16番diorama 前面展望 2
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16番diorama 前面展望
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Жыл бұрын
16番diorama 17
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Жыл бұрын
16番diorama 16
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Жыл бұрын
16番diorama 15
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Жыл бұрын
16番diorama 14
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Жыл бұрын
16番diorama 13
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Жыл бұрын
16番diorama 12
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Жыл бұрын
16番diorama 11
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Жыл бұрын
16番diorama 10
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Жыл бұрын
16番diorama 9
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Жыл бұрын
16番diorama 8
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2 жыл бұрын
16番diorama 7
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2 жыл бұрын
16番diorama 6
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2 жыл бұрын
16番diorama 5
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2 жыл бұрын
16番diorama 4
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2 жыл бұрын
16番diorama 3
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2 жыл бұрын
16番diorama 2
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2 жыл бұрын
Пікірлер
@Toshi.Horichi
@Toshi.Horichi 13 күн бұрын
昔のポンポン船のようなエキゾーストノートが味わい深いですね✨
@めしぬきB面
@めしぬきB面 21 күн бұрын
こんばんは。 貴重な動画拝見いたしました! 私西条市なんですが、かろうじてDF50の現役最後の年ぐらいに客車に乗った思い出があります。 懐かしさが少しずつよみがえって少し涙しました😅 今、子供達が落ち着き廃線巡りを少しずつ2~30年ぶりに再開しまして、斗賀野や、土讃線なんかを回っていてKZbinに残しています。 もし良ければ当時の動画を使いたいのですが…… アイコンから飛んで頂けたら私の動画にたどり着くと思います。 無理なら大丈夫ですよ。 登録させて頂き動画楽しみにしておりますね🎵
@ef8042
@ef8042 2 ай бұрын
国鉄時代憧れますね 2:40辺りの最後尾のキハ82は 現実にもこのような編成は 実在したのでしょうか
@宇田遥
@宇田遥 2 ай бұрын
DF5026は亀山が長かったので四国では比較的新しいPCが似合ってますよ。
@山陰チャンネル
@山陰チャンネル 3 ай бұрын
山陰線や日豊線は500番台のマン型だったので、四国や紀勢線沿線の人がうらやましいです
@user-jk4vf3np2t
@user-jk4vf3np2t 4 ай бұрын
私は四国のDF50の音は聞いたことありませんでした。九州のDF50はマン型なので音が全く違います。
@sunami808
@sunami808 5 ай бұрын
子供時代四国の実家で、貨物や客車牽引にDF50だったイメージですね。タイでまだ現役の古い米国製フランス製のディーゼル電気式機関車の音とDF50がオーバーラップします。アムトラックやタイ国鉄の新しい機関車はエンジン音が静かになってますからね。古いエンジン音が大きいDLは好きですね。
@与作太郎
@与作太郎 5 ай бұрын
子供の頃はDF50牽引の客車で高知市内へ遊びに行き、高校生になって後免駅まで通学してました。 サヨナラ運転の時高校生の自分は、大杉駅から阿波池田まで、原付バイクで追いかけたっけ😄 そうか、あれから40年以上か…
@seigohsaitoh
@seigohsaitoh 5 ай бұрын
DF50は、辛うじて日豊本線宮崎以南未電化で会えました。
@吉水寿文
@吉水寿文 5 ай бұрын
人気機関車型?乗れる?審査にて黒字列車創作?四十万人よりファン様には、機関車型牽引客車と定期型?寝台列車増設は団体型車両在る列車?、しばらく後に営業です。
@吉水寿文
@吉水寿文 5 ай бұрын
給食型?病院型?を料理と?医学型栄養の勉強も推薦。
@ichigo-h7r
@ichigo-h7r 5 ай бұрын
懐かしいですね。私が小さな頃、貨物列車と言えばこの音。田んぼが線路沿いに有って、貨物列車が来るたび怖くて逃げ回って祖父母を笑わせてました。私のディーゼル機関車と言えばこれなんですよ。因みに、最後のさぬき府中駅で今朝、サンライズ瀬戸の写真を撮ったばかりです。多分、回送してた。いや〜、田舎とはいえ、変わりましたね。
@user-ld5el1zv7z
@user-ld5el1zv7z 5 ай бұрын
亀山機関区で見た26号機は銀帯でした😁
@1610FREIZEIT
@1610FREIZEIT 5 ай бұрын
私の故郷では北陸本線の昭和32年の交流電化+路線変更まで、スイスのズルツァーのエンジンを搭載したDD50が活躍していたようです。しかし、後継機DF50は紀勢線、山陰線、土讃線で実際の活躍シーンを見たことがあります。
@1610FREIZEIT
@1610FREIZEIT 5 ай бұрын
昭和50年の初め、DF50はまだ土讃線を走っていましたね。戦後の無煙化のなかでDD50やDF50に採用されたスイスのズルツァー社も合併を経て名前を消したのが残念です。兄弟車両MANの方はディーゼル機関の元祖として今も健在ですね。これらの集大成がMTUやコマツのエンジンを搭載するDF200に繋がったんでしょう。デザインも大変好きな電気式ディーゼル機関車です。
@塩島聖一
@塩島聖一 6 ай бұрын
DF50ってズルツァー機関でしたっけか。今流行の電気式なのだが当時ではなあ。平坦部でのD51並みと言うことで出力はガッカリだったね。でも、スタイリングはいとしい。
@user-ih7dy3ji1w
@user-ih7dy3ji1w 6 ай бұрын
見たことがないDF50を動画、音源有りで視聴できるのは嬉しい限りです。
@user-yn2sf6gi6y
@user-yn2sf6gi6y 6 ай бұрын
貴重な動画をありがとうございます。私は四国のDF50は見たことがなく、中学生だった昭和50年頃に紀勢本線で同じスルツァーのDF50 0番台を見ているのですが、エンジン音の記憶が全くないのでこの動画で改めてエンジン音を聴くことができました。他のエンジンと違ってアイドリングと力行時の音の差があまり感じられない独特の音ですね。接近するとかすかにモーター音も聞こえるのが電気式らしく感じました。6:20あたり、大歩危のトラス橋脇の通路で撮影している撮り鉄の姿が写っていますが、今なら接近しすぎで通報されるでしょうね。1984年あたりから祖母が買った一体型ビデオカメラを借りて撮影しましたが、私も列車通過後に周囲の景色を入れる貴殿のような撮影をしていて懐かしく感じました。画像云々というより貴重な動画を拝見できた喜びの方が大きいです。改めてお礼申し上げます。
@satokei1257
@satokei1257 6 ай бұрын
現在のDF200の先祖のDF50か。
@user-jk4vf3np2t
@user-jk4vf3np2t 7 ай бұрын
九州は500番台が走ってました。音がバカでっかくて怖かった。
@user-hf9pn5su9r
@user-hf9pn5su9r 7 ай бұрын
DF50の貴重な動画ありがとうございます。191レは後部補機にデーテンが連結されるのですね。初見でした🎉
@fw190d9dora
@fw190d9dora 7 ай бұрын
昭和57年の夏に初めて四国に初めて渡って高松でDF50の走行写真撮りました。 当時は今みたいに情報が無かったですが、逆に何に出会えるかわくわくしたものです。 あれから40年、今じゃ効率求めた結果同じ様な車両ばっかりで当時のわくわく感は 無いので鉄は模型ばかりになりました。
@akyuakyu21
@akyuakyu21 7 ай бұрын
大阪に保存されていたDF50 4号機が解体されてしまうにあたって最期の姿を見に行ったのですがやはりエンジン音を響かせ走る姿も見たくなってこちらにたどり着きました。当時に最後の活躍を映像で撮っていただき、またこうして誰でも見れるようにしていただき、本当にありがとうございました!
@結石結石
@結石結石 8 ай бұрын
写真でしか見たことなかったDF50の映像を見せていただけるなんて。 大変貴重な映像をありがとうございました!
@武掘博資
@武掘博資 8 ай бұрын
あの関係ないのですが最初の画像の先頭の車両はなんですかね?
@azus1113
@azus1113 6 ай бұрын
キユニ15に見えます。
@toshihama1495
@toshihama1495 8 ай бұрын
長崎本線市布線のトンネル内の実写?
@kutakichi
@kutakichi 9 ай бұрын
前菜として付けたような話のほうをサムネにするって不思議な動画の作り方ですね
@shuncgd1
@shuncgd1 9 ай бұрын
重連でもそれほど編成長くなくてもスピード出せないんですね。
@高須正光
@高須正光 9 ай бұрын
DF50は、山陰本線京都口で見ました~茶色の0番代で旧客牽引の普通列車でした。
@かほっちチャンネル
@かほっちチャンネル 9 ай бұрын
当時関西在住で学生の身分だったので年に数回しか撮影に行けなかったので四国在住の方がうらやましかったです。無理に無理に無理を重ねて機材を購入された、よくわかります、私は写真とステレオ録音まででしたので。 後世に伝える貴重な映像です。 冒頭の山田の馬の背橋梁、黒川-財田なんかは四国の方ならではの撮影地ですね。 石灰仕業後の吾桑タブレットは私もよく撮影しましたが、動画が見られるとは思いませんでした。 あれからもう40年以上経ってしまいましたが、動画によりより鮮明に思いがよみがえります。 感謝です。 当時の写真をぼつぼつとアップしています。よろしければご笑覧ください。 df50.net/
@和哉松島
@和哉松島 9 ай бұрын
DF50最初に見たのは、紀勢線です。どこか電気機関車に見えました、エンジンは、ドイツ製だったんですね、あの警笛旅情がこみ上げてきます、日豊線宮崎から西鹿児島までかつては、タブレット閉塞かつ腕木信号機だった頃を思い出すとテンション湧きます‼️
@秋冬-z9i
@秋冬-z9i 10 ай бұрын
大王信号場の現役時代を拝見できて大変嬉しいです。
@BlueSky-op3sl
@BlueSky-op3sl 10 ай бұрын
ご視聴ありがとうございます。 生憎撮影日は天気が悪く、山あいで相当暗い映像になってしまいましたが、ひっそりとした雰囲気を味わっていただけたらうれしいです。
@和哉松島
@和哉松島 10 ай бұрын
50のホイッスル聞くと体は、大きくありません、日豊線や紀勢線の活躍は、拍手します。特に日豊線の宮崎から西鹿児島までかつては、タブレット閉塞かつ腕木信号機だった頃素晴らしく思います。北九州市生まれ愛知県下在住62歳会社員より
@気楽トンボ
@気楽トンボ 10 ай бұрын
すごい、これジオラマですか? 福知山線谷川駅?を彷彿させます。 感激!!!
@user-gv3gx9xo4e
@user-gv3gx9xo4e 10 ай бұрын
これは40年以上前なのかな貴重な動画ですね。当時は無煙化のためにずいぶん鉄道ファンからは嫌われてたけど私は意外と好きでした。 ちなみに緩急車はヨ8000かな?これも好きだったなぁw
@BlueSky-op3sl
@BlueSky-op3sl 10 ай бұрын
ご視聴ありがとうございます。 私はもともと内燃車両が好きで、SLブームにもほとんど乗らず限られた時間とお金をDLに費やすことが多かったです。 当時四国の定期運用の緩急車はヨ8000に統一されておりましたが、この動画の最後から2番目のシーンで、早朝に上ってくる3862レにはなぜかいつも隣にヨ6000と思われる緩急車が連結されておりました。 理由は未だもって不明です。
@権三郎平衛
@権三郎平衛 10 ай бұрын
とてもとても貴重な動画です。ズルツァー形のDF50の音がこんな感じだったのかということがよくわかります。 DF50の出力は、DE10とほぼ同じくらいでしたが、DE10より約10年前に投入されました。 DF50の投入された昭和32年頃は、大容量の機関車用トルクコンバーターを国内ではつくれなかったので、装備品は多いものの、構造のつくりやすくて簡単な電気式のDLを、兎にも角にも、早急につくって投入することになりました。当時は、SLが文字通り煙たがられていたために、早期の無煙化の要請が強くあったためです。 ズルツァー形(DF50₀)で定格1060PS, 8気筒126L、マン形(DF50₅₀₀)で定格1200PS, V型12気筒137Lの、いずれも輸入物の巨大エンジンを載せました。 昭和41年に登場した液体式のDE10の、1250PS又は1350PSでV型12気筒61Lの国産エンジンは、排気量が半分以下となり、約10年で技術が大いに進歩したことをあらわしています。 DF50は、101系電車1ユニット分にも満たない非力な機関車でしたが、日本の機関車の近代化史上、特筆すべき機関車です。
@BlueSky-op3sl
@BlueSky-op3sl 10 ай бұрын
ご視聴ならびに詳細なるご教示をいただきましてありがとうございます。DF50の排気量がDE10の倍以上だとは存じませんでした。 改めて大変な驚きです。 さぞかし燃費も悪かったのでしょうか。 その後の10年の技術革新はやはりすごいです。 これは車の世界にも通ずるものがありますね。
@権三郎平衛
@権三郎平衛 10 ай бұрын
@@BlueSky-op3sl さん 当時のDF50の燃費は、今と比較すると相当悪かったようですね。 昭和37年にできたDD51(液体式 V型12気筒61L 1100PS×2台)は四国では使われませんでしたが、現在、JR西日本の 宮原、後藤などに8両。JR東日本 高崎に2両残っているだけです。 DD51の確立でやっと本格的な本線用ディーゼル機関車ができました。これを片肺分にして、入れ換え用、支線区用にしたのがDE10です。同じエンジンを過給圧を高めて出力増強したものを1台載せました。 90年代にできた北海道用のDF200(ドイツMTU製V型12気筒47.5L 1700PS、又は、小松製作所製V型12気筒46.3L 1800PS ×2台)はVVVF制御の半導体を用いた電気式のハイテク機関車のため、部品の調達が困難になってきたことから、もう廃車にするとのことです。 だから、DD51の方がさらに長く生き残る可能性があります。 詳細はまだ発表されていませんが、後継のディーゼル機関車は、トラックドライバーの不足により鉄道貨物輸送を増やすため(国交省の方針)、日本中のほとんどの線区に入線できるように、DF200の軸重(一軸あたりの重量。これにより入線制限を受ける。)の16tから、DF50やDD51同様の軸重14tになる可能性が高いようです。 すると一車体のみの6軸機F形では収まり切れず、EH200やEH500のような2車体永久連結の機関車になると思われます。つまり8軸のH形になるはずです。 おそらく、ドイツのMTUか、小松製作所のV型12気筒(又はV型16気筒など)で排気量60L前後の、2500PSクラスの既成のエンジンを各車体1台ずつ、合計2台載せるのだと思います。 この機関車が四国を走る可能性もあります。
@BlueSky-op3sl
@BlueSky-op3sl 10 ай бұрын
@@権三郎平衛 様 日本初のDH機は夢がありますね。 見た目は往年のDD50重連のようで、出力は3倍となると、やはり70年の時の長さを感じずにはおれません。 四国も走行する可能性となると、土讃線への入線の可能性もあるのでしょうか。 それもまた夢のある話です。
@権三郎平衛
@権三郎平衛 10 ай бұрын
@@BlueSky-op3sl さん DD50重連を考えると、歴史は繰り返すということでしょうか。 それはないとは思われますが、また「海ボウズ」と呼ばれるのかもしれません。
@user-wj5xh2cl9q
@user-wj5xh2cl9q 10 ай бұрын
このいかにも国鉄的なデザイン、これがまたいいですね。 東日本で生まれ育った自分には見れなかった風景、サウンドも最高です。
@BlueSky-op3sl
@BlueSky-op3sl 10 ай бұрын
ご視聴ありがとうございます。 仰る通り、DF50は登場初期は奥羽本線、磐越西線、中央本線など東日本でもよくみられましたが、 私たちの世代では西日本でしかみられませんでした。 私のもう1つのお気に入り形式のDD13は逆に入換も支線運用も東日本が多かったですね。
@akinobuhayashi565
@akinobuhayashi565 11 ай бұрын
高校時代、詫間-丸亀を列車通学していました。DF50 旧客は本当に懐かしい思い出です。丸亀からの帰りは、伊予西条行 127レをよく利用していました。このサウンドと映像、本当によく残していただきました。ありかとうございます。
@BlueSky-op3sl
@BlueSky-op3sl 11 ай бұрын
ご視聴ならびにコメントありがとうございます。 私もDF50牽引の旧客に何度か乗車しましたが、独特な煤煙と油の匂いが妙に旅情をかきたてておりました。 毎日乗車しておられたとはなんとも羨ましい限りです。 昭和56年に客車牽引から引退の直前、前位にDE10をつけた練習運転を撮影しましたが、それが正に127レでした。
@akinobuhayashi565
@akinobuhayashi565 11 ай бұрын
お返しいただきまして、ありかとうございました。昭和56年に関東の大学へ進学したので、その後の変遷を体験しておらず、空白の時代になっています。127レは、宇高連絡船で航送されてきた荷物車2両を、DF50の次位に連結しており、翌日伊予西条から高松行124レとなって折り返していました。そうですか、DE10が旧客を牽引した過渡期があるんですね!帰省した時に見る客車は、もう50系客車に変わってしまい、寂しい思いをしました。それにしても、127レをご存知ということで、感激しました。
@BlueSky-op3sl
@BlueSky-op3sl 10 ай бұрын
127レと124レの荷物車運用は存じませんでした。 ご教示いただきましてありがとうございました。
@松本憲明-w9q
@松本憲明-w9q Жыл бұрын
おはようございます。自分の青春時代をDF50に捧げた人間からしたら、まさか動画が見れるとは思いませんでした。本当に有難う御座いました。特に浅海-菊間間の瀬戸内海バックのミカン畑でDF50を待っている時、来たと思ったら焼玉エンジンの漁船だった事が昨日の様に思い出されます。チャンネル登録させて頂きましたので、色々見せて頂きます。繰り返しに成りますが本当に有難う御座いました。幸せな気持ちで眠る事が出来ました。
@BlueSky-op3sl
@BlueSky-op3sl Жыл бұрын
過分なコメントありがとうございます。 画質は悪いですが、リアルなサウンドが残せたのが本当によかったと思っております。 私は土讃本線の峠越えでの撮影がほとんどでしたので、漁船と間違えたことはございませんが、映像を見ずにサウンドだけ聞けば海も浮かんできますね。 他の動画でも幸せな眠りについていただければ幸いに思います。
@松本憲明-w9q
@松本憲明-w9q Жыл бұрын
こんにちは。お返事有難うございます。いえいえ。音だけのCDは持っておりますが、やはり映像と共に音が聞ける事は素晴らしい事です。色々な意味で昭和と言う時代の良さを懐かしく思い出しております。有難う御座いました。
@yamamototad1599
@yamamototad1599 Жыл бұрын
BlueSkyさん、またまた貴重な映像をありがとうございます! 高知機関区の転車台を映したアングル、まさに中学生時代に学校帰りに自転車で立ち寄っては何時間も飽きずに眺めていたアングルで感激しました(^ ^) 高知駅で折り返していた高松機関区所属の50もこの転車台で転線して折り返し仕業に備えて給油だか給水だかしているようでした。 僕が通っていた頃に比べ、映像ではDE10の姿が多いです。きっと石灰列車の50からのバトンタッチに向けて転属してきていたDE10たちなんでしょうね。
@BlueSky-op3sl
@BlueSky-op3sl Жыл бұрын
いつもありがとうございます。 この転車台にどのようにして到達したか全く記憶にありませんが、いつも学校帰りに自転車で行かれてたということは、結構オープンに立ち入れる場所だったということでしょうか。 この日、DF50最終運用の780レは伊野で初めての石灰仕業に向かうDE10重連の781レと交換したのですが、この仕業で4両、中村への重連が1往復ありますから、予備も含めると10両近くの配置であったと思われます。 更に高松のカマも来てたわけですから、機関車が見れなくなった現在とは風景がまるで違っていたわけですね。
@山田鈴木-p8w
@山田鈴木-p8w Жыл бұрын
土讃線に貨物が走ってたなんて驚き。
@BlueSky-op3sl
@BlueSky-op3sl Жыл бұрын
コメントありがとうございます。 昭和50年代初めのダイヤグラムを見ますと夜行を含め1日5往復程度の貨物列車がありましたが、徐々に減便されてDF50廃止後はDE10重連による1往復のみとなりました。
@kirin1353
@kirin1353 Жыл бұрын
国鉄時代の四国の鉄道の雰囲気が最高に好きです✨
@BlueSky-op3sl
@BlueSky-op3sl Жыл бұрын
ご視聴ありがとうございます。 私も四国の車両だけでなく、風景を含めた雰囲気がとても好きでした。 海あり山あり川あり谷あり、そして全体にとても明るいイメージでした。 それは今でも同じですが、車両は大きく変化しました。
@たま-w2j
@たま-w2j Жыл бұрын
一つ質問ですが😂 良く、国鉄貨車の編成で沢山の ワム8の間に1両だけコンテナ車とかありますが、 形式は何になるんですかね? よろしくお願いします🤲
@BlueSky-op3sl
@BlueSky-op3sl Жыл бұрын
ご視聴ありがとうございます。 当時は大幹線のコンテナ専用列車ではコキ10000形式とかだったと思いますが、ローカル貨物に1-2輌併結の形で走るのは大概コキ50000形式ではないかと・・・ 申し訳ありませんが、実は私はコンテナ車のことはよく存じ上げません。 どなたかご教示お願いいたしますm(__)m
@気まぐれトラック一人旅
@気まぐれトラック一人旅 11 ай бұрын
​​@@BlueSky-op3sl 横から失礼します。 時代考証はしてませんが、最後に出てくるコキはコンテナ4個積み仕様なのでコキ5500ではないかなと思います。
@BlueSky-op3sl
@BlueSky-op3sl 10 ай бұрын
コキ5500形式でしたか、ご教示ありがとうございます。
@たま-w2j
@たま-w2j 10 ай бұрын
@@気まぐれトラック一人旅 ありがとうございます😊
@psychedelicraspberry517
@psychedelicraspberry517 Жыл бұрын
昭和58年8月に四国行ったけど私が乗った旧客はDE10だった…😵
@BlueSky-op3sl
@BlueSky-op3sl Жыл бұрын
四国の客車列車は昭和56年にDE10にバトンタッチしたと思います。 DF50のSGの老朽化が原因となにかで読んだことがあります。
@psychedelicraspberry517
@psychedelicraspberry517 Жыл бұрын
@@BlueSky-op3sl なるほど!だから旅客は撤退しても貨物は大丈夫なのか…😁
@shuenn1624
@shuenn1624 Жыл бұрын
ハエたたきのある日本の風景。タイムトリップできました。 ありがとうございます!
@BlueSky-op3sl
@BlueSky-op3sl Жыл бұрын
ハエたたきに電線張るのがかなり大変でした。 おまけにかなり張った時にベニヤ板をぶつけてしまって最初からやり直しで涙が出そうでした。
@kiha81hatsukari80
@kiha81hatsukari80 Жыл бұрын
ブルトレ・客車牽引は、もしやDD50ですか? 大好き嬉しいです。
@BlueSky-op3sl
@BlueSky-op3sl Жыл бұрын
ご視聴ありがとうございます。 仰るとおりDD50が主役です。 正確な考証なしですが、最初のシーンから時代をさかのぼり、晩年の米原―田村間の交直接続(実際に20系も牽引しておりました)、北陸本線での客車牽引、登場時峠越えでの長大貨物列車の補機仕業をイメージしております。
@TsucaPon40
@TsucaPon40 Жыл бұрын
DF50ディーゼル機関車は、どれだけ非力かと言うと、5両編成の客車を引っ張る場合は、115系電車で5両の付随車を引っ張るようなもの。
@uhitachi2877
@uhitachi2877 Жыл бұрын
コメントありがとうございます。 確かに出力だけ比較するとそんな感じでしょうか。
@ef8042
@ef8042 Жыл бұрын
C53の後の客車は、何の車種ですか?
@BlueSky-op3sl
@BlueSky-op3sl Жыл бұрын
ご視聴ありがとうございます。 この編成は主にマツモト模型のペーパー製ですが、機関車次位はYAMA模型の古典客車のペーパーキットで作った荷物客車です。 かつて朝日新聞社から刊行されていた「世界の鉄道」のC55、C57特集で、戦前に山科で撮影されたC55列車の次位に連結されていたのが強烈に印象に残っていたので、正確な考証はとてもできませんが、「日本の客車」から気に入ったプロトタイプをフリーで製作いたしました。
@ef8042
@ef8042 Жыл бұрын
​@@BlueSky-op3sl なるほど!参考になりました! ありがとうございます! おそらくナニ6200かと 思われます
@seiroukon5867
@seiroukon5867 Жыл бұрын
素晴らしい映像記録。これぞドキュメンタリー。配信ありがとうございます。
@uhitachi2877
@uhitachi2877 Жыл бұрын
ご視聴ありがとうございます。 当時、金銭的にも、時間的にも相当無理をしましたが、今となっては本当に良かったと思っております。
@KAKUWORKS_112
@KAKUWORKS_112 Жыл бұрын
トンネル内の映像は実写ですか?
@BlueSky-op3sl
@BlueSky-op3sl Жыл бұрын
ご視聴ありがとうございます。 トンネル内は映像が実写でサウンドは模型そのままです。 実際に車両がトンネル内を走っている時間に合わせて実写映像をカットして入れております。
@user-ng1eh7jb9x
@user-ng1eh7jb9x Жыл бұрын
まるでローカル線の気動車に乗って旅している気分になりました。信号待ち、出発信号に変わるシーンやトンネルの中まで表現されていてすばらしいですね。次の動画を楽しみにしています。ありがとうございました。
@BlueSky-op3sl
@BlueSky-op3sl Жыл бұрын
コメントありがとうございます。 私もキハ10系の窓を開けてDMH17のサウンドを聞きながらローカル線を旅するのが大好きでした。 現在仕事が多忙過ぎてなかなか動画をアップできませんが頑張ります。
@user-ld5el1zv7z
@user-ld5el1zv7z Жыл бұрын
😍60年前のe−powerやん🥰45年前に亀山で見た26号機は銀帯でした😊エンジン音は「ドドッ、ドドッ、ドドッ」って言う重低音でした😁懐かしい🤗
@uhitachi2877
@uhitachi2877 Жыл бұрын
コメントありがとうございます。 亀山でご覧になった26号機その後四国にやってきたのですが、どうも私には縁がなかったようで、夜行貨物を牽引しているのを1回見ただけで廃車となってしまいました😢