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神社仏閣巡り「寺社参詣シリーズ」第72回は、兵庫県下第二の都市、姫路市の、市街地北側に聳える標高259mの増位山山頂北西の山中にある、天台宗寺院 増位山随願寺です。
寺伝によると飛鳥時代に聖徳太子が高麗の僧・慧便に命じて作らせた「増位寺」が、随願寺の前身とされています。この頃は現在地とは違う場所にあったのですが、天平7(735)年に行基菩薩が諸国巡錫でこのを訪れた際、夢の中に薬師如来の化身が現れて、増位山に薬師如来を祀るように告げられたため、増位寺を現在の増位山山上に移し、行基自身が薬師如来像を作り安置したと伝えられています。
当初は法相宗の寺院でしたが、承和元(834)年、仁明天皇の勅命で天台宗に改宗、嘉承2(849)年に寺号を随願寺に改めました。
最盛期には僧坊36坊を擁する大寺院となり、播磨天台六山(書写山圓教寺(姫路市書写)、増位山随願寺(姫路市白国)、八徳山八葉寺(姫路市香寺町)、妙徳山神積寺(福崎町)、法華山一乗寺(加西市)、蓬莱山普光寺(加西市))に数えられ、宇多法皇、白河法皇、平清盛、源頼朝などからも庇護を受けましたが、天正元(1573)年、別所長治による兵火で焼失、仏像や寺宝、僧侶などは他へ避難しており、天正13(1585)年には、豊臣秀吉によって再興し多くの堂宇が再建、また江戸時代以降は歴代の姫路藩主から庇護を受け、特に榊原忠次は随願寺を榊原家の菩提寺として整備、本堂などの堂宇を造営しました。
増位山は現在、増位山自然公園として、西隣の広峯山とともにハイキングコースが整備されています。また、増位山という名前は、大相撲の大関増位山大志郎とその長男の増位山太志郎が四股名に用いました。ただ、山名は「ますいざん」ですが、「●●ざん」という四股名で出世した力士はあまりいない ということで、「ますいやま」と読ませた とのこと・・・
境内は、江戸時代に整備された堂宇が残っており、本堂、開山堂、経堂、鐘楼、榊原忠次墓所唐門、木造毘沙門天立像は、国の重要文化財に指定されています。また、本尊の木造薬師如来坐像は兵庫県の、開山堂の行基菩薩坐像は姫路市の、それぞれ有形文化財に指定されている、文化財の宝庫です。
普段は山間の静かなお寺 というイメージですが、毎年2月11日に行われる追儺会ならびに大護摩では、麓から多くの参拝客が訪れ賑わいます。
姫路市内最古のお寺、播磨天台六山、書写山圓教寺と並ぶ名刹 増位山随願寺の動画をご覧下さい。
撮影機材:GoPro HERO 8
【使用BGM】
「あの夏・・・」(甘茶の音楽工房)
amachamusic.ch...
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