Пікірлер
@タロウ-q3r
@タロウ-q3r 9 күн бұрын
水際なり攻勢なり頓挫しても 終戦まで粘る兵力が残れば第9師団は いた方がいいと思う。
@近藤ゴマシオ
@近藤ゴマシオ 13 күн бұрын
映画1941は本当だったんですね。
@ムッチリブブ
@ムッチリブブ Ай бұрын
これは勿体なかったけど、台湾を守る心意気が解ってくれたかくれなかったのか、真心が通じて幸いでした。 1国対1国の戦争なら初期の資源関係なく、日本軍がやたらと強いのが良く分かります。 アメリカは当時限界ギリギリで、完全に日本勝利ペースですが、アメリカが総撤退した後はソ連が相手でも問題なく勝って、中華民国にも勝って、今頃は寒い中大した文明の発達はしないままに歩哨に立たなくてはならないかも知れません。 先人の方々のお陰です。
@フクたん
@フクたん 2 ай бұрын
第二次世界大戦ではドイツもイタリアの海軍も空母を持たなかったのか…
@4628yorozutani
@4628yorozutani 3 ай бұрын
なけなしの重砲も大半が海没してるんだよな……。 国力不足が……。
@ムッチリブブ
@ムッチリブブ 3 ай бұрын
映画にしないといけないね。今だからこそ。何が戦いで重要なのか。
@TH-ul4gd
@TH-ul4gd 4 ай бұрын
動きの遅い潜水艦に対し頻繁な無線通信を求めるという運用法は本来良い手ではなく 艦隊決戦支援に特化する場合のみ有効な可能性がる方法 開戦後は長期間広範囲の哨戒や通商破壊に投入されることになったが相変わらず定時通信などを求め頻繁な電波の発信を行わせたため敵軍の対潜部隊を利する事になってしまった。
@にあみんと
@にあみんと 4 ай бұрын
規模の割に戦車と大砲が少ない...これが国力...
@JNRKARECHI
@JNRKARECHI 4 ай бұрын
2024年8月、横須賀にイタリア空母「カブール」と随伴フリゲートが寄港してるので、時期的にうってつけです。
@世界の変化
@世界の変化 5 ай бұрын
大陸国家の軍事力を陸軍と海軍振り分けが崩壊したロシアだが、核兵器が恐ろしい
@きりやあつちか
@きりやあつちか 5 ай бұрын
第9師団が残されて戦った場合、初期で戦力の過半を喪い、その後の持久戦が出来たかは微妙であるが、もし3個師団による戦略持久戦と馬鹿げた総攻撃がなければ徹底抗戦で更に苦しめた反面沖縄が更に凄惨な事になったと
@zubizuberpapa
@zubizuberpapa 8 ай бұрын
沖縄戦の様子を見ると第9師団の有無に関係なく、昭和天皇の強い反攻要請でやっってしまった2回の無謀な反攻さえやらず、八原大佐の言う通り防衛戦に徹するだけでも8月15日まで持ちこたえた可能性が相当高いですね。 沖縄戦の悲惨さが急激に増したのはメイン防衛エリアを喪失した後で、沖縄戦の惨劇増大の原因を作ってしまった昭和天皇は、沖縄32軍に反攻を無理強いしたことを非常に悔いていたとか。 尤も、八原大佐も南部の市街地を要塞化するんじゃなくて、地形の険しい未開地の北部を要塞化すべきだったかな。持久戦だけ目指すなら。 一番良いのは結局、南部と北部の二カ所に要塞を設ける戦力が有ることになるけど。無かったんじゃ一番良いのは無理ですね。
@ずんだもち-m7r
@ずんだもち-m7r 6 ай бұрын
でも、仮に8/15まで耐えたら耐えたで恐らく終戦も8/15では無くなる可能性大と思うのです。 となると、ソ連が歴史よりも侵攻してきて終戦後の日本はより悲惨な状況になるはず。 となれば結果論だけど、八原さんには可愛そうだが史実の沖縄戦で良かったと思いますよ😅
@zubizuberpapa
@zubizuberpapa 6 ай бұрын
@@ずんだもち-m7r さん 日本の戦争指導層に敗戦と降伏を認識させた甚大な本土被害を齎したのは、陥落した沖縄からの米軍の攻撃とかでは無いし、記録を遡ると5月のベルリン陥落とドイツ降伏が決定打になっているので、沖縄守備陣地が未陥落でも、終戦の落としどころの日付は8月15日辺りで変動しなかった可能性が非常に高いです。 そもそも、アメリカの沖縄占領作戦の本当の目的は、アメリカがペリー来航以降から考えてた「アジア戦略に沖縄取って米軍基地を置くべし」でしたから。 なので主陣地陥落して住民に沢山犠牲者を出さなくて良いし、そもそも八原さんは、やはり主陣地を南部市街地じゃなく過疎で峻険な北部に設けるべきだったと思います。
@大谷杉右衛門チャンネル
@大谷杉右衛門チャンネル 8 ай бұрын
第7師団の場合の連隊の遷移はこんな感じです ~昭和40年まで 第7師団 - 歩兵第13旅団 - 歩兵第25連隊 - 歩兵第26連隊 - 歩兵第14旅団 - 歩兵第27連隊 - 歩兵第28連隊 昭和40年10月~ 第7師団 - 第7歩兵団 - 歩兵第26連隊 - 歩兵第27連隊 - 歩兵第28連隊
@Y-sr2jp
@Y-sr2jp 8 ай бұрын
日本の15りゅうって生産数が全く足りてないだけでなく性能も他国のと比べるとかなり残念なんだよな
@松中友希
@松中友希 8 ай бұрын
当時の列強の生産数鑑みるに日本の台所事情見ると泣けてくるな(T_T)
@Troy-b4h
@Troy-b4h 9 ай бұрын
初見視聴です。
@doberman6922
@doberman6922 9 ай бұрын
沖縄戦を更に長期化させるってどういうことか知らないようだな。 原子爆弾の3発目、4発目。沖縄戦が終わるまでww
@ewcwewqw
@ewcwewqw 8 ай бұрын
原爆投下の理由が知らないようだねw
@doberman6922
@doberman6922 8 ай бұрын
@@ewcwewqw 実験台発見w
@ewcwewqw
@ewcwewqw 8 ай бұрын
@@doberman6922 アメリカは911に文句言えないねえw
@doberman6922
@doberman6922 8 ай бұрын
@@ewcwewqw 負け犬の遠吠えおつかれさまです。 まさか、実験台だったなんてねぇw
@doberman6922
@doberman6922 8 ай бұрын
@@ewcwewqw その10年後に311で流されてて草 その程度の発想だからしゃーないw
@おだいふく-x6t
@おだいふく-x6t 9 ай бұрын
真珠湾攻撃しないで太平洋と東南アジアの植民地に日本海軍の全力を傾注して、長い準備がかかるであろう米艦隊のフィリピン来援を待って決戦に及べば第二の日本海海戦がなっていたのかもしれませんね。 優勢な航空戦力でまず米艦隊の出鼻を挫いて混乱する米艦隊に水上部隊をぶつける、、、この手でアメリカを叩いたほうがアメリカ国民の戦闘意欲を低めてよりよいかたちで和平が結べそうな感じしますけど。。。まぁ そううまくはいかないでしょうけれど。、、
@86some16
@86some16 10 ай бұрын
数年前にこの動画を見た時はまさか今になって旧ソ連時代の艦艇が全面戦争に投入されて沈没に至るなんて思ってもなかった
@hirokage9427
@hirokage9427 10 ай бұрын
シベリア出兵の顛末見ると 無理だろうな
@はやてしゅん
@はやてしゅん 10 ай бұрын
軍を語る上で、階級と編成は欠かせませんね
@권경원-q2u
@권경원-q2u 11 ай бұрын
개잡소리 😮
@こんどうかずなり
@こんどうかずなり 11 ай бұрын
アメリカとの関係悪化により、陸軍は海軍に予算面で譲歩し、海軍艦艇づくりが優先されました。山下欧州視察報告の航空機と戦車開発案は予算の関係から航空機一本とせざるを得なかった。また、東条首相方針も、まず航空機生産で、次いで艦艇、陸上兵器は制限する、としました。だから戦車開発生産はすすまず、95式97式が主力の師団規模の兵団数個がやっとだったのです。いわば海軍と航空軍のために地上軍は犠牲となり我慢したのです。しかし、誇大宣伝や誇大戦果発表と異なり実態として海空軍は劣等だった。航空機生産力は開戦時年間で4千機だったものが昭和19年度5万機に成長したが、海軍の輸送途絶による資源不足で2万機もつくれませんでした。航空優先で戦車は後回しの判断は正しかったが、海軍と航空部隊は弱すぎた。
@こんどうかずなり
@こんどうかずなり 11 ай бұрын
鉄と工数を節約して空母づくりに回していた。海軍にすべての船舶生産の権限を奪われていたのが元凶だった。
@堀川マサトシ
@堀川マサトシ 11 ай бұрын
あくまでも歩兵の場合、なんなとく学校の感覚でいうと、給食の時や、何か共同作業するときに6人ぐらいでグループ作るけど、それが隊伍。リーダーは伍長。副リーダーが上等兵。それが二つくっついて班。班長さんが軍曹。それが四つくらいでクラスだから、それが小隊。クラスの担任先生が小隊長。少尉ですか。クラス委員が隊附の先任軍曹。クラスが四つくらいで学級。中隊ですか。学級担当の先生が中隊長で大尉。学級委員は中隊附の曹長。 それが三つくらいで大隊。中学や高校の校長先生ですね。少佐ですか。教頭先生は補佐する大尉ですね。生徒指導や用務担当の将校、下士官もいます。 連隊ともなると小、中、高と三つの学校を束ねる一貫教育校の理事長さん。大佐になりますね。需品や指導、財務担当と将校も多くなります。工業高校もあります。 旅団は単科大学、師団は総合大学になります。学長は少将、中将ですね。もはや職員室レベルではありません。参謀を持つようになります。 で、基本編成はまぁここまでで、ことに臨むときに師団をまとめて軍、総軍をさらに編制して大将が司令官になります。文科省が陸軍省と参謀本部になるのかな。
@gagamba9198
@gagamba9198 Жыл бұрын
Oil was not 'the lifeblood of the nation.' Coal was. Oil was the lifeblood of the military, and the military was not 'the nation' though the leaders of the IJN and IJA mistakenly thought so. Prior to war with China, oil provided 7.3% of Japan's total energy consumption - civilian, industry, government, and military. Coal (and coal gas) provided about 68% of the nation's energy consumption, hydroelectric 16 to 18% (depending on rainfall), and biomass (usually charcoal used for home cooking and heating) about 10%. BTW, though the US produced and consumed much more oil than Japan, the top provider of energy to America was coal as well. Coal was king in just about every industrialised country except for the few nations that had abundant hydroelectric power. Japan began rationing oil products in 1938, two years before America's restriction of the export of aviation gasoline and three years before the restriction on the export of all oil. We see companies like Toto, a maker of ceramic products which is energy intensive production, switch from oil to heat its kilns to coal and coal gas. Moreover, though the US was the world's largest producer of oil, it was not the world's top *exporter* . Venezuela was. By a huge margin. In 1928, Venezuela surpassed the US as the world’s largest oil exporter, and by 1936, it was exporting almost as much oil as the next seven exporters combined-the United States, Peru, Iran, Romania, the Dutch East Indies, Iraq, and the Soviet Union (43.05 million tons versus 44.39 million tons). Prior to WWII Venezuela was Britain's largest supplier of oil; Venezuela’s market share rose from 17 per cent to 49 per cent during the 1930s. Further, Venezuelan oil was cheaper than American. It was so cheap that in 1932 the US imposed tariffs on Venezuelan oil that removed it from the US market that had been its chief destination of output; these tariffs were ended in 1939 as American increased production to aid Britain. Yet Japan did not diversify to Venezuelan, Mexican, or Peruvian oil. Japan had 0.5% of the motor vehicles that US had, meaning little oil was used for these, and the fuel rationing of 1938 eventually removed private cars from the roads. By 1941 the 77,000 trucks operating in Japan had their allotment reduced to one-third the level of 1936. Railroads were powered by coal (intercity routes) and electricity (intracity routes). Even buses were converted to coal and charcoal beginning in 1938. Commercial airline service barely existed; Japan Air Transport carried 70,000 passengers in 1938, many of whom were military officers and government officials. Who other than the military was was the chief consumer of petroleum? The merchant marine and the fishing fleet. If we look at 'peacetime' Japan's oil imports of 1936 (before the military took over the economy), we find Japan was importing less than 30 million barrels from the US. Yet even this total was inflated due to the 1934 law requiring oil importers to maintain a 6-month stockpile in Japan. (Japan built an oil stockpile exceeding 50 million barrels, estimated to be two years of civilian consumption, before 1940.) The average price of oil in 1936 was $1.09 per barrel (and ranged from $1.02 to $1.18 per barrel from 1937 to 1941), meaning that Japan's oil bill ranged from about $32 million to $40 million. In 1938 Japan imported $60 million more in US cotton ($88.3 m) than US oil ($28.3 m). Could we claim cotton was the lifeblood of the economy? In '40 it was only $3 million more as cotton imports fell and oil imports increased. Why? War beginning in '37 and the establishment of war mobilisation in '38. In 1938 civilian consumption of petrol dropped 60% due to rationing and continued to fall. Oil consumption was a military concern and not an entire nation one. Japan was a multi-billion dollar economy, estimated to be worth from 9 to 10 billion US dollars in 1941. Its oil bill was negligible. Yet in autumn 1940 Tokyo tried to strong arm the Dutch East Indies to increase oil sales to 3.5 million tons (about 25.5 million barrels) and _accept payment in yen_ . The Dutch government responded that 1) it was not an oil merchant; Tokyo needed to negotiate contracts with the oil companies, and 2) payment in Dutch guilders or US dollars was only acceptable. Examining the claim that 'oil was the lifeblood of the nation' I've shown that the claim is untrue. It was used by the military as a pretext to rationalise the take over of the country and war. This lie cost Japan millions of lives and billions of dollars worth in misallocation of the taxpayers' money and destruction of the nation to acquire oil worth tens of millions. A dreadful return on investment.
@利雄大谷
@利雄大谷 Жыл бұрын
父が27師団支駐屯歩兵第1連隊で参加していました
@省三古川
@省三古川 Жыл бұрын
BGMを止めてください
@省三古川
@省三古川 Жыл бұрын
主な中営地 所在地も、説明していただきたい。
@userTochan
@userTochan Жыл бұрын
南北両面の戦争では勝てない。日本人は戦略的思考のできない民族なんでしょう。それとも人材不足、学歴主義が日本人を馬○にしてしまった。現在も同じ状況です。
@yoneya7
@yoneya7 Жыл бұрын
最強88艦隊、、「かしはら・あかぎ」も新造しましょう!
@takasukesakai9320
@takasukesakai9320 Жыл бұрын
トータルの機数はすぐには増えないから、現状の中でやり繰りするしかない。解消するには早期戦力化ができるような製造、搭乗員育成が絶対条件です。日本にそんな国力があったか疑問です。やっぱり日米戦は無謀な戦さなのでしょう。
@村上理恵-i8e
@村上理恵-i8e Жыл бұрын
かんたんな海上作戦(*'ω'*)
@kuramotomami0029
@kuramotomami0029 Жыл бұрын
上手く編集されており大変にわかりやすかった 相当な実力者が調べて作成したと思う
@kuramotomami0029
@kuramotomami0029 Жыл бұрын
日本は戦艦8隻巡洋戦艦8隻米国は戦艦10隻巡洋戦艦6隻を計画した 日本はワシントン会議などに批准せず米国の経済破綻を待つべきだった 日本は嫌がらせ的建造計画を発表して米国を焦らせ戦争を躊躇わせていれば戦争自体起こらなかった オレンジプランでは日本の仮想敵国順位は低く又米国艦隊に対抗できるのは日本のみであった
@user-xn8xl4xx4e
@user-xn8xl4xx4e 5 ай бұрын
日本の貿易先は米国。景気が悪く成ったから、日本は身売り。
@フロムフロム
@フロムフロム Жыл бұрын
本動画を拝見して気が付きましたが初期の海軍も万一の可能性に震えました。セイロンでは英機に爆撃されるまで気づかずミッドウェーに先んじて損害を受ける可能性がありました。珊瑚海のレキシントンも直接の原因はガソリンの爆発でした。これが無ければ米の空母損失も無かった事になり日本の優勢も限られた恐れがあります。
@減塩しょうゆ-j8q
@減塩しょうゆ-j8q Жыл бұрын
艦艇に対する乗員数ってこれで足りるん?ダメコンとか大丈夫かな
@asaichban9842
@asaichban9842 Жыл бұрын
日清・日露・日中で勇名をはせた伝統ある第九師団ですが もうこのときには二級師団ですよ
@サトル-y6g
@サトル-y6g 6 ай бұрын
😂お前に言われてもな
@nkvd2967
@nkvd2967 2 ай бұрын
火力面だけで考察すれば師団火力が山砲36門だけではね・・ 第9師団を台湾に出し第24師団を沖縄に残したのは火力が第24師団の方が上だったからと八原大佐の証言があります。
@guugoosuka6909
@guugoosuka6909 Жыл бұрын
初期型の戦標船なんて戦後使うつもりだったから対して合理化してない贅沢仕様だったみたいだしねぇ 二次の手抜きっぷりと三次の逃げ足追求が戦局の推移をよく表してる。
@井上やす
@井上やす Жыл бұрын
どちらにしろ、結局は米軍の物量の前に、破れていたでしょう。
@tomosyu19680207
@tomosyu19680207 Жыл бұрын
全て師団-旅団-連隊-大隊 という編成かと思っていたら、旅団が無い場合や、連隊が無い場合もあるとは、知りませんでした。。。
@天谷裕道
@天谷裕道 Жыл бұрын
この部隊が米軍からピストルピートと呼ばれた部隊です。
@半-d7f
@半-d7f Жыл бұрын
陸軍の循環式浴槽の構造とか見たいです。殆ど会話や言葉だけで図面や写真を見たい
@H036
@H036 Жыл бұрын
大日本帝国陸軍を研究するなら最初にその組織が、「軍隊(参謀総長指揮権無し・命令は大命で)」「学校(教育総監)」「官衙(陸軍大臣)」「特務機関」として別れて居た事を理解しないと駄目ですね。 後、編制と編成の差、(命令と区処、戦闘序列)等 後23師団は新設師団として考えて、常設師団の第五師団と比較した方が分かり易いのでは?23師団を基幹として小松原兵団が編成され、ノモンハンで苦戦している際、確か明治期に編制された歴戦の第五師団(今村中将)が(援軍として)大連まで到達している時に停戦しましたね。3単位の新設と、4単位の常設では圧倒的な兵力(含む練度)差がありました。政治(財政)的に軍縮絡みだった様な・・・
@ぶーちゃんマン
@ぶーちゃんマン Жыл бұрын
055型は全てVLSだが、柔軟性は戦術の幅に繋がるからな。運用次第な所はあるがかなり強い使い方が出来そう
@terorouze7682
@terorouze7682 Жыл бұрын
デザインのセンスは良いんだよセンスは
@こんどうかずなり
@こんどうかずなり Жыл бұрын
第二次標準船仕様以後、鉄や工数を大巾に節約して、しかし、戦前の建造計画を一年目も二年目も下回るかギリギリクリアする量しか造っていません。海軍が仕切っていたわけですが、残りの鉄や工数は何に使われたかわかりませんか?海防艦も鉄と予算を三百隻分別枠で享受しておきながら百数十隻しか造っていません。鉄や予算は何に使われたのですか。海軍の卑劣な不正ではありませんか?真実を知りたいです。
@akiomizuki5317
@akiomizuki5317 Жыл бұрын
30ノット行かない空母ではいけません!
@天空神オニャンコポン
@天空神オニャンコポン Жыл бұрын
新作待ってます
@utorur1301
@utorur1301 2 жыл бұрын
わかりやすい説明ありがとう 日本は海洋国家であり海上交通による通商路は命綱ですよね