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古歌に「火の車 作る大工は 無けれども 己が作りて 己が乗り行く」とあります。
源信僧都の『往生要集』をご縁に、地獄に付いて、考えます(=人=;)namo~。
【浄土真宗の法話案内】全国どこでも、どなたでも、ご法話が聞けます。
shinshuhouwa.info/
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【この動画の地獄とは?】
この動画が誤解を招かないように、ポイントをまとめさせて頂きますm(_ _)m。
○こんな地獄が何処かにあるという話ではありません。 • こわ~い法話 『地獄とは?』 Che-lee
○この世は、地獄のような苦しみに満ちています。 • こわ~い法話 『地獄とは?』 Che-lee
○便利快適…!欲望を追い求める私達は餓鬼ではないですか? • こわ~い法話 『地獄とは?』 Che-lee
○私たちは今、地獄を作って生きていませんか? • こわ~い法話 『地獄とは?』 Che-lee
【地獄とは?】
○世界の地獄 … 世界の宗教は、それぞれの地獄を説くようです。
(キリスト教) 死後の刑罰の場所または状態、霊魂が神の怒りに服する場所。
(イスラム教) 「ジャハンナム」世界の終末に際しての審判において、
不信心者や悪事を成した者が灼熱の責め苦を受けるとされる世界。
(北欧神話) 「ヘルヘイム」女神ヘルが支配する、名誉の戦死を遂げられなかった者が行く世界。
○アジアでの地獄思想の成立 … 古代インドの「地獄」を仏教徒も取り入れて行った。
元々は「閻魔大王、牛頭、馬頭」などの古代インドの民間信仰(バラモン教等)である死後の世界の思想が、
中国に伝播して道教などと混交して、仏教伝来の際に日本に伝えられた。
そのため元来インド仏教には無かった閻魔大王を頂点とする官僚制度などが付け加えられた。
その後、浄土思想の隆盛とともに地獄思想は広まり、民間信仰として定着した。
大乗仏教が発展すると、地獄は死後に赴く世界と見なされるようになった。
地獄は、日本の文化史の中では比較的新しいもので、これが特に強調されるようになったのは、
平安時代の末法思想の流行からのことと思われる。
○親鸞聖人の地獄 … 人様を叩き落す地獄ではありません。
「地獄は一定すみかぞかし」と『歎異抄』にあります。
親鸞聖人にとって、自らの修行では、決して救われない吾身を反省する地獄であり、
そんな自分を無条件で救って下さる、阿弥陀様への感謝を味わう地獄であり、
恩師法然上人への、信頼の深さを「法然上人に騙されて、地獄へ堕ちても後悔しない」と、
告白された地獄なんですね!
【危険な地獄思想とは?】
○「・・・したら(しないと)、地獄へ落ちる」等と言うのは、大体が、ヤバイと思って間違いないです。
【カルトとは?】 ・・・ 「犯罪行為を犯すような反社会的な集団」の事だそうです。
※【ご文の解釈について】
動画中( • こわ~い法話 『地獄とは?』 Che-lee
本来「恐ろしい地獄をさしていわれている」ご文ではありませんが(註1)、宮城顗先生の解釈(註2)を引用させて頂きましたm(_ _)m。
(註1)「地獄は一定すみか」と親鸞聖人はいわれましたが、そのお言葉も、信前に想像するような、恐ろしい地獄をさしていわれている
のではありません。「とてもたすからない自己」と知らされていわれていることなのです。 (Yamamoya様のブログ より)
(註2)「地獄というのは、どこか未来の遠いところにある世界でない。この私が現に生きているこの場である。…そこにおいて私の生命は具体的な
ものとなる。そういう場が地獄である。…このことを、もっとも自覚的なことばでいいきられたのが、…「地獄は一定すみかぞかし」という
おことばだといっていいかと思います。」(宮城顗 『地獄と極楽』P5 より)