Пікірлер
@a-ki876
@a-ki876 15 күн бұрын
貴重な音源の配信ありがとうございます。 実家が啓明ターミナルの近くで、たいがいの路線が地下鉄駅短絡の中で大通・札幌駅まで直通する啓明線は好きな路線でもありましたし、よく利用していました。
@user-kiha56-100
@user-kiha56-100 11 күн бұрын
コメントありがとうございます。 以前はこの路線を利用されていたのですね。 音質が非常に悪く聴きづらくなっておりましたが、もし、少しでも懐かしんで頂けたのであれば、光栄でございます。
@mkrsknkarkw
@mkrsknkarkw 25 күн бұрын
次はミスターの家近所前
@user-kiha56-100
@user-kiha56-100 25 күн бұрын
コメントありがとうございます。 鈴井貴之氏は赤平市出身でしたね。
@user-ii4mu6fg8t
@user-ii4mu6fg8t Ай бұрын
フルネームでの紹介なんですね😂
@user-kiha56-100
@user-kiha56-100 Ай бұрын
コメントありがとうございます。 フルネームによる自己紹介は珍しかったですね。
@user-mb7cm4nx3s
@user-mb7cm4nx3s Ай бұрын
自分は網走出身です、ちなみに今でも網走バス乗り付け常習者です。このテープ自分の小さい頃に乗った網走バスですね。バスは多分エンジン音から察するにエアロミディの初代モデルかMK116のモノコツクバスですね。この手は当時小清水線、斜里線を主流に時間によっては美幌線にも入ってましたが個人的には美幌、北見線のバスのイメージではなかったですね。今の駒場8丁目が三中入口だったのと桂町3丁目が大盛寺だったのをきっぱり覚えてます、因みにこの時代は中型バスを市内線に使うという事は先ず無かったのですが自分が5才の頃(昭和60年)うちのお袋が東3丁目から潮見へ帰るつもりで乗ったバスこの2パターンの中型バスだったので自分は「あぁ〜これは小清水か斜里へ行くバスだなぁ」と思ってたんですがお袋は行き先も見ずして乗ってしまい案の定斜里行のバスでした。東3丁目から乗って次の案内で「次は東6丁目」の案内を聞いて自分は聞いた事ない停留所だなぁ〜と思ったのですが市役所の交差点を直進した事でお袋がようやく違う路線に乗った事に気づいた様で慌てて降りた事がありました。意外にバスの乗り方は行き先表示をよく見ない大人の方が知らないものですね。
@user-kiha56-100
@user-kiha56-100 Ай бұрын
コメントありがとうございます。 網走出身の方なのですね。 バスについては、詳しくないのですが、その様な車種だったのですね。 網走バスはこの収録音源の1986年8月の小清水線(網走駅前から北浜駅前まで)と、斜里線(北浜駅前から斜里まで乗車:収録無し)、それから約20年後の 2005~2006年と2008年頃に網走駅前から天都山方面の観光線に乗車しております。 因みに1986年8月の小清水線に乗車したときは整理券が発券されなかったので、 焦ったのですが料金表を見たら、『券無し』があったので納得しましたが、 それまでは整理券が発行されるバスでは必ず始発場所でも整理券が発券される 認識でいたので、ちょっとびっくりしました。 (色々調べると、他のバス会社でも始発区間では整理券が発券されない路線もありますね。) 網走バスの小清水線は減便されつつも存続しておりますが、斜里線は廃止に なっていたのですね。現在は斜里バスが斜里から網走までの路線(1往復)と 女満別空港~網走~斜里~ウトロ方面の路線(数往復)を営業している様ですね。
@user-zq2pj1qw1q
@user-zq2pj1qw1q Ай бұрын
この声下り富士・はやぶさの最終列車を担当した下関乗務員センターの西村車掌の声に聞こえます🥺
@user-kiha56-100
@user-kiha56-100 Ай бұрын
コメントありがとうございます。 私も以前他の方の動画の下り富士・はやぶさの最終列車の アナウンスを聞きましたが、その時の西村車掌の声を聞いて、 私が収録したこの動画の車掌の方だとすぐに分かりました。 (東京到着前放送の最後の方で聞き取りづらいのですが、 『西村』と言っておりますので、西村車掌で間違いないと思います。)
@user-rf5wr9vl6z
@user-rf5wr9vl6z Ай бұрын
上砂川より利用者は多かったけど、路線名が付いていたために先に廃止となった歌志内線。最盛期は石炭需要で国鉄第4位の売り上げを記録していた歌志内線。今は閑散としている歌志内。ここに栄枯盛衰の言葉が詰まっていると思います。
@user-kiha56-100
@user-kiha56-100 Ай бұрын
コメントありがとうございます。 仰るとおり、上砂川線は函館本線の支線だったので、 廃止の時期が歌志内線より後になりましたね。 もし歌志内線の方が函館本線の支線扱いだったら、 炭鉱が無くなった後もしばらくは存続出来ていた可能性もありますかね………? 道内には炭鉱とともに開業し、そして閉山後に過疎化して消えて行った路線が 多数ありますね………。
@a-ki876
@a-ki876 Ай бұрын
はじめまして! 実家が啓明ターミナルの近くでしたのでこの系統と西53啓明線をよく利用していました。 西11はかつて「啓明円山西町線」といい啓明ターミナルから円山公園駅前を経由してアフターケアーまで路線がありました。 それが円山公園駅前を境にして西25丁目線と動物園線に系統分割されました。 あと、サムネイルの日野RE・・・中高生の頃によく乗ったバスで一番好きなバスでした。
@user-kiha56-100
@user-kiha56-100 Ай бұрын
コメントありがとうございます。 この路線は系統分割された歴史があったのですね。 情報ありがとうございます。 サムネイルの画像ですが、40年近く前にこの音源の提供者である 友人の当時の住居の近所で撮影したものです。 110ポケットカメラ(35ミリフィルムより小さいサイズ)で撮影したので、 画像が粗いのが少々残念でした。
@user-sb3iy7kt6p
@user-sb3iy7kt6p Ай бұрын
とても懐かしく聞かせていただきました。 大半の人は、大通西25丁目で下車するので、終点の円山ターミナルまで乗車する人は少なかった印象があります。 あと、市バスの方向幕は中央から左寄りだった記憶があります。
@user-kiha56-100
@user-kiha56-100 Ай бұрын
コメントありがとうございます。 懐かしんで頂けたのでしたら幸いでございます。 実際に利用した事が無かったので、地図で確認したのですが、 終点の円山公園(円山ターミナル)も大通西25丁目もどちらも乗り継ぎ駅が、 円山公園駅だったのですね。
@user-rf5wr9vl6z
@user-rf5wr9vl6z Ай бұрын
自分も無くなると聞いて、2007年に乗りに行きました。指定席を取って見えるラジオを見ながら車窓を楽しみました。
@user-kiha56-100
@user-kiha56-100 Ай бұрын
コメントありがとうございます。 2007年に惜別乗車されていたのですね。 私個人としては781系=ライラックでしたので、 まさか10年後に789系0番台で愛称復活するとは思いませんでした………。
@yc2127
@yc2127 Ай бұрын
懐かしすぎます!東豊線ができる前のですね!
@user-kiha56-100
@user-kiha56-100 Ай бұрын
コメントありがとうございます。 収録音源当時のこの路線は、東豊線開通前なのですね。 情報ありがとうございます。
@user-yg4tf5gn9j
@user-yg4tf5gn9j Ай бұрын
懐かしい日野バスですね。77年式です。
@user-kiha56-100
@user-kiha56-100 Ай бұрын
コメントありがとうございました。 画像の車両の事は詳しくはないのですが、 日野製の77年式なのですね。 情報ありがとうございました。
@user-yg4tf5gn9j
@user-yg4tf5gn9j Ай бұрын
@@user-kiha56-100 さん、54のオッサンですが、19まで札幌に住んでましたから。進学を機に上京しました。盆に帰省します。しかし、札幌市営バスがなくなり、寂しいですね。
@user-kiha56-100
@user-kiha56-100 Ай бұрын
@@user-yg4tf5gn9j さん、道内主要都市の公営バス(札幌、函館、苫小牧)は全て民営化されてしまいましたね。私は札幌市営バスはあまり乗車した事が無かったのですが、初乗り(1区)料金のみで終点まで行ける路線が充実していて羨ましいと思っておりました。それは中央バス等の民営バスに移管された後も続いておりましたが、昨今の運転手不足による減便で路線が縮小され、札幌郊外から札幌中心部へ移動するにも地下鉄に乗り継ぎが必要になり、料金も割高になる状況になっております。
@user-yg4tf5gn9j
@user-yg4tf5gn9j Ай бұрын
@@user-kiha56-100 さん、想像以上にドライバー不足は深刻だそうですね。JR北海道バスのドライバーをしてる親友も、減便されても負担は却って増すと嘆いてましたよ。
@user-kiha56-100
@user-kiha56-100 Ай бұрын
@@user-yg4tf5gn9j さん、本当に公共交通は激動の時代になってしまいましたね。減便されても運転手さんの負担が増すのであれば、せめて給料等の待遇だけでも大幅に改善される事を望みたいですね。
@user-cy7xk6re8n
@user-cy7xk6re8n Ай бұрын
車輛を「クルマ」と言う放送、地方の特に気動車編成の時によく使われてた気がします 昭和60年の夏、釧路⇒根室標津乗車しました。夏だったせいかそれなりの乗車があったので、宿の女将さんに「廃止って聞いてるけどほんとう?」と聞いてみると「国が言ってるからそうなんじゃないの」と答えていました。当時は信じられない思いでしたが、その数年後からバンバン廃止線区が増えましたね
@user-kiha56-100
@user-kiha56-100 Ай бұрын
コメントありがとうございます。 車輛を「クルマ」と言う放送は北海道以外の地方でも使われていたのですか? 昭和60年以降は第2次廃止対象路線が多数廃止されましたね。 標津線は廃止がもったいないと思いましたね。中標津空港とタイアップして 何とか存続出来なかったものかと思いました。 それから約30年後までに(新幹線絡みを除くと)道内では江差線末端区間、留萌線、石勝線支線、根室線の一部等が廃止され、さらに厳しい区間が多数ありますから、道内の路線網は本当に札幌圏だけになってしまいそうな状況ですね。
@user-cy7xk6re8n
@user-cy7xk6re8n Ай бұрын
記憶違いでしたらごめんなさい さすがに東京近郊では聞きませんでしたが、よく利用していた両毛線や旅先で乗った東北地方の列車で聞いた記憶があるのですが 余談ですが、標津線に乗った2日後、網走湖畔を走る湧網線を見てかみさんと「来年また来て乗ろう」と話してました。が、子どもができてなんだかんだで家族で訪れたときはすでに廃線になっていました。残念
@user-kiha56-100
@user-kiha56-100 Ай бұрын
本州でも車輛を「クルマ」と言う放送はあったのですね。 情報ありがとうございました。 湧網線は私も乗りたかったのですが、叶いませんでした………。
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 2 ай бұрын
懐かしい!同年8月に20日間の日程で北海道旅行してました。 夜行も席の取りやすい上りをよく利用していました。同じ列車に乗っていたかもしれません。
@user-kiha56-100
@user-kiha56-100 2 ай бұрын
コメントありがとうございます。 同年の8月に北海道旅行をされていて、まりもにも乗車されていたのですね。 私は夜行列車乗車はこの時が初めての乗車でした。 札幌からは急行ニセコに乗り換えて函館まで行ったので、 釧路から函館までは14系客車列車尽くしでした。
@torusato401
@torusato401 2 ай бұрын
5系統は競馬場前(始発)→十字街丸井前(終点)でした。お彼岸・お盆の時期は十字街丸井前~高龍寺前まで延長運転していました。時任町~的場中学校前は中部高校前経由ではありませんでした。
@user-kiha56-100
@user-kiha56-100 2 ай бұрын
コメントありがとうございます。 昔の5系統はかなり経路が異なっていたのですね。 貴重な情報ありがとうございました。
@torusato401
@torusato401 2 ай бұрын
⁠@@user-kiha56-100さま 現在の函館競馬場北駐車場に市営バス深堀営業所がありました。 3系統は競馬場前〜深堀町〜函工通り〜工業高校前〜大妻高校前〜東高校前〜柏野小学校裏〜五稜郭病院前〜五稜郭公園前〜梁川町〜高砂町通り〜十字街丸井前だったと思います。6系統は競馬場前〜湯川温泉電停前〜温泉街を通って、湯川温泉前〜海岸道路〜函館駅前(十字街丸井前までかは記憶にありません。) 8系統は函館駅前〜深堀町までは千代ヶ岱まわりの電車通りを走り、日吉ヶ丘通りを花園町までそこから曲がって湯倉神社前終点だったと思います。入庫車は競馬場前まで。6系統も湯倉神社前行きと競馬場前行きがあったと思います。北高校前行きは本数が少なかったと思います。
@user-kiha56-100
@user-kiha56-100 Ай бұрын
@@torusato401 様  またまた貴重な情報をありがとうございました。 市営バスの深掘営業所があったのですね。初めて知りました。 昔存在した営業所絡みとしては、市電の梁川営業所があったという 話は聞いたことがあります。
@torusato401
@torusato401 Ай бұрын
@@user-kiha56-100 さま 梁川車庫はテーオーの向かいの旧西武百貨店と隣りのHBCです。柏木町の車庫はご存知ですか。大昔には千歳町の昭和通りの反対側に線路があり、現在の北電函館支店が新川車庫だったと母から聞きました。 ガス会社回りや栄町回りは知ってますか。 五駅まで電車が走ってました。僕が高校卒業してまもなく廃止されました。 バスでは若松広路の駅よりにバスセンターがあったのは知ってましたか?駅前発着のバスはバスセンターへ回送されてました。 6日土曜日の夜2泊で函館に帰ります。ウチは深堀町電停から歩いて3〜4分です。記憶を辿って昭和30年代後半〜昭和53年までの市電市バスの話ししましょうか。
@user-kiha56-100
@user-kiha56-100 Ай бұрын
@@torusato401 様 市電の柏木車庫も聞いた事がある様な気がしますが、新川車庫は初耳です。栄町回り(1系統:駒場車庫⇒栄町⇒末広町)、 ガス会社回り(3系統:駒場車庫⇒ガス会社⇒函館どっく前)は乗車した事があります。五稜郭駅前系統は乗車した事があるかどうかは不明ですが、わずかながら記憶があります。 若松広路の駅よりのバスセンターも初耳ですね。 バスセンターといえば高盛町の函館バスの方を連想してしまいますね………。 色々とバスや電車の営業所も変遷を辿っているのですね………。
@user-nc7nd2xf4z
@user-nc7nd2xf4z 2 ай бұрын
カセットテープで、録音したんですね、当時の雰囲気が、伝わってきました。
@user-kiha56-100
@user-kiha56-100 2 ай бұрын
コメントありがとうございます。 仰るとおり、カセットテープで録音したものです。 当時の雰囲気を少しでも感じて頂けたのでしたら光栄です。
@user-ld7lv8zg4i
@user-ld7lv8zg4i 2 ай бұрын
東62、北72、南97、西14も配信してほしい。
@user-kiha56-100
@user-kiha56-100 2 ай бұрын
コメントありがとうございます。 未公開の音源のストックを確認しましたが、 ご希望の系統はありませんでした。 申し訳ございません。
@user-kiha56-100
@user-kiha56-100 2 ай бұрын
6/22、23時26分追記 お詫び 02:10付近~03:35付近での特急券・グリーン券の画像場面ですが、 誤って(別動画で使用している)特急つがる2号のものを挿入してしまいました。 申し訳ございませんが、画像についてはそのまま無視して頂ければと思います。 この後にも特急券・グリーン券の画像の場面が数回ありますが、そちらは白鳥15号のものです。
@user-np2wv6ll6n
@user-np2wv6ll6n 2 ай бұрын
南64番の動画upありがとうございます。かつて石山通りバス停に設置されていたロケーションシステムの信号音も懐かしいです。一番良いのはアナウンスの穏やかな声が当時の推しでした。この系統の地下鉄乗継指定駅は西11丁目駅でございます。終点の札幌駅北口は今ほど立派ではなく、周囲の建物も少なかったです。
@user-kiha56-100
@user-kiha56-100 2 ай бұрын
低音質ながらお聴き頂きありがとうございます。 この音源は35年以上前のものになりますので、 札幌駅も恐らく高架になってまもない頃で、 旧駅舎等も残っていて絶賛再開発中だったと思います。 その頃の札幌駅北口はどの様な光景だったのかあまり思い出せませんが、 現在とは違ってヨドバシカメラもまだありませんでしたね。
@7coloreddrops
@7coloreddrops 3 ай бұрын
あのころは映像も無く録音だけなんて何の価値もないだろうにと思っていたけど、 こうしてつべに多くの同録が上がっているのを見て聞いて思うのは、映像付きよりもずっと叙情的だと思う。 30年後にこんな公開ツールが出てくるのが解っていたら、もっと貪欲に録音してただろうな~。 しかし心のシャッターを切り、心のマイクで留めておくことが後世のためかもしれないのかとも考える今日この頃。 何もかも残せばいいというものでもないのかもしれない。この想いは私の代でお仕舞にしようとも考える。 「忘れてあげること。それが死者への最大の供養なのかもしれない。」というどなたかの言がよぎったデスよ。
@user-kiha56-100
@user-kiha56-100 3 ай бұрын
コメントありがとうございます。 30年以上前に、いずれネット上に色々な音源や映像が、簡単に公開出来る事が分かっていたら、走行音メインで録音していて個人的に失敗扱いで消去してしまった音源もありましたが、今だったら一部の車内放送だけでも貴重な音源になったのではないかと思うものもあったり、ビデオカメラで昔の映像を撮れていたらどれだけ有益だったろうと思うことも多々ありますが、それはそれで充分なのかなとも思いました………。
@user-vh9xw5tp5x
@user-vh9xw5tp5x 3 ай бұрын
滝川から先、終点札幌までは電気機関車の牽引だったのかなぁ?
@user-kiha56-100
@user-kiha56-100 3 ай бұрын
コメントありがとうございます。 急行まりもは石勝線経由でしたので、 電気機関車での牽引はありませんでした。
@user-vh9xw5tp5x
@user-vh9xw5tp5x 3 ай бұрын
いやいや石勝線ができる前でまだ富良野経由の時代!
@user-kiha56-100
@user-kiha56-100 3 ай бұрын
富良野経由のまりもは1968年に狩勝に統合されて消滅しています。 ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%BE%E3%82%8A%E3%82%82_(%E5%88%97%E8%BB%8A) ED76の500番台は1968年から製造されている様ですが、まりも又は 狩勝に使用されていたのかは、分かりません。 ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%89%84ED76%E5%BD%A2%E9%9B%BB%E6%B0%97%E6%A9%9F%E9%96%A2%E8%BB%8A
@1sttb839
@1sttb839 2 ай бұрын
@@user-kiha56-100 狩勝もまりももディーゼルのまました。
@user-kiha56-100
@user-kiha56-100 2 ай бұрын
@@1sttb839  デイーゼル機関車のままだったのですね。 情報ありがとうございます。
@user-vh9xw5tp5x
@user-vh9xw5tp5x 3 ай бұрын
旭川で電気機関車からディゼル機関車に交換してましたのがいつの間に札幌から終点の網走まで通しでディゼル機関車の牽引になってました!なぜ方針が変わったのか知りたいです😊
@user-kiha56-100
@user-kiha56-100 3 ай бұрын
コメントありがとうございます。 急行大雪の札幌~旭川間の電気機関車牽引が無くなったのは、 そのまま札幌~網走間をディ-ゼル機関車牽引の方が、 機関車交換の手間が省ける等の合理化でしょうね………。
@user-ke3mb5lj1u
@user-ke3mb5lj1u 4 ай бұрын
私は、この時青函連絡船4便羊蹄丸に乗ってました。
@user-kiha56-100
@user-kiha56-100 4 ай бұрын
コメントありがとうございます。 はつかり10号と同じ時間帯に出航した4便の羊蹄丸に乗船されていたのですね。 私ははつかり10号で青森に着いてからは、この4便の折り返しの3便羊蹄丸で 函館に戻りました。
@user-gl3pl7bx7q
@user-gl3pl7bx7q 4 ай бұрын
最初で最後に乗船した思い出深い石狩丸です🛳️
@user-kiha56-100
@user-kiha56-100 4 ай бұрын
コメントありがとうございます。 石狩丸は私もこの収録時に乗船したのみでした。 定期航路最期の夏でしたので、とにかく混んでいた記憶しかありません。
@mkrsknkarkw
@mkrsknkarkw 4 ай бұрын
今のクソリプ脳🧠だと “きゅうこう おおゆきって何?”とか読みそう()
@user-kiha56-100
@user-kiha56-100 4 ай бұрын
コメントありがとうございます。 仰るとおり、「大雪山」や「(二十四節気の)大雪」等を 事前情報としていなければ、私もおおゆきと読みそうです……。
@user-eg6nq7xr8q
@user-eg6nq7xr8q 4 ай бұрын
急行はまなす。 何度か乗りました。 懐かしいです。
@user-kiha56-100
@user-kiha56-100 4 ай бұрын
コメントありがとうございます。 懐かしんで頂けたのでしたら幸いです。 急行はまなすは、私も何度か乗りました。
@user-eg6nq7xr8q
@user-eg6nq7xr8q 4 ай бұрын
急行はまなす
@user-eg6nq7xr8q
@user-eg6nq7xr8q 4 ай бұрын
この時代の車掌さんの車内放送って、なんで素晴らしいのやろね。 哀愁が籠もっていて、声は浪曲師のようで、旅のテンションが上がりましたね。 今は自動放送ばかりで味気ない😂
@user-kiha56-100
@user-kiha56-100 4 ай бұрын
コメントありがとうございます。 おっしゃる通り、この時代の車掌さんのアナウンスは風情がありましたよね。 自動放送は、合理化による乗務員の1列車あたりの人員削減等により、業務量増加の軽減も兼ねているものと思われるので、仕方が無いのでしょうが………。
@torusato401
@torusato401 4 ай бұрын
うちは時任町でした。5番のバス使いました。
@user-kiha56-100
@user-kiha56-100 4 ай бұрын
コメントありがとうございます。 私は稲荷神社前が当時の実家最寄りの停留所でした。
@torusato401
@torusato401 4 ай бұрын
@@user-kiha56-100 さま 日吉ヶ丘通りは5番、8番、15番、16番が中心でしたよね。
@user-kiha56-100
@user-kiha56-100 4 ай бұрын
​@@torusato401 様 仰るとおり、自分が利用していた30年以上前の頃はそれらの系統が中心でした。 5系統(現在の85系統)が日中15分間隔で運行されていたのが、今では1時間に1本あれば良い状況にまで 落ちぶれてしまったのが、時代の変化とはいえ残念でなりません………。
@torusato401
@torusato401 4 ай бұрын
@@user-kiha56-100 さま 3年前に函館市内に自宅を持ちました。後数年は東京と行ったり来たりします。流石にかつて住んでた時任町、乃木町、人見町ではありませんが、柏木町(深堀町電停近く)に月1の割合で帰ってます。今はもっぱら電車を使ってます。
@user-kiha56-100
@user-kiha56-100 4 ай бұрын
@@torusato401 様 現在は、函館(柏木町)に居を構えて東京へ行ったりしているのですね。 深堀町の電停がご自宅から近いのであれば、バスより市電が便利ですよね。料金もバスよりは安いですよね。
@JALh-mg6gl
@JALh-mg6gl 5 ай бұрын
私もこの切符を使って、まりもの車内でJRになる瞬間を迎えました。
@user-tg3rk6nc5c
@user-tg3rk6nc5c 5 ай бұрын
平成元年にミッドナイトのカーペットカーに乗りました。 指定席料金だけで、確か簡単な枕と薄い毛布がついていたと思います。 横になっての移動は大変楽でした。 JR籠しばらくは、こうした意欲的な列車が北海道だけでなく、全国に数多く走っていましたね。
@user-eg6nq7xr8q
@user-eg6nq7xr8q 6 ай бұрын
この時代の車掌さんの肉声放送は、実に味わいがありましたね。 声もいいし、口調もいいし、職人!と言う感じ。 今は自動放送で実に味気ない。 宗谷に乗っても、オホ―ツクに乗っても、おおぞら、すすらん。どの特急に乗っても大橋さんばかり。 旅情がありませんね。
@user-kiha56-100
@user-kiha56-100 6 ай бұрын
コメントありがとうございます。 仰るとおり、昔の車内放送は車掌さんの肉声放送メインでしたから、 個々に特徴があって味わいがありましたね。 自動放送も時代の流れ、合理化等の諸事情等で仕方が無いのでしょうが、 いずれその自動放送の音声も実在の人物による録音から、 AIに置き換わりそうですよね………。 (実際NHKのニュース等で行われておりますよね。)
@user-yn2sf6gi6y
@user-yn2sf6gi6y 6 ай бұрын
懐かしいです。この頃私もよく北海道に撮り鉄・乗り鉄で旅行していました。放送を聞いて当時の函館駅の光景が頭に浮かんできました。当時私も車内放送を録音していましたが、カセットテープを全部廃棄したので貴重な音源をありがとうございます。
@user-kiha56-100
@user-kiha56-100 6 ай бұрын
コメントありがとうございます。懐かしんで頂けたのでしたら幸いです。 この音源は本当は函館到着前放送から函館駅到着までの走行音にもなる予定だったのですが、函館駅ホームに進入し始めた時にテープの片面が 終了してしまったため、「はこーだて、はこーだて」の構内放送を 取り損ねてしまったのが悔やまれます。
@user-ru8kn1cn1g
@user-ru8kn1cn1g 6 ай бұрын
動画アップありがとうございます。 旅行に行けない身には、この車内放送を聞くと旅行気分になり、心落ち着きます。
@user-kiha56-100
@user-kiha56-100 6 ай бұрын
はまなすの車内放送をお聞き頂きありがとうございます。 少しでも旅行の気分になって、心落ち着いて頂けたのでしたら、 幸いでございます。
@user-wi9qh7uj4p
@user-wi9qh7uj4p 6 ай бұрын
懐かしくて涙出る
@user-kiha56-100
@user-kiha56-100 6 ай бұрын
コメントありがとうございます。 懐かしんで頂けたのでしたら幸いでございます。
@user-eg6nq7xr8q
@user-eg6nq7xr8q 6 ай бұрын
宗谷本線の駅が次々と廃止された現在。 夜行列車が走っていた昔の宗谷本線が懐かしい。 車掌さんの車内放送がいいですね。今の自動放送とは違って、旅情を掻き立てます。旅する鉄道。 まさにそうですね。 何時までも残したい北海道の遺産です。私は大阪在住ですが、北海道の大の鉄道ファンです。
@user-kiha56-100
@user-kiha56-100 6 ай бұрын
コメントありがとうございます。 この動画を聴いて頂いて少しでも懐かしんでい頂けたのでしたら、幸いでございます。道内では極端に利用者の少ない駅が次々と廃止になっております。 宗谷本線も同様の状況ですね。そして夜行列車も無くなって寂しくなり、 風情も無くなりましたね。 道内夜行が走っていた頃は、金曜や土曜の夜に札幌を出て、 目的地で半日観光又は乗り鉄の様な事をして、夕方の特急で 再び札幌へ戻って来る様な旅が簡単に出来て便利でしたね。
@user-eg6nq7xr8q
@user-eg6nq7xr8q 6 ай бұрын
@@user-kiha56-100 車掌さんの肉声放送も良かったですが、駅の肉声放送も良かった。 昔、函館=網走間を走っていた「おおとり」と言う特急に何度か乗りましたが、途中駅の駅の放送が涙が出る程、旅情を掻き立てられました。 長万部の放送は、「おしゃまんべ〜い、おしゃまんべ〜い」連絡列車に時間があれば、「お待ち合わせの連絡列車まで時間がございます。橋を渡って待合室でお寛ぎ下さい」
@user-eg6nq7xr8q
@user-eg6nq7xr8q 6 ай бұрын
@@user-kiha56-100 洞爺駅では、「温泉へお越しのお客様、駅前からバスが出て御座います」 遠軽では「えんがる〜〜。えんがる〜〜。これより進む方向が変わりまぁ〜す」 網走では「あばしりぃ〜。あばしりぃ〜」 いやはや、ホントに涙がでます。
@user-kiha56-100
@user-kiha56-100 6 ай бұрын
@@user-eg6nq7xr8q 仰るとおり、かつては駅の構内放送(肉声放送)も駅ごとに味がありましたね。長万部駅の「おしゃまんべ〜い、おしゃまんべ〜い」放送は、 一度だけ函館から釧路まで乗車した特急おおぞら7号のデッキ内で 聞いたことがありました。(録音した音源があるので、何かの機会に アップしたいですね。) 特急おおとりはキハ183系化後に一度だけ、網走から函館まで乗り通しました。車掌さんが旭川と札幌で二度交代していましたね。
@user-kiha56-100
@user-kiha56-100 6 ай бұрын
@@user-eg6nq7xr8q 洞爺駅では、洞爺湖温泉へのバスの案内放送もあったのですね。 かつて函館直通の特急おおぞらに乗車した時に、登別や洞爺到着前の案内放送では、温泉へのバスへの案内放送がありましたね。 遠軽駅の「えんがる〜〜。えんがる〜〜。」は聞いた事がないのですが、 網走駅の「あばしりぃ〜。あばしりぃ〜」は急行しれとこ2号で網走に着いた際に聞きました。(こちらも録音した音源があるので、いずれアップしたいですね。)
@masa-tchannel3062
@masa-tchannel3062 7 ай бұрын
こんにちは! 快速ミッドナイト、懐かしく思います😊学生のころ、よく利用していました✨ 貴重な音源の公開、ありがとうございました!
@masa-tchannel3062
@masa-tchannel3062 7 ай бұрын
こんにちは! 今はなき、西野ターミナル、旧バス停名の手稲東など、とても懐かしく思います😊 バスの運賃、安いですね笑確かにそうでした。 とても貴重な音源をありがとうございます!
@user-kiha56-100
@user-kiha56-100 7 ай бұрын
コメントありがとうございます。 懐かしんで頂けたのでしたら幸いでございます。 昔の札幌市営バスの音源は、友人からの提供音源となりますが、 まだストックがあるので、いずれまたアップしますので宜しくお願い致します。 バスの運賃は、この頃は現在と比べてはるかに安いですね。 新聞の記事によると、札幌市内の全ての路線バスの均一運賃が、12月から30円値上げになる様ですね。現在の状況を考えると仕方がないのでしょうね。
@masa-tchannel3062
@masa-tchannel3062 7 ай бұрын
初めまして! 市営バスとても懐かしいです!一時期、このバスを利用して啓明ターミナルまで利用していました! チャンネル登録させていただき、他の懐かしい動画も拝見します!
@user-kiha56-100
@user-kiha56-100 7 ай бұрын
コメントおよびチャンネル登録ありがとうございます。 以前にこの路線を利用されていたのですね。 懐かしんで頂けたのでしたら幸いでございます。 不定期更新となりますが、今後ともどうぞ宜しくお願い致します。
@user-up1sf4xf8p
@user-up1sf4xf8p 7 ай бұрын
函館着がおおぞら4号になっているからS60.3~S61.10の間のダイヤかな 今の北斗12号のスジ
@LAphototokidoki
@LAphototokidoki 8 ай бұрын
家族連れの会話が昭和の雰囲気感じていいですね。駅名の由来などをアナウンスしてくれるサービスはジーンときました。
@user-kiha56-100
@user-kiha56-100 7 ай бұрын
コメントありがとうございます。士幌線も廃止されてから今年の3月で37年になりますね。良くも悪くもあの頃は風情がありましたね。
@LAphototokidoki
@LAphototokidoki 8 ай бұрын
中学生時代、アマチュア無線技士試験の受験のため、深夜過ぎに帯広から一人B寝台で札幌に向かったことを思い出しました。懐かしいです。
@user-kiha56-100
@user-kiha56-100 7 ай бұрын
コメントありがとうございます。懐かしんで頂けたのでしたら幸いでございます。現在は、深夜の帯広から列車で移動することも不可能な時代になりました。 時代の流れとはいえ、味気ないものです。
@kiro80gut
@kiro80gut 8 ай бұрын
自分の家が南3条西25丁目だったんだけれど地下鉄円山公園駅までは徒歩5分だったからこの路線のバスに乗車したことが無いのよねぇ・・・σ(^◇^;)。
@user-kiha56-100
@user-kiha56-100 8 ай бұрын
コメントありがとうございます。 近場に住んでいると、利用する機会は中々無いですよね………。
@user-cj4qz3zi3e
@user-cj4qz3zi3e 8 ай бұрын
「小樽廻り」が、かつての優等路線を語っている…。
@user-kiha56-100
@user-kiha56-100 8 ай бұрын
コメントありがとうございます。 今は定期の特急・急行列車も無く、 廃止予定区間(小樽~長万部)に成り下がってしまった、 悲しい路線ですね………。
@link7093
@link7093 8 ай бұрын
西25丁目線も、重複する桑園円山線に振り替えられて補完系統に成り代わってしまいましたね。 市営時代は夜遅くまでダイヤが組まれていて、短距離ながら啓明地区の基幹路線の1つ、といった感じでした。
@link7093
@link7093 8 ай бұрын
@@user-kiha56-100 この系統は日中時間帯の本数は維持されているので、実質桑園駅への路線延長と考えるのが妥当でしょうが、最終便がここ10年で1時間も繰り上がっています。 各社ダイヤ改正の都度減便となる昨今ですが、利用者減のみならず運転手不足を理由とした本数削減は、より路線維持の厳しさを痛感させられます。
@user-kiha56-100
@user-kiha56-100 8 ай бұрын
@@link7093  たしかに桑園円山線の時刻を確認すると、日中の時間帯に運行されているので、西25丁目線が実質桑園駅への路線延長と考えても良いですね。それでも最終便がここ10年で1時間も繰り上がってるのですね。 路線バスの減便は全国規模で深刻な問題となっており、最近では中央バスの札幌郊外から 中心部へ乗り入れが大幅削減されましたが、本当に色々な意味で痛感させられますね。 自分が昔住んでいた函館で、よく利用していた同時の市営バスの某路線(現在は函館バスに移管されて存続)が、30年以上前は日中は15分間隔で運行されていたのが、今では減便を重ねて1時間に1本運行されていれば良いくらいになっているのを知った時は非常に悲しい気分になりました。
@user-hv9km3lf7m
@user-hv9km3lf7m 9 ай бұрын
アップありがとうございます。 (澄川3条3)「〜北洋相銀うら100m 中原小児科医院〜」銀行名も去ることながら、略し方も表現にもグッときます。
@user-kiha56-100
@user-kiha56-100 8 ай бұрын
コメントありがとうございます。 恐らく限られた時間枠(放送枠)で乗客にもっとも分かりやすい 表現を求めた結果ですね。
@exp.m.k.2300
@exp.m.k.2300 9 ай бұрын
列車番号不明とありますが、車内放送の到着時刻から推測すると723D・4823Dだと思われます。 そういえば、気動車に乗って車内放送で「気動車」と言っていたのはここだけだったような気がします... 何か初コメなのにすみません🙇
@user-kiha56-100
@user-kiha56-100 9 ай бұрын
コメントありがとうございます。 列車番号ですが、実はこの収録の約2年後の1月に同時間帯の列車で 江差まで乗り通しております。(その時の音源もいずれアップしようと思っております。)その時の列車番号は723Dであることは、 記録していたので分かっていたので、このアップした音源もその番号の 可能性もあるのですが、手元に記録も当時の時刻表も無かったことから、 あえて不明と記載させて頂きました。 この当時、車内放送で「気動車」と言ったり、『車』と言ったり、気動車なのに『客車』と言ったりと乗務員の方によって色々なパターンがありましたね。
@singsingsingtristeza5129
@singsingsingtristeza5129 9 ай бұрын
今はなき、西野ターミナル、手稲東
@user-kiha56-100
@user-kiha56-100 9 ай бұрын
コメントありがとうございます。 この路線は調べたところ、現在はJR北海道バスで運行されているのですね。 西野ターミナル→西野3条2丁目、手稲東→西町北7丁目に 変更されているのでしょうか? また現在は発寒南駅にも乗り入れている様ですね。
@user-gu8lk2gh7d
@user-gu8lk2gh7d 9 ай бұрын
走行音 日産ディーゼルだな
@user-tabiichiro
@user-tabiichiro 10 ай бұрын
この時代の大雪や利尻の自由席に寝台車が入っていてすごく得した感じがありましたね。 上段は使ってはいけないのですが、実際には使っていましたね。