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最終回は、「大奥」の基礎を作り上げた「春日局」(1579~1643)
怖いイメージが一変する墓の謎に迫る‼
●なぜお江VS春日局が生まれたのか? それは…。
後の「春日局」である「お福」は将軍・徳川秀忠と江の嫡男・竹千代(後の家光)の乳母に。お福は竹千代をわが子のように大切に育て上げたが、お江夫婦は聡明で活発な次男・国松を溺愛し、ゆくゆくは将軍にと画策を始めた。竹千代を不憫に思い、お福は家康に「どうか竹千代様を将軍に」と直訴した。江戸城に来た家康は竹千代を上座に呼び寄せます。その時、つられて上座に上がろうとする国松に家康は一喝。「上座に上がるのは将軍のみである」。 家康は暗に秀忠夫婦に嫡男を蔑ろにするなと告げたのでした。これにより三代将軍は竹千代に決まり、お福はお江とのバトルに勝利し家光にも影響力を持つ“女帝”になりました…。」 という話ですが実際には⁉
●同じ場所に「お江」の墓も⁉
金戒光明寺の墓地には春日局のお墓が建っているが、近くには巨大な墓がそびえたっている。それは寛永3年(1626)54歳で亡くなったお江の墓で、実は春日局が建てたという。
⚫️辞世の句には…
「西に入る 月を誘い 法をえて 今日ぞ火宅を逃れけるかな」 寛永20年(1643)64歳で亡くなった春日局の辞世の句。その意味は、「西の方に没していく美しい月を心にとどめ、 仏の教えに従い、やっと今日悩み多いこの世から逃れられることができます」大変だったけど、やれることは全てやりました!という達成感を感じる、まさに春日局らしい句ではないでしょうか。
【番組公式HP】 www.tv-osaka.co.jp/sp/ohaka_nippon/
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