【BS11】偉人・敗北からの教訓「第66回 丹羽長秀・忠誠を尽くした織田家との対峙」2024年11月2日放送分見逃し配信

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全国無料テレビ BS11

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Күн бұрын

Пікірлер: 21
@佐田ふみっち
@佐田ふみっち 7 сағат бұрын
こんなにクオリティーの高い番組を無料で見られるなんて。
@kenniwa3080
@kenniwa3080 7 сағат бұрын
丹羽の名を苗字にもつ自分にとっては、ご先祖様を取り扱っていただけて嬉しかったです。 ご先祖様の生き様と教訓をもとに、人生を邁進しようと思います。
@SS-kh2ep
@SS-kh2ep 7 сағат бұрын
好きな武将が丹羽長秀と竹中半兵衛だから、取り上げてくれるのが嬉しい。
@北川裕治-l4g
@北川裕治-l4g Күн бұрын
長秀も光秀を討ってるんだから、もう少し評価が上がってもいいのに。清須会議をラストに名前が消えてしまうのは残念。
@おかポン太郎ー0kaponTarou
@おかポン太郎ー0kaponTarou 7 сағат бұрын
信のおける友人や部下ってなかなかいないよね。 でも一人では大業はできない。貴重な人。
@ガウ-l7l
@ガウ-l7l 7 сағат бұрын
丹羽長秀 お名前は知っていたのですが、詳しく知らなかったので 素晴らしい人なのが理解できてよかったです
@賢司-e1x
@賢司-e1x 3 сағат бұрын
本能寺の段階で既に秀吉には抜かれていたと思うが。
@etsuotakahashi4559
@etsuotakahashi4559 4 сағат бұрын
丹羽長秀は幸運だった。織田信長・羽柴秀吉の行動気質は二人共信長型+家康型 の戦略家で長秀との関係は一目惚れ型。気質が合う。又柴田勝家は闘将で一目惚 れの関係。前田利家も信長型なので長秀は最高の気質の合う人間関係の中にいた。 自分がトップを狙わない限り信長・秀吉の下では何をしても居心地が良い。 しかも実務能力がある。 明智光秀と対峙した時長秀と同じ行動気質の幽斎・右近・清秀・順慶も皆秀吉に ついた。勝家についても良さそうだが秀吉についた。 この気質の特徴はここぞと言う時の戦略判断を間違える。普通判断ができず躊躇 する気質なのだ。秀頼・景勝・氏政・竜興をみればよく理解できる。 なぜ秀吉にとなるが当時の秀吉の戦力が光秀の戦力を圧倒していたのだ。 躊躇する気質の武将たちが秀吉と判断できるほどの戦力差だったのだ。 丹羽長秀の気質で戦国を生き抜けた武将は少ない。 天下に号令できたのは秀頼だけ。 長秀は戦国を良く生き抜けたと評価出来る。 身の丈に合わせるが行動気質からみた最高の生き方になります。 気質の合う人々に取り巻かれ長秀は幸せな一生でした。
@taro59677
@taro59677 7 сағат бұрын
いつの時代も有能な武将は、畳の上で生涯を閉じてると思う。敗北じゃなくて時流にうまく乗って生涯全うした武将だと思う
@篠平才斗
@篠平才斗 4 сағат бұрын
個人的には長秀はあんまり敗者って感じは無いな。織田家は一応秀信ルートで残るだろう(実際には秀信は早死にしてしまうが、彼の死より先に長秀は死んでいる)事は確認出来たし、秀吉の能力は買ってたろうから「まあ奴がトップになるのはしょうがねえな、織田家は残るし悪くはない」って思ってたんじゃないかなって。
@kazu5222
@kazu5222 4 сағат бұрын
コツコツと得意な事を…それを見て評価してくれる上司で良かった👏やっても見る目がないとね…😅
@masao750
@masao750 2 сағат бұрын
米五郎左ですから信さんの悪童時代からの親友みたいな立場か。誰もいない二人だけの時は五郎左、兄貴と呼び合っていたのでは?。 ですから大切な自分の安土城作りを任せ、近くの要衝の番場の宿に城を与えた。
@seyheykid660
@seyheykid660 2 сағат бұрын
フロイス史観に基づいて神戸信孝を持ち上げてるから、津田信澄の扱い悲惨だなあ。。。
@mgail5328
@mgail5328 Сағат бұрын
CGの丹羽長秀が、どうしても俳優の小日向文世さんに見えてしまう
@pontarou01
@pontarou01 3 сағат бұрын
二本松藩の少年隊は会津の白虎隊と並び称されるべき
@cancan5892
@cancan5892 5 сағат бұрын
交渉、情報収集、情勢判断力何事もそつなく万能にこなす長秀は、信長の幼い頃からの縁もあり大いに彼に重んじられた。しかし信長の死後秀吉の勢力が増して行くのを阻まず、最後はその陣営に入る。柴田勝家のように秀吉と対抗せず従ったのは、彼自身自分の力量を自覚していたからのように感じる。有能だが自ら率先して先頭に立つより、そういうリーダーを補佐しブレーン的に支える。得意の築城術や調略が、それだろう。歴史上の人物は歴史を動かす者に注目が集まりがちだが、彼らを支える優秀な周囲の人の力により偉業を為しているものだ。清洲会議やそれ以降秀吉の行動に口を挟まない姿勢、本能寺の変直後最も京に近い住吉にいながら自ら兵を鼓舞し進軍しなかったのも、こういう自身の才覚、冴えの無さを自覚していたからのように思われる。自身の家中での出世より、信長亡き後の家臣の団結が肝要だと思ったのだろう。ヒーロー像とは正反対の地道で着実な思考、行動は退屈にも思われるが、こういう人物が我々一般的人間の大部分の姿でもある。
@erikasono565
@erikasono565 5 сағат бұрын
長秀にしてみれば、天下静謐を実現しうるのは信雄ではなく秀吉だというのと共に、自分が仕えてきたのは信長であり、信雄や織田家ではないという気持ちもあったのでは? 家に仕える、主君が亡くなれば、その息子に仕えるのが当然、主君の家を絶対的に守るというのが定着したのは江戸時代で、戦国時代には下剋上も多かったし、自分の家や家族を守るために主君を変えることもしばしばあったのではないかという気がします。 - 私も、指導教授がご存命の間は、教授にはやはり何かとお世話にはなっているから、教授自身にもこなせない無理難題を押し付けられたとか、研究員にしてくれる約束を反故にして無給で使い潰されたとか言いながら従っていましたが、教授が亡くなり、残った研究員に私の研究業績を取り上げられ、あからさまに将来的にも仕事は一切与えずに利用できるだけ利用する、みたいな態度を取られたら、さすがに離反します。 そこまでされたら、私としても、自分の得意分野、身に着けた能力、研究成果を高く評価して買ってくれる人のもとに走るしかないではありませんか。 ましてや長秀の場合には、家族も家臣もいたわけでしょう? 信雄は信長とは異なり、小物だったようだから、天下をとれる人物ではないと思われたのと同時に、長秀としても、信雄には嫌な思いもさせられたのではないでしょうか。記録に残っていないだけで。 - 私の場合には、あまりにも長く無給研究員的に使い潰されてきたから、研究員には採用しない、給与は払わないといっても、いまさらその研究成果をどうしようもないから、無償で彼らに提供すると思ったのではないでしょうか。 そんなことはありません。(笑) 教授が私に建て替えて購入するように言いつけた資料は、研究には不可欠だけれど、私が購入したものだから、研究所はコピーすら持っていない。これがなければ、私から研究成果を取り上げようとしても、間違った成果しか出せないから、いずれにしても恥をかくだけです。 そして私は、元の研究所が私の研究成果を無視するのであれば、研究成果を応用できる他の研究所のために応用できる分だけ応用して貢献するということで私の研究成果を売り込み、あとは少しずつ別口で発表することを考える。 - 我々のような特殊な分野の研究ですら、給与が支払われて正式な雇用関係にあるのではないのなら、あとは要は個人的な人間関係で繋がっているだけで、給与も支払われないのに、自分に敵対して研究業績を取り上げて利用できるだけ利用してやろうとする人間に無償奉仕しなければならない理由はどこにもないもの。 長秀は、世知辛い戦国時代に生きた武将ですよ? そして彼の能力、得意分野は、私の研究のように、応用が利きにくいものではなく、当時の戦国武将ならだれでも欲しがったものなのでしょう? それで裏切られないと思っていたのだとしたら、信雄は甘すぎます。 ****** 長重の場合には、関ヶ原で西軍に与し、東軍の利行と戦って改易されたが、築城技術が評価されて10万石大名として復活したとのこと。 ですがこの背景には、秀吉、家康両者が他の大大名を抑えようとする力配分が働いていたような気もします。 長秀亡き後、秀吉が長重の所領を123万石から4万石に減らしたのは、長重が大大名の器でなかっただけではなく、秀吉としては、自ら憧れていた丹羽家123万石の勢力をそいでおきたかったからでは? 同様に家康は、丹羽家の勢力伸長を警戒するのと共に、大大名の前田家をも警戒していた。実際、利行の謀反を疑って取り潰そうとした挙句、実母のまつを江戸に人質として出させていますよね。 - 家康にしてみれば、共に豊臣家重鎮だった丹羽家と前田家が結託し、北陸で一大勢力を築いて幕府に反旗を翻したら一大事。 だからまず西軍に与したことを理由に丹羽家を改易し、次いで前田家の謀反を疑い、まつを人質に取る一方で、血縁関係を何重にも結んで親藩扱いにし、丹羽家にも得意な築城技術で幕府に奉仕させて取り込み、これでもう安心だという時点で、やっと10万石の藩として復活させたのでは? - 我々の世界でもよくあります。 実力が素直に評価されると思ってはいけない。こいつは自分にとって代わると思われたら、どんなことをしようとしても潰そうとしてきますよ。 本当に実力があるわけではない小物で、政治的立ち回りがうまいだけで出世しようとする輩ほど、そういう傾向が強い。 - そういう輩を相手に、媚びを売って自分もうまい汁を吸おうとするやり方は私は好きではありません。 そんなことをしていたら、今の自民党と同じ。どろどろの関係になり、何が真実か、何が本質かわからなくなり、いつか一挙両断のもとに切り捨てられます。 それよりは、不遇な時期があっても、本当に実力のある人に、自分の得意分野で地道に仕えた方がいい。 - 長重が西軍に与したのは、もしかしたら、長秀が織田家を裏切ったことで悩む姿を見ていて、自分は豊臣家を裏切るまいとしたのかもしれません。 でも、秀吉が生きている間ならともかく、光成や淀殿に取り巻かれた秀頼よりは、家康こそ天下を収める器だと判断したから、誠心誠意、秀忠、家光にも築城術で仕えようとしたのでしょう。 その意味では、浮き沈みがあるように見えて、丹羽家は意外に堅実で、他の織田家家臣、豊臣温故の大名などと比べても、賢く戦国末期を生き抜いたと言えるのではないでしょうか。
@またぐなよビシビシ行くぞ
@またぐなよビシビシ行くぞ 7 сағат бұрын
そんなこと言ったら、ほとんどが、、秀吉の格上。光秀もどこのもんか、実は分かりませんよ。信長以外の主人なら2人とも、出世してない。丹羽に関しては、織田家の中でも、それほど上ではなかった。イメージで柴田のちょっとしたみたいなイメージだけど、そうではない。本能寺の変の前くらいは、織田家では、光秀 秀吉。柴田。滝川の方が丹羽より上だった。秀吉はすでに、大幹部ですし。もし織田家じゃなく、当時の石高あれば、すでに大大名でした。
@carpcarpcarpcarp
@carpcarpcarpcarp 7 сағат бұрын
柴田勝家が先だろ
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19:33
Wait for it 😂
00:19
ILYA BORZOV
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Triple kill😹
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GG Animation
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бабл ти гель для душа // Eva mash
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EVA mash
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Wait for the last one 🤣🤣 #shorts #minecraft
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Cosmo Guy
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ILYA BORZOV
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