菅原道真の出世は祖父が広めた〇〇〇の影響が!?(【YouTube限定】BS11偉人・敗北からの教訓 こぼれ噺 第80回)

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【番組内容】
BS11で放送中の歴史番組「偉人・敗北からの教訓」
番組収録後に、番組内でご紹介できなかったエピソードなどを歴史作家の伊東潤さんに語っていただく「偉人・敗北からの教訓・こぼれ噺」第80回目です。
今回は、本編の第68回「菅原道真 編」で話しきれなかった内容や歴史に纏わるお話など、お題の中から選んで語り尽くします。
学問の神様、菅原道真。
伊東さんが新たに解釈する道真像とは?
漢詩文が重要視されるようになったのは道真の祖父と父の戦略!?
平安時代の文化はややこしい!?…etc.
さらに、2024年11月30日(土)夜9時放送「高山右近 編」の予告映像と見どころをご紹介。
お見逃しなく!
■出演
進行:中西悠理(キャスター)
解説:伊東潤(歴史作家)
▼TikTokでショートムービー公開中!
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• 歴史「偉人・敗北からの教訓」ほか
■番組情報
全国無料放送BS11「偉人・敗北からの教訓」
📺毎週土曜日 よる9時00分~9時55分放送
【番組公式HP】www.bs11.jp/en...
【BS11 イレブン じゅういっちゃん公式X(旧Twitter)】 jy...
<番組詳細>
「敗北」「失敗」から、偉人の人物像に迫る!
毎回、偉人たちがおかした「歴史的な大失敗」から、その背景、要因、影響などを読み解き、
偉人の人物像を浮き彫りにするとともに、今を生きる私たちの教訓としていく新しい歴史バイオグラフィー。
【BS11+ 公式Instagram】
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#菅原道真 #宇多天皇 #室町時代 #安土桃山時代 #平安時代 #戦国時代 #戦国武将 #歴史 #日本史 #偉人 #英雄 #伊東潤 #中西悠理 #こぼれ噺 #BS11

Пікірлер: 23
@ガウ-l7l
@ガウ-l7l 2 ай бұрын
修学旅行やお守りの話、面白かったです。 伊東先生、ソフトボール活躍期待してます
@今泉一郎
@今泉一郎 2 ай бұрын
伊東さんの菅原道真説を拝聴して、新たな菅原道真像が浮かんでよかったです。
@ChuckMouth
@ChuckMouth 2 ай бұрын
面白かったです!野心家論を拝聴して納得しました。道真左遷は藤原氏が君臨し続けた所以ですね。
@あいあんまん-e3v
@あいあんまん-e3v 2 ай бұрын
中西さんのお着物美しいですね
@井上律浩
@井上律浩 2 ай бұрын
伊藤先生のソフトボールの試合に興味があります。
@japanese_watermelon
@japanese_watermelon Ай бұрын
NHK大河ドラマ清少納言やったんだから菅原道真やってほしい。
@流離こーじ
@流離こーじ Ай бұрын
たまたま今日太宰府天満宮に参拝してきたので、とてもタイムリー。
@kazu5222
@kazu5222 2 ай бұрын
道真はこれほど崇められてる今でも怒ってるのかなぁ…🤔
@niigatanoi
@niigatanoi 2 ай бұрын
あの話の後の次回予告で、高山右近も伊東さんの家に訪れた?と思ってしまいました。(「デウスの城」の右近だとそんな迷いはしないか)
@erikasono565
@erikasono565 2 ай бұрын
天満宮は、もともと道真公を祀ったものではなく地元の信仰だったものが融合したともいわれていますよね。 ***** 修学旅行は印象に残らないという話。 私はやり方次第だと思います。 私の母校の中高は、中高一貫教育なので、修学旅行は高校2年次の京都・奈良旅行のみ。その代わり、中学3年で理科研修旅行、高校1年で社会科研修旅行がありました。 理科研修旅行は、熱海辺りだったかな? 海岸で天体観測、地質調査、海の生物調査など、自然科学関係の様々な科目の勉強の総仕上げ。 社会科研修旅行は、学年ごとに時事問題のテーマを決め、1年かけて皆で研究を重ねた上で、年度末にフィールドワーク。現地で取材など。 修学旅行も、京都では、6人くらいのグルーブに分かれ、自分たちで訪問先を決め、計画を立てて行動する。飛鳥・奈良は現地の研究者の案内で史跡を巡りました。 どの旅行も、計画を立てる段階から生徒が深く関わっていて、事前学習を重ねていくから、とても印象に残っています。
@松見正法-i4e
@松見正法-i4e 2 ай бұрын
学問の神。肝試しのSceneのレガシィー✨
@松見正法-i4e
@松見正法-i4e 2 ай бұрын
日本三大怨霊のSceneのレガシィー✨しかもがっぷり四の決別のSceneのレガシィー💫
@dagaranana
@dagaranana 2 ай бұрын
複数の自分の娘を天皇家に嫁がせてたなら確かに嫌がられますよね。今だってそうなんだから昔はもっとそうでしたでしょうね。
@あさまよる
@あさまよる 2 ай бұрын
謙遜する文化も確実に中国からですよね 有名な三顧の礼も1回断るのは当時の中国では当たり前と聞きました
@ジョンソンジェレマイア
@ジョンソンジェレマイア 2 ай бұрын
天皇の後楯なんか最強だからなぁ。
@erikasono565
@erikasono565 2 ай бұрын
道真公は、藤原一門のような意味での権力欲に満ちた野心家、自分の一門の繁栄のために権力を得ようとした人、というのとは少し違うと私は思います。 本来は学問の道に生きたかったのが、不本意ながらも一度地方官として赴任してみて、庶民の現実を知った。だからこそ、政治改革を断行するためには、それなりの地位に就きたかったのではないでしょうか? 現代日本でいうと、国民民主党代表の玉木氏が「いずれは総理になりたい」と口にするのは、実現したい具体的な政策があるからであって、自民党派閥の持ち回りで大臣職や総裁、総理を目指す人が多いのとはわけが違う、だから国民も支持するというのと似ています。 - 道真公の場合、実現したかった改革は、農地改革、税制改革だったという解説を以前に聞いたことがあります。私は専門家ではないので、詳細は忘れてしまったのですが。 その際に興味深かったのは、この改革は、道真公と長年相棒だった藤原行平が、改革案を道真公から奪う形で断行した。 つまり、藤原行平が道真公を裏切って左遷したのは、苦しい立場に立たされてやむにやまれずやったことというよりは、もっと積極的に、道真公の改革案をパクって自分の手柄とするために、邪魔な道真公を左遷したのだということ。 - 道真公が娘を天皇や親王に入内させたのは、藤原一門が勢力を持ちすぎることを嫌った宇多天皇の意向が大きかった。 つまり、道真公自身が、藤原一門のように、自分の家系が権力を得るために外戚政治を狙ったとは思えません。そういう風に思うのは、伊藤潤さんご自身がかなり権力欲が強いからなのでは? - 道真公も、紫式部の家系などもそうですが、日本の学者の家柄というのは、ギラギラした権力欲で真実が見えなくなることを最も恐れ、忌み嫌うものです。 清貧に甘んじるというか、ある意味、あまりお金のことを考えなくても、一定の地位と俸給が保証されているからこそ、安心して学問に励むことができて、政治に対しても、必要な時に的確な助言を与えることができる立場です。 母の実家は私の曽祖父の代まで加賀藩御文庫係で、明治生まれの祖父は役人を務めあげた後、書家として晩年を過ごしました。 役人時代も賄賂は決して受け取らず、戦後は退職金などの私財を擲って、郷里金沢の戦災遺児の進学支援をしていました。 だから、権力を得て自分の家系が権力の座に就くことを考えるどころか、まさに「子孫に美田を遺さず」で、役人としては相応の地位にはあったのに、遺産はほとんどなし。 - 道真公の子孫は、左遷された後、名誉回復されてはいますが、そうした経緯がなくても、藤原氏のような立場になることは望んでいなかったのではないでしょうか。 そもそも、藤原氏の場合には、祖先の中臣鎌足が渡来人系の朝鮮半島の王子の子孫で、日本の朝廷に対しても外交的に特殊な立場だったからこそ、あれだけ長いこと、日本の皇室に娘たちを入内させ続けて姻戚関係を結び、外戚政治を行うことができた、という説がありますよね? 現に、日本の長い歴史の中で、皇室に対してそこまで大きな勢力を持ちえた家系は、藤原氏以外になかったわけでしょう? 皇別貴族である源氏や平氏ですら、藤原氏のような立場にはなりえなかったことを考えると、ましてや他家が藤原氏にとって代わることは、そもそも不可能だったのでは? 歴史にも詳しい道真公が、そのことを知らなかったはずがないと私は思います。
@秋山泰幸
@秋山泰幸 2 ай бұрын
どうしても平安時代で大河やりたいならあんな引きこもりのなかの引きこもりやらないでこの人こそ大河にすべきだった‼️
@秋山泰幸
@秋山泰幸 2 ай бұрын
幽霊はいるけどなんもしなければ無関係だから‼️無関係なのにおそうなんてただの通り魔と同じやろ‼️
@北川裕治-l4g
@北川裕治-l4g 2 ай бұрын
お二人に言いたい お受験なんか、田舎者に言わせると金と時間の無駄遣い。小中学校は勤労と違い保証されてるし、地元の小中学校を軽んじてる。
@masanobuokuda5837
@masanobuokuda5837 2 ай бұрын
私も、お二人がお受験の話で盛り上がっている間、何か見下されているようでイヤな気分になりました。
@erikasono565
@erikasono565 2 ай бұрын
お金のない地方の若者でも、ある程度の能力と志があれば、大学は受験しますよね? というより、地元の県立高校に進学するにも、受験はするのでは? - 私の父方の祖父は戦死しているので、父は母子家庭育ちの苦労人。金沢の当時、県立トップだった高校から東大に進学しています。 母子家庭の長男だからこそ、自分が一生懸命勉強して大学に進学し、一家の大黒柱にならなければという意識が本人にもあったし、家族もそのつもりで支えたようです。 だから父の姉に当たる伯母は、時代背景もありますが、高卒で働きに出ているのに、父と父の弟にあたる叔父は大学に進学。 とはいえ、祖母は「金沢大学でいい。地元にいい大学があるのに、なぜわざわざ東京に」と状況を許さず、父の担任教師が祖母を拝み倒して説得し、受験許可を取り付けたものの、祖母は「勝手にすればいいけれど、お金は出さないから」と言ったそうです。 入学すれば、母子家庭だから授業料免除、育英会奨学金など複数の奨学金も受給し、東大なら家庭教師のアルバイトも仲介してくれるでしょうが、受験のための上京にもお金がかかりますよね? そのお金は誰が出したのか? 担任の先生が立て替えてくれたのか、それとも、父は高校時代、蒸留水の研究で高峰賞を受賞して賞金金一封を貰っているので、自分で出したのか? - いずれにしろ、県立高校の修学旅行にも行けないくらいの貧困家庭の子供でも、高校受験や大学受験と縁がないとは限りません。 戦死した父方の祖父は、富山の一刀彫師の出身。富山にはいまだに残っている習慣で、男の子が生まれると、天神様、つまり道真公の木彫り像ないしは掛け軸を贈るのだそうで、父が生まれた際に父方の祖父の長兄が送ってくれた富山の一刀彫の白木の天神像が我が家にはありました。 父は、初めての子供が女の子だった祖母が、天神様に男の子が授かるようにと願掛けして生まれたとかで、天神像は富山の習慣とはいえ、子供の受験の度に、我が家ではその天神像に願掛けしたものです。 - 両親は、内村鑑三の高弟である矢内原忠雄氏の無教会主義キリスト教集会に通っており、普段はキリスト教主義で、初詣や七五三でも神社にはお参りはしません。 天神様ならいいの? と訊くと、母の実家が加賀藩御文庫係で、菅家と同じ加賀梅鉢紋を家紋としている。つまり、天神様は母方のご先祖様だからいいのだ、と。 子供の頃は私はその話を信じていたのですが、よく考えてみたら、加賀梅鉢紋は、菅家に憧れた藩祖前田利家公が勝手に拝借して家紋にしたもので、加賀藩御用達の菓子商森八なども加賀梅鉢紋を拝領して使っている。 だから、学問や文書に携わる御文庫係の藩士だった母の実家も、恐らくはそういう経緯で前田藩から拝領したのであって、菅家の末裔のはずはないよな、と。(笑) いずれにしろ、お金がない地方の若者だろうが、神道には縁のないクリスチャン家庭だろうが、子供の受験の際にはとりあえず天神様にあやかろうとする。 道真公が学問に優れていたことは事実なのであって、その話を聴いて子供が頑張ろうと思うのなら、それでよいではありませんか。 「お受験」というと、やたらとお金と時間をかけて、塾や予備校に通うイメージがあるのかもしれませんが、義務教育以上の学校に通う際には、必ず受験はするのだし、現代日本では、高校進学率は 100%に近い。中卒で社会に出る人は稀だし、本人にやる気があれば、高校進学には地方自治体も協力してくれることが多い。 「お受験なんか、田舎者に言わせると金と時間の無駄遣い。小中学校は勤労と違い保証されてるし、地元の小中学校を軽んじてる。」といういい方は、父のような苦労人を身近に見ていると、やっかみ半分にしか見えませんが?
Quando A Diferença De Altura É Muito Grande 😲😂
00:12
Mari Maria
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When you have a very capricious child 😂😘👍
00:16
Like Asiya
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【源頼朝じゃなかった!?】教科書でみたこの肖像画の正体は…
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