Рет қаралды 1,852
神社仏閣巡り「寺社参詣シリーズ」第83回は、京都府中西部、京都市の隣にあって、京都駅から電車で20~30分程度の亀岡市にある、天台宗寺院 西国三十三所第21番札所 菩提山穴太寺です。
創建は古く、飛鳥時代末期の慶雲2(705)年、文武天皇の勅願で大伴古麻呂によって開かれました。
境内は何度か焼失しており、応仁の乱(応仁元(1467)年~文明9(1477)年)では伽藍の一部が、天正年間(1573~1593年)の明智光秀による丹波攻めでは伽藍の全てが、享保13(1728)の失火では本堂が、それぞれ焼失していますが、享保20(1735)年に再建され、現在に至っています。
穴太寺の本尊は薬師如来ですが、西国三十三所の札所本尊である聖観世音菩薩の方が有名です。この聖観世音菩薩は「身代わり観音」の伝説で知られています。この伝説は、『今昔物語集』や『扶桑略記』の説話で、丹波国桑田郡の郡司であった宇治宮成が、宮成の妻が信仰心が篤く、京都在住の仏師に聖観世音菩薩像ほ彫ってもらい、その褒美として、宮成が大切にしていた白馬を与えました。しかし宮成が、与えた白馬が惜しくなり、家来に命じてこの仏師を矢で射殺しました。後に確認すると、この仏師は健在で、しかも彫ってもらった聖観世音菩薩像の胸に矢が刺さり血が流れていたのを見て、何と罰当たりなことをしたのかと改心し、以降仏道を信仰するようになった とのことです。
この聖観世音菩薩像は、昭和43(1968)年に盗難に遭い、以降見つかっていません。現存する聖観世音菩薩像は、その後に摸刻されたもので、胸の傷もそのまま再現されているとのことです。基本的に秘仏ですが、33年に一度開帳されます。
なお、本来の本尊である薬師如来は完全秘仏で、今まで開帳されたことはないそうです。
境内は、それほど広いわけではありませんが、境内西側には本坊となる円応院があり、ここで受付をして本堂を拝観することができます。また円応院の庫裏・方丈の西側には護摩堂があります。
本堂を挟んで東側には、念仏堂や万体地蔵を祀る地蔵堂などがあり、念仏堂に接する納経所で納経受付・御朱印や御守りなどの授与を行っています。西国三十三所の札所であることから、巡礼の観光バスやジャンボタクシーがやってくると、納経所には長い列が出来ます。
穴太寺の周辺は田畑が広がりますが、すぐ北側には亀岡総合運動公園があり、周辺の風景は変わりつつあります。また、京都縦貫道亀岡ICからも、直線距離で1km程度と近く、有料ですが近隣に駐車場がありますので、自動車でのアクセスは良好です。また、兵庫県以西からだと新名神高速箕面とどろみICからも約20kmほどありますが、名神高速→京都縦貫道経由よりも近道です。
長閑な田園風景の中に佇む、丹波地方有数の古刹、西国三十三所第21番札所、菩提山穴太寺の動画をご覧下さい。
撮影機材:GoPro HERO 8
【使用BGM】
「Japanese Autumn」(甘茶の音楽工房)
amachamusic.ch...
【Webサイト】
西国三十三所巡礼の旅 第二十一番 菩提山穴太寺
saikoku33.gr.j...
#神社仏閣巡り#穴太寺#京都府亀岡市#お寺巡り#お寺ガイド#天台宗#西国三十三所#パワースポット#日本遺産