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QSHT とり と みつばち
いらっしゃいませ イデオロギー・洋の東西不問です。(以前のチャンネルの作品も引き継いでいます)
Welcome!
Our policy is that no ideology, creed, faith, principle, or argument is required.
のりもの系・紀行系・軍歌,戦時歌謡・埋もれた歌・キリスト教系、仏教系の歌曲やドキュメントを中心に
楽曲的に価値のあるもの選んで初めての方でも親しめるように制作しています。
We produce and publish works on vehicles, transport, travel coverage and valuable songs from religion Dailymotion or Toritomitsubachi Independent servers Video centre.
このチャンネルのウラ第一チャンネル→www.youtube.com/@qsht2
TMのデザインがちょっと異なります。
ここにない作品や、ここにあったはずなのに無くなっている動画作品は、Dailymotionや
独立配信サーバー とりとみつばち動画タンクssqqhhvvtt1.jp/ でも公開しています。
(チャンネル名は同じ)
There is also this channel on .
This channel affiliate of ours publishes its work here and also on other video sites, for example Dailymotion or Toritomitsubachi Independent servers Video centre..
3:01
昭和20年代半ば 終戦直後の国鉄混合列車と停車場の景色
Ай бұрын
5:51
昭和30年代前半 真夏の冷房無し 楽しい長距離客車列車の時代
Ай бұрын
3:56
C58型蒸気機関車牽引列車並走競演
2 ай бұрын
8:53
鉄道院の電車
3 ай бұрын
4:58
両毛線栃木駅に見る時代移り
3 ай бұрын
19:41
鈍行列車で行く日本海
4 ай бұрын
1:38
151系車内 ちょっとだけ (カラー化実験動画)
4 ай бұрын
9:03
481系特急雷鳥「だんらん」
4 ай бұрын
3:06
サロンエクスプレス東京
4 ай бұрын
2:50
ゆうゆうサロン岡山
5 ай бұрын
7:26
神岡鉄道 旅客営業していたころ
5 ай бұрын
3:36
青函航路とトンネルと北斗星 交代の日 抄
5 ай бұрын
2:11
ライブスチーム (にいじゅくこうつうこうえん)
6 ай бұрын
2:05
昭和30年代半ば 国鉄151系ビュッフェサービスのようす
6 ай бұрын
3:27
C57 1 蒸気機関車の遍歴
6 ай бұрын
25:34
私鉄ローカル線 東北
7 ай бұрын
32:37
私鉄ローカル線 中国四国
7 ай бұрын
1:01
昭和50年代前半 通過通票閉塞のようす
8 ай бұрын
3:05
ヒューヒュー行こう超特急♪
8 ай бұрын
1:51
昭和30年代前半 かけこみ乗車 のようす
9 ай бұрын
2:35
夢の超特急「ひかり」のうた♪
9 ай бұрын
5:56
昭和30年代前半 国鉄蒸気機関車の美しい運用風景
11 ай бұрын
1:20
罐焚きの歌♪
11 ай бұрын
3:24
宇都宮の歌♪
11 ай бұрын
6:55
昭和30年代 機関助士と機関士
Жыл бұрын
4:20
実 験 動 画 39 東北取材断片②
Жыл бұрын
6:43
昭和40年代前半 信越本線 急行「妙高」田口駅到着
Жыл бұрын
3:41
実 験 動 画 38 山陰取材断片
Жыл бұрын
6:29
昭和40年代後半 駅長さんの営業活動のようす
Жыл бұрын
Пікірлер
@しーでびる
Күн бұрын
森繁と伴淳、二人とも蒸気機関車の運転手役を演じれば素晴らしいが、同じ映画では乗務してないのが残念。
@細君はおでぶどん
2 күн бұрын
タクシーを止めて、受験勉強に励んだ部屋を見つめるシーンが忘れられません。 もう病院から帰宅出来ない事、生きて帰れない事を悟った亜里さん。 同じ世代を過ごした私は、亜里さんの生き方に勇気をいただきました。
@qsht
10 сағат бұрын
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。 見上げて目に焼き付けるシーンは、原作にもある実際の出来事だそうです。
@Pastakun
4 күн бұрын
この曲を聴くと 「赤毛のアン」のエンディング「さめない夢」の間奏に似ているなあと思うことがある。 作曲家が一緒なせいだろうか?
@qsht
Күн бұрын
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。 おっしゃる通りでございます。
@51ts20
7 күн бұрын
私の大先輩(故人)が国鉄公安職でした。 急行十和田の警乗がメインで、蒸気時代はC62が牽引しており当時でもカッコいいと思ったそうです また、食堂車の女の子が結構可愛かったらしく、列車乗務員、機関士、公安職の間で話題にあがったそうです。
@qsht
6 күн бұрын
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。 国鉄時代の長距離列車、とりわけ、夜行列車は その列車一つだけで立派な物語が語れるような、そんな存在でしたね。 古老の思い出話を聞くたびに、もう それそのものが物語で、 当時を知る人も知らない人も駅を見に行きたくなるような内容になるものです。 往時を知らない人の方が多い世の中になりました。
@kikuchannel1966
8 күн бұрын
そーそー! これです! 子供の頃よく聴いてた京成電鉄の歌です!😆
@qsht
7 күн бұрын
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。 鉄道会社のCMは、それを聞いていて 電車に乗りたくなるようにするのがコンセプトなので、 思い出せる旋律は、やはりクセのあるPOP音だったんですねぇ。
@oyajirock54
8 күн бұрын
お邪魔します!中学1年生の時 演劇部で翼は心につけての劇を文化祭で行い都大会まで行きました ちなみにおやじが演じた役は校長先生と生徒Cの一人二役でした・・・ 失礼いたしました
@qsht
7 күн бұрын
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。 この映画作品の舞台化そのものが難易度の高いものです。 都大会進出はすごい。
@oyajirock54
7 күн бұрын
@@qsht いやいや3年生と顧問の力ですね(-_-;)でも今思うとビデオカメラとかが安価でスマホとかあったら動画で残っていたのになと思います 都大会の場所は今は無き渋谷の東京都児童会館でした 関東大会にも選ばれたそうですが3年生の受験のため辞退したそうです(´;ω;`) 進学校でもないただの大田区立の中学なのに・・・
@oyajirock54
7 күн бұрын
@@qsht いやいや 3年生と顧問のお陰です でも今思うと当時(約47年前)ビデオカメラが安価でスマホとかデジカメがあったら動画で残ったのになと思います(-_-;)ちなみに会場は今は無き渋谷の東京都児童会館でした 関東大会進出も決まりましたが3年生の受験で辞退したそうです(´;ω;`)進学校でも無い大田区立の中学校なのに・・・
@木村充保-b3w
13 күн бұрын
喜劇大安旅行でも、ケロヨンと言ってた。
@qsht
12 күн бұрын
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。 いろいろ観ているのですが、この"喜劇~"シリーズの時代の映画は、 松竹作品だけに限らず、東宝や東映、大映や日活までも、 劇中に"ケロヨン"の台詞が出てくるんですよ。 とくにフランキーさんが映画雑誌で"なんとなくケロヨン風のお顔"と書かれてからは、 出演作品で1回は言われてますね。 もともと木馬座の子ども向けヒーローなんですけどね。
@yn5066
16 күн бұрын
現代から見ると苦痛にしか思えない状況ですが、この時代はこれが普通だったので、我々が思うよりも苦痛ではなかったのかもしれません。今よりも涼しかったでしょうし。 今ではスマホがないと生きていけない世の中ですが、90年代前半まではスマホどころかガラケーがなくても普通に生活できました。当然、それを苦痛と感じることはありませんでした。 この当時の急行列車に相当する移動手段は、現代ならLCCや高速バスでしょうか。LCCの場合、不便な空港を発着している点、旅客を詰め込んでいる点で2流感があります。
@qsht
15 күн бұрын
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。 この時代の人たちは、辛抱強かったのではなく、 与えられた環境のなかで どうしたら少しでも快適に過ごせるかを 渇望して工夫していたのではないかと思います。 こんな映像のような環境の列車が、いまなお走っている国もあって、 やはり似たような車内の過ごし方をしています。ふしぎですね。
@純也多鹿
16 күн бұрын
ちなみに、東海道新幹線🚅が、開業する前の事ですね!!
@qsht
15 күн бұрын
毎度、お訪ねいただきましてありがとうございます。 東京駅停車中シーンの右側に見えているのが、 現在の東海道新幹線16・17番線ホームの建設中の土台です。
@純也多鹿
16 күн бұрын
昭和30年代半ばの、動画ですね!!もう今は、特急列車こだま号は、全然見ないですね!!いつの間にか、廃車になってしまいましたね!!
@qsht
15 күн бұрын
いつもご訪問いただきましてありがとうございます。 この系列の車両はアタマだけ、どこかの博物館に残っているようです。
@純也多鹿
15 күн бұрын
どこかの、博物館に保存されているのですね!!
@純也多鹿
17 күн бұрын
もうこの頃から、大阪行機の特急列車ですね!!昭和39年には、東海道新幹線🚅が、東京🗼〜新大阪間を、開通するのですね!!
@qsht
16 күн бұрын
毎度ご視聴いただきましてありがとうございます。 東海道新幹線全通前夜の出来事です。
@純也多鹿
16 күн бұрын
@@qsht はい、わかりました。東海道新幹線🚅の、開通の前夜の出来事ですね!!ちなみに、新幹線🚅は、いつの時代でも、カッコイイですね!!新幹線🚅に、興味深い人達だったら、誰でも言うと、思いますね!!だけど、新幹線🚅は日本🇯🇵の、大動脈🫀を支えているのと、素晴らしい高速鉄道らし、無事故で60周年を迎えられるのは、とても素晴らしい事だと思います。
@純也多鹿
17 күн бұрын
ボンネット特急列車ですね!!この動画は、昭和30年代後半ですね!!こだま号ですかね!
@qsht
16 күн бұрын
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。 おっしゃる通り、こだま号です。
@純也多鹿
16 күн бұрын
@@qsht 丁寧に、ありがとうございます。今後とも、宜しくお願い致します🙏
@岩田実-h2f
18 күн бұрын
確か昭和30年頃の公開だから、撮影はその前年くらい(ちょうど特急つばめがゴジラに襲われてた頃か?)だと思いますけど、地方線にはまだ木造客車が残っていたんですね 山奥の学校で演奏した時 「この子たちはみんな、この山奥で木こりや炭焼きをして一生を終えるんだ」 みたいなセリフが印象的でしたが、後年になって後日談の記事に 「林業がダメになりまして、その子たちはみんな、町へ出て行ってしまいました」 というのが更に印象的でした
@qsht
16 күн бұрын
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。 この出典映画の全編をカラー化試行して、 わたくしどものサイトssqqhhvvtt1.jp/ の、 ssqqhhvvtt1.jp/video/kknwisumiwari%20farbe-1.mp4 で公開中です。 同様の台詞が劇中後半に小林桂樹さんによって語られています。 こんな映画作品がつくられることは、今後たぶん、無いと思われます。
@渡辺真也-e4h
19 күн бұрын
僕の知らなかった世界のいい切り取りです。 違法な大荷物持った乗客を止めてる客を、後の関係ない客が俺が乗れねえじゃねえかと助太刀する感じは、今の中国人がーとかいう若い日本人に見せてやりたいよ、自分たちも貧しかったらこういうことするんだよ、同じ日本人でも。
@qsht
18 күн бұрын
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。 この映画の本編をご覧になると、 カットライズした部分の流れの相違が分かるのですが、 おっしゃるように、この時代の人たちの、こうした振る舞いも、 混沌としている中で、それも礼儀の一つになり、 美しく印象されるわけです。 お客さんも鉄道員も困難な時代なのだけれども、 ほどほどのところで掛け合いつつも助け合う、 むかしの人は大丈夫(ますらを)とか、撫子(なでしこ)などと 大和言葉で形容した景色の切り取りです。 古い出来事でも学べるところは踏襲したいものですね。
@ネコが好きゴロゴロ
19 күн бұрын
国鉄、色々問題もあったが 良い時代だった
@qsht
18 күн бұрын
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。 「思い出は量の多さの比率である程度決まる」と、 哲学者のニーチェが言っておりますけど、とすると、 "良い時代"として思い出を語る時、良いことの方が多かったんだと思えます。
@CPR1341
20 күн бұрын
所々でテープが流れた時代の前後の学童向けミニアニメ番組やコマーシャル、啓発映像辺りで使われていた音楽が使われているようですね 干支が一回りもしない前の頃、知り合いの一部でそんな短いアニメが話題になった頃に聞いた音楽が所々紛れていて驚いております
@qsht
18 күн бұрын
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。 まだ、パテントや著作権に 国民が疎い時代のBGM入れ放題で、 「これ聞いたことある!」旋律使い放題でも 鉄道会社がシレッと済ませていられた 最後のころの佳作営業用テープですね。
@nyanko495
20 күн бұрын
懐かしいです。探していました。 6:00 ニュース 6:10 京成お笑い10秒クイズ 6:30 ナイター天国 6:50 ショーアップナイター 解説 関根潤三 実況 深沢弘 50年以上前の記憶です(笑)
@qsht
18 күн бұрын
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。 そう、ショーアップナイターと抱き合わせの スポンサーCMだったんですよね。
@浄門道場
23 күн бұрын
ケント・デリカットとサンコンさんのコンビが楽し過ぎます❤
@qsht
21 күн бұрын
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。 いまは、こうした掛け合いのできる TV映りの外人さんタレントを見なくなりましたね。
@速達快速
24 күн бұрын
インドみたいな乗り方。
@qsht
23 күн бұрын
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。 インド🇮🇳の両隣国の パキスタン🇵🇰とバングラデシュ🇧🇩の鉄道も、 今なお似たような乗り込み具合ですが、 日本終戦直後と異なるのは、 座席に空席があっても、ハコ乗りするところですね。
@sububa0817
24 күн бұрын
特急は東海道、山陽本線のみのごくわずか、20系ブルートレインや151系、客車つばめはとといった華やかな列車は高嶺の花で、大勢の庶民はクルマや旅客機がまだまだ発達しておらず映画みたいな非冷房の長距離急行客車か普通列車で旅を強いられていた時代でしょうか。しかも非電化区間ではSL牽引列車が沢山で、トンネル内など煙臭く、首都圏から九州方面に行こうとすれば当時は1日以上満員ボックス席で我慢するであろうと考えたら疲労度マックス。現代人からしてみれば耐えられない。
@qsht
23 күн бұрын
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。 便利な事象と習慣に慣れてしまうと、 とてもではないけれど耐えられない体験はあるもので、 それを思い出で語れるようになるには けっこう時間がかかりますね。
@tundrajack7048
24 күн бұрын
高崎駅西口にある『豊田家旅館』は小林桂樹さんの遠縁に当たるそうですね
@qsht
23 күн бұрын
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。 そうなんですよ。 わたくしたちチャンネルスタッフも 10年ほど前に投宿したことがあるのですが、 女将さんといろいろお話しして、 加東大介さんとの2ショット写真を 拝見させていただいたことがあります。 お仏壇がなぜか3基もあって、 そこから高崎軌道線の写真も出してきて 見せていただきました。 レトロな構えの車寄せで、 お風呂のタイルも素敵でした。
@tundrajack7048
23 күн бұрын
@@qsht 様 興味深いお話、有り難うございました。 家庭の事情で10年間、高崎に住んで都内まで通勤していました。 今は高崎を離れていますが、 親族が多いので、たまに帰ります。
@akirakashan9966
24 күн бұрын
こんな状態だと切符買わなくても乗り込めそうだが、そうしなかった人のほうが多かったのは古き良き日本だなあ
@qsht
23 күн бұрын
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。 この映画の時代は鉄道員の権限はとても絶大で、 不正乗車はもとより、 無札で突破しようものなら有形力使っても 従わせることもありました。 それと同時に当時の日本人はおよそ律儀で、 切符はどんなに混んでいても 窓口で求める順序を通していたんですね。
@高木智洋-p9l
25 күн бұрын
鉄道公安官は、司法警察員でした。また、車掌も専務車掌以上は、司法巡査の資格を与えられていましたね。
@qsht
24 күн бұрын
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。 鉄道公安職員の職制と職掌に関しましては、 このコメント投稿欄の中に 当時現役の公安さんで、 現在も鉄道警察隊に勤務される年配の方からの詳述がいくつかございますので、 合わせてお読みになると分かり易く伝わりますので重宝いたします。
@高木智洋-p9l
25 күн бұрын
大分西鹿児島間は、車掌、乗客案内(青い腕章)共に、大分車掌区が担当でした。 大分東京間は、車掌は東京車掌区、乗客案内(青い腕章)は大分車掌区が担当していました。
@qsht
24 күн бұрын
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。 解説をいただき、お礼申し上げます。 鉄道に詳しくない方も多くご覧になっているので、 他の視聴者の方の参考になります。
@ヒストレイン
26 күн бұрын
鉄道員、詰襟制服もいれば、ネクタイしてる人もいる…ちょうど変わる頃か…
@qsht
25 күн бұрын
毎度ご視聴いただきましてありがとうございます。 鉄道員は開業直後から戦争前まで、 とても誇りの高い仕事意識を 世間的にも有していました。 詰襟にカラーを装着する制服が、その矜持をよく物語っていますね。
@ヒストレイン
26 күн бұрын
宮脇俊三氏の時刻表昭和史にも終戦直後、この映像のように窓や屋根、機関車にまで人々が溢れており、当時は列車に乗るのがどれだけ大変だったか、克明に描かれてましたね。
@qsht
25 күн бұрын
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。 宮脇俊三さんは、お客さんの観点で、 種村直樹さんは新聞記者の観点で、 折に触れてこの当時の輸送の状況を 旅行雑誌や鉄道雑誌に書かれていました。 記事にするほどの、出来事が戦後長く続いていたのですね。
@高橋秀静
26 күн бұрын
C50の後ろにダブルルーフの客車かっこいいな。
@qsht
25 күн бұрын
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。 この映画作品のような、 C50型の蒸気機関車と、二段屋根の17m客車のコンビネーションは、 映画制作当時は特に平野部で比較的あちこちの線区で観られ、 あとの時代になっても"汽車"を象徴するイメージが残りました。 日本の鉄道模型のメーカーでは、この組み合わせをモチーフにして 最初期の製品を売り出していたほどです。 カッコ良さで人気があったんですね。
@sintetu
27 күн бұрын
戦時中は兵隊になった鉄道員達の代わりに女性駅員、車掌が居ましたね!!大いなる旅路にも同じ場面がありました
@qsht
26 күн бұрын
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。 戦時中~戦後すぐあたりは、地方の軽便鉄道へ行くと、 小学生くらいの、10歳ー13歳あたりの子どもが 貨車の入れ換え手伝ってたり、乗車券売りさばいていたり そんな記録が映画や写真で残ってます。 今ならお金払って、やりたい少年たちが飛びつきそうな場面ですけど。
@sintetu
25 күн бұрын
@@qsht確かにありましたね、今の時代は19歳から採用されるでしょう
@anesi198
29 күн бұрын
特急こだまも4打点チャイムだったの?!
@qsht
27 күн бұрын
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。 これは、結果から遡りますと、逆でございまして、 当時のこだま号は東海道新幹線の開業を前に、 とりわけサービス内容の実験場としての役割もありました。 このこだま号で、4打点チャイムを実験して内外好評を得たことから、 新幹線0系こだま・ひかりで採用された とするのが経緯と言われています(雑誌"電気車の科学"記事より)。 結果、在来線はおなじみのオルゴールを使い分け、 新幹線が打点式という時代が長く続いたわけです。 不思議なもんですね。
@anesi198
27 күн бұрын
@@qshtそんな経緯があったなんて初めて知りました…! 特急=オルゴールが染み付いてるのでなんともいえぬ違和感がありますね。 ご丁寧に教えてくださりありがとうございます。
@sintetu
3 күн бұрын
@@anesi198最近まで聴けた電車式オルゴールの鉄道唱歌は1964年の新幹線開業時から採用され始めましたが、私の考えですとにキハ81はつかりからだと思われます
@nanalinn
29 күн бұрын
この映画見たことあります。群馬交響楽団の黎明期を映画化したもので、当時としては大変な労力をもって撮影されました。オーケストラを題材にした映画はこの後作られていないのではないでしょうか。何と言っても山田耕筰さんが出ていたこと、貴重な映画です。
@qsht
28 күн бұрын
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。 おっしゃる通り、 日本では後にも先にも例の少ない音楽映画ですね。 独立プロと今井正監督が不安の中で制作した名作ですが 現在も根強く高い支持と評価を得ています。 配役テロップに「草笛光子」と出るのですが、 実はさらに30分長いヴァージョンが存在していました。 「室井摩耶子」もビッグな音楽家として 貴重な演奏場面が含まれています。
@nanalinn
28 күн бұрын
@@qsht チャイコフスキーのピアノ協奏曲第一番を演奏していましたね。
@さこっちありす
29 күн бұрын
橘家圓蔵師匠(笑)
@qsht
28 күн бұрын
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。 一応、喜劇映画ですからね、 そうなると松竹は落語家を出してくるんですよ。
@asokai2346
Ай бұрын
ちなみに昭和40年代に入ってもこんな感じで、115系電車が導入されてようやく落ち着いたという経緯がありました。※それでも酷いもので最終的には上越新幹線の開業まで待たなければなりませんでした。
@qsht
28 күн бұрын
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。 新前橋電車区の電車と70系電車を運用する時間が、 この地域のラッシュ時間帯からズレているので有名でしたね。 これは列車編成の原因以外に、スジ引きにも問題がありました。 交換の貨物列車も長い時間本線引き上げで入れ換えしていましたので、 (おまけに朝っぱらから東武授受と足尾競合が桐生以東で3か所もある) 信号扱いも大変だったと思います。
@asakazefuji
21 күн бұрын
1973年(昭和48年)にはこの殺人的混雑に165系電車が使われていて、 そこへ労使紛争による順法闘争が合わさったところ、 乗客の暴動、上尾事件と首都圏国電暴動が発生していますからね 80系が首都圏から早期に追い出されたのは混雑のためでした
@野良ネコパンチ-z7t
Ай бұрын
あれほど詰め込む様に混んだ列車を見ると30年前頃の東海道線上りで大船から川崎まで途中から片足立ちになっているのに何故か疲れなかった謎の混雑を思い出します
@qsht
29 күн бұрын
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。 そうですね、大船~川崎間は 「横須賀線から来た電車に乗ってよ」と言いたくなるような混雑で、 横浜で降りた人数以上乗ってくるのには閉口する毎日でした。 特にあの区間は 東京駅までトイレがずっと開かなかったのも謎の一つです。
@木村充保-b3w
Ай бұрын
手すりを持たずに戸井握っている。
@qsht
29 күн бұрын
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。 このさい、振り落とされなければ 掴めるところはどこでも掴んでおかないと たいへんなことになる時代でしたね。
@nonoil-ez1tn
Ай бұрын
寝ている方が正確だな!
@qsht
29 күн бұрын
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。 おっしゃる通りです。
@DMH17-x5y
Ай бұрын
ダブルルーフの客車が時代を感じます。そして出演者にビッグネームが!作曲家の山田耕筰氏が出演していたとは驚きです。
@qsht
29 күн бұрын
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。 そもそも音楽映画なのですが、おっしゃるように、山田耕筰さんのほか、 いまでもご存命のピアニスト、室井摩耶子さんも特別出演されていて、 たいへんな配役の映画として密かに有名な作品です。 この映画を収録時にはすでに、山田耕筰さんは昭和23年に脳溢血で倒れて 左半身はマヒが見られるものの、映画後半では自らタクトを執り大活躍しています。 当時の独立プロの意気込みが感じられます。 二段屋根の木造客車はこの当時、地方線へ充てられていたのですが、 「乗れればいい」「走ればいい」「運べればいい」時代でしたので、脚色もありますが 劇場公開当時も重い時代でした。
@コジ-r5e
Ай бұрын
よく見る映像なんですが落下して落ちる人などいなかったんですかね?トンネルでは煤煙もろに受けるし、雨風も容赦ないだろうし…
@qsht
29 күн бұрын
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。 >落下して落ちる人など 戦前はわかりませんが、終戦直後から10年くらいの間は、この動画のような輸送状況が 都市部の近郊でも常に見られたようで、新聞記事だけでも 「動力車の先頭から転落して轢かれ」「線路脇電信柱に攫われて」「対向列車に触車して」 とゆう報道がとても多く拾えます。 引き揚げもずっと続いていたので、気の毒なことですが、 輸送需要はあるのに、戦災で車輛が不足していたこともあって、 とくに橋梁上とか隧道内の転落は凄惨を極めたようです。
@岩田実-h2f
16 күн бұрын
@@コジ-r5e 様 「御茶ノ水駅構内で走行中の電車のドアが破れ、乗客が神田川に転落。死傷者多数」 なんて事故も起きてます 車内にいても危ない時代だったみたいですね
@toriri-service
Ай бұрын
現実にあった光景とはいえ 今だったら『危険な撮影』としてNG👎️でしょうね。
@qsht
29 күн бұрын
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。 "今"どころか、当時もNGな場面でもあったのですが、 もう少し厳密に申し上げますと、 「撮影はOK」「公開はNG」とするのが当時の映評記事ですね。 国鉄高鉄局全面協力で、C50の前端に櫓悍を組んで踟躊撮り(Heave to shot)をするやり方は、 「裸の太陽(東映)kzbin.info/www/bejne/jn2lYqdtpLOimtU 」でも活用されています。 やってしまうところが、独立プロのすごいところでした。
@toriri-service
29 күн бұрын
@@qsht さま 『黒鉄役者』を教えていただいたアレですね。 実際に演じているのは 江原真二郎さんではないにしろ 当時はスタントマン等居なかっただろうから どんな方が『吹き替え』ていたのだろう? 何れにしても 危険な撮影には変わりないですね。でも そんなハラハラ感を持ちながらの手に汗握るシーンとなりました。
@AKI-xf5dz
Ай бұрын
楽団員と担ぎ屋 まさに戦後の混乱期ですね よく見ると山田耕作先生のお名前が。
@qsht
29 күн бұрын
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。 これは全編が音楽映画(モデルは群馬交響楽団)なので、他にも ピアニストの室井摩耶子さん(103歳ご存命)とか 重鎮さんが出演されてます。 山田耕筰さんは、本作出演時点で半身不随でしたが、 ラストシーンでは大活躍します。
@1019ha
Ай бұрын
横浜線にも走っていた。
@qsht
Ай бұрын
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。 こんな映画の坂があるところに比べると、 横浜線は八王子に向かって上がっていくものの、 緩やかな勾配でしたから楽そうに思えますが、 片倉あたりは登ったり下ったりの難所だったようです。
@値段は高いがイイ味です
Ай бұрын
ホステスさんの積み立て旅行って、新鮮だなぁ。🤣
@値段は高いがイイ味です
Ай бұрын
到着時刻を噛み倒すまで、質問攻めにする橘屋円蔵にイラつく。🤔
@qsht
Ай бұрын
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。 この映画公開当時の社会構造が、 いろんな人たちが乗っている長距離列車の中に凝縮されているのを 監督は表現していたのですが、 なにぶん"喜劇"映画なので、 落語家やコメディアンを混ぜて劇場を沸かせる前に、 尺を稼ごうと、しょうもないシーンを詰め込みすぎですね。 このシリーズの中では観客動員数が低いほうです。 いまどき"積み立て旅行"なんて言っても、若い方はピンときません。 そんなことだから、このシリーズは全作DVD化が止まってしまいました。
@toriri-service
Ай бұрын
こちらにもお邪魔します。 こんな映画があったとは存じませんでした。当時 よく国鉄が協力してくれたものと思います。 83年後の現在の沿線の景色は どちらも電化されて成田線が複線化された以外 あまり変わっていませんね。
@qsht
Ай бұрын
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。 この競演シーンだけですが、 ほぼ同じ構図のシーン(蒸気機関車どうしが抜いたり抜かれたりするシーン)が、 本作映画が発表された1941年以前のドイツ映画にあります。 国際情勢的に日独が蜜月であったころなので、 影響を受けたのかもしれませんけど、原映はモノクロではありますけど、 日本のこの作品のほうが、よく描かれてはいます。 それにしても、いまなお変わらない風景の場所ですね。
@sunami808
Ай бұрын
タイ国鉄の長距離快速や急行列車の非冷房三等車だとこうした車両体験できますが、禁煙ともかく、禁酒がキツイ。車内で酒が飲めた時代の非冷房食堂車で大騒ぎは楽しかった。でも、特急の新車のクーラーついた一等個室寝台や二等寝台車は当然快適。夜行列車の三等非冷房は日本じゃ金積んでも経験できないアトラクション感覚。三等にも車内販売バンバン来るのは楽しいですよ。昔はビール売ってたんだが今無いんが残念
@qsht
Ай бұрын
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。 タイの列車は都市も農村も楽しいですね。線路もう少し直してくれると嬉しいですが、 20年位前までは車輪が三角形じゃないかと思うほどのたいへんなシャッフルもありました。 夜行三等は、小さい子もたくさんいて楽しいですが、 夜汽車になると、駅に停車中に日本では見たことのない大きな虫が入ってきて これはこれで大変でした。 ベトナムの長距離列車も、 いまだに日本の高度経済成長前夜の雰囲気で海風が気持ちの良い線です。
@sunami808
25 күн бұрын
@@qsht最近はかなりPC枕木ロングレール化されてジョイント音も減り、ボロ客車でも揺れなくなり無茶苦茶な遅延も減りました。クルンテープアピワット駅出来たのは大きいですね。新品の高架駅に古い客車新車の電車が同居と言うのもカオスです。あちこちの駅でホームを作り替えてます。タイも旧型客車消える時は突然かもですね。
@anonimousanony7672
Ай бұрын
豊橋の駅名標が出てるけど、豊橋は地下道じゃなくて跨線橋なんだよなあ…
@qsht
Ай бұрын
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。 これは、当時のみなさんがおっしゃってたんですよね。 (とくに中京圏にお住まいでこの映画をご覧になった方) ホームからホームへの乗り換えの地下道は豊橋の駅には確かにありませんでした。 一時、東西を通り抜けられる貫通地下道はあったのですが、 ラッチ外の公益地下道ですから、ホームにつながっていたわけではありません。 売店があるのは、名古屋駅ですね。 (キネマ旬報の記事では)映画なのでいちおう、設定は架空。
@山内拓-b3n
Ай бұрын
毎日グラフ!
@qsht
Ай бұрын
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。 なつかしいですよね。 「太陽」とか「平凡パンチ」とか、他のシーン、他の映画の中には、 この時代のそうしたものたちが、何気なく出てきます。
@shingochiba5823
Ай бұрын
実際、京急で大事故になったな
@qsht
Ай бұрын
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。 高いところに運転台のある151系電車と違い、 京急の場合は遮光幕も下ろしていないので お客さんも もろに目の前でひっくり返って、怖かっただろうと思います。
@sububa0817
Ай бұрын
あと、日光行きの東武鉄道1700/1720系けごん、きぬも豪華だったらしい。 令和で151系に匹敵する車両はE261系サフィール踊り子と近鉄ひのとり、日光行きならスペーシアX辺りか。
@qsht
Ай бұрын
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。 151系電車で試みられたサービスの内容は、 並べていただいた1720系、E261系サフィール踊り子、近鉄ひのとり、スペーシアX の 曽祖父母に価すると考えていくとわかりやすい系譜かもしれません。 もう、50年以上の隔たりの中にあると、気骨の薫風が残っているだけかもしれませんが、 列車で過ごす楽しさを前の時代に倣って、いまのサービスで観ることができるのだと思います。
@AKI-xf5dz
Ай бұрын
0:52辺り カニ22のパンタが上がってますね。先頭はEF60-500でしょうか。 この時期、私服公安官の連続ドラマとみずほ(?)の食堂車が舞台のドラマがあったように記憶しています。
@qsht
Ай бұрын
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。 ご覧の通りで、EF60ですね。時代的にはこの後間もなくEF65へ変わるのですが、 それまでのわずかな間、ヨーロッパではよくある、客車にパンタグラフをのせて 電源を賄う過渡的な運用をしていたわけですね。 列車名はわかりませんが、 鉄道公安職員と食堂車内の出来事が絡むTVドラマ作品は、意外と多くありまして、 物語の題材にしやすい組み合わせでもあったようです。
@totsugeki2428
Ай бұрын
客車急行列車、東京から鹿児島や宮崎まで30時間以上かけて走っていたんだよな。真夏に冷房すら無い客室内、固い椅子に或いは狭い通路に座って24時間以上も風呂に入らず過ごしてた訳か。 追記、 あと、当時のプロ野球選手は巨人以外は極貧尚且つ社会的地位がかなり低く、広島カープや西鉄ライオンズはシーズンを通してこんな感じの列車で遠征を余儀なくされていたんだろう。 広島カープの昭和50年の初優勝は山陽新幹線が開業した年、新幹線での遠征に切り替わって当時の広島カープの選手達に大きなゆとりが出来たからこその優勝だったのかもしれない。
@qsht
Ай бұрын
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。 セ・リーグはそうでもなかったみたいですが、 パ・リーグは移動が酷だったと30年ほど前の毎日新聞に述懐が載っています。 西鉄が西武に移ってからは、とくに日本シリーズが戦いやすかったようで、 仰るように、広島~博多のHG間の夏移動はきつかったと思います。
@asaichban9842
Ай бұрын
回っている扇風機には「日本国有鉄道」 自分のころは「JNR」でしたね 細かいけど 監督は 野村芳太郎、脚本が 橋本忍 でしたね
@qsht
Ай бұрын
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。 そうなんですよ、つべの動画は、いちどupしてしまうと修正が困難になるので、 いつも点検してるんですが、こんかいもまたやってしまいました。 ("また"とゆうことは、他のup作品にもあります。お暇な時にお探しください。) とくに監督さんの名前は、ほんとうに失礼なことで、 ご存命なら(こうしたことに特に怖い方なので)間違いなく言われてました。 フィリップと、コメントのほうは直してあります。 扇風機の表記が直されたのは、この映画が封切になる前の年あたりからで、理由は簡単で、 欧文3文字ロゴマークのほうが安く済むからです (全車で11万台あったといいますから)。