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奈良時代、時の権力者道鏡を皇位につけるべきか否か宇佐神宮からお告げを聞くため、勅使として宇佐に派遣された和気清麻呂が船をつないだとされる「船つなぎ石」。宇佐市北馬城小学校の校区内(和気地区)にあるこの史跡を地域では大切に守り、清麻呂の功績と共に語り継いできた。
「和気清麻呂についてどんなことを知っていますか」。大分合同新聞宇佐支局の直野剛志記者(43)=現・地域報道部=が問い掛けると、「天皇のつかいを果たした」「島流しにされた」「今の岡山県で生まれた」-。子どもたちから次々に答えが返ってきた。
郷土史に詳しい中尾久巳さん(89)=宇佐市和気=を学校に招き、取材をスタート。道鏡事件の背景や清麻呂が2度目に宇佐を訪れた際のエピソード、清麻呂関連の史跡などについて話してもらい、新聞作りに生かそうと熱心にメモを取った。
学校には、和気子ども会が1993年に清麻呂の出身地・岡山県和気町を訪ねた際に披露した、当時の児童手作りの紙芝居「和気清麻呂公と私たちの村」が保管されている。子どもたちはこの紙芝居の文言を詳しく考察し、他の史料も集めて調査。船つなぎ石に見学に行き、その大きさや古さを実感して写真に収めた。
自分たちの身近な場所が歴史の舞台となったことや清麻呂の偉大さを深く学び、地域を誇りに思う気持ちを新たにした子どもたち。記事を書き上げた後、帆足三郎・元大分合同新聞文化センター顧問から見出しの付け方などを習い、カラフルなイラストも付けて、歴史ロマンとふるさとへの愛着があふれた紙面が出来上がった。