【黒柳家と戦争】今こそ伝えたい 徹子の戦争体験

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徹子の気まぐれTV

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Күн бұрын

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こんにちは、黒柳徹子です。
終戦から78年が経ちます。
今回は、戦争で私が体験したことをお話しします。
当時の食糧事情、父の出征、両親の秘話など、
今だからこそ若い世代にも届いてほしいメッセージです。
どうぞ、ご覧ください。
#黒柳徹子 #戦争 #終戦 #平和 #第二次世界大戦 #田川啓二 #TOTTO
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Пікірлер: 278
@KeiW-qy9uv
@KeiW-qy9uv Жыл бұрын
ウチの義母は徹子さんよりも歳上です。戦争の話しを語り継ぐ時が来たと、ここ数年色んな話しを聞いたり海外に住むおじから話を聞いたりしています。私は北海道出身で、出身高校の校長は、ベルリン大学を出た方でした。戦争の恐ろしさ無情さを沢山学ばせてもらったことは、半世紀を過ぎて大切な宝物になっています。平和は大切です。これからの若者達に明るい未来を見て欲しいと願っています。
@みつは-h7d
@みつは-h7d Жыл бұрын
生きて帰ってきて申し訳ないという言葉が痛いです。
@b6d-aaa24
@b6d-aaa24 Жыл бұрын
タモリさんがおっしゃった、「新しい戦前」という言葉がずっと引っ掛かっていました。「ボヤボヤしてたら…」という徹子さんの御話、驚きました。どうも最近、職場や、学校、社会全般がギスギスと何か不穏なものを抱えている気がしています。戦争が起こらないか心配です。戦前の、空気を知ってる方々にもっと御話を聞かせていただき、悲劇を繰り返さないようにしたいです。
@S仮-m6i
@S仮-m6i Жыл бұрын
何か謎に嫌な予感?っていうか陰鬱と鬱屈の蔓延って感じがずっと止まない 最近、気持ち悪いなァって思うのは、アングラとかグロに全世代が慣れてる事とか、浮気とか不倫への嫌悪感の薄さとか? 倫理道徳的に良くない物事への抵抗感の薄さが気持ち悪いなって思ったりは凄くする 後は子供だったり家族に対する絶望感、マイナスイメージとか 2016年以前に比べて音楽とかの感覚的娯楽とかで合わない事が多いとかかな? 何か、平和に成る→平成って良い名前だなって 令和って、冷たい和=過剰な協調性とか集団圧力に押さえつけられるイメージとかもあって何か独裁国家行き?!とか勝手に不穏に感じたりするけど まぁ、とにかく この先の歴史の授業で昭和後期と平成にひと時あった束の間の幸せなんて事にならない様に 冷戦の昭和で令和なんて事にはならぬよう、戦争は決してさせない 戦争だけじゃなくて全ての争いが起こらない事が一番良い
@syhonenosyho
@syhonenosyho Жыл бұрын
イランイラク戦争を体験した在日イラン人の方が取材の時 今の日本がイランイラク戦争開戦前の状況と似てると仰ってましたよ。
@scp-444-jp2
@scp-444-jp2 Жыл бұрын
・・・とっくに始まってるんだよなあ話題になってるのがウクライナって大国が小国に攻め込んだからってのもあるが 日本人が対岸の火事だからで目をそらしてる間に世界中で何回あったか
@アワビさん
@アワビさん Жыл бұрын
子供の頃に、 「なんか歴史って繰り返してるっぽいけど、もしかしたら2020年くらいには中国かロシアが戦争をはじめてたりw」 とか思ってたけどまさか起きるとわ………。
@コタリーヌ
@コタリーヌ 7 ай бұрын
戦争が始まる感じがなかった、には驚いた。今もそう。国民がボヤボヤしてる。いつ始まっても、おかしくない。
@ゆき-z2t2o
@ゆき-z2t2o Жыл бұрын
戦争で孤児になった方の介護を今しています。優しい優しい人です。計り知れないご苦労をされたと思うのに
@menice3372
@menice3372 Жыл бұрын
貴重な話ありがとうございます。祖母からよく聞いてました。 祖父は満州からシベリアに連れて行かれ、病気になって生きたまま埋められたそうです。 大分の住職さんが日本に戻り連絡をくれたみたいです。靴の中に名前住所を入れて引きあげて来たそうです。戦争は本当に反対です。
@たま-l4t9p
@たま-l4t9p Жыл бұрын
戦争が始まった時、徹子さんは、本当に戦争が始まるのかなぁと思われたそうだけど、今の日本もそれと同じになっているのではないかとふと思います。 戦争していい事ない。 誰も得しない。 麻生さん、無神経な発言はやめて下さい。 どうか戦争になりませんように。
@mofukomofu5367
@mofukomofu5367 Жыл бұрын
いつもスーツに革靴のお父様が、兵隊の格好をして足袋を履いてるのを見てお母様が顔を逸らして涙を流したというお話を聞いて涙が出ました。私のパートナーが、自分の天職である仕事の服を脱いで兵隊の格好をさせられたらと思うとお母様の気持ちが少しだけ想像できたような気がしました。 貴重なお話をありがとうございました。戦争は絶対に繰り返してはいけませんね。
@zirochan
@zirochan Жыл бұрын
「知らないうちに戦争が始まってた」、これ今の状況と何ら変わりませんね。知らないうちに増税、他国への寄付、変な決まり事への参加などなど。たとえ1人でも、おかしいと思ったら声をあげないとダメだなと思いました。貴重なお話ありがとうございました。
@3000harmony
@3000harmony Жыл бұрын
本当ですね。
@scp-444-jp2
@scp-444-jp2 Жыл бұрын
・・・知らないうち戦争なんて始まりゃしねえよ 戦争なんて準備8割実行2割って学生時代英語教えに来ていた元アメリカ陸軍(アフガニスタン及びイラク出兵)の人間言ってたし 去年からのウクライナ侵攻見れば分かるやろ(一月前から国境線にロシア的には演習とかいう名目で大部隊配置してるし)
@user-bl6kr1oh2n
@user-bl6kr1oh2n Жыл бұрын
​​@@scp-444-jp2政府や軍がちゃくちゃくと準備していても民衆に伝わることは今の時代に比べてとても難しいため徹子さんにとっては 知らない間に始まってた ていうことだと思うのですが、
@7777nakachan
@7777nakachan Жыл бұрын
ぼやぼやしてる間に戦争が始まった…田川さんと同じく衝撃を受けました。 国を背負っている人がこっそり戦争を始めないよう、戦争をする理由を言わせないよう見ていなくてはと思いました。 徹子さん、田川さん、ありがとうございました。
@亜ボボ
@亜ボボ Жыл бұрын
まぁ今のウクライナ見てるとそんなことしなくても戦争巻き込まれるけどね
@亜ボボ
@亜ボボ Жыл бұрын
太平洋戦争始まった時って徹子さん8歳ですよ? 8歳の子供ならぼやぼやしてるのは当たり前で、当時8歳だった人に戦争が起きた理由なんて聞いても分からないでしょう。 あの当時戦争したのは大人たちなんだから、でもその人たちの多くは生きていたら120歳とかだよ。みんな死んでるからね 今生きてる90歳とか80歳の人たちに聞いても意味ないと思う
@まるこめ-k7m
@まるこめ-k7m Жыл бұрын
戦争も平和も相手があってどうなるもの。一方でどうにかなる話でも無い。 獣害事件が後を絶たない様に、結局外部には獣はいつでもいる。 それにコロナ騒動で分かったけど、一般人は騙されやすいし、同調圧力も酷いし、排他的。 ワクチン接種とか同じだよねぇ。動画の話ともリンクする所多い。
@himatstosh6236
@himatstosh6236 Жыл бұрын
まぁ発達障害で小学校追い出されたような子どもだったから、逆に言えばそんな子どもが発達障害で学校追い出されるような社会だったというのが「戦争も仕方ない」と言わせる理由の一つだったのかもしれません。
@daiman1203
@daiman1203 Жыл бұрын
自分は、ボヤボヤ~は、コロナと同じような物だと思いました。 コロナも、世の中・世界で、マスク強制、外出制限になり、発生当初は、考えられない世界になっています。 あー中国が原因の大変な病気だなぁで、今の5類も考えにくい状態で、外出制限が予想できるようならば、ボヤボヤ~は、子供だから。で通じると思いますが、大人が、マスク強制とか、除菌トラブル等で「何でこんな目に…」ってなるのは、本当に予想できたでしょうか? 戦争は、コロナと違って、人間の支配によって、人間の命を自在に操り、人間の制限を力や同調でたやすく行う事で、それこそ特攻隊等、敵を倒す作戦をするような、病気より命を簡単に操る物だと思うので、結果的に、ボヤボヤしている人は、多かったと思います。 私の祖母も、小5で終戦体験しましたが、玉音放送は、何言ってるかわからない(今の国会中継みたいな感じ)上、空襲の危険は分かれど、「こっちはあまり関係ない」みたいな感じだったと聞いていますので、必然的にボヤボヤしている感じだったと聞いてました。
@masu_kyon
@masu_kyon Жыл бұрын
父はルソン島で本当の地獄を見たようでほとんど戦争の話はしませんでした。終戦特集などのテレビも見ませんでした。姉に当たる伯母などは人間が変わった。本当にひどい目あったのだね〜となきました…戦争はすべてを破壊するという事
@ドッシイ
@ドッシイ Жыл бұрын
黒柳さんってもう90歳なんだなぁ いつ見ても若々しいから知らない間に120歳くらいまで生きてそうだな生きてくれ
@user-Loverhythm0429
@user-Loverhythm0429 Жыл бұрын
確かに同感です
@ボートピア名無し野
@ボートピア名無し野 Жыл бұрын
もはやこれを徹子の部屋で流すべきではないだろうか? 戦争経験者がどんどん消えてくなか、きちんと徹子さんの話を地上波で流してほしい。
@marin0914
@marin0914 Жыл бұрын
バイオリニストの様な銃も扱ったことない一般市民がある日突然駆り出されて死なねばならないなんて考えたくないです。 本当に戦争の悲惨さはずっと語り継がないといけないですよね。 子どもがいますので絵本買って一緒に読みます。
@久子福井
@久子福井 Жыл бұрын
有り難うございます。       徹子さんの優しい心が、大切なことを伝えて、教えてくださる 私も五歳のときに家族と疎開をしました。      ところが食べ物にこまり   父の里ヘ行くために上野駅につき、そこで沢山の孤児に囲まれました。どの子もスルメイカをもつていて、 おにぎりちょうだい。     おにぎりちようだい。つてスルメを差し出して~~~私はあの時のボロボロの  小さな子大きい子達の姿が焼き付いていて、 今でも 父さん、母さん、いないけど、と古関ゆうじの、  とんがりぼうしの時計台の唄を思うのです。
@benjiM-oz5gl
@benjiM-oz5gl Жыл бұрын
徹子さんと母は同世代です。食べ物も無く、空襲警報に怯えて過ごした事を、何度も何度も話しておりました。 本当に辛かったのだと思います。お父様がシベリアから無事に戻られた写真は貴重ですね。 徹子さんお元気でいてください。
@yuiharamaki2439
@yuiharamaki2439 Жыл бұрын
徹子さん貴重なお話しをしてくださり、本当に感謝申し上げます。
@Hanachan-sq9gz
@Hanachan-sq9gz Жыл бұрын
貴重なお話しをありがとうございました。「戦争は嫌だ!」との言葉が心に深くささり涙が出ました。私は、戦争を体験していない世代ですが、悲惨な歴史を二度と繰り返さない為にも徹子さんのお話しを大切にしていきます。
@Hujiwarano-takeyoshi
@Hujiwarano-takeyoshi Жыл бұрын
​​​​@@yuzu-x8b人間に限らず地球のどの生き物も地球環境に良い面と悪い面の両面を持ち、それぞれの役割と課題があるのだと思っております。 戦争に関しては戰の何たるかを知るために戦争の悲惨さを学んで伝える事は必要ですが、それだけで戰を無くすのは到底難しい話ですので、その上で少しでも戰を未然に防ぐためにも政治家に限らず我々国民一人一人が戦争のことを、良いか悪いかは分かっているかと思いますから、良し悪しよりも何故そのような事になったのか、またそれを只今の世の中と照らし合わせて注意すべき事は何か等を色々な視点や情報から考えて一人一人自分の意見を持ち、お互いに論じ合って議論し、一人一人が自分で出来る事を考え身近な事からやっていく事がとても重要だと僕は考えております。 政治や戦争は半分政治家の責任であり半分その政治家を選たんだ、もしくは諦めて放置した国民の責任なのではないでしょうか。(特に民主主義においては)
@愛子-f3i
@愛子-f3i Жыл бұрын
戦争は遠い過去の話のようですが、78年前はそんなに前ではないと思いました。現在も世界では戦争が続いています。 徹子さんが、突然戦争は始まったとお話しされていましたが、本当に今こうして平和に暮らせている事に感謝します。日々周りの人と助け合って暮らしていきたいと思いました。
@godream6070
@godream6070 Жыл бұрын
私は非国民と呼ばれても、いかなる理由があろうと戦争や暴力に反対します。 再び戦争する国に舵を切った自民党に怒りを覚えます。 徹子さんありがとうございます。
@yuko7297
@yuko7297 Жыл бұрын
私の祖父もシベリアに抑留されていました。徹子さんのお父様のバイオリン聞いたかしらと思いを馳せました。祖父は帰国してからも、夜思いだしよくうなされていたそうです。祖父も家族バラバラになることも辛かっただろうなと思います。戦争は嫌です。
@skyla4866
@skyla4866 Жыл бұрын
戦争の記憶がどんどん薄れていく中、お辛い思い出を話してくださってありがとうございます。 あの時代があってこそ、今の私たちの暮らしがある事を決して忘れません。亡くなられた方々のご冥福を心からお祈りします
@じゆん参
@じゆん参 Жыл бұрын
ぼくも 同時に 戦争で亡くなった いとこのおじさんも そんな感じですね 貴重な 話ありがとうございます
@なべあこ-x6d
@なべあこ-x6d Жыл бұрын
戦争はダメです、絶対。 この言葉は戦争の時代を生きてきた人だから余計に心に響きます。 戦争はダメ。絶対に。
@3snow541
@3snow541 Жыл бұрын
まるで、昨日の事を話されているかの様に辛い経験を話された徹子さん。 偶然?お父さんとの出会い😶 ドブに落ちてなかったら気付かれずにいたのかな… 家族を亡くされた沢山の人達。戦争は何のための物なのか?
@ノリ-x3h
@ノリ-x3h Жыл бұрын
とっとすけ!と徹子さんのことを可愛がっていたお父さんですよね。本で読んだ、「僕のバイオリンで軍歌は弾きたくない」というお父さんの言葉がすごく印象に残っています。貴重なお話、ありがとうございます。
@YT-iq2yq
@YT-iq2yq Жыл бұрын
私の祖父もシベリア抑留されていました。来る日も来る日も穴(処刑された日本人捕虜を埋めるための穴)を掘ったって言っていました。数年前に亡くなりましたが最後までロシア語を覚えていました。 妹がロシア人と国際結婚するときおじいちゃんに挨拶に行きましたが、おじいちゃんは嫌な顔ひとつせず、妹のロシア人の彼氏とハグして妹をよろしくねって笑顔で言っていて、おじいちゃんの心の広さと強さに感動しました。 世界から戦争がなくなる日が来ることを心から願っています。
@Miki_3
@Miki_3 Жыл бұрын
なんと、、、😭懐が深い方だったんですね。
@umaa4057
@umaa4057 Жыл бұрын
じいちゃんの話しですか!、身近な話しですね!、毎日毎日穴を掘って遺体を埋めていたのですか!、シベリアの環境が過酷過ぎてほとんどの日本人が亡くなったと聴きます!、おじいちゃんもがんばって生きてがんばって帰って来られたのですね!、靖国の英霊に感謝致します!、
@ねねねね-t9e
@ねねねね-t9e Жыл бұрын
小さい頃から戦争の話は聞いていましたが、どこか「物語」フィクションのように感じていました。大人になった今、コロナの影響も確かにありますが、様々なところで物が無くなる、ということを少しづつ肌で感じてきているように思います。 今の日本人がもしも召集されても、応じるんだろうか。できることは無いような気もします。 地下足袋のお話が衝撃的でした。
@dayondayon
@dayondayon Жыл бұрын
福島原発事故の時、当初県民は何も知らなくて水汲みにみんなならんでました…今から考えるとあれが戦争の始まりだったんだなぁと😢 徹子さんがおっしゃってましたがあっという間に食べ物がなくなって、本当にみんななんだかわからないのに並んでた😂 原発事故は私たちにとってはある意味戦争だった
@user-hd5fb9kc9c
@user-hd5fb9kc9c Жыл бұрын
徹子さんこんにちは👋😃 家の父は昭和7年生まれで もう亡くなりましたが、物がない時代に育って1日食べるものが無く 人が食べて捨てたリンゴの芯を拾って水で洗って食べた話を聞いた事があります。その話は心にずっと残っていて今でも思いだしたりします。また、何かのタイミングで私の家族にその話しをした時にも毎回涙が出てしまいます。父とは性格が似ていて顔を会わせれば喧嘩ばかりしていましたが亡くなってからは父の事をよく思い 思い出しています。母が亡くなって三回忌を終えた後 母を追うように父は亡くなってしまいました。 親孝行したいときには親は無しですね😢
@まる子-b6g
@まる子-b6g Жыл бұрын
「戦争なんて始まる雰囲気は全くなかった」から「万歳!」と言えてしまう世の中に一変してしまうなんて。。。ロシア・ウクライナ戦争はいつまで続くのか、、気候変動はいつ解決するのか、、徹子さんの話を聞くと今の世界が良いものになっているのか、戦後の私たちが作る世の中は本当にこれでいいのか、考えてしまう
@高野敦子-f2q
@高野敦子-f2q Жыл бұрын
戦争体験者がどんどん減るなか、著名な方がこうやって外へ語って下さることは本当に大切な事だと思います。お辛い事で、お話ししたく無い事も多くあるとは思います。ありがとうございます。 私が小さい頃、夏休みは祖父母の家へ長期滞在する事が多く。ある日、生々しい戦争テレビを見た時のショックは今も忘れません。「誰が私を助けてくれるの⁉️」と泣きながら祖母に聞きました。「もうこんな事は無いから大丈夫」と慰めてくれました。その時、こんな事は絶対に起こしてはいけないんだ、と強く思いました。 実感の無い世代が益々増えていく中、語り継いで行く大切さを本当に感じます。
@久宿文子
@久宿文子 Жыл бұрын
黒柳徹子さんの父親と戦争体験の話しは、貴重なことでした。私は戦後25年生まれですので、私の父は戦争にいきましたが、体験の話しはしませんでした。母からは、当時の暮らしの話し聞きましたが、実際には、理解はできずに、今したが、ずっと後に大人になって、テレビの戦争映画や体験者の話しで、悲惨に現実を知りました。戦争は絶対してはいけないと思います、戦争で人の心までかわってしまうのですね。
@小林真理子-f8w
@小林真理子-f8w Жыл бұрын
きっと、、お父さんは可愛い徹子さんやお母さんを残し 戦争に行きたくなかったでしょう 今現在ロシアとウクライナの戦時中ですが ロシアの若い人達は戦地に行くのが嫌で祖国を捨てる と言う方があると聞きましたが、、 1日も早く終わり世界中が平和で暮らせる様になる事を 祈ります
@えりりん-g7g
@えりりん-g7g Жыл бұрын
戦争は絶対にダメです。平和でなきゃです。 父は叔父から頂いた大切な帽子が、小学校が空襲になり、帽子も一緒に無くなった事を今でも思っています。 徹子さん、貴重なお話ありがとうございます。
@chieko355
@chieko355 Жыл бұрын
お父様お母様がとても愛情深い方だったのがよくわかりました! そしてドブに落ちて、お父様に見つけてもらう徹子さん😂 かわいくて、幸運な天使ですね。 戦争はダメと言っても一般の人間はただ、一生懸命に生きるしかないのかなと思います。 他者に優しくありたい、家族を大切にしたいと思いました。
@user-qy5bo8xe5b
@user-qy5bo8xe5b Жыл бұрын
お母様が上野駅でお父様のバイオリンを聞いた人を探していた話、涙が止まらなくて苦しい。微かな情報でも生きてる証を探したいよね。
@junmegu6738
@junmegu6738 Жыл бұрын
徹子さんの戦争のお話 このKZbinを学校で子供達に見せて欲しい こんなにリアルでわかりやすいお話はないです
@taeko4076
@taeko4076 Жыл бұрын
徹子さん、貴重なお話本当にありがとうございます。 戦争は絶対に繰り返してはいけないと子供、孫の世代にも必ず伝えていきます。
@miwahashimoto6328
@miwahashimoto6328 Жыл бұрын
徹子さん!今日映画見に行きます!小学生の時に先生から、窓ぎわのトットちゃん読んでみて!と言われて愛読しました。楽しみです。泣いちゃうかな。
@happysmile--
@happysmile-- Жыл бұрын
今年も貴重なお話有難うございます。もう戦争を語れる人も少なくなり、徹子さんみたいに当時の記憶を細かい描写で分かりやすく伝えて下さる方はそうそういないと思います。大黒柱を失って精神的経済的に当時どんなに辛かった事かと思います。戦争ってさあ今から始めます!ってアナウンスも無いと思います。特に当時はTVもネットも無い時代。今でも突然始まってしまいますよね。だからこうやって戦争は絶対反対と言う気持ちを表して日頃から意識しておく事は大事だと思っています。本の出版有難うございます。戦争を実体験した人が少ない中経験談を子供達に語り継ぐ良い機会になると思います。拝読させて頂きます。
@tsukapont.2139
@tsukapont.2139 Жыл бұрын
今、何もなく食事が出来る事。 とても有難いし感謝しかないです。
@ななしごんこ-l2l
@ななしごんこ-l2l Жыл бұрын
徹子さんのお母様の気丈なことにものすごく感動すると共に当時はそれくらいしっかりしていないと生き抜けなかったのかもしれませんし、子どもをしっかり守って育てることもできなかったかもしれません。それに兵隊となって戦争に送り出す妻としても、送り出してから毎日毎日汽車に顔を突っ込んで「バイオリンを聴いた人はいませんか?」なんて、夫を思う気持ちが強く逞しくて、きっとものすごい人、人、人でごった返した混乱のなかでのことだと思い、想像しただけで泣けてきます。それにしても徹子さんがドブに落っこちてしまったお陰で、お父様と再会できて、お母様が日の丸の振り方を頼んで、汽車に乗るお父様をお見送りできたことは、本当に神様からの贈りものだったのかもしれませんねぇ✨無事に帰ってくることができて、本当に良かったです。私の祖父は戦死したと聞いているので、生きて帰ってきてくれていたら、私も祖父に会えたのかもしれません。
@mikmar724
@mikmar724 Жыл бұрын
徹子さんが話してくださる戦争話はとても切なく、情景が浮かんできます。 本当に戦争はいけないんだ、と毎回聞くたびに強く心に刻まれます。 平和でなければいけません。
@克巳守屋
@克巳守屋 Жыл бұрын
母が徹子の部屋が好きで筆者が徹子さんの本も何冊も持ってましたが、納得がいきます!
@100ten0
@100ten0 Жыл бұрын
22歳までずっと品川駅の近くに住んでいて、通学にも使っている駅でした。恥ずかしながら、品川駅から兵隊さんが列車に乗ることは知りませんでした。今はとても綺麗な駅になっているけど、自分の育った場所での戦争のエピソードを聞くと、より戦争が嫌だないう気持ちが強くなりました。
@kani_park24
@kani_park24 Жыл бұрын
徹子さん、ありがとうこざいます。 だんだん戦争の話題が減ってる中、毎年特集を組んでる徹子の部屋はいまや貴重ですし、このような動画も貴重で、よりありがたみが増しています。ほんとにありがとうございます。 1人でも不本意な亡くなり方をしてしまうようなことは事件でも事故でも悲しく、あってはならないことなのに、戦争になると個々が矮小化され、仕方ないという雰囲気になってしまうことが恐ろしいし、許せないです。
@LiLi-hc6sc
@LiLi-hc6sc Жыл бұрын
否応なく戦争は「家族」をバラバラにしてしまう恐ろしい魔物だと思いました。 今も苦しんでおられる方たちがいることを忘れてはいけないと思いました。 貴重な体験談を心に刻みたいです。
@MASASHIATOMU
@MASASHIATOMU Жыл бұрын
戦争の話は怖いので苦手だからできるだけ見ないように聞かないようにしてきたんですが、 徹子さんのお話は聴きたいと思って聴きました。 とんでもないことになっていてびっくりしました。 ですが、帰ってこられて本当によかったと思います😭😭❤ 気づいたら始まっていたみたいな言葉が1番恐ろしかったです。 いまも、海の向こうで大変なことになってますが、そういったことがおっきなものに繋がらないように切に願います。 戦争は絶対に嫌です。 恐ろしすぎる。
@bitou-d4l
@bitou-d4l Жыл бұрын
昨年の15粒の大豆の話を覚えています。「1日にたった15粒」に泣きました。淡々とお話する徹子さんがいかに悲しい思いをしたのかわかりました。そして、もうあれから1年経ちました。今年は、お父様の出征のお話、鮮明にその日のことを覚えていらっしゃるのですね。忘れてはいけないですよね。15粒の大豆の本、探して読みます!
@junkowatanabe3776
@junkowatanabe3776 Жыл бұрын
貴重なお話をありがとうございました。 とっさに出たお母様〜に徹子って反応してくれたお父様 とっても胸が熱くなりました。 食糧難を長く乗り越えてきた徹子さん、アイスクリーム いっぱい食べてくださいね。
@amelico
@amelico Жыл бұрын
貴重なお話をありがとうございました。出征のお別れを惜しむことすら許されない状況、どれ程辛かったかと思うと涙が溢れてきました。 今こうして平和な世の中であることが当たり前ではないし、個人がどうしていけば戦争を避けられるのか、、答えは難しいですが改めて考えたいと思うきっかけを頂き、ありがとうございました。
@wakabe052
@wakabe052 Жыл бұрын
徹子さんは戦争体験をただ語るのではなく、興味深い話にして、でもその悲惨さは的確に伝える。流石タレントさんだと感じました。
@mred1812
@mred1812 Жыл бұрын
終戦記念日に弟とご飯を食べたんですがTVをつけてもバラエティばかりで日常のようだったことに脱力しました。 徹子さんのような体験者から話を聞けることに限りがあることと、戦争=残酷なとこと遠ざけられる昨今…ウクライナとロシアで今も繰り返されてるのも事実。忘れてはいけない伝えるべき事を伝えないメディアには疑問を感じます。
@るる-m4t
@るる-m4t Жыл бұрын
徹子さんのファンです。お母様のチョッちゃん物語を、小学生のとき徹子さんたちの話と知らずに読んでいて大好きでした。最後にお父様が帰ってくるシーンに安堵したものです。徹子さんと朝さんの話が大好きです。
@かのは-q1u
@かのは-q1u Жыл бұрын
戦争を経験した親族から、当時の話を直接聞くことはできませんでした。 貴重なお話をありがとうございました。
@さんにゃんた-q5z
@さんにゃんた-q5z Жыл бұрын
徹子さん、お話どうもありがとうございます。 私の母も東京品川区で戦争を体験した一人です。戦争のお話をしていただけることは、全く戦争を知らない世代には、とても必要なことだと思っております。母は今年の1月に亡くなり、もう母からの戦争の話は聞くことはできなくなりましたが、私は母からいくつかの話を聞くことができ、その話を私の子どもたちに教えていくことができています。徹子さんも、思い出したくないお話もあるかと思いますが、何故戦争をしてはならないのか、平和がどれだけ大切なことなのかを、これから先もお話していただけたらと思います。
@ななせなな-m4i
@ななせなな-m4i Жыл бұрын
徹子さん、穏やかな喋り方が素敵です。貴重なお話ありがとうございます。トットちゃんに何度も助けられた36歳より。
@めぐみ-b5k3t
@めぐみ-b5k3t Жыл бұрын
徹子さん。戦争の貴重な お話をして下さり有難う ございました。どんなに お父様が帰られるまで辛い 日々だったことでしょう。 そして復員されたお父様に 再会できて嬉しかった ことでしょう。私は戦争の経験はないですが、父が 海軍で戦艦の故障で出撃 出来ず終戦を迎えたと 聞かされて育ちました。 なので今の自分がいると 心から感謝しています。 広島の平和資料館にも 行き戦争の恐ろしさを 知りました。今も世界で 戦争が続いています。 早く世界に平和な日が  訪れます様に。徹子さん 平和の有難さを教えて 下さり有難うございました
@高木洋子-n5d
@高木洋子-n5d Жыл бұрын
徹子さんがお話しされると、とても身近な事に思えます。 戦争はぜったいダメ。平和が大切。平和を維持し、世界にも呼びかけられる日本で🇯🇵いて欲しい❣️
@キャンディー-u6m
@キャンディー-u6m Жыл бұрын
私の高校時代の校長先生が出征の経験があり、みんな「お母ちゃんー!と叫びながら撃たれて亡くなって逝った」と、何度も何度もお話しをしていました。そして、「戦争体験をした人以外が、戦争体験の話しをするな!」と、よく怒りながら言っていました。 学校でも社会でも日本は政治の話しをすることがタブーな感じがあります‥もっともっとオープンに政治の話しを色々な人としたいです。 徹子さん、貴重な戦争のお話しをありがとうございました。
@ガチャピン-o1s
@ガチャピン-o1s Жыл бұрын
私の祖母は疎開して裕福な農家で過ごしていたそう。 東京では食べられなかった 白米をお腹いっぱい食べさせて貰えていたわー と言っていたので、あるとこにはあった。 祖父は軍医だったので 普通に3食、晩酌付きだった。 父方の祖父は通訳をしていた為 これまた安全な所にいたし 欲しければ外国のお菓子等も簡単に手に入れていた と言ってました。 身内の悪い話ですが あまり明るみに出ない事実も みなさまに知ってほしいので コメントしました。 それを、私が学校で言ったら 嘘つき呼ばわりされました😅 反対に戦後に、GHQ等に 没収されまくったり等で 戦後苦労した、戦後の方が大変だったと語っています。
@kashitemma
@kashitemma Жыл бұрын
わたしの親族もそうだったみたいです。不平等が露呈するのも戦争の一面ですね。
@優海-v6g
@優海-v6g Жыл бұрын
私の祖父母も東京大空襲が起きる直前に、故郷である埼玉に戻って難を逃れたと、生前話してくれました。 食料については豊富とまでは言えないけど、東京よりは良かったようで、空襲はなかったので、もんぺではなくスカートを履いていたようです。 地域とその時の家庭状況で違いはありますね。
@maron3008
@maron3008 Жыл бұрын
祖父がシベリアへ行って帰国していました。 きっと、黒柳さんのヴァイオリンを聞いたことでしょう。 病気で若くして亡くなったので、戦争の話を聞くことの大切さを感じます。 現在、ウクライナで戦争があります。 私が、BBC NEWS JAPAN の投稿に「日本がお金を出していることをやめるべきだ」ということを書き込んだら、「こんな非常識な日本人がいるのを知って驚いた。」・・・と、コメント欄が荒れました。 今、第3次世界大戦の中にいる気がしました。 そして、私は非国民だとわかりました。 当時はもっと酷かったでしょうね。 それを乗り越え、ここまで語り続けてくださる黒柳徹子氏に感謝しています。
@marinnorange3387
@marinnorange3387 Жыл бұрын
徹子さん、5年間もお父様に会えなかったのは初めて知りました。当時の状況のお話、胸にしみました。
@ねこちゎん
@ねこちゎん Жыл бұрын
久しぶりに会った時、ちょっと恥ずかしかったと言った表情が子供のままのお顔ですね。 貴重なお話ありがとうございます。
@hirot9934
@hirot9934 Жыл бұрын
貴重なお話をありがとうございます。 私が幼い子供の頃、私の手を引く母が飛行場のフェンスで泣いていた事を覚えています。幼心に母の涙が悲しくて、わけをきくと、「あんたの父さんが飛んで行ったから」とのこと。海上自衛隊鹿屋基地の飛行機乗りだった父は、数日もすれば、🍎やお菓子のお土産を持って笑顔で帰ってくるのに。と、戦後生まれの私にはただ怪訝に思えました。 母が幼子の頃、親に手を引かれ、日の丸の紙旗を持ち、同じ鹿屋基地から飛び立つ海軍特攻隊の若い兵士を見送った話を聞いたのは、だいぶ後のこと。その時、私は、母の涙の理由がなんとなく分かった気がしました。そんな母は今も健在ですが、飛行機だけは、怖くて頑なに乗ろうとしません。強烈なトラウマがあり怖かったんだと思います。 怖いことを怖い、悲しいことを悲しいと言えない戦争。死にたくない、そんな人間として当然の一言さえ言えない戦争。絶対に繰り返してはいけません。
@junko290
@junko290 Жыл бұрын
この時期になるといつもKZbinの神風特攻隊の遺言 曲キミガタメがながれまています!その映像を思い出します!一度見て欲しいです。何度見ても涙が止まりません! 若い人が戦争に行く時に遺言を残すのですが、何も自分の物を置いて行かないって置いて行くとそれを見てお母さんが思い出して泣くからとか婚約者に会いたいとかほんとかわいそうなくらい色々な思いをもって戦地に行く姿が忘れられません。徹子さんのお話しも凄く貴重なお話しですね! 世界平和願いたいです。
@junko290
@junko290 Жыл бұрын
神風特攻隊員たちの遺書 曲キミガタメ 題名を少し間違えていました😣
@TV-wp7re
@TV-wp7re Жыл бұрын
🌐世界が平和になります様に………🌐
@Jump-b1g
@Jump-b1g Жыл бұрын
お父様のご帰還後、徹子さんやお母様に、会っていなかった間、どういった生活をしていたかをお父様はお二方にお話になった。 徹子さんもお父様の体験話をされることで、話のバトンで私達国民も平和であることを祈れます。 私が小学生の頃に祖母の家を訪ねる度に、祖母はB29、空襲に防空壕、逃げて逃げての恐ろしさを語っていました。その頃、私がもう少し大人だったら、もっと詳しく聞かせてもらえていたのだろうと今になってはそう思います。ありがとうございました。
@ライジングサンサンサン
@ライジングサンサンサン Жыл бұрын
徹子さんのKZbinに大変感謝申し上げます。お陰様です🙏
@野呂美奈子-f6k
@野呂美奈子-f6k Жыл бұрын
ただ ただ 涙です…
@hitomiokada-i9z
@hitomiokada-i9z Жыл бұрын
お話し頂いて感謝します。
@あじさい-k9q
@あじさい-k9q Жыл бұрын
私は40代で親も戦後生まれです。 大好きな徹子さんの著書で、お父様のためにお母様がお作りになった おはぎ は砂糖を入れられなかったけれど、お父様がお喜びになり召し上がった事を拝読し、とても切ない気持ちになりました。 徹子さんご家族の愛が伝わると共に、戦争は絶対に起こしてはいけないという思いも込め、8月9日はお誕生日祝いをしないという徹子さんの想いや行動に、とても尊敬致しております🍀
@ranran_1107
@ranran_1107 Жыл бұрын
学校で今「黄色い花束」を習っています。とても素晴らしいお話で感動したした。
@黒木由美-r2n
@黒木由美-r2n Жыл бұрын
こんにちは💚 徹子さんーー戦争はしては成りません。  良かったですーー厳しい国から、 帰国されたーお父様。本当に良かった。   もう、、40年以上に成りますが、 小さな規模の 銀座の画廊だったか、、 美しい装いの素敵なスタイルの良い御婦人ーー ーー徹子さんと、お父様ーーいらしてました。 本当に仲睦まじく、長年、父に逢っていない 私は 羨ましく思ったものです。おふたり共、 素敵な笑顔を 忘れません💖
@REKISHIGAKU
@REKISHIGAKU Жыл бұрын
きっと当時の黒柳さんご一家と同じような思いをしている方が、ウクライナにもロシアにもたくさんいるのでしょう。貴重なお話ありがとうございました。
@美緒-p1z
@美緒-p1z Жыл бұрын
お話ありがとうございます。 二年前に亡くなった父が樺太生まれで樺太で育ち、終戦直後ソ連兵の襲撃ね中引き上げ船に乗り命からがら北海道に行きました。
@kumachan.358
@kumachan.358 Жыл бұрын
徹子さんはラジオ、テレビ、KZbin…常にメディアの最先端を生きてきたメディア史の生き証人、偉人ですね。 自分が徹子さんの年齢だったらKZbinを始めることに抵抗がありそうなものです。模範的なKZbinの活用法をして見えて感嘆致します。
@えみり-v4l
@えみり-v4l Жыл бұрын
貴重なお話をしていただいてありがとうございました 戦争は、してはならないと強く思いました
@hiromikawaguchi
@hiromikawaguchi Жыл бұрын
戦争を体験した方に 直接話しを聞くのは 大正八年生まれの祖母からと学校の先生 戦時中は6歳だった時の体験です。やはり戦争を体験された方からの話しを聞く事が一番胸に刻まれます。 それと同時に どんなに辛い経験をしても 人はこんなにも素敵な笑顔になれるんだと感じた事があります。徹子さんのお話他の番組でも戦争の話を聞くたびに、 実体験が無い世代の私達は しっかり 知っておかないといけないといつも思います。
@Yoshikochannel-x3h
@Yoshikochannel-x3h Жыл бұрын
🍀いつも楽しく、嬉しく、そして大切な時期には大切な事実をお伝え頂いたり、元気を頂けたりと🍀 泣き笑いをしながら拝見致しております。 母と同年の徹子さんの 子供時代の お話を伺うたびに 日本の素敵な時代と悲しい時代が垣間見れます。 戦争さえ無ければ 私は昔の日本が好きです。 自然がまだ沢山あり 人々が心豊かな そんな日本に暮したいと 思います。 どうぞこれからも子供たちに大切なお話を お伝えくださると 有り難いです🍀🌸🍀
@midorinakajima6187
@midorinakajima6187 Жыл бұрын
徹子さん辛い体験をお話しくださりありがとうございました😢 いつの間にか戦争が始まっていた。と言うところが今と似通っている様で危機感を持ちました。 78年前の敗戦で二度と戦争はしないと誓った憲法を、日本の権力者達は絶対に守らなければならないと思います。何よりも平和であってこそ🕊️
@手島久美子-m6i
@手島久美子-m6i Жыл бұрын
徹子さんのお話は、戦争の事涙が出ますね。
@moonlightー3
@moonlightー3 Жыл бұрын
何十年前でも消えることの無い戦争当時の記憶を振り返って伝えてくださり、ありがとうございます🙏 もう二度と家族がバラバラになり、大人も子供も辛い思いをするような戦争は起こらないように、子供達にも徹子さんの絵本やお話しに沢山触れて欲しいですね🍀
@小林佳代-p6x
@小林佳代-p6x Жыл бұрын
徹子さんが気丈に喋られていて、素晴らしいと思いました
@走る男カラオケチャンネル
@走る男カラオケチャンネル Жыл бұрын
徹子さん貴重なお話しありがとうございます。実は自分の母方のおじいさんの弟さんが昭和12年に戦争に行き戦死しました。徹子さんもお母さんもお父さんが戦争から返って来ないと思うと辛かったと思いますが生きて返ってよかったですね!
@mt-zb2he
@mt-zb2he Жыл бұрын
徹子さん、今年もこうして貴重なお話をしてくださり本当にありがとうございます。 戦争を体験した方々のお話を聞くことが どんどん出来なくなり、世界情勢も危うい今、徹子さんの貴重な戦争体験のお話が本当に 1人でも多くの方に届きますように🙏✨
@まりも-e8n
@まりも-e8n Жыл бұрын
貴重なお話を聞かせて頂きありがとうございます。今は戦前だったなんて、後から振り返ることの無いよう国民として、眼をしっかり見開いて、行かなければと思っております。
@kazuya6060
@kazuya6060 Жыл бұрын
台湾に於ける政治家の発言やアメリカとミサイルの合同開発などのニュースを聞くと戦争の始まりがすぐ近くまで来ている気がします。 少しでも多くの人がこちらの動画を視聴して、戦争の悲惨さに気付き、考えるきっかけになればと思います。 貴重なお話、ありがとうございます。
@jessamine4027
@jessamine4027 Жыл бұрын
徹子さんのお話、心が熱く締め付けられました 素敵なお父様とお母様のエピソード、心打たれます。
@hik.5101
@hik.5101 Жыл бұрын
涙が自然と流れてきました。ご自分のお誕生日に戦争の悲しさ、残酷さの体験をお話しして下さる徹子さんに感謝します。そうして下さる徹子さんに、亡くなられた皆様とその御家族がきっと手を合わせて感謝していらっしゃいます。お父様もきっと「トット助」を誇りに思っていらっしゃいます。❤
@kr1207
@kr1207 Жыл бұрын
徹子様、こんばんは。 戦争体験のお話をこのように動画にして下さり有難うございます。 私は今、高校生ですが、これまで見てきた・聞いてきたどんな資料よりも現実味を感じられ、その事実にとても驚いています。学校では、平和学習として小学生の頃から、戦時中の実際の映像や映画を通して理解を深め演劇をしたり、また、実際の戦争体験のお話を聞くことがあったり、2年前には長崎の原爆資料館にも訪れ被害の惨状を見てきたりと様々な形で「戦争」というものを学んできましたが、そんな私にとって今日のこのお話が一番考えさせられるものになりました。日本の多くの学校でこの映像を流して欲しいと強く思える程です。 徹子様の事は、恥ずかしながら、昨年のNHK紅白歌合戦をきっかけによく知るようになりました。日本でテレビ放送を開始した初日からテレビ出演をされている方だったということもその時に知りとても感銘を受けました。そんな方と同じ時代を生きる事が出来て、とても光栄に思います。そして、先日は卒寿を迎えられましたこと、心よりお祝い申し上げます。🎉💖 以上の経緯もあって、徹子様が戦争体験をKZbinを通して語られている事、そのお陰で沢山の学びを得る機会が与えられた事は私にとってこの上ない事です。お顔・お姿は勿論の事、経歴も少しだけ知っている徹子様という存在がこのお話を語られることでしか気付けない発見、価値観は私以外の方にもきっとあると思っています。 沢山(特に同年代)の方にこの動画を見て欲しいと思える本当に素敵な動画でした。改めて、有難うございました。🙇✨ 今後も黒柳徹子様のご健勝とご活躍をお祈り申し上げます。
@zenhippie2011
@zenhippie2011 Жыл бұрын
自分(←kr1207さん)みたいなしっかりした人が居て、自分ホント嬉しいわw (其の心持ちを忘れないよーにして下さい。)
@rikochi_nico
@rikochi_nico Жыл бұрын
貴重なお話をありがとうございます。 18:22 申し訳ないという言葉が心からスッと出てくるのが、日本人らしいというか他者を慈しみ気遣ってる徹子さんなりの愛なんだなと感じましたし、それだけ多くの死が現実的だったこと、その分生きて帰ってきたからには人生を全うする使命にも繋がったのかなと思います。 お母様が毎日お父様の安否を確認しにその身一つで聞き周りに行っていたことも愛そのものだと感じました。
@kome9waka238
@kome9waka238 Жыл бұрын
徹子さんとても貴重なお話をありがとうございます。今まで知らなかった戦争時の厳しい状況と徹子さんのお父様のことを聞いて、胸が痛くなり、無言になりました。お弁当はご飯と梅干しだけとか、外の明かりが制限されて周りが見えなかったり・・・当時は本当に厳しいことだらけだったのですね。今、戦争体験を話す人がどんどん減っていく中で、徹子さんのお話を聞かずにいられません。まだまだたくさんあると思いますが、今回お父様の話を聞けて良かったです。 終戦から今年で78年、日本は幾度の災害や地震などを乗り越えて、私たちは平和に暮らしていますが、世界中でまだ戦争、特にロシアのウクライナ侵攻はまだ終結に至っていません。一日も早く世界中に平和が訪れることを祈っています。 そして、最後に忘れちゃいけないこと。戦争で亡くなられた方々のご冥福を心からお祈りいたしたします。
@manatoabe0501
@manatoabe0501 Жыл бұрын
窓際のトットちゃん観ました。 とても感動しました。これを見て思ったのは戦争というものは友情など大切なものがたくさん失われ残るのは勝利という言葉だけだと感じました。戦争は人間が1番してはいけないことですね。
@しゅさか
@しゅさか Жыл бұрын
君の文字を見たら感動しました
@mu2172
@mu2172 Жыл бұрын
子供の頃から恐がりでテレビで戦争のドキュメンタリーなど観ると寝る前に戦争になってしまったらどうしよう😢と泣いている様な子供でした。 姉はそんな事起きる事はないと笑いましたが今になるとあなたが言っていた事は間違えではなかったねと言います。 長い歴史の中でたまたま戦争をしていない期間が今なのかなと思っています。 戦争は本当に嫌ですし平和な日々が続くことを願っているけど、願うだけでは気がついた時に手遅れになってしまう場合もある…。 どうしたらいいのかな。
@山口栄美子-o7c
@山口栄美子-o7c Жыл бұрын
徹子さんとても貴重なお話を有り難うございます。
@wachicat
@wachicat Жыл бұрын
胸がギューって苦しくなります😢毎年この時期はNHKスペシャルなどでミッドウェーやガダルカナルの特集を放送し、爆死よりも何倍もの人が餓死した話は何度見聞きしても、本当にあったことなのかと信じられないことです。どうして敗色を隠して撤退もせず、将来ある青年の青春や命を、ただの駒のように使い捨てたのか、本当に辛いです😢生きなくては、と思わされます。
@harutosa8869
@harutosa8869 Жыл бұрын
自分の父親が徹子さんと同い年です。 前回のお話もそうですが、出征の様子など俯瞰でとらえておられ 手に取るようにそのシーンやディテールを覚えているのが、凄いなと思います。 正直、父に同じようなことを聞いても、 その後の生活が大変過ぎたそうで、ぼんやりとしか覚えていませんでした。 旗を指揮棒のように降るのは、音楽家だったゆえのアイデアですね とても貴重なお話をありがとうございます。
@zig0119
@zig0119 Жыл бұрын
徹子さんと私の母は同い年で父親も4歳違いと、ほぼ同じ時代を生き抜いてきて両親からも戦争に関する様々な話を聞かされました。 ロシアによるウクライナへの侵攻や核による脅威が増々強まる中、徹子さんのような方が戦争反対の声をこうして上げていただけることを心強く感じるとともに、私自身も両親から伝え聞いた戦時中の話を次の世代に伝えていければと感じています。 戦争絶対反対です!
@なるみ-d4u
@なるみ-d4u Жыл бұрын
徹子さん貴重なお話しをしてくださり、誠にありがとうございます!今の日本の状況も考えさせられる事がありました。本当にありがとうございます
@tennenmusume
@tennenmusume Жыл бұрын
元介護士の者です。 (今は妊活の都合で休職中です。) 現役だった頃、ある入居者様のお父様が戦死者だというお話を伺う機会があり、せめてもの追悼になればと、お父様のお写真に合掌させて頂いたことがありました。 その方はとても嬉しそうな顔で『有難う!有難う!』と何度も仰り、ご家族が戦死された悲しみは、何十年経っても消えない傷なんだなと痛感しました。 また、私の父方の大伯父も戦死者で、毎年お盆の時期になると、自然と大伯父を偲んでいる自分がいます。 年の初めにこの動画を観たのも『当たり前のように過ぎていると錯覚しがちな、この毎日に改めて感謝しなさい』と諭されたのかもしれません。 年始早々貴重なお話をありがとうございました。
@kkaworu7903
@kkaworu7903 Жыл бұрын
悲しい、寂しいといった人間の本能的な感情を許されない時代というのは、何とも心苦しくて考えられない。心に蓋するのを強制されるということがどれほど苦しいことか。
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