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『長髄彦』登美一族の末裔が『神名を隠し』守り続ける社
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KAMITABI
Күн бұрын
Пікірлер: 110
@masaiz3997
4 ай бұрын
津軽出身の者です。他の方もコメントしておられますが中世に津軽を中心に秋田北部、道南を統治していた安倍安東氏の祖先は長髄彦の兄の安日彦と伝えられており、その中心地は十三湊でした。十三は「じゅうさん」または「とさ」と読みますが「トミ」とも読めますね? 十三湊のあった旧市浦村にある相内神明宮はかつては長髄彦神社と称していたそうです。 また安東氏は後に秋田氏を名乗り秋田藩となりますが明治新政府の宮内省が各大名に系譜の提出を求めたところ、秋田氏は安日彦を先祖に書いたものを提出したため、神武に抵抗した逆族では困るとしたが、秋田氏は誇りを持っているので譲れないとしたそうです。
@enman1204
7 ай бұрын
登美ヶ丘あたりの地元の伝承を貼っておきます。 (昭和初期までは残っていたようですが、GHQ介入以後は一部でのみ語り継がれ、某神宮という形で残されたとのことになっています。誤解されやすくもったいないので、この程度で留めておきます。) ・出雲とは三輪桜井の辺りのことであり、奈良が古代大和湖であったころに、いつも雲が湧きたっていたことから、出雲と呼ばれていた。 ・湖の反対側に、生駒山辺りにも日本人の祖が住んでおり、農耕以前は高原に住んでいて、これを高天原/やまと(山の入り口、山の戸。大親元の訛りなどのかけ言葉)/生駒山の長い曽根=長曽根(訛りでナガスネ)と呼ばれていた。 ・出雲にあるとき、クシイナダヒメという美しい娘がいて、周辺の邑からの略奪婚に悩まされていたとき、スサノオが高天原(=大倭)からやって来てこれを救い、出雲から大倭(今の登美ヶ丘)に帰って、王として即位。その子がニギハヤヒ(にぎはう+日)と名付けられ、優れた王となって、後にそれを讃えて大国主/大物主/オオナムチ/大年神etcと呼ばれるようになった。 ・その子孫がやまと/長曽根の王として継承され、その称号として長曽根日子(いわゆるナガスネヒコ)を継承していた。 ・ニギハヤヒの系統の一方、兄弟たちや親族が全国にも分散。現地民族と交わっていった。その一つに、高千穂勢があり、いわば先祖は共通であったが、あるとき神託によって四兄弟で大和へ東征。あまりに大和が強く苦戦した。最後に大和に入り込んで相対したとき、金鵄(光)が出現し、神意を理解して、長曽根側は高千穂勢を受け入れることとした。このとき、先祖が共通のものであることも分かった(いわゆる十種神宝の照らし合わせ)。長曽根日子は、大和側から妹(異母かと思われる)を差し出し、神武天皇を婿として迎え、自らは隠居。しかし日に日に家臣の不満が募るのを知って、尊い心から自らは自決することを選択。これが神武東征であり、後に歴史が改竄されて今の神話となった。 ・長曽根の地は、金鵄の出来事から鵄(トビ)と呼ばれるようになり、登美ヶ丘となって今に名を残している。 ・この長曽根日子(大国主の子孫、大国主という称号も継承していたと理解すればよりわかりやすい)の国譲りこそが、いわゆる大国主の国譲りであり、またニギハヤヒの国譲りである。国譲りの後、長曽根日子の系統は全国へ散ったが、出雲という名称をひっさげては今の出雲へ移動した。他は東北が有名。 ・このクシイナダヒメが、自然信仰の時代において非常に優れた巫女であり、また日本の母であったが、高千穂勢の神話の中では天照大御神として認識されたものと考えられる。実は、クシイナダヒメの別称。ちなみにこう考えると、天照とスサノオの姉弟婚のような誓約も、納得できる。 ・長曽根日子(ナガスネヒコ)は継承された称号であったと述べたが、恐らく大国主/事代主などの名称も、天皇の称号を継承するかの如く継承されたものと思われる。そう考えると、神話上ずっと出てくる大国主の時間を無視した矛盾が解消される。 ・この東征において、葛城の王(これも大国主ニギハヤヒの子孫の系統)は哀れに思って、神武らに味方したと伝承される。これが八咫烏と呼ばれて今に至る。いわゆる賀茂族であるが、賀茂とは神の訛りであると思われる。神山/神川/神郷などが、かもやま/かもかわ/かもさと等と呼ばれていたことから、残った音かと思われる。長くなるので、ここでは述べない。八咫烏=賀茂(神)建角身、その娘玉依姫、その息子賀茂別雷命/アヂスキタカヒコネ/カモノオオキミはこの系統であり、曾孫の大直禰子命(おおたたねこ)が三輪大社に大物主を祀るように天皇に後に命じられ、三輪(=神)氏や賀茂(=神)氏がここから出たと見受けられる。ちなみに、タケミカヅチは=賀茂別雷命と見ると、一気に見えてくるものがある。 ちなみに、いわゆるナガソネヒコ(この話でいくと、ラストナガソネヒコ)のお墓も言い伝えがあり、富雄丸山古墳のすぐ近くに存在します。どこかは述べませんが。 それから、年代のことを指摘されている方があるので、それについて私の感覚を述べると、神武東征は西暦100年頃の出来事だと思っています(二倍年歴/四倍年歴による計算)。 「本当のこと」が明らかにされる日が来ることを楽しみにしております。よく世にはびこる口伝などは、ほとんどは偽的な(その意図が無くても、口伝の中で歪むことがほとんど)伝承ですので、皆さまがそういったことに自覚的であった上で、エンタメを楽しむのがベストだなとは常々思っています。 また古代のことに関しては、考古学を前提にした上で、本当に宗教的なことを事実として認識しなければ、真実は見えないと私は思っております。もし(私からすれば、もしですらないですが)古代人が宗教的な出来事の中で動いていたとすれば、それらを無視して古代を理解しようとすると必ず齟齬が生じるのですね。例えば、古代人が当たり前に過去世などを覚えていたり、霊的コミュニケーションが出来たとすると、遠方にある技術が物理的移動を伴わずに、同時多発的にあちらこちらで発現するというようなことがむしろ当たり前であり、まともに宗教的事実を無視したような考古学の在り方で理解しようとすると、理解できないどころか、事実ではない説を立ててしまうことになったりするんですね。 この辺りで止めておきます。 一隅の僧侶より。 ※以前他のものへコメントしたものより引用でした
@pouse-ww1tf
7 ай бұрын
わたしが古神道大倭教の教祖 矢追日聖氏より伺った話とほぼ合致しており驚きを禁じ得ません。もちろん日本書紀や古事記とは全く違うことも承知していますから声を大にして唱えようとは思いませんし、「ここまでに…。」とおっしゃるお気持ちも痛いほどひしひしと伝わります。ただ、表舞台に登場しない歴史的真実がこうして光を浴びようとしていることに日本人として大和の国に暮らす一人として嬉しく思っているのも確かです。長曽根日子命が望んだであろう和の国が益々栄えますように。
@enman1204
7 ай бұрын
@@pouse-ww1tf まさに。生まれたとき、或いは生まれる前より大倭の者です。
@mithubachi
7 ай бұрын
大倉主命
@enman1204
7 ай бұрын
@@mithubachi 大倉岐命、大倉姫などもありますね(*˘ ˘*)
@魔王とイカした魔女たち
7 ай бұрын
非常に貴重なお話、ありがとうございます🙇 日本が平和でありますように
@よし-c5v3t
6 ай бұрын
とてもワクワクしながら拝見しました。どうもありがとうございます。
@チョコ-x2e
7 ай бұрын
ありがとうございます!
@kamitabi
7 ай бұрын
こちらこそ、いつも応援ありがとうございます!
@泣きそ七基礎
7 ай бұрын
「登美ヶ丘」住宅地の「登美」には、こういう歴史があったのですね。 奈良市登美ヶ丘~富雄~三碓、生駒市上町の一帯は大阪のベッドタウン、新興住宅地という印象しか持っておらず、 学校の教科書の表面しかなぞってこなかった私にとっては大きな学びになる動画でした。
@kamitabi
7 ай бұрын
少しでも有力な情報になれて良かったです。 ありがとうございます。
@まゆぺ-g8k
7 ай бұрын
続きが気になり過ぎる😅 気になりすぎて添御県坐神社と往馬大社行ってきて帰ってきたところです😂
@kamitabi
7 ай бұрын
ありがとうございます。 ところで、何かわかりましたか?🤗
@三浦栄吉
7 ай бұрын
神旅さん飛鳥探真こと三浦です。 歌姫町の添御懸坐神社も生駒と同じで隠れ御祭神がナガスネヒコ様であることが秘められていると思います。 ナガスネヒコ様が饒速日によって殺されるなどということがあり得ません。何故ならイワレヒコ尊神武天皇が大和へ来たのがBC62年ごろだからです。饒速日尊が秋田の遠征から大和へ帰ってきて薨去したのがBC80年ごろですから20年前に亡くなっているのです。私は饒速日と一緒に秋田まで行っていたと考えています。 ナガスネヒコ尊は死んだのではなく、妹の御炊屋姫の勧めで神武天皇を受け入れて諏訪・尾張の地に転居したのではないかと考えています。宮城県の塩釜神社の御祭神が隠れナガスネヒコ尊であることも知られています。小野小町は秋田ですしね。 神社伝承の中に真実が隠されています。 和歌山調月の山下重良博士の歴史年表をご参照下さると嬉しいです。 file:///C:/Users/eikiti/Desktop/%E5%B1%B1%E4%B8%8B%E5%B9%B4%E8%A1%A8.pdf
@kamitabi
7 ай бұрын
飛鳥探真先生コメントありがとうございます。 歌姫町の添御懸坐神社も同じ三柱が祀られていますよね… 三碓との交流などが無く、今回あえてご紹介に至りませんでした。 鹽竈神社の塩土老翁神が上書きという事でしょうか? それとも、志波彦神社の謎の神『志波彦大神』が実は…というお話でしょうか? 歴史年表は、残念ながらコメント欄の添付ができない為確認できませんでした。
@れおママ
7 ай бұрын
ありがとうございます😊
@kamitabi
7 ай бұрын
いつもいつも、ありがとうございます!
@bobuGsan
2 ай бұрын
登美長脛彦と出雲系であるトミの名を持つ人が天津神の饒速日にすんなり下るとは思えない。 また同じ天津神系の磐余彦が饒速日の土地を強奪するのも違和感がある。 饒速日と長脛彦、磐余彦の時代は別々かいずれの存在が虚構である可能性が高いように思う。
@chikaru1978
2 ай бұрын
私も違和感です。日本書紀で、長髄彦が饒速日という神に仕えているという設定ながら「我が国を奪いに来たに違いない」とか「どうして天つ神の子と名乗って、人の土地を奪おうとするか」と言っているので、普通に長髄彦が大王のように読めてしまいます。じゃあ、饒速日って何???と首を傾げております。 古代は兄妹とか姉弟のヒメヒコ統治は結構あったと思うので、長髄彦と三炊屋媛さえいれば別によくない?と(正直いなかったのでは…饒速日ファンから叩かれそうですが)。そもそも国って譲れと言われて譲るようなものなのでしょうか?妹をくれてやるなんて、和平の証と言うよりほぼ人質だと思うのですが……
@ピンクキャット-e2t
7 ай бұрын
出雲王国の末裔の方が起こした大元出版の出雲口伝をお読みになると違った見方も出来るかと思います。大元出版の出雲王国と天皇政権(斉木雪舟著)、出雲王国と蘇我王国(斎木雲州著)、魏志和国の都(勝友彦著)などです。
@freemakpc-1048
6 ай бұрын
登美一族と平群一族を混同しているのではないか?登美の里は、富雄川が中心で 竜田川は平群一族の支配していた気がするが?
@秀樹阿部-r5t
7 ай бұрын
またすみません。ナガスネヒコの後をついだのは、タケトミだそうです!奈良の地なのか津軽なのかは解りません。
@kamitabi
7 ай бұрын
ありがとうございます。
@世界の変化
6 ай бұрын
最近、この映画作って明治陸軍が抹殺しに来た話しだったんですかね?天孫系は圧政を古代から最近まで同じ方法で支配してくるのですね
@kutkrk210
7 ай бұрын
富、登美、鳥見はトミ一族(トビ一族)で長は長髄彦。 事代主が大いに関わりあり。 天火明命(一回目上陸名乗り)、饒速日尊(二回目上陸名乗り)は徐福説。
@kamitabi
7 ай бұрын
ありがとうございます。
@晴-q8x
7 ай бұрын
昔霊能者っぽい人が長髄彦は事代主のことと言うてた話を思い出しました。根拠は知りません。
@kutkrk210
7 ай бұрын
ちなみに、大国主、事代主は役職名説。
@虹色マストドン
6 ай бұрын
「天磐船に乗りて飛び降りる者あり」 あ、ウチのご先祖様だ。 猿から進化したこの星の諸君、天孫に似せた姿に作り変えてもらえてよかったね。
@uchinopc2620
7 ай бұрын
wktk😆
@kamitabi
7 ай бұрын
意味調べました... ありがとうございます。
@TR-gv2wz
6 ай бұрын
安倍総理が長髄彦の兄弟の子孫なんですよね。
@ピンクキャット-e2t
7 ай бұрын
斎木雲州(雪舟)は出雲東家(向家)の末裔、富とみ雄氏のご子息で、現在は雲州氏のご子息の富士林雅樹氏の代になっているようです。長髄彦を語るに富家の口伝も参考にすべきと思い投稿させて頂きました。
@chikaru1978
2 ай бұрын
塩じいと武内宿禰って本当ろくなこと言わない。「どこどこに良い国があります」→「ではそこを取りに行こう」っていう野蛮な思考回路何なんだ
@kensasaki2453
7 ай бұрын
わたくし、奈良県奈良市出身で登美ヶ丘中学校と登美ヶ丘高校を卒業しています。住まいのすぐ近くには秋篠川が流れていました。大渕池という池が近くにあり大渕池公園には確か神武天皇だったと思いますが、その像がそびえていて、子供ながらにその存在感に不思議違和感を感じていたのを思い出しました。それから高校卒業の頃、生駒市田原台という当時新たに造成された田原台ニュータウンに引越しました。そのあと白庭台も造成されて、動画冒頭に登場する池のほとりにある長髄彦さまの石碑はおそらく白庭台にある石碑ですよね?ここから少し交野市方面に進むと磐船神社があり、この辺りの地名は星、宇宙と関係する地名がたくさんあって宇宙人と関係しているんだよ…とここを車で通る度に父親が言っていたのを思い出します。隣駅には近鉄富雄駅があり、よく遊びに行きました。私が昔、育った環境に、こちらの動画にあるような歴史や物語があることに最近知り、目覚めました。こちらの動画の足で稼いだと思われる貴重すぎる情報に感謝します。この地で生まれ育った人間として、この地域で暮らす方に、昔、こんな物語があったんだよ…と1人でも多く方や子供達に知って欲しいと思いました。とりあえず私の兄弟や友人にシェアさせて頂きます(^^)ありがとうございました。また動画を楽しみにしてます!
@kamitabi
7 ай бұрын
生駒山を大阪側から見て育ったこともあり、神武東征のクライマックスに関しては、少し違和感を感じておりました。勝利を収めた側の視点が正論とするのが『正しい』と素直に見れない捻くれ者ではございますが、『私は、天津神に支える者、貴方は天津神の子と称して、人の土地を奪おうと言うのか!』のセリフから、今では死語に近い『人望』を感じてならない今日この頃です... 応援ありがとうございます。頑張ります!
@下手の横好き-l2i
7 ай бұрын
@@kamitabi 当地に住む方々、当地と因縁を持つ方々が、なにゆえこのような伝承を2千年間も(「敵側」の私が知ってるくらいだから、完全に秘していたわけでもないんだが)「秘すべきこと」のごとく語り継いできたか。古事記や日本書紀は黙したままなのか。どうか、その理由にも、心を寄せてほしいです。それは「どちらか」の勢力に「肩入れ」すると、片方の勢力の事情がさっぱり分からなくなるから、です。 昔の話でしょ?いえいえ。イハレヒコとナガスネヒコの対立、イハレヒコの息子たちの争い、これらは2000年間、繰り返し繰り返し大和の地を2分3分する争乱に関係してきました。恨みや歴史的しこり…ではなく、何度も何度も「当時と同じこと」が起こった、いや、似たような事態に民が恐れて争乱になった、というべきでしょうか。「スメラミコト」と「彼の勢力」が「吉野」から「都」を目指す構図が再三繰り返されるのも同じ事情で。そう、これは古く記紀の頃から壬申の乱、源平の乱、南北朝、応仁の乱、幕末に至るまで、日本に内乱が起きる原理のひとつでもある。 ということで、大和国の一宮、最も格式高い神社は、奈良時代以降ずっと政界最強勢力であった藤原氏の先祖を祭る春日大社、ではなく、ナガスネヒコの次の大和の国の主、初代皇后ことイスケヨリヒメの里、大神神社なのです。ここなら、登美を含むヤマトの民は、山も里も、カワチやイセの民まで含めて、誰も文句なし、なのです。
@魔王とイカした魔女たち
7 ай бұрын
ナガスネヒコも非常に興味深い人物で、いつか自分なりに考察したいと思っておりました😊 ニギハヤヒの器、技量を認め臣下となる英断、イワレビコ達との見事な戦いぶり、そこだけをとっても英雄でありましょう😊 ましてや妹がニギハヤヒに嫁いでいるのですから、ニギハヤヒやその子ウマシマジが手にかけるなど、全く受け入れ難い話に感じておりました。 個人的には東北の地へと逃げおせた、逃がされたのではないかと思っておりました😊 宮司さんのお話、たいへん興味があります😊 次の動画、心待ちにしております😊 世界人類が平和でありますように 私達の天命が全うされますように😊
@kamitabi
7 ай бұрын
私も同じ思いで長髄彦を追いかけて、今回の取材を致しました。 思いが伝わり、貴重なインタビューを収録できましたので ご覧頂ければ幸いです。 いつもありがとうございます。
@haruokitagunino24
7 ай бұрын
トミノナガスネヒコの足跡としては、富山や鳥海(ちょうかい→とみ)山、十三湖などがあり出雲から東北まで続き、縄文時代からの日の本の旧王朝の王であったのではないかと思います。
@kamitabi
7 ай бұрын
貴重なご意見ありがとうございます。
@akisuzu55
7 ай бұрын
いや寧ろ正史の矛盾点を回避するソフトランディング説じゃないですか。トミの一族は未だに地元で崇拝されているとか、私はこの説良いと思います😊
@kamitabi
7 ай бұрын
同感頂き、ありがとうございます。 勧善懲悪では計り知れないドラマがあったと思えてなりません。
@秀樹阿部-r5t
7 ай бұрын
青森県津軽地方にながすね彦が関西から逃げてきた、という家柄があります。
@kamitabi
7 ай бұрын
貴重な情報ありがとうございます。
@紗鳴
7 ай бұрын
岩木山神社の御祭神は長髄彦
@瀧川美佳
7 ай бұрын
@@紗鳴本当にきていたんですね。五所川原は御所川原と、長髄彦が暫く過ごしていたと伝えられています。❤
@アドラメルク-o3q
7 ай бұрын
大阪の石切神社も長髄彦を祀ってるという話がありますね
@ピロエス
7 ай бұрын
私も饒速日命、長髄彦命を調査するにあたり一昨年に宮司様から貴重なお話をいただきました。わかりやすい考察と素晴らしい映像に感謝いたします。 私は桜井市にある等彌神社にも長髄彦命と磐余彦尊の関係を示す大きな鍵があるのではないかと考えます。是非考察をお願いします。
@下手の横好き-l2i
7 ай бұрын
桜井の鳥見・外山は、神武天皇:イハレヒコの「磐余」の地の東隣ですね。東京から来た友達を案内したときに、宮司さんは「ここが元祖・伊勢神宮です。建国時のお伊勢さんです。」と実に分かりやすい説明をなされていました。
@kamitabi
7 ай бұрын
『等彌神社』実は、一度宮司様とお話ししております。 本来ならば、先に仕上げるつもりでしたが、大人の事情で、再度検討中です。 やはり、宮司様もご納得のゆくものにしたいと思っております。
@ピロエス
7 ай бұрын
@@kamitabi 返信ありがとうございます。大変な作業だと思いますが、とても楽しみにしております。今年の紀元節にもお参りをしてやたちゃんを授かりました。古代日本に興味がある方には是非立ち寄っていただきたい神社ですね。
@ヨダトオル
7 ай бұрын
石切神社が長髄彦をまつっていたと思うのですが。い(かくの)し(ながい)きり(すね)とかいう語源の説も聞いた覚えがあります。
@kamitabi
7 ай бұрын
ありがとうございます。 石切劔箭神社は、饒速日尊、可美真手命の二柱では... 『い(かくの)し(ながい)きり(すね)』隠れ祭神ですか!🙀
@tuyositanaka4752
7 ай бұрын
石切神社上之社に「登美霊社」がありますね。
@michiyos6936
7 ай бұрын
詳しい考察をありがとうございます。 私も昨年訪れて宮司様に詳しいお話を伺ってKZbinの自分のチャンネルにて動画をアップしたのですが、なかなか再生されておらず申し訳なく思っておりました。 この神社の存在が広く知れ渡りますように祈っております。
@kamitabi
7 ай бұрын
宮司様の思いを一人でも多くの方に伝えて行ければ幸いです。 ありがとうございます。
@酒井結衣-p3y
7 ай бұрын
あー、明治の時にガッツリ消されたんですね。良く分かります。 彦坐王系は消されまくってますね。出雲振根一族とか・・なるほど。 祭神の名前変えてっちゃうのも理解しました・・なるほどなるほど・・ですね! 面白かったです!
@たぬきねんね
7 ай бұрын
神社の出だしが『律宗』ってのがまたすばらしい。 めったに無い、弘法大師以前に伝来した宗派ですね。 あれだけ有名な長髄彦も祀られていて良かった。 カルタゴみたいに現代でまいまだに廃墟になるような戦いはみたくない。
@kamitabi
7 ай бұрын
同感です!ありがとうございます。
@user-warauakabeko
7 ай бұрын
ありがとうございます😊幸せです❤ 感謝してます😂めでたい🎉めでたい🎉😂
@kamitabi
7 ай бұрын
いつもありがとうございます!🙏
@Larphy002
7 ай бұрын
時代が違っているかもしれませんが 【倭人と東鯷人(とうていじん) 】 『漢書地理志 燕地』 楽浪海中 倭人有り 分かれて百余国を為す 歳時を以て来たり献見すと云う 『漢書地理志 呉地』 会稽海外 東鯷人有り 分かれて二十余国を為す 歳時を以て来たり献見すと云う 神武天皇 銅矛圏 と 長髄彦 銅鐸圏 の争い と考えています。 この東鯷人(とうていじん) の 鯷は 日本の端っこを 意味し 神武天皇と戦った 銅鐸圏の 長髄彦(ながすねひこ) の人々と考えます。 長髄彦の本拠地は 東奈良遺跡 (大阪府茨木市)で 銅鐸の鋳型が多数発見され銅鐸圏の中心地です 第10代崇神天皇の時代になっても 未平定であった
@kamitabi
7 ай бұрын
貴重な情報ありがとうございます。
@pouse-ww1tf
7 ай бұрын
古神道 大倭教教祖 矢追日聖(ヤオイニッショウ)【平成8年2月9日帰幽】氏に直接伺った話をします。詳しくは奈良市大倭町にある大倭教本宮社務所に尋ねていただきたく思います。一人残った四男狭野命(サヌノミコト、後の神倭磐余彦尊)を大倭登美長曽根大王が迎え撃ち勝利する寸前に金鵄瑞光の天啓により両軍即座に大地に平伏。矛を収めた。長曽根日子命が出した条件を狭野命が無条件で受諾し和議が成立。ヤマトの国が譲渡されるに至った。✿以下は直接伺った話ではなく資料より抜粋※怒り収まらない登美の人々を鎮める為に長曽根日子命は自ら命を絶った。
@hidezoevo
7 ай бұрын
素晴らしい!前回の見ます!
@kamitabi
7 ай бұрын
ありがとうございます!
@トニー15
7 ай бұрын
長いスネだから、3mくらいの巨人だったのでは⁉️
@kamitabi
7 ай бұрын
🤗
@れおママ
7 ай бұрын
笑笑
@チョコ-x2e
7 ай бұрын
神武天皇も2m以上?姿はまるで龍神説?あり得ますね😅
@魔王とイカした魔女たち
7 ай бұрын
長雄富丸古墳から出土した長刀蛇行剣、ブンブンと軽々振り回して闘っていた姿を想像すると、そりゃぁ強かったよなぁ⁉️、と、ちょっと納得する、、、(笑)😂
@Naraaogaki
7 ай бұрын
うわー続きが気になります(* >ωω
@kamitabi
7 ай бұрын
ありがとうございます! 今暫くお待ち下さい。 頑張って編集します。
@おかめ有希
7 ай бұрын
🙏🙏🙏
@kamitabi
7 ай бұрын
感謝、感謝、感謝🙏
@おかめ有希
7 ай бұрын
@@kamitabi さん、 いつも素敵な投稿を💕有難うございます。
@下手の横好き-l2i
7 ай бұрын
小野氏は「小野妹子の子孫」というより、五代孝照天皇の子孫、と考えると、登美の地の時代の移り変わりがわかりやすくなります。皇室を巡って男系・女系と世を騒がせた時期がありましたが、大和の地は、母系継承や末子相続が多い土地柄です。そこに小野氏が婿入りし、地元の母系継承と皇室から男系継承を継いだ小野氏の継承が混在する形で、幾星霜を経てきた。ここを前提とすると、件のお社のお祭りと歴史がよく理解できるし、ナガスネヒコのあとをイスケヨリヒメが継承し、イスケヨリヒメが初代皇后となる意味合いについても、解像度が上がるかと思います。
@kamitabi
7 ай бұрын
実は、私の中で最大の謎が『大物主』 世論で流れる単純な答えでは無く 正にそこに至る長旅をしている様なものかも知れません... できる限り、現地での生の声や情報をお伝えして行こうと思います。 貴重な情報、アドバイスありがとうございます。
@下手の横好き-l2i
7 ай бұрын
@@kamitabi 1件、コメントが消えているようなのですが、そちらで削除されましたでしょうか。だとしたら、とても残念です。富雄町史の小野福麻呂の事績を読んで、登美の金鵄伝承地なども巡りつつ、登美もまた、神武天皇および皇室を支える重要な一角であることをよく勉強してほしいと思います。当方、登美の旧家・名士の末裔を含む、神武伝承の地の旧家に複数の知己を持ちますし、自身も大和の民です。従って、公表できること、できないこと、なにより地元民に迷惑のかからないこと、などを弁えて、リプライしているつもりです。一時の知的好奇心より、集落の伝承を正しく後世に語り継ぐことの方が重要です。どうかご理解いただけますよう、お願いします。
@kamitabi
7 ай бұрын
コメント消去はしておりません。 別の方法で探したのですが、これも見つからない状態です。 何が問題で消されてしまったのか、不思議でなりません。 ご気分を悪くされたとは思いますが、今後とも宜しくお願い申し上げます。
@下手の横好き-l2i
7 ай бұрын
@@kamitabi 承知いたしました。
@linux-loving
3 ай бұрын
長髄彦の祖先の母は大阪府の三島郡(高槻市や茨木市あたり)の出身で出雲の富一族に嫁いだがなくなり、その子供たちは大阪府に戻り、大阪湾の南に上陸して現在の堺市を干拓した。痕跡は府立登美ヶ丘高校の名前にのこる。 その後に富一族が奈良側に移住して奈良一帯を干拓し開け支配下に置く。 また藤原氏の始祖は中臣=中冨だが、これは物部氏と中臣氏が連合して崇仏派の蘇我に反対したのも納得がいく。以上調べてみてはいかがでしょうか。
@norikonagasaki-ph1vz
6 ай бұрын
この近くの稲蔵神社の宮司さんが出した本を読みました。お話されてるような内容ですよ。ぜひ一度お読みくださいな。
@ザソフトめんズ
7 ай бұрын
地元の伝承ではこういう話が伝わってるという意味では大事な記録。たしかにナガスネヒコ側から見たらイワレヒコ一味はそうなるよね、、、動画アップありがとうございます。
@南邦夫-k4u
7 ай бұрын
神武神話は、崇神天皇から四代の初期ヤマトに重なる別の物語と考えています。ヤマトタケルがトミヒコ。ヤマトトトビモモソヒメ(やまと、と、とみ、は百代)はミカシギヤをモデルに再記載された。河内の日下の石切神社の上社の主神が、ニギハヤヒとミカシギヤ。ならば、下社の主神の剣と矢はトミヒコだろうと思います。ミカシギヤは推古天皇の謚ミケカシギヤそのものですから、聖徳太子の歴史認識や四天王寺にもトミヒコへの信仰が秘められていると、思っています。亀井水にヒントあり。
@kamitabi
7 ай бұрын
貴重なご意見ありがとうございます。 亀井水は、『戒名を記した経木を浮かべて弔う』に秘められた物でしょうか?
@南邦夫-k4u
7 ай бұрын
はい、江戸時代以前から、先祖供養の経木流しの信仰で知られていました。平安時代に亀井という歌枕で貴族の信仰を集めました。元の名前は謎ですが、野外の施設で、朝の太陽礼拝の水鏡と、私は分析します。正面には生駒山地。トミの国の霊山。 聖徳太子の絶唱歌のトミノイ、がそれではないか。
@kamitabi
7 ай бұрын
ありがとうございます。
@jawowin
7 ай бұрын
13:47 上書き
@manbongo1588
7 ай бұрын
長髄彦は中州根彦(今東光談)
@蘇我入鹿-c1j
7 ай бұрын
大変興味深い考察をありがとうございます。 神社のことでなくて恐縮ですが、私は長髄彦は尾張氏に連なると考えています。天皇家との姻戚関係、武の者や東夷(卑下する意味ではありません)という点がそのように連想させます。 それ以上の根拠はないのですが。
@kamitabi
7 ай бұрын
この次の動画で、答え合わせになります。 歴史の勉強は本来、自身がこうであったのでは...と考える事がなされたと伺っております。 間違いや、事実、というのも大事ですが、丸暗記ではない歴史の勉強に戻れるといいなと思います。
@蘇我入鹿-c1j
7 ай бұрын
次の動画楽しみにしています。 饒速日命という位置付けの難しい方が天皇家の祖先よりも先に天下っていること、そして饒速日命から物部氏や尾張氏に繋がっていく部分、何より物部氏という存在が大きいというより広すぎてとても単一の氏にしている点も釈然としません。 物部氏と言われる方々が天皇家以前のこの国の支配者だったように思えてなりません。
@cvsq-xy8fo
7 ай бұрын
よく長髄彦一派の出雲族が縄文人と思ってるコメ見掛けるのですが、出雲は神門臣家や富家と名乗り交代で王になり、大己貴(八十神)を婿に入れ政略結婚で領土も拡げ、各地に耕作を教えて周り、大国主とか主と言ってるのだから、縄文人とは違いますよね? 縄文人は村ごとの集団結婚の形式みたいですから、今の結婚制度とは違ってたようです
@fengwang9482
6 ай бұрын
神武天皇は最初の天皇ではない。
@チョコ-x2e
7 ай бұрын
有難うございます🙏 事実を紐解いていきましょう✨次回が楽しみで仕方ありません😊❤
@kamitabi
7 ай бұрын
ありがとうございます。今回なんとかプチバズリ中です... ここからが試練、頑張ります!😑
@チョコ-x2e
7 ай бұрын
バズってますね🌟きっと何か始まりますね↑ の予兆⁉️ワクワクが止まりません☺️
@keihiroshima7704
5 ай бұрын
登美一族=富一族 出雲系なんですよね。
@Artemis0321
6 ай бұрын
矢を射る姿、チュモンにソックリ。 どこからの写真!?
@bobuGsan
2 ай бұрын
弓を射るのに胸を伏せ気味に弓を斜めにすることはありえません。 サムネ画像のような状態では押手にかけた矢が落ちてしまいまともに射るのも困難でしょう。 しかも、押手の手首が曲がっており正確な弓射は望めません。 可能性があるとすれば馬上から加速に耐えながら射る時かなと思いますが、古墳時代前期には日本に馬はいなかったとされています。 おそらく、ファンタジー脳の絵師さんのテケトーなイラストだと思います。
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