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神社仏閣巡り「寺社参詣シリーズ」第85回は、大阪平野の北部、淀川西岸で、京都と大阪の中間に位置する、大阪府茨木市にある、高野山真言宗寺院、西国三十三所第22番札所、補陀洛山 総持寺です。
創建は平安時代初期の元慶3(879)年頃に、四条流庖丁式の創始者である、中納言藤原山蔭卿によって開かれました。この創建には説話があり、山蔭の父・藤原高房が、漁師たちが捕まえていじめていた大亀を、「今日は観音様の縁日だから」という理由で買い取り、川へ逃がしてやりました。
その夜、山蔭は継母の計略で船から川へ落とされてしまいました。父・高房はこれを悲しみ、観音様に、せめて亡骸だけでも・・・ と祈ったところ、高房が助けて川へ逃がした大亀が、山蔭を甲羅に乗せて現れたといいます。
高房の没後、山蔭はこの報恩のために、観音像を作り祀ったのが、総持寺の起源 とされています。総持寺の伽藍が完成したのは、山蔭が没して三回忌となる寛平2(890)年のことでした。
山蔭は、前述のとおり「四条流庖丁式」の創始者として知られるほどの料理人で、この遺徳を讃えて、山蔭の命日である4月18日に、「山蔭流庖丁式」が、室町時代から続く古式に則って執り行われます。
総持寺は、天正年間(1573~1593年)に織田信長の兵火によって焼失し衰退しましたが、慶長8(1603)年、豊臣秀頼によって本堂が再建され、境内の復興が行われました。現存する堂宇は、全てこの時期以降に再建されたものです。
近年では自然災害の被害も受けており、平成7(1995)年の阪神・淡路大震災では、開山堂が被災したため、解体して再建。また平成30(2018)年には、大阪府北部地震で不動堂が被災して解体されました。不動堂は再建されておらず、不動堂の本尊である不動明王二童子像は、現在大師堂で合祀され、護摩供養も大師堂で行われています。
総持寺は、阪急京都線の総持寺駅から歩いて約5分の距離にあります。また、平成30(2018)年3月17日にJR京都線の摂津富田~茨木間に、JR総持寺駅が開業。こちらからも歩いて約5分の距離にあります。(いずれの駅も、普通電車のみ停車。)
大阪のベッドタウンの中にある、亀の恩返し伝説と料理人の寺、西国三十三所第22番札所、補陀洛山 総持寺の動画をご覧下さい。
撮影機材:GoPro HERO 8
【使用BGM】
「あの夏の憧れ」(甘茶の音楽工房)
amachamusic.ch...
【Webサイト】
総持寺公式Webサイト
sojiji.or.jp/
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