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テーマ:主よ、人の望みの喜びよ 高原剛一郎
1.赦しについて
2.天国
3.再臨
キーワード
新幹線、PPAP、ピコ太郎、商標登録、商標登録、花粉、PM2.5、北京は悲惨
イエスが弟子を離れた理由
メッセージ抜粋
①私達の罪を贖うため。
ラジオをしてると、一人で収録室で録音するのでリスナーの顔は見えない。だからリスナーからの手紙がくると本当に嬉しくなる。でもちょっと警戒しているのがある。名前が書いてないのは批判多い。少し前に分厚い封筒がきてた。学生時代の友人。私のことを褒めてくれてる。実はこの人は私ともう一人の友人から少なくない額を借りてドロンした人。姿をくらまして二十年以上経ってる。「君はもうての届かないところに行ってしまった」と書いてるが違和感感じる。なぜなら、彼が私から離れて行ったから。手紙だと宛先書かずに送れるから。
関係がこじれてしまうとき、両方悪いときもあるけれど、こと神と人との関係においては髪が悪いのではなく、人が神のようになって振舞った結果自分で離れて行った。そのような中では髪に喜んで立ち返って行くようなことはなかなかできない。それをするためには、髪の前に出れなくしている原因を解決しないといけない。十字架にかかって私の罪を永久処分するために一人で向かってくださった。
ある心理学者が子供達に狼少年の話を聞かせる。嘘を着いたらどれほどひどい目に会うのかという話を聞かせた後、アンケートを取ると嘘への恐怖は増えておらずむしろもっと巧妙に嘘をつこうとする。
また、ワシントンの桜の話をした後、正直であろうという話をすると、そうありたいともう人は43%増えたそう。
許しがある中では隠す必要がなくなる。神の前に出るためには、恐怖心の根底にある罪を根絶する必要がある。そのためにキリストは一人で十字架にかかられた。だから私を信じ私のあがないをうけるようおっしゃった。
②天国に連れて行くため
キリストだけが先に天に上られたのは、天国の準備をするため。一年前、義理の父が死んだ。お風呂で。まあいろんなことがあったけど、この人ははっきりとイエスキリストを信じてた。キリストを信じて亡くなった人がどこにいるのかはっきりと知っているので、私には後悔はない。やれることはやったと思う。人生の中で大ショックなことってある。大切な人をなくしたり、思いも掛けない失敗をしたり。絶望の絶は、織物の糸が途中で切れてしまったという意味がある。同時に「色糸」という意味があり、そこから派生して「このうえない」という意味がある。絶景、絶好調。この言葉には否定的な意味と肯定的な意味の両方がある。何か大きなことが起きた時、それは大ショックなことにもなるしそこから教えられて大きく一皮むけるタイミングにもなる。
起承転結の、転のシーン。転んだ後で結論がひどいものだったらみじめだけど、転んでもっと良い結末が待ってるなら希望があるのでは。キリストが天で私達の住まいを準備するために。
私の世代は、洋楽世代。ビートルズかローリングストーンズか。私の一目おいてる外交評論家の親戚がオノヨーコ。ジョンレノンが作ったイマジン。想像してご覧、天国も地獄もないって。あるのは大きく広がってる空だよ。
そうだろうか。そうは思わない。どんな悪いことしても裁きがないなら、何やったっていいじゃない。良いことを必ず報いてくださる方がいるって知ってたら、今損しちゃってもういいじゃない。苦しい現状がゴールなら、過去の歴史が苦しいもの厚めになる。でも結論が天国ならどんな道を通っても、終わり良ければすべて良し。
私が子供の頃は一家に一台電話はまだなかった。あるとき遠足で、パラパラ雨で行くのかどうか微妙な天気。どうやって確かめるかというと、朝早くに学校に行って門の張り出しを確認しないといけない。いってみると、友人が先に見た後で帰ってきて「今日ないって」と言われたので、見ずに帰りランドセルで行くと、何とみんなリュックサック。あのときのショックはいまでも忘れられない。
天国ないって信じて行きていてもこの地上では問題ない。でも死後に困る。天国ってあるんだと、後からわかっても遅い。なぜ弟子を置いて行くのか。あなた方を迎える場所を備えるため。
③再臨
「また来て」というのは、キリストがまた来るということ。いつ来るか。準備が終わったら。それは地上からは見えないからわからない。今日か明日か十年後かわからない。でも準備が整い次第、準備ができているものを引き上げ空中に引き上げてくださる。
だからこの福音集会が永久に続くと思わないで欲しい。クリスチャンが一人もいない時代が来る。そこからしばらくして、艱難時代と言われる恐ろしい七年間が必ず起きる。人口が大幅に減り、よろっぱから独裁者が現れ、キリストを信じるのが非常に難しい時代が来る。そこまで待つ必要がない。いまが恵みのときなのである。
車を新車にしてから2日後に擦ってしまった。それ以来、何回もすらんといてなと言われていらっとした。ミスして許すと言ってもやっぱ覚えてたりする。でも神は許すといったら忘れるということ。覚えないのである。
ある方に絵本の推薦本を頼まれた。こないだ「ちょっとだけ」という絵本を読んだ。2歳なっちゃん。お母さんが赤ちゃんを産んだのでお世話が忙しく、なっちゃんは今までやってもらったことを全部自分でしないといけない。でも失敗をしまくる。一生懸命一人でがんばって眠たくなってママのところに行き、「ちょっとだけ抱っこしてもらっていい?」と聞くと、「ちょっとじゃなくずっと抱っこしていいですか」と言われる。疎外感が一気に溶ける瞬間。
創造主なる方あがない主成る方は必ず迎えに来てくださる。伝道旅行に行って帰って来るとハッスルして帰って来るので、しわしわで帰って来る。いつもJRで帰って来るのは新大阪まで電車賃がかからないから。でも阪和線は階段多い。そんなとき途中まで迎えに来てくれる。
神の前にそのままの姿で戻るためには、救いが必要。でももしイエスキリストを信じるなら、どんな人でも父のみもとに行くことができるのである。
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