Пікірлер
@NAC-u7p
@NAC-u7p 6 күн бұрын
こんばんわ。 図がわかりやすかったです。 ザイオンのたくさんのカプセルは  魂みたいな感想を抱きました。 マトリックスとのチューブは スピリチュアルでいうシルバーコードみたいなものですかね^_^ シルバーコードで マトリックスと接続する状態が 受動意識仮説の注意意識にあたるのかもしれません。 ザイオンは アカシックレコードを作成する場ではなく 一部をダウンロードしてるだけなので(転生計画) ほんとにシナリオを作成してるのは ザイオンの外の 一者(I A M)が作成しているのかもしれません そして その一者すら 図ではまだ画面の中 つまりさいしょのフォーカスに成る の状態なので 1番外の枠さえもでると ノーフォーカス(無活動、無努力、 静寂、ニルヴァーナ) なのかもしれません という感想が湧きました。😊
@NAC-u7p
@NAC-u7p 11 күн бұрын
外側という表現もいいですし、 ノーフォーカス (私はフォーカス) という表現もありますね^_^ この場合は 反転といわなくても リラックスで 観察者がいないときには 素「粒子化」もなくなっちゃいます^_^ つまりフォーカスがないとき I A Mにとっての世界も なくなります つまり ノーフォーカス(無努力)は フォーカスによって周辺に現れる 偽の外部世界 も 両方現実化しなくなります
@白からす-m9k
@白からす-m9k Ай бұрын
歴史の話が非常に面白かったです😊
@裕美村田-y7n
@裕美村田-y7n Ай бұрын
シュタイナー思想とヌーソロジーでキリストのイマージュ反転する物理学あたりでわけがわからなくなりました。
@せきチャ
@せきチャ Ай бұрын
kzbin.info/www/bejne/g4fLc5VqbMhrg8Usi=1xCDY5Ji-FAIZC8j 背景がよくわかります😊
@奥田吉桃
@奥田吉桃 Ай бұрын
後ろを振り向いても自分が動いたのではなくて、景色が動いてきたという感覚の話をも考慮にいれるとまるでVRみたいだな、スマホの画面みたいな。 ヌーソロジーって集中力もつくだろうし、見えるもの、近くにあるものを儚くにも感じ大切にする技術にもなってそうだな
@mahirumomosmomo
@mahirumomosmomo 2 ай бұрын
自分から視覚的に見える世界の全ての事象が半真実の自分 今まで自分と思ってた自分と入れ替えできるんだよって話それが変換人型思考 だから恐れるものは何もないんだよ本当は もしあるならそれは自分(世界)が作ってる オコツトが世界の悲劇に一見無関心の理由はここですね多分💦意識下の出来事なんだから 重要なのは自分から見た世界観であって客観的な世界観は他者化した意識ということ 他者化した意識の正体が人間型ゲシュタルト という解釈が突然できるようになった 1ヶ月前に唐突に理解できて困惑してる
@toushinawakes6104
@toushinawakes6104 Ай бұрын
「前」が「そのまんま」ということですね。それが全て=真実なんだから、恐れも何もない…恐れはいつも「後ろ」側で発生しますね。
@-shiga1445
@-shiga1445 2 ай бұрын
超越論的統覚にも超越的行使にもアレルギーはありません。ヌーソロジーにアレルギーがあります
@hollyspace5sachi25
@hollyspace5sachi25 3 ай бұрын
この動画に出会えてよかったです とてもわかりやすく、楽しく 何度も聞いています その中で なんとなくニュアンスでは伝わってきたのですがマヅリ?という言葉がわかりませんでした😮
@イクコフ
@イクコフ 3 ай бұрын
今日初めて川瀬統心さんの動画を拝聴させていただきました。 長年の謎が今日解けました😂😂 幼稚園の頃、私というものはどんなものなのか知りたくていつも親に質問していました。私とは何で出来ているのか?世界には全く同じ人間はいないのか?自分の顔なのに目を見ることが出来ないのは何故なのか?等です。親は私との質問攻めに困ってたと思います笑 大人になり悟りや非二元の本を読むようになり、ダグラスハーディングの本に出会いました。自分を見る実験をする人です。その実験のおかげで人間ゲシュタルト?としての私は大分曖昧になりました。固定的に思ってた肉体の私というのは無かった。ですが体という感覚の気づきはあるけどそれに気づいている「私とは何か?」目か?視点の点か?それとも背景か?と疑問は残ったままでした。今日見たことは、人生が反転するような大事件でした🤣🤣 大変感謝しております🙏🙏
@ohchantv01
@ohchantv01 5 ай бұрын
「知覚空間」が「情報空間」よりも優位になった状態… 次第に意識が「情報空間」をさまよわなくなる… 自我を持って「中今」には参入できない… めっちゃヒントになる説明!✨ ありがとうございます!🙇💕
@ohchantv01
@ohchantv01 5 ай бұрын
へ〜!😮 すごいですね!✨
@ohchantv01
@ohchantv01 5 ай бұрын
うんうん、わかる。なるほど!ありがとうございます!💖🙇
@ohchantv01
@ohchantv01 5 ай бұрын
う〜ん… 完全にはわからないけど、なんかゾワゾワします😣😯🤨。すごい感覚の予感…💦
@Si-bi5ol
@Si-bi5ol 6 ай бұрын
わかりやすいです! 超越的と超越論的の違いがよく分かります。これ、切り抜きですよね?本編は一体どうなってしまうのかと思うくらい濃ゆい内容ですね。本当に目が覚める様な切り抜き動画でした。
@しんの助-t9v
@しんの助-t9v 6 ай бұрын
すばらしい説明!です
@まえだ-r1x
@まえだ-r1x 6 ай бұрын
動画、心より感謝いたします💜 「時間が飛び出してくる」 「なる」空間の私の意識は「見る側」の肉体側の私と、「見られる側」・「見せる側」、つまり物質側の意識の私との、その両方が私。 「見られる側」・「見せる側」さらに「見せたい側」である物質側の私は、肉体側の私が物質である私のいつの姿の映像を見たいかを知っている。 そして「時間が飛び出してくる」とは、肉体側の私が過去の記憶を思い出せるのと同じように、物質側の私も過去の体験の記憶をまざまざと感覚と共に思い出すことができ、それを視せたいから「飛び出す」のでしょうか…
@toushinawakes6104
@toushinawakes6104 6 ай бұрын
ヌーソロジーの思考線でいいますと、「肉体側の私」は「見られる側」なんですよ。ここの反転が凄く大事です。「肉体側の私」とは、あえて言えば「見る側」ではなくて「見た後側」です。「見た後」に肉体側に何やら主体性の様なものがあると誤解してしまうのです。そうではない…というのがヌーソロジーの思考なんです。ここが分かると、現場は「前」の方であるということが分かってきます。一瞬一瞬、生じている(なる)現場が「前」の方だと。そして「前」の方が「モノ(本当の意味で物質)」であり、それはそのまま「記憶」であるということです。すべて「記憶」の世界です。
@earthwind-water
@earthwind-water 6 ай бұрын
0の否定によって△の人間型ゲシュタルトの三位一体が成立するんですね、
@bainsan1
@bainsan1 7 ай бұрын
救われてないよ、あなたはまだ執着にしがみついてる
@Si-bi5ol
@Si-bi5ol 9 ай бұрын
統心さんのメルロ・ポンティ解説でヌーソロジーの「奥行き」が改めて分かってきました。知っていた「奥行き」という言葉がよりふくよかに感じられます。
@Si-bi5ol
@Si-bi5ol 10 ай бұрын
絶対に見えないものが身近にあるという認識を持つだけで不思議な気持ちです。確かに、想像しているだけで見えていない空間があります。見えているつもりになっていました。対人関係でもそうですね。差異が見えていなかった。このような新しい感覚は新鮮で楽しいです。
@mani-x2e6o
@mani-x2e6o 11 ай бұрын
ウルトラとヌーソロジー好きにはめちゃくちゃ面白い考察です😆
@裕美村田-y7n
@裕美村田-y7n Жыл бұрын
過剰可視化社会という本を読むとヌーソロジーが自分学になりました。
@nousnoos378
@nousnoos378 Жыл бұрын
毎回、ヌーソロジーを我々一般人(?)と同じ目線で分かりやすく解説して頂いて、ありがたく視聴させてもらっております。 この動画の中でも言っておられましたが、ヌーソロジーの入り口ともいえる「持続感覚」は、日常の雑事の中で時として失われてしまう事があります。で、これはもちろん半田さんもなのですが、ヌースを知り、意識しだすとそういった事をむしろ正直に語れてしまいますよね。素直になるというか。変な言い方になりますが、「じゃあそういう自分をしばらく観察してやろう」みたいな、心に余裕が生まれるのです。これは宗教との大きな違いですよね。「分からなくてもとにかく信じなさい」じゃあないのです。 思わず「宗教」なんてものを持ち出してしまいましたが、トマス福音書にこんな一節があります(先刻ご承知かもしれませんが) 『イエスは言われた。”パリサイ人たちと律法学者たちとは知識の鍵を取って隠してしまった。彼ら自身もなかに入らなかったし、なかに入ることを願っている人々にもそうさせなかった。しかし、あなたがたは蛇のように思慮深く、鳩のように無邪気であれ”』 大好きな言葉です。川瀬サン、ひとつ我々も「蛇のように思慮深く、鳩のように無邪気」にいきましょう! 長文大変失礼いたしましたm(_ _)m
@usakotsuru
@usakotsuru Жыл бұрын
素晴らし過ぎる。 なぜ今、非二元スピーカーが増産されてて、ちょっと前はコーチングブームだったのかがよくわかりました🎉 こういう視点が持てるのって尊敬するなあ。
@toushinawakes6104
@toushinawakes6104 Жыл бұрын
ありがとうございます!
@白地循壹
@白地循壹 Жыл бұрын
物質文明は全体 霊性文明とは個々部分の文明
@nousnoos378
@nousnoos378 Жыл бұрын
川瀬さんのKZbinチャンネル、いつも楽しく拝見してます。 8:03 くらいからの「奥行きの目覚め」の内と外が反転した図、私はこれを昔から「魔法使いのおばあさんが水晶の玉を覗き込んでいる」イメージで感覚化してました。自己の内側(精神)がまるっと玉の外側に張り付いている感じですね。そこでは「私」は無限遠点に居り、玉の中心は言うなれば時空の無限中心点となるのかな。そこから次は、「だったら『私』は丸々時空を凝縮させた玉の方と言ってもいいのでは?」という感覚が湧いてきて、宇宙そのものたる「私」が、それまで私と感じていた我が身体を逆に観察しているというのでしょうかね、そういう感じが常態化してます。困ったものです(笑)いや困っちゃいかんか。まあとにかくこの反転感覚、半田さんの言説はもちろんですが、川瀬さんによるわかりやすい解説に負うところが少なからずございます。。コメント長くなりスイマセン。これからもがんばってください!
@toushinawakes6104
@toushinawakes6104 Жыл бұрын
宇宙そのものたる「私」が逆に身体を観察している・・・は面白い! 実体感と合致しますね。こちらこそ感謝です。
@genzow8711
@genzow8711 Жыл бұрын
「私とは何ですか?ですって?? そう問うているのがあなたの正体です」 シュリ・バガヴァン 「花を見ている時、 なぜあなたは 『花を見ている自分』を問題にしているのですか?」 クリシュナムルティー 「外側のない内側、が答えだ」 「さあ内側に入りなさい、といわれても 貴方たちはなかなか理解出来ないが 外側に飛び出すことなら 貴方たちは何時もやってる・・・ それは焦ったり、緊張した時だ。」 OSHO
@genzow8711
@genzow8711 Жыл бұрын
な~るほど! 実際には室内の〝知覚したまんま〟の〝外部〟を見ているのにもかかわらず、 (過去の経験律的な)家の外観を想起して 「自分は今、部屋の〝なか〟に居る」っと意識してしまい、 内と外とを混同している・・・っていうわけだね?
@YT-vf2xc
@YT-vf2xc Жыл бұрын
半田さんのツイート:自他を同一化してみる世界から出ましょう。出ないと、宇宙のことは永遠にわかりません。 スピ4.0:あなた は わたし(『あなた』 しかいない世界・君と君の君) あれっ 矛盾してる?って思って、混乱しています。。。
@toushinawakes6104
@toushinawakes6104 Жыл бұрын
中和と等化です。この動画で言うと「自他を同一化」してみる世界がスピ0~スピ1.0ですね。これが中和。自他の差異が分からない、自他を同じ土俵の上で捉えてしまう段階。そこから自他の差異を知る、お互い同じ空間にはいない・・・その目覚めがスピ2.0。でも普通はここで独善に走りやすい。普通の人(ヌースを知らない)は、自我(後ろ)と自己(前)の違いが分からないから。それで「自我中心」の独自空間を見つける(これが人間の内面)、でも凄く自己中心的な状態。これがスピ2.0。そこから「無」を悟って(スピ3.0)、ようやく本当の地球が前にある、そこでは「あなたとわたし」が「共同体精神」として結ばれている・・・ということを悟る、それがスピ4.0、「等化」・・・自他の差異が明確になりながらの統合。「違いを先手にした同じ」とでもいいましょうか。その逆の中和側では、「同じを先手にした違い」です。このあたりは拙著『ワンネスは2つある』で割と詳しく分かり易く解説してますので、参考にしてみて下さい。では。
@YT-vf2xc
@YT-vf2xc Жыл бұрын
@@toushinawakes6104 詳しい解説を頂き、ありがとうございますm(_ _)mワンネスは2つあるを読みます!
@宮崎やよい-l6u
@宮崎やよい-l6u Жыл бұрын
統心さんいつも分かりやすいレクチャーをありがとうございます❤ 個人的には精神的に限界を迎えたときに、もう一人の冷静な自分に出会いました。そのもう一人の自分は後ろにいて私自身を助けるべく思考していました😊おかげで柔らかく強い自分になれました。コロナ、もちろん全然怖くありませんでした。ノーマスク、ノーワクチンです。
@toushinawakes6104
@toushinawakes6104 Жыл бұрын
もう一人の私との出会い・・・最も大切なものだと思います。ありがとうございます。
@akumeizer
@akumeizer Жыл бұрын
はじまして、半田さんがチャネリングしてる時からヌースを勉強して来ましたが、全然わかっていないものです。川瀬さんの講座で今までのヌース理論が分かりやすくなり、とても感謝しております。 某陰謀論の◯海先生はまさに3.0の方だなと、思わず笑ってしまいました。
@toushinawakes6104
@toushinawakes6104 Жыл бұрын
うれしい。こちらこそ感謝です。○海先生、虚無を自称しておられますよね。○海先生は以前FBでヌーソロジーをシェア、「自分の考えと同じだ!」と言っておられましたよ。考えの方向性が良い先生かとは思います。
@nousnoos378
@nousnoos378 Жыл бұрын
4:30 「そういう奴らは...」吹きましたw
@toushinawakes6104
@toushinawakes6104 Жыл бұрын
早口を聞き取って下さってありがとうございます。
@ChanTake-c6e
@ChanTake-c6e Жыл бұрын
有難うございました。すっごく分かりやすいです。今まで私の中でバラバラに散在していた色んな知識が完全に整理されました。
@toushinawakes6104
@toushinawakes6104 Жыл бұрын
そう言って頂けるとうれしいです。
@larkynoos
@larkynoos Жыл бұрын
最終構成に伴う人口過剰によって葛藤からスピ3.0-4.0の反転が起きている気がする。
@toushinawakes6104
@toushinawakes6104 Жыл бұрын
いよいよですね。
@笹岡泰満
@笹岡泰満 Жыл бұрын
観念論も唯物論も、独我論に陥りがちですね。
@無名友人
@無名友人 Жыл бұрын
いいですね。クリシュナムルティを朗読して、ユーチューブにあげています。無名友人と言います。 質問=思考とありのままとの関係は、どのように考えておられますか?
@toushinawakes6104
@toushinawakes6104 Жыл бұрын
コメントありがとうございます。「ありのまま」の定義で議論が変わると思いますが、ヌーソロジー的には「目の前、みたまんま、ありのまま、モノ自体」を「人間の外面」、思考の領域は「人間の内面」として明確に区別します。思考は人間が持つ「コピー能力」です。ありのままをコピーして「情報空間」として再現します。人間はこの能力を使い「科学技術」を進展させました。よく観察すればこちらは「等質空間・等質時間」という数学的な背景をもった空間であることが分かります。ですがそれは「生命」とは何の関係もありません。生命は「持続」です。それがヌーソロジーで言う「あるがまま」のことです。「持続」とは「ずっと続いているもの」のことです。よく観れば「持続」がなければ何も存在することができません。「持続」の反対は「瞬間」です。情報空間は瞬間の連続で、パラパラ漫画の様に点滅しています。事実、最新の量子重力理論では「時間と空間には最小単位がある」ということを主張しています。しかしこのような点滅する場に生命は存在できません。生命はずっと続くものだからです。だから「持続」と「情報空間」はまったく別のものです。人間はここを見失い易いのです。「持続」があるがまま、「情報空間」が思考の場です。とりあえずこんなところです。今後ともよろしくお願いします。
@ミレニア刻人
@ミレニア刻人 Жыл бұрын
半田広宣さんの通信対談から川瀬さんを 知りました😊 いつもお洒落なファッションですね🥼 子供の頃に瞑想の先輩から 「人間の中には3人の自分がいるよ~」 と教わり、老子や神話や占星術などを勉強して 今に至ります。 2009年のインフルエンザ大流行をきっかけに 都会から田舎に引っ越して色々心の準備と勉強を してきました📖 いよいよ後ろの正面とご対面の時代が 来ましたね~👥 これからも応援してます👍
@toushinawakes6104
@toushinawakes6104 Жыл бұрын
暖かい応援、ありがとうございます!とても励みになります♪
@nousnoos378
@nousnoos378 Жыл бұрын
『勝ち組になりたければ「HOW」一択。でも意識進化は「WHY」の道ですよ・・・って話。』 世の「勝ち組」を自称する、頭のいいボクチャン達は皆これ(前者)です(笑)そんな人達が決まって言うセリフ「~な人は頭が悪い人です(ドヤ)」 ああ彼らには一体何から説明すればよいのやら。
@nousnoos378
@nousnoos378 Жыл бұрын
「無」は、それをして「無」とみなす何者かが存在しなければ、無たり得ないのです。あきらかに「無が有る」んですよね。デジタルの「0と1」を思い浮かべると考えやすいですよね。
@happico
@happico Жыл бұрын
(⁠ノ⁠◕⁠ヮ⁠◕⁠)⁠ノ⁠*⁠.⁠✧✨✨✨✨
@あわうみ
@あわうみ Жыл бұрын
この12分の切り抜きにヌーソロジーのエキスがぎゅっと凝縮されてる感じ。 「ある」「いる」の解説が絶妙ですごくわかりやすい!
@co_eye-kawase
@co_eye-kawase Жыл бұрын
ハハハ、出来の悪い兄です~今年もいっぱい走り抜けたね!来年もっといっぱい実りがありますように。良いお年を❤
@白地循壹
@白地循壹 2 жыл бұрын
観察する=右脳処理
@shigenobukuroki
@shigenobukuroki 2 жыл бұрын
くだらなさすぎw
@mitsufuji9068
@mitsufuji9068 2 жыл бұрын
表裏一体の、認識では、また、閉じている⁉️ 新しい視点でしたー。 何回も、聴きたいです。
@いせふみえ
@いせふみえ 2 жыл бұрын
久しぶりに 再び視聴しました。 あらためて 凄い!考察ですね(≧∇≦) 全くです。今なら双子理解できます。
@iwanapretty8204
@iwanapretty8204 3 жыл бұрын
大拙さんを哲学者と言っちゃいますか
@TO-xz3ck
@TO-xz3ck 3 жыл бұрын
それ単に日本語→英語の訳の未熟さでしょ。M’t Fuji is seen.でいいんでない?
@野村周史-j1e
@野村周史-j1e 3 жыл бұрын
唯物論者の自己証明は、 「自殺」しか無い。