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法話「供養する心とは?」真宗大谷派僧侶 高科 修 師
23:36
【2024年 報恩講にあたって】宗務総長メッセージ
5:11
Сестра обхитрила!
00:17
So Cute 🥰 who is better?
00:15
REAL or FAKE? #beatbox #tiktok
01:03
Try this prank with your friends 😂 @karina-kola
00:18
法話「報恩講」は、なぜするの?真宗大谷派僧侶 高科 修 師
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お坊さんの小話(法話)~浄土真宗~
Күн бұрын
Пікірлер: 38
@善に生きる
2 жыл бұрын
ありがとうございました。感謝致します。南無阿弥陀仏 合掌
@buddhism_japan
2 жыл бұрын
善に生きる様 ご視聴、コメントありがとうございます。 南無阿彌陀仏 合掌 高科修
@小林律子-h5t
2 жыл бұрын
今日も、良いお話しありがとうございます、よくわかりました、今迄報恩講を 当然の様におつとめを してましたが、分かりよく聞かせていただきました、ありがとうございます
@buddhism_japan
2 жыл бұрын
小林律子様 ご視聴、コメントありがとうございます。 報・恩・講… それぞれの文字が持っている意味(願い)、そして3つの言葉がつらなって1つになった言葉の意味(願い)。 小林律子様におかれましては、さらに深い思いで報恩講をお勤めされることであると有り難く思っております。 ありがとうございます。 合掌 高科修
@風のフジ丸-u4d
2 жыл бұрын
ありがとうございます よく理解できました。
@buddhism_japan
2 жыл бұрын
風のフジ丸様 ご視聴、コメントありがとうございます。 南無阿彌陀仏 合掌 高科修
@toshi-jii
3 жыл бұрын
今回も良いお話を聞かせていただきました。 考えさせられました。 ありがとうございます。
@buddhism_japan
3 жыл бұрын
とし爺様 ご視聴、コメントありがとうごさいます。 報と恩と講。 まわりを見渡して、気がつきさえすれば、毎日が報・恩・講です。 合掌 高科修
@kinangsong_khamphanhungieu1694
3 жыл бұрын
very good video
@buddhism_japan
3 жыл бұрын
Thank you! 合掌 高科修
@真言宗僧名博雲伊藤弘
2 жыл бұрын
南无阿彌陀佛 🙏📿😊
@buddhism_japan
2 жыл бұрын
真言宗僧名 博雲 伊藤弘幸様 ご視聴、コメントありがとうございます。 南無阿弥陀仏 合掌 高科修
@てんとう虫-m3g
3 жыл бұрын
親鸞聖人の恩に報いるお講と思っていましたが、腑に落ちました。ありがとうございます。 お手次寺の報恩講の世話役を一昨年勤めました。我が在所で家の周り順で世話役を代々してきましたが、「当番で今年お願いします。」と頼みに行ったところ「何でそんなこと!する義務無いやろ」と一蹴されたことがあります。亡くなった両親から教えてもらって無かったのかな、と憤りを覚えたことがあります。また、相続講にしても志を集める役員さんも、「あんたの家、十分に積み立ててあるからする必要が無いのに。」とも言われました。なんか勘違いされている人が多いな、と思う昨今です。
@buddhism_japan
3 жыл бұрын
てんとう虫様 ご視聴、コメントありがとうごさいます。 私を含めた僧侶の怠慢が、てんとう虫様に、世話役をなされることによって「憤りを覚え」さすことになってしまっていると深く反省しております。 私ども僧侶は、やはり人一倍言葉を尽くしてお話をしていかねばならないのです。 たとえクドく思われても。 たとえ面倒がられて聞いてもらえなくても。 どんな小さな事でも、仏事・寺・その成り立ち・歴史・仏事をする訳等々を言葉を尽くして語って行かなければならないのです。 てんとう虫様。 大変不愉快な思いをなされた事、浄土真宗の僧侶の末席を汚す者として、お詫び申し上げます。 ごめんなさい。 合掌 高科修
@てんとう虫-m3g
3 жыл бұрын
@@buddhism_japan 高科修様 そんな風に思われたら、こちらこそごめんなさいです。小さいころからお仏壇に祖父母が念仏申しているのを見たり、朝のお勤めが終わったあと下げられた「おぼくさん」を手づかみで食べたりを当たり前のようにして、仏様を身近に感じていたんでしょうね。そういう体験が多いか少ないかの差かなと思っています。
@しろくま-v6q
3 жыл бұрын
高科様 いつもありがとうございます。 今回のお話も目から鱗が落ちました。 歴史の浅い北海道では各々の門徒宅というよりは、お手次のお寺で報恩講のお参りをする風習があり、 ここ6~7年お参りさせていただいております。 1年で一番大切な法要だというのは聞かされていました。親鸞聖人の御命日を迎え真宗をお開きなった ご恩に感謝することだけが意義だと思っていました。 私がお世話になっていますお寺さんはちょうど来週の26日~28日が報恩講で、明日24日は 報恩講前の境内清掃と幕掛け、お磨き、内陣整え、旗掛け、おけそく作り、仏花立て等で朝からに行きます。 ここ6年ほどお手伝いさせていただいていますが、境内清掃もお磨きも賑やかにワイワイ言いながら 楽しいひと時となっております。 門徒どうしが笑いながら愚痴を言いながら集うだけでもとても有り難い機会を頂いたと思います。 普段の永代経やお彼岸だけでなく、報恩講が開祖親鸞聖人に感謝するだけでなく、皆が集い語らう場所を 大切にした事がわかりました。 ありがとうございました。 合掌
@buddhism_japan
3 жыл бұрын
しろくま様 共に1つの法要を勤めるために…集い、語らっていく。 まさに、報、恩、講そのままですね。 ワイワイガヤガヤ、あーでもない、こーでもない。 微笑ましい姿が目に浮かびます。 しろくま様のお話に、心あたたかくさせて頂きました。 ありがとうごさいます。 合掌 高科修
@ちゃんぴー-x4b
3 жыл бұрын
本日も有り難うございます。 「和を以て貴しとなす」お手次寺での帰敬式で法名を頂いた時のことを思い返しました。 当時の私は、介護が必要となった母と仕事の両立、介護と向き合わない姉兄との付き合い方に疲弊し、自分でも心が荒んでゆくのが解りました。誰とでも仲睦まじく、愛され、感謝を忘れないようにと両親が願い名付けた「睦」と大きくかけ離れてしまった自分に気付きながらもどうすることも出来ず、帰敬式に臨みました。 その時に、この「和を以て貴しとなす」から釋尼妙和と法名を頂戴しました。 両親から願いをかけられた名前と、仏様から願いをかけられた名前。 どちらも自分一人では、何一つ成り立たないのだな、と気付かせて頂きました。 「報恩講」私にとっては、毎日であり、全てです。
@buddhism_japan
3 жыл бұрын
ちゃんぴー様 『「報恩講」私にとっては、毎日であり、全てです』 そのお言葉に… 深い敬意と尊敬を感じます。 「毎日の報恩講』 この深く大切な自覚を肝に命じます。 ありがとうごさいます。 合掌 高科修
@中村友子-n4t
3 жыл бұрын
私は今年の夏父を亡くしました。恥ずかしながら自分家の宗教もなんか仏教やな、くらいで知りませんでした。父の死で真宗大谷派と知り今年初めての報恩講に参加します。行く前に意味を知れて良かったです。 ありがとうございます。
@buddhism_japan
3 жыл бұрын
中村友子様 ご視聴、コメントありがとうごさいます。 中村友子様。 ぜんぜん恥ずかしいことではありません。 みんなそんなもんです。 大丈夫です。 今は知っているのだから。 動画が間に合って良かったです。 南無阿彌陀仏 合掌 高科修
@BEAM202.
3 жыл бұрын
【編集者様】 今回の法話、多くの編集が入ってましたね。 滞ることなく自然に法話が流れるように編集された、 その後の「作品」しか、我々視聴者は見れませんが、 その作業は、文字入れより遙かに大きな労力だと想像します。 いつも、お陰様でございます。 概要欄の目次も、ありがとうございます。 1つ、追加注文させて下さい。 高科住職の法話は、まくら・序論・本題・核心・まとめ、 そんな流れが多いと思います(他の単語でもいいんですけど) これらをカッコ書きで、目次に追加してください。 ちょっとした心配りですが、2回目以降の再視聴の時に、 かなり有効になるはずです。例えば、下記の様に。 11:55(本題)報恩講ってなに?の話② 12:47(核心)竹林の根と、人々の繋がり 何分何秒で、どのように区切るか、悩み処でなんしょうね。 【ご住職、皆様】 ・お経と正信偈 ・作詞;親鸞、 作曲;蓮如 ・コロナ禍が終わろうとしてる今だからこそ。 上記の小生のリクエスト(?)にお応え頂き、 ありがとうございます。なんとも光栄です。 それこそ、昔は(高度成長期前?)、インターネットはもとより テレビ等の娯楽も無かったので、講と言う寄り合いの場は、 寺院を中心とした社交場でもあり、町内会や、 娯楽の意味合いさえあったんでしょうね。 貧しいけど、さぞかし、心豊かな時代だったと想像します。 そんな中で、報恩講も自然と行われてたんでしょうね。 報恩講の一般的な下記の説明、 >親鸞聖人の命日、真宗で最重要、云々... 小生も、同じく思ってたので、重要視できてませんでした。 高校卒業後に実家を離れ、故郷が遠い地になったため、 菩提寺との縁は、兄の命日(8/11)に合わせて頂いてる、 住職のお盆参りだけ、になってしまってました。 長期休暇(正月・GW・盆)の帰省に合わない報恩講は、 お恥ずかしながら、参加できた記憶がありません。 何とか策を考えねば... 来年に実家の取り壊しと、仏壇の移動を考えてます。 幸いにも、在住市内に高田派のお寺がありまして、 ご挨拶に伺い、今後をお願いしたところです。 鈴木@新潟 50歳 P.S. さすがに仏教伝来が「韓国経由」と聞かされると(8:35)、 違和感がありますので、「朝鮮半島」でお願いしますね。 それと、聖徳太子と仏教の関わりを知る人は少なく、 一般には、旧紙幣の肖像「国の長」のイメージだと思います。 .
@buddhism_japan
3 жыл бұрын
202 BEAM様 ご視聴、コメントありがとうごさいます。 「追加注文」 「注文」意味… まず最初に掲載されている意味は、種類・寸法・数量・価格などを示して、その物品の製造や配達・購入などを依頼すること。また、その依頼。とあります。 次に、人に依頼したり、自分が希望したりするときにつける条件。とあります。 202 BEAM様。 たぶん意識なさらずにお使いなのだろうかとご推察いたしますが「注文」は違います! 私ども「チーム高科」は、ご視聴してくださる皆様に、出来るだけ分かりやすくご理解して頂けるように工夫することには手間隙は惜しみません。 出来るだけ視聴される方の負担にならぬようにチーム全体で気を配っております。 しかしながら「注文」されるいわれはありません。 「お坊さんの小話」のサイトは「うどん屋」でもなければ「定食屋」でもありません。 さらに…202 BEAM様からお代やお布施を頂いておるわけでもございません。 「注文」と言う表現はお門違いでございます。 それを言うなら… 「お願い」です。 それを言うなら… 「ご依頼」です。 間違いの無いように。 次に、 お釈迦様は「一切は苦(ドゥッカ)である」と発見されました。 苦(ドゥッカ)の本質は「不満」と言うことです。 人間はどこまで行っても満足しない「不満」の連続なのだと。 言い換えるなら「一切は不満である」と。 「人間には完全な満足というものは絶対にありえない」と。 202 BEAM様の「要望」はその「不満」であります。 要望と言う名の不満です。 ご自覚なさっておいででしょうか? 次から次へと、202 BEAM様ご自身の不満が増えていることを… 1つ要望が叶うと… その次にまた1つ。 それが叶うと… また1つ… 「みんなのため」と言いながら、それは202 BEAM様ご自身の「限りない不満」で御座います。 そのことも加えてご指摘させていただきます。 そしてこれが肝心なお話です。 ここからが… 「まくら」も… 「序論」も… 「本題」も… 「核心」も… 「まとめ」も… それぞれに意味があります。 核心だけを何回聞こうが核心だけ聞いていても、その真の核心にはたどりつけません。 まくらが理解でき、または、序論が府に落ちて、初めて頷ける核心なのです。 それこそ、だてに法話を組み立てているのではありません。 本来法話とは、始めから終わりまで通しで聞くものです。 ある意味その方法が、その法話を理解するためにもっとも合理的な方法です。 面倒に思えても、非効率的で、合理的にみえなくてもです。 202 BEAM様も研究をなさっており、教鞭をとっておられるのなら、よくご存知かとご推察いたしますが、答え・結果にたどり着く事は大切です。が、最も大切なのは、その答え・結果にたどり着く「過程」です。 「過程」を飛ばして答え・結果だけを見ても真の答え・結果は見えてきません。 202 BEAM様も学生たちに、過程などどうでも良い、答え・結果だけがわかれば良いと教鞭をとっているわけではないと思います。 法話も同じです。 いえ!法話だからこそ、「過程」が大事なのです。それが法話の法話たる由縁です。 だから、授業とも講座とも講演とも講義とも言わず「法話」と言うのです。 以上のことをご理解、ご考察の上、動画をご視聴いただければ幸いです。 合掌 高科修
@BEAM202.
3 жыл бұрын
返信、ありがとうございます。 「注文」、ご指摘の様に、全く意識せずに使ってました。 誠に申し訳ありません。まさしく、お願い・要望、でした。 (日本語に疎い理系人間、嫁さんによく叱られるんですが...) ご住職の言われること、ごもっともでございます。 小生の思慮不足で、重ね重ね申し訳ありません。 この法話の中で、不必要な部分なぞ、もちろんありません。 前振りがあって、繋がって、本題に結びついている、 はい、十二分に理解しているつもりです。 実は、法話を、再視聴、再々視聴する際も「通し」です。 これは、自分自身が守っている「決まり」でした。 理由は、まさに、ご住職が言われる内容そのものです。 十分に内容を理解できたと思える複数回の視聴後に、 自分なりに、学習した結果を「まとめ」として作文します。 同時に、感じた事を、なるべく自分の言葉で記していきます。 大した文章量ではありませんが、結論の抽出ではありません。 (その過程で、コメント記入も発生します) 後日、改めて拝聴して、感想を追記することもあります。 同じ動画なのに、感じ方、捉え方が全く変わってくる、 自分の過去の「まとめ」を見ても、驚いたりします。 ただし、回を重ねるほど、理解度が深まる時ばかりでなく、 初回の方が、ちゃんと分かってた、と思う事も。 過去の思考記録は、小生の場合、かなり有意義です。 作文作業は、動画と同時進行で、キーボード入力です。 そうです、講義でノートを取るのと全く同じ要領です。 その過程で、部分的な「文字興し」を行う事も頻繁です。 分・秒をメモしながら、先送り、巻き戻しを繰り返し、 時には、スロー再生して、何度も法話を前後します。 それらの過程で、やはり目次が欲しいと思って、 過去に、要望させて頂いてました。 せっかく目次があるのなら、カッコによる内容表記が、 ある方が便利なのでは? と単純に思った次第でした。 ですが、確かに「要望と言う名の不満」ですね... もっともっと、と思う「餓鬼」でもある訳ですね。 今一度、自分を振り返りたいと思います。 「注文」を含め、小生を叱る、気づかせる、この返信。 今までで1番、嬉しく思います。この上なく。 本当に、ありがとうございました。 鈴木@新潟 50歳 P.S. お布施する方法がココに無いのが、心苦しい処なんです。 メンバーシップ制度の採用は、不本意でしょうねぇ... .
@buddhism_japan
3 жыл бұрын
202 BEAM様 今から202 BEAM様に、浄土真宗がなぜ他の宗派から忌み嫌われたのか(ある意味怖れられたのか)その真の理由を体験して頂きます。 師法然の教え(人間は誰もが煩悩に支配されやすい存在である。故に自己の愚かさを自覚すべきである)を極限まで徹底させた親鸞の教え・浄土真宗。 この浄土真宗を体験して頂きます。 202 BEAM様 「誠に申し訳ありません。」 とのお言葉は本当に心からの謝罪の言葉としてお使いになっておいででしょうか? (日本語に疎い理系人間、嫁さんによく叱られるんですが...) とのお言葉ですが、 「追加注文」という言葉が202 BEAM様の口から出てくる時点で、無意識の中の意識がその言葉を使わせているという事を自覚しておいででしょうか? もし… 本当にお願いしたい。 ご依頼したい。 という意識。 もしくは、この法話動画で私は「学ばせてもらっている」のだという意識があったなら。 たぶんこの「追加注文」という言葉は出てはこないのです。 それは、この言葉(意味)を知っているとか知っていないとかという問題ではなく、出てくるはずのない言葉なのです。 「注文」という言葉は。 次に… 目次や()により内容表記があったほうが便利なのでは? に至るまでの説明は、謝ってはいるものの、言い訳して自分のしたことを正当化しようとしている無意識の意識があるのではないでしょうか? 「ごめんなさい」に「言い訳(説明)」は要りません。 言い訳をする時点でそれは謝罪ではなく、謝罪にかこつけた自己の正当化です。 202 BEAM様にとって、今が、まさに、「餓鬼の心」になってしまっている自分自身を自分自身で真摯に問う良い機会だと私は思っています。 さらに… お布施をできないのが心苦しいと仰っていただいておりますが、「本気」でしたいと思えば、いくらでも方法は考えれると思います。 実際にホームページの方に、お布施をお渡したい。または振込口座を教えてくださいとメールを頂いたこともあります。 (頂いてはいませんけどね) お布施等のお話は「注文」と言う「言葉」の「お門違い」をご理解頂くためにお話をしたことです。 お布施をして欲しいとか、して下さいとか、202 BEAM様にお願いをしているお話ではありません。 お話していることを、全体で何を伝えているのかをしっかりと「汲み取って」頂けると有り難いと思っております。 そして… 『「小生」は同等か目下の者にのみ使う。 しかしただへりくだっている言葉ではなく、「小生」は自分が偉いことを前提に「自分と同等か、目下の者に対して自分をへりくだって使う言葉」です。そのため、目上の者に使うと「無礼者」「生意気」と思われてしまう恐れがあります』 と、ものの本に載っております。 『目上の者に使うのは好ましくありませんが、同等か目下の者に使ったとしても「古臭い」「自意識過剰」という印象を与えてしまうことがあるので、よほど気心の知れた相手ではない限り使わない方が無難です』 とも載っております。 『勿論ビジネスメールなどマナーが求められるシチュエーションでも、相手によっては失礼だと捉えられてしまうため、なるべく使用は避けましょう』 と eigobu.jp/magazine/shousei にも載っております。 「学ばせてもらっている」という202 BEAM様のお言葉。 別にそれが社交辞令でも、また「学ばせて…」のそれがなくても10歳歳上で還暦の私に使うのは、どうなのでしょう? 同等か目下と思って頂いているのなら良いのですが。 (私は人としてはみんな同等だと思っております) 浄土真宗の僧侶は相手の言葉や表情や動きによる機微を感じ、それに対して良くも悪くもお話しをしていくことを日常的に行っています。 それこそ、意識的にも無意識的にも還暦の私には、浄土真宗の教えがどっぷり沁みついていおります。 だからこそ、悲しみのドン底に落とされ、光の見えない暗闇で、もがき苦しみ悩んでいる人に、かろうじて寄り添うことが出来ているのです。 それは、ある意味、自分自身にも向いてきます。 とことん自己の追求をしていく宗派なのです。 浄土真宗は、自分でも怖い宗派だと思います。 浄土真宗は、その本人(202 BEAM様)の内面を、意識・無意識の両方を、その本人(202 BEAM様)に気づかせる、また気づいて頂きたく「お話」を致します。 それこそ、とことん。 それこそ、しつこく。 それこそ、徹底的に。 202 BEAM様自身に自身の真の姿に気づいて欲しいと。 202 BEAM様に、とことん自問自答せよと。 どうでしょか? 浄土真宗とは怖いと思いませんか! とことん自己追求をせまるのですから! 202 BEAM様。 何度も理解されようと動画をご視聴頂いているのは、本当にありがたく、嬉しい気持ちでいっぱいです。 しかしながら、法話で皆様方(202 BEAM様)に私が、真に何を感じて欲しいのかを「汲み取って」頂ける日が来ることを切に切に願っております。 合掌 高科修 追伸 私ごときが言う事ではないと思いましたが、教壇に上がるものとしてご注意いただきたく、差し出がましいことを申しますが、この返信を書かせて頂きました。
@BEAM202.
3 жыл бұрын
丁寧な返信、ありがとうございます。 こんな私に、愛情を、本当にありがとうございます。 怖くて筆が進みませんでした。 それでも、何としても、返信させて頂きます。 前回、SNSの承認欲求の様な状態になってないのか、 もう、お手を煩わせるカキコミをしない方がいいのか、 と、グルグル考えてました。 返信用の文章を下書きし、読み返しながら、 言い訳が入っているのも、感じてました。 同時に、記述せずに居られなかった私が居てました。 「小生」、教えて頂き、ありがとうございます。 単なる謙譲語として、今まで気にせずに使ってきたのが、 恥ずかしい限りです。 >学ばせてもらっている この意味を理解しかねています。 「学ばせて頂いている」が適切だと言う文意で よろしいでしょうか? (もちろん、遙かに目上だと思っています) だとすれば、無意識、怖いです。 隠せません、繕えません、ので。 お布施の件は... カキコミの返信を通じて、幾度となく、 私はたくさんのモノを戴いています。 その御礼がしたいのに、方法が思い浮かばない、 金沢は近県、お伺いする事も考えたのですが、 檀家でない私が、お手を煩わせられない、 と思考が先に進みませんでした。 本当に、怖いです。 いつかは、とも願ってましたが、 もう、簡単には、ご住職にお会い出来ないです。 今日ほど、言葉を選んだ日は、ないくらいです。 ご住職の愛情に感謝し、その恩に報いたいのに、 新たなカキコミが難しそうで、情けないです。 究極の自己追求、それが、自分を高めていく、 唯一、最善の方法なのですよね。 ならば、それで上を目指すべきだと思いたいのですが、 同時に、現状に、妥協しそうな自分が居ます。 「真に感じて欲しいもの」を汲み取れる人物像は、 あまりにも、遠い気がしてなりません。 ですが、やはり、ありがとうございます。 こんな私に、愛情を、ありがとうございます。 大きな、温かい愛情を、会ったこともない私に、 ありがとうございます。 今は、この言葉が精一杯の表現です。 鈴木@新潟 50歳
@buddhism_japan
3 жыл бұрын
202 BEAM様 ご返信ありがとうございます。 浄土真宗(仏教)は科学的な教えです。 「科学的」の意味は、どんな人間にも当てはまり、なおかつそれを自分で確かめられる。 証拠があって証拠に基づいた話ができる。 そういう意味です。 「科学的」なので、 自分の好き嫌いとも、固定観念とも一切関係ありません。 例えるなら、 自分が愛し愛された人との別れは、辛い、悲しい、淋しい! 自分の中にどんな固定観念があってもなくても、辛いものは辛い。 悲しいものは悲しい。 淋しいものは淋しい。 そういうことです。 浄土真宗(仏教)には、基本になる方程式があります。 「Aがあるとき、Bがある」 「Aがないとき、Bもない」 「Aが生まれると、Bが生まれる」 「Aがなくなる(気づく)と、Bがなくなる(変化する」 「今ある現象は必ずそうなる原因がある」 または 「原因があって現れるものは原因がなくなればなくなる」 ということです。 「なくなる」と言う言葉は「変化する」と言い変えることが出来ます。 例えば… 「私は怒っている」 これが「今の現象」だとします。 ならば私が怒っている原因があります。 私を怒らせているのは「何か」 それを徹底的に追求していく。 徹底的にです。 そうすれば、大概の「わたしの怒り」は自己のちっぽけな自尊心であったり、見栄などに行き着きます。 「どうしょうもない私」の自覚です。 「どしょうもない私」がイケないのではありません。 所詮人間なんてどうしょうもないものです。 大切なのは「どうしょうもない私」だと府に落ちることです。 府に落ちたなら、その怒りは、怒りから反省にかわります。 BからAを導きだしAを変えたのでBが変わったということです。 これが浄土真宗の怖いところです。 先の私の返信は… 202 BEAM様を… 怒っているのではありません。 叱っているのでもありません。 説得や考えを改めよと言っているのでもありません。 202 BEAM様。 お分かりですか? 私はただ、202 BEAM様の言動・行動を「そのまま指摘」したにすぎません。 事実を客観的にそのままに…。 「怖い」とのそのお言葉。 どうぞ浄土真宗の方程式に当てはめてみてください。 Bとしての「怖い」のAはなんなのか? 突き詰めていけば、それは「高科修」ではなく、 「怖い」のAは貴方自身。 そう202 BEAM様自身の行ってきた言動・行動が自分で怖いのです。 つまり 「わかっているけれど〇〇してしまう自分」 「わかっていたつもりで○○してしまっていた自分」 です。 気づかずにいた 「自分自身の姿(心・意識)」 を目の当たりにして「怖い」のです。 大丈夫です。 浄土真宗は怖いけれど、優しいのです。 とことん追求して出てきた「自分自身の姿」を否定したりしないのです。 それはそれでしかたのないことと素直に認め、だからこそ、キチンと、シッカリとして生きていこうと思えば良いと説くのです。 202 BEAM様 どうぞご自由に今まで通り、ご視聴頂き、コメントをお寄せ下さいませ。 私には、なんのわだかまりもありません。 先に書きました通り、私はただ事実を客観的にお知らせしたにすぎません。 それを、どのように感じ考え受け止めるかは、202 BEAM様、貴方自身なのですから。(微笑) 一度… お坊さんの小話 其の七十六 【わき出る力】 0408.jp/s003/howa076.htm をお読みになって頂けますか。 私が皆様方に「汲み取って頂きたい願い」がここに在ります(微笑) 合掌 高科修 追伸 返信最後に書いてあった「小生に」を「こんな私に」に編集したのですね。無意識って本当に怖いですね。「私」「僕」「俺」「自分」「小生」でも、どの言葉をつかっても私は構わないですよ。人に上も下も偉いも偉くないもありません。みんな同等だと私は思っていますから(笑)
@孫声哲
3 жыл бұрын
今日、ららぽーとで食事していると、三歳位の男の子が泣いて歩き回ってました!きっと迷子になったのでしょう!辺りは騒然とする直後、僕の前の席で親子五人の四十代のお母さんが子供に寄って、手をつないで家族を捜しました!それは微笑ましい素晴らしい瞬間でした!こんな些細なことに感動するのは、きっとお坊さんのせいです!いえいえ、お坊さんの絶え間ない説法のおかげです!
@buddhism_japan
3 жыл бұрын
孫声哲様 本当に素晴らしい瞬間に出会われましたね。 素敵な瞬間は、孫声哲様を幸せ(あたたかい気持ち)にしました。 やはり、「しあわせ」は「感じる」ものなのです。 そして「些細なことに感動する心」を持っている 孫声哲様がとても素敵で素晴らしいのです。 孫声哲様。 孫声哲様自身で孫声哲様自身を誉めてあげてください。 合掌 高科修
@kawaguchi4519
3 жыл бұрын
本日のお話は、いいね!は勿論、保存(永久保存に値)にさせて頂きました✨ 亡き父の節目の各法要も取り行って、祥月命日にはお手継ぎのお寺さんには報恩講も兼ねてお勤めして頂いております。が………実はお恥ずかしいのですが報恩講の意味を知らずにただ、手を合わせていたのです。💦 その後、報恩講とは浄土真宗開祖=親鸞聖人の御命日(11月28日)で恩に報いる為の、この宗派にとっての一番大切な仏事だと教えて頂きました。本日は更に本当に知っておかなければならぬ意味も教えて頂きました。 お陰様で今では仏様との出遇いに感謝し様々な事に真摯に向き合える日々を過ごさせて貰えるようになりました。毎日がナンマンダブツです。 3日前にお手次のお寺で報恩講にご縁があり参らせて頂きました🙏 2年ぶりのお参りでした。(昨年はコロナ禍で中止)今回のご縁を含め、まだ3〜4回程しか足を運んでいません。しかし、2年前にようやく報恩講の大切さに気づかせて頂き、行かなければ!という気持ちになって次第です。それまでは一日平均10〜12時間という業務をこなしていくという環境下にあり、時間の余裕や心のゆとりもない自分がいました。この頃は仏間に入ることもなく、正信偈がお経だと思い込んでいたのですから……。 お陰様で 〜3日前の報恩講では教本を見ずとも住職さんと共に正信偈をお勤めさせて頂くことができました。🙏〜 この正信偈の一行一行には親鸞聖人の深い深い教えが詰まっている事や本日も報恩講の本当の意味を教えて頂きました。=この凡夫である私の日常の中でも周りの人との繋がり(恩)、感謝の心を忘れない(報)、いつも気づき同朋の方々との語らいも大切にする(講)事を心に留めおきます。 PS;本日の動画は、最近ちょっと地に足がついていなくてフラフラ状態の心を浄化して頂きました。 ありがとうございました🙇♀️ 南無阿弥陀仏🙏
@buddhism_japan
3 жыл бұрын
M Kawaguchi様 M Kawaguchi様のコメントに、改めて様々な動画(法話)を配信していかねばならないと決意を新たにしております。 やはり、絶対的に僧侶の説明(仏法は説明する事ではありませんが、会話・お話の欠如の意味でこの言葉を使っております)不足なのです。 動画でお話をしておる通り、言葉・その行事の説明ではなく、その言葉・その行事が「なぜ!行われているのか!」「行われている意味!意義はどこにあるのか!」「そしてそこから私たちは何を感じていかなければならないのか!」 そのことこそをお話しなければならないのです。 初心に帰らせて頂きました。 感謝致します。 ありがとうごさいます。 追伸 何かお悩みでしたのでしょうか? 何か辛いことがおありだったのでしょうか? ご推察致すしかございません。 心配をしております。 しかしながら… 「フラフラ状態の心を浄化して頂きました」のお言葉に、少し安心もいたしております。 合掌 高科修
@kawaguchi4519
3 жыл бұрын
@@buddhism_japan 高科様 いつもいつも、筋の通らぬ私のコメントにありがたい返信を頂き、嬉しく思います。 私自身、住職様の法話(数々のお話し)を頂いてからというもの、人間これだけ変われるものだと自分ながら驚いています。 全てのものに有難いと思い、感謝し、気づきの心を育てて頂き、ある意味この娑婆に生きていくのも悪くないもんだな〜って。 物の考え方一つで状況が一変するのですから〜 今まで分かっていたつもり…………でしたが。 この生まれ持った根性(煩悩)は救いようがありませんが、仏教の根底にある教え(釈迦如来→聖徳太子→親鸞聖人→蓮如上人他)をどの方も生涯をかけてその教えを受け継ぎ、そして説いて下さった。 この御恩は今を生きる私は只々、南無阿弥陀仏と念仏し感謝する事「一念」だということがよーく解りました。 表向きの説法や心ここに在らずの法座をされてる僧侶の方も若干おられるようですが真の教えを説いていかれる僧侶の方もちゃんとおられた❗️と高科住職様に出遭えて実感させて頂きました♪ もう離れません。お釈迦様のように「お前を必ず救うぞ!」と仰って下さいませ。南無阿弥陀仏🙏 又、ちょっと心が折れていましたがご心配して下さりありがとうございます。 昨日の自分と今日の自分を比べることで解決いたしました。 それから、ちゃんぴーさんとは未だ連絡とれずどうしたものか………と。 なかなか、コメントに気づいて頂けません😭 何か妙案ありますでしょうか?住職様!
@buddhism_japan
3 жыл бұрын
M Kawaguchi様 返信ありがとうございます。 前にもお話した通り、私たちは御同朋御同行です。 私たちは友です。 どちらかがどちらを救うという話ではありません。 共に『歩む』仲間なのです。 人生は決して真っ直ぐな一本道ではありません。 あっちに曲がり、こっちに曲がり。ときには迷い、ときには立ち止まり、そうやって歩んで行くものです。 だからなんの心配もありません。 共に歩んで行きましょう(微笑) それにM Kawaguchi様はもう救われているのです。 と、いうより出会う出来事出来事で救われていくのです。 出会う出来事出来事に、気づきという心の叫びと震えを感じれたなら、それこそが救いです。 「ありがとう」と「ごめんなさい」が出てくるのですから。 自分の心は穏やかであたたかくなります。 浄土真宗では、南無阿彌陀仏が出てくる「心(気持ち・感情)」がある状態を救いというのです。 それこそ、マジヤバイ! 魂の叫びと震えを感じれるM Kawaguchi様は浄土真宗真っ只中です。 御安心下さいませ。 心が折れていた状態は…解決されたようで安心いたしました。 良かったです。 何か妙案はおありでしょうか?の件は… M Kawaguchi様。 こう考えてみてください。 「一切は苦(ドゥッカ)である」とお釈迦様は発見されました。 苦(ドゥッカ)の意味は「不満」と言うことです。 人間はどこまで行っても満足しない「不満」の連続を生きている。 言い変えるなら… 「一切は不満である」であり 「人間には完全な満足というものは絶対にありえない」となります。 今M Kawaguchi様を悩ませいる苦は、ある意味M Kawaguchi様の不満です。 ちゃんぴー様に コメント入れた。 返信が返ってきた。 相手の気持ちに共感した。 相手も私に共感してくれた。 嬉しかった。 相手も喜んでくれた。 。 嬉しかった。 次は、会いたくなった。 会う方法をさがした。 なかなか見つからない。 でも会いたい… と。 もっと!もっと!もっと! と満足せず不満を募らせて行く… M Kawaguchi様の不満なのです。 心通わせる人と出会い語らうことは大切なことです。 そのために努力することは良いことです。 ただ、相手にも相手のスピードがあります。 相手にも相手の様々な事情があります。 そこは、汲み取っていかねばなりません。 「唯(ただ)待つ」 ということも時には必要です。 M Kawaguchi様のコメントに気づいていないのなら、気づくまで待ちましょう。 何か事情があるのなら、その事情が解決するまで待ちましょう。 たとえそうやって待っていても、一度通じ合えた心が無くなるわけではありません。 そのことはM Kawaguchi様自身が良くご存知のはずです。 だってM Kawaguchi様自身、そうでしょ(微笑) 私は「時が熟せば・時が来れば」 「成るものは成る」 そう思います。 いかがでしょうか? 合掌 高科修
@kawaguchi4519
3 жыл бұрын
@@buddhism_japan 高科住職様 仰る通りです。本当にその通りだと思います。気づいてもらえるまで待ちたいと思います。 私のペースに相手も一緒になって動けるわけがありませんよね〜 ましてや彼女は現役ですから……………。 大袈裟でもなく、お世辞でもなく本心です。高科住職様の言葉にはいつも感動し、涙が出てくるのです。 素晴らしい返答ありがとうございました😭
@秋元一良-j8z
2 жыл бұрын
ウチの寺は報恩講だけは盛大に酒、鮨が振る舞われ無礼講なので、理由が分かりました。
@buddhism_japan
Жыл бұрын
秋元 一良様 ご視聴、コメントありがとうございます。 語り… 語り… 語り合う。 そのためで御座います。 南無阿彌陀仏 合掌 高科修
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