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総本山第六十七世日顕上人猊下
御教示
すべては唱題から
第四十五条 臨終の正念
信心唱題を行い、
信仰生活をなす在家の方々にとって大切なことは、
下種三宝に対する御報恩である。
その具体的な形としては、
大聖人の御指南として、
僧を供養することと、
未入信・邪信の者に大聖人の仏法の正義を語り、
折伏を行ずることである。
法門の理を知らなくても、
信心を随喜する心、
有り難いという心があれば、
その信仰と体験の一分を話すことは、
だれでもできるのである。
さらに、
人間および生物は必ず、
生・住・異・滅・生・老・病・死の法則によって死が訪れる。
その死に対して、
どのように対処すればよいか。
妙法の信心のない人間は、
どこにもない阿弥陀仏の世界を念ずるなど、
自分で様々な工夫をするが、
結局、
確実な道は解らない。
しかし、
常に題目を唱えている人は
その題目の境界そのものが臨終の正念である。
生の時は生の遊楽、
死の時は死の遊楽が開かれる。
故に、
真剣に唱題する人は、
自然に生・老・病・死の解決を正しく行ずるのである。