【検証第26弾】弱体化されたはずのターボマシン、だが更に速くなる!?【ウィリアムズ・ホンダ FW11B】

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Winston-GAMES

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Күн бұрын

Пікірлер: 105
@たけのうちかつひさ
@たけのうちかつひさ Жыл бұрын
当時のF1予選日に鈴鹿サーキットに近付くと、30mくらい向こうで車が思い切りエンジン吹かしてるくらいの音量が遥か山向こうから響いて来てて「何じゃこりゃ!!?」て思った。 S字抜けて逆バンク駆け上がって行く時の真後ろ側に位置する観戦エリアで、「音には圧力が有る」て事を実感した。音に身体押されたのは初めてだった。
@hiro901x74
@hiro901x74 Жыл бұрын
そのアクティブサスペンションの集大成がFW14B。マンセルはスッパリとアクティブサスに特化したドライビングスタイルに適応したのに対し、パトレーゼはなかなか慣れなくて苦労したそうです。さらに余談。元々、ホンダは86年限りでのウィリアムズへのエンジン供給を辞めるつもりでしたが、フランクの事故で延長した経緯があります。今は絶版ですが桜井氏の著書「覇者は何処へ」にウィリアムズとのエンジン供給終了の経緯が少し書かれています。
@DA-xt6bp
@DA-xt6bp Жыл бұрын
アクティブサスペンションの説明が非常に興味深かったです最高速度に必要なのはエンジンだけではなく出力を路面に伝える高いシャシ性能があるのがよくわかりました
@ae613400
@ae613400 Жыл бұрын
4:04 ヨーロッパ勢にとってHondaの活躍は良いものではないっていうのが真相ですよね。今でもF1は日本やアメリカであれだけ人気あっても「欧州人の貴族の余興」ですからね。
@にゃんココア-p7f
@にゃんココア-p7f Жыл бұрын
定期的に反面教師になってくれる99年のフライングメルセデスw
@hiroshinarita9065
@hiroshinarita9065 Жыл бұрын
たちてちとてちちまつちちにたちたむつちたちてとてまfgwbegggeggeeegggggjzxggxgggつまつちちたちたとたちとちつむまてちてつちちてなた51なまにはなたなむfeggwgeeg455551595774575575775:みむなまなめなににffgeegggweegggeffff4455ぬみなreviewfggfwgb595511155ぬ
@hiroshinarita9065
@hiroshinarita9065 Жыл бұрын
内心なあえたあはにぬにまぬなまffwgjxfxg
@hiroshinarita9065
@hiroshinarita9065 Жыл бұрын
なたはむなまにまはぬあなになあらばにまてみなぉにあ
@osasyuDA
@osasyuDA Жыл бұрын
悲しいなー😂
@ラプトルディーノ
@ラプトルディーノ Жыл бұрын
パワーウォーズの時代であってもトータルパッケージが優れている方がやっぱり速かったんだな。
@トミーチョ-m9f
@トミーチョ-m9f Жыл бұрын
面白かった!! 以前より説明がディープになった上に、マシン走行のCGがとても良く出来ていて、ターボF1時代の低くて図太いエンジン音もいい! 当時をイメージ出来る映像!
@crankyfranky9801
@crankyfranky9801 Жыл бұрын
相変わらず痒いところにまで手が届く詳細なつくりの動画で大満足 次回作も楽しみです まあホンダは車体云々言ったんだろうけどウィリアムズはディフューザー効果高めるためにすでに横置きギアボックスを開発中だったし FW09→FW10→FW10B→FW11→FW11Bとガラリとモノコック素材や作り方からサスペンション構成からウィング形状から変えて来てるんで そんなん言われんでも分かっとる!って感覚だったんだろうな
@sindensabrow9258
@sindensabrow9258 Жыл бұрын
個人的には歴代のF1マシンで最も美しく、筋肉質でパワフルだと思う。カラーリングを含めてこれを超えるマシンはない。ピケとマンセルはいい時代を生きたよなあ。
@マサナリヨシダ
@マサナリヨシダ Жыл бұрын
当時の主役はセナだけではなく彼ら2人もまた主役でしたね。
@forevermilan8109
@forevermilan8109 8 ай бұрын
自分もFW-11と11Bが好きです。カラーリング、スタイリングに先進性が表れていると思います。
@切明畑祐介-u8m
@切明畑祐介-u8m Жыл бұрын
FW11Bのリアウイングのサイドにキャノン50周年のステッカーが付いてましたよね…
@よし-c5v
@よし-c5v Жыл бұрын
当時は、パワステがないから、腕の力がすごく必要
@ほいける-i6e
@ほいける-i6e Ай бұрын
シルバーストーンでのマンセル対ピケのバトルマジで好き
@ピロ式-i2m
@ピロ式-i2m Жыл бұрын
動画UPお疲れ様です。 この頃のF-1マシンはやっぱりカッコいいですよね。 FW11Bのアクティブサスペンションは、ピケのみが使用していて、マンセルはロータス時代のトラウマで、使用を拒否していましたね。 この当時のF-1は非ヨーロッパ系には冷たい傾向で、ピケ、セナなどブラジル人とホンダ寄り添う事が多かったですね。
@gt-r2325
@gt-r2325 5 ай бұрын
アクティブサスが本当にカッコよかった
@iwateamado9511
@iwateamado9511 Жыл бұрын
おおおおおおおお マクラーレンホンダよりウィリアムズホンダのほうが好きだw
@NS-pb2ms
@NS-pb2ms Жыл бұрын
私が高校一年生だった1986年、若い頃の木村太郎さんがNHKのニュースでトップニュースとして扱った、ウィリアムズホンダのコンストラクターチャンピオン。たまたま視ていたが、スポーツニュースとして扱うようなネタをトップニュースとして扱う様子は、木村太郎さんも最初に、まず最初のニュースはクルマの話です云々という一言でこれはかなりすごい話なんだなと思ったな。 なお、次にF1がNHKのトップニュースになったのはセナのイモラの事故だった。 以前、総監督の桜井さんが、2000馬力も夢ではない云々と言っていたような? 1991年秋、熊本のホンダのイベントでNAのマクラーレン、ロータス100Tとこのマシンの走りを見たけど、ターボの空振がかっこよくて、NAとは違った迫力を味わった。 この頃はバブル崩壊の兆しを感じつつもF1ブーム。桜井さんがコースをデザインしたオートポリスがオープンしたり佐賀のバルーンフェスタで中嶋さんが河川敷でF1を走らせた。中谷さんはロータスで走ったけど、会場アナウンスではナカタニさんと間違って紹介されていたな。 ちなみに佐賀のバルーンフェスタでは2019年佐藤琢磨選手もGTで走った。毎年歌いにくる葛城ユキとたまにF1が走る佐賀のバルーンフェスタ。協賛企業にホンダがいるから、いずれF1がまた走ると期待している。 先日亡くなった葛城ユキさんの冥福を祈りたい。 なお、葛城ユキさんは1983年に ボヘミアンを大ヒットさせたが、その頃ケケが荒馬のウィリアムズホンダと格闘していたんだな。 私は中学高校時代、無線やパソコンにはまっていたけど、その頃のパソコン技術だとフルアクティブは無理だろう。 雑誌ラジオライフで鈴鹿のセナ2位の無線傍受に成功したな。ちなみに飛んでいる電波を聴くのは盗聴ではなく傍受という。 盗聴とは自分から送信機を仕掛けに行って電波を受信する行為をさします。
@nismo350gts
@nismo350gts Жыл бұрын
中島選手がロータスで頑張っていたころ、日本では星野選手がホンダF1エンジン開発していました・・・
@fw11bred5
@fw11bred5 Жыл бұрын
鈴木利男とジェフ・リースも…
@結石結石
@結石結石 Жыл бұрын
鈴鹿で生音を聞いたけど、野太くてえげつなくてすごく良い音でした!
@acceleratingchange7027
@acceleratingchange7027 Жыл бұрын
特に、ピケのヘアピン立ち上がりは 回転リミッターをバンバン利かせて4台の中で一番迫力有りました ただ、音質下品で煩いだけならDFZの方が上でしたが 87年のターボエンジン勢ではホンダはタービン音など全く聞こえない程 野太くパワフルなサウンドでした
@結石結石
@結石結石 Жыл бұрын
@Accelerating change 当時、生で本気走りを見られた方が羨ましいです。 自分は数年前のF1で、決勝前のデモ走行でしたので。
@acceleratingchange7027
@acceleratingchange7027 Жыл бұрын
@@結石結石 さん 87年にギリギリ中学生に成っていたと言う生まれたタイミングと三重県の隣県に住んで居た事が ラッキーでした
@はたひろ-y1z
@はたひろ-y1z Жыл бұрын
確かNピケ仕様のFW11Bはマンセルよりも少しでも優位に立つためにギリギリまで高さを低くしたロールバーの仕様もあったな この当時のマンセルはアクティブサスに懐疑的だったからリアクティブ仕様のマシンは選ばなかったんだよね
@gale_straits2695
@gale_straits2695 Жыл бұрын
マンセルはロータス時代にアクティブ・サスペンションのテストドライバーやってたので、色々とポンコツ具合を身に沁みて知っていたそうだからね。と、パトリック小父さんが何かのインタビューで話していたよ。一方でアクティブ・サスペンションの挙動の癖も思い知っていたので、一旦実戦投入出来ると確信したら直ぐに乗りこなせるようになったとも。
@dunhillnori
@dunhillnori Жыл бұрын
この車が学校に来た時は、びっくりしました。トレーラーから降ろされてエンジンかけた時は、隣の病院からクレームが来ました。窓ガラスが震えて地震かと思ったそうです。他のエンジンよりも10%位燃費が良かったみたいですね。その為他のエンジンが使えない回転数回せた?そうです。
@SuperPi3.14
@SuperPi3.14 Жыл бұрын
過給圧規制がある状況では、高回転化が有効だったらしいですね。
@オザワヤスシ
@オザワヤスシ Жыл бұрын
ポップオフバルブを加給圧が一番低く検出される位置に取り付けていたなんて話しもありましたね。
@fw11bred5
@fw11bred5 Жыл бұрын
それを発展させたのがCART時代のエンジンです。
@NewRomatic80s
@NewRomatic80s Жыл бұрын
1987年といえばフジテレビの「F1グランプリ」が放送開始された年でしたね。 あとは鈴鹿サーキットで10年ぶりの日本グランプリが開催された年でもあります。 初開催の鈴鹿でマンセルが予選中にクラッシュして病院に搬送され結果、ピケがワールドチャンピオンになるました。 それとウィリアムズはチャンピオンドライバーになったら解雇するチームとして有名です。
@shinichvrod
@shinichvrod Жыл бұрын
霊夢の 10:52 「えっ!」がイイ
@たけのうちかつひさ
@たけのうちかつひさ Жыл бұрын
87年鈴鹿の予選で無理したマンセルが派手に事故って車椅子乗って日本を去る事になり、ピケのチャンピオンが確定したんだっけ。優勝はフェラーリのベルガーだったかな?
@Soraneko21
@Soraneko21 Жыл бұрын
極東の一自動車メーカーが意地を見せつけた瞬間でしたね どんなに不利になろうと技術力とプライドで勝ち続ける。それがこの後のマクラーレン・ホンダ最強列伝に繋がっていくんだと考えるとすごい時代だったと思います。 どのモータースポーツにおいても日本勢が活躍していると弱体化&レギュレーション変更。面白くないって気持ちも分からなくはないですが、露骨な日本省きはいい加減にしてくれと思います
@ええああ-t2u
@ええああ-t2u Жыл бұрын
別にF1のターボ規制はホンダ潰しじゃないですよ。 ル・マンのロータリー廃止もそうですが日本勢が活躍していると弱体化&レギュレーション変更ていうのは都市伝説みたいなもんで根拠がないです。 そういう風の物語であった方が面白いのは分かりますが。
@tommylee2064
@tommylee2064 Жыл бұрын
@@ええああ-t2u 自動車レースはそうかも知れんがスキージャンプや柔道、他のスポーツでは結構ありますけどね。 米国よりいつもヨーロッパなんだよ難癖つけて来るのはな、いつまでも18世紀19世紀とでも思っているんだろうか(笑)。
@ええああ-t2u
@ええああ-t2u Жыл бұрын
@@tommylee2064 スキージャンプは高身長が有利になるから日本潰しと言われましたがその後も低身長の選手も普通に優勝しています。 柔道はむしろタックル柔道で一時期日本が勝てなくなりむしろ日本側から1本重視にするよう要求したと記憶してますが。 他のスポーツが具体的に何を指すのかは知りませんが、有名な水泳のバサロに関しても別に日本潰しではありませんよ。
@fw11bred5
@fw11bred5 Жыл бұрын
@@ええああ-t2u 確かにWRCでの死亡事故やF1でもテスト走行時の死亡事故がありそれがきっかけでしたよね。仮にそれが(大義名分)であったとしても、当時はそれが求められていた時代でした。
@其田睦
@其田睦 Жыл бұрын
FW11やFW11Bが、もし本当に1,500馬力だったら、どのような結果になるのか気になりますね。 CVTを搭載したFW15Cのテスト車なんかも取り上げてもらえたら嬉しいです。
@fw11bred5
@fw11bred5 Жыл бұрын
設計の河本さん(1992年のPLかな?)は1500馬力出ていたと仲間内の会話では主張していたけど実際は無理あるかな?
@fw11bred5
@fw11bred5 Жыл бұрын
もしピークパワーだけを追求していたら、大型タービンをつけてピーキーになり過ぎる特性で勝てなかったでしょうね…当時のレシプロ系もギリギリの耐久性でしたしそこがネックになり破損しまくったでしょう。 (あくまでも推測ですが。)
@tabp5ej20
@tabp5ej20 Жыл бұрын
エンジンパワー(トルク)に対してタイヤが持たないな。 86~87年シーズンにおいてウィリアムズチームがグッドイヤーに対して もっと固いタイヤを作ってくれと要求し続けていたが 固め仕様のBコンパウンドをもってしても満足のいくスペックが得られなかった。 仮にタイヤが持ったとしてもドライブシャフトが折れまくりだったであろう。
@春名隆寛
@春名隆寛 Жыл бұрын
ドライバー、エンジン、シャーシも素晴らしいですが路面にパワーを伝えるタイヤの解説もお願いします。
@giftmembershipclearcluster
@giftmembershipclearcluster Жыл бұрын
リクエストです 来年2023年はルマン100週年の節目ということでトヨタgr010やポルシェ963といった現代のwecプロトタイプカーの解説をお願いします
@PTMY_998
@PTMY_998 Жыл бұрын
伝説を語ったということは次はMP4/4来るのかな?
@たげ-b7m
@たげ-b7m Жыл бұрын
この当時、セミアクティブサスペンションとか言われてたような気がする。
@torakichitoraneko
@torakichitoraneko Жыл бұрын
櫻井総監督が迫力ありましたよね。
@thedoor12summer
@thedoor12summer Жыл бұрын
TVではいつもどこか強面なイメージでしたよね。 ところがこの頃、しげの秀一の「バリバリ伝説」の世界GP編で、二輪のホンダチームの総監督で「梅井松夫」という桜井監督にソックリのキャラが出て来て吹き出しました。 坊っちゃん刈りの髪型がリアルで、一目見て誰がモデルか一目瞭然でした。
@fw11bred5
@fw11bred5 Жыл бұрын
若いのに和光研究所のECAになっていて会社の金を遣いまくってたやつだけどね🤣🤣🤣
@猪野朋行
@猪野朋行 Жыл бұрын
カラーリングがバッチグー😆⤴️💓
@井実芳仁
@井実芳仁 Жыл бұрын
バブルマネーがジャブジャブ
@yoshinari1974
@yoshinari1974 Жыл бұрын
@@井実芳仁 1986年はプラザ合意の前なのでバブル前です。
@トミーチョ-m9f
@トミーチョ-m9f Жыл бұрын
この調子でフェラーリの苦悩の時代(=1991~93シーズン)の展望映像を見せて欲しい。
@boatnight5817
@boatnight5817 Жыл бұрын
fn2型のシビック…。嬉しい。
@たけのうちかつひさ
@たけのうちかつひさ Жыл бұрын
FW-11とFW-11Bの見分け方: スポンサーのICI(イギリスの化学会社)のロゴマークが変わった。 ICIのマークは海から昇る太陽を表してるそうで、会社の業績上がって企業規模大きくなったので、波を表す波線がちょっと下に移動した…。 なんて話を当時グループ企業の人から聞かされた。 ………冗談半分だったかも。
@パンシロンG
@パンシロンG Жыл бұрын
何事もはかないのがF1なのかも
@井実芳仁
@井実芳仁 Жыл бұрын
メルセデスだけでなくポルシェも飛んでいる
@西村正記-z4y
@西村正記-z4y Жыл бұрын
パーツサプライヤーを蔑ろにする傾向がその後も続いて、結局2006年以降の低迷へと続くんだよな。
@ozaki009ify
@ozaki009ify Жыл бұрын
それだけでなくワールドチャンピオンまで蔑ろにしたツケだよ。
@fw11bred5
@fw11bred5 Жыл бұрын
エンジンサプライヤーをパーツサプライヤーとは…🤣
@西村正記-z4y
@西村正記-z4y Жыл бұрын
@@fw11bred5 その程度の突っ込みしかできないなんて芸がないなw勉強しろよクソガキw
@秋保正志
@秋保正志 Жыл бұрын
やっぱり 不運の男 ナイジェル マンセル このマシーンに乗りながら  事故により ピケに タイトルを 持って行かれた
@結石結石
@結石結石 Жыл бұрын
FW14Bのアクティブサスは超有名でしたけど、FW11Bのときから使われていたのか。
@スターダスト-z2d
@スターダスト-z2d Жыл бұрын
鈴鹿で見ました。 ヘアピンコーナーに陣取って。
@mageryna6950
@mageryna6950 Жыл бұрын
いやぁー懐かしいなぁ
@三坂みこと
@三坂みこと Жыл бұрын
足回りの進化すると 車体暴れないからねー 安定して踏めるんだって😗
@ヴァンヴァ
@ヴァンヴァ Жыл бұрын
次はMP4/4かな?
@user-yaima0134
@user-yaima0134 Жыл бұрын
あん時のホンダターボエンジンは、正しく史上最強だったよ。 ただ、ヨーロッパ勢は強いモンを叩くだけの無能
@あます-b3k
@あます-b3k Жыл бұрын
当時ホンダのスタッフだった小倉さんが言うには87年のウィリアムズのピット作業はピケのほうが必ず遅かったそうで…
@fw11bred5
@fw11bred5 Жыл бұрын
アイツは本社の所詮、広報だったから、言うことはアテにならないよ。個人的な思い込みが酷いし。
@fw11bred5
@fw11bred5 Жыл бұрын
当時の資料1986年でも約1200馬力という記述しかありません。 実際和光研究所のベンチには1000馬力ダイナモしかありませんでした。1987年の性能測定も過給圧はある一定数値に決めてテストしていました。なので1500馬力はありませんね。因みに1987と1988のPOVは開弁機構が異なっており、閉弁挙動が異なりました。
@fw11bred5
@fw11bred5 Жыл бұрын
約1200馬力というのは1160馬力という記述だったかな。
@fw11bred5
@fw11bred5 Жыл бұрын
マンセルの体感的な話はある意味重要なんだよ。
@SuperPi3.14
@SuperPi3.14 Ай бұрын
FW11が1500PSになった感じのトラクションが感じられたのでしょう。
@KYOKO121
@KYOKO121 Жыл бұрын
ピケのヘルメットがおかしくないですか?
@umibouzu1722
@umibouzu1722 Жыл бұрын
次は最強のMP4/4かな? MP4/5Bも作って欲しい~
@釣りパパ-h4g
@釣りパパ-h4g Жыл бұрын
ポップオフバルブは、結局ホンダが製造して全チームに供給したのでは無かったのかな。 しかし両雄並び立たずですね。 それぐらいの気持ちを持ってないと、F1でトップは張れないんでしょうけどね。 日本人にはメンタル的に、厳しいことでしょうね。
@tiizuka2422
@tiizuka2422 Жыл бұрын
FW11Bにもアクティブサスが採用されていたんですね。
@Railton-bb
@Railton-bb Жыл бұрын
ポップオフバルブを自分で作るあたりは昔のF1だね。今じゃ絶対「これ以外は使うな」って制限をかけられると思う。というか、バレストルさんは何か言わなかったのかな?
@yoshinari1974
@yoshinari1974 Жыл бұрын
バレストルは破竹の勢いのホンダに眉唾だったのでhondaには勝たせたくなかったから、この頃はhonda vs バレストルといった構図があったと思う。
@yoshinari1974
@yoshinari1974 Жыл бұрын
90年代初頭は更にあからさまになったように感じたな。
@jok3471
@jok3471 Жыл бұрын
バレストルはルノーがF1から一時撤退する際「F1にイエローはいらない」と今だったら大問題になるような発言をしてる。それに対し桜井氏は「ルノーの功績は認めるが、彼らはレースに負けただけ」と反論してる。
@悪霊狂騎士
@悪霊狂騎士 Жыл бұрын
ウイリアムズF11Bだったんだ!
@fw11bred5
@fw11bred5 Жыл бұрын
レース用エンジン発送テストでは700馬力台しか出ない条件で試験してたんだけどな。
@takashikobayashi1539
@takashikobayashi1539 Жыл бұрын
ポップオフバルブはかなりひどい代物で一度開くと加給圧2barくらいまでは閉じなかったとか。そんなんだからホンダは加給圧コントロールしてギリギリ開かない加給圧をキープしていたと。
@たけのうちかつひさ
@たけのうちかつひさ Жыл бұрын
ベルヌーイの法則を利用する為吸気コレクタータンクの最も吸気流速が速くなる場所にポップオフバルブを設置し、取り付け角度も様々に試していたそうです。
@yucharley4199
@yucharley4199 Жыл бұрын
マンセル派だったのに、92年にウィリアムズは何であんな仕打ちしたんだろう…。
@SuperPi3.14
@SuperPi3.14 Ай бұрын
セナLOVE。 確かに当時最速ドライバーでしたから。
@groovevox
@groovevox Жыл бұрын
日本でフルのF1中継が始まったのが1987年。 FW11Bは16戦9勝と速かった。 マンセルが圧倒的に速くてNO.1ドライバーのピケがいつもマンセルに負けて2位になってたのが印象に残っている。 でもピケは2位にたくさん入ってポイントを稼いでワールドチャンピオンになった。 翌年のマクラーレンMP4でセナとプロストが16戦15勝したが、 87年のFW11Bもセナ・プロが乗っていたら近いものだったのではなかろうか。
@tommylee2064
@tommylee2064 Жыл бұрын
中廊下
@yoshinari1974
@yoshinari1974 Жыл бұрын
正直おれもそう思う。セナやプロストのような神がかった早さは感じない。ピケの凄さはベルがーやマンセルのようにセナやプロストを凌ぐ一発の早さはあった訳でもないが、何時も上位にいる安定感だと思う。
@groovevox
@groovevox Жыл бұрын
@@modelinglinkcraft9925 何言ってるのか全然分からないです。 私は「悪辣なウイリアムを違約金を払い契約一年を残してマクラーレン へホンダがスイッチした経緯を隠蔽する」とか「マンセル本人とパトリックらのチームのインキは隠す」とかしていません。 ですから「何故隠蔽するの?」とか「そろそろ辞めたら?」とか言われても。
@fw11bred5
@fw11bred5 Жыл бұрын
馬力だけでモノをいうのはおかしくて、回転数とトルクを考慮しないとBMWとの比較にはならんぞ。
@SuperPi3.14
@SuperPi3.14 Ай бұрын
回転数とトルクの積が馬力なので、馬力で比較すれば良いのです。
@fw11bred5
@fw11bred5 Жыл бұрын
1987はCDI採用な点も見落とすなよ!
@fw11bred5
@fw11bred5 Жыл бұрын
リアウィングエンドプレートのキャノン50周年マークと段差がねーぞ!
@fw11bred5
@fw11bred5 Жыл бұрын
元中の人のワイが来たよー。
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