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2024年4月7日
■主日礼拝
■「人が捜し求めるべきところ」ルカ24:1~8
■メッセンジャー:佐藤誠師
■武蔵野キリスト教会 www.mccag.jp
《メッセージ要約》
「人が捜し求めるべきところ」
「あなたがたは、どうして生きている方を死人の中に捜すのですか。ここにはおられません。よみがえられたのです。まだガリラヤにおられたころ、主がお話しになったことを思い出しなさい。人の子は必ず罪人たちの手に引き渡され、十字架につけられ、三日目によみがえると言われたでしょう。」 ルカ24:1~8
1. 途方に暮れている中で明らかに
週のはじめの朝早く、墓に出かけた女たちはイエスがおられないことに気付き、途方にくれました。
イエスが復活された日、人が捜し求めるべきところが変わりました。捜し求めるべきお方が明らかにされたのです。
もう、手で作ったもの、死んだものの中を捜す必要はありません。
途方に暮れているあなたを救うのは、今も生きておられるイエス・キリストです。
2. 主のお話し通りだと気付くこと
イエスを捜し見いだすということは、自分に対してイエスがお話しくださったのだと気付くことです。
途方に暮れていた彼女たちでしたが、まるでパズルのピースがはまったように、イエスのことばを思い出し、平安と喜びを得ました。(マタイ17:22~23)
私たちも復活の主と出会い、主が自分にお話しになったことを知ることができます。
そして、「主のおことば通りだ」という事を経験させていただきましょう。
3. 人が捜すべきところ
「…あなたがたに言います。求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見出します。たたきなさい。そうすれば開かれます。」ルカ11:9
人は、求めなければいけません。捜さなければいけません。たたき続けなければいけません。それが、生きている証しです。
そのために、主イエスは罪人たちの手に引き渡され、十字架につけられ、三日目によみがえられました。
そして、すべての人がいつどんなときでも、捜せば見つかる、たたけば開けてもらえる福音を与えてくださったのです。
捜すべきところは、イエス・キリストのうちにあります。
◆わたしの気付き(適応、決心、感謝など)