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1986年の下期になると、「ワールドプロレスリング」は、金曜20時から月曜20時に放送時間が移動。ゴールデンタイムからの撤退も囁かれるようになった。そこで新たなテコ入れ策として、猪木が考えたアングルが「海賊男」であった。フロリダ遠征時にカーニバルで目撃した海賊のキャラクターに触発されたという。
そこでまず手始めに、猪木自ら海賊男に扮し、フロリダ州タンパで、武藤の試合に乱入、襲撃した。この一件は、当時の「ワールドプロレスリング」においても、しっかり襲撃の模様を収めた写真とともに伝えられた。映画などに登場する海賊を思わせる衣装から、この人物は関係者やファンから「海賊男」もしくは「海賊亡霊」と呼称された。
その後、新日本プロレスの事務所に海賊ビリー・ガスパーと称する人物から日本を襲撃するとの内容の文書が届いた。以降、海賊男の矛先は武藤からアントニオ猪木へと替わった。
その後、海賊男は新日本の試合でも乱入を繰り返したが、これらの正体は新日本の若手レスラーであった。橋本真也は海賊のコスチュームが入らないから、一度も乱入はしていないが、コスチュームとシューズのサイズが合う蝶野ら若手に「よし、今日はお前が行け」と乱入させていた。海賊男のアングルは選手内で周知されていたため、セコンド陣が海賊男の乱入を止めるようなことも当然しなかった。
この海賊男の乱入はファンの不評を買ったが、猪木はこのアングルになぜか固執した。そして猪木vs斎藤の大一番でも「海賊男アングル」が遂行されることになった。そして、大阪城ホールで行われた、アントニオ猪木とマサ斎藤の一騎打ちに乱入したのである。しかし、海賊男は、新日本プロレスの、さまざまなアングルの歴史の中でも、間違いなく「大失敗」であった。
#プロレス #格闘技 #RIZIN #アントニオ猪木