日本キリスト教団六ツ川教会 ローズンゲン釈義黙想(2024/7/31)

  Рет қаралды 34

日本キリスト教団六ツ川教会

日本キリスト教団六ツ川教会

Күн бұрын

2024年7月31日(水)
【旧約聖書】
私があなたがたの悪の道や堕落した行いによってではなく、私の名のためにあなたがたを遇するとき、イスラエルの家よ、あなたがたは私が主であることを知るようになる。エゼ20:44(協)
【新約聖書】
私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対する愛を示されました。ロマ5:8(協)
---------------------------------------
「ローズンゲン釈義黙想」は、日本キリスト教団六ツ川教会の会員向けのメッセージです。
日々、御言葉を聞くことができるように毎朝5時に更新します。
「公開」設定にしていますので、六ツ川教会の教会員でない方も、ご関心のある方はどうぞ自由にご活用ください。
釈義黙想の後に、呼吸と沈黙の時間があります。
ヨガのトレーニングから学んだ呼吸法のごく基本的な方法を取り入れています。
御言葉を聞き、呼吸と姿勢を整えて、良い一日の始まりとなりますように。
どうぞ今日も笑顔でお過ごしください。
使用しているテキストは『日々の聖句 Losungen2024』(ベテスダ奉仕女母の家出版部、2023年)です。全国のキリスト教書店でお求めいただくことができます。税込み1,400円です。
*ローズンゲンで指定された場所以外は、聖書協会共同訳聖書のテキストを用いています。
----------------------------------------
                 
 本日の新約聖書の箇所は、私たちプロテスタントの信仰に生きるものとしては、大変大切な箇所となります。カトリック教会とプロテスタント教会の違いは色々とありますが、特に「救い」の考え方について言いますと、カトリック教会では救いは教会にあり、神父さまに救いに導いていただかなければなりません。ですから、当然ですがキリストの体である教会を離れて救いはありませんし、その救いの権限を持つ神父さま方は、信徒にとってとても大きな存在となります。少し嫌な言い方をしますと、救いの権限を他人に握られているということになります。
 しかしプロテスタント教会では、キリストの体である教会を離れて救いがないのは共通しますが、聖職者が他人が救いの権限を持っているのではなく、個人の信仰によって義とされる、神さまの前で正しいものとされると考えます。牧師が救いの権限を持っているのではなく、牧師は、個々人が救いの道から逸れないように、ツアーガイドのように方向性を指し示すことが大切な役割となります。その信仰というのは、イエスが私たちの罪を背負って十字架で死んでくださり、そして神さまによって甦らされた。私たちは神さまに背いてしまう罪人であって、当然死ぬべき存在なのですが、その罪をイエスがお一人ですべて背負ってくださった。だから、私たちが最後に行きつくのは死ではなく、永遠に生きる道、永遠の命である、ということを信じることです。これがプロテスタントの信仰理解です。十字架にかけられたイエスのお姿、それは私の罪のためなのです。本日のローマの信徒への手紙5章8節で書かれている「私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対する愛を示されました」という御言葉は、この文脈を知ることで理解することができます。イエスは私たち罪人のために死んでくださった、だから他人事のように十字架を見上げることはできないのです。
 この「罪」という言葉は、日本語では「犯罪」という意味で使われることが多いので、教会とは関わりのない多くの人にとっては、分かりにくい言葉だと思います。聖書で使われる「罪」という言葉は、私たちが神さまに背いてしまうことを言います。人間は誰一人も神さまの望むとおり生きることはできませんから、私たち皆が罪人なのです。ですが、そのようなどうしようもない罪人の私たちを神さまは救おうとなさっている。預言者エゼキエルは「私があなたがたの悪の道や堕落した行いによってではなく、私の名のためにあなたがたを遇するとき、イスラエルの家よ、あなたがたは私が主であることを知るようになる」と預言します。「悪の道」や「堕落した行い」と言われると、何の申し開きもできない私たちですが、そのような私たちを神さまは救ってくださる。そのために何か一般的に言われる「クリスチャンらしさ」を装う必要はありませんし、聖書の御言葉をたくさん暗記するということも求められませんし、他の人に「わたしって立派なクリスチャンでしょ」のようにアピールする必要もありません。「こんな私でも神さまは救ってくださる。」そのように自分の内側で神さまと対話し、そう信じるがプロテスタント信仰の核心なのです。
日本キリスト教団六ツ川教会牧師  桐藤 薫

Пікірлер
竹田恒泰の「日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか」
51:05
全国賃貸オーナーズフェスタ 公式チャンネル
Рет қаралды 952 М.
Flipping Robot vs Heavier And Heavier Objects
00:34
Mark Rober
Рет қаралды 59 МЛН
didn't manage to catch the ball #tiktok
00:19
Анастасия Тарасова
Рет қаралды 34 МЛН
E361 Navigating the Bible: The Pentateuch
44:18
Saddleback Church
Рет қаралды 262 М.
Liturgy of the Word - Christ Must Come First - Friar Robin Toha - 24 October 2024
10:39
日本キリスト教団六ツ川教会 ローズンゲン釈義黙想(2024/10/21)
12:05
日本キリスト教団六ツ川教会
Рет қаралды 63
日本キリスト教団六ツ川教会 ローズンゲン釈義黙想(2024/10/24)
10:09
日本キリスト教団六ツ川教会
Рет қаралды 10
日本キリスト教団六ツ川教会 ローズンゲン釈義黙想(2024/7/30)
11:03
日本キリスト教団六ツ川教会
Рет қаралды 32
日本キリスト教団六ツ川教会 ローズンゲン釈義黙想(2024/10/18)
11:20
日本キリスト教団六ツ川教会
Рет қаралды 39
朗読《新約聖書》 ヨハネの黙示録
1:36:06
聞く聖書
Рет қаралды 30 М.