歴史から抹消された...卑弥呼の墓説がある宇佐神宮の秘密

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古代ずんだミステリー

古代ずんだミステリー

Күн бұрын

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@虹色マストドン
@虹色マストドン 11 ай бұрын
宇佐は卑弥呼ではなく時代の壱与だろ 卑弥呼は日田だ 神力の強い巫女が死ぬと埋葬するがその地は死霊で汚れるから次代は宮を他の地に移す 遷宮せずに住むのは大和に移って「神籬」を樹立してからの話
@matudono
@matudono 11 ай бұрын
卑弥呼は当時の中国人使節が聞いた言葉を漢字で表現したもの 卑弥呼は姫御子もしくは日御子と考えるのが自然
@taka3399-n6n
@taka3399-n6n 8 ай бұрын
邪馬台国奈良説は実に国策で動いている。莫大な発掘予算を使い通年で発掘作業。これは宮内庁はじめ日本の始まりが全て奈良平野にしたいから。奈良の遺跡は邪馬台国ではなく、その同じ時代に存在した東の海の向こうの倭人の国々。戦乱が続く北部九州とは違い、銅鐸文化の平和な国々だった。ゆえに北部九州から倭の五王の初代讃=応神天皇が東征していとも簡単に奈良平野を征服した。ヤマト王権を樹立し河内平野に巨大古墳群を造営した。
@asa01053
@asa01053 2 ай бұрын
詳しいですね。
@dekotoraTV
@dekotoraTV Жыл бұрын
宇佐神宮には、何度か行ったことあります。 この動画を観たら改めて素晴らしい宇佐神宮だとと言うことがよくわかった気がする。
@Kappa-Lub
@Kappa-Lub Жыл бұрын
神武東征の折神武帝が立ち寄った場所 宇佐神宮 福岡県北九州市八幡西区熊西 岡田宮 安芸高田(多家) 吉備(岡山)高島宮 難波宮 熊野  全部 有力氏族の場所。 ※八幡 京都は石清水八幡宮があるゆえですが 北九州市八幡やはた は八幡社だらけなのが由来 ユネスコ文化遺産戸畑祇園大山笠は飛幡八幡宮(八幡東区枝光八幡宮を勧請)の大祭
@JKあかり
@JKあかり 11 ай бұрын
見やすくて丁寧な解説で大変よかったです
@ksar4219
@ksar4219 11 ай бұрын
宇佐神宮がある場所は、明治になるまで「豊前国(北九州あたりから宇佐まで)」と呼ばれていました。そして豊後高田から宮崎県の手前までが「豊後国」です。そしてこの二つを合わせて「豊の国(とよのくに)」です。 豊の国、つまり台与の国。そして豊後国の東に海があります。確か魏志倭人伝には邪馬台国の東は海と書いてあった、と思います。 結論として、私は北九州から大分県にかけてが邪馬台国であり、宇佐神宮は卑弥呼の墓の上に社が建てられているのだと思っています。 「動画へのコメントより」 同感です。卑弥呼の権力と、死しても尚、絶大だった影響力を封じる為に、卑弥呼の石棺の上に、朝廷が応神天皇を大神とする宇佐神宮を建立(725年)したのだと思われる❗神代から7世紀頃までの歴史を記 述する歴史書であるにも関わらず、712年発行の「古事記」にも,720年が初版の「日本書紀」にも卑弥呼の事も邪馬台国の事も全く記載されていない事からも無きモノ、無き国にしようとした事がよく判る🖕✊同世代の朝廷の者達が発行し建立して歴史の偽装操作をしているのですよ👣👣👣👎🙅❌👿☠️ 卑弥呼の存在を封殺しようとしたが、宇佐の国造達の批判、猛反発が大きかった為に、建立8年後の733年に神託により比売大神(卑弥呼)を祀った二之御殿が建立され、宇佐の国造達が比売大神を祀ったのが真相だろう。「卑弥呼」も中国での当て字、「比売大神」も戒名などとしての当て字か、朝廷の当て字で、太陽神に仕えた「日巫女(ひみこ)」が本来の呼称で比売大神(ヒメのおおかみ)の「比売(ヒメ)」も元は「日女(ひめ)」であったというのは解せる。 宇佐神宮では、明治40年と昭和16年に主祭神の比売大神を祀るニ之御殿の2メートル下に、外側が磨かれた2つの石棺が発見されているのだ✨👍 日巫女(卑弥呼)とトヨの墓だと思われる💥💪👏 不敬という理由で開かれず二度とも埋め戻されたのだ✊🖕 日巫女と邪馬台国が本当の日本人の国である事がバレては成り棲まし朝鮮人共は困るのだ❌👣👎成り棲まし弔賤塵共、虫獄塵共を完全に駆除した後、宇佐神宮、徳島の神社周辺の石棺、箸墓古墳もキッチリ発掘して、日巫女と邪馬台国の所在と日本人の国のルーツをハッキリさせましょう✊🖕💨👏💥🔥
@縄文人のりたま
@縄文人のりたま 11 ай бұрын
ちなみに宇佐神宮の東に国の東っと書いて国東半島(くにさきはんとう)って場所もありますね、ここは神社仏閣の宝庫で仏の里といわれてります神様と関わる卑弥呼にも通じるものがありますね
@かたひらかたひら-s1l
@かたひらかたひら-s1l 2 ай бұрын
途中までは良いが、最後は単なる墓荒らしか。残念。 卑弥呼の墓説は信憑性が高いと思ってるが、2体の甕棺が発掘され、卑弥呼と台与というのはどうか? 二人の死期にはすくなくとも数十年あり、掘り返してまで同じ墳墓へ埋葬するのは疑問です。
@うにいくら
@うにいくら Жыл бұрын
ウサとイセが音位転換とも言えるのも何か関係あるのかも~なんて妄想しちゃいます
@asobiyama2836
@asobiyama2836 11 ай бұрын
亀山の脇にある広い池は社殿が有る小山を造成するために掘り取られたので出来たという説もありますね。 また、宇佐神宮とセットで薦神社、大分八幡宮が関連深い神社だと言われています。
@カピバラ-z3d
@カピバラ-z3d 11 ай бұрын
地元民だけど確かに山が怪しいとは聞いたことある。それが亀山かもしれない。 明日、宇佐神宮に初詣に行くので楽しみにしておきます 行く予定の人は宝物館おすすめ。国宝の孔雀文磬が見れる 特に宇佐神宮にはかかせない神息の刀はみてほしいね(たしか年始から一週間ぐらいしか展示されてなかったはず)
@asa01053
@asa01053 2 ай бұрын
カゴメ
@matudono
@matudono 11 ай бұрын
多分ここが神殿の跡なのかと思う 樹に囲まれて地形がわかりにくくなってるが 上宮と下宮とそれを取り巻く地形が 卑弥呼以降出現する前方後円墳の形になってます この形を継承したのが前方後円墳と考えれば ここと卑弥呼の関係が深いのが考えられます 特に 御告げを行う神社が 鬼道をよくする卑弥呼との繋がりを物語ってます
@刀禰元彦
@刀禰元彦 Жыл бұрын
イメージ的に神社は古墳上に立地していることが多い。宇佐神宮に限らず大阪城も巨大前方後円墳と思う。歴史上の遺跡や寺社は地形的に優れた墳墓上に作られるのは間違いない。宇佐の場合は立ち入り制限されているわけではないので古墳かどうか地表を調べれば簡単にわかると思うがどうだろうか?ちょうど半世紀前この説がでた頃、高校生だった私は宇佐神宮に行き周辺の地形を調べたが自然礫ぽい石しかなかったので人工的なものは見つけられなかったが、その時神社の関係者から古代の場所と現代の神宮は異なると聞かされた。祭神の奇妙さから卑弥呼を祭った神社の可能性は確かにある。
@asa01053
@asa01053 2 ай бұрын
八幡神社の地中から古墳が見つかりました。
@森岩光
@森岩光 Жыл бұрын
素はウサギさん (素兎)。 と号していた宇佐(兎佐)族が信奉する 月の女神の宮! と言うより、 月の女神を信奉するから 兎族と称していた。 月の満ち欠け、運行は、 暦を読むよすがになるから 月の女神は月読尊(=八幡大神。豊受大神(月読尊)。稚日女神(天照大神稚魂)。丹生都媛大神(稚日女神)。) と呼ばれた。 兎佐神宮は主神の月読尊(月の女神。媛大神) に 兎佐王家累代の当主(女性優位の母系社会だったから宇佐王家(宗家)当主)は女性。 なんなら、市杵島媛(徐福の嫁→物部王家の祖)~ 親魏倭王。宇佐豊玉媛命(魏に朝貢した女王ヒミコ(姫巫女の間違い)) らも祀られています? 応神天皇(八幡大神ではない)は ↑の豊玉媛命の直系子孫(三~四世代後) 要するに宇佐神族(王族) だった。 その養母で三韓国を平定してその莫大な年貢等(打出の小槌)を背景に 新王朝を樹立なさった 息長帯媛命 (帯、タラシは大王(天皇)の称号の一つ。 故に、神功皇后(先王朝、物部王朝の三代目、所謂、成務天皇の皇后だったのが史実))ではなく、 神功天皇(明治以前)が正しかった。 息長氏は宇佐族と同様に 月読尊を信奉する一族だった事から 宇佐宗家は 併せて祭祀する事にした。 (八幡神ではない) 後に主神殿(今の二の御殿)
@ルチル-e6c
@ルチル-e6c Жыл бұрын
宇佐神宮はぜひちゃんと調べて欲しいです。 絶対何かあるって素人でも思います。 数か月前に吉野ケ里遺跡の謎のエリアで 石棺墓が出て来た時にはテンション上がりました。 結果何も出て来てはないですけど まだ謎のエリアは調査してるんですよね?確か。 世紀の大発見みたいなニュース聞きたいですねぇー でも謎のエリアって元々神社があってどいたから調べられたんですよね。 宇佐神宮は・・・どかないだろうなぁ~ どいて欲しいけど簡単にはいかないだろうし。
@とも酉
@とも酉 Жыл бұрын
昭和に2回改修工事があり、石棺が発見されたが、恐れおおいと埋め戻されたみたいです。石棺は耶馬溪の石で口止めされたが、その方が亡くなる前に西日本新聞等でお話しされています。
@naminori_jhonnio
@naminori_jhonnio 11 ай бұрын
いわゆる邪馬台国はトヨがトップになった後に遷都して宇佐に移動してきたと思う(豊の国という地名が残っている) トップが亡くなると穢れが発生するので、遷都するのが昔は常識かと
@asa01053
@asa01053 2 ай бұрын
北九州が邪馬台国
@belushi3152
@belushi3152 Жыл бұрын
八幡と言うのは正体不明の仏教神で、突如日本に現れて平氏や源氏と言った武士の熱い信仰を得た戦勝神だが、満州族の軍制単位「八旗」と関係があるのでは?と言われる。(幡もはたと読む) 平安時代から武士は刀伊と呼ばれる大陸民族と戦っており、八幡は元々刀伊の武神だったかも知れない。 宇佐神宮には邪馬台国があり、卑弥呼は比売神の事ではないか?と思う。 合祀されている皇室の2人のうち応神天皇は平和的な文治主義で八幡に習合するには不向きで、いわゆる武士階級の「箔付け」だったと思うが、母の神功皇后は、夫が戦死したあと後を継いで半島にまで攻め込んだ英雄として描かれ武神にふさわしい。 明治になって資格を疑われ歴代天皇から外され神功天皇と呼ばれなくなったのは残念だが、この女傑の伝説には目が海外に向けられていた卑弥呼の影響があると思う。 邪馬台国は一部を東国に送り出し、それが大和王権になった。 皇統と大変縁の薄い継体天皇が即位した時、北九州で反乱を起こし、敗れて氏族を剥奪された磐井は邪馬台国の末裔である本家の方だったと思われる。 朝廷は宇佐の本家と邪馬台国を歴史から葬る為に皇祖神アマテラスを宇佐神宮に送り、神功皇后と縁の深いアマテラスの娘、宗像三女神を比売神として主神にした。 道鏡事件で皇室が宇佐神宮の神託に動揺したのは、そう言う負い目があったからだろう。 この辺の歴史捏造を全て仕掛けたのは藤原不比等(史人)だ。
@asa01053
@asa01053 2 ай бұрын
詳しい
@tetrapo
@tetrapo Жыл бұрын
熊本の山本郡と宇佐神宮、奈良の大和と伊勢神宮で位置関係が似てるのも面白いよね
@マンチャッカ-o6o
@マンチャッカ-o6o Жыл бұрын
宇佐八幡の神事で弓を扱った祈祷の儀式があります。武士が台頭してきた中世から八幡神は武門の神様として手厚く信仰されて来ました。
@かたひらかたひら-s1l
@かたひらかたひら-s1l 2 ай бұрын
卑弥呼を日巫女とか言う人もいますが、 逆に卑弥呼(ヒミコ)→(「匕」が無くなって)ミコ→神に仕える女性をミコと呼ぶようになり→巫女と当て字になった! というように巫女はいつからミコと呼ばれるようになったか不明なわけだから、こういう考え方もあるのではないか?
@maha-ka-ra-2902
@maha-ka-ra-2902 5 ай бұрын
個人的には卑弥呼刀自=宇佐八幡宮を一番推す。 あれほどの方が祀られなかったはずがない
@船杉忍
@船杉忍 9 ай бұрын
☀枝豆くん? 15:30
@イワモトノリアキ
@イワモトノリアキ 11 ай бұрын
世界遺産候補にもなった宇佐神宮。
@壁納豆
@壁納豆 Жыл бұрын
枝豆のせいで行きたくなってきたのだ! とりあえず今日はビールに枝豆食べるのだ!
@カエルス
@カエルス Жыл бұрын
大分は豊(とよ)の国と言うのも気になりますね。
@ラッキー純-h2x
@ラッキー純-h2x Жыл бұрын
魏志倭人伝の計測において、帯方郡ー狗邪韓國=釜山(7000里)、釜山ー對馬國=対馬(1000里)、対馬ー一大國=壱岐(1000里)などは、現在のGoogleアースを用いた計測値とほぼ誤差が無く正確だった事が証明されています。 1里=約75m ここまでは九州説・畿内説の方も異論はないかと思います。 ★ここから九州説・畿内説では、一大國( 壱岐)から千里(75㎞)離れた末蘆國を、現在の松浦半島(唐津)としていますが距離が(35㎞程)足りません。 阿波説では末蘆國は宗像と推定しており(その昔沖合に松浦の潟と呼ばれる場所あり)それならが距離が合致します。 ★また九州説・畿内説では、末蘆國(唐津)から東南五百里(38㎞)の伊都國を、現在の糸島としていますが距離が(18㎞程)足りなくて方角も東北となってしまいます。 阿波説では伊都國は行橋と推定しており、それなら距離と方角が合致します。 ★また九州説・畿内説では、伊都國(糸島)から東南百里(8㎞)の那国を、現在の福岡としていますが距離が(12㎞程)オーバーしており方角も東北となってしまいます。 阿波説では那国は豊前と推定しており、それなら距離と方角が合致します。 金印については真贋論争もあり、また見つかった場所=その国と確定されるものでもありません。 ★また九州説・畿内説では、那国(福岡)から東百里(8㎞)の不彌国を、現在の大宰府(九州説)や宗像(機内説)としていますが距離が(12㎞程)オーバーしており方角も南(九州説)や東北(機内説)となってしまいます。 阿波説では不彌国は中津と推定しており、それなら距離と方角が合致します。 ★魏志倭人伝はふつーに読めばふつーに邪馬台国が阿波(徳島)にあったと解釈できます。 陳寿がウソを書いたりややこしく書いたりする理由がまったくない。 魏志倭人伝の時代の古代中国では、渾天儀、周髀算経の一寸千里法といった測量技術がすごく発達していて、ピタゴラスの定理も編み出されており、地球上の一点から一点の直線距離をほぼ誤差なく計測できていました。 ★先ほども述べましたが魏志倭人伝の計測において、帯方郡ー釜山(7000里)、釜山ー対馬(1000里)、対馬ー壱岐(1000里)などは、現在のGoogleアースを用いた計測値とほぼ誤差が無く正確だった事が証明されています。 1里=約75m 阿波(徳島)を邪馬台国とした場合、帯方郡ー邪馬台国(12000里)の魏志倭人伝の記述は、現在の計測でも正確だったと証明されています。 また後漢書(東夷列伝・倭条)において、阿波(徳島)を邪馬台国とした場合、狗邪韓国ー邪馬台国(7000里)、楽浪郡ー邪馬台国(12000里)も、現在の計測でも正確だったと証明されています。 つまり魏志倭人伝の頃の測量技術は現在と遜色なく正確だったとすでに証明されているわけです。 畿内説・九州説派は、この計測の正確さを無視して、距離方角の記述を何ヵ所も恣意的に改ざんしているので話になりません。 ★これらより邪馬台国は阿波(徳島)にあったと考えるのが一番、整合性が取れます。 阿波説(徳島)では【投馬国】の記述の一カ所だけを変えるだけですべてに整合性が取れるのです。 距離方角をイジる必要が一切ない。 投馬国の記述の変更にせよ魏志倭人伝の元ネタとなった「大平御覧」を参考にして【又南至投馬国】を【又南至(於)投馬国】に変えるだけ。 阿波説は(於)を加えるだけですべてに整合性が取れるのです。 さらに式内社(最古原初の元宮)の阿波への集中や、水銀朱の採掘制作遺跡など、強力な物的証拠も存在します。 阿波説は、畿内説・九州説とは比べものにならないくらい整合性が取れているのは明らか。 魏志倭人伝における邪馬台国は阿波であり、阿波は倭国連合国の首都であり、その前後の時代に大和や日向や出雲など様々な土地に都市国家が存在していたと考えるのが妥当です。
@どうく-p8u
@どうく-p8u Жыл бұрын
記紀にはアマテラスの生まれた所は筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原でイザナギがミソギをした時アマテラスが生まれたとあり、ここで筑紫の日向は九州で橘は福岡県八女市に立花町があり、立花町には清流矢部川が流れていてミソギには最適ですからアマテラスは八女市立花町で生まれた可能性があります。また立花町は旧山門郡で邪馬台国の最有力候補地ですから、アマテラスは邪馬台国の卑弥呼ではないでしょうか。また八女市には八女津媛神社があり、創建は日本書紀のできるちょうど1年前ですから八女津媛神社は邪馬台国の卑弥呼を祀っている可能性があります。
@seiji5431
@seiji5431 Жыл бұрын
阿波ですよ。阿波岐原って書いてますよ。阿波の海の平野って意味です。橘の小戸は橘がたくさん自生されてる橘湾の事で小戸地区には禊十二神の御祭神の小戸神社があり、禊岩が現存してます。筑紫の日向ではありません。ちくしではなくてつくしです。原文は竺紫の日向で九州ではありません。つくしです。意味は日が東につきる所と言う意味です。また、宇佐神宮は725年創建です。
@縄文人のりたま
@縄文人のりたま 11 ай бұрын
@@seiji5431 創建はあまり関係ないんやない?建てる前に墓(古墳)があったって事やろ
@asuna795
@asuna795 Жыл бұрын
九州に卑弥呼の墓って100万個くらいありそう
@やわら-k3g
@やわら-k3g Жыл бұрын
ありがとう❤m(_ _)m🎉 最高なのだ!
@_mchoi6955
@_mchoi6955 Жыл бұрын
ギャルちゃんが春日部つむぎだったらオタク的には画面が幸せだった
@fujidido27
@fujidido27 24 күн бұрын
邪馬台国、魏志倭人伝を誤記なしで地名を中国語発音で読めば、宇佐を中心とする大分になりますが? 理由は下記です。 道案内の基本は、距離と方角を言い、そのあと、そこまでの行程でかかる時間を言います。 よって不彌國到着で終わりであり、何日かかるは帯方郡からの行程です。 また、魏志は中国の書物であり、国名を日本語漢字読みではなく中国語発音で読むはずです。 末盧國をマツラなどと絶対読みません。ムリュに近い音になります。 詳細を記述したホームページは「5チャンネル 大分に邪馬台国があったらしいけど」の7番に乗せてあります。
@takanoriyamazaki
@takanoriyamazaki 11 ай бұрын
学校サボって宇佐神宮に参拝しても御利益はなさそうな気がする
@einsfia
@einsfia Жыл бұрын
本筋とは関係ないところだけど 道鏡云々は藤原氏による酷いでっちあげだと思う 鑑真和上の孫弟子たる道鏡がそんな生臭坊主な訳無いっしょ シモのゴシップで政敵を貶めるのは後ろめたい側がやる最も卑俗な手段だってのは洋の東西を問わず決まってんだよね
@olivefuruta
@olivefuruta Жыл бұрын
宇佐は豊(台与)の国にある。
@悠珠ゆーたま-l8e
@悠珠ゆーたま-l8e Жыл бұрын
これからコメント欄にこうるさい人達が 増えてきそうな予感w
@ラッキー純-h2x
@ラッキー純-h2x Жыл бұрын
じゃあ言論弾圧思想弾圧すればいいじゃん。独裁国家みたいに。
@si-vl9ju
@si-vl9ju Жыл бұрын
他の方も書かれていますが、トヨと豊のクニは音でつながりますね。動画をアップしていただきましてありがとうございます。
@慶太-t6o
@慶太-t6o Жыл бұрын
壱与(イヨ)と読むとも言われているので、その音で言うと伊予之二名島=四国の可能性も
@鈴木二郎-x6l
@鈴木二郎-x6l Жыл бұрын
宇佐神宮に埋まっていた石棺 目撃証言によれば、「角閃石の一枚岩をくりぬいて作ったと思われる完全な長持形の石棺だった。 石の節理の条件からいって耶馬渓付近のものと思われるし、国東半島にはこういう石は存在しないそうである」 「この石棺にふれることは許されなかったので、目測にたよるほかはなかったわけなのだが 幅も高さも1メートル強、長さは2メートル数十センチ、しかも表面はまるで鉋(かんな)でもかけたようなきれいな平面になっていた。 とうぜんのことだが、蓋はべつになっており、その間からはみ出したと思われる朱が、横に一線正確な直線を真赤に描き出していた」 (目撃者の山本聴治の証言を高木彬光が著書『邪馬台国推理行』角川書店1975年で紹介)
@ym152
@ym152 2 ай бұрын
卑弥呼が天照なら、卑弥呼に子供が居たってことになるのではないでしょうか。血縁なくても子孫になるシステムなのかな。それとも卑弥呼に子供が居たのか。
@ごじくるこたの下僕牛蒡
@ごじくるこたの下僕牛蒡 3 ай бұрын
言霊ウンコマンはとても辛い
@slbm1985
@slbm1985 Жыл бұрын
八幡様は卑弥呼の代理人だったという弟の可能性もあるかなと。 そうであれば「八幡大神(背景にいる卑弥呼さま)に御神託」を求めて勅使を送る意味合いにも合点がいきます。
@いち私有宗教家
@いち私有宗教家 11 ай бұрын
自分がこの動画見るまでの いいね の数が 444 っていうのも、意味深
@nortytuna8982
@nortytuna8982 10 ай бұрын
日食じゃなくても大火山の噴火の噴煙で長期間太陽が見られなかった期間があったとかも考えられる? (茨木説なら富士山の噴火で太陽は閉ざされたかなぁ、と。(他所の動画で距離の説明では納得させられた気はしたけど発掘物での根拠は少ない?))
@kinkin0421
@kinkin0421 Жыл бұрын
邪馬台国は筑紫平野(山門郡付近)を中心に、福岡平野(奴国、伊都国など)、豊前・大分を支配下に置いていたので宇佐神宮の特殊な地位や歴史を鑑みると、そこが卑弥呼の墓だった可能性もある。
@ミックスミッキー-z2g
@ミックスミッキー-z2g Жыл бұрын
太宰府か宇佐神宮かな。かといって佐賀県の有名遺跡の神社下には絶対何かあると言われてて掘ったら石棺はあったが空っぽだったし。
@巌流島男
@巌流島男 11 ай бұрын
英彦山(日子山)
@iriyaanko4783
@iriyaanko4783 11 ай бұрын
神宮が天皇家を祀るは、その政治利用を目的とした明治期から、もともと式内社は、伊勢、鹿島、香取の3社だけ、神宮には違う意味があったはずだけど明治政府のせいでわからなくなってしまった。
@333redredred
@333redredred 11 ай бұрын
こちとら、あーしの言葉を信じるほど馬鹿ではないのだ
@もとのゆき-d7n
@もとのゆき-d7n 10 ай бұрын
色々諸々歴史を調べると全て始まりは九州。卑弥呼が祭祀王だった国も九州の何処か?が妥当。
@asa01053
@asa01053 2 ай бұрын
邪馬台国の卑弥呼は宇佐神宮に住んでいた。神宮を建てることで隠蔽した。
@萩原-b7t
@萩原-b7t 11 ай бұрын
墓まではなかったにしても卑弥呼が祀られてることはほぼ間違いないと思う
@竜神-d2d
@竜神-d2d Жыл бұрын
八幡神社の説明をしてるのに、1:39何故に稲荷神社の⛩を映しているのか意味不明!? 説得力がない
@ふみふみ-k6w
@ふみふみ-k6w Жыл бұрын
USA!USA神宮!
@にゃお-d4q
@にゃお-d4q Ай бұрын
邪馬台はやっぱ九州かぁ
@もとのゆき-d7n
@もとのゆき-d7n 10 ай бұрын
邪馬台国ではなく八俣大国 大和大国 邪馬なんて言葉をあてたのはあの国です。
@kakkazan2008
@kakkazan2008 Жыл бұрын
ヒミコは天照大御神ではなく土蜘蛛姫だと思う…
@北西祐介
@北西祐介 Жыл бұрын
とあるマンガで卑弥呼は男だったという話があったな。
@satosin2660
@satosin2660 11 ай бұрын
宇佐神宮が皇室にとって特別な場所であることは事実。 しかし、その根拠は不明確。 特に邪馬台国大和説の場合、根拠を説明するのはほぼ不可能。 そういう意味においても、邪馬台国が九州にあったのは確実と思われる。
@天草屋
@天草屋 Жыл бұрын
USA!USA!
@f-2640
@f-2640 Жыл бұрын
今度は歴代MSGシリーズ深堀考察頼むわ
@風魔忍者ぶきみ丸
@風魔忍者ぶきみ丸 11 ай бұрын
卑弥呼→フェミクウ
@katumoku10
@katumoku10 Жыл бұрын
多くの皆さんは魏志倭人伝は3世紀ごろの日本のことが書いてあるので、正しく解釈すれば邪馬台国も卑弥呼の墓も見つけられると考えてやっていますが、正しく解釈することの意味がよく理解できていません。だからいまだに正しい答え=真相が見つけられないのです。 魏志倭人伝は、西晋の基礎を作った魏の実力者司馬懿の功績を称えるのが目的の政治文書なので、書いてあることが事実と食い違う理由を考えれば、真相に近づけます。 同様に日本の現存する最古の歴史書が天皇が編纂を命じたので天皇の歴史書だと思わされてきましたが、正史「日本書紀」の完成は崩御して34年後なのです。その時の権力者は藤原不比等ですので、天皇の歴史書を借りて藤原氏が権力を握り続ける正統性を述べる文書だったのです。 それよりも前に完成したとされる古事記は9世紀に日本書紀を講義していた学者多人長が突然表に出してきたもので、正史に古事記が完成した記録もありませんし、正史やその前の歴史書で引用・参照した痕跡もありません。 多くの方は記紀が天皇の歴史書だと信じているので、偽書だと認めることができないでいます。だから真相が謎のままなのです。 不比等は日本が建国される卑弥呼の時代の史実が都合が悪いので、史実が隠されているのです。驚くと思いますが、日本神話は建国の史実を誤魔化すために不比等が創作したものですよ。証拠はいくらでもあります。 ですから、編纂者の目的や意図を考えて、真相を推理して、仮説を構築し、事実、つまり考古学や民俗学などの成果によって検証すると、蓋然性の高い仮説が得られます。そのような科学的な手法で推論を重ねると、ヤマト王権の成立過程が分かります。その中で倭国大乱やその結果生まれた邪馬台国の場所も分かるのです。詳しくは「【刮目天の古代史】古代史を推理する」をご参照ください。
@hr25r97
@hr25r97 11 ай бұрын
他の考えを妄想だと言って自分の考える妄想を披露してるな。よくある手法だわ
@katumoku10
@katumoku10 11 ай бұрын
@@hr25r97 妄想と推理の違いを理解してね😁
@wan6347
@wan6347 Ай бұрын
トヨは宇佐ではなく、福岡県の豊津にいたと思われます。 後に豊前の京都郡となります。
@toshiyukitakahashi4736
@toshiyukitakahashi4736 8 ай бұрын
卑弥呼=伊夜比古
@浅見広明
@浅見広明 9 ай бұрын
宇佐神宮でもいいと思うんだけど、邪馬台国の神官の霊廟ここにしてしまって良いのだろうか? 宇佐神宮としての歴史はそれほど長い、深いとは言えないものの、社格は十分に高い。だが、今だに真相が突き止められていない歴史で、余計なことを付与してしまうことにならないか。 僕は邪馬台国論争に九州、畿内、阿波、越、鹿島…等の説を唱える前に、邪馬台国と云う何かしらの政治形態を持つ国の「民族、人種」とは何者なのか?である。これが解決しない限り、どこであるとは言い切れないし、矛盾に陥る。 僕は九州北部説で今のところ想定してはいるが、宇佐の豊前で良いのかは判らない。 僕の邪馬台国所在地論は、消去法により他の場所では矛盾となるので、九州北部となる。 まず、日本列島における縄文人の主権的なパワーバランスである。縄文時代中期から後期に「鬼界カルデラ噴火」と、あったであろう南海トラフ地震による大災害である。これにより、弥生時代に入る年代周辺まで西日本全体が過疎化して文化面において東日本側に遅れをとった事は間違いない。その遅れは数百年から千年と考える。災害により被害者はもちろんの事、他所への避難民を出すことになる。 そう…邪馬台国の考察はここからで、中華の魏と交流の記録を残す国(政権、地域)はどこの民族なのか?なのです。縄文人ならば、災害により避難先か避難せずに済んだ人々の国。弥生時代に入る周辺で日本列島に渡ってきた人々で、元々日本列島にいた縄文系の子孫ならば縄文系と弥生人の国、中華の戦乱で追われた人々が日本列島に逃げ延びて作ったのなら、弥生人ベースに渡来系古墳人、などと様々なパターンが想定可能。さらに何かしらの権力的な作用によるものも存在するので、単一な民族構成と決めつける事も出来ない。だが、その民族であれば邪馬台国はソコと想定出来るので、謎解きの一つとなるのではと考える。 僕は畿内と阿波は否定、縄文人系なら東日本側と九州南部、九州北部は弥生人系、渡来系古墳人、少数の縄文人系を含む多民族形成のいずれかか融合した形と考えている。 天皇家の霊廟が宇佐神宮にも存在した歴史が正しいかどうかも含め、慎重であるべきと考える。
@lichtsmith
@lichtsmith Жыл бұрын
道鏡はワル
@浜省-f6i
@浜省-f6i Жыл бұрын
大分県には耶馬渓って地名も有るんだよね。
@いるか好き
@いるか好き Жыл бұрын
耶馬溪は後付けですよ、江戸時代です
@とも酉
@とも酉 Жыл бұрын
元々やまかやま国って言われていたみたいよ。今も山国川とか山国は残ってる
@七姫八郎
@七姫八郎 Жыл бұрын
トヨは正解だと思うが卑弥呼は違うと思う 卑弥呼の墓は四国のイ国だと思う 古代には四国がイ国とヨ国に分かれてて、統一されてイヨと呼ばれた 金印が贈られた国がイチ国、四国上半分に大勢力が有ったのは間違い無い イ国の阿波に卑弥呼の墓、豊国にトヨの墓
@ももちゃん-e5o
@ももちゃん-e5o 5 ай бұрын
だからなんで歴史から抹消されたんだよww肝心なこといってねーぞ😀😀
@那須与一-d1c
@那須与一-d1c 11 ай бұрын
出鱈目すぎて草
@マサヨシ-c6w
@マサヨシ-c6w Жыл бұрын
卑弥呼が使っていたスマホを買いました
@JH-sq1tz
@JH-sq1tz 10 ай бұрын
熊本平野説が濃厚だよな発掘進んでねーし。
@櫻庭彰
@櫻庭彰 11 ай бұрын
法華の口降ろしすればすぐ分かるのに。何故しないのだろう。 佛知見は全てを明らかにします。
@sen-sigsiro4101
@sen-sigsiro4101 Жыл бұрын
1そんな力あるならウクライナ戦争やイスラム戦争を止めて見せろよ!
@tadasigemitu
@tadasigemitu Жыл бұрын
プーチン大統領とゼレンスキー大統領が一緒に参拝をして停戦のお願いをしたら戦争が終わるかも。
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