武田勝頼(諏方勝頼)の前半生~父・信玄のせいで生まれた時から波乱万丈~

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SENGOKU BANASHI【Mr.BUSHIDOU】

SENGOKU BANASHI【Mr.BUSHIDOU】

Күн бұрын

※※※※※※※※※※※※※※※※※※
【目次】
00:00 前置き
01:54 母・諏方頼重の娘
10:16 諏方四郎勝頼
19:07 織田信長の養女と結婚
24:08 義信事件
※※※※※※※※※※※※※※※※※※
■関連動画
『武田勝頼』【手のひら返し武将列伝】
• 『武田勝頼』風林火山禁止!?戦国最強武田氏を...
■参考文献
武田勝頼 (中世から近世へ)
amzn.to/42rxPh4
武田三代 信虎・信玄・勝頼の史実に迫る (PHP新書)
amzn.to/3LWTiJj
武田氏滅亡 (角川選書)
amzn.to/428zXKJ
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#どうする家康 #戦国時代 #歴史解説 #徳川家康 #織田信長 #武田信玄 #阿部寛 #武田勝頼 #眞栄田郷敦

Пікірлер: 109
@sengokubanashi
@sengokubanashi Жыл бұрын
※音量が小さくてすみません。改善心がけます。
@jubeifang
@jubeifang Жыл бұрын
大丈夫ですよ~視聴する側が音量を上げればいいですので
@yk842
@yk842 Жыл бұрын
Thank You
@parttimestaff-officer
@parttimestaff-officer Жыл бұрын
思いっきり名前間違ってますね。諏訪勝頼ですよ。
@higejobim
@higejobim Жыл бұрын
@@parttimestaff-officer 間違ってませんよ。古来の表記は「諏方」が正しいです。
@user-dk3qq1ut9x
@user-dk3qq1ut9x Жыл бұрын
勝頼の人生も波瀾万丈だったのですね ずっと冷遇されていたのに 急に跡継ぎと言われても本人も周りの家来も納得していない状況で勝てるはずがない、それでも戦さに挑んで戦った武田勝頼も歴史に翻弄された武士ですね
@umakara55
@umakara55 Жыл бұрын
信玄も父親を追放して家督を奪い取ったり、外交方針を何度も転換したりと無茶をやっていますが、それでも「勝てば官軍」ということで勝利を積み重ね、領土を広げることで家臣や領民を(力ずくで)従えさせてきた経緯があります。勝頼もそれに倣ったんでしょうね。というか後継者としての教育を十分に受けていなかったので、信玄路線(のざっくりとしたコピー)をやるしか選択肢が無かったのでしょう。
@toshichika720
@toshichika720 Жыл бұрын
武田信玄👍😍ドロドロしてるし武田勝頼もドロドロしてる身内の殺し合い🥶☠️👍
@nc6994
@nc6994 Жыл бұрын
武田勝頼公はもっと評価させるべきだと思います。毎年勝頼公が城主だった高遠城桜祭りに行きますし。個人的にとても魅力で好きな武将です。家康公の最大のライバルはやはり武田勝頼公ですね。長篠や外交にさえ間違えていなけば最強だったと思います
@fenglinhuoshan2007
@fenglinhuoshan2007 Жыл бұрын
最も好きな武将が勝頼公なので動画にしていただいて非常に嬉しいです。 本当に信玄のせいなんですよね…信勝が継ぐまでの役割ですからね、なんとも切な過ぎる…
@K46MEMBER_SIDE_LH
@K46MEMBER_SIDE_LH Жыл бұрын
勉強になります。
@cancan5892
@cancan5892 Жыл бұрын
勝頼も義信も、対信玄との関係で、かなりエモーショナルな経緯がありますよね。勝頼は、両親が敵味方の関係にありながら出生しているし、義信は妻の実家との敵対化によるはざまで苦しんでいます。いかにも、人間臭いドラマチックな成り行きですね。勝頼は期せずして武田当主となり、昔からの家臣団に支えられることもなく、自力で統率していかねばならなかったというハンディを抱えて、よくやったなあとの感を強く持ちます。武田氏は、信玄も実父を追放して自ら主君になっているし、戦国武将の中でも指折りの曲者感があります。だからこそ、ファンも多く一般人から見ると、惹かれるものがあるのかもしれませんが。
@user-kr8wx3jd3v
@user-kr8wx3jd3v Жыл бұрын
ここまで苦労して、ようやく「武田」になれた勝頼。それだけに勢いに一度乗ったら止めるわけにはいかず、長篠に突き進んだってことですかねぇ・・・味わい深い。
@user-lz8xn7yu7m
@user-lz8xn7yu7m Жыл бұрын
中井貴一さんの武田信玄を思い出します。諏訪御料人が南野陽子さんだったので御料人さんは綺麗な人だったのでしょうね。勝頼は信玄亡き後も上杉の御館の乱とかでも頑張ってたし結構戦にも出てますし、結果滅びましたけど頑張ってたと思います。
@user-et8lh8hj4q
@user-et8lh8hj4q Жыл бұрын
はぇ〜為になります
@isamu4994
@isamu4994 Ай бұрын
武勝頼が信長に滅ぼされたとき、当時16才だった勝頼嫡男の信勝は土屋山城守高久に伴われて落ちのび、武田家と同じ新羅三郎義光を祖とする上州羽沢城主市川四郎兵衛貞吉に匿われた。そして武田家の嫡流は市川の分家という立場で生き延びたという。 なお、大正3年の大正天皇祖奥井式典に際し信玄公に従三位を贈位することになった。位記宣明を受け取る信玄公の正統の子孫を決めるにあたり、市川家伝承の古文書、墓等が山梨県によって詳細に調査されたが、「正統と断定」されるまでには至らなかった。 歴史のロマン。
@sawayuki3644
@sawayuki3644 Жыл бұрын
すいません、また中井貴一さんの武田信玄の話になっちゃいますが💦、その時の諏訪御寮人の役が南野陽子さんで、若き日の信玄の初恋の人の生き写しな上に、名前もちょっと似てるというドラマチックな展開。勝頼も信玄の少年時代を演じた役者さんが演じていて、ものすごく印象に残っています。それを思い出しながら動画楽しみました。ありがとうございます!
@kenchan525
@kenchan525 Жыл бұрын
武田勝頼の大河を作って欲しい。
@user-qc2lq4gu8q
@user-qc2lq4gu8q Жыл бұрын
内容は武田家内外の事情に四苦八苦しながらも武田家を守ろうと奮闘するが、うまくいかないという感じになるのかなと思いました。 まぁ、勝頼主人公の大河ドラマや2時間ドラマ、映画でこうなって欲しいと私が思う内容ですけど。
@user-mm3ky9mh1e
@user-mm3ky9mh1e Жыл бұрын
マジデそれ 大河ドラマ 見たい!
@akirauz6520
@akirauz6520 Жыл бұрын
義信と勝頼自体は、仲が良かった説も
@user-cs7rs4hw8q
@user-cs7rs4hw8q Жыл бұрын
当時はまだ子供だったので、大河ドラマ「風林火山」のときの登場人物たちの関係性が若干分かりきってなかったのですが、ドラマ内で出てきた高遠(諏訪)頼継や寅王丸をこの動画を見て思い出して、当時は武田氏と諏訪氏ってなんか異様に揉めていたと印象だったのですが、やっと点と点が結ばれて解像度が上がりました😳 それは確かに双方間で揉めますよね😅
@user-hy3xt9lv2o
@user-hy3xt9lv2o Жыл бұрын
武田かつよりさん、前半生初めて知ります❗ごうどんさんのかつよりさん役は格好良かったよ🐤
@user-ny2dx5vd5n
@user-ny2dx5vd5n Жыл бұрын
NHK大河風林火山で諏訪御料人をやっていたのは柴本幸さんです。父が柴俊夫、母が真野響子というサラブレッドで、まごうことなき美人でしたよね。その後もNHKドラマ薄桜記で出色の演技をなさっていました。
@yuuki436
@yuuki436 Жыл бұрын
武田家継いだ時点で詰んでたと言われるのもわかる
@weekly_pcengine
@weekly_pcengine Жыл бұрын
よしのぶちゃん事件が起きなければ… 戦国最大の幽閉事件。
@takehiro_0421
@takehiro_0421 Жыл бұрын
信玄の弟、信繁みたいに 当主義信の右腕として活躍する勝頼の世界線を見てみたかった! 彼は戦場にて活躍する指揮官タイプだから期待できる!
@user-qc2lq4gu8q
@user-qc2lq4gu8q Жыл бұрын
そうなると義信は島津家の義久、勝頼は義弘のポジションですね。
@larc26
@larc26 Жыл бұрын
動画見てて、むかしの風林火山の大河ドラマ見たくなりました😊
@user-nr9up4vj7q
@user-nr9up4vj7q Жыл бұрын
義信が生きてさえいれば、「諏訪四郎勝頼」として武田の一家臣として人生を送り、天命を全うできたかもしれません。義信も勝頼も今川氏真とは従兄弟の間柄(今川義元の奥方は武田信玄の姉)なので、今川と武田の縁が強化されたかもしれません。
@maronnkuririnn
@maronnkuririnn Жыл бұрын
死んでしまったのは、戻せない。しかしながら三条の方と同腹の目が見えない海野信親に後を継がせて守護代として勝頼や親族衆で支えてたら大丈夫だった可能性がある。
@user-ky6fw2cm1z
@user-ky6fw2cm1z Жыл бұрын
義信なんかより無駄に戦いまくった川中島で信繁を死なせてしまったせい
@user-qc2lq4gu8q
@user-qc2lq4gu8q Жыл бұрын
@@user-ky6fw2cm1z 信繁が生きていれば、仮に義信事件が起きてしまったとしても、勝頼の良き後見人になってくれていたと思ってます。
@lx1125
@lx1125 Жыл бұрын
勝頼が諏訪なのが最近の研究結果を含めた解説だと安心できる。 信勝なんだよな、最後の当主。 信玄が本当の意味で後継者にしていればこんな事には少しはならな…いや、そもそも義信を処断してしまったのが崩壊の始まりだったのかもしれない
@maronnkuririnn
@maronnkuririnn Жыл бұрын
説得しても聞かない義信が悪いのでは?自分の国の事で海がない今川が弱いやるしかないんだよ。
@Katiyori
@Katiyori 10 ай бұрын
⁠@@maronnkuririnnまあ義信の妻の家だからね、どちらかと言えば太原雪斎の策
@user-sl8fs5fp1k
@user-sl8fs5fp1k Жыл бұрын
(時代が違うので当たり前ですが)「逃げ上手の若君」に出てくる諏訪頼重とこの諏訪頼重は同姓同名の別人です
@Jun-ik4sh
@Jun-ik4sh Жыл бұрын
織田信忠も武田家滅亡後に松姫に迎えをだしてるから、信忠も諏訪家乗っ取りと同じように武田家乗っ取りを狙ってたでしょうね。因果は巡る。
@user-gb4gs7zp7h
@user-gb4gs7zp7h Жыл бұрын
いつも楽しく拝見しております。いやあ、諏訪神党の歴史って本当に面白いですよねえ。映画「天と地と」でしたか、諏訪神軍って出てましたが、諏訪地方、諏訪大社信仰と相まって、諏訪地方の軍事勢力というのは、調べれば調べるほど、味わい深い^^; 木曾義仲に従軍したり、北条時行を匿ったり、そして諏訪四郎勝頼・・・本当に面白いです。
@user-eg7fc9mk9s
@user-eg7fc9mk9s Жыл бұрын
タケミナトミ神社や高市皇子(流山諏訪神社)、安曇比羅夫(穂高神社)や物部守矢(モレヤ神・大祝信重解状)とかも関係してますよ。
@user-ol5gy9qj6i
@user-ol5gy9qj6i Жыл бұрын
すごく勉強になりました! 勝頼に求心力が無かったのは、信玄みたいなカリスマ性が無かったからかと思っていたので、こんなにも複雑な理由があったなんて……( T_T)
@fumiko2884
@fumiko2884 Жыл бұрын
武田勝頼のこと気になっていたんです! 今回もわかりやすく楽しく学習できました!この秋は、信玄ゆかりの地、甲府に行く機会にあり、予習に繋がりました。現地で、更なる発見や学習できるかと思うと、今からワクワクです。音量、私は大丈夫でしたよ!
@parttimestaff-officer
@parttimestaff-officer Жыл бұрын
残念ながら、甲府には勝頼関係は武田神社に少しある位です。甲斐大和の天目山、韮崎の新府城跡の方が勝頼について調べるなら良いかと思います. ただ、近年信玄の父親の信虎が再評価されているので、勝頼の再評価も期待したいところです。
@umakara55
@umakara55 Жыл бұрын
義信も勝頼も、信玄の外交方針の迷走の犠牲になったようなもんだな
@user-vc6ps5tg1d
@user-vc6ps5tg1d Жыл бұрын
勝頼がダメだったというより、信玄が生み出した負の部分が勝頼の代で一気に表沙汰となったという感じですかね。
@user-higaimoso24
@user-higaimoso24 Жыл бұрын
諏訪に関連して逃げ若の解説もして欲しい❗
@user-bw8ms9tb1s
@user-bw8ms9tb1s Жыл бұрын
〜どうする勝頼〜 信玄の子だけど武田家から浮いてる 諏訪家からも他家の人扱い 他所からは諏訪家扱いですらない 曲がり曲がって後を継げたけど、中継ぎ扱い 信玄が信長、家康に喧嘩売って死去 家臣との軋轢多数 盛大にやらかした長篠の戦い(多くの家臣が討死) 長篠後、織田、徳川、北条やら敵多数 最終的に朝敵になり、家臣が調略、裏切りにより離反していき、追い詰められ自害…
@user-qc2lq4gu8q
@user-qc2lq4gu8q 9 ай бұрын
長篠の戦いでやらかしたと言っても、ここで戦いもせずに撤退したら「武田は織田・徳川の後詰めが来ただけで恐れをなし、戦いもせずに尻尾を巻いて逃げた」と喧伝されて三河や遠江の国衆達の離反が加速するだけの結果になったと思います。 仮に撤退して国衆達の離反が加速しなかったとしても、武田と織田の国力差は開く一方だから、いずれ経済力の差に押し潰されてしまいます。
@user-vo9nm4re6y
@user-vo9nm4re6y Жыл бұрын
詳しく上中下編としてお願いします。
@dai-chang1491
@dai-chang1491 Жыл бұрын
8:21 勘助か典厩(武田信繁)が生きておれば……。  (永禄4年の八幡原の戦いで戦死したので、本作へは登場せず)
@user-cq5mh4hl3p
@user-cq5mh4hl3p Жыл бұрын
子供のいなかった上杉謙信の跡目争いで2人の養子が戦った「御館の乱」 景虎(北条氏康の子)×景勝(姉の子) 、当然 北条も参戦して来たら勝ち目が無いと見た景勝は金(佐渡金山の)と下野の領地の1部を条件に 勝頼を味方に付け北条軍の盾に布陣させます 。勝頼の弱みを見抜いて利用して勝利した景勝!
@user-fy7go6to4x
@user-fy7go6to4x Жыл бұрын
武田信玄は勝頼を中継ぎのような扱いをしていた事が非常に残念です。武田姓に復姓させる際に、信の字を入れて改名させ、正式に2代目として指名しておくべきだったと思います。続編の後半生の動画を楽しみにしています。
@user-ub7tt4gl8y
@user-ub7tt4gl8y Жыл бұрын
足利義昭との偏諱も勝頼の官位も交渉の最中での織田裏切りで有耶無耶になっちゃってただの無位無官の田舎武者に… 信は無理でもせめて「義」頼とかなら… 上杉ですら景勝に官位継承ちゃんと終わってたのに…
@maronnkuririnn
@maronnkuririnn Жыл бұрын
武田信頼がいい。
@user-mv4vd7hp2c
@user-mv4vd7hp2c Жыл бұрын
大好きな勝頼を解説してくださってありがとうございます!勝頼は信勝が元服するまでの陣代とも言われていますが、どうだったんでしょうね?これは後に付け加えられた話なのかも知れませんが、勝頼が微妙な立場だった事を物語っていますね。有能な武将であったと私も思います!
@kawasemi8717
@kawasemi8717 Жыл бұрын
家康の大ピンチはむしろ勝頼時代の三河侵攻だったのではないかとおもいます
@akirauz6520
@akirauz6520 Жыл бұрын
何故信玄は、勝頼を跡取りにした時に信のつく名前に改名しなかったのだろう? 勝頼も信のつく名前に改名しても良かったし
@user-ii4gb9mk1v
@user-ii4gb9mk1v Жыл бұрын
正直義信が存命だったとしても武田は滅んでたんでは無いかと思う…武力だけでは限界
@taroyamada6685
@taroyamada6685 9 ай бұрын
むしろ諏訪を名乗っちゃえば良かったのに。
@EXAKTA6667
@EXAKTA6667 Жыл бұрын
殿のあり方が 信玄と勝頼で違って 勝頼の代に 信玄を支えた武将が支えきれず 敗死することになってしまった
@user-zk1du7de2t
@user-zk1du7de2t 10 ай бұрын
勝頼がいくら優秀でも信玄に及ばないのは明らか。だから、最初から無理ゲーなのは明らか。
@user-fe5tq4ss8o
@user-fe5tq4ss8o Жыл бұрын
勝頼は陣代に就任、社長代行で有り官位も無い。勝頼の息子が成長するまでの繋ぎの立場。
@user-mw9yf5yi9z
@user-mw9yf5yi9z Жыл бұрын
外交面でどう足掻いても滅亡しそうなんだよなぁ… 景虎を支援して景虎が上杉家当主になっていたとしてもきついか?
@ponyotan0331
@ponyotan0331 Жыл бұрын
諏訪四郎勝頼のままなら、大成したかもしれないのに… 彼が出てくるまで、諏訪氏はボロボロだったからさ😢 その後の歴史から見ると、いい意味でも悪い意味でも、「諏訪明神の使い」だよね。
@user-jr3kd4eg3h
@user-jr3kd4eg3h Жыл бұрын
諏訪勝頼から武田勝頼に復姓した時って、何か宣言とか起請文とか、対外的に復姓を示すものなんでしょうか?
@noritarou-c6p
@noritarou-c6p Жыл бұрын
勝頼はいきなり長篠の戦いで負けたみたいな誤ったイメージがあるけど その前に東美濃攻めで18の城を落としてたり遠江の高天神城とかも落としてたりしてるんだよな このあたりはかなり凄いと思うんだけどな もう少しで家康を倒せたのに惜しかった
@clai47tere1sar
@clai47tere1sar Жыл бұрын
信玄の諏訪氏に対する扱いはかなり鬼畜な気がする😣
@toshotoshokan
@toshotoshokan Жыл бұрын
風林火山みてると頑張れって思ってしまうわ
@user-ib5le3mm1j
@user-ib5le3mm1j Жыл бұрын
武田勝頼のこの動画を見てみると、江戸幕府最後の将軍の徳川慶喜と共通するところがあるような気もしないわけではないですね、何かトップになるタイミングの良し悪しと言いますか・・・
@user-nf1zx5hg1d
@user-nf1zx5hg1d Жыл бұрын
テロップが上杉憲正になってるけど···
@user-yz1ce7tn1t
@user-yz1ce7tn1t Жыл бұрын
信玄は武将としては最強だと思うけど肉親には、恵まれなかったなぁと思います。父親を追放したのも、いろんな説がありますね。勝頼もある意味、運命の子❕
@user-eg7fc9mk9s
@user-eg7fc9mk9s Жыл бұрын
毛利元就に比べたら雑魚。奇襲しか能がないし。
@user-ub7tt4gl8y
@user-ub7tt4gl8y Жыл бұрын
義信事件起きる前は和歌を入れた絵馬を二宮美和神社に奉納するくらい親子仲良しだったのも切ない(事件後信玄は二宮神社に二度と行かなくなったとも)し、勝頼も相続した際には「勝利を重ね武名を天下に轟かせ、両国の備えは盤石とし、旗下の武士たちが勇猛果敢にして怨敵を撃破して二宮明神の神風をいきわたらせますように」って願い文を二宮美和神社に捧げてるのが滅茶苦茶切ないですよね…  信繁生きてたら対立は避けられないけど多少緩和できてたんかなぁ(信玄も義信への直接的な処罰はためらってた感じだし)
@user-eg7fc9mk9s
@user-eg7fc9mk9s Жыл бұрын
ザマァとしか思わない。
@user-ii4gb9mk1v
@user-ii4gb9mk1v Жыл бұрын
まだ義信が信玄のイエスマンだったら救いはあったのかな
@siroutodaiku
@siroutodaiku Жыл бұрын
ドラマなどでは諏訪御料人は、勝頼の母であるため、他の側室と区別するため美女であった設定になっている。 ただ、避妊方法がほぼ無い時代は同衾の多寡が子供の数とほぼ比例するため、正妻の三条氏は記録に残っているだけでも5人の子がいるのに、美女と言われる諏訪氏には1人しかいないのを考えると、諏訪氏を乗っ取るために男子を設ければ役目は終わったという程度の容姿では無いのかと思いますね。子供の勝頼も特に溺愛の対象では無いし、政略のための側室でしかなかったと考えます。 正妻の三条氏は同時代の快川和尚の言で美人だと証言が残っています。甲陽軍鑑で「かくれなき美人」と書かれているのは薄幸の女性に対する一種の御霊信仰と、勝頼の母という忖度の結果のような気がします。
@user-zp5cz3hk7y
@user-zp5cz3hk7y 6 ай бұрын
正室の三条夫人はとても美しく慈愛にあふれた素晴らしい女性で信玄とも仲睦まじかったそうですね。諏訪御寮人は武田家家臣に好かれてなかったとか。ドラマとは逆ですね。
@user-tx2kp2dx6b
@user-tx2kp2dx6b Жыл бұрын
勝頼嫡男のテロップ、土曜日放送では消されてましたね。
@which703shf
@which703shf Жыл бұрын
諏方の立場が重すぎて武田滅亡の引き金になってますね。 義信クーデターが成功してたらと思うと残念ですね😢
@NOBBU_
@NOBBU_ Жыл бұрын
時期的に勝頼との婚姻からもう既に義信を切るつもりだったと思ってました。対等な同盟関係において庶子と婚姻関係を結ぶのに違和感を覚えます。勿論長男義信は既に妻がいるとはいえ庶子との婚姻が両家の同盟を約束する婚姻となるのか甚だ疑問なんですよね。知識不足なので分からないんですが他にも庶子との婚姻によって同盟を結んでいる例はあるのでしょうか。だいたい格下のように思えます。
@user-uw3ib7sj1l
@user-uw3ib7sj1l 2 ай бұрын
すいません、諏方ではなく諏訪ですよ!!
@hiroochi8130
@hiroochi8130 Жыл бұрын
勝頼は勝頼で強い 信玄と比べたら酷です 偉大過ぎる信玄
@sss-jm8wo
@sss-jm8wo Жыл бұрын
陣代の当主?何かよくわからない位置付けだったそうな。ピッチャーで言えば中継ぎみたいなもん。先発や抑えに比べたら使われる割に待遇がちょっと・・・
@user-xf9fh5li8i
@user-xf9fh5li8i Жыл бұрын
諏訪家自体が、武田家に並び立つくらいの相当な名家だったからなあ。 諏訪氏の出自はメチャクチャ古く、古墳時代にまだ遡る。 諏訪の地は、ヤマト朝廷に敵対した諏訪王国のナガスネヒコなど、中央に敵対する武家の象徴でもあった。 (建御名方(たけみなかた)、建御稲妻の神話は、ヤマト朝廷側から押し付けられた神話で、諏訪地方でははあまり受け入れられておらず、逆にミシャグジ信仰や、甲賀三郎の伝説などが残る)。 諏訪には上社、下社があって、高遠諏訪氏よりも金刺氏などと、大祝の座を巡ってもめている。 諏訪頼重の祖父は、信虎と共闘したり戦ったりした名将・諏訪頼満で、信虎の軍師的存在であった荻原昌勝を討ったともされている。 荻原常陸介昌勝は、信虎、信玄に弓馬の術を教えたともされ、今川の福島正則が甲斐に侵攻して来た際に、「相図の小旗」「相図の物見」の戦術で撃退したともされている。 なので勝頼の勝の字は、荻原常陸から取った可能性もある。
@user-mm3ky9mh1e
@user-mm3ky9mh1e Жыл бұрын
義信ヶ 父の言う事を聴き入れ 家督を継いでたら 勝頼は悲劇に見舞われる事は無かったのに。 どうした?義信 武士か? 家より そんなに妻ヶ大事か? 時は戦国ぞ? 勝たねば全て失うんだぞ?
@user-qc2lq4gu8q
@user-qc2lq4gu8q Жыл бұрын
義信の懸念も分からなくはないんですよね。 もし今川を攻めたら、武田は領土が欲しければ平気で同盟を破る家だという悪評が立ち、上杉、今川、北条と敵に囲まれる事になる。 その対策として信玄は織田・徳川と繋がろうとしたのでしょうけど、彼らがどこまで信用できるか分からないですから。 義信が今川義元存命期から信玄に対して反感を抱かせる事を信玄はやったようです。 信玄は信濃南部を平定した時に、美濃東部の国人領主遠山氏に従属を申し入れられた。 その遠山氏は織田家とも縁戚関係にあり、遠山氏は斎藤・織田・武田に両属関係になった。 その縁から、信玄は上杉謙信との戦に備える為に信濃と美濃の間での争いは避けようと織田家とも親交を深めたらしいです。 しかし織田家は今川家が主敵とする存在。 自分が今川義元の娘を妻としている事、母の三条夫人が今川家の仲介で武田に嫁いできた事などの二重の縁から親今川派の義信から見たら、今川家の利益に沿わない織田家と親交を深める信玄の行動が今川家に武田家への不信感を与え、同盟を破棄されるんじゃないかと思わせたのかもしれません。
@tokishp
@tokishp Жыл бұрын
義信と勝頼の関係は微妙ですよね 勝頼は冷遇されていたと言われていますが信玄の考えとし甲斐は義信、信濃は勝頼に任せようとしていた節があり 信濃の国人たちをまとめるために諏訪家として扱っていたわけですが、一方で早々に高遠城を任せられ 甲陽軍艦によると、義信が「俺は城なしなのに勝頼は城持ちかよ」と文句言ってたようです そもそも信濃は甲斐に比べると倍ぐらい大きいわけで信濃侵攻が進めば進むほど信濃の国人衆のまとめ役である諏訪家の存在感は高まります 甲斐国衆の中には武田が諏訪に乗っ取られると思っていた者もいたようですし、そのあたりを危惧した信玄が勝頼を正式な当主にできなかったというのもわかります この問題を棚上げしてしまったことが滅亡の原因になったというのは…元々の信玄のプラン(甲斐は義信、信濃は勝頼に任せる)に無理があったってことですかね
@sayuri0530
@sayuri0530 Жыл бұрын
私の好きな大河ドラマのトップ3に入る風林火山のことを思い出していました( ー̀֊ー́ )੭ あの時も武士道さんの解説があったら、風林火山は100倍楽しめたかも( ̄▽ ̄)
@namboku23
@namboku23 Жыл бұрын
中井貴一の武田信玄みたなあ。子供心に義信堤真一の最期は泣けた。生きていれば。。飯富児玉清の生首はえぐかった、傅役でないとは新たな知見。何より湖衣姫南野陽子が可愛かった印象。
@RedRose-md8je
@RedRose-md8je Жыл бұрын
三条の方と諏訪家の姫、本来どちらの身分が上なのでしょうか? 諏訪家は、諏訪大明神と言う神の子孫、諏訪家の方が格上かも知れません。
@maronnkuririnn
@maronnkuririnn Жыл бұрын
本姓は藤原氏。家系は藤原北家の流れを汲む閑院流嫡流。三条家は藤原北家の藤原師輔の十二男藤原公季の子孫、三条実行を祖とする清華家の一つで、極官は太政大臣の家系 三条家(さんじょうけ、旧字体:三條)は、藤原北家閑院流の嫡流にあたる
@qrhsx891
@qrhsx891 Жыл бұрын
あまりにも荷が重すぎる。 信玄が突然死で経験も乏しい若君をいきなり跡継ぎでは。 ただ、信玄が信長より長く一年生きていれば、また歴史も変わったと思います
@tikatika1576
@tikatika1576 Жыл бұрын
嫡男は正室の産んだ最初の男の子という意味ですから、信玄の嫡男は死んでも義信に変わりないのではないでしょうか。 勝頼に使うのなら世継ぎや世子ではないですか
@riot363
@riot363 Жыл бұрын
諏訪頼重ってジャンプで連載中の「逃げ上手の若君」に出てくる諏訪頼重? こんなところで繋がってるのか
@user-kd4ol7oe4g
@user-kd4ol7oe4g Жыл бұрын
気になってネットで調べたら、あっちは同姓同名の先祖らしですね。
@UMA_Channel_1979
@UMA_Channel_1979 Жыл бұрын
諏訪 じゃないんですね
@sengokubanashi
@sengokubanashi Жыл бұрын
中世は、「諏方」
@UMA_Channel_1979
@UMA_Channel_1979 Жыл бұрын
@@sengokubanashi ほほう( ˙꒳​˙ )
@user-nr7gs2si2e
@user-nr7gs2si2e Жыл бұрын
諏方?諏訪では?🙄
@user-vu2ss8gp5m
@user-vu2ss8gp5m Жыл бұрын
養子に出されとる時点で若い内は後継者では無いんは分かる。 よその土地の有力者の家に出して後々有利に働けば万々歳やなぁ。 信長も伊勢神宮の神主さんの家に息子さんを養子に送って成功しとる気がする。 よろしく(`-ω-)”(`=ω=)”“(·ω·`)よろしく
@user-qz4ro5sx4w
@user-qz4ro5sx4w Жыл бұрын
不運よな。この方
@hoggood6876
@hoggood6876 Жыл бұрын
諏訪?諏方? ですか?
@lx1125
@lx1125 Жыл бұрын
因みに私は武田三郎信之が上総武田豊信だった説を推してます。 嫡男ー病死、次男ー失明・家臣養子、三男・信之ー分家当主(甲斐を出る)で勝頼になった説を推します。 ちょうど家督相続の時期は北条と里見と激戦を繰り広げていた時であり、本家に帰る余裕がなかったものと思われます
@user-tz7gv8hj2s
@user-tz7gv8hj2s Жыл бұрын
信玄が泥棒したんだよ。諏訪氏を。
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