京都市の南部に巨大な湖があった?「巨椋池」とはなぜ生まれ、なぜ消えたのか。各地の遺構を巡りながら、その歴史を日本一わかりやすく徹底解説!【教養vlog】

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@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv 10 ай бұрын
当動画の番外編動画も見てください! 巨椋池の干拓は、巨椋池で漁業を営んでいた漁師自らが進めたという話(感想動画) kzbin.info/www/bejne/j4bMqXiGoMZjndk この動画の関連動画も是非ご覧ください♪ ①日本一の湖「琵琶湖」の成り立ち、歴史、観光地、農業、漁業、環境問題(アオコ、ブラックバス・ブルーギル問題)を、日本一わかりやすく現地から徹底解説!【教養vlog】 kzbin.info/www/bejne/nIKQaaqbmdFqntksi=pKV7KK7Scj6GCH4S ②京都市の財政破綻を防ぐためには「巨椋池」の開発がマストだという話 kzbin.info/www/bejne/mqmXmJeghaxmatk
@bbtsuru
@bbtsuru Жыл бұрын
地元の者です。あまりよくわかってなかった巨椋池のことを初めて理解できました。ありがとうございます🎉
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv Жыл бұрын
こちらこそありがとうございます😊
@yutiyuti7483
@yutiyuti7483 Жыл бұрын
地元民ですが、小学生の時に巨椋池があったと教わったきりで、こんなに詳しく解説してもらい大変興味深かったです。そして競馬場の池は完全に人工のものだと思っていましたが、巨椋池と関係があったとは!
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv Жыл бұрын
競馬場の池、びっくりですよね!
@ササノンキ
@ササノンキ Жыл бұрын
ウチのオカンが大正産まれで向島出身なんで巨椋池の話は良く聞いてます。 大正・昭和の初めでも蓮が咲いて水質は悪く無かったと言っていたので、それ以前の明治以前には、どんだけ綺麗な池やったか?と思うと感慨深いですね。😊 ちなみに、洪水の心配があって昭和50年頃までは向島の民家の軒下には小舟が吊るしてあって、地元の人達は水害への対策はされてましたね。 あと、淀の競馬場の池の周りはその母親の実家が持っていた土地で、競馬場が出来るので立ち退いてくださいと言う事で売却したと聞いています。
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv Жыл бұрын
すごい興味深いお話です…🤔 資料にないようなお話をありがとうございます!
@komucchi
@komucchi Жыл бұрын
京都競馬場の池が天然の池だとは驚きでした。 とても勉強になりました。
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv Жыл бұрын
びっくりですよね!
@堀口学-o5o
@堀口学-o5o Жыл бұрын
地元民ですが 中々巨椋池の歴史って たまにKBS京都とかで少し流れるだけでこんなに詳しく紹介してくれませんでした。 有難う御座います。
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv Жыл бұрын
こちらこそありがとうございました😊
@nanaphidel1276
@nanaphidel1276 Жыл бұрын
ですか → ですが
@hettin5795
@hettin5795 Жыл бұрын
向島出身です。 巨椋池の事や向島の成り立ちなどは小学校で習いましたが、大人になって改めて見てみると面白いです。 分かりやすい動画ありがとうございます。 2013年9月の特別警報が出た大雨でも、向島は付近の宇治川は氾濫寸前で耐えました。治水対策の賜物だという事が良く分かりました。
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv Жыл бұрын
長年の対策の賜物ですねぇ。
@LoveLove-sm5ex
@LoveLove-sm5ex 9 ай бұрын
怖いのは、きたる南海の巨大地震時に液状化現象が起きないかです。 なにせ埋め立てたとはいえ、地下には琵琶湖の伏流水が いまだとうとうと流れていますゆえ。
@wl-v-lwgez8421
@wl-v-lwgez8421 Жыл бұрын
巨椋池のことを、相当に調査されたことが伝わりました。 水質汚染により干拓されたのは、悲しいけど、 広大な面積の農地からの農産物の恵みも知りました。 宇治市民も知らないことを教えていただいたことは 偉業です!
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv Жыл бұрын
恐縮です。ありがとうございます😊
@三さん-h5r
@三さん-h5r Жыл бұрын
有益な情報量が非常に多いと思いました。
@すなこ-h1e
@すなこ-h1e 10 ай бұрын
1960年代後半に、まだ農地化されきっていない、茫漠たる元湿地を車窓から眺めた記憶があります。京都、大阪という大都市の間にこのような土地が広がるのが子供心にも非常に印象的でした。
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv 10 ай бұрын
たしかに異空間ですよねえ😌
@やかん-o3e
@やかん-o3e 9 ай бұрын
1990年くらいでも、今の京阪淀駅のある辺りは元湿地の雰囲気を残していましたよ。「なんか沼っぽい」といつも眺めていました。 ちょうど京阪の線路と京都競馬場のあいだのまさに線路脇に、堀だか川だかわからないような水路のようなものがあり、そこには葦がひょろひょろと生えていました。 幅的にも長さ的にも、ちょうど今の淀駅の位置です。昔の淀駅は、淀城のすぐ横にありましたが現在地に移転しました。
@__-ix2rf
@__-ix2rf Жыл бұрын
地元で代々農業をしております。 撮影に資料作成、大変だったでしょう。ありがとうございます。
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv Жыл бұрын
こちらこそご視聴ありがとうございました😊
@nsei3136
@nsei3136 Жыл бұрын
なんて楽しい授業なんでしょう。 社会が苦手だった私でも高得点が出そうなくらい理解が出来ました。 ありがとうございます。
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv Жыл бұрын
ありがとうございます😊
@kytkdaradara100
@kytkdaradara100 Жыл бұрын
中書島とか向島とかこんな平坦な土地でなんで島がつくのか不思議でした。 平家物語などにも出て来る通園とか巨椋池とか歴史あるなあと感じています。
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv Жыл бұрын
本当に歴史のある地域ですよね。
@Yubayasun
@Yubayasun Жыл бұрын
郷土史的な話で言うと、干拓完了が1943年なことが郷土に大きな影響を与えた。 1945年戦争終了後、満州等の海外日本人移民は舞鶴港から日本に帰国した。 京都は戦災に遭わなかったし、巨椋池干拓のおかげで広大な農地が出来たので沢山の移民を受け入れる余地があった。 その名残りが京都で花咲いた中華、ラーメン文化に現れています。餃子の王将の創業者は元九州人の満州引揚げ民ですからね。 あと、満州には大列巴と言われるパン食文化がありました。これはロシアに近接した満州独特のもので、黒パンのようなモチモチした田舎パンです。 その名残りが京都の名店パン屋の多さとして残っています。 京都は10万人あたり食パン消費量が日本一と言われています。
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv Жыл бұрын
戦争と干拓も大きく関係しているようですね。
@Yubayasun
@Yubayasun Жыл бұрын
亡くなった祖父が徴用工として巨椋池に関わっておりまして、1943年まで農地造成後の水路建設等に携わっておりました。 工事が終わった頃に私の父(次男)が生まれたと言っていました。 祖母と駆け落ち同然で京都に来て従事し、5人の子をもうけ、東寺近辺に家を建てたのですから。給金のいい仕事だったんだと思います。 近年、巨椋池用水河川の護岸工事に携わりましたが、推定80年前の護岸補強用の5m以上ある松杭が出てきました。数mおきに打ち込んでありましたね。非常に臭かったですが腐敗はしておらず、松皮もくっついたままでした。
@kana3571.0
@kana3571.0 9 ай бұрын
その棲み分けにも拒絶された者は 東九条〜伊勢田に流れたって話…
@Yubayasun
@Yubayasun 9 ай бұрын
@@kana3571.0 東九条、伊勢田、亀岡〇町に人が移ってきたのは1953年以降ですよ。 巨大台風で鴨川の堤防が崩壊したんです、ちょうど大石橋あたりがね。洪水は東寺にまで迫ったほどでした。 それまで東九条なんて豚小屋と畑ぐらいしかなかった、とは親父や近所の三国商会社長の弁。 洪水のせいで東九条に土地持ってた人らは今の火打形公園あたりに移ったんですよ、そして代わりに今の住人が移り住んできた。伊勢田にも亀岡〇町にもね。 バブル崩壊前には火打形公園は無くて、周りは豚小屋・豚加工工場と田畑しかなかった。バブル崩壊と共に田畑や豚小屋は造成されて工場街になりました。それは自分の目で見てます。
@kana3571.0
@kana3571.0 9 ай бұрын
@@Yubayasun 表向きはね〜そうだよね〜 落ちた話は人の数だけ有る。 自分1人が把握できる情報は 爪の垢くらいなもんだよ〜
@吉井義雄
@吉井義雄 Жыл бұрын
宇治市で育てば誰でも巨椋池の名は知ってますが、詳しい歴史までは知りませんでした。解説大変ありがとうございます。
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv Жыл бұрын
ありがとうございます😊 他にもたくさん動画出していきますね!
@島元満幸
@島元満幸 Жыл бұрын
@小林みどり-v4n
@小林みどり-v4n Жыл бұрын
@美味飯幽助
@美味飯幽助 Жыл бұрын
お茶がうめえ!
@tonko2dayo
@tonko2dayo 9 ай бұрын
@@美味飯幽助そんな飲むことないんやけどね
@nanaha7781
@nanaha7781 Жыл бұрын
フィールドワークしていただいているお陰で凄く土地の高低差や地形が解りやすくて面白かったです
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv Жыл бұрын
ありがとうございます😊
@crosswinner4149
@crosswinner4149 Жыл бұрын
全国通訳案内士としての研鑽として小椋池関連を含めて様々な動画を見てきましたが、この動画ほど解りやすく完成度の高いものは見たことがありませんでした。地図や写真が解説ととてもマッチしており、更に歴史を歴史として語るだけでなく、しっかりと現代に繋げてまとめ上げているところも素晴らしいと思います。今後の動画に期待せずにはいられません!
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv Жыл бұрын
恐縮です🙇‍♂️ 改善ポイントが山積しているので更にパワーアップできるように精進いたします。
@お麺ライダー-s3g
@お麺ライダー-s3g Жыл бұрын
地元を紹介してくださり、ありがとうございました。10年くらい前ですが、大雨で液状化して大変やったこともあったんですが、それも紹介して貰えたら面白い動画になったかもです。京滋バイパスが通行止めになり、西大路五条から京都東インターまで5時間かかる程の大惨事でした。
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv Жыл бұрын
すごい被害ですね、、、まだ地盤に名残を残しているのですね。
@kayciao8260
@kayciao8260 Жыл бұрын
凄いですね。情報量とまとめ方がとても分かり易く見やすいです。 大変勉強になります。今後も期待しています。
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv Жыл бұрын
ありがとうございます😊 次も関西なので楽しみにしていてください!
@置物ひじき
@置物ひじき 10 ай бұрын
私も地元民です。木幡池はとても汚くて、汚いと不法投棄もあってパソコンや周辺機器がよく捨てられています。ですが、カモの仲間やサギの仲間、カワセミ、カワウなど多くの水鳥が観察できます。巨椋池の名残だったのかぁ…中書島や向島が本当に島だったのは初めて知りました!おもしろかったです!
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv 10 ай бұрын
鳥が飛来すると癒されますよねぇ😌 ありがとうございます!
@LoveLove-sm5ex
@LoveLove-sm5ex 9 ай бұрын
鴨が飛来する季節になると、早朝からカメラを携えた方がおいでになります。
@てんらいと
@てんらいと Жыл бұрын
京都を訪れる時にいつも巨椋池と言う地名は気になっていました、大変わかりやすく巨椋池の歴史を知る事が出来ました。今度現地に実際に行ってみたいと思います。
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv Жыл бұрын
ありがとうございます!行ってみてください😎
@sikiyoku
@sikiyoku Жыл бұрын
大昔の学生時代に伏見に住んでおり、巨椋池の名はたびたび耳にしましたが、過去の巨大な池の存在など実感できませんでしたが、この動画で良く理解できました。ありがとうございました。
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv Жыл бұрын
こちらこそご視聴ありがとうございました😊
@ezeezi1111
@ezeezi1111 Жыл бұрын
あんな巨大な池が京都の目と鼻の先にあったこと、それが今ではすっかり消滅してしまったということを知識としては知っていてもこれまでずっと「腑に落ちない」感覚を抱いてきましたが、この動画でそれがすっと解消しました。 それにしても、関東の人間からすると近畿地方の歴史のスケール感は憧れすら抱かせるものがありますね。
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv Жыл бұрын
本当に関西の歴史はロマンありますよね。
@典子-b6u
@典子-b6u Жыл бұрын
とても解りやすい解説をありがとうございます。伏見の酒蔵町なかにある産院で生まれ、宇治でパートをしてたり、動画中の道を車で走り回って生活しております。水産学科にて学んでいたので、琵琶湖淀川水系がフィールドの一つでした。とても有意義な視点からの論が素敵です。本当にありがとうございます。巨椋池が干拓化されたことが、ミナミトミヨというトゲウオが絶滅した要因の一つとのことです。
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv Жыл бұрын
こちらこそありがとうございます😊
@たかさん-r8x
@たかさん-r8x Жыл бұрын
宇治市民で、太閤堤の一部がそのまま道になった道沿いに住んでますが 子供の頃は、なぜここだけ、他より高くなってるのか不思議でしたね。 10数年前に太閤堤がテレビで紹介されて初めて知りびっくりしたのを覚えてます。
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv Жыл бұрын
普通に生活してたら疑問を持つこともありませんよね。
@たかさん-r8x
@たかさん-r8x Жыл бұрын
その道が太閤堤の一部と知った時は 本当に驚きましたね。
@杉田繁-c3c
@杉田繁-c3c Жыл бұрын
向島小学校の卒業生です。楽しく見させてもらいました。ありがとうございます。
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv Жыл бұрын
こちらこそご視聴ありがとうございました😊
@項翼白麗
@項翼白麗 9 ай бұрын
わたしも同じ学校の卒業生です😮 😊
@saitamaumare83
@saitamaumare83 Жыл бұрын
巨椋池の名前は歴史を学んだ人間なら誰でも聞いたことがあるけど、無くなったのが大戦期の1941年とか、理由が川の付け替えによる環境の悪化だとかは、全国的には全く知られてませんね。 大変勉強になりました!🙏
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv Жыл бұрын
いつもご視聴頂きありがとうございます。 これからも皆さんの知識の一助になれるよう精一杯発信していきますので、今後ともよろしくお願いいたします🤭
@user-dd5vs9hq1y
@user-dd5vs9hq1y Жыл бұрын
何気なく開いたページでしたが、最後まで興味深く見ました。丹念に資料と現地を調べあげた解説で、このまま地歴教材に利用できるのではと思いました😊
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv Жыл бұрын
恐縮です。ありがとうございます😊
@guitanyan
@guitanyan Жыл бұрын
巨椋池も消滅するまでの歴史は興味深いですね。一度見てみたかったですが当時の生き証人である三栖閘門などを訪れると感慨深いものがあります。
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv Жыл бұрын
本当に考えさせられる歴史ですよね。
@hisu4460
@hisu4460 Жыл бұрын
地元民として、子供の頃(1980代後半)に、ご当地教科書?の「わたしたちの宇治」でさらっと学んだていどですが、オススメにあがってきて、見入ってしまいました。 インターネットが世に出てから自分で調べようとしたこともあるのですが、このように分かりやすく動画にしていただいてありがとうございます。
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv Жыл бұрын
こちらこそご視聴ありがとうございました😊
@mozmoz7y.685
@mozmoz7y.685 Жыл бұрын
はじめまして。まさか地元のコアな話を取り上げて頂けるとはww どうもありがとうございます^^ 私はまさにこの巨椋池漁民の子孫で、現在は米作りをしている者です^^ で、ちょっとお節介ではありますが、このお話に少しだけ(じゃないか?www)補足を・・・ 巨椋池は湖ではなく、日本最大の『池』だった、という事ですね。これは池と湖の定義によるものです。 この池がお公家様の避暑地として存在していた事についてはまさにその通りで、観月橋や向島のお話に加え、 大納言や鵜飼田などの地名が現在も存在している事からも窺い知れます。 因みに登場した一口(いもあらい) とは、一口サイズの芋、『慈姑/くわい』の産地であった事に由来するそうです(諸説ありww) また、伏見城がこの池を愛でる位置に創建された事も、その立地から見えてきます。 あと、池が消えてしまった理由ですが、水質悪化も大きいのですが、当時の時代背景から、食糧生産を増やす、というのも大きな理由で、 これは巨椋池干拓事務所に干拓の歴史として当時からの資料が一般公開されております。 そしてこの干拓が日本で最初の干拓事業であり、埋め立てではなくご説明にあった通り、水を抜いて行った事業だという事ですね。 (当時の自民党の一丁目一番地の大事業であったそうで、今でも干拓田は国の管轄ですww) この池が宇治川の調整池であったのは自然の摂理の中で出来たものであり、瀬田の洗堰ができるまで宇治川と切り離されなかったのは、 自然と共に生きてこられた、まさにの証だったのだと思います。 で、S28年に水害で池が復活してしまった事は、その証明で、宇治川が決壊しなかったら、間違いなく淀川下流域で決壊し、 大洪水となっていた事でしょう。これも干拓史の中で記録され、寝屋川の水防団が災害対策に動いている中、雨が降り続く中で水位が下がるのを見て、 『あ、これは(上流で)切れたな』と言われたのだと・・・ この時、堤防の土は水で緩み、もう決壊寸前だったそうです。 この宇治川決壊については、よく『わざとここを決壊させた』とか、『堤防を爆破した』とか言われますが、そうではなくて、 あの場所は葦が生い茂り、整備があまりされていなかった場所が一番弱くて切れてしまった、という事だったのが当時調査資料から判明しております。 まぁ、結果的にこの堤防崩壊が京都市街や大阪市街を救い、皮肉にも市街が最小限におさまった、という結果をもたらした事で、 加えて各周辺自治体からも支援が集まった事から『巨椋池地区が人身御供となった』という都市伝説を広めてしまったようですね。 そして皮肉にも国の管轄として存在するおかげで、今でも各自治体の都市開発計画から逃れ、今でも都市部において、これだけの田園が存在しています。 それも今後、特例措置の元、開発が進んでいくようで・・・ 耕作地は減少の一途を辿るようです。 長々と大変失礼致しました。今後もコアな歴史解説、期待しております(#^^#) ありがとうございましたm(__)m
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv Жыл бұрын
東一口の由来、そんな理由なんですね😆笑笑  とんでも無いです。勉強になります。引き続き宜しくお願いします。
@坂坂-j9x
@坂坂-j9x Жыл бұрын
@mozmoz7y.685さん  興味深くコメントを読ませて頂きました 私は「地元」ではないのですが、子供が京都・伏見に住んでいた事、奈良正倉院展に行くときに京滋バイパス巨椋ICを利用した事があり、気に留めていましたが、この動画、そして貴方のコメントを読み、よくわかりました、また東一口の地名の由来・・・有難う御座いました greeting from TOYAMA city by old man
@0080shu
@0080shu Жыл бұрын
「東一口」の由来、いろんな説があるようで初めて聞いた説で面白いなと思いました。 自分が聞いた説は、当時その地区へ入るルートが一つしかなくしかもそんなに道幅もないところで、人々が行き交うのに一か所(一口)に集中してしまい 人が多すぎて「まるで芋を洗うような」と揶揄されたことから「一口=いもあらい」と言われるようになったと聞いたことがあります。 まぁ、それすら本当かどうかわかりませんけどね。
@kingyk9084
@kingyk9084 Жыл бұрын
貴重なお話ありがとうございます僕は三川合流に住んでいる者ですが、周辺地域がこんな歴史とは知らなかったです。まさかの三川合流辺りが人工でつくられたのは驚きです!
@坂坂-j9x
@坂坂-j9x Жыл бұрын
@@kingyk9084 アイコンがドラえもん good
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv Жыл бұрын
【お詫びと訂正】①十円玉に描かれている平等院鳳凰堂は、裏面ではなく表面に描かれています。失礼致しました。 ナレーション技術もさらに改善いたします。
@GoMiyaShiki-z1y
@GoMiyaShiki-z1y 9 ай бұрын
我々が普段表面だと思っている、硬貨の数字が大書きされた面は実は裏面なのですよね。
@make-juice6648
@make-juice6648 Жыл бұрын
幕末など巨椋池周辺は湿地帯が多く、 鳥羽伏見の戦いもグジョグジョのぬかるみの中で戦っていたそうですね
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv Жыл бұрын
なるほど、、それは面白いですね🤔存じ上げませんでした!
@城宇
@城宇 Жыл бұрын
東一口の山田さんとは職場の仲間だったことがあって、息子さんの大学進学のために「田圃をちょっと売る」と言ってられたことを思い出しましたが、あんな大きな家だったとは知りませんでした。ただ、本人も若い頃に「射撃の選手」としてオリンピックを目指してたとか日ハムから阪神で活躍したPL学園の片岡選手は甥にあたるとか話してられたことを懐かしく思い出しました。
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv Жыл бұрын
すごいエピソードですね…😳
@sarumatakick
@sarumatakick Жыл бұрын
麻生くんのお友達かもね⁉️ (゚⊇゚)
@tika3431
@tika3431 Жыл бұрын
この辺りは車で走っていたので良く知っていますが、知らない情報もありました。 永久保存版級の素晴らしい動画です。
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv Жыл бұрын
恐縮です。ありがとうございます😊 これからもっとパワーアップします!
@ruicosta-10
@ruicosta-10 Жыл бұрын
京都住みですが、巨椋池がこんなに大きかったなんて知りませんでした。😮 中書島や向島の地名の謎も解けてスッキリしました😊 聞きやすい話し口に資料や映像も豊富でとても完成度の高い動画をありがとうございました!
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv Жыл бұрын
ありがとうございます😊
@たく-s8x
@たく-s8x 9 ай бұрын
素晴らしい動画です。 高校生の頃伏見港という看板を見て、内陸なのになぜ港なのかと疑問でした。小椋池インターを通る時も池あったかな?と思ってました。 京都に住んでて楽しいのはいろんな時代の歴史が1つの街にあるということです。江戸時代の二条城があり、幕末の藩邸があり、鎌倉時代前の平清盛の別荘があり、戦国時代の本能寺があり、平安京跡まであります。日本の歴史が詰まってて感慨深いです
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv 9 ай бұрын
歴史好きにとって京都は最高ですよねぇ!
@松村泰之
@松村泰之 Жыл бұрын
住んでいるところが近くですが、小学生の時に巨椋池の歴史は習いました。 その当時、小屋を見てみると曽祖父が使ってたであろう大きな網などが置いてあり、巨椋池で漁をしていたのかと思った事が懐かしいです。 東一口の巨椋池排水機場も小学生の時に見学に行きましたので、懐かしかったです。 巨椋池がなくなってからも洪水の被害は多かったようで、家が少し高めのところに建ててある(旧家は)
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv Жыл бұрын
網があったんですね!名残ですね😊
@杜若三十郎
@杜若三十郎 Жыл бұрын
超大規模な氾濫湿原地だったのですね。今では考えられないくらいの生物多様性が保たれアユモドキやイタセンパラといった絶滅危惧種が豊富に生息していたと思います。タイムマシンがあれば見に行きたいと思いつつ小規模でもかつての巨椋池の機能を治水とバランスを取りつつ復元できないかなと思います。
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv Жыл бұрын
ロマンありますよねぇ。
@NoriD1spec
@NoriD1spec Жыл бұрын
地元には「島」が付く地名が多く、田んぼに蓮尾が咲いたり、今でも巨椋池の名残りを感じることができます
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv Жыл бұрын
そんなとこにも名残があるんですね😊
@giko8888
@giko8888 Жыл бұрын
大阪在住です。源氏物語や鉄道が好きで宇治川を見に行ったり、近鉄線に乗ったりして巨椋池を干拓したことは知っていましたが、この動画は素晴らしい!観月橋は宇治川がらみかと思っていましたが中書島や向島の成り立ちになるほど!と思いました。ありがとうございます!
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv Жыл бұрын
こちらこそありがとうございます😊
@yoko0707-j1k
@yoko0707-j1k Жыл бұрын
良く第二京阪を通り京都や滋賀に行きます。 何故ここまで大きな田畑が残っているのか不思議に思っていました。 池の歴史や近くの風景にこの様な歴史があった事もしらなかったので、面白かったです。 ありがとうございます😊
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv Жыл бұрын
知るとびっくりですよね!ありがとうございます😊
@さるぽぽ
@さるぽぽ 8 ай бұрын
名前を初めて聞いた巨椋池の存在ですが、実に興味深く閲覧させて頂きました。多岐に渡る丁寧な解説は素晴らしいですね、TVを観るよりよっぽど有意義な時間でした。
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv 8 ай бұрын
ありがとうございます😊 ぜひ他の動画もご覧ください!
@yohi8005
@yohi8005 Жыл бұрын
子供の頃台風で巨椋池だったたんぼが浸水して近鉄が湖の中を走っている不思議な光景を覚えている あのアニメを見た時にも思い出した 近鉄が堤防の上を走っていたとは知らなかった
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv Жыл бұрын
不思議な光景ですね😊
@yss3857
@yss3857 9 ай бұрын
久御山町の住人だったので、とても興味深く見ました。何度も映っていた、白黒の写真、山田家でありましたね。蓮の花が種類も豊富でそれは美しかったとか…。舟を漕ぎ出して、ご婦人方が蓮の花の観賞に行くのが一種のステイタスだったとか…。 池が失くなり、蓮の花が観られないのが残念です。何処かで復活できたらなあ…と長年思っています。
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv 9 ай бұрын
昔の姿が偲ばれますねぇ。
@もんじ-p2n
@もんじ-p2n Жыл бұрын
ゲーム「信長の野望」をやっていると伏見のあたりに巨大な池があるので「戦国時代の頃はこんなのがあったのか」と気になっていました まさか昭和まで存在してその後人の手で消滅していたとは・・・勉強になりました
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv Жыл бұрын
ありがとうございます😊
@maducchy4306
@maducchy4306 10 ай бұрын
数年前まで単身赴任でよく背割堤から観月橋あたりの土手を走ってました。春先は背割堤の桜をみて東一口排水機場付近の土手に咲いている菜の花を眺めるのが好きでした。懐かしい景色をありがとうございました。
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv 10 ай бұрын
こちらこそ素敵なコメントをありがとうございます😊
@稲岡敬二
@稲岡敬二 Жыл бұрын
JR奈良線が巨椋池を取り囲むように東に迂回している。 永年の疑問が解消した😃
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv Жыл бұрын
あそこだけ明らかに遠回りしてますもんね!
@ぴにオン
@ぴにオン Жыл бұрын
淀に住んでますが河の付け替えに興味があり少し調べた事がありますが詳しく分からずそのままになってましたが分かりやすい解説で楽しかったです お疲れ様でした。
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv Жыл бұрын
ありがとうございます😊
@aiglon-bq5nz
@aiglon-bq5nz Жыл бұрын
素晴らしいビデオでした。感服しました。東京の者ですが、京都奈良宇治などは大好きで知り合いもいますので時々行きます。鉄道のあの変なコースを不可思議に思っていましたが、あれが巨椋池のヘリを回っていたせいだなんて初めて知りました。こうなると古代の浪速と大和の水運でのつながりについても体系的に知りたくなりますね。いや本当に素晴らしい動画でした。
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv Жыл бұрын
ありがとうございます😊 次の動画もよろしくお願いいたします!
@anntena5318
@anntena5318 Жыл бұрын
各所の遺構に足を運んで撮った映像、記録写真、地図などの資料とともに、パートを分けて丁寧な解説。曖昧にしか知らなかった巨椋池の歴史を非常に理解できました。素晴らしい👏 CH登録しました。今後のご活躍にも期待します👍
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv Жыл бұрын
嬉しいお言葉、ありがとうございます😊
@ハラハ-g2w
@ハラハ-g2w Жыл бұрын
実に勉強になるいい動画 災害、生活の利益を考えると自然保護は実に難しいものですね
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv Жыл бұрын
本当に考えさせられますよね。コメントありがとうございます😊
@nori-gx6gq
@nori-gx6gq Жыл бұрын
凄く面白かったです。行ってみたくなりました。平安時代からのお店が今もあったり、漁業が盛んだった池が農地になってるなんて😮 調べるのも大変だったでしょうに、ありがとうございます😊
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv Жыл бұрын
こちらこそありがとうございます😊
@鹿目シン
@鹿目シン Жыл бұрын
巨椋池と観月橋 その関連性が知れて勉強になった 面白かったです
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv Жыл бұрын
ありがとうございます😊
@moomin4949
@moomin4949 Жыл бұрын
現地の映像まできちんと取材されていて関心しました。
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv Жыл бұрын
ありがとうございます😊これからも頑張ります!
@Sugiura_Kenji
@Sugiura_Kenji Жыл бұрын
巨椋池と云えば、高校の古文の教科書の後ろの方の京都の地図でしか見た覚えがなかったのですが、今回、これを見ながら、何度も「なるほど!そうだったのか!」と納得し感心しました。ありがとうございました。
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv Жыл бұрын
ありがとうございます😊これからもよろしくお願いします!
@yuukipooh
@yuukipooh Жыл бұрын
周辺の地域出身の者で巨椋池の干拓のことは昔、小学校の社会の授業でやった記憶があるのですが30年以上前のことなので改めて動画で説明して頂き楽しく拝見できました。ありがとうございました。
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv Жыл бұрын
こちらこそご視聴ありがとうございました😊
@osakakawachi
@osakakawachi Жыл бұрын
天ヶ瀬ダムの場所にはかつて京阪電鉄が運営するトロッコ電車が走ってたんですけど、ダム建設によって廃止になってしまったんですよね~。 京阪宇治駅→平等院→バス→トロッコ電車→バス→石山寺→京阪石山寺駅のルートは当時大人気の観光コースだったらしいです。
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv Жыл бұрын
大峯ダムですね!
@たかじい-x6e
@たかじい-x6e Жыл бұрын
60年位前に近鉄小倉駅付近へ仕事で何度も行ったことがありました。駅の西側堀池に粗悪な建て売り住宅がたち始めいました。向島駅東に建て売り住宅が開発されましたが湿気が凄く雨や曇りの日など下水溝に集中配管のプロパンガスの臭いが漂っており気持ちが悪かった。まだまだ巨椋池の名残で湿地だったのですね。
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv Жыл бұрын
なるほど。名残がありますねぇ。
@yousukenishiyama1738
@yousukenishiyama1738 7 ай бұрын
巨椋池の話は地理や歴史に興味ある人にとってはミステリアスで知的好奇心をそそりますね。 昭和28年の大水害で、なくなったはずの巨椋池が忽然と一時的に姿を現した話題に触れていたらパーフェクトでした
@yousukenishiyama1738
@yousukenishiyama1738 7 ай бұрын
動画で触れられていたみたいですね。失礼しました
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv 7 ай бұрын
いえいえ、ご視聴ありがとうございました!
@hiro722
@hiro722 9 ай бұрын
小学校から大学卒業まで近鉄電車で通学してました。 池であった事は学校でも教えられましたが、詳しい解説をしていただき楽しく視聴する事が出来ました! ありがとうございました😊
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv 9 ай бұрын
こちらこそありがとうございます!
@bogari2970
@bogari2970 Жыл бұрын
巨椋池が由来だったんですね、中書島駅に何故か伏見港公園があるのは不思議に。どこに海があるんだよと思った。駅名は小倉なんですね。 一昨年の冬、仕事の帰り夜中4時ごろ雨の中を久御山の某所から巨椋池の田んぼ地帯を縦断して向島駅まで歩きました、夜中の雨の農道は怖かった。 確かここって近所にあの有名なウトロ地区のある近所ですよね
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv Жыл бұрын
ウトロも近いですね!
@hoshimai8546
@hoshimai8546 9 ай бұрын
以前、夏に京都府立植物園を訪ねた際、「巨椋〇〇」という蓮の花が多数咲いていました。 調べていく中で、かつて京都南部に存在していた「巨椋池」に由来することを知りましたが、 今になって「巨椋池」を解説する動画に出会えて驚いています。 かつては風光明媚な場所だったからこそ、蓮の名前に「巨椋」を冠したものが多数生まれ、現在も府立植物園に展示されているのですね。 そして、水害に悩まされたエリアでもあり、治水の結果なくなってしまったことも… とても勉強になりました。蓮の季節になったら、汗をかきながら巨椋池に思いを馳せようと思います。ありがとうございました。
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv 9 ай бұрын
こちらこそ素敵なコメントありがとうございます😊
@ぐりん-u2g
@ぐりん-u2g Жыл бұрын
大きな池やったらしいでぐらいしか知らなかったのでとても勉強になりました。辺りの神社などで説明書きなど見かけて気になっていたので夢中で拝見しました♡タイムスリップできるのなら石清水八幡宮から眺めてみたい♡ ありがとうございました♪👍
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv Жыл бұрын
こちらこそご視聴ありがとうございました😊
@鳥羽行きキャンドル準急
@鳥羽行きキャンドル準急 Жыл бұрын
学生時代、巨椋池の跡地の見学に行ったことがあります。 鉄道の線形からの考察は、すばらしいてと思います。 大変勉強になりました。
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv Жыл бұрын
嬉しいコメントありがとうございます😊
@takuya11bn0818
@takuya11bn0818 Жыл бұрын
むかしは巨椋池がありました 今は天ヶ瀬ダムは巨椋池の代わりになって降水を防いでいますからね~
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv Жыл бұрын
おっしゃる通りですね!
@樋口季二郎
@樋口季二郎 Жыл бұрын
すごく分かりやすく、痒いところまで手が届いた動画でした。ありがとうございます。
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv Жыл бұрын
こちらこそ有難うございます😊
@ponico
@ponico Жыл бұрын
81系統のバスの終着が伏見港って名称なのがあるけど、あれってもしかして巨椋池の港だったのかしら
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv Жыл бұрын
動画でも紹介した伏見港公園ですね☺️
@Daydreamer322
@Daydreamer322 Жыл бұрын
伏見港の水門は中書島駅から西側にあります。 子供の頃はその中間にあるプールへ行ってました。 十石舟の経路途中に出会い橋という3本の橋が合流する橋があり、 その西側に宇治川や堀川の水路の変化を時系列に展示されています。 更にそこから東側には寺田屋があり北には坂本龍馬が逃げ込んだ木材屋跡地の石碑もあります。
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv Жыл бұрын
勉強になります。コメントありがとうございます😊
@フレンドリー基礎物理化学
@フレンドリー基礎物理化学 9 ай бұрын
巨椋池何回か通ったことも有り気になってたのでこの動画にたどり着けてよかったです 今はとても池があったとは思えない土地ですよね
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv 9 ай бұрын
ありがとうございます😊 本当に面影はないですよねぇ
@jimiken9263
@jimiken9263 9 ай бұрын
よく仕事でも通る場所、非常に興味深く面白かったです🎉
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv 9 ай бұрын
ありがとうございます!
@なんででも
@なんででも Жыл бұрын
この動画、面白すぎる!見入ってしまった!
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv Жыл бұрын
ありがとうございました😊
@alaindelon8737
@alaindelon8737 Жыл бұрын
興味深い内容で更に語り方も穏やかで和みます
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv Жыл бұрын
ありがとうございます😊 さらに質を高めていきます!
@守田昭
@守田昭 9 ай бұрын
京都市民です。 凄い詳しい解説ありがとうございます! 知らない事ばかりでした。
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv 9 ай бұрын
こちらこそご視聴ありがとうございました!
@reikotanaka9128
@reikotanaka9128 9 ай бұрын
元、久御山町民です。一口の百姓屋さんからよく野菜を頂いてました。今は亡くなったのですが昔は漁師で親父と漁に出てた と言ってました。 シャコも取れてた。スッポンはええ値で売れた。天然の鰻はパサパサで全然美味ない、浜松の養殖の方が脂のって旨い。と貴重な話をしてくれました 京都競馬場は仕事で2回行ったのですが池ある事も知りませんでした。宇治市小倉町に ’巨椋神社、あります。
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv 9 ай бұрын
それは貴重なお話ですね😎
@やぶ-v9j
@やぶ-v9j Жыл бұрын
ありがとうございました。良くわかりました。まさか、そんなに大きな池と思っていませんでした。
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv Жыл бұрын
びっくりですよね!
@窪山比呂志-r6d
@窪山比呂志-r6d Жыл бұрын
京阪本線の淀と中書島の駅間が極端に長いのも、 今思えば巨椋池の存在が関係してそうですね。
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv Жыл бұрын
おっしゃる通りですね🤔
@ササノンキ
@ササノンキ Жыл бұрын
その間は巨椋池が干拓されて今もほぼほぼ農地。 都市計画法では市街化調整区域なので家が建たないからね。 駅を作っても利用者がいないもんね。
@myarmyar4252
@myarmyar4252 Жыл бұрын
線路の南側が宇治川、北側が清掃工場などで民家がほとんどないのが理由ですね。
@前岡真理
@前岡真理 Жыл бұрын
小学校で向島には昔、徳川家康の城があったと習いました。だから本丸町や二の丸町があるんだよと。 水害が多く埋め立てられたと聞いた記憶がありましたがこの動画を見て、地元なんだからこれくらい詳しく習いたかった!!と思いました。
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv Жыл бұрын
ありがとうございます😊
@飛行艇-z6r
@飛行艇-z6r Жыл бұрын
「消滅した幻の湖・巨椋池」について以前から関心がありましたので、興味深く動画を視聴させていただきました。 わかりやすい内容で、湖の成り立ちから消滅までよくわかりました。 かつての漁師町の街並みがそのまま残っているというのも興味深く思いました。 高評価ボタン・チャンネル登録させていただきました。
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv Жыл бұрын
漁師町面白いですよね。とても風情のある街並みでした!ありがとうございます😊
@アクション大魔王-j4z
@アクション大魔王-j4z 9 ай бұрын
為になる良い動画です。歴史好きの私がタモリさんのように地理好きになってしまいそうです。
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv 9 ай бұрын
歴史と地理は繋がっていますよねぇ😎
@ride6752
@ride6752 7 ай бұрын
大変わかり易かったです。数年前まで会社の伏見営業所で働いていたので、知っている場所、知っている地名でも知らないことばかりで懐かしくも勉強になりました。ありがとうございました
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv 7 ай бұрын
いえいえ、こちらこそありがとうございました😊 他にも京都の動画があるのでご覧ください♪
@ヒデウサギ
@ヒデウサギ Жыл бұрын
三川+淀川の河川敷を走るのが、コロナ明けのマイブームなのですが、 知らなかった歴史を知ることで、見慣れた風景を新鮮な目で見直すことが出来そうです。 この動画に出会えて良かったと心から思います。ありがとうございました。
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv Жыл бұрын
そこまで言っていただき恐縮です。ありがとうございます😊
@イトーヨーcard
@イトーヨーcard Жыл бұрын
大変ためになる動画🎉 古地図を見て気になってたが、読み方すら知らなかった🤔 何故なくなったか よく解った👍
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv Жыл бұрын
ありがとうございます😊
@trinitydisconnect
@trinitydisconnect Жыл бұрын
面白かったです。感謝感謝。東一口・ひがしいもあらい。爆笑しました。漢字の歴史でもありますね。
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv Жыл бұрын
本当に難読ですよね、、😂笑 面白いです。
@flyers8924
@flyers8924 Жыл бұрын
子供の頃に、京都の南側の空を飛んで巨大な湖を上から眺める夢を見て、 「内陸の京都に湖ってw」とか思ってたら、10年後に巨椋池を知ってびっくりした思い出w
@tanaka_and_takahashi
@tanaka_and_takahashi Жыл бұрын
前世は鷹だったのかもしれませんな。
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv Жыл бұрын
それはすごい話ですね😂笑
@sugisinfkk
@sugisinfkk Жыл бұрын
@浮草-t7j
@浮草-t7j Жыл бұрын
・・・という夢だったとか・・・
@hisahisa1642
@hisahisa1642 5 ай бұрын
鴨川、江戸時代に作られた高瀬川などとセットで、伏見は水運の街だったんですよね。 今でも、宇治川周辺や、伏見の沿岸部は、台風で浸水しちゃうので、巨椋池干拓や、天ヶ瀬ダムの有り難さを感じます😊
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv 5 ай бұрын
伏見は港町でしたもんね!
@nao1514
@nao1514 Жыл бұрын
面白かったです!紹介してもらえて、巨椋池も喜んでると思います😊
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv Жыл бұрын
嬉しいコメントありがとうございます😊
@feelearth3o4o
@feelearth3o4o Жыл бұрын
とても面白かったです。淀川下流域の話を少し研鑽されているサイトを見聞きして興味を持っていたのですが巨椋池の話まで知識が繋がっていなかったので さらに歴史の整理につながりました。嬉しかったです。やはり水質の悪化は避けられなかったのですね。。とはいえ昭和時代まで残っていたとは感慨深いです。
@feelearth3o4o
@feelearth3o4o Жыл бұрын
是非いつか、幻の深野池や伝説の三日月湖も存在した淀川下流域のお話も見てみたいです^^
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv Жыл бұрын
ありがとうございます!リクエストテーマも検討させていただきます😊
@岸間淳夫
@岸間淳夫 Жыл бұрын
すごい…もう40年近くも巨椋池について調べているが、相当マニアックですね…ひょっとして地元にゆかりのある方なのですか?
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv Жыл бұрын
住んだことはありませんが、各種文献や史料をまとめて作成しております!
@岸間淳夫
@岸間淳夫 Жыл бұрын
@@nipponsousei_tv やはりそうでしたか。誠にお見事!感嘆です!
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv Жыл бұрын
@@岸間淳夫 恐縮です。もっとパワーアップできるように頑張ります💪
@ニッケちゃん
@ニッケちゃん Жыл бұрын
地元です!めちゃくちゃ勉強になりました!
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv Жыл бұрын
ありがとうございます😊
@好きにならずにはいられない
@好きにならずにはいられない 10 күн бұрын
昔は東寺、西寺、よしみね寺などから眺められ 風光明媚 最高🎉
@義昭楽厳寺
@義昭楽厳寺 7 ай бұрын
昭和までは残ってたんですね。もっと前に埋め立てられたと思ってました。話はそれますが、今の淀川河口部の広さが人工的なものだったと知った時は仰天しました。人間の力は凄いですよね。
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv 7 ай бұрын
本当に文明の進歩はすごいですね!
@mkep82da
@mkep82da Жыл бұрын
近代になって干拓して農地にしたいから段階的な手段を使って巨椋池を干拓したんだろう。しかし、干拓後農地としては成功したかもしれないが遊水池として縮小してでも河川と繋げて残した方が良かったろうにとは思いますね。
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv Жыл бұрын
難しいところですよね。
@GoMiyaShiki-z1y
@GoMiyaShiki-z1y Жыл бұрын
豊かな自然がある一方で、マラリアの発生源でもあったそうですしね。
@ササノンキ
@ササノンキ Жыл бұрын
この動画でもあったけど、干拓後も水害があったんよ。 ワシのオカンが向島出身なんで、親戚の家に遊びに行った事あるけど昭和50年頃まで家の軒下には小舟が吊るしてあったからね。 結局は上流の天ヶ瀬ダムの完成で干拓事業は完成。 電力需要などを考えるとこの状態がベストと思いますよ。 将来に水害の種を残さない為にもね。
@ちょうさんzv703love
@ちょうさんzv703love Жыл бұрын
知ってるようで知らないこと山程ありますね❗️小学校の遠足で出来立ての名神高速を通り天ケ瀬ダム行きました天王山の山崎の合戦と多目的ダムの話ぐらいしか興味がなかったけど歴史好きで山崎の合戦調べたら大きな巨椋池の説明がありました太閤さんが干拓に手をつけたことや淀君の淀城とか現在迄一気に教えて頂きました‼️西国街道の昆陽池ももっともっと大きかったそうで教えて欲しいです❗️
@Sh5nW4tm6c
@Sh5nW4tm6c Жыл бұрын
かなり前ですが京都に10年くらい住んでいました。地図で巨椋池の地名があり、ときどき近くを通ったこともあったのですが、なぜ池なのかわかりませんでした。歴史でときたま宇治港の話が出てきますが、宇治に港??と思っていました。この動画で長年の疑問が晴れました!ありがとうございます!
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv Жыл бұрын
こちらこそコメントありがとうございます😊
@joeta304
@joeta304 Жыл бұрын
おもしろかった。 そうだったのですね。 むかし、大きな池があったことはおぼろげに知ってはいたのですが、よく理解できました。 わかりやすい解説ありがとうございましす。 大阪府在住なので自転車で巡りたいとおもいます。
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv Жыл бұрын
ありがとうございます😊ぜひ行ってみてください!
@敷島の道路
@敷島の道路 Жыл бұрын
分かりやすい動画をありがとうございます。巨椋池は平安京が風水の「四神相応の地」として建設される際「朱雀」(都市の南の海)に位置づけられた経緯があるのにテレビの歴史紹介物でも取り上げられることがなく不思議に思っていました。これからの動画も楽しみにしています。
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv Жыл бұрын
ありがとうございます😊
@tetsu.68
@tetsu.68 Жыл бұрын
巨椋池は風水思想で洛南側の防御の役割があったので江戸時代までは干拓されなかったのでしょうね
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv Жыл бұрын
それもあったと思います。
@りゅうか-98
@りゅうか-98 9 ай бұрын
なんで巨椋池なんだろうと昔から思っていたのですが、本当にあったんですね!無くなっても、あった当時も、人の生活を支えてるいい土地ですね😊
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv 9 ай бұрын
本当にあったんです😊
@nene0625
@nene0625 Жыл бұрын
この歳になるまで巨椋池について全く知りませんでした。 いい勉強になりました。 チャンネル登録させていただきました。 18:14 からの「まとめ」からがわかりやすく、良くまとめてあり敬服いたしました。
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv Жыл бұрын
ありがとうございます😊これからもよろしくお願いします!
@インチキライダー
@インチキライダー Жыл бұрын
六地蔵の駅近くにも池が有ったけど平成で埋立られた時は残念だった。 久御山の小学校に通ってた時は洪水警報が出る時は休校で嬉しかった思い出。 用水路が洪水しても田んぼで食い止めて住宅にはあまり被害が出なかった様な? 木津川の流れ橋を始めよく対策された地区だったとわ
@nipponsousei_tv
@nipponsousei_tv Жыл бұрын
昔からの知恵ですね。
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