第1484回「臨済禅師と学僧の問答」2025/1/29【毎日の管長日記と呼吸瞑想】| 臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺老師

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Engaku-ji: a Zen temple of Rinzai school

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臨済禅師と座主の問答が『臨済録』のはじめにあります。
岩波文庫の『臨済録』から入矢義高先生の現代語訳を参照します。
「次に座主が問うた、
「三乗教や十二分教など仏の教えの一切は、すべて仏性を説き明かすものではありませんか。」
師「そのような道具では無明の荒草は鋤き返されはせぬ。」
座主「しかし仏がまさか人をだますようなことはなさるまい。」
師「その仏は一体どこにいる!」
座主は無言。
師「お前は常侍殿の前でこのわしをあざむこうとするのか。退れ、退れ!ほかの者の質問の妨げになる。」続けて言った、
「今日の集まりは仏法の根本義を究明するためである。質問のある者はもういないか。いればさっさと出て来い。
だがお前たちが口を開いたとたんに、もうそれとは無縁だ。
なぜかといえば、釈尊も『仏法は文字を離れている、因にも属さず縁にも依存しない』と言われているではないか。
お前たち自身の信念不足のために、こうして無用な論議に落ちこむのだ。
こんなことでは常侍殿や諸役人に累を及ぼして、仏性を一層わからなくさせるばかりではないか。
わしもここらで引き下がった方がよかろう。」
そこで一喝して言った、「信念の欠けた者はいつまでたっても埒のあく日はない。立ち通しでご苦労だった。」」
というものです。
座主というのは、「禅家の方から教家の人を指して言う」言葉です。
今日座主というと、天台座主などという宗派を代表する高位の僧を尊称して使う言葉です。
岩波書店の『仏教辞典』には、
「本来は一座の主または高座(こうざ)の主の意で、中国で、人々の主、学解にすぐれた人、寺の上首を称した。
日本では天台宗の管長の称となり、854年(斉衡1)円仁(えんにん)が座主に任ぜられて後、江戸時代まで勅旨によって任ぜられた。」
と書かれています。
この『臨済録』では仏教の学問を修める僧であります。
この問答では、お互いの立場の違いがはっきりされています。
座主の立場では、三乘十二分教という経典は、仏になる為の道筋を説いた尊いものであり、仏とはその道を成就した素晴らしい存在として崇めているのです。
三乘とは、声聞・縁覚・菩薩の三乗の教えであり、十二分教は古来インドで仏典を叙述の形式や内容によって十二種に分類したものです。
しかし臨済禅師の立場は全く異なります。
三乘十二分教についても『臨済録』の中で、「三乗十二分教も、皆な是れ不浄を拭うの故紙なり。」と説かれています。
「一切の仏典はすべて不浄を拭う反古紙だ。仏とはわれわれと同じ空蟬であり、祖師とは年老いた僧侶にすぎない。」というのです。
山田無文老師の『臨済録』(禅文化研究所)には、こんな逸話が説かれています。
「白隠の時代にもこういう男がおったということじゃ。お経を破っては便所へ行って尻を拭きよる。便所の下がお経だらけになる。どうも体裁が悪うていかん。みなが注意をすると、「なあに構うもんか。俺は仏だ。あんなお経なんぞ、紙に書いたものではないか。尻を拭いたってどうもならん」と、
いっこうに言うことを聞かん。
みんなが持て余しておったが、このことが白隠の耳に入って、呼びつけられた。
「おまえはお経で尻を拭くそうじゃが、そうか」 「ハア」「なぜそういうことをするか」「わしが仏でござるから、お経なぞ反古みたいなものです。仏であるわしが反古のお経で尻を拭いたって何ともありますまい」
「ほう、そうか。ではその仏さまの尻を反古なぞで拭いてはもったいない。これからは白い紙で拭いてさしあげなさい」。
白隠にそう言われて参ってしまったという話がある。」
というのであります。
「荒草曽て鋤かず」を入矢先生は、「そのような道具では無明の荒草は鋤き返されはせぬ。」と訳されています。
主語を三乘十二分教とみたのです。
しかし、臨済禅師自身を主語とみると意味合いが変わってきます。
「私は無明の煩悩など、除いたことはない」という意味になります。
証道歌に「絶学無為の閑道人、妄想を除かず真を求めず、無明の実性即佛性、幻化の空身即法身」と詠われているのと同じ心境であります。
漢文は主語が省略されていることが多く、何を主語とするかによって、意味が異なります。
三乘十二分教を主語にするのは、無著道忠禅師の註釈にあることです。
入矢先生も主語を臨済禅師自身とすることも考察されながらも、相手が低次元であるから、それに合わせて「そのような道具では無明の荒草は鋤き返されはせぬ。」と訳されたようであります。
小川隆先生は『臨済録のことば 禅の語録を読む』(講談社学術文庫)で
「相手が低次元であるからといって、その相手の低調に応じた答えであるよりも、「やはり、留保も制約もなく、その信ずべき一点を断固として非妥協的に言い切ったもの」と説かれていて、ここのところは、
「わしは雑草を鋤いたことなどない(煩悩を除いて仏性を明かすという経論の説は、所詮、第一義ではありえない)」と訳してくださっています。
そして更に臨済禅師は「君たちがもし仏を求めたら、仏という魔のとりこになり、もし祖を求めたら、祖という魔に縛られる。君たちが何か求めるものがあれば苦しみになるばかりだ。あるがままに何もしないでいるのが最もよい。」
と説かれたのでした。
「你若し求むること有れば皆な苦なり。如かず無事ならんには。」
というのです。
外に向かって尊い仏や法などを求めたら、それこそ迷いなのです。
あるがままの無事が一番だと教えてくださっています。
臨済禅師と座主の問答から臨済禅師の教えがどんなものなのかよく分かってきます。
 
 
横田南嶺
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