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博多の夏の風物詩・博多祇園山笠は15日の『追い山笠』で、クライマックスを迎えました。ことしの一番山笠をつとめた『土居流』の晴れ舞台の裏には、亡き“親分”の思いを継ぐ男性がいました。
■博多祝い唄
「祝い目出度の~。」
『追い山笠』を翌日に控えた7月14日、土居流では、流の功労者を追悼する追善山笠が行われました。去年1月、石村泰久さんは、肺がんのため82歳で亡くなりました。流のトップとして町を取り仕切る『総務』などをつとめた石村さんは、“親分”と呼ばれ、慕われていました。
■一番山笠 土居流 筆頭取締・三浦隆太さん(48)
「家族ぐるみで、3歳の頃から石村さんに(山笠に)出させてもらって、ちっちゃい頃は手を引いて走ってもらったという状況で、ほんと父のような感じです。」
ことしの土居流の『筆頭取締』として町を引っ張る三浦隆太さんも、亡くなった石村さんを“親分”と慕う一人です。小さいころから家族ぐるみの付き合いのなかで、石村さんに山笠との向き合い方を学んできました。
■三浦さん
「(山笠を)ほんとに楽しく、おもしろおかしくやりなさいっていうことをずっと言っていた。」
本来であれば石村さんはおととし、土居流が一番山笠として櫛田入りする姿を、その目で見るはずでした。しかし、新型コロナウイルスの感染拡大で2年間舁き山が中止となり、石村さんは土居流の晴れの舞台を見ることなくこの世を去りました。
■石村さんの妻・石村泰子さん(82)
「『もういままで俺は(山笠で)よか思い何十年ってしてきたから、それはもう次の者にさせないと』と言って、『もう次のものに渡してやらな。いつまでも俺がね、年取ってそんなことをしていたらみっともない』と言っていました。」
石村さんからバトンを渡された三浦さんは、祭りのクライマックス『追い山笠』で、櫛田入りのあと、一番山笠だけに許される『博多祝い唄』の冒頭を1人で歌う大役を任されました。
■三浦さん
「“コロナ”がなければたぶん一緒に出られて一番(山笠)を迎えられたので 、残念だなという気持ちはある。ことし一番山笠で、櫛田入りであったり他の行事もあるんですけど、感謝ですね。そこで祝い唄とかいうのも、しっかりきれいにさせてもらいたいなと思っています。」
7月15日、『追い山笠』当日を迎えました。
■三浦さん
「みんなニコニコしているから、ほんとそういうふうになって欲しいと思ったから一番よかった。(石村さんの教えとおり)うちの町内だけは楽しまないと。ここまではできている。」
台上がりした場所から見える景色に、“親分”の姿はありません。それでも、「山笠を楽しむ」石村さんの思いは生き続けています。
■掛け声
「3、2、1、やーっ!オイサ!オイサ!」
■博多祝い唄
「祝い目出度の若松様よ~。」
■三浦さん
「(石村さんは)『お前下手くそだな』って言うっちゃないですかね。歌がどんなに上手く歌っても『下手くそやな』って言うんじゃないですかね。それでいいと思います。(町の)みんなが必死にやってるのを笑って見てると思いますよ。来年はもっと楽しい山笠にしたいです。」
“親分”から受け継いだ思いを胸に、その目はすでに来年へと向けられていました。
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