Рет қаралды 12,593
岐阜県大垣市の大垣城。当時の姿のまま再建された天守もそうですが、なんといっても有名な関ヶ原の戦いの舞台として知られています。西軍の将、石田三成が合戦直前まで本陣を置いていた城。ここに宇喜多秀家や島津義弘、小西行長など西軍武将たちが集結していました。三成が大垣城にいた期間は8月10日から9月14日までの約35日間(この間佐和山に戻る期間あり)。その間西軍前線の中枢はここにあり、三成は大垣城で東軍徳川家康らの動きに備えていたのです。しかしご存じの通り9月14日深夜、三成ら西軍武将たちは突如大垣城から出陣。西の関ケ原に移ります。そして翌日早朝、関ヶ原での決戦が行われるのです。なぜ石田三成は、東軍を迎え撃つ拠点として大垣城を選んだのでしょうか。今回はいろいろな説のうち一つを取り上げ大垣城を見てみます。