KZ
bin
Негізгі бет
Қазірдің өзінде танымал
Тікелей эфир
Ұнаған бейнелер
Қайтадан қараңыз
Жазылымдар
Кіру
Тіркелу
Ең жақсы KZbin
Фильм және анимация
Автокөліктер мен көлік құралдары
Музыка
Үй жануарлары мен аңдар
Спорт
Ойындар
Комедия
Ойын-сауық
Тәжірибелік нұсқаулар және стиль
Ғылым және технология
印鑑は紙のない時代にどう使われていた?印鑑を好きになる話【ゆる書道学ラジオ】
34:16
人は「右にあるもの」を好きになりやすい【ゆる心理学実験学ラジオ】
40:56
The evil clown plays a prank on the angel
00:39
Beat Ronaldo, Win $1,000,000
22:45
coco在求救? #小丑 #天使 #shorts
00:29
Đang ngồi chơi bỗng dưng bể cá vỡ kính, may có CCTV chứng minh sự trong sạch cho cô bé
00:27
人が情報を書き出すのはナゼ?抽象的な問題を一緒に議論しよう!【ゆる美学ラジオ】
Рет қаралды 57,935
Facebook
Twitter
Жүктеу
1
Жазылу 39 М.
ゆる学徒カフェ
Күн бұрын
Пікірлер: 298
@t2o516
2 жыл бұрын
私は美大志望だったのですが、デッサンが下手で、いつも頭で考えながら描いていました。 ランニングで例えると「顎を引いて、腕をこう振って...」などと考えながら走っているようなもので、これでは上手く描けるはずがありません。 ただ1回だけ、とある美大入試のデッサン実技の時、体が無意識に動いて自分が見た物をそのまま紙に描線し、木炭を乗せる事ができました。 絵を描くのが楽しくて、休憩も取らず、消しゴム用に与えられた食パンを食べながらひたすらデッサンしました。 身体運動の整合性が完全に取れ、ランナーズハイになっているような高揚感がありました。 私が心から絵を描いていて楽しいと思えたのは、人生でその時だけです。 ナターシャさんのご経験と比較するのはおこがましいですが、本来絵を描くことはスポーツのようなもので、生きるために必須ではないが、したい衝動を感じるものなのかもしれませんね。
@kaz8340
2 жыл бұрын
言葉遣いが好きすぎる。特に「時代とともに垢が付いた」ってのがいい。
@kentt2194
2 жыл бұрын
美学という学問分野は恐らく哲学の一領域で存在しますね…
@trickartescher6989
2 жыл бұрын
「(美大では)野生児だった」、「絵を描くには言語が必須という説」、「絵を描いているとき言語が一切ない」、「第一言語が絵」 とNatashaさんの背景がつながってくるようで面白かったです。
@タニゴメ
4 ай бұрын
Natashaさんの話をまた聞きたいなと思い久しぶりにこの動画へ。大きな問いに目を向けて、如何に短期的に解決するかではなく、じっくりと時間をかけて考えを深める感じ。相性の合う相手がいれば良い空気で穏やかな時間が流れそう。
@KAMIYAMIKA
3 ай бұрын
素敵な人ですね。いま、何してるのかしら…
@kvaqzzz
22 күн бұрын
@@KAMIYAMIKA彼女のYouTubを見つけました❣️
@akiralor
2 жыл бұрын
解に美を見て、最短距離でそこへ向かう堀元さんに対し、問に美を見て、ゆっくりすすむナターシャさん。ラジオパーソナリティの相性としてはベストでは無いかもしれないけど、見ていて面白かった。
@deadfuldisco6347
2 жыл бұрын
「第一言語が絵」って主人公感あり過ぎる。 象形文字をみても、絵でコミュニケーションとる事自体が言語の起源感があって、話題が多岐に渡りそうで面白い。
@takahiroono9660
2 жыл бұрын
「NARUTO」の忍者サンダルが無防備に指先を露出しているのは、踏み込みなどの際に足の指先に力がかかった描写を作者が描きたかったから、と聞きました。
@shimoon-co2hu
2 жыл бұрын
カメラ目線もちゃんとするし、相手と目も合わせて会話してるし パーソナリティとして見てて安心感がありますね
@WINGofJapan283
2 жыл бұрын
念の為言っておくと美学Aestheticsという学問はあるし、美学と銘打った学科・専攻・講義もある。 それこそ「男の美学」的な俗な用法とは別の物として。 ただそうした授業では開口(開講)一番 「美の学なんてない、美の批判があるだけだ。」 「美的な学なんてない、美的な技術があるだけだ」 というカントの言葉を引用して受講者を面喰らわせるのが半ばお約束になっている。(n=1)
@pP-ls1ps
8 ай бұрын
スピッツの"俺のすべて"という歌に「足の指もさわぐ」という表現がありいたく感動したのを思い出しました
@traditional落雁
2 жыл бұрын
内容からは離れるけど めっちゃ声聞きやすくて画面なしでもはっきり分かる
@ハムカツ常夏
2 жыл бұрын
ナターシャさん、言語が苦手と言っているけど、「ある程度難しくて、けれど最も的確」な言葉を使ってらっしゃってとても聞き心地良いです!(初っ端の「記号が表出」とかもそうですよね) これからもお話たくさん聞きたいです!
@cpgcp
2 жыл бұрын
すでにおもしろいけれど、聞き手のパートナー次第で自在に変化しそうなワクワク感
@takaweki558
2 жыл бұрын
たいへん興味深い内容でした。個人的な感覚として、「絵が下手」と「漢字を覚えるのが苦手」というのがつながっているので、そのあたり、いつか考えを話してほしいです。 「第一言語が絵」はかっこよすぎ。衝撃です。
@shi6515
2 жыл бұрын
小学生の頃まで自分の興味事の中心が絵などの美術で地方のコンクールで賞をとったりする程度には人並み以上には絵が得意だったのですが、小6の時にバットで顔面を殴られて高次脳機能障害になってからまるっきり絵が描けなくなってしまいました。ほとんどの教科の能力が著しく落ちたのですが、中でも突出して駄目になったのが数学と絵でした。この2つ、あまり関係性が無いように思えるのですがもし共通した脳の損傷箇所による影響を受けて能力が失われたとしたらこの2つ何か関連があるのだろうか。という事は考えます。
@mercytoo5262
2 жыл бұрын
足し算とかは結構、頭の中でそれぞれの数字の色とか形が混ざって答えの色や形が生成されるイメージが小学生の頃よくあったので、もしかしたら脳の近い部分を使ってる可能性ありますね
@literacy-channel
2 жыл бұрын
アート思考だから、やっぱり 問題解決では無く、問題提起になるのか さすが。
@michiomizuta5343
2 жыл бұрын
私も美大卒ですが、確かに言語より先に絵を描いていた記憶があります。私の描いていた絵の場合日本の漫画の影響が強いですが、漫画は高度に表象された記号の集まりだと感じます。アルタミラ洞窟の壁画などはすでに具象化されていますが、ナターシャさんのおっしゃるように原初の人類の絵はもっと荒唐無稽でまとまりのない(ジャクソン・ポロックのアクション・ペインティングのような)絵であったとも思います。言葉が先か、絵が先か、面白い研究対象だと思います。
@DSFW3
2 жыл бұрын
内容が面白いのは言うまでもなく、ナターシャさんの声が言葉が口調が姿勢良すぎてとても心地よかったです。
@mitsunoboon8890
2 жыл бұрын
タイトルがピンとこないが、ナターシャさん自身の必ず世に出てくる感が溢れ出てて、このチャンネンネルが続けくならば必ず見たい!すでにファン。ゆるナターシャさんラジオでよさそう笑
@クウガ-p9n
2 жыл бұрын
「絵が第一言語」という点や、「絵には言語が必要だ」という主張に懐疑的な部分で、ふと思い出したのは、つい先日某クイズチャンネルで紹介されていた、手話のClassifier(CL)です。 ある種、絵と同様に、そのままを表現して伝える方法です。 例えば、「くるみ割り人形」を手話のCLで表現するとき、くるみ(球体)、姿勢よく起立、6つのボタンがついた服、ヒゲ、帽子、口が開く、くるみが口に入る、くるみが割れる、中身がでてくる、という順に表現するそうです。 手話は独特の体系をもつ、という話が関連する可能性もあるので、良ければ調べてみてください(丸投げ)
@LIZ-oh8pj
2 жыл бұрын
「絵の前提として言葉が必要」だとピンとこないが「情報に輪郭を与える機能として同類」という話なら腑に落ちますね 空の構成要素として雲が書けるなら、「雲」を指す記号が生まれるのは自然だよねっていう
@kichitome676
2 жыл бұрын
ナターシャさん、ご自身の抽象的思考の言語化がきちんとできているし、思考の論理性も高いと思う。 それはそれとして、絵を描くことは言語と切り離されているとのこと。 この二つの在り様が、何か関連性というか相互に影響している面があるのか、それともそれぞれ独立した特質なのか、その辺りがもしかしたら、ご自身の疑問につながっているかもしれない...などと考えるのが楽しいですね。
@keramischmond
2 жыл бұрын
「考える楽しさを一緒に味わおうぜ」っていいなぁ 知識豊富なタイプのプレゼンターさんと議論してるとこ見たい
@まみ-k4f5b
2 жыл бұрын
本当に今ドンピシャで興味がある視点だけどどう調べて良いか困っていたテーマなので、このラジオが生まれたのが嬉しいです!!応援します!
@アサノ-k7f
2 жыл бұрын
ナターシャさんが会話してる時の目の配り方が上手い。カメラ目線と堀元さんへの比率が絶妙
@literacy-channel
2 жыл бұрын
話しながらカメラ目線を意識出来てるのすげえ
@eberbachh7539
2 жыл бұрын
美学とはなんと壮大なテーマなんだろうと驚きました。 内容にも驚きました。 自分も答えのあることだけでなく、答えのないことについて考えるのが大好きです。 これからもどんどん難問を出して欲しいです。
@himawari687
2 жыл бұрын
美しい女性が美学を語るという、圧倒的説得力の中、 芸大に入る能力を持ち、知識や受け応えも澱みなく凄すぎ 特に、受け答えが素晴らしい。言葉がうまい
@bobslay
2 жыл бұрын
美しいだけでなくて,約6.28も大きい
@大島巖
2 жыл бұрын
面白い、メチャ好きなテーマ、続けてほしい。次回が楽しみ!!!。
@highjumptaka
2 жыл бұрын
ゆる言語学、コンピュータ学ラジオでは、知らなかったことを学ぶ面でなくて掛け合いの面白さだけでも楽しめるなぁと思っていたのですが、まさに掛け合いだけで面白いパターンでした。
@user-hf1vn4cc9n
2 жыл бұрын
第一言語が絵だからなのか、「抽象概念の理解スピード」がいままで見たことないくらいに高くてびっくりした。堀本さんとか水野さんもそこで戦ってるはずなのに、ちょっと圧倒的すぎるでしょこの人
@ケントマン
2 жыл бұрын
伏線回収で答えに辿り着くのはカタルシスがあって良いですが、 考えたこともない疑問を提示して、確かになんでなんだろうって一緒に考えさせられるのも面白い。 果たしてコメント欄に答えを持つ人が現れるのか。答えがなくてコメント欄が議論の戦場と化すのか。
@rivieramente
2 жыл бұрын
あるいは自説に固執する人が出てきちゃいそうですね それもまた学問、、ひいては人生
@chon066
2 жыл бұрын
課題提起とても興味深かったです。 歌を歌詞を先に書く人と、曲を先に書く人がいるように認知したものを何を中心に処理しているのかが人によって異なることを突き詰めていくと答えにたどりつけそうだなと聞いていて思いました。
@せのん-v4x
2 жыл бұрын
声と話し方が、心地よい方ですね。
@JackieMatthews610318
2 жыл бұрын
10:45「時代と共に垢が」の下り、最高‼️😆👍💖 『風姿花伝』思い出した。(ここ45年ぐらいの間に3回ほど読んでいる)…崇高な芸術論かと思いきや、意外と下世話な「ライバルに勝つためには」の手練手管の話だったりする部分も含んでいたりする。
@JackieMatthews610318
2 жыл бұрын
最後まで視聴しての感想は「続くかどうかはともかく、この試みを尊重してやってみてほしい」でした!
@mns_u
2 жыл бұрын
具体的な知識や答えを教えるような動画って多いけれど、美学という抽象的で答えがないテーマは新しい切り口で、かつ頭を使うのでこちらが一緒に考えられて面白かったです!
@user-hu3vi3sl6p
2 жыл бұрын
やばい、、おもしろすぎる ゆる美学ラジオもっとみたい
@kotokoto8362
2 жыл бұрын
既存の研究を話すのでなく、みんなで考え作るスタイルは新しいですね。 議論や研究に近いのかも。 論考・論文も書ける?!
@mobuo4006
2 жыл бұрын
並の聞き手なら言及しないまでもナターシャさんのルックスに影響されそうだけど、いつも通りやってるあたりに堀元さんの知性を感じる。 ナターシャさんの喋りも、うますぎてまた聴きたい!
@koniro1234
2 жыл бұрын
洞窟の絵の話おもしろいですね! 絵を描くことは現代ではクリエイティブですが、古代では本能的でフィジカルな動機があって絵を描くのでは?という感じだったと思います。 手形は手をビターン!と壁に貼り付けて描くけど、出来た手形は止まっている。動的な手の動きから静的な手形、そのギャップがおもしろかったのかもしれません。知らんけど。だとしたらキャッキャ言いながら手形描いてる古代人かわいすぎる。
@user-byakko
2 жыл бұрын
34:43 別館の最初の動画、ここの名言が美しいのと同時に、儚さを何処か感じたから記念に。
@84uma85
2 жыл бұрын
マスオさんが"えー"っていう時つま先が上向いてた気がする
@あきあきあきた-p4g
2 жыл бұрын
まだ人間の手が前足だった頃を想像すると、原初の外在化って、もしかしたら足跡に近いものなんじゃないだろうか。砂浜に足跡を残すだとか、雪原に足跡つけて遊ぶみたいな。他者の足跡を上から踏んで上書きする、マーキングのような感情表現があるのなら、そこに外在化っぽさを感じます。他人の書いたものに上からバツをつけるような、あるいは上からグシャグシャに塗りつぶすような、そんな衝動が原点なんじゃないかな~と想像しました。
@yama51aqua
2 жыл бұрын
「納得できない」ということの論拠としている経験が、むしろ言語と絵が相関することのひとつの例みたいになってる気がする
@gcyn
2 жыл бұрын
こんにちは。 堀元さんとの記録やメモをめぐるやり取りに、ナターシャさんの魅力が出ていました。 今回はナターシャさんが幽霊になったり武将になったりするところまでは拝見できませんでしたから、ぜひまた別の機会を待ちたいです。 とても楽しみました。
@hrkknt922
8 ай бұрын
その昔ナターシャさんと同じ専攻に6年いましたが私は絵が上手くなくて、美術ではアウトサイダーでした。 ただアプローチしてる領域は近くて切り口は真逆でした。美術、美学は正面から向き合った時、なにかしらの解や証明を見出そうとした時、深度が見出せないので、切り口は変えないといけないと思ってました。 原生、内部観測論について、存在論的な切り口で、意識、私、理解、発見=発明、進化を考えて限られた知識と思考力で圏論に行き着いて、当時京大行ってた幼馴染みと会った時なぜか近しい切り口を見つめていたことを思い出しました。 絵を描く時、描かれたもの以上の何かを見出そうとして描くのか、描かれたものはそれ以上でも以下でもないと捉えるか、で、その境界をより探り入れるともう少し見えてきそうな何かがある気がします。
@dappi6967
2 жыл бұрын
逸材だわ…
@大島巖
2 жыл бұрын
内容が濃く、深く、広がりがあり、人類の知の原点に触れられそうで、二度見してしまいました。ぜひ、続けてほしい。
@ルーフェイ
2 жыл бұрын
疑問を大量に生み出されて、それを「確かにどうなんだろう…、俺たち全然わかんねーや、すげぇ!」ってなるのは、面白い体験なので、めっちゃ楽しそうです!
@かんな-j3e
2 жыл бұрын
ナターシャさんの豪快な笑い声に好感が持てる。
@fermion1103
2 жыл бұрын
33:26 認知が違うというより、インプットは正常なものの、インプットからアウトプット時の手の動きまでのどこかのプロセスがバグっているという場合が多い気がします(絵が下手な人は大抵下手であることは認識しているのでインプットは正常だと思われる) ただ足が6本みたいなパターンについてはどう考えたらいいかはちょっとわかりませんね
@しふ-t2p
2 жыл бұрын
美学が学問かどうか、もっと深く話してほしいなぁ。多くの選考動画の中で個人的に一番興味あるジャンルなので応援してます!
@masin2505
2 жыл бұрын
「ヒトはなぜ情報を外在化するのか?」という問いに「面白いことが言えるようになるから」とか言い出して「なんてポンコツな聞き手なんだ」とビックリするやら「堀元さん疲れてるのかな?」と心配になるやらハラハラした動画でしたけど、人間の認知機能的なアプローチから情報の外在化を探求するなら脳科学の分野との共同研究が必要かなと思いますし、哲学=真・善・美の学問とも言われるので哲学的に「美しいとは何か?」を求めるのも王道かとも思いますし、象形文字などまさに絵と言語の結節でもあって、言語があって絵が生まれるなら言葉に当てはまる絵が文字になり、言葉で表せないイメージが絵画になるのかな?などいろいろ思考できて楽しかったです。 ナターシャさんの美しさも語りたいところですがそれは今後の楽しみに。もし堀元さんが審査で落とすようなことをしたらチャンネル登録解除して堀元さんの著書を破り捨てます。
@t00zawa
2 жыл бұрын
言語で思考しないと言う話だと、囲碁の棋士は手を読む時に言語で思考しておらず、指導碁などのコミュニケーションするときに言語化できなくて困るケースがあるという記事を読みました 確かAlpha GOが出てきたときだったかな…… 言語で思考しない人というのは分野を越えるといるものなのかも?と思いました
@yuri-ei2wf
2 жыл бұрын
しゃべり方、話のテーマ、問題提起ひっくるめてとても興味をそそりました!! 不思議と引き込まれるものがありました 是非今後もいろいろ聞きたいです!!
@今シーズンプレミア取りますリバプール
2 жыл бұрын
凄く相手を選びそうだけど、興味深い内容。 組み立ても肝が座ってますし、堀元さんと雑談をここでするってなかなか考えつかないわ。
@天秤-z6g
2 жыл бұрын
Mr.ホリモトがすっげえ机の橋にいるのが気になる そういう美学ですか?
@applejack0094
2 жыл бұрын
絵を描くこととか情報の外在化って、「忘れること」が勿体ないからするのかなって気がする。現代人なら、理性的な判断でメモを取ったりするけど、本能的に忘れることの恐怖みたいなのってある気がする。
@maikokinoshita9014
2 жыл бұрын
めちゃくちゃ面白かったです!学問としてないから詳しく知るには骨が折れる、だからこのチャンネルでもっと聞きたいなって思いました🥹
@YK-jn3gd
2 жыл бұрын
素直に この人の話をもっと聞きたいと思ったのは水野さん以来です
@kyoumo_oishi2
11 ай бұрын
聞いていて考えたのですが、言語自体それひとつの一瞬の姿を切り取ったものではなく抽象化されている。(名前でさえ抽象的な意味を持っている) また話から絵を描くときも抽象的なものを再現して描いている(馬の足は四本だなぁなど、光の当たり方)(逆に言えば6本の人は時間の流れなどを通してみると馬の脚が6本のようにかんじるのかも??脳内の表現に至っていないと思うので??だけど…) 他に、絵を描くために、眼の前の現象や自分の持ちうる記憶を理解=脳に入れ記述する(ものの形質を覚え込む、構成するために感情や状態、物体、現象を覚え込む) で、どちらも連続した記憶の蓄積を概念に戻し、それをもう一度記述しているため、(実際の現象を脳で処理し、記号化して出力する) なにかインプットしたときの反応として絵を描くときと言語の動きはどちらもいっしょ?なのか…? ただ言語の方が音・リズムが保存できないものである以上、拠り所がないものになりがち?言語を意味としてより強く扱う場合、記すが、意味で意味を補うという……不確実性がある気がする また言語を大切に思うとそれ以外の感覚を呼び覚ますことになり、より抽象度高く感じる 絵は視界情報が拠り所となるため、言語に比べて時の流れによる不安定さはないが、近代美術の流れは 絵(色、テクスチャ、造形)+言語 絵に言語の抽象性をのせたものなのかな? また、「絵を描くときに言語が必要」について、 抽象化する際に、画像や動きをそのまま記憶することが出来ない場合、(脳のメモリが足りないため) 言語化(ラベル化)することで脳のメモリを減らしつつ出力が可能になるはず。 脳の眠ってるところから情報を引き出す際、言語が使える人なら言語のほうが脳のキャパを使わず情報を探すことができるはず。(パソコンでも画像の方がギガ食っちゃうし…) 言語力 50 映像処理力 50 の方が、(数値はもののたとえ) 言語力+映像処理力= で 総合力100 にして絵を描いているのかな?と思いました)
@pachikobaka
2 жыл бұрын
見た目に反して笑い方が豪快で、そこに好感を覚えます。
@西野-t6t
2 жыл бұрын
こんなアカデミックなチャンネルでも結局顔面が視聴回数の重要な変数になってんのは草
@bigfoot9548
2 жыл бұрын
この企画、堀元さんの聞き手としての能力がすごすぎる!ってなる動画ばかりだったけど、はじめて堀元さん以外の相方の方が良さそう、と思うパターンに出会ったなあ。 藝大の院生までやって内的世界を極限まで見つめ続けてきた彼女と話すには堀元さんは少々即物的すぎる(笑)
@entropical1725
2 жыл бұрын
根本的なところが知りたい派なので、とても興味あります!もっと聞いてみたい〜!
@darukun5517
2 жыл бұрын
創造性の創発がどこからきたのかって、結構気になってた時期があったので このコンテンツ続いてほしいっす。
@atsushigrizlupo8479
2 жыл бұрын
話し方もうまいし、引き出し多そうだから聞き役にも向いてそう
@博幸町田
2 жыл бұрын
次が楽しみです!
@kamodomon0913
2 жыл бұрын
学校では答えのある問題ばかりを解いてきているので、答えのない問題は面白いですね。 多くの人が考えれば色々な視点で見ることが出来るので楽しいと思います。
@hiruyume-yaoki
2 жыл бұрын
数件にわたるめっちゃ長いコメント失礼します 33:40 確かに馬を書いて、と言われたその言語が指す「馬」と描く人が認知して思い浮かべる「馬」が違くないと起こりえないように思える。馬の足の本数を4と答える人が6本足を描描くことはないと仮定すると、全体像をよく覚えていないし馬の足の数とか知らんし手は思った様に動かんし、という感じかもしれない。 6本足の馬の絵を描き上げた後に「馬って足何本?」と聞いて「4本」と返って来たならば、絵を描くと言うのは芸術であり、理論的とは反対側の事で、誤解なのだがつまり「思考しないで行うもの」「感性と雰囲気で描く」と捉えているのかもしれない。描いたものを随時評価することを行わずに、理論的に「4本だ」と言う思考を、意図的に止めているのかもしれない。 考えるラジオというのは、知ることよりは経験的な快楽を受けとりづらい方針のラジオになるかもしれない、本当に深くなり始めると新しい事象は無くなって、ひたすら思考して見えた結果の事実とすでに分かっていることをわざわざ思考してくっつけたり色々していかないといけない。それが楽しいことだと経験的に学習していないと、面倒かもしれない。でも、このラジオの入りは一般には新事実である能の話やチンパンジーの話でインスタントな知識欲を満たしつつ、そこから考察できることとしてまたさらに新たな事柄を提示してくれた。 これを面白いと思ったならば、自分の感じたもの、考えたこと、経験や記憶を踏まえた表現物が「面白い」と言われる可能性を示してくれていることになる。 前半のやりたいことについての語り、話題の途中が成長してまた別の話になっていたりしたのに、再びその途中の場所に同じ言葉で帰って来れるのは、表すまたは伝えるということにおいて相当な、情熱を基にする思考する経験をしているのかなと思って凄いと思う。 言語がないと絵が描けないかどうかの話についても、直感的には確かに関連がなさそうであるが、多くの人類は幼少の頃に言語による「食べ物が欲しい」などの欲求の表現とともに、食べ物の外見を覚える。言語による表現と外見の記憶の順序はともかく、見た目と言語にはかなり若い、小さいころからのマッチがある。また情報を整理するのを楽にするため、事物の特徴を抽象的に抽出しそれに即している場合同じ名前で呼ぶことになる。すると社会生活上、「あ、鳥が」「後ろ!」などかは分からないが、ともかく何か物を見た時にかなり素早く言語にして伝える、共有することが必要な場面があるので、何か視界に入ったり、想起したりすると言語が浮かぶ事態になるだろう。 「常識内の絵」、つまり特定の名称ある存在を描くにはそれを思い浮かべることになるから、その時点で多くの人には脳内に言語が発生しうると思う。もしくは書きあがったならば認識することになり、またその時も言語が沸き上がりうる。 また、抽象画はよく知らないが、地球上の物体に描く以上は上下左右あるわけで、こっちそっち奥手前などを含めると言葉を介すことは多いと思う。 絵描きではないので是非不明だが、言葉にすることで脳内の関連するイメージを引き出してさらに強くイメージする手助けにもなると思う。シャッと言うか思えば、レースカーテンを閉める様な、木の上を定規が滑るような、畳をホウキの先が滑る様な、おおよそ直線的で素早く、何かが触れ合い擦れつつ動く場面が私は思い浮かぶ。 するとこれから紙に引こうとする線とそれに必要な手や体の動きが予測または理解しやすくなるのではないかと思う。 場面や画像、視界や想像の物々たちを、全くそのまま絵面として線一本ほどもずれることなく記憶するのは、難しいと感じる。 そこで、この視点からのこの色の傘、鈍色でこうムラ付いた空、ここがひょろり、こっちがビャッとした雲、と分けてしまえば、位置を覚えておいて、傘、空、雲の発音を忘れない限り境界の線があいまいになることはないし、傘の形が歪むこともない。傘、と思えば脳内に大体の形をした立体図が現れ、構図に合わせて回せばよいからだ。 ただ、絵が第一言語となれば話は違う。幼少の頃からあらゆる形は形のままであり。欲しがり、伝えるにはその形を音やそれに関する印象など関係なく正確に思い起こし、手でなぞる必要がある。つまり、通常得られる、共通する特徴(周りに共有可能な物々の概念)の、抽出や想起に役立つ「言語」や、別の脳の部位にも記憶される言語の音の印象による想起をなしに、ただ視界を紙に再現するほかない。言葉で行う「やってみる→伝わらない→考えてからやり直す」という訂正と覚えなおしの学習より、はるかに間違えた時の罰(手間、欲しいものが得られない時間)が大きくて、間違いに対する修正しようとする思考は、言語話者のそれよりずっと切実だと思う。 こうして育ったならば、脳内の具体的な物々の想像は、色姿形は、補強する必要もないほど強靭なものになると思う。描いているすがたは獣のようだ、と言うのは言語を介さないと言う点でも比喩らしさがあって、おそらく常人とは比べ物にならないほど沢山脳を使っているので、客観を忘れ、余裕のない脳に指令される身体の動きは理性的に見えないのかもしれない。 脳の使用率にかかわらず、そういう体の動きこそが自身の想像の手助けになっているのかもしれない。 ネアンデルタール人はそういう超高解像度の現実や複雑な空間を想像することに耐えうる脳がなく、かつそれを補助する言語を操る脳も無かった。ホモサピエンスになったらば言語野が発達して現実を低解像度(共通の特徴や概形を共通の音にした形式)で覚え、書き出せるようになった、という差かもしれない。 ただ単純にネアンデルタール人は壁画を消す習性があったのかもしれない。
@hiruyume-yaoki
2 жыл бұрын
ヒトはなぜ情報を外在化するのかについては、本能とホルモンの影響から泣いてミルクを欲したり、言葉で晩御飯に好きなものを欲したり、少なくとも欲求に関しては伝えることにより利があると言うことは経験的に学習していると思う。 また、コミュニケーションの間で相手の感情や今思っていることなどを知りたいという欲求を伝える経験をし、相手からも感情や思想を求められる経験をすると、おそらくは相手に自ら自身の感情や思想を伝えるとちいさな社会において上手くいくと言うことが読み取れる。ここに報酬のフィードバックがある。 しかしするなと言われたことをしてしまって、それを言ったら怒られて恐怖するので、それは言わないことにする。こっちには負のフィードバック。黙秘し、それがうまく行かなければ嘘の始まりである。 幼少よりのこういうことから少なくとも、情報を伝えた後を考えて利があるなら伝える、ということはするはずである。 メモ帳などの一人言ならぬ一人文に関しては、忘れるとマズかった経験や、覚えていて得した経験、メモする姿の自己評価から来ていると思う。 幼児のお絵描きに関しては、ただ色の棒を持って擦ると色が線になって付く経験が新鮮で脳に刺激があって面白い、部屋の壁に描くと普段とは違う感じが面白い、ものをみると楽しかったことを思い出すことを学んでいて、楽しかったことを描き残す、壁に描いて怒られても紙に描いてうまくいくと褒められる、褒められなくても色の刺激は楽しい。 幼少のころ、鉛筆や筆と墨、黒クレヨンのみで遊ぶという印象はない。 おそらく、見る事しかなかった色たちが自分の思うように現れるのが楽しいと感じるのだと思う。 楽しい妄想が絵などの形になるのは楽しいと思う。これは描いておけば何度でも楽しい妄想を思い出せるし、そこからさらに楽しい物語を作れるからだ。これを描かないでいると、現実に生きるための情報や記憶の仕組みとしての忘れることに楽しい妄想が押し流される。描き得であると思う。 ただ、絵を描くこと、ひいては現実の形を紙の上に再現し認識することは難しいので、上手く行かないこともあるだろう。しかし、心理学では反動形成というものが知られており、上手くいかないストレスを普通思う方向とは逆の行動に移すことがある。つまり、こんなものやめてやる、となるところを経験上かなんなのか、もう一回だ、となることがある。 ここで放棄したなら私みたく絵とは無縁になるのだろうが、もう一回、もう一回となればまぁ上手くなる、すると自己満足できる、楽しい。 要は、線を引く感覚や色の刺激が最初で、色が同じか似てると思い現実のものを描いてみて、描けなくてももう一回やって、描けて、伝わって、それが自分の思い通りであるというのが、楽しい。上手く行かなかった所から上手く行くようになるのが、楽しい。しようとして、出来ないと、捨てられると言う因果の認識はおそらく子供にもあるだろう。壊れた道具やおもちゃがそうであるように、自分の思考が否定されたり、予想が当たらなかったりして役割を果たせていないと、無価値なのではと予測できるのではないか。思い通りにいった、それが上手く行ったならば、自信の思考や予測、経験に価値があることの証明であり、捨てられず愛されることへの確信なのではないか。 おそらく、ヒトがなぜ情報を外在化するのかというのは、思い通りにするのが楽しいからである。 何かをしたい、と思ったとき、ヒーローになり空を飛びたい、良い大人になりたい、ピアノを弾きたい、どこか行きたい、と言ったものは実現までに段階が必要だったり不可能だったりする。 そこの物を動かしたい、あの人に好かれたい、今部屋に入って来てほしくない、こういうものもそう思い通りにならない。かといって、この右手をあげたい、ジャンプしたい、というのは、結果出来ることが最初から分かり切っていて、つまらない。 これを描きたい、これを言いたい、こういうことを書きたい、そういった情報の外在化は、普段からやっている事であり実現可能で、比較的スムーズに行えて、いくらか思い通りになりやすい。それは楽しい。しかし完全に想像通りにはならない。ただ反動形成が起きれば練習を重ねることになり、上達する、すると楽しい。そのうち、上手く行かない事ごと楽しくなる。 そもそもよく思考した結果だったり、よく学習しよく表現された文、反動形成だろうが報酬だろうが積み重なった練習からくる常人には出来ない技、そういうものは社会全体において、学校という小さな社会においても評価される。特異性や希少性とともに。 であるから、単純に筋肉の運動刺激や視覚の刺激の楽しさだったものに、経験則や賞賛、また思い通りになる楽しさ(これは他の事が思い通りにならないつまらなさにも後押しされる)から継続、芸術に発展すると思われる。 日記をつける行為など芸術とまで行かない在外化なら、そういうことをするちゃんとした人になりたいとか、今日もまた昨日の予想通りに書けたのだから私の思考や予想は無価値でないとか、今日を振り返るのが楽しいとかだと思う。 この思考や経験から来るn=1が、私の100%が何の役割も果たせずスルーされることが無いことを祈る。 私欲ですが。 とても長く乱れた読みづらい文、失礼しました。
@Ry0hei
2 жыл бұрын
素朴な疑問というか意見として。 「日本語と英語のバイリンガルで言葉が習得できないから、絵がまず先にくる」 という経験からの疑問提起だと思います。 それはそれで「言語的なもの」を必要としつつも、しかし言語そのものをすぐには習得できなかった結果、「絵画による表現」という言語を習得したのだと考えられないでしょうか。 それはそれで「言語」が第一に来ているのではないだろうか。
@そちら-t9n
2 жыл бұрын
だからこそ言語発達が遅いネアンデルタール人は絵を描かなかった。また習得できなかったからネタとして母語が絵だと言っているのではないでしょうか?
@sempojp
2 жыл бұрын
@@そちら-t9n スペインのラ・パシエガ洞窟、マルトラビエソ洞窟、アルダレス洞窟で画が見つかっているからな~。
@toad02
2 жыл бұрын
「言葉」=音声言語(言語学で扱う言語) 「言語的なもの」=造形言語を音声言語の代替とするコード(言語学の範疇外の言語) ということではないかと思います。 「言語」という単語は広い意味範囲を持っていますが、一般的に、言語学の範疇か、それ以外かを区別せず使っているために少し混乱あるように思います。
@Chiara-s8o
2 жыл бұрын
「ケーキを切れない非行少年たち」という本がありますが、左脳、右脳、あるいは脳全体の発達と絵画表現能力は連動している気がします。「表現したがる」という部分については人間以外の生物でもそうなので、本能×能力で絵を描くのだと想像しますが、「美しい」絵の認識については、より高度な社会的認知を感じます。
@anise-cinnamon
2 жыл бұрын
美学って哲学の中の一大ジャンルだったと思いますがここまで来てる人がそれを知らないとも思えませんしどういうつもりで言ったんでしょ
@muto6109
2 жыл бұрын
この方は独自の問いがあるので、パーソナリティ向きな気がする。 深井龍之介氏の「a scope」みたいに脳科学やってる人や文化人類学やってる人と話してほしい。
@防腐剤無添加-t7p
2 жыл бұрын
ミスターホリモトが頑張ってムッツリしてるのすき
@moimoi12-u2n
2 жыл бұрын
ミスターオスモト
@hide2s
2 жыл бұрын
@@moimoi12-u2n 好き
@rolllife1
2 жыл бұрын
セクハラ発言自重して下さい
@太郎八木節
2 жыл бұрын
パトロールマンいて草
@uuaaauau
3 ай бұрын
@@太郎八木節ホモソーシャルの悪いとこ出てるよ
@奥村紳介
2 жыл бұрын
道具の発達と言語の発達は、概念の具現化、物の抽象化という面で、お互いに影響しあっていた、と思います。 コミュニケーションの道具としての「絵」には言語的な抽象化の能力が求められるのは、必然の様な気がします。 一方で、内的な衝動の発露としての絵画には、必ずしも言語は必要ないかもしれません。 「絵画」と「文字」の境界には、言語が関わっているのかもしれませんね。
@acmeimei
2 жыл бұрын
抽象的な問題は大好きです。次回も楽しみにしています。
@トウ-b1d
2 жыл бұрын
美女と野獣だし美女で野獣っていうややこしい構造
@慎重強
2 жыл бұрын
笑い方凄い好き
@おてもと-e4l
Жыл бұрын
この人面白い!なんとか続きを見たい!
@ruuuun4816
2 жыл бұрын
同じ物を見て絵を描いても人によって違うものが出来上がってしまうから、人によって見え方が違ったりするのかな〜とワクワクしました
@webisuvip
2 жыл бұрын
絵を描くには情報整理は必須で、まず、対象物に対する認識(色や形状、構造、キャラクターになれば設定や性格、その時の感情)次に周辺の情報(光源、背景、その他諸々)、そして対象物と周辺の関係性、これらを絵の中に情報として込めて行けば込めていくほどに絵としての解像度は高くなるけれども、複雑なものになっていく。 漫画絵(手塚治虫式)は純粋な記号の集合として描かれているけれど、これはストーリーを動かすために必要な情報だけを集積したものとしてキャラクターを描いているから。 Natashaさんはおそらく、情報を言語化せずにそのまま情報を絵に落とし込むことができているのでは。つまり、そのまま文字通りの意味で絵が第一言語になっているのではないでしょうか
@sempojp
2 жыл бұрын
記憶容量によるんじゃないかな。手塚さんはディズニーからストーリーを学んだからね~。博士課程の顕微鏡や幼少期の虫の描写を見ると、二次元的な映像処理の方が得意に思えます。 抽象画になると、光源、背景、その他諸々も変わってくるしね・・・。
@ATI_PC
2 жыл бұрын
>第一言語=美 聴覚障害者を兄弟姉妹に持つ子は最初に覚えるのが手話になるため、喋り言葉が遅くなる傾向があるみたいな話は聞いたことがあります。メモリーが割かれる為か? その他 kzbin.info/www/bejne/o3eVnYNurKmfi7c >#森山未來 #アート #中野信子 【MEET YOUR ART FESTIVAL SPECIAL】脳科学者 中野信子× 森山未來『アートと脳の関係とは?!』
@Shushupu_Love
2 жыл бұрын
美学という体系になっていない分野と、簡単に答えを提示しないスタイルが一貫していてとてもいいと思います。
@いぬ-h5y
2 жыл бұрын
人が情報を外在化させるのは、次のことをする為のワーキングメモリ容量を空けるためではないかと思いました。
@okaeri1028
2 жыл бұрын
美学の話も然る事ながら、なによりナターシャさんが美しくてファンになりました!
@tamarind_kingdom
2 жыл бұрын
自分が起点なのめちゃくちゃ面白い。言語タイプの人でも何か理解できるようにぜひ言語化してほしい(もしくは、絵画タイプになる方法見つけてほしい)
@RSD7584
2 жыл бұрын
宮崎駿は未来少年コナンの中で足指で感情表現してた気がする。
@クウガ-p9n
2 жыл бұрын
すげーーーー興味深い人だな……
@tanatoshi2
2 жыл бұрын
絵と関係あるかはわかりませんが、私は小学低学年まで言語を使用して思考をしていなかった記憶があります。 言語が扱えなかったかと言えばそうではなく、保育所のときから少年ジャンプを端から読みまくっていたので、国語の能力はクラスの中では高い方だったと思います。 また、絵をかけないということもなかったと思います。 あるとき、確か漫画を読んでいたときに、もしかして周りの人間は言語を使用して思考しているのではないかと気づき(それまで漫画の思考の吹き出しはあくまで実用上の表現として捉えていました)、言語で頑張って思考するようになりました。 なぜ、頑張る必要があるかというと、言語を使用した思考は時間がかかるためです。 スポーツをやっているときにいちいち言語を介して思考しないように、概念やイメージで直接思考するほうが遥かに高速で処理できたからです。 言語というものは便利ではあるけれでも、制限もまた持っているものだと思います。
@やすお-p2s
2 жыл бұрын
私も同じで、今でも言語を介さないほうが思考がスムーズに動くし、飛躍していい考えが浮かびます 逆に頭が働かないときなんかには言葉にして考えると少しずつ動いていく気がします しかし、最近こんなふうに自分の思考をきちんと言語化することが増えてから、書くことによって新たにもたらされるものも多いと感じています
@平井仁子
2 жыл бұрын
Natashaさんの生い立ちももっと聴きたいです!お話の内容もとても興味深かったです。そしてなにより、Natashaさんがお美しい♪
@八代明日華
2 жыл бұрын
駆け出しイラストレーターなので、自分の絵が上手くいかないときが多々あるのですが、そういうときは言語化が上手くいってないかも……という気付きが得られました。 絵が言語から派生したというより、「絵も言語の一部」なのかも? 日本語は得意だけど英語は死ぬほど苦手、みたいな人がいるように、同じ領域のリソースを分け合ってるから、言語は得意だけど絵は苦手な人がいたり、逆に両方得意な人がいたりするのかな、なんて。
@moncafesp7431
2 жыл бұрын
話し手としても大変うまいですが、お喋りのテンポや丁寧さで聞き手としてもイケるのではと思います。
@大島巖
2 жыл бұрын
言語学、哲学、文学、文化人類学、宗教学、科学(認知、脳など)等々に通底しているテーマ、それらとのコラボは最高に面白いだろうな。MCが大変そうだが・・・。先ずは堀本/水野の言語学ラジオでのコラボを聞きたい、視聴したい。
@norirumi8644
2 жыл бұрын
「第一言語は絵です」のあたりは視覚と触覚と発話の話かなと思ったんですが、聴覚と嗅覚に絡めて「第一言語は調理です」みたいな人とか居たら面白そうですよね
@まくぽっち
2 жыл бұрын
完全に感性ではなく理窟で生きていた人間として、このような思想は予想を超えて衝撃だった
@奥村紳介
2 жыл бұрын
相手方を水野さんで、一度やってみて欲しいですね。
@ikeda461
2 жыл бұрын
心理学で、つまさきの方向で相手の話に興味があるかないか分かりますよね。 表情とは、違いますが……
@shomwoys
2 жыл бұрын
美をつきつめると「数」に真理を見たダヴィンチやピタゴラスのようになりそう(後世のこじつけみも感じますが) 概念へのラベリングを外在化する衝動が、概念の共有化すなわちコミュニティの形成を加速し、種としての生存確率を上げ、結果として言語の発生に繋がったのかなぁとか妄想。
34:16
印鑑は紙のない時代にどう使われていた?印鑑を好きになる話【ゆる書道学ラジオ】
ゆる学徒カフェ
Рет қаралды 46 М.
40:56
人は「右にあるもの」を好きになりやすい【ゆる心理学実験学ラジオ】
ゆる学徒カフェ
Рет қаралды 47 М.
00:39
The evil clown plays a prank on the angel
超人夫妇
Рет қаралды 53 МЛН
22:45
Beat Ronaldo, Win $1,000,000
MrBeast
Рет қаралды 158 МЛН
00:29
coco在求救? #小丑 #天使 #shorts
好人小丑
Рет қаралды 120 МЛН
00:27
Đang ngồi chơi bỗng dưng bể cá vỡ kính, may có CCTV chứng minh sự trong sạch cho cô bé
Tiin_vn - Viettel Media
Рет қаралды 28 МЛН
15:31
「人間の主体性」はどこに?お金のない世界で再評価される「価値の尺度」とは【Exclusive】
NewsPicks /ニューズピックス
Рет қаралды 25 М.
4:00
Song From A Secret Garden チェロ発表会本番 2024 6.22・66歳からのチェロ5年8ヶ月
ヤッシーチェロ
Рет қаралды 1,2 М.
37:43
美しい道路の特徴は「運転者の気持ちになっていること」【ゆる土木計画学ラジオ】
ゆる学徒カフェ
Рет қаралды 48 М.
ニューイヤーイベント最終日で神ポケモンをゲットするポケスリ睡眠リサーチ配信【ポケモンスリープ】【Pokémon Sleep】
だいふくチャンネル
Рет қаралды 773
21:51
【初心者向け】今よりお金持ちになりたい人が2025年中に達成すべき目標3選【お金の勉強】:(アニメ動画)第495回
両学長 リベラルアーツ大学
Рет қаралды 382 М.
34:58
1メガのファイルをダウンロードして怒鳴られる時代。昔のネットが貧困すぎる【ゆる電脳史学ラジオ】
ゆる学徒カフェ
Рет қаралды 33 М.
21:52
【2024.12.28】柴田まさえ 知っ得!【航空管制官】
Voiceつむぎ
Рет қаралды 53
9:08
【再現】お試しで付き合ったけど甘え方が無理で別れた女の心理
佐藤ミケーラ倭子
Рет қаралды 9 М.
00:39
The evil clown plays a prank on the angel
超人夫妇
Рет қаралды 53 МЛН