Se Paさんの意見に同意だなあ。 作品にもはや唯一絶対の正しい解釈は存在しない、ってのが現代批評の基本だし、ロラン・バルトの「作者の死」じゃないけど、時に、そして原理的に、鑑賞者や批評家には、作家の意図すら超えた解釈が可能ですからね(批評が作家の意識してない無意識を炙り出したりすることも含めて)。 例えば、作者が、この作品は100%ヘイトではない‼と言っても、鑑賞者は、ヘイトだ‼日本の誇りを傷つけられた‼みたいな解釈、事態もいくらでも有り得るわけで。 筒井さんが言うように、現代を生きる僕達には無限の解釈と誤読しかできないし、そういう状況の中で岡田さんの批評のような、作品の外部の間テクスト性とかプレテクトやメタテクストやパラテクストを読むの現代の批評理論ではまっとうだし、膨大な時間を費やして探究して岡田さんみたいな魅力的な解釈(誤読)ができる批評家こそが真摯だと思います。