Bonjour Professor, ノブさんがけっこう思いやりがある人物だったというのは納得できます。ただ私の記憶が正しければ、ノブさんは始め「藤原の信長」と名乗り、すぐ誤りに気付き、「上総の守」を名乗ったが、すぐにそんな官名はないと気付き、「上総の介」としばらく名乗っていたはずです。勿論何れも”私称”です。正式の官位は従5位の下尾張の守で上洛の直前に弾正忠(弾正台のトップではありません。)を正式に許されているはずです。また諸説ありますが、今川義元は三国の主といってもたかだか70万石台の身上、上洛する力は到底ないと見ます。例の桶狭間は産業地帯である知多半島の争奪戦と見たほうが、妥当かと思われます。以上所見を申しました。私のほうが間違っているかもしれません。その時は平にご容赦願います。Au revoir