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広島県福山市神村町の今伊勢宮ショート動画です。元伊勢・名方浜宮の伝承地の1つであり外宮と内宮が鎮座する。この場所には四年間滞在したとされている。山側の道を上がっていけば多賀神社も祀られています。
内宮の主祭神:天照皇大神
外宮の主祭神:豊受皇大神
多賀神社 :豊受大御神荒御魂
広島県福山市神村町甲
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• 今伊勢宮(2023-02-04)
今伊勢宮の情報
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第10代崇神天皇の皇女「豊鍬入姫命(とよすきいりひめ)」が、父の命で天照大神を祀る鎮座地を捜して大神のご神体である「鏡」を持って旅に出た。その行程は第11代垂仁天皇の皇女「倭姫(やまとひめ)」に引き継がれ、60年もの長きに渡った旅は、伊勢が終焉の地となった。これが伊勢神宮内宮の縁起である。奈良を出発し京都、和歌山、そして吉備国に入り「名方濱宮」には四年間滞在したとされる。その「名方濱宮」の旧跡に神村町今伊勢宮は鎮座したとある。鎮座した山はアマテラスのご神体にちなみ鏡山といわれ、その地名は神村という。しかし、一般的には「名方濱宮」は岡山県岡山市番町に鎮座する式内社「伊勢神社」に比定され、元伊勢と称されている。伊勢神宮よりも創祀は古いのだ。
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元伊勢・名方浜宮の伝承地の1つです。1426年、平朝臣太夫末治が伊勢に参拝した際、霊夢があり『鳥居に5寸ほどの青石があるから持ち帰って祀るように』とお告げがあったという。ということで、青石を泉州境水庄に持ち帰ったのですが、今度は『青石を持って西へ向かうように』とお告げがあったそうです。しかし、摂津 → 播磨 → 備前 → 備中へ下るも何も起こらなかったという。しかし現在地の鏡山に到着した際、1歩も前に進むことができなくなったので『こここそ神慮にかなう地』とし青石を安置して祀ったといいます。境内には三杉・四杉と称する七本の杉があり、これは豊臣秀吉が九州下向の際、この地で餅菓子を食した時に使った杉楊枝七本が芽を出したものといわれてます。江戸時代、福山藩主・水野氏が篤く崇敬したそうです。
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#元伊勢 名方浜宮 伝承地
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