだけは違う‼️来世を信じます😊
@モルトウィスキー
@モルトウィスキー Ай бұрын
最後の望み、俺とそっくり。なんか考え似てるなぁ
@ihngnfgkan
@ihngnfgkan Ай бұрын
人間的に大好きだわ
@toomas92
@toomas92 Ай бұрын
明仁天皇に向かって東日本大震災の被災地までいけとしっかり物申したところ評価してる。石原さんだけでしょ天皇に媚びない発言した政治家は。信長のような死生観も( ・∀・)イイ!!
@江田島-j4m
@江田島-j4m Ай бұрын
何を言ってるんですか? 慎太郎さんは天皇に「高齢なので危険なので代わりの人を行かせれば?」と言ったんですよ。 それを押し切って明仁天皇は被災地に向かったんですが。
@栃木のいちご
@栃木のいちご Ай бұрын
国会で総理だった安倍に「あなたは行かなくていいから天皇に靖国参拝させよう」と助言したけどそれと混同している?
@ks3dmb935
@ks3dmb935 Ай бұрын
ここまでの年齢でも意識がはっきりとしたまま死に向かうという覚悟を感じる
@dh4682
@dh4682 Ай бұрын
皮肉言葉は信念と日本国の未来の為 ありがとうございました
@kurinosuke
@kurinosuke Ай бұрын
「死」は全生物に共通する不可分な特徴のように思われがちだが、実は生物にとって 決して必然でも不可避なものでもなく、進化の過程で適応として二次的に獲得されたものだ。 死は、多細胞生物が積極的に選び取って獲得した「種の存続のための戦略」といえる。 たとえば、体細胞と生殖細胞が一致する単細胞生物に死はない。 一方、多細胞生物では、生殖細胞だけが不死身で、それ以外の細胞には、 必ず死ぬようにわざわざアポトーシスというプログラムが組み込まれている。 生命が「死と無縁の老化しない個体」の永久的存続によって維持されるのではなく、 「新たな個体の誕生」と「古い個体の死」によって維持されてきた理由は、 死を功利的に捉えることによって初めて理解できる。 変化していく環境に適応していくためには、生物も変化していく必要があり、 有性生殖と古い個体の死は、形質の多様性をもたらすのに大いに有益である。 多様性こそが種の存続を保証するものだからだ。 「適者生存の原理によって、死が獲得された」という表現は一見矛盾するようだが、 問題は個体ではなく種の存続なのだ。 逆に言えば、種の存続のためには好都合かもしれないが、個体にとってはやはり、 死というのは、どこまで行っても理不尽で残酷で嫌な現象でしかない。 もっとも、種そのものが途絶えてしまえば、個体の幸福も糞も無くなるのだから、 種の存続を優先して個体の幸福が二の次にされるのは致し方ないことではある。 そして、生物の中でも――これも種の存続のための戦略として――「爪」や「牙」ではなく 「知能」を発達させたヒトの場合、その代償として、やがて自分に訪れる死を認識して 苦悩したり虚無感を覚えたりするようになってしまった。 そのため、人類の文化という文化は、「死と折り合いをつける」という問題に膨大な量の 知的努力をつぎ込んできた。 大半の宗教は、死についての手のこんだ嘘を築き上げ、死を実際とは違うものに見せかけてきた。 そして、哲学の中でもっとも宗教とは縁遠いものでさえ「死が最後には勝利する」と主張せざるを 得なかったので、歪んだものになってしまった。 どんな小さな子供にも、死は(個体にとっては)無意味で、不意に起こる、 不当な、言葉にできないほど嫌なものであることはわかる。 だとしたら、その逆を信じることが、高邁な思想の証明になると考えたのだろう。 作家たちは何世紀もの間、不死人が死に憧れて「殺してくれ」と懇願するという、 ひとりよがりで禁欲的な寓話を書いて、不死でない自分を慰めてきた。 しかし、死が人生に意味を与えることは決してない。つねにそれは正反対だった。 死の持つ厳粛さも、意味深さも、そのすべては、それが終わらせたものから奪い取ったものだ。 生の価値は、つねにすべてが生そのもののなかにある――それがやがて失われるからでも、 それが儚いからでもなく。
@とおるとおる-d2s
@とおるとおる-d2s Ай бұрын
難しい事を難しく言う人間は信用するな。私の尊敬する方の言葉です。 文章を紡ぐ事ができる人間はたくさんいるが、そのうちの誰1人として死後を経験した人間はいない。 だからどんな言葉も「虚無」なのだ。
@kurinosuke
@kurinosuke Ай бұрын
@@とおるとおる-d2s 様 ご指摘のとおり、少々難解な文章になってしまっていましたね。 PIAAC(国際成人力調査)によると、 (1)日本人のおよそ3分の1は「日本語」が読めない。 (2)日本人の3分の1以上が小学校3~4年生以下の数的思考力しかない。 (3)パソコンを使った基本的な仕事ができる日本人は1割以下しかいない。 …という結果が出たそうなので(惨憺たる結果ですが、 それでも日本人の成績は先進国で1位だそうです)、 大人といえども文章を読むのが苦手な人は思いのほか多い ということを意識し、噛み砕いた表現にして書き直してみました。 --------------------------------------------------------------------------------------------------------------- 生命の進化を遡ると、生命誕生から約20億年間は「無死」の世界でした。 むろん、事故や他の生物に捕食されて死ぬことは当然ありましたが、 「寿命で死ぬ」という現象はありませんでした。 いわゆる「一倍体」と呼ばれる大腸菌のような生物は、 遺伝子のセットをひとつしか持たず、 その遺伝子を複製して二倍にした後に分裂を起こし、 それぞれがまた“一倍体”になる…という増殖の仕方をします。 個体の遺伝子をそのままコピーして、倍、倍、倍と増えてゆく ―― そこには親も子もなく、死も存在しませんでした。 しかし、今から約15億年前に「二倍体細胞生物」(遺伝子の組み合わせを二つ有する生物)、 すなわち、父親と母親から受け継いだ遺伝子を両方持っている生物が出現し、 それに伴って初めて「寿命による死」という現象が生じました。 二倍体細胞生物が生きている間、その生命の元であるDNAは、 活性酸素や食物の中の発がん性物質などのストレスによって傷付き、 この傷が時問とともに蓄積されて行きます。 生殖細胞が傷を負うと、それは子孫に引き継がれます。 また、傷付いた古い個体(親)と傷を受け継いだ子孫が 再び合体する可能性もあります。 すると、集団の中に傷が蓄積される「遺伝的荷重」が起こり、 種が絶滅する可能性が非常に高くなります。 これを安全に回避するためには、ある程度の時間生きてDNAが傷ついた個体は、 そのDNAを個体ごと消去するシステムを作っておけば良いわけです。 つまり、再生系と非再生系の体細胞のどちらにも、「ある程度の期間が経つと死ねる」 というプログラムを書き込んでおけば、遣伝的荷重による種の絶滅を防げます。 こうして、様々な個体の遺伝子をシャッフルすることによる多様性と 進化のスピードを得た代わりに、“寿命”がプログラムされて、 生殖を終えた個体はいずれ死ぬことが運命づけられてしまったのです。
@klaps52
@klaps52 Ай бұрын
めちゃくちゃわかりやすかった。 その通りだろうと思う。
@太郎-x8p
@太郎-x8p Ай бұрын
この人の話結構わかりやすいけどな
@吉泰-c4u
@吉泰-c4u Ай бұрын
ええこというやん