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影に箔押しをする理由
お散歩写仏シリーズの作品には純金箔または水金箔を押してあります。
そして、その押す場所は影になる部分。
影は本来なら暗くなるはずだけど、なぜその影に箔押しをするのか?
それは、影は光がないと現れないもので表裏一体・陰陽の関係だと思ったから。
箔もまた影と同じように、当然ながら光が当たらないときは光を放ちません。
私の作品にはよく箔が使われるのですが、金箔も水金箔も、玉虫箔も虹彩箔も光が当たらないと、色もなく黒く底なし沼のようにように見えるな…と思っていました。
それが、なんだかブラックホールみたいで、宇宙の入り口みたいに見えて、
輝いてるときはその入り口に蓋が閉まってるみたいに見えるんです。
お釈迦さまは、この世にあると思っているもの全ては因縁で立ち現れてくる関係性の中で依存しあって存在できるものだと仰います。
全てはお互いの認識の上でしか存在し得ないのだから、目に留めない草花は目に止めようとしない人にとっては存在しないもの。
でも、実際はそこにあるものなのに、存在そのものが消えてしまう。
その存在にフォーカスして見てると、それを取り巻く世界が映画のように始まって、じっくり見てるとそこに暮らしている小さな昆虫や菌糸たちにとってはご飯だったり家だったり、なくてはならない存在として立ち現れてきます。
それが、まるで仏さまのようだと思うのです。
私は友人の死をきっかけに神仏を描くようになりましたが、現世利益の象徴としての神仏を描くつもりがありません。
神仏もまた私やこの植物たちと同じように存在していずれ朽ちて無くなる生物の一つだと思っています。
ただ、その神仏は利他に生きることを請願としている生物で、その存在は普段私たちには見えないものです。
人の願いを叶えてくれる玉手箱を持ってたり、超能力を持ってるわけではなくて、
彼らもまた命を削って利他に生きることを学びとして死にゆくまでの時間を生きている生物です。
そして、あるとき何かをきっかけに、神仏という生き物も私も動植物も全てが因縁の中で生かされていることに気がついたときに、同時にその奇跡と深い深い慈愛があることに感謝の念が溢れてくるものなんだと思うのです。
そして、それを人は宇宙の真理であり、絶対的存在として畏怖の念を持って崇めて憧れるんだろうな…そう思うのです。
その恐ろしく気が遠くなるような奇跡に目を向けるきっかけが『お散歩写仏』だと位置付けています。
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