法話「戒名と法名」のちがい ~亡くなった人の名前ではない~真宗大谷派僧侶 高科 修 師

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お坊さんの小話(法話)~浄土真宗~

お坊さんの小話(法話)~浄土真宗~

Күн бұрын

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@toratora1812
@toratora1812 2 жыл бұрын
ma 一年ほど前に、KZbinで御坊様と出会いました。 時々、法話を拝聴し元気を頂いております。ありがとうございます。 父が輪島の出身で、私は幼少期より夏休みを祖父母の家で過ごしておりましたので、御坊様のお話が心地良く感じます。故郷の訛り懐かしPCの中にそを聞きに行く。動機不純ですね。 来月、還暦を迎えるのを機に法名をいただきたいと考えておりました。おばばと一緒にお内仏に手を合わせ、意味も分からないまま「ナンマンダ、ナンマンダ・・・」と唱えたあの頃の、「今在る自分を先祖に感謝する」と教えられてきたことが、今の自分の礎になっているような気がします。これからは、ゆるゆると仏の教えに触れていければと思っております。
@buddhism_japan
@buddhism_japan 2 жыл бұрын
toratora様 ご視聴、コメントありがとうございます。 来月。 toratora様と私は、共に仏弟子となり、同じ道を歩んで行く「御同朋御同行」の「友」となるのですね。 喜ばしいかぎりです。 共に… 自分の人生を… 生き切れるように… ゆっくりと歩んで生きましょう(微笑) 『郷の訛り懐かしPCの中にそれを聞きに行く』 なんの不純がありましょう。 立派な動機です。 「思えばそこにいる」 南無阿彌陀仏そのものではありませんか。 おばば様は、 1日も休まず 今この時も 夜も昼も toratora様に「願い続けて」おいでです。 あきらめず なげださず くさらず (自暴自棄にならない) toratora様の人生を生き切って欲しいと。 合掌 高科修
@ちゃんぴー-x4b
@ちゃんぴー-x4b 3 жыл бұрын
本日も有り難うこざいます。 数年前、お手次寺にて帰敬式を受けさせて頂き、法名を授けて頂きました。 誰とでも仲睦まじく、愛される人となることを一心に願い、亡き父が付けた名前とは、いつしかかけ離れてしまっていた自分の心に気付き、どうすることも出来ず、お手次寺の先生に思い切って法名を受ける相談をさせて頂いた次第です。 まだまだ未熟者ではありますが、ほんの少しだけなのかもしれませんが、三帰依文を唱和する意味を肌に感じるご縁を頂けた気が致します。
@buddhism_japan
@buddhism_japan 3 жыл бұрын
ちゃんぴー様 動画のご視聴、コメントありがとうございます。 仏弟子となられていたのですね。 私も同じ仏弟子です。 「~自分の心に気づき」のちゃんぴー様の告白は、その「気付き」の時点で、そのことがもう法名を授けて頂かなくてもすでに仏弟子です。 なぜなら「気付いていく」ことこそが法名を頂く意味にほかならないからです。 様々なこと(自分自身の長所や短所、世の中の綺麗な事・ズルい事)に気付かなければ、反省も後悔も喜びも感謝も生まれてこない感情だからです。 そういう意味で「気付き」はもっとも大切な仏弟子であることの証明とも言えます。 ちゃんぴー様とともに私も仏弟子として未熟者ながら生きていこうとあらためて決意させて頂きました。 ありがとうございます。 毎日のニュースで、コロナ感染も増えております。どうかくれぐれも体調管理にお気をつけてください。  合掌    高科 修
@toshi-jii
@toshi-jii 3 жыл бұрын
大変恥ずかしい事ですが、今になって戒名と法名の違いを知りました。 優しく教えていただき、ありがとうございました。
@buddhism_japan
@buddhism_japan 3 жыл бұрын
とし爺様 ご視聴、コメントありがとうございます。 恥ずかしい事では、まったくありません。 きちんと、みなさんに戒名と法名の違いをお話していない、私たち僧侶が悪いのです。 とし爺様に、この動画が届いて良かったです。 合掌   高科 修
@井口好一
@井口好一 10 ай бұрын
私も前からかいみょうしようと思っていました。おふくろさんが死んでから、おふくろさんの凄さがわかりました。だから戒名は…早川愚妙にします。心が決まりました。ありがとうございます。大真唯唯唯唯南無阿弥陀仏。
@wind1456
@wind1456 2 жыл бұрын
自分は真宗高田派本山から法名を頂いており、「戒名と法名の違いなんか判っているよ」って思いながら観させて頂いてましたら・・・次第に、高科師の判りやすく、深いお説教に引き込まれると共に自分の驕慢、無智を恥ずかしくなりました。一途に生きる(一生懸命生きる)ことの意味も、有難うございました。これからもご教導宜しくお願い致します。
@buddhism_japan
@buddhism_japan 2 жыл бұрын
中元実様 ご視聴、コメントありがとうございます。 法名を頂いておられますとのこと。 ならば「友」でございます。 真宗には御同朋御同行という言葉があります。 仏弟子として自分の人生を生き切ろうと「生きている」。その同じ道を歩いている仲間であるという意味です。 親鸞聖人はこの御同朋御同行を「友」と呼びました。 敬いと尊敬の念をこめた「友」と。 故に「教導」などとんでもございません。 真宗の一僧侶として法話は致します。 それは真宗の僧侶としての最も大切な勤めだからです。 「人生を生き切ろう」ともがき生きているのは中元実様と同じです。 共に限りある命を生きている。その命を生き切ろと生きる。その生き方自体から、さまざまなことを南無(気づけ)・阿弥陀仏(気づきました)と生活する「友」として、生きていこうではありませんか! 追伸 お時間がありましたら、 動画 「知らないということしってるつもりの恐ろしさ」 kzbin.info/www/bejne/iqG9mZieeNCFbNU をご視聴頂ければ幸いです。 中元実様の「生きる」の何かしらの「気づき」になって頂けるのでは…と思っております。 合掌 高科修
@井口好一
@井口好一 9 ай бұрын
ありがとうございます。大真唯唯南無阿弥陀仏。
@buddhism_japan
@buddhism_japan 9 ай бұрын
井口好一様 ご視聴、コメントありがとうごさいます。 南無阿弥陀仏 合掌 高科修
@井口好一
@井口好一 10 ай бұрын
最後に、法名がむらえるように行きたいと思います。大真唯唯唯唯南無阿弥陀仏。😊
@buddhism_japan
@buddhism_japan 10 ай бұрын
井口好一様 ご視聴、コメントありがとうございます。 法名を授与される決意をお知らせ頂き、ありがとうございます。 法名を授与されましたなら、井口好一様と私は、御同朋御同行となります。 共に同じ門をくぐり、共に同じ道を歩む友であります。 自分自身の『その時』が来るその瞬間まで、そのち道を歩んで行きましょう。 南無阿弥陀仏 合掌 高科修
@英敏石田
@英敏石田 2 жыл бұрын
ありがとうございました
@buddhism_japan
@buddhism_japan 2 жыл бұрын
英敏 石田様 ご視聴、コメントありがとうございます。 南無阿弥陀仏 合掌 高科修
@flowerchiaki
@flowerchiaki 2 жыл бұрын
高科様、亡くなった彼は生前とても仏教を敬愛しておりました。しかし彼が亡くなった時、彼の御家族は無宗教という形の葬儀を選びました。彼はお経をあげてもらうこともなく荼毘にふされていきました。私は彼のことがあまりにも不憫であるお坊様から彼の法名をいただきました。法名を授かり彼も仏弟子となったことに心から安堵しました。家族ではない私が彼の法名を勝手にいただいたことはとても罪なことなのかもしれません。でも彼の御家族が法名とかお墓とかそういうことはどうでもいいとおっしゃったので、、、。彼らしい法名をいただいて仏弟子となったことに私も救われたのです。
@buddhism_japan
@buddhism_japan 2 жыл бұрын
Chiaki様 「罪」でもなんでもありません。 Chiaki様の「あまりにも不憫で」というお気持ちは至極当然のことであると思います。 そのChiaki様の思いは、愛であり、慈しみであり、優しさであります。 そしてその頂いた法名の名を見るたびに、その彼の法名の字のなかに、貴女を思う彼の願いを感じていくのです。 願いに包まれて生きている私を感じていくのです。 法名とは実はそういう意味を持つのです。 そして、いつか…その時が来たならば、真っ直ぐに彼に会いに行くのです。 だれでもない私(Chiaki様)が! それ故に一つ。 お話をしておきたいことがあります。 Chiaki様の「あまりにも不憫で」というお気持ちが至極当然のように… 彼の御家族の 「法名とかお墓とかそういうことはどうでもいい」 というのも、彼らにしてみれば至極当然のことなのでしょう。 どうしてそう考えるのか? なぜ?そんなふうにおもえるのか? それは私にもChiaki様にも、はかり知ることは困難です。 しかし、彼らには当然至極のことなのでしょう。 だからこそ、良いのです。彼らがどう思おうが、どうしようが。 Chiaki様がChiaki様の思った通りになされば。 それで良いことなのです。 彼の御家族の思いは、もうどうでも良いことです。 なにも関係ありません。 大切なのは、亡くなった彼と生きているChiaki様の関係だけなのです。 どうか、この一点を心に留めて生活されていかれることを切に願っております。 合掌 高科修
@flowerchiaki
@flowerchiaki 2 жыл бұрын
@@buddhism_japan ありがとうございます。彼の御家族のことはどうでもいいでしょということは他の人にも言われたことがあります。そうですよね。自分中心に自分の価値観だけで物ごとを考えてはいけないです。これはこの前教えていただいた浄土真宗の教えに繋がりますね。気づかせていただきありがとうございます。
@谷花文子
@谷花文子 3 жыл бұрын
和尚様初めてコメントさせて頂きます。  私はサンフランシスコに永住して36年に成りますす。結婚式は義母の願いで此方の仏教会(浄土真宗)でさせて頂きました。現在義父母と夫は広島県の故郷で眠つてます。 和尚様とのご縁に有り難く動画を楽しみに拝聴させて頂きお友だちにもお分けさせて頂いております。ありがとうございます。 合掌
@buddhism_japan
@buddhism_japan 3 жыл бұрын
谷花 文子 様  サンフランシスコの地から、動画ご視聴のお知らせと、楽しみに拝聴しておりますとの励みになるコメント。ありがとうございます。  サンフランシスコでの36年の永住生活。 ご推察いたすしかぞんじませんが、様々なご苦労、ご心労があられたことだと思います。でも、また、たくさんの喜びや感謝もあったのではともご推察いたしております。 人生を生きるという事による、悲喜交々を鑑みるに、ただ谷花様に頭が下がる思いです。  サンフランシスコと日本。離れていても、共に浄土真宗の、生きるという事に対する軸のようなものが、動画を通して通じているかと思うと、まさに不可思議(思議することあるべからず…考え思い描くことをすることさえできない)を感じずにはいられません。  お友達にもお分けされているとのこと。誠にありがとうございます。 感謝の念にたえません。  今後とも、出来るだけ分かりやすい法話を心掛けてまいりますので、よろしくお願いいたします。  時節柄、体調には十分にお気をつけてお過ごしください。  合掌    高科 修
@松田英二-c5h
@松田英二-c5h 2 жыл бұрын
最近、よく見てます。10年ぶりの聴聞です。16年ほど新規の事業が順調でしたが、思わぬところで失敗しました。心臓がストレスで爆発しそうでしたが、先生のお話を聞いて、すこし落ち着きました。実は若いころから真宗系のお寺に通っていたのですが、ここ10年ほどは縁を切っていました。しかし、やはり私には仏法が必要なのかなと思っています。
@buddhism_japan
@buddhism_japan Жыл бұрын
松田英二様 ご視聴、コメントありがとうございます。 61歳の爺坊主が… 老婆志で一言。 浄土真宗の坊主の法話を聞いても… 運気は上がりません。 何か上手い話が転がりこんでくることもありません。 特に私の浄土真宗のお話しは、耳に痛いことばかりをお話ししています。 ただ… 自分自身の人生の生き方は見つけれると思います。 自分自身の中に、 自分自身の腑に落ちる、 自分自身の軸をつくることは出来ると思います。 合掌 高科修
@豊田みや子-m1k
@豊田みや子-m1k 3 жыл бұрын
戒名はあの世に行った時に使う名前だと思ってました。有りがとうございます。
@buddhism_japan
@buddhism_japan 3 жыл бұрын
豊田みや子 様 ご視聴、コメントありがとうございます。 一生懸命に人生の「完全燃焼」を決意する、宣言の名前と言えます。 合掌   高科 修
@井口好一
@井口好一 10 ай бұрын
一生懸命生きることとは、真に生きることではないですか。大真唯唯唯唯南無阿弥陀仏。
@higonokaze
@higonokaze 2 жыл бұрын
怒るべき時にちゃんと怒ってるか?けだし名訓話ですね。感謝。
@buddhism_japan
@buddhism_japan 2 жыл бұрын
higonokaze(肥後の風)様 ご視聴、コメントありがとうございます。 「喜怒哀楽」 人間が人間である証明のようなものです。 なのに… その「喜怒哀楽」が… 喜怒哀楽になっていない。 それが一番の問題であると。 喜怒哀楽がキチンと出来ない「私」の「内」に問題があるのだと。 結局は、己自身の生き方に反って来ます。 問い続けること。 自分自身に。 合掌 高科修
@batsugunjky
@batsugunjky 2 жыл бұрын
妹が亡くなって、この8月で間もなく一周忌法要です。 そして、妹に付けて頂いた法名が俗名と全く同じだったのです。 親族一同、それぞれの経験上そのようなことがなかったので、多少驚きも有りました。 何故?とお聞きするのも失礼にあたるかと、確認はしなかったのですが、当初は、ハッキリ言って多少違和感が有りました。 しかし今は、遺族からしても呼び慣れた妹の俗名が法名となっても、何もおかしくない、良い名前だったんだろうと、有難い気持ちになっています。
@buddhism_japan
@buddhism_japan 2 жыл бұрын
ばつぐん ジョッキー様 ご視聴、コメントありがとうございます。 「寿限無(じゅげむ)」 という題名の落語をご存じでしょうか? 親が子供につけた名前が長すぎて、その長すぎる名前を繰り返すことで笑わせるお噺です。 「寿限無、五効のすり切れず、海砂利水魚、水行末雲行末風来末、食う寝るところに住むところ、やぶら小路のぶら小路、パイポパイポのシューリンガンシューリンガンのグーリンダイグーリンダイのポンポコナーのポンポコピー、長久命……」 まだまだ続きます。 この世の中にある「めでたい」と言われる言葉、「長寿」を表す言葉を繋げ続けた名前が… この落語の舞台の時代は江戸時代。 当時は… 子供の死亡率がそれはそれは高かった時代です。 それゆえに、当時の親が、「子の長寿を願って名前をつける事」は珍しいことではありませんでした。 落語の題名にもなっている「寿限無」…寿限りなし(ことぶき、かぎり、なし)めでたい事が止めどなく続くという意味です。 「五効のすり切れず」 五効とは、三千年に一度、天女が天から地上に降りてきて、大地の岩を天女の羽衣の袖で撫でる。また三千年経って撫でる。撫でられた岩がその摩擦でなくなるのが一刧。 つまり五効とは、気が遠くなるほどの時間の長さを言います。 それが…すりきれず…摩擦でなくならない!と言っています。 海砂利水魚、水行末雲行末風来末、食う寝るところに住むところ、やぶら小路のぶら小路、パイポパイポのシューリンガンシューリンガンのグーリンダイグーリンダイのポンポコナーのポンポコピー、長久命… それぞれの言葉も同様に、様々な長い、永久になどの意味がある言葉です。 親が子に名前をつけるとき。 テキトーに名前をつける親などいません。 その親からつけられた名前には… 『子を想うが故の親心が溢れて』いるのです。 妹様につけられたお名前。そこにはお父様お母様の『子を想う願い』が込められております。 それは、ばつぐん ジョッキー様のお名前も、私の名前(修)も同じです。 その『私を想ってくれる願い(親心)』を感じながら、出来るだけ真っ直ぐに生きていく。 それが私たち『子』としての生き方であり、そのことに気づいていくことが真宗の説く人生の生き方でもあります。 『法名』も同じです。 その法名の言葉は、お釈迦様の説かれた『経典』の中から選んでおります。 その法名の文字には、仏法の教えが込められております。 親が子を溢れる想いで名づけたように。 どうか、その法名の言葉の意味を… 『失礼にあたるかと、確認はしなかったのですが』 と仰られずに、なぜ俗名と法名が同じであるのかではなく、 この法名の説く法はどういう法を説いているのでしょうか?とお尋ねになって頂きたいと切に願わずにはいられません。 なぜなら、その妹様の法名には、ご両親と仏様の二重の願いが込められておるのですから。 合掌 高科修
@batsugunjky
@batsugunjky 2 жыл бұрын
@@buddhism_japan 貴重なお話を有り難うございました。 胸の内に何か引っ掛かっていたものが、ストーンと落ちてスッキリいたしました。 今度ゆっくりと法名の件も伺って見たいと思います。 お時間を使い、貴重なお話を聞かせて頂き、有り難う御座いました。 私も真宗大谷派門徒でございます🙏
@奏楽山西光寺
@奏楽山西光寺 3 жыл бұрын
高科先生、初めまして。 今回、ご幼少の頃のエピソード御父上からのお言葉にふれておられましたので、思わず書き込みさせていただきました。 十二年ほど前になりますが、縁あって当山の前住職が御父上の御葬儀をお勤めさせていただいたことです。 いつも正法御流布ありがとうございます。 これからも楽しみにお聴聞させていただきます。 称名お六字🙏 西光寺
@buddhism_japan
@buddhism_japan 3 жыл бұрын
奏楽山西光寺 様 初めまして。 コメントありがとうございます。 正直どうご返事を差し上げれば良いのか戸惑っております。 何分すべてが終わってから父のことは連絡を受けたので、ビックリしております。 何も聞いてなかったとはいえ、西光寺前御住職様に導師を勤めて頂いたこと、遅ればせながら、御礼申し上げます。 ありがとうごさいます。 奏楽山西光寺 様に 正法流布とお言葉を頂き大変恐縮しております。 益々の精進を心してまいります。。 これからもよろしくお願い致します。 南無阿弥陀仏 合掌 釋完修
@井口好一
@井口好一 10 ай бұрын
私は、考えることが嫌いでしたから、これから考えるようにします。ありがとうございます。大真唯唯唯唯南無阿弥陀仏。
@tim_kato2002
@tim_kato2002 Жыл бұрын
高科先生 以前別の動画にコメントさせていただきました、Timothy Katoと申します。今回は「山号寺号」についてご教示いただきたく、コメントいたしました。お寺の名前は山号・(院号)・寺号で成立することは何となく存じております。寺号はそのお寺にゆかりあるお坊さまなどが名付けたりなさるようなイメージがあるのですが、山号についてもどなたかから下付されるのが通例なのでしょうか?それとも開基住職などが山号をつけられるものなのでしょうか?「浄土真宗のお寺は山にはなかったから、山号がないお寺も多い」と聞いたこともあり…詳細を教えていただけますと幸いです。 また、個人的な感覚なのですが、浄土真宗のお寺の名前で(別院などではなく)「○○院」よりも「○○寺」を耳にすることが多いのですが、これは「院」が人の住まうところであるとの認識から来るものでしょうか? お教えいただけますと幸いです。
@buddhism_japan
@buddhism_japan Жыл бұрын
Timothy Kato様 ご視聴、コメントありがとうございます。 お尋ねにお答えいたします。 『山号』について… そもそも、 寺院に山号を付与するようになったのは、中国における事例がその最初であります。 中国では随代・唐代に仏教が普及し、同名の寺院が各地に建立されるようになって区別に難儀をしたため、その寺院が所在する地域の名称を付けて区別したことに由来します。 真宗大谷派におきましては、山号は自由に名のってよいことになっております。 『院』について… ○○寺も○○院も、お寺を指すことに違いはありません。 なぜなら △△山○○院□□寺という並びが、お寺を表す時の呼び名でありました。 ただし、それは、そう名乗らなくてはならないという決まりもなく、正式にそう呼ばなくてはならないという決まりもなく、通称であったり、その地域の親しみ方で、自由に呼ばれているわけであります。 ただ、通例として○○院は…皇族、貴族、武将などなど、俗に言う「偉い人」が引退したあとにつけられる○○院という名前から、偉いお坊さん、または格式のあるお寺が○○院とつけていたということがあります。 故に… 浄土真宗には、山号、寺号はあっても院号がお寺の名前としてついているお寺はありません。 なぜなら、浄土真宗のお寺は、門徒と仏法を聞く道場の役割だからです。 このことからも、浄土真宗という宗教宗派が、鎌倉時代から続く、13宗48派と唯一違う宗教宗派であり、唯一在家仏教であることが、お分かりいただけると思います。 以上取り急ぎ、お答え致します。 南無阿弥陀仏 合掌 高科修
@tim_kato2002
@tim_kato2002 Жыл бұрын
@@buddhism_japan 高科先生 返信いただきありがとうございました。山号は自由に名乗ることができ、お寺に「道場」の役割があるために貴人につけられていた院号は用いないとのこと、とても勉強になりました。 ご法話の投稿、いつも楽しみに拝聴しております。お時間を割いてご回答いただき、ありがとうございました。 南無阿弥陀仏 Timothy Kato
@拓也佐々木-k3i
@拓也佐々木-k3i 2 жыл бұрын
私の家は、浄土宗です。母の親戚の、叔母さんの家や、母方の親戚家も、真宗大谷派です。東本願寺派です。法事の時、途中で、お上人様が、途中で、お茶を、いただかれるそうですね。線香も、折って寝かせられるそうですね。お焼香もそのまま、1回されますね。南無阿弥陀仏
@buddhism_japan
@buddhism_japan 2 жыл бұрын
拓也 佐々木様 ご視聴、コメントありがとうございます。 途中で僧侶がお茶を頂くのは、 『中入り』と言って、大無量寿経上巻下巻など、読経の時間が長時間に及ぶ場合に、読経者もお参りに参詣している方々も大変なので、一時休憩という意味あいです。 または、三回忌、十三回忌、五十回忌を同時に一緒にお参りする場合などは、その所要時間が長時間に及ぶので、一回一回の法要の間に休憩を入れることもあります。 あくまで、法要の式次第です。 線香を寝かせるのは、線香をお焼香をするための火種として使用しているためです。 色々と違いはあると思います。 合掌 高科修
@豊臣国松-v6w
@豊臣国松-v6w 3 жыл бұрын
麻生太郎さんに聞かせたい ありがとうございます
@buddhism_japan
@buddhism_japan 3 жыл бұрын
豊臣国松様 ご視聴、コメントありがとうございます。 どんな立場の人にも、出来るだけたくさんの人達に見て聞いてほしいと思っています。 戒名・法名のお話の動画ですが、結局は「人(私)はどう人生を生きていくのか!」という「生き方」のお話です。 動画の内容を「ありがとうございます」とおっしゃってくださった豊臣国松様に、こちらこそ、ありがとうございますと申し上げます。  合掌    高科 修
@asitaga432
@asitaga432 Жыл бұрын
坊さんが書いた法名下書きの跡があり、それでも間違えて修正ペンで何回も書き直し、出来た法名日にち間違え汚ない文字だから、自分で書き直しました。
@buddhism_japan
@buddhism_japan Жыл бұрын
梅崎寿様 ご視聴、コメントありがとうございます。 「間違えているので、書き直してください。」と、一言お坊さんに、言えばよろしかったと思います。 その『一言』は、至極当然のことであり、僧侶としても、『言って頂き、ありがとうございます』であります。 それ故に… この一言がなぜ?言えなかったのでしょうか? 言えなかった梅崎寿様の理由は何なのでしょうか。 この一言が言えない梅崎寿様とお手次のお寺との関係性は何なのでしょうか。 法名と仰っているので浄土真宗だと思いますが、浄土真宗のご門徒さんであるのなら 浄土真宗は「御同朋御同行」であります。 「門徒が住職を育てる」と言う言葉もございます。 一度じっくりとお考えになっていただけると幸いです。 どうぞ… ご遠慮なさらずに、お寺との関係を深めていっていただければ、このようなコメントをしなくても良くなるはずです。 南無阿弥陀仏 合掌 高科修
@user-nekomugi
@user-nekomugi Жыл бұрын
質問です。 妻が他界したのですが、法名は、必ず付けないといけないのでしょうか?付けてあげないと、供養する上で何か変わってくるのでしょうか?😢 私は、手元供養で、自分の手で、過去帳に妻の俗名のみを記載して、供養したいと思っているのですが…過去帳には、必ず法名も記載しないとダメなんでしょうか…
@buddhism_japan
@buddhism_japan Жыл бұрын
うっくん様 始めに… 大切な奥様との辛く悲しく寂しいお別れ… そのお別れに対して、文面で失礼とは存じますが、一言、お参りの言葉を申させて頂きたく思います。 『大変、お寂しいこととなられました。 南無阿彌陀仏』 うっくん様に申し上げます。 浄土真宗の宗教宗派としてお話しを致します。 ですので、浄土真宗の門徒であることが前提でのお話しです。 うっくん様が、浄土真宗を信仰なさっていない、または奥様が浄土真宗を信仰なさっていない、門徒ではないならば、今からのお話しは、何の参考にもなりません。 そのことは、ご認知頂く必要があります。 まず… 浄土真宗には『供養する』という概念はありません。 平たく言うと、浄土真宗に供養はないのです。 浄土真宗の読経も、法名をつけるのも、過去帳に記載するのも、供養のためでは御座いません。 浄土真宗は、亡くなられた方を即得往生の宗教宗派です。 亡くなられた方を、『大きな深い願い』として 『死して尚且つ、この私を心配してくれておるモノ=願い=仏様』と捉えます。 この宗教的解釈は、日本にある仏教のなかで、唯一浄土真宗だけであります。 次に… 浄土真宗の、亡くなられた方に法名をつける意味についてお話しを致します。 サッカーのチームがあるとします。 レギュラーは11人です。 この11人で『大会』を優勝しました。 けれど、この優勝には、レギュラー11人の力だけで優勝したのではないはずです。 少なくともレギュラーになれなかった選手達の協力もなければ成されなかったことです。 そのレギュラー以外の選手が一人、亡くなりました。 そのお葬式を、共に戦った仲間だから、12人目のレギュラーとして送る。 いや!12人目のレギュラーとして送らねばならない。共に一生懸命に生きた仲間だから! この『大会』が、 私たちが生きている『世界』です。 11人が法名を持ち仏弟子として一生懸命に生きている真宗門徒です。 そして12人目の人にあたるのが、亡くなってから法名を授かる人達です。 一生懸命に生きているのは、なにも法名を頂いた人たちだけではないはずです。 だから法名を持たない人たちも、共に一生懸命に生きた仏弟子の証しとして法名をつけて送るというのが、浄土真宗が、亡くなってから、法名を持たない方に、法名をつける意味であります。 この方の名も、伊達や推挙で『名』があるのではありません。 『法の名』なのです。 その名から、遺された私は『仏法』を気づき気づかされていかねばなりません。 どのように気づき気づかされるかは… 法話『お仏壇は誰のもの?』 kzbin.info/www/bejne/j5XJqXxvbMl1j5Y に詳しくお話しを致しております。 以上を認知していただき、踏まえ頂いた上で、結論にまいります。 浄土真宗ならば、法名を頂きお内仏(お仏壇)にかかげてお参り下さいませ。 それが真宗門徒のお参りの姿であります。 ちなみに… 浄土真宗以外の宗教宗派においての『戒名』も『仏弟子』の名前であることには変わりまりません。 浄土真宗以外の他の宗教宗派には、『供養』という概念はあります。 お供えをして経をとなえ、亡き方を迷わないようにする行為です。 この行為にも、やはり戒名は必要です。 戒名の方を供養するのです。まずは仏弟子に成っていなければなりません。 当方は、供養の無い浄土真宗であります。 供養したいとのお尋ねには、このようにお答え致すしか御座いません。 ご了承下さいませ。 追伸 うっくん様… 「私は、手元供養で、自分の手で、過去帳に妻の名の俗名のみを記載して、供養したいと思っている」 とのお言葉。 この言葉が発っせられる『私』の正体は何でしょう… なぜ『私』は、 「手元供養で、自分の手で、過去帳に妻の名の俗名のみを記載して、供養したいと思っている」のでしょう… 浄土真宗では、『私』に自問自答し、その『私』の正体に気づき気づかされたその時が、本当に亡くなられた奥様の、大きな深い願いの中で生きている私であると頷けるのだと説きます。 浄土真宗の現在の僧侶として、一言申し上げさせて頂きます。 南無阿彌陀仏 合掌 高科修
@user-nekomugi
@user-nekomugi Жыл бұрын
@@buddhism_japan 高科住職様 ご多忙のところ、ご返信下さりありがとうございます😢 私の祖父母は、浄土真宗の門徒でしたが、私自身は、特にどこの宗派を信仰しているとかはございません。妻の実家は、融通念仏宗です。しかし、妻自身に関してもまた、特定の宗派や宗教を信仰しているというわけではございません。 ただ、お葬式は、妻の実家の宗派で執り行われ戒名も付けられました。仏壇も妻の実家で購入されました。分骨はなんとかしてもらい、手元にほんの少しですが妻の遺骨を抱いています… ですが、わたし個人としては、夫として、妻を心より大切にしており、妻が生前から「天国へ行ってもずっと一緒に居たい」と言っていた、その想いを大切にしたいのです。私が他界したあかつきに、妻と一緒に天国で幸せに暮らしたいのです…😢 どのようにすれば、その想いに応えることが出来るのでしょうか…どのようにすることが最善なのでしょうか😢 私のやりたいように、供養し、想い続けることで良いのでしょうか? 各宗派や宗教の教えを自分が納得できる部分のみを取り入れて、妻のことを想い弔うというやり方で良いでしょうか? 私にも法名や戒名が無いと、妻と一緒のところには行けないのでしょうか… 浄土真宗の教えでは、往生即成仏と理解していますが、法名が無いと成仏できないのでしょうか?
@buddhism_japan
@buddhism_japan Жыл бұрын
うっくん様 最初に、私は浄土真宗真宗大谷派の僧侶ですので、浄土真宗のお話ししかできませんので、そこはご認知ください。 まずは、うっくん様ご自身で仰っている『特にどこの宗派を信仰しているとかはございません。』と、うっくん様ご自身はなぜそう言えるのかをご自身でお考えください。 宗教についてはどうぞコチラをご覧ください。 法話『宗教ってなに???』 kzbin.info/www/bejne/oKrdpauiaMxpe7M 法話「無宗教形式のお葬式」 kzbin.info/www/bejne/gYiph52dn7mInMU お悩み相談「宗教、宗派を迷っております」 kzbin.info/www/bejne/b2WYl61_eLp3hKs 浄土真宗は日本の仏教の中で唯一、即得往生の教えの宗派でございます。 お亡くなりになった方は、もれなく即得往生『仏』となります。 お亡くなりになった方は何も迷うことなく『仏』となるのです。 迷っているのは、いつの世も娑婆に残って生きている者なのです。 どうぞコチラをご覧ください。 法話『中陰』なぜ四十九日なの?Take2 kzbin.info/www/bejne/kJLNiWpuoperqbM 『私のやりたいように、供養し、想い続けることで良いでしょうか?各宗派や宗教の教えを自分が納得できる部分のみを取り入れて、妻のことを想い弔うというやり方で良いでしょうか?』については、ハッキリ申し上げます。それはうっくん様がどれだけ想おうと願おうと叶う事はございません。そんな都合の良いことなどあるはずがございません。 それは、ただの身勝手な無茶苦茶というのです。 イスラム教だろうがキリスト教だろうが仏教だろうがモルモン教だろうがちゃんと教えがあります。当然宗教宗派の違いにより相反していたり矛盾も生じます。 ですから、まずは、娑婆に残って生きている、うっくん様ご自身が迷わないように自分の腑に落ちる宗教宗派で、お亡くなりになった大切な奥様と最後の時が来るまでお付き合いしていくのが良いでしょうとしか、言えません。 どうぞコチラをご覧ください。 完修の部屋「神道・キリスト教・仏教をバランスよく信仰したいです。他宗派ですが法名も欲しいです。」 kzbin.info/www/bejne/pXiQaIqLqMh8a8k どうぞコチラをご覧ください。 通夜法話シリーズ「長さんの弔辞 見送る覚悟とまた逢う決意」 kzbin.info/www/bejne/o32niXaqrZZqq7M 法話『愛する人、愛された人との別れ』~愛別離苦~ kzbin.info/www/bejne/m2qye4Gdqbmti9E どの動画も必ず最後までご視聴いただくことをお願い致します。 南無阿弥陀仏 合掌 高科修
@rdmlw5809
@rdmlw5809 2 жыл бұрын
私の実家は、曹洞宗の檀家です。 14年前に亡くなった、父方の祖父が生前に戒名を貰い、その御名に恥じぬよう生きてきました。 和尚さんにお願いがあるんですが、私の祖父に法名をつけて貰うことはできますか?もちろん和尚さんからしてみれば、「宗派も違う」「もう遥か昔に亡くなっているじゃないか!」「そもそもそんな事勝手にできない!😡⚡」となるのは、重々承知しております!けど私は祖父から、はかり知れない恩恵があります!それに、私は、曹洞宗と浄土真宗も神社神道をそれぞれバランスよく信仰したいです!戒名があるのと法名があるのが、私なりの信仰の信念と、先祖孝行に成ると信じています! どうかよろしくお願いいたします‼️😭 ※これは、茶化しとか興味本位とかではありません。
@buddhism_japan
@buddhism_japan 2 жыл бұрын
村上祥様 『これは、茶化しとか興味本位とかではありません』 と仰る村上祥様のお言葉。しっかりと真摯に受けとめさせて頂きました。 ですので、真剣に真摯にお答えをしたいと思っております。 ですので… まず村上祥様にお願いが御座います。 下記に記載致しました動画を是非ご覧下さい。 そして、その内容が、村上祥様ご自身が納得できるのか? 府に落ちることができるのか? を真剣に検証・思案して頂きたいとお願い致します。 『これは、茶化しとか興味本位とかではありません』 のお言葉に、まずこの「お願い」からお答えさせて頂きます。 動画を検証・思案された後の村上祥様のコメントをお待ちしております。 法話「供養する心とは?」 kzbin.info/www/bejne/mHeYf4mqacljgaM 法話「何にたいして手を合わせているのか?」 kzbin.info/www/bejne/q5ywqYykj92lnck 合掌 高科修
@rdmlw5809
@rdmlw5809 2 жыл бұрын
@@buddhism_japan 和尚さんの動画を拝見しました!「供養と言う言葉は亡くなった方に失礼」「阿弥陀如来の偶像崇拝ではない」「お経を挙げても別に良いことはない」「輪廻転生を考えるな」「ありがとう」「亡くなった人は願の人」などなど…… さすが真宗は、すこし違いますね 参考になります!ありがとうございます‼️ 私は今現在、大阪府堺市の運送会社で働いてます。まだまだ新米者ですので、慣れないことやわからないことがいっぱいです。 しかし、よく和尚さんが仰有っておる、「歯を食い芝って」「唇噛んで」をもっとうに、「願の人即(我が愛する祖父と兄)」の期待を裏切らないように一生懸命生きて行きます‼️私には、以前兄がいましたが、4年前に病死してしまいました。生前兄が私に、「どんな仕事でもええから、お前はお前でしっかりと胸はって生きろ」といいました。今思えばその通りです。私は、まだ22歳ですので、若いけん悔いなくがんばります!😁 だから!もう1つお願いがあります。 私に「法名」をつけて下さい!私には、「祖父と兄」願の人として、私の側にいつもいます!その祖父と兄の期待を裏切らないように、私も一生懸命生きていきたいので、「法名」を貰って、明るく元気に前向きに生きたいです! ですので、高科修「釋完修先生」から法名をもらいたいです!どうかよろしくお願いいたします‼️❤️ 合掌🎋
@buddhism_japan
@buddhism_japan 2 жыл бұрын
村上祥様 返信をありがとうございます。 あらためて村上祥様にご返信でお話ししたいことがあります。 どうぞ最後までお読み頂ければ幸いです。 村上祥様。 1『供養という言葉は亡くなったか方に失礼』 2『阿弥陀如来の偶像崇拝ではない』 3『お経をあげても別に良いことはない』 4『輪廻転生を考えるな』 5『ありがとう』 6『亡くなった人は願の人』 …さすがは真宗はすこし違いますね参考になります。 そう村上祥様は仰いますが、村上祥様が参考になるとコメントに書かれた1・2・3・4・5・6はすべてが真宗の説く教えを宗(自分の中心・軸)にした『自分自身の人生の生き方』です。 それこそ… 歯を食いしばって、唇をかんで生きていく『力』の源です。 村上祥様が、愛する祖父様とお兄様の『しっかりと胸を張って生きていけ』という『願い』の中で『一生懸命』に『生きていこう』との決心・覚悟・告白は、素敵で素晴らしいことであると深く感じております。 だからこそ、村上祥様に申し上げておかねばならないのです。 もう一度。 『曹洞宗、浄土真宗、神社神道をそれぞれバランスよく信仰したい』 という村上祥様の『その願い』は不可能なのです。 なぜなら、バランス良く信仰出来ないからです。 簡単なことです。 前述した1~6。 これを私は『真宗の教えを宗とした自分自身の人生の生き方』とお話し致しました。 生き方なのです。 真宗で生きたなら、曹洞宗の説く教え、神社神道の説く教えとは明らかに矛盾してしまいます。 どれが良い悪いではなく、『宗・軸・中心』『生き方』が違うのですから、当然です。 例えるな… 今、ウインブルドンのテニスコートで試合をしています。 このテニスコートに野球の試合をするために総勢18人の野球選手が入ります。 どうでしょうか? 野球の試合ができるでしょうか… 野球の試合どころか、今行っているテニスの試合も出来なくなってしまいます。 そしてさらに、このテニスコートにサッカーの試合をするために22人のサッカー選手が入って来ます。 ご想像下さい。 もうテニスコート上はぐちゃぐちゃゃです。 テニスコートが自分自身。 テニス、野球、サッカーが曹洞宗、真宗、神社神道です。 どうバランスをとっても、結局はテニスも野球もサッカーも出来ません。 村上祥様のいうバランス良くは、このように自己矛盾を生みます。 自分自身の中でつじつまが合わなくなってくるのです。 『バランス良く』は瞬く間に崩壊してしまいます。 村上祥様は 『だから、崩壊しないようにバランス良く』 と言っていると仰るかもしれませんが、 そのバランス良くは 『自分勝手な良いとこ取り』 もしくは 『自分にとって都合の良いとだけを取りこむ』 という、自己愛的ご都合主義と呼ばれるものです。 それこそ、 村上祥様が、愛する祖父様とお兄様の『しっかりと胸を張って生きていけ』という『願い』の中で『一生懸命』に『生きていこう』と決心・覚悟・告白とあきらかに矛盾した生き方になってしまいます。 村上祥様が、愛する祖父様とお兄様の『しっかりと胸を張って生きていけ』という『願い』の中で『一生懸命』に『生きていこう』と決心・覚悟・告白。それそのものに背いて生きていくことになります。 村上祥様。 そう思いませんか? いかがでしょうか? 法名を授けることは可能です。 しかしながら、法名を授かるということは、厄除けの御札を神社にもらいに行くのとは訳が違います。 法名は『名告り(なのり)』です。 なぜ『告(の)』の時をわざわざ使っているのか。 それは自身の生き方の、『こう生きて行こうと生きていきます』という告白だからです。 また法名を授かるには、浄土真宗のお寺(指定はありません)の門をくぐって頂かねばなりません。 剣の道を進む人が師と仰ぐ人の道場の門をくぐる如く。 華道、茶道の道を進もうとする人がその道の師の門をくぐるが如く。 門をくぐりその道場(お寺)に籍を置かなければなりません。 門徒(檀家)や信徒になれといっているのではありません。 真宗の道場(寺院)に籍を置く。 同じ道を歩む仲間になるという意味あいでとらえて頂けたなら幸いです。 つまり、所属する寺院が必要であるということです。 それもこれも、生き方を説いている浄土真宗の浄土真宗的約束事です。 法話『宗教ってなに???』 kzbin.info/www/bejne/oKrdpauiaMxpe7M こちらの動画をごらんください。 先ず、今一度、この返信の内容を深く自身に問かけて頂けたらとお願い申し上げます。 合掌 高科修
@koo4631
@koo4631 3 жыл бұрын
自ら方みようおつけても問題ないと思いますが、いかがですか
@buddhism_japan
@buddhism_japan 3 жыл бұрын
日高KOO様 ご視聴、コメントありがとうございます。 取り急ぎお尋ねにお答えいたします。 少し長いお話しになりますが、最後までお読み頂ければ有難いです。 浄土真宗の法名(法名と言うのは浄土真宗だけです) 浄土真宗の法名の意味あいは… 仏教の本質としてある「自分自身の人生をどう生きていけば良いのか!」という自らの「生き方」の名前という位置付けです。 そのことについては戒名も法名も同じ意味あいであることは動画でお話をしておる通りです。 当派は生前法名が基本です。 生きている間に釈○○、もしくは釈尼○○という法名を頂いて釈(お釈迦様)の弟子として生きていくということです。 私ども浄土真宗は「戒名」をいただくき戒律を重んじる生き方をする「出家仏教」ではございません。 私ども浄土真宗は「法名」をいただき仏法を聞くことに重きを置く「在家仏教」です。 私は法名をいただき、釈完修という仏弟子として僧侶をしております。 僧侶をしておりますが、共に法名を名のり、仏法を聞きながら自分自身の人生を「生ききる」という覚悟を持った方々(僧侶ではない)と共に「友」として歩んで行こうというのが「法名」を授かったもの同士の考え方です。 また当派には院号法名と言うものがあります。 院号法名とは釈○○の前に、つまり○○院釈○○となるものです。 この院号は、本山への寄付となります。院号が付いているから偉いとか、付いていないから偉くないだとかは申しませんし、そんなことも毛頭ありません。 あくまで院号は本山維持に貢献して頂いた「お気持ち」に対してのお礼の意味ですから。 さて、ここまでお話をしてきまして、お分かりかと存じますが、 法名とは「自らの生きる姿勢の名のり」ではありますが、あくまでも「弟子の名前」です。 「弟子」ですので「師」から頂くのが基本です。 雅号(がごう)というものがあります。 書家・文人・画家などが、本名以外につける風雅な名前のことです。 師匠やその所属団体から免許皆伝や十分にその技術を身につけたと認めた人に師(所属団体)より授与、命名されるのが慣例・通例・習わしです。 弟子が師に、この名前でお願いします!はあり得ません。 これは芸事の世界でもいっしょです。 およそ「道(どう)」と呼ばれる「意思・心・技術・経験」などを積み重ね繋ぎ継承していくものには「師」の存在は不可欠です。 言い変えれば、自らが「師」と呼べる「人」を見つける事が大切なことなのです。 浄土真宗では、その「師」を「釋尊(しゃくそん)」=「仏陀(ぶっだ)」としています。 以上の事柄から、浄土真宗では、法名は自分でつけるものではなく、授かるものとしております。 ご理解頂ければ幸いです。 合掌   高科 修
@motomoto.goheimoti
@motomoto.goheimoti 3 жыл бұрын
前に質問させて頂いたものです。チャンネル登録させて頂きました。 質問があります。 ●法名には院号を付けたり付けなかったりしますが、院号を付ける意味はなんなのでしょうか?位があるのでしょうか?生きているときも院号を付けるものなのでしょうか? 法名に位はないように感じるのです 亡き人を強く想うなら讃えるのであれば院号を付けるとなれば尚更分からないのです。 ご返答頂ければ幸いです。
@buddhism_japan
@buddhism_japan 3 жыл бұрын
元々五平餅様 動画のご視聴、コメント、さらにチャンネル登録ありがとうございます。 さて早々ですがご質問にお答えいたします。 院号をつける意味は?についてお答えいたします。 答えは、『院号』は『お礼』です。ということです。では、お礼とはどういうことかについてご説明いたします。 仮のお話です。 私が産まれてすぐ母親が亡くなりました。乳飲み子を抱え困り果てている父親を見て、たまたま私のお寺の隣の家に同じように赤ん坊を産んだ方がいて、私にも、自分の赤ん坊と同じようにお乳を与えて育てくれました。 時が過ぎ、私がお寺の住職になるころ、私にお乳を与え育てくれた女性も歳を取り亡くなってしまいます。その女性のお葬式を執り行う私が、『私が今、こうしてお寺を守っていけるのは、この亡くなった女性が、嫌がらずに自分の赤ん坊と同じように私にお乳を飲ませてくれたからだ。ありがたいことだ。ありがとうの心を込めて院号をつけさせていただきます』という意味のお礼です。 もう一つ例をあげます。 どこの誰ともわかりません。けれどもその男性は毎朝、お寺の門の前をお掃除しに来てくれておりました。雨の日も風の日も雪が降れば雪掻きに。 歳を取りその男性がなくなりました。そのお葬式を私が執り行うこととなりました。365日毎日欠かさずにお掃除に来てくれていたことを知っている私が、『ありがたい。黙々と毎日お掃除をしてくれていた。ありがとうの気持ちを込めて院号をつけさせていただきます』 これもお礼の院号になります。 つまり感謝の意味、お礼の意味が院号なのです。 しかし、みんなが、お乳を分け与えたり、お掃除に来れるわけではありませ。お寺のお世話をしたくても、様々な理由でお世話出来ない人の方が多いと思います。故に、浄土真宗大谷派・東本願寺では、本山に八万円の寄進を頂いた方に本山から『ありがとうございます』の『気持ち』で『院号』をつけさせていただいている。というのが院号の意味するところです。 もともと『院』とは、堀をはりめぐらした建物の意です。そこから転じて、通常、寺そのものや、その敷地内にある建物を指すようになりました。 また僧侶の住む所を院と呼ぶ場合もあります。 お寺の建物。それはただの建物ではなく、私たちの宗派では、動画でもお話しているように、仏法を聞く場所として、法名を名のる人も、まだ法名を名のらない人もふくめて、集う場所として意味付けています。 いうなれば本山への寄進は『仏法を聞く場所を維持して貰った』と捉えそのことへの『御礼・感謝』と、とらえていただければ良いと思います。 以上のことをご理解いたたければ、二つ目の質問・位があるのでしょうか?の答えは明白です。 『位』そんなものはありません。 だいたい法名自体が『仏弟子の名のり』なのですから当然といえば当然なのですが。 いかがでしょうか。ご理解いただけたでしょうか。 さらに、いままでのお話を踏まえていたたければ、生きている間に院号をいただけることは可能です。八万円寄進していただければ。 ただ、この事実がある勘違いを一般の人に与えてしまいます。『あー八万円で院号が買えるのね!』と。そして『偉い位じゃないなら、院号なんかいらんわ!』と。 本末転倒が起きるです。 この本末転倒になる故に、法名に関する説明で院号の説明がなされていない理由でもあります。 院号をつけるもう一つの理由として、社会的な背景があります。 ほんの2・30年前までの村社会では、年配の方が亡くなった場合。院号がついてなかったら恥ずかしいという風潮がありました。それは、社会的な常識である年齢を越えたなら神社仏閣のお世話をすることが一つの年配者のステータスであり使命でもありました。故に、年配で亡くなれば亡くなるほど、『そんな歳になっていても、そんな年齢になっていながら、いつもあんなに、威張っていたのに、いつもあんなに若い者を叱っていたのに、お寺に瓦一つ、たたみ一畳寄付したことなかったんかいな!』と非難までいかないまでも、あきれられるという社会通念であった。そんな意味からで、院号を求めたということもあったのは事実として認識しておくことも忘れてはならないことだと思われるのです。 いかがでしょうか。 この答えでお分かりいただければ、ありがたいです。  合掌    高科 修
@motomoto.goheimoti
@motomoto.goheimoti 3 жыл бұрын
@@buddhism_japan 質問のお答えありがとうございます。 理解出来たかは分かりませんが、私は亡き人(大切な人)を想って感謝状を贈るような事なのかなと思いました。 丁寧なご説明ありがとうございます。 南無阿弥陀仏
@野地ふきえ
@野地ふきえ Жыл бұрын
17:00 17:02
@mikazuki230
@mikazuki230 2 жыл бұрын
俗名→戒名 俗名は「生きて居る間の名前」 戒名は「死後に釈迦如来のお弟子となった時の名前(澤○○○)」 人は寿命が来たらお釈迦様が迎えに来てくださります 此の世に不老不死の妙薬等無く 寿命が来たらお釈迦様のお向かえを心から有り難く思い お釈迦様のお弟子となる。
@buddhism_japan
@buddhism_japan 2 жыл бұрын
MIKAZUKI龍崎 様 ご視聴、コメントありがとうございます。 MIKAZUKI龍崎 様が、そう信じておられるのであればそれで良いのです。 ただ… このサイトは… 浄土真宗大谷派の宗教的解釈をお話ししておる『場』でございます。 そのことはご理解頂きたいと思っております。 合掌 高科修
@mikazuki230
@mikazuki230 2 жыл бұрын
@@buddhism_japan ありがとうございますm(__)m
@240zdatsun8
@240zdatsun8 Жыл бұрын
戒名法名の値段設定の説明もお願いします。
@buddhism_japan
@buddhism_japan Жыл бұрын
240Z DatSun様 浄土真宗は法名です。 そして、法名は、 売り物ではございません。 どうぞ、コチラをごらんください。 www.higashihonganji.or.jp/application/kikyoshiki/ 南無阿弥陀仏 合掌 高科修
@240zdatsun8
@240zdatsun8 11 ай бұрын
@@buddhism_japan またまたぁ~ 嘘つきは…の始まりでですよ
@隆堀場
@隆堀場 Жыл бұрын
法名はどのようにすれば いただけますか。また、どのように法名を決めますか。
@buddhism_japan
@buddhism_japan Жыл бұрын
隆堀場様 ご視聴、コメントありがとうございます。 取り急ぎ、お尋ねにお答えいたします。 浄土真宗の法名(法名と言うのは浄土真宗だけです) 浄土真宗の法名の意味あいは… 仏教の本質としてある「自分自身の人生をどう生きていけば良いのか!」という自らの「生き方」の名前という位置付けです。 そのことについては戒名も法名も同じ意味あいであることは動画でお話をしておる通りです。 当派は生前法名が基本です。 生きている間に釈○○、もしくは釈尼○○という法名を頂いて釈(お釈迦様)の弟子として生きていくということです。 私ども浄土真宗は「戒名」をいただくき戒律を重んじる生き方をする「出家仏教」ではございません。 私ども浄土真宗は「法名」をいただき仏法を聞くことに重きを置く「在家仏教」です。 私は法名をいただき、釈完修という仏弟子として僧侶をしております。 僧侶をしておりますが、共に法名を名のり、仏法を聞きながら自分自身の人生を「生ききる」という覚悟を持った方々(僧侶ではない)と共に「友」として歩んで行こうというのが「法名」を授かったもの同士の考え方です。 また当派には院号法名と言うものがあります。 院号法名とは釈○○の前に、つまり○○院釈○○となるものです。 この院号は、本山への寄付となります。院号が付いているから偉いとか、付いていないから偉くないだとかは申しませんし、そんなことも毛頭ありません。 あくまで院号は本山維持に貢献して頂いた「お気持ち」に対してのお礼の意味ですから。 さて、ここまでお話をしてきまして、お分かりかと存じますが、 法名とは「自らの生きる姿勢の名のり」ではありますが、あくまでも「弟子の名前」です。 「弟子」ですので「師」から頂くのが基本です。 雅号(がごう)というものがあります。 書家・文人・画家などが、本名以外につける風雅な名前のことです。 師匠やその所属団体から免許皆伝や十分にその技術を身につけたと認めた人に師(所属団体)より授与、命名されるのが慣例・通例・習わしです。 弟子が師に、この名前でお願いします!はあり得ません。 これは芸事の世界でもいっしょです。 およそ「道(どう)」と呼ばれる「意思・心・技術・経験」などを積み重ね繋ぎ継承していくものには「師」の存在は不可欠です。 言い変えれば、自らが「師」と呼べる「人」を見つける事が大切なことなのです。 浄土真宗では、その「師」を「釋尊(しゃくそん)」=「仏陀(ぶっだ)」としています。 以上の事柄から、浄土真宗では、法名は自分でつけるものではなく、授かるものとしております。 以上を、まず踏まえて頂きました上で… 隆堀場様ご自身のお手次のお寺、または隆堀場様のご実家のお手次のお寺に、『法名を頂きたいのですが…如何致したら良いでしょうか?』とお尋ねになられることを、お願い致します。 ご自身、ご実家共にお手次のお寺が無い場合は… 最寄りの真宗大谷派の別院、または教務所に電話でお問い合わせて頂きたく、これも重ねてお願い申し上げます。 南無阿彌陀仏 合掌 高科修
@mbshino
@mbshino 3 жыл бұрын
なんで名前もらうのに、それも誰かよくわからんに。法外な金を出さなきゃいけないのか、すごい仕組みほぼみんな納得してるのが凄い。
@buddhism_japan
@buddhism_japan 3 жыл бұрын
MBS HINO様 知らないということは、怖くて可哀そうなものだと、つくづく感じる今日このごろで、ございます。 MBS HINO様の仰る法外な金額とはいくらなのか、逆にMBS HINO様の思う法内の金額とはいくらぐらいなのか、その根拠はなんなのか、このコメントの内容では知る由もありません。 MBS HINO様がどこの誰だか存じませんが、誰かよくわからん人に法外な金をと言われる筋合いはないのですが、浄土真宗大谷派の一僧侶としてお答えいたします。 戒名も法名も仏弟子としての名乗りです。 戒名は他宗派の事なのでお答えのしようがありません。 どのように戒名に代金を設定しておられるのかもわかりません。 戒名料として支払われているものが寺院維持のために使われているのかもしれませんし、「法外な」とおっしゃられるそのものが、どういう意味づけなのかも知りません。 戒名がどのように授けられているのかも知りません。 当派は生前法名が基本です。 生前法名は「帰敬式(ききょうしき)」で僧侶から法名を授かります。費用は15,000円ほどかかります。 院号法名とは釈○○の前に、つまり○○院釈○○となるものです。 この院号は、本山への寄付となります。当派では八万円固定です。 それはそのまま京都の東本願寺(本山)の維持に使われています。 寄付ですので、それは強制ではありません。 院号が付いているから偉いとか、付いていないから偉くないだとかは申しませし、そんなことも毛頭ありません。 あくまで院号は本山維持に貢献して頂いた「お気持ち」に対してのお礼の意味ですから。 また、お亡くなりになった時に、法名を授かる場合は地域やお寺により異なりますが、0円から数万円かかる場合があります。 最後になりましたが、ご視聴、コメントありがとうございます。 合掌   高科 修
@chi9959
@chi9959 3 жыл бұрын
戒でなく法を重んじる。浄土真宗の革新的なところだと思います。 以下 とある法哲学者は「人種を超えた世界宗教がまとまりとしていられるのは同じ戒を守ることである。世俗レベルでみて ああ話している言葉こそ違えど私と同じお祈りなど宗教行為しているなということをみて私達と彼らを区別することが世界宗教の本質である。人の内心は他の人には直接みえないのだから。」と述べています。 科学的な事実として、人間が人間たらしめてるものは、私と私以外を区別することと、述べられています。 私は、これを社会的に広め、私達と彼等を区別することも、生きていくために必要なことと思います。厳しい環境で生活している中では綺麗ごとでなく現実として。 また法哲学者の説に戻り「日本人はあらゆる宗教の戒は受け入れてきたが法は受け入れてこなかった。だから生まれてちょっとたつと神社にお宮参りして、結婚するときにはキリストの前で愛を誓い、死んでお寺で葬式上げてもらうことに何の疑問も持たないのだ。」 と続きます。 私は日本人の世俗のものが信じている宗教は、根付く宗教心として 先祖供養と自然の恵みを崇拝する一種の土着信仰であり、他の日本人もまた同じ土着信仰を暗示的に信仰していると安心できるがこそ、神道、キリスト教、仏教の戒を一人の中で受け入れられる、回りの者がそういう行為をしていることも受け入れられるのかと思います。 また浄土真宗が生まれる前の日本仏教が戒を重視することも、同じ信仰を持つ者と認識するためにあるのかと考えます。 さて浄土真宗が法を重んじるとのこと。世俗のものには先祖供養を通して、先人をみて自分が幸せとなる道を追求する心をもてという法をしっかり持っておけというものと理解しました。 日本人の心の中にある土着信仰との親和性が高いので、今 日本で一番門徒数が多い教団になっているかと思います。 でも同じ戒を守っている人達というのを外して、同じ浄土真宗を信じるものだと思えるのは、何故なのかと今は疑問に思い考えてます。
@buddhism_japan
@buddhism_japan 3 жыл бұрын
A kazu様 戒があれば、戒が目にみえるので、お互いに戒の集団に属していると分かる。 また、自分自身の戒と違うとか同じだとかも認識できる。 しかし、法を重んじる生き方をしている浄土真宗の私たちは、法を重んじて生きていく生き方は目に見えないのでお互いに認識できない。 なのに、なぜか、あっ!この人は法を重んじる生き方をしている人だと分かるのはなぜだろう。 疑問である。 これが、今のA kazu様の疑問だと理解いたしましたがよろしいでしょうか? 以上の事だとして、私の思いを述べさせていただきます。 端的に述べるなら、 人生を真摯に生き 人生で起こる様々な出来事に真摯に向きあい 自分以外の他の人の人生を真摯に受け止め、 自分以外の他の人の死(今現在より前の全ての死)を真摯に受け止め そうやって生きている人が行きつく物事の捉えて方、考え方はみな同じ所に行きつく。 そういうことだと思っています。 それが浄土真宗の法の教えに生きていると自覚していなくてもです。 例えば、亡くなった樹木希林さん。 彼女は生前、占い師の方から「あなたの手相は、人生の中で困難を乗り越えきた人にできる障害線が沢山あり、芸能界では岸辺四郎以来の多さだ」と言われたそうです。 樹木希林さんは、静かに「それを障害と見るか、自分が乗り越えて人間として豊かになると見るか……ですよね」と話したそうです。 これはまさしく浄土真宗的な考え方・物事の見方・捉え方だと言えます。 また、自分の愛する人が、夫や妻や子供や恋人、その方々が事故で亡くなった。残されたものが、二度とこの様な事故が起こらないように、自分のような悲しい人間が出ないように、その事が亡くなった愛する人の願いだと感じ一生をかけ事故撲滅に尽力して生きていく。これも真宗的な考え方だと言えます。 故に、真摯に生きているものどおしであれば、目にその証しが見えなくても、わかり合い、感じあえるのではないでしょうか。 もっと極端に、ちょっと乱暴に言うなら、「類は友を呼ぶ」ということでしょうか。 いかがでしょう。 最後になりましたが、動画のご視聴、コメントありがとうございます。  合掌    高科 修
@chi9959
@chi9959 3 жыл бұрын
@@buddhism_japan さん 私なりの考察ですが、 「考え方はみな同じ所に行きつく」 それが日本人の宗教観であり、回りもまた「同じ考えにいきつく」という考えが安心感に繋がるように思います。赤子で神社でお宮参りをし、結婚の時はキリストの前で愛を誓い、死んでお寺で葬式あげるという、ごちゃまぜ宗教の戒をおこなっても自分の心の中で矛盾をおこさないし、また周りからも変に思われない、どうのこうの言っても,皆同じ先祖供養と自然崇拝からなる日本土着信仰に行きつくという安心感に。 世界的にみると「何故そこに行きつく わからん」という隣人がいるほうが常かと思います。キリスト教、ユダヤ教、イスラム教が隣り合ってバチバチしてる欧州中東などみるに。 今日の浄土信仰門徒の多さを 考察するに 1, 祖先(自分の直系以外の他人も含め)の死を供養という形で真摯に受け止め生きる自分の幸福の道を求めるという浄土真宗の考え方が、日本土着信仰との親和性が高かったこと。 2. 「考え方は皆同じ所に行きつく」という安心感の中に生きる、日本人が あえて 面倒な 戒 で自分たち 彼等を分ける必要もないこと 3. 国家神道のように政治統治の仕組みとして利用されなかたこと 4. 戒による社会的な繋がりでなく法という内心的なものを信仰の拠り所とすることが、人と人の繋がりは法律で規定し内心の範囲として信仰自由を認める近代-現代における個人と社会の関係との親和性が高いこと 5. 鎌倉期よりの農業技術の発展により農民にも先祖供養の「思い」をはてる余裕はできても、戒に沿った生活や、寺社に寄進をできるまでの余裕はなく、そこに法を信ずれば救済され、「善人なおもて往生す、いわんや悪人をや」ととく浄土真宗が、鎌倉ー近代の日本人にはええあんばいに守れる教えでもあったこと があるように思います。 付記 日本の土着信仰が先祖の霊の鎮魂を主眼とおき、浄土真宗が(他人含め)祖先の死と真摯に向き合うことで生きる自分がいかに幸福となるかに主眼を置いているという違いがあることは認識しています。
@buddhism_japan
@buddhism_japan 3 жыл бұрын
A kazu様 「私なりの考察ですが」と始まるA kazu様の考察は大変勉強されていると感心いたしました。 その考察において、浄土真宗の了解をもとに少し補足できたらと思い、コメントの返信をさせていただきます。 「仏教が救おうとしている対象は誰なのか」を親鸞聖人は問題とされました。そうすると、自身が身を置いていた当時政治と結びついていた、日本における伝統仏教から訣別せざるを得なかったということです。 「いわば、エリートのみが救われるという戒の集団から訣別し、法を重んじることを大切にしていく集団が民衆き受け入れられていく~」というAkazu様の考察の着地点には感心いたします。 しかも、この民衆は、当時、農民だけでなく、武士階級、貴族階級、社会外に追いやられていた人たち、様々な立場の人たちが集ってあたようであります。 次に「悪人正機」ですが、注意が必要なのは、「自分は善人なのか、悪人なのかという、自覚的な問い」であるということです。ここを他人が善人か悪人と捉えてしまうと「悪人正機」そのものの考え方がまるで違う方向へむいてしまいます。 たぶん多くの人はこの違う方向に向いていると思います。 あくまでも「自分自身の自覚」が大切であるということです。 最後に追記の「幸福」という言葉について。 結局人間は、自らの幸福を願う生き物です。 それは人間として至極当たり前のことだと思います。 ただ大切なのは。 重要なのは。 忘れてならないのは。 私達。私自身。私。は、決して「個」「弧」では生きて行けない。 生きていない。 と、いう事実です。 私は、 私が、 存在しているのは、 あらゆる関係の中に、 中で、 生きている存在だと気づき、 その中で生きる道を見いだし、 その道を生きていく。 その生き方が幸福を感じていけるという幸福感でなければならない。 ということです。 一度よければ、お坊さんの小話その91続自分をみる・他力の自覚 を読んでみてください。 0408.jp/s003/howa091.htm A kazu様の考察がさらに深くなっていくのではと思います。 最後になりましたが、ご視聴、コメントありがとうございます。  合掌    高科 修
@chi9959
@chi9959 3 жыл бұрын
@@buddhism_japan さん お返事ありがとうございます また「続・自分を見るー他力の自覚」読ませて頂きました。 以下 宗教者でなく俗世の民にとっての宗教という観点から考察を進めます。 ●戒と法について 東アジア圏は世界的にみると穏やかな気候と肥沃な大地に恵まれ豊かであるので、「牛乳や小麦、それらの元は牛の乳や小麦粉」が比較的皆に行き渡るがこそ、それが「考え方は皆同じところに行きつく」という共同幻想が可能となり、大乗の考えが広がる下地になっているように考えます。 特に日本においては島国であるため他民族に制服されたこともないので「皆同じ所に行きつく」という信念が強く、これと先祖供養とあいまり日本の土着信仰(日本人の認知の基盤)が形成され、鎌倉期の二毛作の普及など農業技術の発展に伴い俗世の民も宗教的なものを考えられるほど多少豊かになったところで、日本人の認知の基盤と親和性が高く自分も実践できる「戒」でなく「法」を重んじる仏教である浄土真宗を親鸞聖人が開いたことで浄土真宗が爆発的に広まったと考えます。 一方 厳しい気候と荒れた大地に住む俗世の民には、「牛乳や小麦、それらの元は牛の乳や小麦粉」を皆に行き渡らせることはできず、まずは「私達」の分を獲得せざるをえず、それが「私達」と「彼達」を区別する必然性が生まれたと考えます。「私達」と「彼等」を区別するための手段は古代には一族や同じ民族であるということが用いられ、その後民族を超えて「同じ宗教」であるということが用いられたと考えます。同じ宗教であることを言葉が違っても区別するための手段として同じ宗教儀式をする、すなわち「戒」が俗世の民には重要だったのだと考えます。 これ社会が経済的に豊かでなければ、アジア圏であろうが欧州中東であろうが起こり得ることと考えます。 私はマルキストではないですが、マルクスが資本論で説いた 下部構造(経済)が上部構造(政治、信仰、・・・)を決定するみたいな考察の流れになってしまいました。私自身としては、経済も政治も信仰も互いに影響しあいながら発展していくと思ってます 例えば マックスウエバーが「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」で論じたように、 工業の発展に伴い、工業従事者が、中世のカトリックの束縛(金儲けは悪だという考え)から逃れるためのものとしてプロテスタントという宗派を作った(経済が信仰を決定する)、一方 キリスト教の予定説という認知の基盤が、自分は神に救われる側であるがこそ、勤勉に働き、その結果として金儲けすることは神の意志にそうものであると考えを生み出し、勤勉に働き金儲けすることを肯定する資本主義の精神を生んだ(宗教が経済を決定する) といったように経済と宗教が互いに影響をおよぼしあうという考えに共感を覚えます。 ●浄土真宗の末寺の現状 父の月命日に毎月お寺さんに来て頂いていますが、何が言われているのか分からないお経を聞き、最後に白骨の一節を聞いてやっとほろってなり、お経が終われば世間話を10分足らずして、お布施を渡して、はい、ありがとうございました。 これお寺さんは法を説いているんでしょうかね? 私には意味も伝えられず宗教儀式をおこなっている俗世の民の「戒」を実施しているだけのように思ってしまいます。(心あるお寺さんでは法話会を行っていることは認識していますが、それにそうそう参加できないほど俗世の民は仕事に家族サービスにと忙しいのです) そういう現状で高科さんのように、20分前後と適度な長さの法話を、都合のつく時、場所で聞ける場を設けて頂いているのは、浄土真宗の法に触れるという意味で、とてもありがたいことだと思っています。
@buddhism_japan
@buddhism_japan 3 жыл бұрын
A Kazu様 返信ありがとうございます。 まず「浄土真宗の末寺の現状」のご指摘について…… 浄土真宗大谷派僧侶の末席を汚す者として、深くお詫びいたします。 私達(僧侶)の日々の「行い」がA Kazu様に「意味も伝えらず宗教儀式を行っているだけ」と感じさせてしまっている事実を真摯に受け止め、自らの反省と精進にさせていただきます。 大谷大学卒業間際、ある老僧から「お経の配達者にはなるな!」と教わった事はずっと記憶に残っております。 以来この意味を熟思黙想して今日に至っております。 KZbin動画配信は、その熟思黙想した結論のひとつです。 「高科~ありがたいことだと思っています」のお褒めの言葉も、現状へのA Kazu様の慨嘆の裏返しと受け止めさせていただきました。 貴重なコメントありがとうございます。 次に「戒と法について」 ですが、「経済も政治も信仰も互いに影響しあいながら発展していく」との思いは、その通りだと思います。 事実、縄文時代の狩猟中心の社会生活での「命」にたいする「畏怖の念」や、狩猟で獲た食糧の分配の考え方。それらは、大陸から農耕が伝わり弥生時代への移行とともに激変して行ったのですから。 特に、農耕がもたらしたのは「富の分配」。 これが、現代まで続く様々な問題の原点になっているのですから。当然、自然・命に対する宗教感も違ってくるのは至極自然なことだと思われます。 ただ、私が思うに、時代が変わろうが、不治の病の治療薬が出来、あらゆる病気が治るようになろうが、身体のあらゆる部分が機械化されて代用出来るようになろうが、人は「生老病死」という「苦」から逃げられないということです。と同時に自分の生きる人生を誰も代わってくれる人も居ないということです。 産まれて・生きて・死んでいく! この自分の人生を、 「どう生きて行くのか」 「どう死んでいくのか」 それを 「問い続けて生きて行く」 その姿勢が大切なのではないかといつも思っています。  合掌    高科 修
@koujiyamada2087
@koujiyamada2087 2 жыл бұрын
御釈迦様の弟子は戒名を受け、法名は御釈迦様の弟子以外ですよね。
@buddhism_japan
@buddhism_japan 2 жыл бұрын
kouji yamada様 ご視聴、コメントありがとうございます。 kouji yamada様の仰る通りで御座います。 ただ、お釈迦様の弟子というお話は致しておりません。 お釈迦様の釋の字を、忝なくと一字使わせて頂いた仏の弟子という、生き方のお話を致したつもりで御座います。 浄土真宗開顕の祖である、親鸞聖人は、自身を、愚禿釋親鸞と名のられました。 愚禿とは、だいじなこともすぐ忘れてしまうという意味です。 だからこそ、だいじなこととは一体どういうことなのか、仏法に照らされ自覚的に自身の生き様を問うていく者の名のりが、釋なのです。 戒を保てるひとのみが、仏弟子なのでしたら、私はkouji yamada様からしたら仏弟子と言えないのは間違いないでしょうし、「仏弟子以外」でしょう。 動画内でも戒名を否定するような事は、一言も申しておりません。 ただ… 戒を受ける生活が、私にはどうしてもおよばないのです。 戒を中心とした生活を送れない、だいじなこともすぐ忘れてしまう、そういうことに深く慚悔した者の名のり・生き様・すがたが法名であります。 仏法を聴聞し、ご本尊を中心とした生活を、四苦八苦しながら送るしかないという、自覚的な仏弟子としての名のりですので、私は戒名を名のれないので御座います。 このことが、私が浄土真宗の僧侶であり、浄土真宗の法名を名のり、その教えを軸とし、自分の人生を生き切きろうと生きているゆえんで御座います。 そのことを、動画では、かみ砕いて、分かりやすくお話をさせて頂きました。 kouji yamada様におかれましては、大変、分かりにくかったようで御座いますね。 誠に申し訳御座いません。 合掌 高科修
@koujiyamada2087
@koujiyamada2087 2 жыл бұрын
ご返信ありがとうございます。 御釈迦様は、出家信者と在家信者を分けて教えをなされています。在家信者とし仏門に接したら良いと思います。 矛盾から解放されます。
@buddhism_japan
@buddhism_japan 2 жыл бұрын
kouji yamada様 もともと在家に説かれた大乗仏教をもとに仏法を聴聞しておりますので、私は何ら矛盾を感じておりません。 kouji yamada様のご指摘には及びませんので、ご心配なく。 むしろ… 矛盾を感じておられるのはkouji yamada様なのでは…と 私は心配致しております。 kouji yamada様におかれましては、私ごとき浄土真宗の一僧侶の心配など無用かと存じますが… 年寄りの老婆心で御座います。 合掌 高科修
@yuujihiura5167
@yuujihiura5167 2 жыл бұрын
墓は要らないし、戒名も法名もまったく要らないものですが、なぜ宣伝するのでしょうか?
@buddhism_japan
@buddhism_japan 2 жыл бұрын
Yuuji Hiura様 ご視聴、コメントありがとうございます。 『墓は要らないし、戒名も法名もまったく要らないものです』との告白 わざわざ教えていただきありがとうございます。 浄土真宗の僧侶としての布教活動の一環としてのKZbin動画配信でございます。 南無阿弥陀仏 合掌 高科修
@小松晃-n3m
@小松晃-n3m 2 жыл бұрын
専従と雑種どう違うのですか
@buddhism_japan
@buddhism_japan 2 жыл бұрын
小松晃様 ご視聴、コメントありがとうございます。 専従。 とは… 専業従事者のことでしょうか? 雑種。 とは… 犬や猫のことでしょうか? そして どう違うのですか? とは… どういう質問なのでしょうか? 小松晃様のこのご質問は、「戒名と法名の違い」というこの動画に関係のある質問なのでしょうか? 浄土真宗真宗大谷派ということでしたので、どうぞ、お手次のお寺のご住職にご質問ください。 このご質問の意図がわかりかねますので、よろしくお願いいたします。 合掌 高科修
@user-pokoponayano
@user-pokoponayano 2 жыл бұрын
エエ べべさん着て顔もツヤツヤ 高級メガネも似合っています。けど、ロシアのプーチン 統一教会に教えの一つでも かまして 精進させてみてください。はずかし はずかし そう思わなければならない人じゃないんですか。
@buddhism_japan
@buddhism_japan 2 жыл бұрын
安立彩乃様 ご視聴、コメントありがとうございます。 一体何をざわついていらっしゃるのでしょうか… 如何いたしましたのでしょうか… 僧侶と何かトラブルでもおありでしたでしょうか… よろしかったらご相談下さい。 お力になれるやもしれません。 南無阿彌陀仏。 合掌 高科修
@yoshiko7333
@yoshiko7333 3 жыл бұрын
釋芳尼
@buddhism_japan
@buddhism_japan 3 жыл бұрын
yoshikoよつこ 様 ご視聴ありがとうございます。 南無阿弥陀 合掌   高科 修(釈完修)
@甲斐二三男
@甲斐二三男 2 жыл бұрын
戒名とか法名等は無くても死者には何の役にも立たないのが現実です。このことだけは自身が死んで見ないと分かりません。
@buddhism_japan
@buddhism_japan 2 жыл бұрын
甲斐二三男様 『戒名とか法名等は無くても死者には何の役にも立たないのが現実です』 正しく! 甲斐二三男様の仰る通りです。 ですので、この動画です。 浄土真宗のお話しのこの動画です。 動画では、亡くなった方のお話しをしておるのではありません。 『娑婆に生きている私の生き方』 のお話しを致しております。 さらに… 戒名と法名の違いは、それはそのまま、他の宗派と浄土真宗の宗派の違いを表しております。 同じ仏教と申しましても、同じではございません。 特に浄土真宗は、他の宗派から『異端である』と言われるほど違っております。 ご理解頂ければ有難いです。 合掌 高科修
@井上節子-x2i
@井上節子-x2i Жыл бұрын
@buddhism_japan
@buddhism_japan Жыл бұрын
井上節子様 ご視聴ありがとうございます。 南無阿弥陀仏 合掌 高科修
@杉浦清進
@杉浦清進 Жыл бұрын
法名も戒名も誰も生きているときに呼ばれない名前。仏教的本質にはなんの意味もない。
@buddhism_japan
@buddhism_japan Жыл бұрын
杉浦清進様 杉浦清進様が何を信じ、どのように生きていくのかは杉浦清進様の自由でございます。 戒名も法名も仏弟子としての名でございます。 キリスト教で言えばクリスチャンネームと似ています。 どれも、意味のないことではございません。 もう一度言います。 戒名も法名も仏弟子としての名でございます。 故に、仏弟子になってない人は使わない。 ただそれだけのことです。 『仏教的本質にはなんの意味もない。』ではなく 仏教的本質に生きる集団の名でございます。 ご認知いただければ幸いです。 南無阿弥陀仏 合掌 高科修
@アキ無ラトモシゲ
@アキ無ラトモシゲ 3 жыл бұрын
@buddhism_japan
@buddhism_japan 3 жыл бұрын
アキ無ラ トモシゲ様 ご視聴ありがとうございます。 南無阿弥陀仏 合掌   高科 修
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