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ちんだみ:本調子(A#・D#・A#)
作詞、作曲:喜納昌吉
喜納昌吉の「花」は日本国内はもちろん、台湾、タイ、ベトナム、アルゼンチンをはじめ世界60か国以上で、多数のアーティストにカバーされている。
武器を捨て、心に花を持つことで世界平和を願う歌となっている。
・本居宣長奥墓(おくつき)について
この奥墓は宣長翁を埋葬した墓であり、翁には奥墓の他に本居家の菩提寺である新町の樹敬寺にも詣墓がある。
翁は晩年「遺言書」を認め、俗塵を離れた山気清い山室の里の妙楽寺の山内に墓所を定めた。その翌年享和元年(1801年)9月、病にかかり72歳でこの世を去った。そして、愛好して止まなかった山桜のもとに眠っている。なお、墓石の字は翁の直筆である。
奥墓の傍らには、翁の没後の門人平田篤胤の歌碑がある。
奥墓周辺は山室山神社の造営などにより、その後幾度かの改変があったが、翁の没後200年の平成13年に、「遺言書」及び「改正墳墓図」に基づく当初の姿に近い形に復元整備した。
それに伴い、明治34年の没後100年祭の事業で山室山奥墓保存会により設置された墓の周囲の石柵・石柱・花筒は、妙楽寺本堂横に移転し、保存顕彰している。また、没後150年祭に建てられた牧戸正平歌碑と十三重塔は、名古屋の門人植松有信歌碑の傍らに移転した。
・本居宣長について
本居宣長(もとおり のりなが)は、江戸時代の国学者で、医師でもある。荷田春満、賀茂真淵、平田篤胤とともに「国学の四大人(しうし)」の一人とされている。
伊勢松坂の豪商・小津家の出身である。契沖の文献考証と賀茂真淵の古道説を継承し、国学の発展に多大な貢献をしたことで知られる。真淵の励ましを受けて「古事記」の研究に取り組み、約35年を費やして当時の「古事記」研究の集大成である注釈書「古事記伝」を著した。「古事記伝」の成果は、当時の人々に衝撃的に受け入れられ、一般には正史である「日本書紀」を講読する際の副読本としての位置づけであった「古事記」が、独自の価値を持った史書としての評価を獲得していく契機となった。
(ウィキペディアより)
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