かなり有名ですが、セツは「グノーシア」というゲームそのものの擬人化説というのがあります このゲームにはいわゆるメタ的な考え方が含まれています 例えば主人公は物語の中で、ゆりこに「お前は他のキャラと違って未来はない」と言われていたりします これはゆりこが主人公を「ゲームプレーヤー」、すなわち一次元向こうの存在であると認識していると解釈できます セツが最後だけ「とわこ」じゃなくて「君」がここにいてくれて良かったって言っているのも、同じ理由でしょう そして、ゆりこはノーマルエンドで「カーテンコール(演劇の終わったあとに役者が舞台袖から出てきてみんなでお辞儀をするあれ)はあるのかしらね」と言っていますが、これがトゥルーエンドの示唆ならば、セツの最後の「ありがとう」はきっと…その後すぐに「thank you for playing」という文字も出てきますからね…フフ…
Lee Argent 私も同じ部分を疑問に思ったんですが、SQの身体の中には、マナンの人格はあるがSQ本人の人格も残っており、本来はそれが表に出ているので、ククルシカ(中身は完全マナン)と同一判定されないと解釈できます。 それから、同じ人格が同じ宇宙に存在していること自体はおかしいことではあるけれど、周りの人から見るとこれは認識できない事実なので、当事者(マナン及びループし続け真実を知った者)以外はおかしいなぁともならない。よって宇宙は壊れない。ということかと推測しました!