魔理沙は主の闇、霊夢は主の陽、FPSgamer201はGmodシステムを司るチャンネルの神、 チャールズは友人(本人談)だったと思うのですが、チャールズが今回の動画の最後に出てきていないことを考えると、本作は主の内面の葛藤を映画いてるのかもしれません。主に関わる視聴者や登場人物は動画を通じて心が揺さぶられますが、そんなものは神であるFPSgamer201の一存でどうとでもなってしまう、儚いもの。それに夢をみるのも見ないのも人それぞれ。そんな感じの作品だと感じました。 一人三役(霊夢、魔理沙、FPSgamer201)ってのはキリスト教の三位一体みたいですね。 追記:よくよく考えるとLove is allってのが面白いですね。というのも霊夢と魔理沙の愛も真実のように見えて、Gmodでシュミレートされた仮想の、偽物の愛だからです。だから最後のテロップでLove is allとでるのは皮肉に見えました。 とこのように私がわちゃわちゃ考えてること自体がチャンネルのメタ世界を司るFPSgamer201の計画の一部なのである。でもその計画には動画があるだけで本当のところは何もないのである。(「アンディウォーホルの全てを知りたいのであれば、私の絵と映画、僕の表面を見るだけでいい。そこに僕がいる。裏には何もない」っていう現代美術家のウォーホールの言葉を思い出しました。)(長いわ)