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今日はまあやののぎおび選手権の様子をお届けします。
まあやといえば『チューリップ』のメンバーの一人でもあります。
今日はまあやと同じく『チューリップ』のメンバーである、いくちゃんが卒業発表しました。
今日がその日だって、忘れないようにこの場を借りて少しだけ文章を書いています。
少し前まで、いや卒業発表するまでずっといくちゃんには「こんなに長く在籍していてくれてありがとう。乃木坂にいながら自分の夢を追いかけるという選択をしてくれて、私たちに夢をたくさん叶えていく姿を見せてくれてありがとう。もう十分すぎるくらいだから自分のタイミングで、自分の好きなやり方でグループを去る決断と準備を進めてくれても大丈夫だから。その時には全力で送り出すよ。」という気持ちでした。
でもいざ発表されると、なんだか少しだけないものねだりしたくなりました。
私のあまりにも自分勝手な希望は、「いくちゃんの卒業センターがみたい」というものです。
今までたくさんのものを見させてくれて、聞かせてくれて、感じさせてくれて、、、
それでもなお私はいくちゃんに、こうあってほしいという半ばエゴのようなものを押し付けてしまっています。
いくちゃんが決めたことなんだから、本当はこんなこと言うべきじゃないのかもしれないけど、いくちゃんを想って作詞作曲された曲の中心にいる姿がみたい、そう思ってしまいます。
この1年間(それより前からですが)、必ず誰かがいなくなるシングルが続いていて、箱推しの私にとっては毎回何かを失うような感覚が積み重なっていきます。
かずみんはこの苦しみを失恋と例えていましたが、私にとっては大切なものが急に奪い去られ、目の前から消えてしまう感覚に近いです。
私がどんな気持ちで何を言おうと、どうしようもなく目の前から消えていってしまうような感覚。
そんな感覚を抱きながら、「まだ行かないでよ」と「もう十分だよ、ありがとう」という2つの思いが交互に訪れます。
本当の気持ちは前者で、後者は取り繕うために存在しているのかもしれないし、どちらも本当の感情なのかもしれない。
自分のことなのに、それすらもわからなくなります。
こんなに悲しくて寂しくて辛い感情の中で、「そもそもいくちゃんが卒業することなんてわかってたじゃん」、心の中でそう思う時があります。
きっと精一杯の強がりです。
分かってても解らないんです、解りたくないんです。
いつも私はこうなんです。
卒業発表の度に、卒業コンサートの度に、何も解らなくなってしまうんです。
解らないまま見送ってしまうんです。
本当は気持ちを整理してちゃんと見送りたいのに、自分の気持ちすら解らぬまま。
いくちゃんの卒業までは2ヶ月しかありません。
この期間をどう捉えるかは人それぞれですが、お互い悔いなく見送れるように祈ってます。
いくちゃんのことを好きな人が数年後振り返った時に、「素敵な時間だった」と思えるように。