ビクター・ギリンスキー博士インタビュー

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アメリカ大使館・領事館 US Embassy Tokyo & Consulates in Japan

アメリカ大使館・領事館 US Embassy Tokyo & Consulates in Japan

Күн бұрын

在名古屋米国領事館マシュー・センザー首席領事がビクター・ギリンスキー博士にインタビュー。
ギリンスキー博士はナチスの脅威から逃れるため、6歳の時にポーランドからリトアニアへ家族とともに逃げ、アメリカをめざしますが、リトアニアを併合したソ連に行く手を阻まれてしまいます。そのような中、杉原千畝が発給したビザにより無事にリトアニアからソ連を通って、日本にわたり、ついにアメリカに無事に到着することができました。当時シベリア鉄道で移動したこと、訪れた日本でのこと、そして将来を担う現代の若者たちへ伝えたいことを話していただきました。
言語:英語(日本語字幕付き:字幕機能をオンにして日本語を選択してください)

Пікірлер: 269
@seastone.
@seastone. 2 жыл бұрын
杉原氏の発行されたビザによって救われた命があった事実は、うかがっては居りましたが、今のこの時代に、まさかその方々のお一人からお話しを聞くことが出来るとは思って居りませんでしたので、大変驚いています。このお話しを聴かせて下さった全ての方々に、心から感謝します。ありがとうございました。
@user-pf8vq7uy6o
@user-pf8vq7uy6o 2 жыл бұрын
私からも感謝します‼️
@hiroyamaguchi7304
@hiroyamaguchi7304 Жыл бұрын
まるで歴史書を読むようだとお若い方は思われるのでしょうね。 祖父は南満洲鉄道の理事をしておりました。ソ満国境のユダヤ人の移動の為に客車を出すようにと、東條英機閣下から下命があったという事でした。ドイツは同盟国ではあるが人道に鑑みて日本はユダヤ難民救命を決断した訳ですね。祖父は客車の手配に奔走して暫く帰宅しませんでしたね。我家は関東軍司令部近くの新京特別市にありました。新京駅は今思っても世界に稀なほど立派なもので、今も吉林省長春駅としてそのまま使われているようです。新京市は全戸が水洗トイレで、電柱が全くなく地下ケーブルを通っており、駅から大通りを渡った先のロータリーは一周が1km ありました。今、高齢も極まった身になりますと、懐かしく恋しく思われる生まれ故郷であります。
@diorion15
@diorion15 9 ай бұрын
東條英機はA級戦犯で、毀誉褒貶が激しい人物。あまり好意的な目では見れませんが、実直であり、真面目である。 彼や同じく戦犯である松岡洋右も、小辻節三さんを助けましたね。異邦人であっても用いられる、ユダヤ人の神のくすしき御業です、ハレルヤ。
@yocyoku
@yocyoku 11 ай бұрын
外国人にとっての日本人の印象が、「親切で礼儀正しい」というのは過去も、今も、未来も同じでありたいと思う。
@elma526
@elma526 Жыл бұрын
杉原さんのことを誰も知らず、みんな暴力から逃れるために必死でビザ発行の理由なんて考える余裕が無かったというのがとてもリアルで、逆に真実味がある。見知らぬ誰かの助けで自分が生きているのだと考えさせられた。
@tomiokawase7774
@tomiokawase7774 Жыл бұрын
私はベネズエラに入国するため、国境近くの領事館で午前中にビザをもらい、その足で国境に行ったのですが、入国できなかった経験があります。 杉原さんがビザを発給しても、日本が受け入れなければ入国できませんでした。博士は日本での経験を語られていますが、日本は博士たちを人道的にあつかったのです。杉原さんは立派ですが、彼一人の仕事ではなかったと思います。
@nao1208a
@nao1208a 11 ай бұрын
彼一人の仕事にしたいのですよ ユダヤ人やイスラエルは 理由は分かりますよね?
@user-vv3dj2rf8c
@user-vv3dj2rf8c 10 ай бұрын
日本が悪者でないと都合が悪い国があります。 自分たちが善人で居続ける為に、自分たちの行いが正義であったと示す為に、悪者が必要なんです。
@RIE8love
@RIE8love 2 жыл бұрын
杉原さんの他に樋口季一郎さん根井三郎さんも杉原さん同様命懸けで彼らを救った方々です。根井さん直筆のビザも最近発見されました。
@BOSS-vh8vo
@BOSS-vh8vo 2 жыл бұрын
樋口季一郎さんは2万人近いユダヤ人を救っていますね。軍人だったので今の日本では杉原氏のように教科書に出てきませんけどね。さらに、樋口季一郎さんに許可を与えたのが東条英機だということも表立っては出てこないのが残念な気がします。
@user-bd4ti8ps5k
@user-bd4ti8ps5k 5 ай бұрын
マスゴミの【杉原千畝氏、命のビザ】は、【大日本帝国・極悪非道】を植え付けるプロパガンダです。 領事館代理の一存で決定されるようなものではなく、【命のビザ発給】は2年前にできた大日本帝国の 《猶太(ユダヤ人)対策要網》によるものです。 また、「政府の指示に背いて外務省を解雇された」は、フィクションで、終戦前には勲五等瑞宝章を叙勲され、終戦後にGHQ統治下の外務省は機能せず、杉原ら職員の1/3が戦後2年経過後リストラされています。 《大日本帝国の国策「ユダヤ人対策要綱」により30,000人のユダヤ人を救出した壮大な物語です。》 1938年3月、関東軍樋口季一郎少佐は、オトポール駅立ち往生凍死の危機を、満鉄総裁松岡洋右に打電・救出、後、ナチスの抗議で樋口季一郎は関東軍参謀長(東条英機)の事情聴取、快諾、賛同後、同ルートでユダヤ人多数非難、1938年12月、首相、外相、蔵相、陸相、海相の五相会議《猶太(ユダヤ人)対策要網》策定で、ユダヤ人排斥なしが正式に国策に決定した。 本来外務大臣の所管だが、樋口の補佐で満州ユダヤ難民保護の方針を策定した安江仙弘大佐の陸軍大臣への進言もあり、陸軍大臣(板垣征四郎)が快諾し五相会議に提案し国策決定。 満州通過(無賃乗車)し上海の共同租界日本海軍、軍備地区虹口に、3万人のユダヤ人であふれ海軍ユダヤ人専門家、犬塚惟重大佐はユダヤ人保護に尽力(後にゴールデンブックを天皇の意思《猶太(ユダヤ人)対策要網》として断る)。 ここに登場する3人はアメリカGHQ (偽りの正義)からA級戦犯に仕立て上げられてしまう。 「ユダヤ人差別せずの国策(民族差別しない八紘一宇)」はアメリカにとって都合が悪かったのではないか。 戦犯と呼ばれた方々は関係各国に働きかけ我が国会に於いて1956年3月までに赦免,釈放、名誉回復を果たしました。 当然、靖国には「A級戦犯合祀」も無いのです。 杉原千畝が、「ユダヤ人差別せずの国策・『猶太人対策要綱』の支持に従っただけ」と証言していれば、松岡洋右、板垣征四郎、東条英機の人道主義各氏は極刑を免れたかもしれない。
@user-pi8ly8kq3h
@user-pi8ly8kq3h Жыл бұрын
貴重な証言をありがとうございました。 今だに、同じ過ちを繰り返そうとする国々がありますが、決して許してはいけません。
@asa-du5cw
@asa-du5cw Жыл бұрын
日本は、杉原さんだけでなくいろいろな人や組織、軍(樋口中将など)が彼らを助け保護してきましたが、教科書には載っておらずほとんどの人には知られていないことは非常に残念ですね。
@NealJackMe
@NealJackMe 11 ай бұрын
ビザが出されてしまうと保護しなきゃ行けないため、外務省は杉原氏にビザを発行しないように厳命しました。 杉原氏はそれに背いて発行し続けたのです。
@NealJackMe
@NealJackMe 10 ай бұрын
​@@abcdef-lk8goビザが発行されていたからですね。知らないんですか?
@NealJackMe
@NealJackMe 10 ай бұрын
@@abcdef-lk8go それは杉原氏の件とは無関係ですね。
@user-wj8hg2ui3u
@user-wj8hg2ui3u 10 ай бұрын
@@NealJackMe ビザが発行されていても日本に入る際に拒否することも可能でしたが、政府は事実上千畝を黙認していたという話があります
@NealJackMe
@NealJackMe 10 ай бұрын
@@user-wj8hg2ui3u 拒否しても、物理的に帰国の船便を手配できなければ、海に沈めるか受け入れるかしか手がないので当然の結果です。 その入管のクレームが外務省に通達されたので、外務省が杉原にビザ発給を中止するように命令したわけです。 でも杉原はその指示を無視して(入管の迷惑を顧みず)ビザを発給し続けた・・・というのが事の顛末です。
@mogurofukuzo10
@mogurofukuzo10 Жыл бұрын
杉原千畝さんが、日本人であることを、誇りに思います。
@user-lm9sy2qq6w
@user-lm9sy2qq6w Жыл бұрын
子供の頃に抱いた感慨は、純粋で本物の感情だと思う。敦賀から神戸への移動で召し上がったというお弁当。当時でも盛り付けが整って美しかったのですね。大移動かつ異国の地で、大変に疲れていたでしょうに。お弁当を前にした少年の姿が、目に浮かぶようです。
@pepsi7cocacola
@pepsi7cocacola Жыл бұрын
外国人旅行者に対する日本人の態度は、 昔から変わらず、親切、かつ丁寧だったんだな。 この伝統を変わらず維持したいものだ。
@NealJackMe
@NealJackMe 11 ай бұрын
外務省は杉原氏にビザを発行しないように厳命しました。 杉原氏はそれに背いて発行し続けたのです。
@user-ww6pg1ig3j
@user-ww6pg1ig3j Жыл бұрын
杉原千畝さんの意志を受け継いだ日本での受け入れに奔走した方々がおられました。日本人の良心が働いた事例だと思います。
@三昧
@三昧 Жыл бұрын
[彼は尋常でない状況に直面し、それに対して、善良な心と良識で立派に対応しました]の 件で、杉原千畝の人間としてブレない肝に改めて感動、感服しました。
@user-wx8ni5np4d
@user-wx8ni5np4d 2 жыл бұрын
日本に行ったら、ろくな食事もできず邪魔者扱いされてなかったか心配しましたが、お弁当やお父様が敬意を持たれ、家族旅行もできて良かったです。 6才の博士の記憶でも、家族の団らんが持てたひと時だったんだろうと思います。 頬を拭う仕草が印象的でした。
@honehone5471
@honehone5471 Жыл бұрын
日本に良い印象を持ってくているようで嬉しいです。 皆死に物狂いで小さな可能性に掛けないといけないのは辛かった事でしょう。
@mitrokhinarchives4471
@mitrokhinarchives4471 11 ай бұрын
イスラエル大使館員が、原爆は日本への罰であると発言してNHKニュースにも扱われました。 エノラゲイの搭乗員6名の内、5名がユダヤ人でした。 アインシュタインもアメリカ亡命ユダヤ人です。
@user-jn3zg3us8c
@user-jn3zg3us8c Жыл бұрын
樋口さんも忘れずに❗
@user-ey3xh1hp1e
@user-ey3xh1hp1e Жыл бұрын
日本人として、杉原氏と先人達に感謝いたします。
@NealJackMe
@NealJackMe 11 ай бұрын
外務省は杉原氏にビザを発行しないように厳命しました。 杉原氏はそれに背いて発行し続けたのです。
@user-ey3xh1hp1e
@user-ey3xh1hp1e 11 ай бұрын
もちろん存じております。日本経由で各国に亡命された方々も暫く日本に滞在して地元の日本人との交流もありました。今も楽しい思い出として語られる当事者の方もおられます。そういう先人達に感謝申し上げております。
@NealJackMe
@NealJackMe 11 ай бұрын
@@user-ey3xh1hp1e 結局「外務省」という役所と、末端日本人とでは、物の考え方が違ったと言うことなんですよね。
@NealJackMe
@NealJackMe 10 ай бұрын
@abcdef-lk8go だから「ビザが発行されていた」からですよ。
@girlishow88
@girlishow88 Жыл бұрын
日本陸軍も協力しました 沢山の力があったんだと思います ただ歴史は徐々に風化されていき杉原さんを知らないユダヤ人も多いですね 日本の教科書でも掲載されるべき
@robertkaren4668
@robertkaren4668 Жыл бұрын
ジャパンツーリストビューロー、現JTBもユダヤ人救出に多大な尽力を捧げたことも日本人は知っておくべき。 私たちは先人にならって、いつの時代も人としての良心を持ち続ける日本人でありたいですね。
@NealJackMe
@NealJackMe 11 ай бұрын
外務省は杉原氏にビザを発行しないように厳命しました。 杉原氏はそれに背いて発行し続けたのです。
@jpn_apple
@jpn_apple 10 ай бұрын
@@NealJackMe 東條英機は最終的には承諾し陸軍の協力があってユダヤ人6000人が救われたのですよ
@NealJackMe
@NealJackMe 10 ай бұрын
@@jpn_apple 東條英機の意向を知らずに外務省は杉原氏の邪魔をしたと? だとしたら命令系統がおかしいですね。 とりあえず東條英機が通達を出したソースを提示ください。
@NealJackMe
@NealJackMe 10 ай бұрын
@@jpn_apple もう1つ伺います。 リトアニア出国から日本入国への経路を考えた場合、通過したのは帝国陸軍の管轄(東南アジア方面)ではなく、関東軍(満州方面軍)のはずです。ということは、関東軍が協力したと仰っているのですか?
@kitamura5
@kitamura5 Жыл бұрын
胸に響くものがある…センザー領事閣下とギリンスキー博士に感謝!
@user-my9pg3yy1g
@user-my9pg3yy1g 2 жыл бұрын
素晴らしいお話を聞かせて頂きました。感謝いたします。根井三郎さんの研究も進むことを期待します。
@user-zv4rn3rs9q
@user-zv4rn3rs9q 11 ай бұрын
何気に忘れられがちな東條英機
@user-zc5nk2yj8y
@user-zc5nk2yj8y Жыл бұрын
事実を伝えて頂きありがとうございます。心から感謝します、ありがとうございます。杉原さんも喜んでいると思います。
@eijit7582
@eijit7582 2 жыл бұрын
素晴らしいインタビューです。ありがとうございます。Thank you for nice 👍 interview.🙏
@user-be4jp6bk4q
@user-be4jp6bk4q Жыл бұрын
画面の左側におられる、在名古屋米国領事館マシュー・センザー首席領事の表情が引き締まり、時には怖いくらいの真剣さをみせるのが印象的です
@user-po5jd6qh9t
@user-po5jd6qh9t Жыл бұрын
日本人としての矜持忘れ無い様に後世へと伝えて行きたいですね、ありがとうございます。
@user-xl7ze7yb7f
@user-xl7ze7yb7f Жыл бұрын
杉浦さんや先人の良識ある行動が今の日本の発展の礎なんでしょうね。ありがとうございます。
@user-dy7dh5gl9n
@user-dy7dh5gl9n Жыл бұрын
杉浦って誰やねん… 何も読まずに17人もlikeしたのが信じられん
@hiroshi-itou
@hiroshi-itou Жыл бұрын
私も杉本さんのことを尊敬しています。
@NealJackMe
@NealJackMe 11 ай бұрын
外務省は杉原氏にビザを発行しないように厳命しました。 杉原氏はそれに背いて発行し続けたのです。
@skage6130
@skage6130 2 жыл бұрын
ウクライナで同様の悲しい出来事が起きないよう祈っています。
@user-tm2rs9gs7q
@user-tm2rs9gs7q Жыл бұрын
杉原さんが世に知れ始めた頃って日本って割と叩かれてた時代なんだよね。 若い子は萎縮しちゃって日本を恥じていた感じもあった。 そんな時杉原さんの事を知って、日本人である事に誇りを持って良いのだと思わせてくれた。そんな方。
@PS-qc9ye
@PS-qc9ye 2 жыл бұрын
人間は、神様から魂を分けて貰っています。国、人種や民族は関係無く、本来は皆が同じ存在と思います。
@insiba8228
@insiba8228 Жыл бұрын
杉原氏だけではなく、ウラジオストクの領事根井氏(杉原氏の後輩)、敦賀市の人、小辻節三氏、神戸ユダヤ人協会、 特に小辻氏は、お金がなく、渡航先のないユダヤ人のため奔走されました。 杉原氏は、きっかけを作りましたが、小辻氏は大変だったと思いますよ。 スギハラサバイバーのユダヤ人は、杉原氏が目に見える助けてくれた人でしょうが、小辻氏がいなければ6000人のほとんどは強制送還されていたでしょうね。 オランダ大使のキュラソーヴィザや、スリナムヴィザのアイデアもおり重なり助けれた。 また、ヴィザを発行したから杉原氏が戦後外務省を退職したというわけではなく、GHQにより解体され人数調整するためという理由もあるみたいです。 また、インテリジェンスオフィサーとしての杉原氏は、超やり手。 北満州鉄道の売買について、ロシアとの交渉は秀逸です。8000万くらいロシアにまけさせたから。 また、独ソ戦、駐ドイツ大使大島浩より、ヒトラー、リッベントロップとも仲良い大島大使より早く的確に言い当てていた。 ヴィザ発行は、人情から来たことでしょうが、杉原氏の能力からすると、それだけではなく、日本の国益のことをなにより重要に思っていたと思います。 外交官として、すごく能力があった人です。
@user-ee8jj9pc9i
@user-ee8jj9pc9i Жыл бұрын
そのソ連経由のさい、樋口季一郎が果たした役割も忘れてはいけませんね。
@nar8569
@nar8569 Жыл бұрын
北海道もソ連から守ってるし、 本当に凄い人物です。
@user-gm9lh1rd4c
@user-gm9lh1rd4c Жыл бұрын
私の故郷 「伊弉諾神宮」 に樋口季一郎さんの銅像が出来ました。 素晴らしい神社です 良かったら観光にオススメです。
@user-qd6jf4xh5h
@user-qd6jf4xh5h Жыл бұрын
知らなかったです。 探してみます。教えてくださってありがとうございます。
@robertkaren4668
@robertkaren4668 Жыл бұрын
ジャパン ツーリスト ビューロー 現JTBがユダヤ人救出のために尽力したことも日本人は忘れてはなりません。
@user-iy1qc6rm5u
@user-iy1qc6rm5u Жыл бұрын
知られてませんが東条さんの了解もあったはずです。
@rx-7987
@rx-7987 11 ай бұрын
ウラジオストックから日本までの船便の手配において、HISだか・JTBだかの前身の会社に依るもの・と言うのを知った昨今、人にも 会社にも歴史があるのだな、と感動した。
@muppyqq211
@muppyqq211 9 ай бұрын
ウラジオストックから日本までの船便の手配は、1885年設立の日本郵船。
@tea8132
@tea8132 Жыл бұрын
隣町にある、杉原千畝記念館に近々行ってみたいと思います。
@emippe226
@emippe226 Жыл бұрын
Thank you for talking about your memory of Mr. Sugihara. And I'm glad to hear that our people treated your family nicely during the most difficult time of your life.
@user-wk9iw4uw2d
@user-wk9iw4uw2d Жыл бұрын
確か大手の旅行会社が受け入れから米国行きの乗船までのサポートや、米国の支援者からの送金を難民に間違いなく手渡す事迄請け負ったと聞いてます。ボランティア活動とは言え滞在中のおもてなしまでしていたとは驚きですね。
@araaraarak
@araaraarak Жыл бұрын
杉原千畝さんはピザ発給後職を失っている。 彼が命懸けで対応したことを忘れないで欲しい。
@Taaa1216
@Taaa1216 11 ай бұрын
pizza…
@nao1208a
@nao1208a 10 ай бұрын
戦勝国に賠償金を支払うために国家公務員の大量解雇がありました 杉浦さんもその一人です
@murt2286
@murt2286 2 ай бұрын
外務省の縮小で多くの官僚がクビになったからね。その一人だよ。
@user-nk7wf2ld6c
@user-nk7wf2ld6c Ай бұрын
それは間違った認識ですね。杉原さんは日本の敗戦までヨーロッパの中立国で大使館勤務されていました。敗戦後帰国して外務省を辞めたのは、占領下で外交権の無い日本では、多くの外務省職員は必要なかったからです。杉原さん以外でも多くの外務省職員が離職されました。マスゴミは日本政府が悪いって言う印象操作をしていますね。逆に杉原さんを美化しすぎていると私は思いますね。樋口季一郎中将が2万人以上のユダヤ人を救ったオトポール事件は昭和13年」で、杉原さんがリトアニアでピザを発給したのは昭和14年です。オトポール事件で日本政府が入国を認めた前例が有ったと言う事を良く理解して欲しいですね。杉原さんはそれを知っていたんです。日本政府もユダヤ人を差別しない事を国の方針として決めていた事実。多くの人に知って欲しいですね。ユダヤ人を差別しない事を提案したのは樋口中将の部下の安江大佐でした。立派な軍人が沢山いた事実を多くの人に知って欲しいですね。
@nekonohige2
@nekonohige2 2 жыл бұрын
杉原氏の偉業は後世まで称えられるべきものですが、当時の大日本帝国政府の関係者も、ユダヤ人の移動を支援したことも広く周知させるべきと思います。こうした命を救われたユダヤ人の方々の声が当時のアメリカ政府に届けば、あの残虐で戦争犯罪ともいえる東京大空襲や原爆は避けられたのかもしれません。
@ashleyw5064
@ashleyw5064 Жыл бұрын
一部の日本人領事は日本の外務省としての訓令違反を犯して人道的行為をしたけど、当時の日本はナチスドイツと同盟国だったから複雑なんじゃないかな
@NealJackMe
@NealJackMe 11 ай бұрын
外務省は杉原氏にビザを発行しないように厳命しました。 杉原氏はそれに背いて発行し続けたのです。
@aysheaiaq7321
@aysheaiaq7321 Жыл бұрын
当時の日本では在日ユダヤ人コミュニティがあって合法的に活動していて、避難民を助けていました。日本政府がそもそもそれを認めていたことがユダヤ人に対する政策を示しています。キリスト教国ではない(のでユダヤへの差別意識もない)日本では、ユダヤ人避難民への視線の違いを感じていたのでしょう。
@NealJackMe
@NealJackMe 11 ай бұрын
外務省は杉原氏にビザを発行しないように厳命しました。 杉原氏はそれに背いて発行し続けたのです。
@00ta
@00ta Жыл бұрын
Thank you for posting. I hardly knew about their living in Japan.
@impact-fm5ql
@impact-fm5ql Жыл бұрын
Thank you for uplaoding this impressive story! Just one person's decision (Mr Sugihara) saved such a lot people. Mr Suguhara did a great job. It is not well known that to let the Jewish people escaping from Europe to Japan, there are other some Japanese military persons who worked hard. Mr Higuchi is famous but TOJO Hideki, who was executed as a war criminal after the WWII, also contributed to the Jewish people entry to Japan. Nazis Germany protested to Japan for its acceptance of Jewish refugees, but Tojo strongly rejcted it.
@user-pl4gd2si9x
@user-pl4gd2si9x 2 жыл бұрын
Sugihara Visa was the policy of the Japanese government at that time, which can be seen from the fact that Lieutenant General Kiichiro Higuchi set the Higuchi route in the same way and saved about 20,000 Jews who were persecuted in Germany. There is also an example of the Japanese government saving about 800 Polish children from the frigid Siberia.
@hidonaka7976
@hidonaka7976 Жыл бұрын
胸が熱くなりました、 この件をC国人がしたようにC国博物館にC国人4人の名前を使ってるそうです。
@user-gw1xq1fl5e
@user-gw1xq1fl5e 11 ай бұрын
またそんなこと、笑うわ
@bfcapitalyou
@bfcapitalyou 5 ай бұрын
are you kidding?
@tetsuzannagata7876
@tetsuzannagata7876 Жыл бұрын
At that time, after crossing the Soviet Union and reaching the Manchurian border, the refugees were welcomed into Manchuria, transported to Harbin by Manchurian Railway, rested, then transported to the US concession in Shanghai, or allowed to enter Japan. The Kwantung Army and the Manchurian Railway cooperated. Japan had a military alliance with Germany, but because the Japanese government was against racism, it steadfastly rejected German protests about accepting Jewish refugees. This escape route was pioneered by Kiichiro Higuchi, Chief of the Japanese Army Harbin Special Military Agency, and Hideki Tojo, Chief of Staff of the Kwantung Army.
@北陸のトド
@北陸のトド 10 ай бұрын
ユダヤ難民の事で思い出すのは、敦賀の遠縁のじいちゃんがいってた事  ちょっと長いですが多くの人に知っておいて頂きたい  多分インタビューで言ってる敦賀ー神戸の間の話だと思うのですが、難民の子供が林檎を欲しがったそうで、それを同僚Aが見てかわいそうに思って購入して渡そうとしたそうです  そしたら上役に、足のくるぶしを蹴られて 「お前はここに居る全員に施しができるのか」 と怒られたそうです  ならばとその人は、じいちゃん達に声をかけてお金を集めてたくさん林檎を買いしめようとしたらしい  じいちゃんも叔母さんが生まれたばかりで気持ちが分かったから金を出そうとしてたら、さっきの上役にAが呼ばれて戻ってくると紙袋一杯の林檎を持ってたそうです  上役曰く「貴様らとは(給料の)もろてる額が違うんじゃ」との事で、林檎は部下達に配らせて上役はそのままその場を離れたそうです  林檎を渡すとユダヤの人は一口かじると次の人に渡して行ったそうで、じいちゃんは 「あの人らはどんな事があっても仲間意識を持ってた 大したもんやった」 って生前に行ってました 俺は上役もAさんも難民の方も素晴らしい人やと思います
@sakuyat.3424
@sakuyat.3424 Жыл бұрын
当時の戦争の事はその場にいた人にしかわからない、と常々思っています。だからと言って思考を放棄する と言う事ではなく、どうすればより良い世界を作り、存続させる事が出来るかと言う事を学べる機会でもあ ると思っています。 杉原千畝さんもきっと当時は悩み、葛藤した事だろうと思います。それでも大国の脅威に晒されている人々 にビザを発行し、極限までそれを続けた事に対して敬意を持っています。助かった方から当時の様子を聞く ことが出来て本当に良かった。ありがとうございます!
@user-qk4tn1do4e
@user-qk4tn1do4e Жыл бұрын
感動しました
@yoshikosmile1
@yoshikosmile1 2 жыл бұрын
Thank you so much for listening such an invaluable interview.
@user-mj6zh6lg8k
@user-mj6zh6lg8k Жыл бұрын
日本は、人に対して敬意を払う国、そのように国を、特に明治以降、作って来たので、そこに来て頂けて良かったです。
@NealJackMe
@NealJackMe 11 ай бұрын
外務省は杉原氏にビザを発行しないように厳命しました。 杉原氏はそれに背いて発行し続けたのです。
@user-mj6zh6lg8k
@user-mj6zh6lg8k 11 ай бұрын
@@NealJackMe さん まあ、曖昧ではあるかも知れないけど、発行するなとは言って来たでしょうね。一応同盟国の要請ですから。 が、「そなたらが良いと判断したのであれば、朕は反対しない」として、締結された同盟ですから、陛下の意向に背く行為かどうかを考えて杉原氏は行動したと思いますよ。
@NealJackMe
@NealJackMe 11 ай бұрын
@@user-mj6zh6lg8k 外務省の意向を国の意向と受け取らない外交官などいませんし、戦後一方的に外務省が罷免した現実を誤魔化すことは出来ないと思いますが。 まぁ、外交に置いて、外務省と国の中枢は全く逆の意見で、戦後も2000年まで国の中枢が名誉挽回をしないのは、ごく普通のことなら別ですけどもね。 あなた(およびあなたと同系列の)人達の、史実のねじ曲げって凄いなと思っています。これ、単純に「外務省が非人道だった」だけの話ですからね。
@user-jh1bh2pu3j
@user-jh1bh2pu3j 10 ай бұрын
杉原千畝さん,樋口季一郎さん,根井三郎さん,自分が死んであの世にいきましたら,ゆっくり,教えを乞いたいです…😊
@ryoichishiraishi9177
@ryoichishiraishi9177 Жыл бұрын
肌の色が何色であろうが、宗教が何であろうが、体の中に流れている血の色はこの地球上の人間全て同じ色です。本来、日本人は杉原千畝氏同様に寛大な国民の集団なのですが、若干そうでない人も戦争や戦と言う名前の出来事で少々目立った輩も沢山存在しました。因みに、杉原氏を捉えた映画の一つは我同業者の作品でした。監督である彼も日本人とユダヤ系アメリカ人のハーフです。
@NealJackMe
@NealJackMe 11 ай бұрын
外務省は杉原氏にビザを発行しないように厳命しました。 杉原氏はそれに背いて発行し続けたのです。
@user-fr2iy7tf5z
@user-fr2iy7tf5z Жыл бұрын
当時は日本通過のビザすら持たない難民も日本海を渡る船に乗船していて、人道上放置するわけにもいかず、最終的には全員日本に上陸させたそうです。 また、通過ビザの期限内に渡航先が見つからない場合は延期ができるよう尽力した人もいたとか。 ドイツと同盟関係にあった手前、国として表立って支援するわけにはいかなかったようですが、裏では、先行してアメリカへ避難したユダヤ人のネットワークの活動もあり、日米開戦ギリギリまで難民輸送は行われていたとか。
@unachannel9917
@unachannel9917 11 ай бұрын
是非日本に遊びに来てください。 杉原さんは、その後ヒーローにはなれなかったけど、今はその功績を認められました。良いか悪いか心に尋ね、よけりゃどこまでもやり通した方でした。
@nao1208a
@nao1208a 10 ай бұрын
一人の外交官が勝手にビザ発給しても入国はできません バカでもない限り本国(日本)と連絡取り合って進めますよね?
@takakuro8144
@takakuro8144 Жыл бұрын
自動翻訳に感謝し、弁当をたべたい。
@renji_todoroki
@renji_todoroki Жыл бұрын
自分を含めてその当時の寛容さとでも言うべき精神は既に失われつつあると感じている。 取り戻したいよね、その当時の日本の精神を。 Including myself, I feel that the spirit of tolerance that can be called at that time is already being lost. I want to bring back the Japanese spirit of those days.
@NealJackMe
@NealJackMe 11 ай бұрын
外務省は杉原氏にビザを発行しないように厳命しました。 杉原氏はそれに背いて発行し続けたのです。
@MARONFROST
@MARONFROST Жыл бұрын
命のビザの方々は一度日本に滞在されれ居たんですね。知りませんでした。 ちなみに、当時の日本はドイツと関係を深める一方で、ユダヤ人政策に関しては基本的に親ユダヤを貫きました。 杉原は、外務省の受給基準を満たしていない人々に多数のビザを発給したことを理由にクビになりました。 時期としては1940年、日独伊三国同盟締結を目前としていたことも退職の一因かもしれません。 一方でその2年前、樋口中将ルートでは2万人のユダヤ人難民が脱出に成功しました。 この際も日本は防共協定を結んでいたドイツから抗議を受けましたが、上司であった東条英機は「当然なる人道上の配慮によって行った」と一蹴しました。
@tetsuzannagata7876
@tetsuzannagata7876 Жыл бұрын
杉原千畝氏が外務省を首になったのは戦後のことで、日本の外交権がなくなり、外務省の外交官は大量リストラを余儀なくされてしまいました。 杉原氏は、リトアニアの領事代理という下級外交官であったので、リストラ対象にされたのでしょう。 独立回復後に、外務省が杉原氏を再雇用して、外交官に起用すればよかったのでしょうが。 戦後しばらくは、ユダヤ系難民を助けた杉原氏や元ハルピン特務機関長の樋口氏も、社会的に評価されていなかったです。 特に、ハルピン特務機関長(最終階級:北方第5方面軍司令官 陸軍中将)の樋口氏が、ユダヤ系難民の脱出に関わっていたことは、国内では何故か無視されていたようです。
@nao1208a
@nao1208a 10 ай бұрын
原子爆弾投下されるまでは特にユダヤ人を敵視はしていなかったので日本経由でのアメリカは邪魔する気などはなかったですね ただユダヤはその仁義を外しましたね
@murt2286
@murt2286 2 ай бұрын
通過のビザだったけど、行き先が決まるまでは滞在を許可してた。特に出ていけとか言わなかった。政府もグルだよ。
@user-tr9yq6yn5e
@user-tr9yq6yn5e 10 ай бұрын
in the rescue of the Jews. While Sugihara's accomplishments are outstanding, many people are unaware of the achievements of Kiichiro Higuchi, Lieutenant General of the Army. Even after Japan signed the Instrument of Surrender on the battleship Missouri and the war ended, He continued to fight the Soviet forces in South Sakhalin. This meant that he prevented the Soviet forces, which had broken the Nonaggression Pact and entered the war against Japan, from landing on Hokkaido. ユダヤ人の救出において 杉原氏の功績は素晴らしいが、樋口季一郎氏(陸軍中将)の功績を知らない人は多い。 また樋口季一郎氏は日本が戦艦ミズーリで降伏文書に署名し終戦を迎えても南樺太でソ連軍と戦闘を継続していた。何を意味するかというと不可侵条約を破り対日参戦してきたソ連軍の北海道上陸を阻止した。
@user-re7xu1or2y
@user-re7xu1or2y 8 ай бұрын
杉原千畝氏の人類博愛主義の行動が何十年たとうと今活きる人間にも意味を考えさせられる!
@user-zq4bj6lc1f
@user-zq4bj6lc1f 10 ай бұрын
自分は杉原さんが82才のドキュメントを見ましたがどうやらユダヤ人から直接的間接的感謝がないようで ヤッパリその様な民族と確認しました、数千人助けてあげたのにどこからも感謝がない、寒気がします。
@nao1208a
@nao1208a 10 ай бұрын
感謝どころか原子爆弾研究開発しましたね
@papicotarou994
@papicotarou994 Жыл бұрын
確かに杉原さんを認識して逃れた事はないでしょうね、あくまで戦争が終わりそこで始めて杉原さんが国の政策に反してビザを発給した事がわかり評価されたのですから。 ですがちゃんとその事を覚えていてくれて杉原さんの業績を日本人以上に記憶してくれたのはとてもよかったです。
@user-cy5ys6zp2q
@user-cy5ys6zp2q Жыл бұрын
杉原千畝さんのビザ発行という行為は、当時の「日本国の政策に反してなんていません」よ。 ビザを持っているからといって、日本への入国を許さないという事もできたはず。 なのに日本に入ることを認め、その後、彼らを第三国へ逃したのは「日本政府(東條英機)」です。
@user-ko2qt9rw8o
@user-ko2qt9rw8o 11 ай бұрын
その通り。日本政府はちゃんとわかってて、ユダヤ人を助けてますよ
@z.833
@z.833 Жыл бұрын
杉原氏に発行されたビザで日本に渡り、そこで恋愛し結婚して女の子が生まれた。彼女は杉原氏がいなければ私は存在していなかった、と言ってました。あの頃は皆さんが渡った先の神戸にコーシャフードの食料品店が何件かあったらしいですね。
@ooamisannmu7690
@ooamisannmu7690 Жыл бұрын
1919年の人種差別撤廃案を否決したのも迫害を受けることになった 米政府の責任は?
@user-ch7oh5wt4c
@user-ch7oh5wt4c 2 жыл бұрын
日本人の気質は今も戦前もかわっていません。 信念を貫くのは並大抵の苦労ではありませんがそれでも日本人正しいと信じる事に突き進む精神力がある。 だから、人に対して温厚なのです。 しかし、理不尽さ等我慢の限界に達したら二度と許すことはしません。 世間では何の役に立っていないであろう私でさえ、命をかけて守るべきものを守る為に戦います。 この精神力が怖いのでしょう?
@ebony-whangdagobi5195
@ebony-whangdagobi5195 2 жыл бұрын
そうです。だから太平洋戦争でぶっ潰し再起不能にしたのです。
@NealJackMe
@NealJackMe 11 ай бұрын
外務省は杉原氏にビザを発行しないように厳命しました。 杉原氏はそれに背いて発行し続けたのです。
@akihikoito9782
@akihikoito9782 Жыл бұрын
杉原千畝さんは強い信念を持った立派な人でしたが、その背景に日本国がユダヤ人保護を決めていた事を忘れてはいけません。ギリンスキー博士の証言の通り、避難してきたユダヤ人に対する日本の対応は個人の意思によるものではなく国家としての対応です。日本の対応にドイツ外務省は激怒しましたが、東条英機は人道上の問題だと歯牙にもかけませんでした。東条英機がA級戦犯となったのは戦勝国のエゴイズムです。日本は何時までも戦勝国が作った偽りの歴史に基づく洗脳教育から解き放されるべきでしょう。
@KA-qr7lc
@KA-qr7lc Жыл бұрын
今も続いている米国の占領政策、またそれにポチの如く従う岸田とニセ保守自民党によって日本国の体制も精神も解体されてますね…もっと国民は正しい歴史を学び日本人として誇りを持つべきですね。
@NealJackMe
@NealJackMe 11 ай бұрын
外務省は杉原氏にビザを発行しないように厳命しました。 杉原氏はそれに背いて発行し続けたのです。
@diorion15
@diorion15 9 ай бұрын
まさにその通り。日本はアメリカの奴隷じゃない!戦争を放棄した国として、#中東問題 の架け橋になれるハズです! 自分は幕末〜明治の日本人を尊敬しています。とりわけ、杉原千畝さんと同じくキリスト者だった新渡戸稲造先生。新渡戸先生はアメリカと日本の関係が悪化してもなお、両国の仲を取り持とうとしました。 日本がキリストの目に適った国になりますように。アーメン!
@dibetasoratobu4750
@dibetasoratobu4750 4 ай бұрын
昔海外に住んでたけど、この事ってあまり知られてないんだよね。ユダヤ人に何度か聞いたけど、みんな知らないって言ってたし。 インタビューも「Tsujihara」って言ってるし、関心のある人少ないんだね。
@user-qf4sx3fp1c
@user-qf4sx3fp1c Жыл бұрын
聞きたかったですが、和訳して下さい。🤗
@nao1208a
@nao1208a 11 ай бұрын
画面下に小さく和約が書かれてるよ
@user-jy4fc2pm3m
@user-jy4fc2pm3m 11 ай бұрын
アメリカの大富豪だったメラメット氏も所持していた模様。もう10年なるかな。戦後になって、はじめて、敦賀市へ来た模様。センチメンタルジャーニーですかね?
@user-td9pk7bz6k
@user-td9pk7bz6k Жыл бұрын
動画投稿👍
@user-jh1bh2pu3j
@user-jh1bh2pu3j Жыл бұрын
感動して,涙が止まりません😭
@toruwatanabe8649
@toruwatanabe8649 2 жыл бұрын
日本はユダヤ人にビザを発行することを認めていました。
@kitamura5
@kitamura5 Жыл бұрын
ユダヤ人?それがどうした?ビザその他と何の関係ない話だ 杉原氏らがこういう考えだからこそたくさんの人々が日本へ行けた
@mitrokhinarchives4471
@mitrokhinarchives4471 11 ай бұрын
エノラゲイの搭乗員6名の内、5名はユダヤ人でしたね。 恩を仇で返されました。いつも通り。
@NealJackMe
@NealJackMe 11 ай бұрын
外務省は杉原氏にビザを発行しないように厳命しました。 杉原氏はそれに背いて発行し続けたのです。
@toruwatanabe8649
@toruwatanabe8649 11 ай бұрын
外務省はビザ発行を禁止していないという説もあるようで。
@NealJackMe
@NealJackMe 11 ай бұрын
@@toruwatanabe8649 資料(電報文面)が残っているので、その説は嘘ですね。
@ymca69
@ymca69 10 ай бұрын
気概のある良識 日本人は いなくなりました。
@user-ui5or1ih7n
@user-ui5or1ih7n 9 ай бұрын
日本は、ユダヤ人とも交流ありますぞ😊🕊
@user-ko2qt9rw8o
@user-ko2qt9rw8o 11 ай бұрын
日本のテレビは「日本政府の意向を無視して杉浦さんが独断でピザを発行した」ように編集しますが、当時ドイツと同盟を結んでいた日本政府は表立って良しとしなかっただけです。杉浦さんが発行したビザ認めないで軍を動かして入国禁止することもなく、本土を通過させて出国まで安全を確保したのに、政府が関与していないわけがないでしょう。個人の英断話にとどまらず、そろそろ当時の日本も再検証してほしいですね。
@NealJackMe
@NealJackMe 11 ай бұрын
外務省は杉原氏にビザを発行しないように厳命しました。 杉原氏はそれに背いて発行し続けたのです。
@user-ko2qt9rw8o
@user-ko2qt9rw8o 10 ай бұрын
@@NealJackMe 政府は許可しない。個人的に発行するならばしろってやつだったはずです。同盟上、政府としても個人の勝手ということにして逃げたのはズルいですが、戦後、杉浦千畝さんは外務省に戻れてます。自分で責任を取ると言って、やめていたはずです。
@NealJackMe
@NealJackMe 10 ай бұрын
@@user-ko2qt9rw8o 外交官=政府公認なのに何言ってるの? 個人がビザ出せるわけないでしょ。
@NealJackMe
@NealJackMe 10 ай бұрын
@@user-ko2qt9rw8o それにね、個人の自由に任せたなら、なぜ戦後に外務省は杉原氏を一方的に罷免したり、その後在籍自体を無視したりしたの? あなたの言ってることは、その後(戦後)の外務省=政府の行動と大きく矛盾してますよ。
@user-ko2qt9rw8o
@user-ko2qt9rw8o 10 ай бұрын
@@NealJackMe 政府が表立って許可してないことを勝手にやったら閑職なり、なんらかの対応処罰はあって当たり前では?本音と建前はどこでもあります。では、逆に本気で政府の関与はなかったと思ってるんですか?当時、政府の意向を真っ向から無視してこの程度で済むと思っていますか? あと、一方的に罷免してましたっけ?人事異動と辞表提出だと記憶していました。記憶違いならすみません。
@user-ov6zp5zp3w
@user-ov6zp5zp3w Жыл бұрын
国益とはこういう事を言うのだろう
@user-xc7un1jg5n
@user-xc7un1jg5n Жыл бұрын
このような時代に、行動を起こした杉原さんは、日本の宝です。 当時、難民を助けたことに協力した人物は、東京裁判にかけられた東條他多くいます。 日本人が、いかに凄い民族であるかが証明される出来事です。
@NealJackMe
@NealJackMe 11 ай бұрын
外務省は杉原氏にビザを発行しないように厳命しました。 杉原氏はそれに背いて発行し続けたのです。
@animac151
@animac151 10 ай бұрын
ユダヤの方々は立派に出世なさって、それにつけても杉原さんは気の毒でありました
@user-et6qr7im9e
@user-et6qr7im9e Жыл бұрын
キリン好きーに見えてめっちゃビール好きなのかと思った
@user-jx7rx3tm2m
@user-jx7rx3tm2m Жыл бұрын
杉原さんは外務省の役人である前に日本帝国陸軍だった 要するに日本軍がユダヤ人を助けるように指示していたのであって、杉原さん個人の英断ではなかったそうだ
@kyhmd4557
@kyhmd4557 Жыл бұрын
デマもいいとこです。 もう少し勉強しましょうね 杉原千畝が陸軍にいたのは一年志願兵という優秀者用の兵役の間だけ。 最終階級が少尉なのは、最終試験合格者イコール少尉だから。 また、陸軍が特定の領事館でビザを大量発給させることに政治的、軍事的意味がありません そもそも「カウナス領事館は外務省直轄だったので、(大原中将が大使だった)リガ大使館の影響下に入らずに済んだ」という杉原本人の書簡も残っています ちなみに近衛文麿は昭和13年、在外公館にこんな訓令を出しています 「ドイツ、イタリアから排斥をうけ外国に避難する者(ユダヤ人の事)を受け入れる余裕は戦中の日本には無い。絶対に本土にも植民地にも入国させるな」
@NealJackMe
@NealJackMe 11 ай бұрын
外務省は杉原氏にビザを発行しないように厳命しました。 杉原氏はそれに背いて発行し続けたのです。
@user-jx7rx3tm2m
@user-jx7rx3tm2m 11 ай бұрын
@@NealJackMe 外交官ではなく軍人だったからね
@NealJackMe
@NealJackMe 11 ай бұрын
@@user-jx7rx3tm2m 大きく勘違いしていますよ。杉浦千畝は軍人ではありません。
@user-jx7rx3tm2m
@user-jx7rx3tm2m 11 ай бұрын
@@NealJackMe あれ?知らないのか? 杉原が陸軍の軍人だった証拠が見つかったんだけどね
@izumo3377
@izumo3377 10 ай бұрын
時代背景から考えても稀有な存在だったのではないかと思う 当時の外交官の士族、侍感覚の外交官、日本人の存在を確認できた 現代では垂秀夫在中国日本国大使館大使が思い浮かぶ。。。。位ですね。
@user-rg8qk6mp1y
@user-rg8qk6mp1y 10 ай бұрын
日本では「友邦ドイツの意に背いてVISAをギリギリまで発給し続けた杉原に、日本国外務省は極めて冷たい処遇を執りましたね。 リトアニアには【命の恩人】に対する感謝を示す記念碑が建っていますが、日本では彼自身もそのことを口にすることも無くひっそりと暮らしたようですね。
@user-qt5ri4hc2f
@user-qt5ri4hc2f Жыл бұрын
いつもありがとうございますjapon先人(にほんじん)pensamiento-indepedecia-europapeopl(infulente-not-europa-cultura)gracias?
@user-qf4sx3fp1c
@user-qf4sx3fp1c Жыл бұрын
折角ですが、日本語訳があるとよく伺えたのですが!和訳を付け下さい。🙇🤗
@heartsutra7798
@heartsutra7798 Жыл бұрын
字幕の設定で自動翻訳の表示が可能です。
@user-kw9qq1jm9r
@user-kw9qq1jm9r Жыл бұрын
日本は魔法の国の様でした 人々は親切で敬意(或は善意)があり、弁当の盛付け(或は風景)の美しいこと… その80数年後に来日した何百万の人々も、その80数年前に来日した者も同じような事を言うw 国民性の基本は早々変わらない(変われない) 80数年前の彼の幼少期の断片的記憶と後の大人の会話の記憶しかないでしょうが、彼らはまず満州へたどり着き、そこから日本の支援金と手配で日本本土へ来られたのでは有りますまいか
@simohayha107
@simohayha107 Жыл бұрын
日本は帰国したそんな杉原を冷遇したけどな。日本人というより杉原個人や彼に接した人が素晴らしかった。
@user-cy5ys6zp2q
@user-cy5ys6zp2q Жыл бұрын
冷遇…なのかな? 戦後、職に復帰させないことで「彼を守った」という面も、実はあるのかもしれません。 彼はロシアから「persona non grata」された人物だった。 世界を舞台にした、彼の工作的な活動を知っていたから。 兵士(兵学校)時代の彼の上官は「東條英機」だった事は、写真資料から明白。 そして、彼がユダヤ人に「ビザを発給(=日本入国を許可)」できたのも、そのビザを持ったユダヤ人たちを「実際に日本に入国」させて、その彼らを ここから「第三国に逃した」のも、東條英機ら「日本政府」 杉原千畝という人物を知れば知るほど、戦後の日本国の中枢に戻せなかった理由というのもわかる気がするのです。
@mitrokhinarchives4471
@mitrokhinarchives4471 11 ай бұрын
1944年に勲章を授与されているのにですか? 年金も受給しているのに冷遇? 冷遇の根拠はどこにありますか?
@user-zd3df8gw3z
@user-zd3df8gw3z 9 ай бұрын
杉原が生きていたら、間違いなくパレスチナに杉原ビザを出していたと思うよ。恩を仇で返すなよ。
@wagamamadad1844
@wagamamadad1844 Жыл бұрын
外の世界と仲良くしなけりゃやってけない国、じぃちゃんはこうした費用を負担するべく10人の子供たちが腹を空かせていても必死に働いて税金を払った。100年昔から。いつの時代でも宣伝広告費っていうのは金がかかるもの、でもそれが必要なものとして評価されるのは100年後。いつだって今頑張るしかないじゃん。
@macau_live
@macau_live Жыл бұрын
くだらない紛い物政党の罵り合いの動画見るんなら、この動画見ろと言いたい。
@user-ne5vk4yu3g
@user-ne5vk4yu3g 11 ай бұрын
スギハラアダチと閣議決定
@NealJackMe
@NealJackMe 11 ай бұрын
外務省は杉原氏にビザを発行しないように厳命し、杉原氏はそれに背いてビザを発行し続けました。戦後外務省は一方的に杉原氏を罷免し、その後の問い合わせにも(当時杉原性は3人しか在籍していなかったのに)「外務省には過去も現在も該当の人物は在籍していない」と無視し続けました。戦争が終わろうが、役所の中の人が換わったわけではなく、過去の厳命に背いた事への嫌がらせを続けたのです。 杉原氏が河野外務大臣によって正式に名誉回復が成されたのは2000年になってです。
@miwanaga2794
@miwanaga2794 8 ай бұрын
ガラスの十代 聞いた?
@worldwatcherjpn
@worldwatcherjpn Жыл бұрын
杉原氏が一人だけでユダヤ人を救えたわけではない。日本国は国家としてユダヤ人を保護する事をちゃんとに決めていた。アメリカ人が処刑した東条英機によってね。そろそろ歴史を正しく教えてもいい頃だと思いますよ。
@NealJackMe
@NealJackMe 11 ай бұрын
外務省は杉原氏にビザを発行しないように厳命しました。 杉原氏はそれに背いて発行し続けたのです。
@NealJackMe
@NealJackMe Жыл бұрын
千畝さんを排斥し続けた日本外務省ってなんなんだろうな。
@knj0410
@knj0410 Жыл бұрын
害務省だな。
@mitrokhinarchives4471
@mitrokhinarchives4471 11 ай бұрын
どんな排斥でしたか? 1944年に勲章を授かっていますが?年金も。
@NealJackMe
@NealJackMe 11 ай бұрын
@@mitrokhinarchives4471 1944年の叙勲は、ビザ発行とかとは全く別のそれまでの功績による物だ(1945年が終戦だから物理的にあり得ない)。 戦後外務省は「杉原千畝という人物は存在しない」と返答し続けていたことを知らないのな。 日本国政府による公式の名誉回復が行われたのは、2000年10月10日だ。 ウィキペディアのサムネだけ読んで判ったつもり乙。
@NealJackMe
@NealJackMe 11 ай бұрын
@@mitrokhinarchives4471 ウィキペディアを全文読んで確認すらしないかもしれないから、要約しておく。 杉浦千畝は大変優秀な外務省役人で、戦前・戦中は多大なる功績を収めて、1944年には受勲している。 しかし第二次大戦末期、在任中のリトアニアでの現状を見た時に、ヒューマニズム的な見地から、それまでの功績&国(外務省)からの評価を顧みず、「日本外務省からの度重なるビザ発行を止めろという命令と叱責」を無視し続けて、リトアニアを離れなければいけない、その汽車が駅を離れる瞬間までビザを発行し続けた。 外務省は戦後もこの「命令違反」を重く見て、実質嫌がらせで「杉浦千畝」の外務省在籍を無視し、リトアニアやユダヤ関係者からの(感謝の意を表するための)再三の在籍確認に対し「杉浦千畝は過去も現在も在籍していない」と突っぱね続けた。正式に日本政府(外務省)が謝罪(名誉回復)したのは戦後55年経った2000年だ。 シンドラーも偉いが、シンドラーの動機は「安い労働力の確保」が発端だが、杉浦千畝は最初から命を救うために、自分が国から排斥されるのを覚悟の上で行動を行ったのだ。 お前みたいな奴に何を言われようとも顧みず、ね。
@mitrokhinarchives4471
@mitrokhinarchives4471 11 ай бұрын
@@NealJackMe 日本の敵 グローバリズムの正体 著者 馬淵睦夫 あまりに不自然だった「杉原千畝ブーム」 P158  馬渕:私かユダヤ問題に興味を待ったきっかけの一つは、 イスラエル在勤中に「杉原千畝の命のビザ」旋風が突然、日本とイスラエルに吹き荒れたことでした。 1940年の第二次大戦中に、リトアニアのカウナス日本領事代理だった杉原氏が、 ①日本政府の命令に背いて日本通過ビザを発給したおかけで、六千人のユダヤ人が生き延びることができたが、 ②杉原氏は訓令違反によって終戦直後、外務省を解雇されたという物語です。 しかし調べてみると、二点とも、事実に反していることがわかりました。  当時の日本外務省の杉原宛訓令電報では、日本通過ビザ発給には最終目的地の入国ビザを持っていること、 および最終地までの旅行中の生活を支え得る資金を保持していることの二点が条件でした。 これらは通過ビザの性格上よくある条件で、日本政府がビザ発給を拒否したわけではありません。 また、杉原氏は戦後占領下で外交事務が激減したのに伴う人員整理の一環で1947年に退職し、 退職金もその後の年金も支払われていますからビザ発給を理由にした解雇ではなかったのです。 杉原氏はカウナス領事館閉鎖の後も順調に昇進し、 1944年には日本政府から勲章(勲五等瑞宝章)まで授与されています。  ウソに基づく美談が作られ、マスコミがこぞって取り上げ、ドラマ化されたり、教科書の副読本になったりと、 大フィーバーが起きました。 杉原氏が、与えられた困難な状況の中で、日本政府の訓令に反しない範囲で、 人道的配慮を尽くしたことは賞賛されるべきですが、 なぜ、日本政府がユダヤ人へのビザ発給を拒否したとの虚構が捏造されたのでしょうか。 日本政府をどうしても反ユダヤの悪者に仕立て上げる筋書があったと勘繰られても仕方がありません。  渡部:杉原千畝がサインしても、日本政府が許可しなければ外国人は入国できませんから、 政府の基本政策に反していなかったのは明らかでしょう。  馬渕:実務の観点からすれば、本国政府の訓令に反してビザを発給することは無意味です。 なぜなら、本国の命令に反して不正に発給されたビザを持っていても、政府は必ず入国を拒否するからです。 外国人の入国を認めるか否かは国家の独占的権限であり、領事館など出先機関の裁量に任されているのではありません。 杉原氏もこれを当然知っており、ビザを発給できたのは、日本政府がOKしたからです。 しかし、真実を明らかにすると、杉原氏に与えられた「諸国民の中の正義の人」の顕彰に該当しなくなってしまう。 この「正義の人」とは、自らの生命の危険を冒してユダヤ人の命を救った人に与えられる賞であり、 イスラエルのホロコースナ記念館(ヤドバッシェム)から、杉原旋風の前の1985年にすでに贈られていたものです。  渡部:美談の形成に杉原一族は関わったのでしょう。  馬渕:結局、大きな流れに乗ってしまったのではないでしょうか。 杉原夫人は、『六千人の命のビザ』(大正出版)という本を書いて、 日本政府の命令に背いてビザを出したという虚構に便乗しました。  渡部:けしからんですね。クビになったのを恨んだのでしょうか。  馬渕:そのように言われますが、実際は、占領下で外交官が必要なくなってしまったために、 大勢が人員整理されただけのことです。  渡部:外交権がなくなり、大使館も閉鎖されたわけですから。  馬渕:日本政府の命令に反して解雇されたのなら、勲章をもらうことなどあり得ません。 私か心配なのは、杉原氏をダシにして、日本政府は反ユダヤだったというウソが、 今後も世界のメディアと日本のメディアに、繰り返し流される危険かあることです。 2013年9月、ミュージカル「SEMPO 日本のシンドラー杉原千畝物語」が新国立劇揚で再演されましたが、 なぜこの特期なのか、気になります。TPPとのからみで、 安倍政権にはやはり、陰に陽に大きな圧力がかかっているのではないか。 杉原旋風は、日本がプラザ合意で円高を呑まされ、 アメリカ資本の要求で日本市場を開放する日米構造協議が始まった時期と重なっていました。 日本政府は悪者だというキャンペーンが、いつまた蒸し返されるかわからないのです。  渡部:外務省は杉原問題でも及び腰でした。 これから、かつての日本政府の立場を正しく説明する役割を誰が担うのか、はっきりさせないといけません。  先の大戦中に政府の正式な決議でユダヤ人を入国させた唯一の国であることとあわせて、 もっと世界に宣伝すべきでしょう。  馬渕:おっしゃる通りで、耳が痛いですが、外務省がこのような発信をする気があるかどうか不明です。  渡部:バカじゃなかろうかと思います。一番重要なことじゃないですか。  馬渕:外務省の主流派は親米ですから、アメリカを気にして、越えてはいけない一つの枠があるのだと思います。 それは不文律で、空気に支配されている。 私も、歴史の真実を最大限利用すべきだと思っています。 そのためには、ユダヤ人と日本人の関係をもっと強くしなければならないでしょう。
@user-xh1ve4iy9d
@user-xh1ve4iy9d 10 ай бұрын
プーチン大統領に見て欲しい動画です!
@user-xg8zr2yb1q
@user-xg8zr2yb1q 6 ай бұрын
面白いな 片や人道😅方や同盟 私にはいい加減が怪我の巧妙さ ジユウの運命にジユウの神様がさ主人公は実に何だなガハハハハ解るよな靖子産めよガハハハハ演るか
@nix0849
@nix0849 Жыл бұрын
世界中で杉原氏だけの功績となった風潮だが!実際には一外交官の決断でそんな簡単な事ではなく彼一人の功績では全くない!! 戦後の戦勝国のただ一方的な東京リンチ裁判で数々を処刑した中の東條英樹のご決断がなければ事実上実行される事はなかった!! 誰も史実に元ずいた正しい歴史を勉強しない事は悲しい!
@NealJackMe
@NealJackMe 11 ай бұрын
外務省は杉原氏にビザを発行しないように厳命しました。 杉原氏はそれに背いて発行し続けたのです。
@nix0849
@nix0849 11 ай бұрын
@@NealJackMe そんな事より 文章は読んで理解をしていますか?
@NealJackMe
@NealJackMe 11 ай бұрын
@@nix0849 当然ですが何か?
@NealJackMe
@NealJackMe 11 ай бұрын
@@nix0849 もし外務省は杉原氏のビザ発給に好意的だったのなら、なぜ戦後一方的に罷免したのですか?GHQの意向ですか? そして、その場合2000年になるまで日本政府から名誉回復されなかったのもGHQの意向ですか?
@nix0849
@nix0849 11 ай бұрын
@@NealJackMe 何が当然? 史実は認知されてませんが!
@maki-ly9bp
@maki-ly9bp Жыл бұрын
この話って、今の日本人が完全に失くしてしまったのが悲しいですよね 自分さえ良ければ良い、そんな醜い考えが はびこる残念で醜い日本人
@user-cg7hw1yf8k
@user-cg7hw1yf8k 10 ай бұрын
なんだか不自然な日本語ですね。
@mmarch1395
@mmarch1395 Жыл бұрын
日本人が、とか日本がとかいうように考えたいのはヤマヤマですが、実際には日本政府の方針に反して、敢えて発給したビザなわけであり、だからこそその功績は外から指摘されるまでスルーされていたわけでね。実際に功績が世に出るまで彼は冷遇されたんじゃなかった?😅 要は、彼が当時の日本人には普通にやれないことをしたという事で、それがすごいって事かと。
@alittlecablecar8857
@alittlecablecar8857 Жыл бұрын
関わったばかりに悲惨な老後の杉原氏
@nykrd4335
@nykrd4335 Жыл бұрын
コメントしてる人のほとんどがインタビュー聞いてなさそう。
@user-cy5ys6zp2q
@user-cy5ys6zp2q Жыл бұрын
良く聞いていたからこそ、戦後 語られることが憚(はばか)られてきた「当時の杉原千畝さんや日本政府のことについて」皆さんが語っておられるように、私には見えます。 聞いてなさそうに感じますか?
@nobuhironakai8645
@nobuhironakai8645 Жыл бұрын
今の入管庁なら殺されてるところです。
@user-yf2wm5tc3v
@user-yf2wm5tc3v Жыл бұрын
なぜそう思うのですか?
@nobuhironakai8645
@nobuhironakai8645 Жыл бұрын
わたしの知る限り3人殺し、無数に殴ってますが?。
@purimadonnanamamoritamae
@purimadonnanamamoritamae 11 ай бұрын
それは自分達に都合が良い映像だけを流す左派メディアの印象操作です。 殴ってではなく正確には乱暴に暴れるのを「押さえつけて」です。 公金大好きの支援団体や公金大好きな弁護団体が「摂食を拒否し病気になったら日本に居られる」と入れ知恵を言っていた証拠の部分だけをカットされています。 他にも同様の手口の入れ知恵のせいで亡くなった人は何人かいます。 よって、左派メディアがどんな印象操作しようとも、虚偽捏造なので普通の日本人は問題視しません。 何故その様な事を支援団体がやるかと言うと、そういう⇒違法難民が沢山長く居てくれれば国からの公金が入って来るからです。 そもそも、戦時中にビザをちゃんと取って入国した人達と、現代での日本の富にあやかりたい、他人(他国)の税金を詐取したい為に不法滞在目的で入国した人達と、戦時中にビザを取って合法的に入って同列に扱う事自体がおかしな話だし、その話を持ち出すあなたは怪しい人です。 違法に不法滞在している人には、その国においては人権はありません。権利は、その国の国籍所有者だけのものです。これは世界共通で、これを知っておくべきです。 まるでK国人やC国人の戦後混乱期の間だけだったはずの「永住許可」未だ利用し、挙句に生活保護を受け取っていて、日本人が貧しくなっているのにも関わらず、平気で当たり前の様に日本に食らいついて「差別ガー」と言っている人達の妬み辛みを強く持ち、平気で虚偽捏造をし詐欺を正当化する人達の同様の思考に感じられて、ちょっと笑ってしまいました。😂 失礼🙏
@NealJackMe
@NealJackMe 11 ай бұрын
外務省は杉原氏にビザを発行しないように厳命しました。 杉原氏はそれに背いて発行し続けたのです。
@user-cg7hw1yf8k
@user-cg7hw1yf8k 10 ай бұрын
左翼の人権団体がハンガーストライキ等をすすめて間接的に殺しているようですね。
@meronmeron9592
@meronmeron9592 Жыл бұрын
英文でなんて翻訳入れないで、日本人に見せるなら日本語翻訳せよ。 英語の分からない人は観る権利が無いのか!
@user-cy5ys6zp2q
@user-cy5ys6zp2q Жыл бұрын
日本語訳で動画 観られますよ
@brookvoid
@brookvoid Жыл бұрын
右上の⚙️押して「字幕」押して日本語を選択してね^_^
@user-sl6ym2zu3v
@user-sl6ym2zu3v Жыл бұрын
アメリカに嫁いだ娘の相手はユダヤ人です。大変素晴らしい家族で杉原千畝外交官の事をご存じでした。これを知った時私は杉原千畝元外交官を大変誇りに思いましたが、彼の晩年はあまりにも酷い物でした。日本へ帰国後杉原千畝外交官は政府の指示に従わなかったと言う事で外交官の職を失いました。偶然にも藤沢市鵠沼松が岡の我が家の斜め向かい側に杉原千畝元外交官は住んでいらしたそうです、その後鎌倉にお引越しをされたそうです。6000人もの命を救った英雄を日本政府は命令に背いたと言う事で杉原千畝元外交官を首にしました。酷い話です。杉原千畝元外交官が6000人もの命を救ったにもかかわらず政府から酷い目にあわされたお話はもっと日本人が知るべきでしょう。
@user-cy5ys6zp2q
@user-cy5ys6zp2q Жыл бұрын
杉原千畝さんが「どのような任務を遂行していた方なのか」私を含め、他の方々のコメントをお読みになることをお勧めいたします。 今の日本よりも縛(しば)りがきつかった戦前・戦中の日本で、彼ひとりの意志だけで「日本国に大量のユダヤ人たちを入国させる(=ビザを発行する)」ことなど可能だったとお思いですか? 戦後、彼を日本国の中枢に戻すことが出来なかった、それには十分すぎるほどの理由があると、私は思うのです。 ちなみに、彼の兵士(兵学校)時代の上官は「東條英機」です。
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