【あの日を忘れない】東日本大震災の被災地に行った韓国人の反応

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韓国 JIN

韓国 JIN

Күн бұрын

Пікірлер: 182
@JIN224
@JIN224 4 жыл бұрын
コロナ禍で気軽に旅に出ることは難しいですが、東日本大震災の地域に行くことができて良かったです。 日本に住んでいる日本社会人として、日本で起きた事にも関心を持ち、これからも忘れずに生きていくつもりです。 10年が過ぎてしまいましたが、自分の目で自分の足で自分の手で津波に覆われた小学校を体験することができました。 そして皆様にも紹介することができて年末を有意義に過ごすことができました。 ご視聴ありがとうございます。 あの時を忘れずにこれからも東北地方を応援します。
@グッチー-t7c
@グッチー-t7c 4 жыл бұрын
今回は貴重な映像本当にありがとうございました 僕たちは愛知県ですが、あの地震の時は会社で作業中で、工場の中のドラム缶🥫が倒れそうな勢いで、揺れて!怖かったのを、思い出しました。 JINさん、本当にありがとうございました、涙が出てきて、胸が苦しいです
@びびゆう
@びびゆう 4 жыл бұрын
ありがとうJINさん。本当にほんとうにありがとうございます。
@岡村俊幸-k7y
@岡村俊幸-k7y 4 жыл бұрын
黒板に 今日の日直「・・」「・・」書いてありましたでしょう? ここにたくさんの生徒が居たんだと思うと・・💧😢 訪ねてくださって アリガトウ🙏 ただ只 ひと言 アリガトウ🙏 ◆石巻、大川小学校には まだ皆が居ますよ・・👫👫 二階から手を振ってます👋👧👐👋👦👐👋・・そう感じることでしょう。 辛い🌊出来事でした😢
@hanacotton
@hanacotton 6 ай бұрын
荒浜で育ったものです。訪れてくださり、心を寄せてくださりありがとうございます。 あの地区は昭和のチリ地震の際も津波は来なかったので、今回も津波は来ないだろうと多くの人が逃げませんでした。 2:05 理科室などの看板は元から着いていました。懐かしいです。
@ごまごま-w6b
@ごまごま-w6b 4 жыл бұрын
日本人でも中々行かない所に行って頂いて感謝です😢 辛い経験をして胸に傷を抱えたまま頑張っていらっしゃる方々に頭が下がります。。 韓国から来たJINさんやJちゃんが日本の悲しみを分かち合って、国なんか関係ない❗️って教えて貰ってる気がします。
@iromizu125
@iromizu125 3 жыл бұрын
こんな素敵な方々が日本に住んでいてくださることが日本の幸せだな 自分もいつか行きたいと思い早10年・・いつでも行けるは、行けない世の中になってしまいました 行けたときに行くことの大切さを思い知っています 動画を見てるだけでも辛いし、改めて自分自身の目で見て感じねばと実感しました 同じ国に住む人間として、動画にしていただきありがとうございます
@lazuward5411
@lazuward5411 4 жыл бұрын
実際に足を運び、そこで感じた事を伝えて下さり有難うございます。
@ぽっさむ-p1j
@ぽっさむ-p1j 4 жыл бұрын
今回の映像とJINさん達の行動で 涙がこぼれてしまいました 自分はとても無力で、この10年間ほぼ何も出来なかった事を恥じます。 コロナが落ち着いた後に、家族で被災地に出向き、自分でも直接肌で感じて周りに伝えていきたいと思いました。
@佐々木勇弥
@佐々木勇弥 4 жыл бұрын
僕も先月、修学旅行で訪れましたが考えさせられる事がたくさんありました。
@東京ななこ
@東京ななこ 4 жыл бұрын
こうゆう発信の仕方もあるんですね。 辛さを共有して頂き本当にありがとうございます。
@bunnybutterfly5423
@bunnybutterfly5423 4 жыл бұрын
私は、岩手の某病院で2013年に子どもを出産しました。その時に出会ったお婆さんに「子どもは宝物。私は、津波に我が子も孫も全て持っていかれたの。この子は、沢山の愛情を持って育ててね。」と言われました。言われた時、気の利いた言葉、お婆さんにかけてあげられなかった。なんて言葉を返していいかわからなかった。今、そのお婆さんに会えたら、「七五三迎えられました。元気ですくすく育ってます。」と伝えたいです。
@megc8664
@megc8664 4 жыл бұрын
あの日の朝、この後の大惨事が起こる事も、住み慣れた家に帰ってこれなくなる事など考えもせず、いつも通り会社に行きました。車通勤で道すがら顔馴染みの、おじさんおばさんに朝の挨拶をし・・・同じ日常が続く事を信じてました。地震の後の津波によって、私の住み慣れた町は壊滅状態に・・・朝挨拶をしたおじさんやおばさん、友達家族と多くの人達が亡くなりました。もう、あのような悲劇は経験したくありません・・・あの日の大惨事を教訓に生きて行きたいと思ってます‼️JINさんファミリーの来訪、ありがとうございましたm(_ _)m
@西尾千賀子
@西尾千賀子 4 жыл бұрын
私は阪神淡路大震災の被災者でした。あれからもうすぐ26年、時の経つのは早いですが全て覚えています。 神戸の火災、避難している体育館で燃えている街を📺見て涙した事、近しい人が沢山亡くなった事、家族となかなか連絡が取れなかった事、忘れることは出来ないかな😢でも前を向かなければですね😉
@なおべえ-q9c
@なおべえ-q9c 4 жыл бұрын
国籍は関係ないけどやっぱり外国人がこうやって日本の災害に目を向けてくれるのは日本人として嬉しいです。진심으로 고맙습니다.그리고 새해복 많이 받으세요^^ㅎㅎ
@Mon-xt7fj
@Mon-xt7fj 4 жыл бұрын
私は岩手県で被災しました。あの頃の事は、蘇ると何年経っても無意識に爆発的に涙が出ます。JINさん、Jちゃん、ぴょぴょぎちゃんが被災地に足を運んで、震災の事を伝えてくださった事に本当に感謝です。被災地の皆は、前向きに進んでいます😊
@mochisuki3
@mochisuki3 4 жыл бұрын
伝える事が歴史だと思ってます。興奮せず冷静に判断ができるように過去から学ぶ大切さを改めて仁さんファミリーを通して感じました。
@コバヒロ-k3v
@コバヒロ-k3v 4 жыл бұрын
仁さんのyoutubeは他の人と違ってたまに本当に日本人でありながら考えさせられる事が多く日々に麻痺した自分を振り返らされる事がしばしばあります。 津波はまた来ると確かに思います。その時に自分がどこにいるかはわかりませんが自分が経験したことを生かせればと思います。 仁さん、本当にいつも有難うございます感謝してます。
@hirokinakazawa5082
@hirokinakazawa5082 4 жыл бұрын
私は95年、1/17に芦屋のマンションで震度7を体験しました。揺れではなく視線が定まらない振動。そのとき、「人生と言うのは思ったより短いものなんだな」という諦観と妙な心静けさが、今思えば不思議です。
@yasunobumiura1023
@yasunobumiura1023 4 жыл бұрын
JINさん、Jちゃんいつも楽しく見させていただいています。 先代の、新聞社に勤めるものです。 JINさんのような外国人の方が、震災に目を向けてくださることを、とてもありがたく、嬉しく思います。 被災地以外の方にとっては、もう過去のことと思われているかもしれませんが、地元の人々の多くは今も悲しみの中にいます。 取り上げていただき、本当にありがとうございました。
@jadechamp6870
@jadechamp6870 4 жыл бұрын
仙台の人間です。この小学校は校長先生の懸命な判断で生徒は無事でした。しかし、子供達を心配した親が小学校へ迎えに行く途中 で津波に会い亡くなりました。宮城北部、岩手はもっと悲惨でした。震災後10年を迎える今年、コロナ禍の元色々思うところもありますが、被災地に目を向けていただきありがとうございます。ただ、心のご負担にならないことをお祈り申し上げます。 利久も美味しいですけど、仙台の牛タンは、もっと限度を知らないお店がありますよ笑
@kanchan0530
@kanchan0530 3 жыл бұрын
涙がとまりませんでした。 東北に来てくれてありがとうございます。 当時の事を思い出して、感じたことがあります。 地震の次の日、雪が降りました。 雪は冷たいけど、今生きている人の心は暖かいと信じることが今できています。どこの国の方でも、出会う人がそんな気持ちで生きているんだと信じています。 素敵な動画ありがとうございました。
@たかし-w4n
@たかし-w4n 3 жыл бұрын
痛みと悲しみを共有してくれて、ありがとうございます。 毎日楽しいことを共有できたら、幸せだと思いますが、悲しみを共有できる人間でありたいです。
@TheMakoyou
@TheMakoyou 4 жыл бұрын
大震災に関して一部の韓国人が信じられないようなことをして多くの日本人(特に東北の方)は深く傷つき、そして怒りを抱いたと思います。ですが、どの国にもクズみたいな人間は多かれ少なかれいます。貴方が発信する温かい言葉を多くの日本人が聞き、傷ついた人達が癒されて、その連中はけして国の代表ではないということを知ると良いですね。
@yamaki924
@yamaki924 3 жыл бұрын
わざわざ現地まで行ってくれてありがとうございます。とても心に響いています。私は東京在住ですが、この映像に出会えて感謝しております。
@syamikko9392
@syamikko9392 4 жыл бұрын
良くぞいらして下さいました❣️ 辛い衝撃的な事でしたが絶対に風化させない為にも実際足を運んで語り継ぐ事が大事だと思います。お疲れ様です。
@あおすけアオスケ
@あおすけアオスケ 4 жыл бұрын
ありがとう。 遠く離れた場所なのですが、感謝しかありません。
@nofuto
@nofuto 4 жыл бұрын
涙出るよ。ありがとう。 ウチの近所だよ。 今日も近くを走ってたよ。 ありがとう。ありがとう。
@ir8245
@ir8245 4 жыл бұрын
東北に来てくださってありがとうございました。 大震災の記憶は、今でも鮮明に残ってます。 今はコロナという見えない恐怖の中で過ごさなくてはなりませんが、共に頑張っていきましょう❗
@白い雲青い空-v5g
@白い雲青い空-v5g 4 жыл бұрын
ジンさん、Jちゃん、ありがとう。本当にありがとう。
@ゴンナナシ-v8r
@ゴンナナシ-v8r 3 жыл бұрын
福島県民です。私は内陸部に住んでますが、あの日の事は10年経っても忘れないです。 実際に見て感じて動画に残して伝えてくださり本当に有り難うございました。 被災地で起きたことが、どうかたくさんの人の心に残り後世に伝わって多くの命を守ることに繋がりますように…
@gonyk3776
@gonyk3776 4 жыл бұрын
歴史を学ぶ事の大切さ、同じ時間に日本にいた者としてJINさんファミリーの皆さんが被災者の方に寄り添う気持ちが伝わってきました。 体験共有出来てありがたいです。私も宮城県在住の知り合いの方に現地に行って肌で大震災の爪痕を感じて欲しいと言われ私は2011.10月に閖上地区に行ってきました。津波到達エリアから景色が激変していたのが頭で解ってても実際に観ると非常に衝撃でした。。こちらで10年経っても変わらないのも津波の恐ろしさを感じましたし荒浜小学校が遺構を活用して後世に残している貴重な場所だと知りました。 有り難うございました。被災地の産物の購入、被災地への募金、ささやかながラこれからも続けていこうと思いました。
@22october76
@22october76 4 жыл бұрын
じんさん、Jちゃん、ありがとうございます。 とても嬉しかった。 地震なんて、起きてほしくない。 ただ、それだけです。
@びびゆう
@びびゆう 4 жыл бұрын
東日本大震災の被災地を訪ねていただいてありがとうございます、たくさんの子供たちがどなに怖い思いをしながら旅たっていってしまったかと思うと未だに胸が張り裂けそうになります。一部の韓国の方がサッカーの試合で地震を揶揄したり、防護服をきて聖火を持って走るポスターを作って世界にばら撒く姿を見ると悲しくなります。そういった人達にぜひ行ってもらって何かを感じてほしいです。
@電卓-q4u
@電卓-q4u 2 жыл бұрын
日本人も東北の事馬鹿にするようなコメント打ち込みまくってるよ。
@幸恵-e6f
@幸恵-e6f 4 жыл бұрын
はじめまして! いつも楽しく動画を拝見しています! 当時私も仙台であの地震を経験しました。 出来れば思い出したくはありませんが、10年経った今は決して忘れてはいけない出来事だと感じています。 JINさんとJちゃんが、近くに来て今の状況を伝えてくれて嬉しく思います。ありがとうございました。
@ともか-j8k
@ともか-j8k 3 жыл бұрын
仙台の出身です。来てくれて本当にありがとうございます。
@btj2696
@btj2696 4 жыл бұрын
辛いですね。でも絶対に忘れてはいけない事です。震災後、息子がクラブ活動としてボランティアに行きました。かなり酷い状態だったそうです。体育館で被災者の方と過ごしたそうですが逆に励まされたそうです。 優しいコメントを書いているのを見て涙が出ました。
@mdr.tottori1762
@mdr.tottori1762 4 жыл бұрын
お二人の勇気と愛に感謝です。 私は自宅のベランダで地震に遭遇し、庭(地面)が揺れその上の車が揺れているのを叫びながら見ました。足がすくんで動けなかった。その後TVで東北の様子を見て絶句したのを思い出します。その数年後、東北地方に行きましたが、仁さんが訪ねた場所へは行けませんでした。この動画を見ていて自分の意気地の無さを痛感しました。仁さんは名前のごとく仁あふれる方なんですね。Jちゃんもありがとうです。
@kjmthj1496
@kjmthj1496 4 жыл бұрын
岩手の内陸で被災しました。 内陸もいろいろと大変でしたが、 沿岸の被害状況は内陸の私にとっても衝撃的なものでしたし、被害状況をニュースで見るたび涙が止まりませんでした。 沿岸に行くたびに胸が締め付けられ地元の方々の悲しみ、苦労は計り知れません。 実際に自分の目で見るとまた考えがかわりますよね。
@nVpimZUT2W
@nVpimZUT2W 4 жыл бұрын
今回の動画は本当に胸が苦しくなりました。知らないうちに悲しく辛い記憶を見ないようにしてきたので この動画で改めて忘れちゃいけないと思い、非常用リュックの見直す機会も出来ました。ありがとうございました。
@木村正子-j5q
@木村正子-j5q 4 жыл бұрын
こんにちは🙇東北に来てくれてありがとうごさいます(私は、青森在住です)忘れてはいけない東日本震災は、揺れが長くて怖かった何度も揺れてました😢三沢漁港にも、津波で、何人か波にのまれて、亡くなった方もいらっしゃいました😢
@長山真仁
@長山真仁 3 жыл бұрын
東北人として、心からありがとうございます。 御家族三人が、健やかに日本で暮らせ益々様に。感謝!
@髙木智恵子
@髙木智恵子 4 жыл бұрын
荒浜小学校を訪れて頂き有り難うございます。目の当たりにされて、色々と感じ取る事がお有りかとおもいます。荒浜は昔から、仙台市中心部から気軽に行ける、海水浴場でした。震災後所用で荒浜方面に行く機会があり運転して行きましたが何も無くなった真っ直ぐな一本道は昼間でも怖かったです。現在は地下鉄の駅が出来、再開発目覚ましい地域に生まれ変わろうとしていますが、荒涼とし空き地となった宅地を見ると、ワァーっと大声で叫びたくなります。
@dankichi-danjiri
@dankichi-danjiri 4 жыл бұрын
忘れてはいけないと改めて思わせてくれました。あの地震で防災意識が変わりましたが10年経つと防災意識も薄れてきます。JINさんの動画でまた防災意識を高めることができました。本当にありがとうございます。
@K瑞恵
@K瑞恵 4 жыл бұрын
盛岡冷麺→利久の牛タン→荒浜小学校の順に動画を見ました。 え~東北に来てくれてたの~から、最後に涙した。 荒浜小学校にまで来てくれているなんて😭ありがとう。カムサハムニダ。私は沿岸部に住んではないので、津波被害にはあっていません。本当に沿岸部に住んでいた方々は、悲しく辛い思いをされています。忘れないようにとの思いを持って来てくれたこと、忘れません。本当にありがとうございます。
@유키-p4c
@유키-p4c 4 жыл бұрын
当時25歳だった私は3歳の娘を抱き上げ、しゃがみこみ、ひたすら揺れが収まるのを待っていました 娘を守れるのは自分しか居ないと必死でした。 二度と経験したくない恐怖です。 忘れてはいけないと思ってます。 動画ありがとうございます
@小野義輝
@小野義輝 4 жыл бұрын
私も宮城県の沿岸部に住んでいました。母が津波で亡くなり、津波の映像は余り見たくありません。でも、まだ沿岸部で被災してない都道府県の皆様には、人生で体験したことのない地震の時は、沿岸部の方々は約3km.ぐらい離れた高台に避難してください。亡くなった方々は、ここまで津波なんかくるわけがないとか沿岸部の家族を迎えに行ったりとか仕事をやってたりとか車が混んでそのまま津波にのまれてしまってます。なので、被災にあわれてないかたもこれからも気を付けてください。 長々となりましたが、JINさんありがとうございました。m(__)m
@sunny-xd9hi
@sunny-xd9hi 4 жыл бұрын
この動画を見て、当たり前のように今日を迎えることができて大切な人に会えることに改めて感謝し、防災意識を高めようと思うことができました。今はコロナに意識が向いてますが、地震・津波がまた来ることを忘れずに、備えないといけないですね。
@yamachan51
@yamachan51 4 жыл бұрын
実際に被災地に足を運んでのコメント素晴らしいと思います。感謝ですね。これからも宜しくお願いします。
@さひ-p3h
@さひ-p3h 4 жыл бұрын
JIN君、Jちゃん、寒い時期なのに仙台まで足を運んでくれてありがとう。 先日、会津に来てくれた動画にコメントさせて頂きましたが、仙台は私の故郷です。学生時代、荒浜小学校の側の海岸によく行ってました。震災後、私も何度か足を運んでみましたが、何度行ってもその度に何とも言い難い気持ちになります。 今回初めて立ち寄って頂いたお二方の表情もこわばっていたようですが、同じ人類として何かを感じとっていただけたようで、動画を観ている私にも伝わってきました。ぴょっぴょぎちゃんには今はまだわからないかもしれませんが、彼女たちの世代が大人になった時代には、例え大災害が来ても、10年前のように悲しむ人が居ないように、出来ることをコツコツとやっていくのが私たちに課せられた使命なのかな、この動画で改めて思った次第です。 どうか、この先の道中もお気を付けて、良い旅を続けてください。 今後の動画も楽しみにしております。
@矢ヶ崎浩人-v4o
@矢ヶ崎浩人-v4o 4 жыл бұрын
都内から 田舎に 母親の 面倒を 見る為に 帰って 数日後に 忘れられない 地震の 激しい 揺れを 長野県の 実家で 体感し 驚きました 忘れかけた 日本人の 方も 居ると 思いますが 改めて 再度 見つめ直す べきですね
@あつためぐみ
@あつためぐみ 2 жыл бұрын
私はあの時、まだ学生で短期大学部保育科の1年生の学生でした。そのゴスペルサークルのメンバーで食事に行く日の直前の昼食時間にニュースを見たら大事になっている宮城県辺りの津波のニュースでした。あの時は本当に驚きましたし、悲しい出来事でした。直接関わってはいなかったですが、本当に驚きと悲しい記憶でいっぱいです。いまだに。
@04安藤薫織
@04安藤薫織 4 жыл бұрын
私は当時被災地にいて津波がくるのを見ました。辛い記憶ですが仁さん御家族が関心をもち現場に行ってくださったことに感謝します🙇
@burnyhr-1957
@burnyhr-1957 4 жыл бұрын
来てくれてありがとうございます。 あの時の経験は子供達に伝えなきゃいけないと思いました。
@縁園
@縁園 4 жыл бұрын
来てくれてありがとうございます… それだけで十分です…
@タントシ
@タントシ 4 жыл бұрын
是非、大川小学校も訪れて欲しいですね 津波が来ると大人が判断して行動していれば失われずに済んだ小さな命の大切さがよりわかると思います。
@なこ-e5g
@なこ-e5g 4 жыл бұрын
震災から10年が経とうとしている今時に、仙台に来て頂いてこのような動画を配信して頂いてありがとうございます!
@長沼美穂-u3b
@長沼美穂-u3b 4 жыл бұрын
岩手の内陸にいましたが、内陸でも大変な地震でした!停電で沿岸の情報もラジオで分かる感じで…何も出来なかったですね…ぴょぴょぎちゃんが、その世代がこんな震災にあわないことを願います!
@宮崎由美子-s3n
@宮崎由美子-s3n 4 жыл бұрын
まさに10年前に仙台に住んでました。凄かったです😔 我が家は山の方だったので被害はまだ少なかったのですが、もう人生が終わったなと思いましたよ。 良く被災地にきてくださいました。韓国や中国を始め全世界から助けて頂いた御恩はわすれませんよ✌️。 寒い雪の中 何時間も並んで、やっと手にいれた4品の食材の貴重さ。ライフラインが一ヶ月間止まり、風呂も入れず洗濯も出来ず… 亡くなった人達や家を流された人達よりましな生活だよね!と励ましあった時期でした。 やはりその場に行かないとわからないこともありますよねー。なんか感じるというか。 本当にありがとうございます❢ 孫もいつか連れて行って話してあげたいと思ってます。ぴょっぴょぎちゃんの心にも響くものがあったと思います。ご両親の優しい心が受け継がれていると思うから…💞 どうぞ道中 運転にはくれぐれも気をつけてねー🚙
@nokkysmile5368
@nokkysmile5368 4 жыл бұрын
JINさん💓Jちゃん💓ピョッピョギちゃん💓ありがとうございます💓子供の頃夏休みに家族でいつも海水浴に行っていた思い出の荒浜❣️涙が出ます。神奈川にいても辛くてテレビ見れませんでした。島国は地震に慣れているけど、やっぱり怖いです。
@東山家-l5t
@東山家-l5t 4 жыл бұрын
恥ずかしながら、こうやって中を観られることを知らなかったです。JINさん、観せてくれてありがとうございます😭 私は当時北海道にいたのですが、外に居てもわかるほどの揺れを感じたのは人生で初めてでした。2年前にも北海道でも大きな地震があり、震度7の揺れと2日間の停電・断水を経験し、本当に怖いし、不安で、それに津波まで経験した東北の方々の気持ちを考えると胸が張り裂けそうでした。 一体どれだけの恐怖と戦っていたのだろうかと😔 自然相手なのでどうにもならないことではありますが、JINさんの仰る通り後世に継いでいくべき歴史ですよね。 経験を語り継いでいくことが今後必ずやってくる地震での被害を最小限にできる一つの方法かもしれない、とも思っています。
@よしみん-b1g
@よしみん-b1g 4 жыл бұрын
辛い映像ですが、忘れてはいけない事ですね。貴重な動画ですね。
@須貝五月
@須貝五月 4 жыл бұрын
JINさんありがとうございました。 色々な想いが沢山過ります。 当時、テレビの映像を見ながら泣く事しか出来なかった。 今でも映像を見るのが辛いので見れません。 私は埼玉県に住んでいますが、地震の被害はあちらこちらでありました。 青いビニールシートを掛けた家が多かったのも、塀が壊れていたのも覚えています。 震度が5強位で、その夜は洋服を着たままソファーで横になり、テレビも付けっぱなしにしていました。 夫が都内の会社でしたので帰れなかったし、夫の両親も居たのでもしもの時は2人を連れて避難する つもりでした。 今でも何故なの?と思います。 世界中の方から温かな支援もして頂き心から感謝をしています。 改めて被害に合われた方の御冥福を祈りたいと思いました。
@hama2222
@hama2222 4 жыл бұрын
JINさんいつも拝見させていただいています。今回被災地に訪問していただき映像で残していただき日本人として感謝します。 私も昨年宮城、岩手を訪問しました。荒波小学校へは行きませんでしたが、宮城県気仙沼市リアス・アーク美術館で数々の写真や車、生活物が原型を止めない姿に驚愕しました。また、唐桑半島ビジターセンターで写真や映像を伴う地震再現体験もしました。日本に住んでいるので数十回も地震は体験しているのですが、やはり怖いです。 横浜市民なので震災時は横浜で体験しましたがかなり揺れましたし窓の向こうに遠くみえるコンビナートから煙が出ていたのを今でも覚えていますし、震災後交通機関がマヒし数時間歩いて家まで帰りました。 地震の後の津波は他人事ではありません。この映像を見てあらためてjinさんそしてご家族に感謝します。
@みぃ-u3m4e
@みぃ-u3m4e 10 ай бұрын
津波に遭われた方、原発周辺の方、震源地から近かった方々の恐怖や不安ははか知りれない物がありますが、みんなそれぞれの場所で恐怖や不安を感じた日でしたね。私も千葉県内陸側にいましたが3日眠れず3週間くらい外に出るのが怖くて最低限以外は家にいた記憶があります。震災から3年後に現地に行き実際に被害を見て現地の方の話を聞いた事は今でも忘れる事ができません。これからも南海トラフや首都直下型、千葉県や茨城県沖など懸念されている地震はたくさんありますが命を落とす方が出来るだけ少ないようにと願うばかりです。
@スカイウォーカールーク-h5g
@スカイウォーカールーク-h5g 4 жыл бұрын
あれからもう10年経つんですね あの時沢山の仲間の家が津波に流され沢山の仲間が旅立ちました 思い出す度にまだ涙が出てきますよ 被災地を配信してくださりありがとうございます 生きてる我々は皆んなの分も合わせて幸せに生きていかなければなりませんね それが生き残った我々の使命と感じています
@riri4128
@riri4128 4 жыл бұрын
「津波はまた来る」これを忘れずに、次は被害が出ないように日々怠らないことが大事だと改めて思いました。 10年の節目に再度啓発を促す動画を見られて良かったです😊
@石井朝子-j9r
@石井朝子-j9r Жыл бұрын
その日は、夜勤入りで、丁度リュックを背負い階段を下りる時でした。愛犬こまめは、キュンキュンと、恐かったのでしょう。ブルブルふるえていました。抱きかかえ、テーブルの下に、じっとしていました。その後、様子を見、出勤しましたが、道路は、木々が散乱しています。忘れる事は、ない埼玉県人です。小学校を観させて頂き、本当に胸が痛い思いです。応援しています。寒くなりました。お体大切にして下さい。JINさん・Jちゃん、ありがとうございます。
@グリーンベル
@グリーンベル 4 жыл бұрын
私も5年前、福島の原発近くまで、バスで、お米と寄付金を持って行ってきました。津波はまた来る!忘れないで欲しいですよね。安全な発電も考えて欲しいですよね
@ceez6060
@ceez6060 4 жыл бұрын
今回の動画を観て、あの時のことを思い出していました。 都内で被災して会社の床で寝たこと、報道で津波の映像をみて衝撃を受けたこと、棚から物が無くなったコンビニ、電力供給逼迫による計画停電、福島第一原発の事故、約一ヶ月半頃に仙台を訪れた時に高速道路の損傷や行き交う自衛隊の車、店舗の外壁や窓ガラスが無残に剥がれ落ちていた光景。。。色々思い出しました。 仙台を訪れる時も現地の状況を考えて食料や飲み物を持っていくことや、ゴミを持ち帰る等の工夫をしたりしました。 思い出させてくれてありがとうございます。
@yukiko.t6677
@yukiko.t6677 4 жыл бұрын
震災の時は 本当に大変でした。実家が海のそばで 津波が押し寄せて来るのを見ました。 福祉の仕事をして 看護師でもあるので、信号も止まり 停電の中 職場に行きました。 地域の住民の受け入れ  非常食の準備・・ ロウソクをつけて過ごした 夜  今も覚えています。 地震が多い国ですので また、何かあるかもしれませんよね・・
@kenjishibuya942
@kenjishibuya942 4 жыл бұрын
胸がしめつけられます。 あの日を思い出すと本当に怖いです。一瞬で多くの人の命が無くなったのが実感がありません。 いつの間にか忘れた事を思い出しました。生きてる僕たちが頑張って生きてくしかありませんね。
@yumi3561
@yumi3561 4 жыл бұрын
妹が、相馬で被災しました。家族全員無事でした。がその後ですよね、日々現実がせまって来たみたいです。映像は、たくさんTVとかで流れましたが、匂いがたまらなかったそうです。私も数度行って、見た景色が一変した動画を見て、ボロボロ泣きました。10年が経ったんですね。 家を新築したり、電車走らせたり、皆さん強いですよね。本当に強い!
@rstrophy
@rstrophy 3 жыл бұрын
JINさん、初めてコメントさせていただきます。実際に足を運んでくださりありがとうございます。JINさんの言われた「昔の歴史でなく自分が生活している時に起きた出来事」という言葉が心にしみました。
@askacco2491
@askacco2491 4 жыл бұрын
ぴょぴょぎちゃんの無邪気さに救われたくらい、仁さんとJちゃんの重い表情がツラかったです。 でも、私たちと同じ肌感覚で震災を感じて下さったんだなーと思うと、感謝の気持ちでいっぱいです。 あの日は外で被災しましたが、足元のコンクリートにどんどん亀裂が入り、目の前の電柱から電線が切れそうな程大きく揺れて、本当に怖かった。立っていられず、地面に膝をつくしかない状況でした。 揺れが収まったあとは、無音状態。一面がグレーの世界に見えました。 雪の降る中、ダンナと手分けして、幼稚園や小学校に娘たちを迎えに行きましたが、道路がボコボコでクルマも出せませんでした。 夕方、ラジオで「荒浜の砂浜には300体ほどの遺体が……」のニュース。言葉が出なかったですね……。 岩手県宮古市の義父母の家は、津波で流されました。義母は、ガンの手術後で高台の病院に入院中、義父は仕事中だったのが幸いでしたね。義母は退院後、帰る家がないので、体育館の避難所暮らしになったのは気の毒でした。数年後に亡くなり、今は義父が一人で代替地に再建した自宅に住んでいますが、すっかり景色が変わってしまった義実家周辺に行くと、やはり さみしさを感じます。 震災から間もなく10年。 何もしないまま、それだけの年月が流れてしまいましたが、「忘れないこと」 コレが一番大事なことなのかな、とも思います。 当時小2、幼稚園年中だった娘たちも、春からは大学生(たぶん)と高校生に。あの頃の記憶がどこまであるのか、この機会にしっかり確認しておこうと思いました。
@キキ-d4i
@キキ-d4i 4 жыл бұрын
情報化社会の中で私たちはあらゆることをテレビ、ネットなどを通して知ることが出来ます。でも大切なのは肌で感じて行動することです。ボランティア、寄付、現地サポートなんでもいいです。JINさんたちは実際に見て感じて行動して私たちに伝えてくれています。素晴らしいことだと思います。あの日は私は東京都で移動の電車の中でした。そのまま身動き取れずひたすら歩いて夜中に家に着いたのを覚えてます。今生きている人々が笑顔で生活できるようなそんな日本であるように、そのために自分にできることをやっていきたいです!ありがとうございました。
@ちょこたんスタイル
@ちょこたんスタイル 4 жыл бұрын
教室を見ただけで涙がでてきました。沢山の方がなくなったのを思いだしました。 時間がたつにつれやっぱりわすれがちになるので改めて考えさせられました。 ありがとうございます。
@piyopiyo-pipiy
@piyopiyo-pipiy 4 жыл бұрын
来てくれてありがとう!足を運んでくださったことに心から感謝。この歴史は心に刻み伝えなきゃね、未来の為に子孫の為に…
@おーみい
@おーみい 4 жыл бұрын
2年程前にあの場所に行きました。あの場所では、一体どうなれば教室の窓から車が中に入るのだろう?と恐怖以外の何も感じる事ができませんでした。 私は地元が岩手です。他の方のコメントを読んだら被災地を動画にする事に否定的な方もいるようですが… 胸を痛めて下さって、取り上げて下さって、ありがとうございます。
@kazkaz3220
@kazkaz3220 4 жыл бұрын
私も遠くからjinさんのファミリーを応援しています、 ありがとう
@hitrin8482
@hitrin8482 4 жыл бұрын
じんさん、東北に足を運んで下さいましてお疲れ様でした。 タイトルを見て見ないではいられませんでした。 外国の方が現地でどの様に感じ取ったのだろうと思いました。私は当時には関東に住んでいましたので出身地が見覚えある景色が映像で変わり行く姿に震え涙が止まりませんでした。 三陸の海岸線、海水浴場は、思い出が沢山あります。荒浜の近くにも住んでいたことがあります。私もいまだにそこの場所には行けてないです。 じんさんが動画をあげてくれた事で行ってちゃんと見なくてはいけないと思いました。 悲しい苦しい辛いと目を背け逃げていては駄目ですね。 この動画で人それぞれの解釈で誤解や偏見も出て来るかもしれないのに ご自身の思いを率直に伝えて下さってありがとうございました。一人一人の捉え方は様々ですがこの動画の主旨には誠意を感じました。
@PiyoPiyo-r9v
@PiyoPiyo-r9v 4 жыл бұрын
あれから、10年たったのですね。怖かったし辛かった。私は東日本に住んでいませんでしたが、TVを見ていて、涙が止まらず、食事も喉を通りませんでした。
@user-Takajiro
@user-Takajiro 4 жыл бұрын
あの当時の、いろいろなことを思い出しました。一言では語れない、色々なことを思い出しました。
@naomia4900
@naomia4900 3 жыл бұрын
私の50年の人生の中で最も悲しく記憶されたのは東日本大震災です。 東京にいて実際に被災したわけではありませんがあの時の東北の映像は衝撃的であり被災された方々の姿を見て悲しみに暮れました。 今でも涙が流れます。 あの日荒浜小学校に何が起きたのか…伝えて下さりありがとうございました。 絶対に忘れてはいけない「津波はまた来る」と言う警告は今の人から未来の人への心の叫びのメッセージですね。 3/11あの日災害に遭われた皆さんのお気持ちが少しでも癒されますように。 亡くなられた皆さんの魂が今では悲しみや苦しみのないところに成仏されていますように。 いつかまた来るであろう自然災害にどうか人や生き物が失われませんように。 ジンさんご家族が日本に寄り添って思って下さることに深く感謝致します。
@MK-dj1vc
@MK-dj1vc 4 жыл бұрын
JINさんJちゃんこんにちは✨😃  荒浜小学校の動画ありがとうございました。私は震災後工事中だった時から 更に新しい道路開通した後も あの海沿いのあの辺りを何度も通りましたがまだ荒浜小学校には行っていませんでした。地元だとは言っても沿岸部の被害を間の当たりにしてないので、何となく荒浜小学校に入る勇気が出なかったというのがその理由です。でも今回の動画を観て 私も行くべきなんだと背中を押された気持ちになりました。JINさんJちゃんは韓国の方ですが日本に暮らし、日本語上級者だからこそ被災した学校を訪れて様々な震災にまつわる人々、地域などを本当に深く理解し、寄り添う気持ちを示してくださったのだと感じました。 本当に深く感謝します✨
@サバイバー和己
@サバイバー和己 4 жыл бұрын
日本は災害大国なので 大雨、台風、大雪、地震、噴火 過去に起きた災害は大体記録として残ってます、蔑ろにせず過去の事を学んでおくことは大事だし忘れてはならない事です 今回も良い動画ありがとうございます。
@ackochan820
@ackochan820 4 жыл бұрын
ジンさん、Jちゃん❣️,ピョピョギちゃん❣️、被災地を、訪れれ動画をありがとうございます。 涙が、込み上げてきました。 実際のこの様な事実を忘れ無い事が大切な事だと つくづく思わせて頂き 日本人として、感謝します。 一番の応援は、風化させない事だと思います。 私個人のことですが、亡き主人の義理父は、岩手県出身で、親族が宮城県にいました。 余計に、胸がつまりました。 心よりお礼申し上げます。 ありがとうございました。
@aoineko4323
@aoineko4323 4 жыл бұрын
少しだけ住んでいたことがあります。震災の少し前に転居しましたが、私のいた町は、綺麗に流されて、コンクリートの建物の一部が残っただけになりました。地形が、確かに波が洗うような感じだと後で思いました。地元にいた友人の話だと、役場の職員はリュックを渡されて、それぞれが指示された場所に山越えして、住民の安否を確認して、そのまま避難所の支援活動に入ったそうで、2週間ほど、生存者名簿に名前が載らず行方不明でした。当時はスタッフは名前が載らなかったので、夫婦で公務員だった人は、2週間くらい経って初めて、夫や妻が生きているのを知ったと言ってました。今は遠くて行けませんが、こうして動画を流して頂けるのは本当にありがたいです。
@korekin1932
@korekin1932 4 жыл бұрын
40数年前その近所で住んでました。震災時には離れてましたけど多くの知り合いが…いまだに近くまで足がすくんで仙台に近寄れません。
@菊池由美-z6x
@菊池由美-z6x 4 жыл бұрын
ありがとうございます。震災から10年になろうとしています、その間にも地震国の日本には何度も大きな地震がありました。それでも津波の災害は忘れることはできません。実は私の同僚も陸前高田に出張中に被災して病院の屋上で一夜を明かし、仕事道具の本を燃やして暖を取ったと聞きました。内陸部に居た私は停電で、沿岸の状況を知ったのは3日後のことでした。JINさんは今はできることはあまり無いことをつらそうにお話されてましたが、こうして仙台に来て、観光するだけじゃなく震災遺構を訪ねて動画で紹介して下さることがありがたいです😊同じ日本に生きる人間同士で「津波はまた必ず起きる」ことを忘れずにいたいですね。
@halchanmama
@halchanmama 4 жыл бұрын
私は、石巻市で、育ちました。震災の時は、内陸部に住んでいたので、それでも家もめちゃくちゃになって、介護福祉士なんですが、ワンコを連れて、職場に行きました。夜勤をして、電気も水道も、止まってしまって、寒い思いをしてました。 老人ホームも、電気も止まって、二回の利用者様にご飯を届けるのも階段でみんなで協力してやりました。 海沿いには、結構早めに様子を見に行ったのですが、何もかも、無くなっていて、涙が出て、止まりませんでした。 10年、経っても辛い記憶です。
@kikuyoshi3953
@kikuyoshi3953 4 жыл бұрын
地元です 来てくれてありがとう
@tendon8931
@tendon8931 3 жыл бұрын
韓国も日本に近いから自身は小さくても良く起こるのかと思ったらそんなに起きないことに驚きました。 日本人でないのにも関わらず深く考察してくれていることがすごい嬉しいです。あなたのような人が悪評の方々と一緒にされないことを心から願っています。
@gomahide
@gomahide 4 жыл бұрын
震災時を除き、その前後を仙台市民として過ごした者として、荒浜周辺から仙台空港にかけての防砂林が津波によって根こそぎえぐられてしまいまいした。 内陸から海が見える光景は逆にその悲劇を思い起こさせます。あれから10年の月日が経ちましたが、早いものですね・・・
@Momo-xk2sp
@Momo-xk2sp 2 жыл бұрын
JINさん被災地にまで来てくれてたんですね…!私は宮城県の隣の岩手県沿岸部に住んでいて被災しました。家はギリギリ大丈夫でしたが、母の叔父が2人津波で流され 今も行方不明のままです…。当時21歳だった姉の同級生も何人か亡くなりました。昨日の事のように思い出します。 JINさんのような外国の方にも関心を持っていただけてありがたいです🥲これからも家族一同応援してます!
@hananak9054
@hananak9054 4 жыл бұрын
ありがとう
@kei07210
@kei07210 3 жыл бұрын
世の中の不条理に対して、自分はどう対応して行くのか、考えさせられました。人の理不尽にはあらがえるけれど、自然災害にはなす術がありません。災害が引き起こされる原因のひとつに、人間が行う土地開発があります。「私の生活を便利に豊かにする為に」自然が破壊され過ぎていないか…越えているのかセーフなのか、そのラインを知らない私は、安易に生活しています。尊い命の教訓を、胸に刻まなくてはと想いました。知る努力は私にもできる。仁さんありがとうございます。
@ROSEROCKSTAR351
@ROSEROCKSTAR351 4 жыл бұрын
日本は原爆投下、関東大震災、阪神淡路大震災、東北大震災、熊本地震、それ以外にも地震を何度か経験し苦難を乗り越えていますが、復興していく力は強いと思います。 震災があった時も皆協力して力を合わせて頑張っていた。 そして辛いことがあっても前を向いて歩いていこうとする人が多いと思います。
@yuh411m5
@yuh411m5 4 жыл бұрын
仁さんの姿勢をあらためて尊敬いたします❤️
@重野かえで
@重野かえで 3 жыл бұрын
私は2016年の熊本地震で被災しました。 幸い、学校近くのお店にいたので校庭にすぐ避難し、炊き出しもあって食べるものには困りませんでしたが 復旧するまでの3か月間、水道、トイレ、お風呂が使えなかったことが一番大変でした。
@mixyouther29
@mixyouther29 4 жыл бұрын
JINさんありがとうございます。 海外から来てあの時日本にいた方達も相当恐怖と不安を感じた事でしょう。 日本は災害が多い国なので、未来ある子供達のためにも我々日本人が常に考えていかなきゃいけない事だし、JINさんのような方がこうやって真剣に受け止めて動画に残してくれるのもありがたいです。
@ちかこ-z8c
@ちかこ-z8c 4 жыл бұрын
東北に住んでいますが 当時の記憶も薄れていました 忘れてはいけませんね👌
@きっちゃん-l8m
@きっちゃん-l8m 4 жыл бұрын
荒浜小学校と同じ区内に住んでいます。車で10踏ん位かな~。 あの日3.11は津波が来るから早く避難する様にと低飛行したヘリコプターから自衛隊の方に言われ当時保育園に通っていた娘(2歳)と小学校6年生だった息子を学校へ迎えに行ったあと車でどこへ向かえば良いのかも分からずひたすら海側の真逆の山側へと車を走らせました。逃げたのは良いけれど今どの様になっているのか様子が分からず荒浜小学校周りであの様な津波で悲惨な状況になっている事もその時はまだ分からないでいました。主人とも連絡取れず携帯が繋がらないし充電が出来ないので節約しながらスタンドも被災してるのでガソリンも無駄には使えずでした。あの日あの時の恐怖が今でもよみがってきます。忘れない思い出そしてまた津波は来る。私も被災地に住んで入るけれど改めてもう一度再確認が出来た動画でした。 話は切り替えて あ~仁さんホントに近くまで来たんですね~リアル時間で知ったら荒浜小学校にいる間に会いに行ったのに~残念です💦(笑) 仁さん、Jちゃん、ぴょぴょぎちゃんに会いたかった~~♡ 次、仙台へ来た時には必ず会いに行きます~🤗 長文失礼致しました🤣
@きっちゃん-l8m
@きっちゃん-l8m 4 жыл бұрын
誤字ありました~ 車で10踏ん位かな~。ではなく 車で10分位かな~。でした😅
@ちみなみな
@ちみなみな 3 жыл бұрын
泣きながら拝見しました。母の故郷、そして私が子どもの時から毎年夏休みに遊びに行っていた福島県の沿岸部の町を思い出してしまって…。母は母校の小学校を失くし、知人を亡くし、私は楽しい思い出が詰まったかけがえのない場所を失くしました。震災当時一番悲しかったのは、太平洋の沿岸を映す空撮がいつも福島を素通りしてしまうことでした。原発事故でヘリが飛べなかったんです。東北に住む人、ゆかりがある人は皆その人なりの震災の悲しい思い出を持っていますね。JINさんが「同じ日本に住む者として」とおっしゃって荒浜小に来てくださったこと、とてもうれしく思います。思いのこもったメッセージやJちゃんの言葉や表情にも、心を打たれました。감사합니다!
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