Пікірлер
@jq3deb
@jq3deb 2 ай бұрын
23年11月に慶応大学湘南藤沢キャンパスに京都から夜行バスで参加しました、午後は膵臓がん患者会に惜別の念で参加したのですが、すごいパワーを三太号から頂きました、整備士の方々のプロ根性と対話にも応じて頂き、また夜行バスで帰りました、KCK一生忘れません、また孫連れて再会しに行きます。頑張りのパワーありがとう。
@kitanoya
@kitanoya 2 ай бұрын
ご視聴ありがとうございます。 慶応大学イベントへの協賛出展は周知期間があまりなかったように記憶しております。夜行バス往復で駆けつけられたとのことで、大変な行動力ですね! とうに失われた手間暇のかかる技術を、現代に人とクルマと一体になって伝え続けることは大きなエネルギーが必要です。末永く続けてもらえるようみんなで応援しましょう!
@正泰高旗
@正泰高旗 3 ай бұрын
戦中、戦後乗合自動車に乗った漠然とした記憶。平坦地走行だったせいか坂道での走行支援の記憶なし。思い出の木炭車の記述によると手作りとのこと。ないものねだりですが当時の乗合自動車で現存するものはないのでしょうね。
@kitanoya
@kitanoya 3 ай бұрын
御視聴ありがとうございます。 平坦地だとやはりそれなりの営業走行はできるのですね。 この動画にお寄せ頂いている皆様のコメントを拝見し、戦中・戦後の内地日本のバスについて、現代の常識とは大分ギャップがあるのだなと感じております。 メーカーが規格資材やプレス・曲面ガラスを用いて軽量車体製作をするのは戦後も安定してからで、これは戦時中に軍が大量動員し敗戦後は活動禁止となった航空技術者の受け皿になった経緯によるものであります。国鉄の新幹線開発なども同様です。 よく「懐かしのボンネットバス」「猫バス」として紹介されるのはこの時期のものになります。 戦前のバスは一般にフォード・シボレーのトラック用シャシーを購入し、木骨鉄皮の手叩き流線形車体を町工場やバス会社自身の職人が特装するもので、定員も現代のマイクロバスにも届かないものが殆どでした。戦後混乱期などはこれに無理やり定員の数倍の旅客を乗せて運行を強行したため、「急ブレーキを踏んだら吊皮につかまった旅客の荷重で屋根が千切れた」など現代では信じがたい事故も起こっていました。 木炭車は戦争に勝つまでの一時しのぎ追加改造として生まれましたが、エンジン疲弊は凄まじく、敗戦後当初は過酷な占領政策を取った占領軍も見かねて(戦時統制が効かなくなった交通の荒廃が酷く、占領軍自体も政策運営に支障を来したので)ガソリン特配付で軍用トラック払下げを行った時期があります。この時期に払下トラックからどうやってバスの体裁を整えたかと申しますと、エンジンが潰れた戦前製木炭車の車体を解体再整備したり補強延長したりして載せ替えました(更生車)。あてがうシャシーもなければ、焼夷弾爆撃で焼け出された困窮者用の仮設住居に転用されていました。 もともと手作りで原型保存という観念が薄いこと、エンジン・シャーシ/車体/代燃装置それぞれの利用期間が異なるのが当たり前だったこと、非効率なものを行政都合で事実上強制したため当時利用者側印象が悪いこと、などが現代とは大幅に感覚が異なります。 現代の旧型車愛好感覚では、型式があって、登録状況が判り、履歴をすべて追えることに価値があるのだと思いますが、混乱期車両を動態で再現するに当たり、敢えて更生車体を探してきたのは当時を生き抜いた方こその肌感覚による英断であったとわたくしは考えておりまして、その辺りがうまくお伝えできていないところに力不足を感じております。
@ykitaga7155
@ykitaga7155 5 ай бұрын
この動画を見て感動しました私がの薄い記憶ですが3〜4歳頃に新潟県長岡市表町にある300年以上続く菓子屋に行った時こと大通りに見たことの無い不思議な形をした乗合バスが目の前を走って来るのを見ましたバスの後ろからモクモクと煙が出ていて坂道で止まりそうそして後ろのお釜に薪をくべて居るところや乗客を下ろしたり人がバスを押して居る光景を子どもながらに記憶して居ます今尚そのバスが生きて居る事に驚きました大切に保管してして下さい
@kitanoya
@kitanoya 5 ай бұрын
ご視聴ありがとうございます。 代燃車の現役時代を実際にご覧になった方々から直接コメントをお寄せ頂けるとは動画制作時には考えていなかったので、わたくしも感激しております。 神奈中さんの努力で今尚維持し続けていられること、これは車両もそうですが修繕や運転の技術を伝える人が続いていることと両輪になります。 そして当時を識る世代の方が今尚時代に合わせた通信を修得しておられ、現代のメディアを通して当時の様子を振り返ることができる。 これら様々な積み重ねの軸が揃って初めて成り立つことです。 日本の自動車は法律がガチガチで、このような保存は志のある方の一方的な持ち出しに頼る形になってしまいますが、応援のお声を上げて頂くことは神奈中さんの励みになると思います。
@NIGGAdatCooks
@NIGGAdatCooks 5 ай бұрын
The braking power is weak & laws are really strict, so no license plate. Sumimasen , Nani ga hanashimashita ?? There are Bicycles & Ferrari's on the streets of Tokyo and you are worried about this historic mammoth of a vehicle ?? Government laws are just wow !! 🤷‍♂🤷‍♂🤦‍♂🤦‍♂
@kitanoya
@kitanoya 5 ай бұрын
Thank you for watching. Even in Japan, future regulations will not apply to cars that have been registered in the past. If they restore it to the state of fire truck, they can get a license plate for public roads. (Passengers are not allowed) However, there are many gaps to overcome before getting a commercial bus license plate, paying the fare, and enjoying a funride as a woodgas bus, which everyone here expects. Legally, safely, and economically. It's not my intention to explain why it can't be done. I also would like to pay the fare and travel with. If the boarding and disembarking locations are the same on private property, it will not be considered public transportation (just like a roller coaster at an amusement park), and there will be no need for troublesome license plates. It will also be possible to collect fees for attractions, so I'm hoping that Kanachu will hold such an event.
@robertoinsaurralde2494
@robertoinsaurralde2494 5 ай бұрын
VERY GOOD
@kitanoya
@kitanoya 5 ай бұрын
Tnank you!
@lawerencestimpson2280
@lawerencestimpson2280 5 ай бұрын
Very nice looking!!!
@kitanoya
@kitanoya 5 ай бұрын
Thank you for watching. The coach work of this era was to make the frame by carving wood and then pounding the metal sheet with a hammer to create a curved surface. This is a masterpiece of craftsmanship. Although it is not allowed under modern fire prevention standards... But I love the streamlined cars of the era!
@ourv9603
@ourv9603 5 ай бұрын
Those days are soon to return. As the world is going electric & petro vehicles will be banned, soon after, the sale of petro fuels will be banned THEN if you wish to hang onto your petro vehicle you will need to make fuel at home. BUT, eventually, that too will be banned & your petro vehicle will be confiscated & crushed. !
@TheKitMurkit
@TheKitMurkit 5 ай бұрын
Sounds horrible!
@kitanoya
@kitanoya 5 ай бұрын
Thank you for watching. Ah, I don't want that era to come... The ability to travel quickly allows a variety of people to live together, and supplying fuel and making cars are also occupations. Let's all live in harmony!
@jotalc8678
@jotalc8678 5 ай бұрын
En España se utilizaron automóviles de gasógeno de 1945 a 1950.
@kitanoya
@kitanoya 5 ай бұрын
Gracias por ver. Desde que Japón perdió la guerra, la economía fue difícil durante la ocupación. Aunque España no participó en la guerra, fue un período difícil después de la guerra. En Japón, la investigación para mejorar el gasógeno continuó hasta alrededor de 1948. Es triste que, aunque los automóviles se han convertido en una parte esencial de la vida humana, el combustible todavía se utilice como material para transacciones diplomáticas.
@fukhue8226
@fukhue8226 5 ай бұрын
Looks like a Chevy inline 6 cyl motor.
@kitanoya
@kitanoya 5 ай бұрын
Thank you for your comment. I think it's similar too. Before WWII Japan, Ford expanded into Tokyo in 1925, and GM expanded into Osaka in 1927. It's hard to believe now, but domestically produced cars couldn't compete in terms of reliability or price. Chevy had excellent fuel efficiency in the Japanese environment and was popular with taxi drivers. (Private cars became popular among individuals in Japan in the late 1960s.) These days Japanese disassembled excellent cars and studied hard.
@ワイルドオスカー
@ワイルドオスカー 5 ай бұрын
昔、オイルショックで大人達が騒いでいたころ、何かの漫画で知った木炭車を使えばいいのにと子供心に思ったものだが、こんなに手間のかかるものだったとはね。そりゃ使われないわけだ。 まあ、しかし昔の人の知恵と努力には敬服するしかない。
@kitanoya
@kitanoya 5 ай бұрын
ご視聴ありがとうございます。 外国の方々から頂いているコメントも、多くは産油国ではないところからで、みんな石油供給の不安定さから代替燃料に寄せる思いがあるようです。 今のような情報化時代でもないときに、今なら嫌々覚えるだけの化学記号を眺めて、なんとかした先人の知恵と努力には本当に敬服です。
@banryok
@banryok 5 ай бұрын
コメントを追うと、実際に営業車として走っていた木炭バスではなく、1981年に神奈川中央交通さんが消防車として登録されていた古い車体を木炭車に改造したと読めるのですが、それで合ってます?  当時の法制下の車検証が生きていて物理的にはともかく、法的には営業運転ができる車体だと思ってましたので、上記の理解が合っているなら残念です。  同様に、1950年製で神1.950 だからナンバー維持するために車体を残したのかと思っていたのでで、あれも法的な本物ではないということですよね。とすると、時代考証的に神1.950 ってナンバーはあり得たのでしょうか? 1950年というとそろそろナンバーは20000番代発給になっているのではないかと思うのですが、どうなんでしょうか。  法的な疑問をもう一つ。「燃料:ガソリン(※代用燃料発生炉設置許可)」というのは本車の車検証ではなく、一般論(というか、当時の車検証にはそう書いてあるのが普通だった)ということでしょうか。  ボディの No60 も「あれ?」となります。企業文化なのであり得ないとまでは言えないのですが、戦前から続くような会社が振る番号かな? とコメントを読みつつ少々ひっかかりました。
@kitanoya
@kitanoya 5 ай бұрын
ご視聴ありがとうございます。 わたくしのコメント欄の記述、再現車両としての話と戦中戦後の代燃車の一般情報が混ざっているので判り辛くなってしまっていますね。 もし見学する機会がありましたら、車両内に再現経過や自走巡回した当時の写真アルバムがあると思いますので是非ご覧になってみてください。 > 実際に営業車として走っていた木炭バスではなく、1981年に神奈川中央交通さんが消防車として登録されていた古い車体を木炭車に改造したと読める はその通りとなります。わたくしが書いた訳ではありませんが、wikipediaにも「三太号」のページがありますのでそちらも御参照頂くと早いかもしれません。 高度経済成長期以降にガス発生炉を搭載した車両は他にもいくつか例があり、実際にナンバー登録したものもありますが、ガソリンエンジンの吸入口に3方コックを設けてガソリンで登録している筈です。(戦中戦後と同じ手続き) この建前を崩すと、エンジンの型式認定から審査やりなおしとなり、ユーザー側でどうにかできるような登録手続きではなくなってしまいます。また監督官庁側も車検制度の根幹に関わってしまうので、特例は認めないと思います。 逆に燃料記載欄が代用燃料専燃で登録している事例があるようでしたら、わたくしも大変興味がございます。 消防車時代の書類はある筈なので、キャブレターを再搭載して書類を書けば過去登録車の規制適用除外で登録はできるのだと思います。製作当初は取得審査のユルかった仮ナンバー取って自走回送してましたので。 ただ、ブレーキが現代水準で効くようなものではないので、自家用車がそこら中で事故を起こして保険屋のTVCMばかりの現代公道上は危ないと神奈中さん自身が感じているようです。 また無理に事業用登録すると車検・税負担に耐えきれなくなり投げ出してしまう事業者さんも多いので、敢えて登録しないことは一つのやり方だと思います。 代燃車が使われなくなったのがサンフランシスコ平和条約発効以前の占領下の話で、当時は廃車の処置など構っていられなかった時代ですので、30年も経ってからよく当時素材を探したなぁと思います。
@banryok
@banryok 5 ай бұрын
@@kitanoya 車検証への記載の件、ご教示有難うございます。ココからは北の谷さんではなく、神奈中さんなりに訊く話なのでしょうが、  オリジナルの車検証が残ってるならエンジン諸元の確認は精々排気量だけだと思います。エンジンの載せ替えは普通だった時代なので型式認定とかはなかったと思います。現在のような車検制度以前の車体のハズなので。  事業用(青ナンバー)は税金安いですよ。白ナンバーに対してですが、昔は半分以下だった記憶があります。ただ、車検を取らない(車庫に置いておくだけ)ということが事業者にできるかどうかという問題はありそうですが。  とまれ、お返事ありがとうございました。
@kitanoya
@kitanoya 5 ай бұрын
コメントありがとうございます。 当時のエンジンについてはご指摘のように細かい審査はされていないと思いますし、別型式への載替も書式の範囲内だと思います。ただ、「エンジンをユーザーが改造した」と申請されてしまうと過去登録実績での規制除外の適用をどこで線引きするか監督官庁自身も判断が難しいのではないかと思います。 青ナンバーと白ナンバーの違いは数値ではわたくし存じておりませんので勉強になりました。仮ナンバーでは公道で乗客が乗せられませんし、白ナンバーだと営業(有償)運送ができない。となれば青ナンバーが保存車としても一番いい筈なのですが、不思議と殆ど例がありません。営業に常用し続けなければ維持できない負担がある筈なのですが、事業者さんでないと細かいところは判らないですね。 日本の自動車の歴史も100年を越えました。 利便性・安心・安全への官民の努力の積み重ねには感謝しておりますが、一方で雁字搦めになってしまい、産業記念物としての保存には重い足枷ともなっています。この辺も配慮したよりよい制度になってくれるといいなあと思います。 いろいろな視点をご指摘頂きありがとうございました。
@banryok
@banryok 5 ай бұрын
@@kitanoya 法制度というのは作られた当時の社会状況を考えずに現在の感覚=常識=sense で考えると色々と齟齬をきたします。  エンジンが作れる工場がエンジンだけを作り、それを買ってきてボディに積載することで自動車の形になる。故障した時には・・・そのエンジンを作っていた工場が存続していない=部品供給ができないということはママあることです。その時手近にある中古のエンジンや高性能のエンジンに載せ替えるのは普通の感覚です。  今の車検制度は同一性の確認を厳しく言いますが、これは珍走族の改造車に手を焼いた歴史に基づくもので、それ以前は「改造」が当たり前だったのです。というより、改造なくしては走り続けられない現実があったと言った方がいいでしょう。  青ナンバーについては私も知識が多い訳ではないのですが、1970年代には既にあり、ものすごく税金が安く設定されていたので憤った記憶があります。  じゃぁその前は? と考えた時、単に営業登録が必要だっただけでプレート自体は自家用と同じものを使ったのか? それとも営業用が普通で自家用が間借りしているような感覚だったのか? この辺は当時を知る=車に乗っていてその辺に興味を持っている or 監督官庁の当該部門にいたか締め付けたれていた人に問わないと分からないでしょうが、ご存命の方を探すのが大変でしょうね。  常々思いますが、日本には自動車工業はあるが、自動車文化はありません。多少言い過ぎかもしれませんが、国、というより官僚機構が常に発展を阻害する方向へ舵を切るので育ちようがないのです。
@cyrehn
@cyrehn 5 ай бұрын
小さいときに走っていたなぁ。 ガソリンを燃やすよりも身体的な影響は極端に少なそう。
@kitanoya
@kitanoya 5 ай бұрын
ご視聴ありがとうございます。 しっかり作られてちゃんと整備されていれば「化石燃料を使わないクルマ」ですよね。 戦時中はパイプすら入手できなくなって、曲げたブリキ板に針金巻いてガス送ったら漏れて一酸化炭素中毒になった(迷信だそうですが、中毒の場合日本酒飲めば応急処置になると信じられていて、運転席には一升瓶常備!)という事例もあったようなので、みんなで安心して見学できる現代日本は幸せです。
@Gasgen.online
@Gasgen.online 5 ай бұрын
Greetings from Russia! You make interesting decisions! We would like to share a few of our solutions: 1) mining and power supply of workshops: kzbin.info/www/bejne/an-vaaVvj5WHnbMsi=vJ_cHGT6hnBQMuvG kzbin.info/www/bejne/b3WYpoKcmM5_Zs0si=kS3rYKdIJIncHnM1 2) one fuel load per week of operation: kzbin.infoWvcgJOOHMkc?si=fZeUxQWQyASqAbxo 3) Gas from our gasgens: kzbin.infoHOJxyKlul_A?si=VtstT0oq8J6W8nVB
@kitanoya
@kitanoya 5 ай бұрын
Thank you for introducing modern stationary gasification power plants. I saw your video and the driving cycle is very long! Will the gas generator be damaged by continuous operation? I think it's good to have the option of generating electricity using waste wood as fuel in places where electricity is difficult to obtain. In the past, in Japan, there were various problems with wood gas engines as a power source in urban areas, but the logging railways produced large amounts of wood scraps, so they were preferred as an effective way to utilize waste.
@DanielGonzalez-bk9se
@DanielGonzalez-bk9se 5 ай бұрын
Hermoso colectivo japones toyota ( bus),en Argentina habia de diseño similar ,nunca a gasogeno o gasura ( como le llaman acá).En cordoba Argentina un señor hizo algo parecido con una pickup ford y anda hasta a 110 km/h.👏👏🇯🇵🇦🇷
@kitanoya
@kitanoya 5 ай бұрын
Gracias por ver. Puede resultar difícil de creer ahora, pero el Japón de antes de la guerra era un país donde se construían fábricas de Ford y GM antes de que se estableciera la tecnología automovilística nacional, y las empresas no podían competir en términos de precio y confiabilidad. El auge aerodinámico se produjo en tiempo real, por lo que durante la guerra, la hermosa y aerodinámica carrocería curva del vehículo fue modificada a la fuerza para tener un generador de gas adjunto. ¡110 km/h con Gasura es increíble!
@frankrullmeigas9999
@frankrullmeigas9999 5 ай бұрын
ESPAÑA EN LOS AÑOS 30 DEL XX los coches andaban con GASOGENO o motor a LEÑA muy parecido al del video
@kitanoya
@kitanoya 5 ай бұрын
Gracias por ver. Además, gracias por compartir el ejemplo de GASOGENO en España. Los automóviles son convenientes, pero difíciles en países sin petróleo.
@PaulHayman-tq5kb
@PaulHayman-tq5kb 5 ай бұрын
I like the way way the Japanese look after their Old vehicles keep them working in pristine condition
@kitanoya
@kitanoya 5 ай бұрын
Thank you for watching. Land is expensive in Japan, so it takes a lot of dedication to keep old cars in good condition. Many of them disappear with the passage of time, and our memories are forgotten. It is a rare case in Japan that this bus has remained as a commemorative vehicle for a long time. Receiving such compliments from people from overseas will be a great encouragement to the staff of Kanachu Bus.
@kasirrsudtanahabang1158
@kasirrsudtanahabang1158 5 ай бұрын
asli gw puyeng sama tulisannya 🤣😂
@kitanoya
@kitanoya 5 ай бұрын
Terima kasih telah menonton. Berkat Google Terjemahan!
@nullnull9209
@nullnull9209 5 ай бұрын
木炭車は北朝鮮ではまだ現役だそうで
@kitanoya
@kitanoya 5 ай бұрын
ご視聴ありがとうございます。 木炭車を現代でも常用しているらしいという写真はわたくしも見たことがあります。 □ 燃料は何を使っているのか □ ガソリンエンジンの仕様をそのまま使うのか、圧縮比・燃焼室形状・点火タイミング等専用設計による最適化があるのか □ 炭素循環のサイクルが連続的に成り立つのか □ 戦時中のプラクティスのままだと仮定すると、ガス発生炉の高温で寿命が短く、発生炉更新のコストがバカにならない筈だが、常用のメリットがあるのか など技術的な興味は尽きないところです。 まァあまり関わりは持ちたくないですが。
@em.2s767
@em.2s767 5 ай бұрын
Gasogênio reinava em outros tempos...🇧🇷🇧🇷🇧🇷
@kitanoya
@kitanoya 5 ай бұрын
Obrigado por assistir. Este ônibus chama a atenção pelo sistema de combustível, mas a carroceria também é histórica e valiosa. Documentos oficiais dizem que foi feito em 1950, mas o design é antigo demais para 1950. Acho que este é o ano em que a carroceria do carro da década de 1930 foi renovada. É realmente de uma época diferente.
@DanielGonzalez-bk9se
@DanielGonzalez-bk9se 5 ай бұрын
​​@@kitanoyaen Argentina pasó lo mismo,las carrocerias son de 1950 pero usaban camiones con chasis alargados mas viejos y confiables asi eran mas baratos de carrozar Saludos desde mi buenos aires querido.Argentina🤗🇯🇵🇦🇷🤗
@kitanoya
@kitanoya 5 ай бұрын
Gracias por ver. Además, gracias por presentar el caso de Argentina. Los japoneses tienden a creer que sus antepasados ​​fueron los únicos en el país que hicieron cosas tan problemáticas, pero la cuestión del suministro de energía para los automóviles es un problema difícil que se extiende por todo el mundo. También estoy aprendiendo de los comentarios. Es interesante observar que Estados Unidos, un país productor de petróleo, también estaba realizando una investigación y hubo un informe como este, por lo que proporcionaré un enlace al mismo. task33.ieabioenergy.com/wp-content/uploads/sites/33/2022/06/IEAT33_HD_USA_035.pdf
@CBJAMPA
@CBJAMPA 5 ай бұрын
Japan is on another level. Especially when it comes to social and technological advancements. Just a model society! ❤
@kitanoya
@kitanoya 5 ай бұрын
Thank you for praising Japan. Japan is an island nation, so we are good at collaborating with similar people. In the past, Japan was seen as a strange country, but as crime spreads faster due to globalization, people are increasingly evaluating Japan's social rules. I feel that living here is not very interesting, and the system does not allow individuals to make much money, but I would like to place importance on safety and hygiene.
@fukhue8226
@fukhue8226 5 ай бұрын
It was a German invention. The 2nd World War left Germany with no gasoline for their cars and had to turn to Wood Gasifiers to run their trucks and cars.
@kitanoya
@kitanoya 5 ай бұрын
Thank you for your comment. There are various theories about the origin of this technology when viewed as a history of technology that includes the gasification of stationary internal combustion engines. At that time, Japan really wanted to imitate Germany's coal liquefaction. Japan also has coal. However, metallurgical technology could not catch up, and we were only able to build a small-scale test plant. Japan's charcoal cars were forcibly introduced despite the fact that they were known to be troublesome.
@CBJAMPA
@CBJAMPA 5 ай бұрын
@@kitanoya Thanks for taking the time to elaborate on the origin of coal liquifaction, however, I meant it to be more comprehensible when I mentioned technology. As a whole, Japan has surpassed mankind's mark on the advancement of science and in technology in general. Japan is a great nation for haning achieved it all while preserving freedom and the individual rights of its people!
@kitanoya
@kitanoya 5 ай бұрын
@CBJAMPA Thank you for praising Japan. Japanese people are not very good at making new and drastic inventions, but are better at incorporating foreign inventions and improving them to make them easier to use. It is not that we are looking down on ourselves, but the Japanese themselves understand that this tendency exists. However, more and more people overseas are appreciating the methods that have become established in Japan. I think it's good that there are options and that ways to make everyone happy can be shared across cultural and language barriers!
@meyawabdulaziz3863
@meyawabdulaziz3863 5 ай бұрын
gasifier
@kitanoya
@kitanoya 5 ай бұрын
The essence is, as you said, a gasifier. In Japanese, the common expressions are 代燃車 [ Dainen sya ] substitute fuel car  or 木炭車 [ Mokutan sya ] charcoal car ( even if fuel was firewood ), but they have no idea how they operate. I have received many comments in Japanese about this video, saying that they learned about the operating principle for the first time. Language is difficult...
@rossinigioacchino2785
@rossinigioacchino2785 6 ай бұрын
WOODGAS?
@kitanoya
@kitanoya 6 ай бұрын
You right! Wood gas. During the war, rural charcoal makers also went to the battlefield, so Japanese route bus companies had no choice but to producer gas from firewood.
@georgecastiblanco2978
@georgecastiblanco2978 6 ай бұрын
De que marca es ese bus que funciona a carbón.
@curlyjoe7122
@curlyjoe7122 6 ай бұрын
Não consegui ver bem, me parece TOYOTA.
@kitanoya
@kitanoya 6 ай бұрын
Obrigado por assistir. O ônibus neste vídeo é um caminhão de bombeiros modificado e é movido por um motor Toyota a gasolina. Os ônibus japoneses a lenha foram criados durante a guerra e o pós-guerra de escassez de gasolina, modificando os veículos movidos a gasolina existentes com a adição de geradores de gás. Além de empresas especializadas afiliadas ao governo, também houve fabricantes de geradores a gás que adquiriram tecnologia na França e expandiram para o Japão.
@cleanup0811
@cleanup0811 6 ай бұрын
幼児の頃父親と木炭車の乗合バスに乗った記憶があります、坂道でバスが登れなくなり乗客全員降車してバスを押して坂を上った事を思い出しました、当時はガソリンの供給が少なく木炭車バスが全盛期の頃でしたが、数年もするとガソリン供給が改善されたためか木炭車バスは全く見かけなくなりました、この三太号を見て幼き頃の懐かしい思い出がよみがえりました。
@kitanoya
@kitanoya 6 ай бұрын
ご視聴ありがとうございます。 また、木炭バス現役時代のお話ありがとうございます。 現代なら出力不足で止まってしまった車両を乗客が降りて押すなど危険で、営業は絶対認められないと思いますが、この時代を生き抜いた方々は逞しかったと思います。 始動準備はセルモーターを回し続けるしかない…などと尤もらしいキャプションをつけましたが、本当に苦しい地域では蓄電池もダメになって押し掛けに始発待ちの乗客を動員したり、薪持参に協力した客から優先乗車など、現在なら「そこまでして出かけたくなくなる」ような状況を協力して乗り切っていたと聞いたことがあります。この逞しさこそが続く時代の高度経済成長の原動力になったのだと思いました。
@bowwow4252
@bowwow4252 6 ай бұрын
懐かしい木炭バス、小田急相模原駅から国立病院まで往復してました。もちろん乗車しました!
@kitanoya
@kitanoya 6 ай бұрын
ご視聴ありがとうございます。 また、木炭バス現役時代のお話ありがとうございます。乗車体験は今となっては貴重ですね。 液体燃料が出回らなくなってくると混雑が激しくなり、途中停留所の間引き休止、短距離区間の定期券発売禁止など「できるだけ歩かせる」施策も打ち出されていたので、小田急相模原~国立病院という比較的短距離で木炭バスの運行が続けられていたのは意外でした。非常時とは言えケースバイケースでの判断事例があったのですね。
@316チャンネル
@316チャンネル 6 ай бұрын
蒸気機関車の動態保存車観てるみたいですね。予備部品どうやって調達しているのでしょうか? ちなみにこのバスはスタジオ・ジブリの『となりのトトロ』に登場するバスモデルになっているみたいですね。
@kitanoya
@kitanoya 6 ай бұрын
ご視聴ありがとうございます。 わたくしは神奈中さんではないので詳細は判りませんが、流石に予備部品の新規入手は難しいのではないかと思います。 ネガティブな話ですが、蒸気機関車は1970年代前半の「SLブーム」でロクな保存計画も立てられない市町村に勢いだけで大量に貸与され、雨曝し放置された経緯があるので、これらの「解体撤去に御協力」するとある程度部品が確保できます。 昭和25年のトラックを保存している方… ほぼいないし仮にあったとしたら手離さないでしょうね。 但し29年間ガソリン消防車だった訳で、消防車時代既に部品欠品に悩んでいた筈ですから、補修ノウハウ(場合によっては部品手作り)と書類は引き継がれている筈です。 元々耐久性も規格も現代と異なる時代のものなので、修理は何度も行われており、また保存の主旨を崩さぬよう苦労が多いと聞いております。 わたくしも高校のとき講堂で「黒い雨」が上映されたとき声を上げそうになりました。
@銀猫-m1c
@銀猫-m1c 6 ай бұрын
これを知った時、木炭による蒸気機関だと思ってました まさか、一酸化炭素によるガス燃焼機関だったとは…
@kitanoya
@kitanoya 6 ай бұрын
ご視聴ありがとうございます。 わたくしもリアルタイム世代ではないので、漠然と「煙モクモク=蒸気機関?」からスタートしておりまして、お気持ち判ります。 日本で暮らしていても便利すぎて先人のエネルギー利用がどう変遷してきたのか意識しないんですよね。小規模な蒸気(外燃)機関じゃ効率が悪いからと同じ燃料で内燃機関を動かそうとしていた時代は存在していました。 しかし「効率の追求」が進めば液体燃料や大規模発送電へのシフトが必然で、金銭的コストが両立すれば、「昔のやり方」はモノも記憶も綺麗サッパリなくなってしまいます。 心配しなくていいのは平和で健全な社会だからこそで、ありがたいことだと思います。
@h_castlbook
@h_castlbook 6 ай бұрын
終戦直後からしばらくの間 自動車整備工をしていた親父曰く、発生器がちゃんと働いていれば、平地は案外普通に走るらしいです。 でも発生器から出てくるガスの分だけしか馬力が出ないから、上り坂ではサッパリだったそうです。 戦後、ガソリンの供給が間に合ってくるまで、朝はバスの車庫の周りが黄色くかすんでたらしいです。
@kitanoya
@kitanoya 6 ай бұрын
ご視聴ありがとうございます。また、技術的参考になる当時状況の書き込みにお礼申し上げます。 自動車の基礎設計に関わってくるところで、自重の転がり抵抗分はそれほど大きな出力はいらないというのがモロに効いてしまうんですよね。分類としては陸(軍)式商工省標準型の乾式薪用発生炉になるかと思いますが、自動車公称出力の大体60〜65%で頭打ちになるようです。上り坂にかかったときの位置エネルギー分がどうにもならない… 大陸ではそれでもまァ使うところを選べばそれなりに使えたのでしょうけど、島国の日本で現在よりはるかに長い路線営業に適用できるかというと? となるかと思います。専用設計ならまだ工夫のしようもあるのでしょうが、誰もそんなに長く使う羽目になると思っていなかったという状況や、法的枠組として「燃料:ガソリン(※代用燃料発生炉設置許可)」でエンジン本体構造に手を付けない前提のお役所の作文に無理がありすぎたということですね。結果論ですけど。 出庫は本当に大変だったようで、慣れていても始動に30分以上掛けないと炉の反応が安定しなかったようです。面倒でエンジンを掛けっぱなして待機中も薪を継ぎ足すこともしていたそうなので、バス車庫の周りが黄色くかすむ景色は尤もだと思いました。
@straker1701
@straker1701 6 ай бұрын
木炭車が現存していてしかも走る!とは。
@kitanoya
@kitanoya 6 ай бұрын
ご視聴ありがとうございます。 計算の簡単のため敢えて西暦で書きますが、  1951年 代燃車使用終了  1981年 三太号製作 の時系列です。そしてこの動画の撮影が昨年2023年です。 姿を消してから30年経ち、 「もう1台も残ってないじゃないか。今なら廃車を集めれば経験者の技術と当時の素材で復元できるぞ!」 と、やり抜いた1点で凄いです。 その復元から既に40年以上経過しているんです。 そして今でもこの戦時中の間に合わせ技術のクセの強い取扱法を伝承して実働展示が可能… この間実務者の世代は何世代回ったことでしょうか。 神奈中さんはこの偉業をもっと誇っていいと思いますし、この社会貢献に幾許かでも報いることができる日本でありたいと思います。
@marioshida7425
@marioshida7425 6 ай бұрын
No Brasil também se usou este tipo de combustível gasogenio.
@kitanoya
@kitanoya 6 ай бұрын
Obrigado por assistir. Os esforços do Brasil para usar etanol após o choque do petróleo foram relatados no Japão e são bem conhecidos. É a primeira vez que ouço dizer que houve um tempo em que usavam um gerador de gás. Obrigado por me ensinar.
@tanello2
@tanello2 6 ай бұрын
what do u mean it cant run on public road for safty reasons, if u have the event at flat road area, its totaly fine to drive it, its not 1800 wood breakes bus, its a totaly normal bus like any other, it just uses burning wood has fule, thats it.
@kitanoya
@kitanoya 6 ай бұрын
Thank you for watching and comment. Japan is an island country, and it is difficult to make "flat roads" a prerequisite for vehicle performance. In order to obtain license plate for driving on public roads in Japan, it is necessary to prove that the vehicle has sufficient hill climbing and braking ability, but there is a huge gap in requiring modern standards for a vehicle of this era. This is for safety reasons. Also, taxes on commercial buses in Japan are very expensive. Even if there is a strong interest in the significance of industrial heritage, the reality is that it cannot be maintained through the efforts of individual private companies alone. As of 1981, Kanachu had made the pragmatic decision to not obtain formal registration and use temporary numbers for forwarding between exhibitions. However, as cases of abusing the temporary number system increased, Japanese government changed its interpretation to issue only during vehicle inspections, making it impossible to drive for display purposes. This is the legal reason. I understand how you feel, and I would like to try it too, but it is not easy.
@tanello2
@tanello2 5 ай бұрын
@@kitanoya well thats very sad to hear, that your modern "democracy" has gone way out of hand and makes no exeptions what so ever, i now fully understand why amuricans and europeans have so mutch easier to restore and keep road worthy the old school buses and trucks and what not.
@kitanoya
@kitanoya 5 ай бұрын
@tanello2 Thank you for your comment. In Japan, reckless driving by illegally modified cars became a serious social problem since the 1970s. Coexistence is important in Japan, where 75% of the country is mountainous and forested, and living areas are limited. At this time, the Japanese people themselves demanded regulation through the vehicle inspection system. During the Samurai era, Japan did not allow land vehicles for domestic military reasons, and even after that there was a long period when public transportation by railway was emphasized. The history of "automobile culture" is short compared to the USA and Europe. Japanese people who relied on government regulations strangled themselves. The regulatory laws are so complex and long that they can't be read. The history of Japanese automobiles has been over 100 years old. I think it's time to reconsider the legal system and the people's relationship with vehicles.
@ЖумабекЖумабек-х5ж
@ЖумабекЖумабек-х5ж 6 ай бұрын
❤🎉
@131照井カルベロ
@131照井カルベロ 6 ай бұрын
これ以上のエコカーは無いね! 車は進歩した分、人は退化している 能力無くても金有れば、早い車買えて、偉そうにしてるけど アクセル踏めるだけの事
@kitanoya
@kitanoya 6 ай бұрын
ご視聴ありがとうございます。 工業の進歩は大枠で人を豊かにしてきたとは思うのですが、先人の工夫を見て現代を見ると人間は随分とダメになったんだなァとわたくしも思います。便利なもんで視野が狭くなるんですよね。自省を込めて。 代燃車、環境での循環を考えると化石燃料より健全に見えます。 一方、当時のバス会社はなんとか走らせるために必死で山を買い漁っていたと聞きます。占領下での記録は少ないのですが、敗戦後風水害が激増しました。コレ手っ取り早い燃料として片っ端から樹木を乱伐したのも原因の一つとして考えられています。 コリャマズいってんで、拡大造林と称し当時は商品化が早いと考えられていた杉をガンガン植えました。目論見外れて輸入材の時代になった現代では、皆様多く花粉症でお悩みです。 このチャンネルで現代政治を語る気はございませんが、エネルギーとか環境のバランスって本当に難しいようです。
@alfa155silverstone
@alfa155silverstone 6 ай бұрын
子供の頃に婆さん世代の人(昭和元年前後の世代の方)に木炭車の事を聞くと、顔をしかめて散々だったと一刀両断でした。 そういう経験をうらやましいと思いましたが、よっぽど嫌だったのか余り話してくれませんでした^^、
@kitanoya
@kitanoya 6 ай бұрын
ご視聴ありがとうございます。 代燃車に頼るところまで追い込まれた時代の背景が厳しすぎたのだと思います。LPGタクシーを見て眉をひそめる方はいませんから。 配給される筈の食料はマトモに来ず、仕方なく農村までスシ詰めのバスに乗れば坂が登れないと降ろされ、ようやくたどり着いて持参品と食料の物々交換を申し出ても慣れた農家に足元を見られて僅かな量しか頒けてもらえない。それでも待っている家族がいるからと気を取り直して帰るが、乗換駅には警察官が待ち構えていて、目を付けられると闇取引容疑で食料は没収。…という時代です。 正直・真面目な人ほどバカを見た時代は、体験した人にはノスタルジーの対象にはなりにくいと思います。 闇物資摘発も担当範囲だった裁判官が、正義感・道徳心から配給食料だけで業務を続けていたら餓死してしまい、それがニュースネタになるような社会… 自分は生き延びる自信がございません。
@工藤吉隆-c3x
@工藤吉隆-c3x 6 ай бұрын
発明した人 頭いいね😅
@kitanoya
@kitanoya 6 ай бұрын
ご視聴ありがとうございます。 おっしゃる通り、よくこんなこと思いつくなァと思います。 第一次世界大戦中のヨーロッパで、産油国ではない国々がガソリン不足に直面し、困って始めた技術です。当時の都市ガスや工場の自家発電プラントは石炭の蒸し焼きによるガス化だったので、「なんかの炭を蒸し焼きにすれば可燃性ガスが取り出せる。」くらいは共通認識としてあったのだと思います。 それを見て、ミニ発生炉を自動車に縫い付けてガス引き込めばガソリン無くても走るんじゃね?という発想のぶっ飛びかたが凄いです。 「文明開化の象徴」だったガス灯は技術の進歩で酷使される木炭車へ… 必要はときどき思わぬ方向へ技術を発展させますね。
@はせがわよしろう
@はせがわよしろう 6 ай бұрын
よく、こんな古い木炭バスが残ってますね、坂道は登らない皆さんで後ろを押した、
@kitanoya
@kitanoya 6 ай бұрын
ご視聴ありがとうございます。 産業遺産保存という概念もアヤシかった昭和末期にもかかわらず、当時モノ素材で構成するための調査収集に膨大な手間が掛かっており、考証が他例から群を抜いています。 保管しているのは知っていましたが近年は音沙汰もなかったので、もう扱える方がいなくなったのではと思い込んでおりました。今回の展示では、比較的若いスタッフの方がきちんと操作法を継承しておられるのを拝見し、神奈中さんの意志と実行力の凄さに感銘を受けました。
@孝志井上-u7b
@孝志井上-u7b 6 ай бұрын
点火プラグは有ると言う事は後ろのボイラーでガスを発生させてエンジンにガスを供給させて動くのかな🤔それしかない👍
@kitanoya
@kitanoya 6 ай бұрын
ご視聴ありがとうございます。 日本の戦前ディーゼルエンジンは開発したてホヤホヤのガチ軍事技術で、民生用で自動車エンジンと言えばガソリンでした。 ガソリン車はガソリンを空気に霧状に噴射して燃焼させますが、代わりに一酸化炭素を供給すれば一酸化炭素→二酸化炭素の燃焼でエンジンが回らないこともない、というのが木質代用燃料車の燃焼理論です。カロリーが違うので本当はもっと本格的に改造しなければ出力は出ませんが… 背面のガス発生炉は中の構造に工夫があり、焼却炉ではなく不完全燃焼が起こるようになっています。簡単に言えば鉄製の車載用炭焼き釜です。 本当は木炭が購入できれば発生炉はもうちょっとコンパクトにでき、日米開戦前の絵葉書などでは小型炉にオシャレなカバーがついていたりするのですが、当時の木炭は現在のプロパンガスのような郊外部の家庭用燃料としての役割があり、しかも焼いていた農村部労働力を片端から軍に招集してしまったため、統制計画があっという間に破綻したという経緯があります。 このため、見てくれは無視してでっかい炉で薪からやるしかなくなっています。 戦後になると軍用トラック・戦車のディーゼルエンジン技術が行き場がなくなって民生用に転換され、朝鮮戦争で占領軍が日本の民間にも大量に軽油を供給すると、非効率な代燃車は一気に姿を消しました。手間がかかる上に燃費が最悪で、昭和27年初頭で姿を消したと言われていますので、この間わずか1年半で日本中のバスが殆ど入れ替わったと考えられます。非常時とは言え、現在では考えられないドラスティックぶりです。 長文失礼しました。
@ЦзинКэ-ы5х
@ЦзинКэ-ы5х 6 ай бұрын
Very nice. Arigato.
@kitanoya
@kitanoya 6 ай бұрын
Thank you for watching. I'm glad you enjoyed the scenery of Japan.
@ЦзинКэ-ы5х
@ЦзинКэ-ы5х 6 ай бұрын
Very nice. Arigato.
@kitanoya
@kitanoya 6 ай бұрын
Thank you for watching. I'm glad you enjoyed the scenery of Japan.
@mugimeshitaitarou
@mugimeshitaitarou 7 ай бұрын
木炭車というものを知ったのは確か小学校時代、北見けんいち氏の著作漫画「焼け跡の元気くん」で見たことがきっかけでしたが、当時は薪を燃やすと車が動くというくらいの認識しかありませんでした。 実に高度な知識と技術を要するものだということを この動画で改めて知ることができました✨
@kitanoya
@kitanoya 7 ай бұрын
ご視聴ありがとうございます。 利用者としての体験談  「煙い」「力がない」「坂に掛かると客が降りて押した」etc はいろいろなメディアにのこされていきました。 一方、どうやってやったかといった技術的側面や、なぜそうしたかという経済的側面はネガティブな思い出として歴史の向こうへ過ぎ去った感があります。そういったことも考えさせてくれる貴重な「動く資料」だと思います。 昭和56年という時期は戦中・戦後を支えた神奈中の職員さんが定年退職する時期だった筈です。次世代へのタイムカプセルだったのでしょう。
@水上知磯
@水上知磯 6 ай бұрын
戦時中はガソリン不足を補う為薪をガソリン代わりに使っていたようです。
@西田修-n4p
@西田修-n4p 7 ай бұрын
イベントで抽選で維持費 10000円位で乗車で きませんか?よろしくお願いいたします😊
@kitanoya
@kitanoya 7 ай бұрын
御視聴ありがとうございます。 まず最初にごめんなさいなのですが、わたくしは神奈中さんではなく、1ユーザーなんです。代燃車はかなり以前から興味があったので、スタッフさんの操作内容は判るのですが…  動いているのを見ると乗ってみたくなるお気持ちよく判ります。わたくしもそういうイベントがあったら参加したいです。英文の字幕では簡単に触れたのですが、現状ですと法律や動力性能の点で公道走行が難しいそうです。確か神奈中さんは運転訓練センターがあったと思うので、車両が壊れない程度にスタッフさんの技術継承も兼ねた有料乗車イベントを計画してくれないかなぁと思っています。 この動画、神奈中さん公式チャンネルの動画にyoutubeが「次のおすすめ」で出すことが多いようなのですが、神奈中の中の方見てないかな!?
@アサヒキムちゃん
@アサヒキムちゃん 8 ай бұрын
昔を思い出す、小生83歳ですがおらが村にも木炭バスが走っていました。
@kitanoya
@kitanoya 8 ай бұрын
御視聴ありがとうございます。 木炭バスの現役時代を識る世代の方にも想い出の縁となり大変光栄です。 日本中こうだった筈なのに具体的な記録は多く残されなかった時代。昭和56年時点でそのことに気づき、会社事業として復元を断固実行した神奈中さんの先見の明は素晴らしいと思います。
@赤羽孝一-t3p
@赤羽孝一-t3p 8 ай бұрын
ボンネット脇にトヨタって刻印されている トヨタ車体の製造かな?
@kitanoya
@kitanoya 8 ай бұрын
記念車としての製作は昭和56(1981)年ですが、ベースの車台・エンジンは昭和25(1950)年製のトヨタの消防車だそうです。 8:06 に銘板写したのですが、経年でくすんでいるのとCOガスが怖くてビビっているのとでしっかり確認できませんでした。スミマセン。
@kamisandesu
@kamisandesu 2 жыл бұрын
運転手さんの案内がとてもユニークで絶品でした
@kitanoya
@kitanoya 2 жыл бұрын
かみさんですさん 御視聴・コメントありがとうございます。 自分が乗車したときは寡黙だけどハンドル捌きがスゴい運転士さんと陽気な車掌さんのコンビでした。色々な方がいらっしゃいますけど、四国交通さんは親切ですよね。